嘘みたいだよな。
目の前のトルソーに飾られた勝負服を見つめていると、そんな言葉が頭に浮かぶ。
これ一着作るのに、どれだけのお金がかかっているんだか。
くだらない発想に、我ながら呆れてしまう。この間の神戸新聞杯で、ボクはもうそんなことを気にする必要もないくらいの賞金を稼いだ。仮に明日学園から
「いいじゃん、アンタらしくって」
はじめて勝負服を披露した時のアイツの言葉が、まだ耳に残っている。
結局、ボクはこれを作るときに何も注文をつけなかった。好きなように作ってくれと言って、白紙の注文票を差し出しただけ。怒られるかとも思ったけど、デザイナーは「腕が鳴る」なんて言って、かえってやる気になったらしい。
仕上がって来た勝負服は、紺のローブと、まるで鎧のように物々しいブーツがメインになった、大仰な印象の一揃い。イメージしたのは夜を駆ける騎士だとか、ローブに織り込んだ金の糸が夜空に光る流れ星だとかなんとか、そんな感じのことを言っていた気がする。だとしたら、ずいぶんとボクに対して勇ましいイメージを感じ取ったもんだ。ボクがこれまでどんな風に生きてきたかなんて、知らないはずなのに。
「どうあれ、そういうやつに見えたってことだな」
誰もいない部室の中で、ボクはひとりごちた。
だとしたら、これはひどい思い違いだ。勝負服のローブの胸のところに飾られた白い十字のネックレスと、もうひとつ、淡い青色に光るものを見つめながら、ボクはそう思った。それはリボンのように巻き付けるタイプの耳飾り。炎の形をした天然石が、わざとらしくボクを睨みつけている。ボクもそいつを睨み返してやった。
他の学園の連中とは違い、ボクは普段、耳に何もつけていない。それは、思い出したくもない過去を思い出すから。
耳。ボクがウマ娘だということを知らしめる、忌々しい感覚器官。ボクは本当に、不気味な形をしたそれが嫌いだった。腰の下についている、何をするにも邪魔な尻尾と同じくらいに。
頬の横に手をやる。そこには何もない。無慈悲なほどに、何もない。いくら撫でまわしても、ただゴツゴツした顎の関節と、ごわごわした髪の毛の感触が指に絡みつくばかり。いつしかボクの手は、小刻みに震えていた。
そこから少し上の方。ちょうど眉のある高さのあたりに、手入れの悪い絨毯のような手触りのするものが、大きな態度で生えている。これがボクの耳。少し意識してやれば、まるで別の生き物がすんでいるかのようにせわしなく動き出す。
「ん」
喉の奥から、声があふれた。ヒトならざる毛に覆われた右の耳、その付け根の辺り、横一文字、線を引いたようにつるんとした場所がある。もう痛みはないはずのその場所に、指が触れた。背筋に悪寒が走る。ギラリと光った、金属の匂いが蘇る。――だからボクは、この耳が嫌いだ。そんな耳に触れるのも、飾り立てるのも。
今日のトレーニング、はやく終わらないかな。時計を見ながら、そんなことを考えた。昨日のうちに最終追い切りを終えたボクは、何もすることがない。すっかり涼しくなった秋の風が吹き込むこの部室で、ひとりみんなの帰りを待っていた。孤独には慣れている。だけど今日はひどく心細かった。過去を思い出したからといって、こんなこと、以前は無かったのに。アイツと過ごした一年間の間に、ボクはすっかり弱くなってしまったらしい。
トレーニングが終わるまで、あと三十分。そうしたら、この部屋はまた騒々しくなるだろう。ナギサと、チームの連中と、それから、アイツ……ボクとは何もかも違う、アイツが帰って来る。
右耳の奥で、ドンドンと何かが叩くように脈を打っている。ああ、イライラする。この音は、ボクが臆病風に吹かれているときに聞こえてくる。
何でもいい、何かこの脈動を抑えつけるものはないか。そんなことを考えていると、ふいに
練習時間終わりの鐘が鳴って、あたしはクールダウンもそこそこに、急いで部室へと駆け戻った。
明日からいよいよ菊花賞へ向けた遠征。衣装ケースに片づけられてしまう前にもう一度、あの勝負服が見たかったから。それと、遠征についての話し合いが楽しみで仕方なかったから。
「ホープ! いる?」
勢いよく部室のドアを開けると、そこにはちゃんとあたしのルームメイトの姿があった。
「うるさいな」
不機嫌そうにこちらへ振り返る小さな芦毛。いつもと何も変わらないその顔の上に、いつもと違う見慣れないものがあった。
「ホープ、アンタ……」
「なんだよ」
「それ、着けるの」
白くて長い耳の付け根に、控えめな大きさのリボン。涙の雫みたいな薄青色のムーンストーンがチラチラと揺れている。デザイナーからプレゼントされたとき、あれほど嫌がって着けようとしなかったそれが、ホープアンドプレイの右耳を飾り立てていた。
「キミが驚くかと思ってね。どうだい」
「驚いた」
あたしが素直に答えると、ホープアンドプレイは満足そうに笑った。
「利き耳、アンタは、右なんだ。あたしの反対。それともわざと?」
「別に」
そっけない調子のルームメイトに、あたしも満足して部室の外へ顔を出すと、すぐそこまでやってきていたトレーナーたちを急かすつもりで手招きした。
「あたしたちふたりとも、走れたクラシックはひとつだけだったね」
その夜、トランクに荷物を詰め込みながら、あたしはふと思いついて、そう呟いた。
だけど同じなのは数だけで、それ以外はなにもかもが正反対だ。あたしはトリプルティアラの一冠め。ホープアンドプレイはトリプルクラウンの三冠め。クラシックレースで一番短い距離のあたし、一番長い距離のホープアンドプレイ。
「まだわからないよ。明日、ボクが急に
「嫌なこと言わないでよ」
すぐこういうことを言う。本気で思ってるわけでもないくせに。そんな話聞かされると、不安になっちゃうのはあたしの方なんだから、ズルい。
あたしはわざと大きく音を立てながらトランクを閉じて、洗面台の前に立った。歯ブラシを咥えてもごもごした口のまま、嫌味なルームメイトに向かって、釘をさす。
「アンタは勝ってよ」
あたしはレイア家のお姫様に敵わなかった。ホープアンドプレイは、レイア家の王様に勝負を挑もうとしている。この結果は、同じじゃない方がいい。
三冠がかかっていようが、レイア家の悲願だろうが、この小さなウマ娘にとってはきっと何の関係もない。確かめるまでもなく、そう思っているはず。あたしは、その景色の方が見たい。
「……やれるだけはやるさ」
それは、窓の外から聞こえてくる虫の声とどっちが大きいかわからないくらい、かすかな返事。それでも、答えてくれただけ、嬉しかった。聞き逃さなかった自分の耳も、嬉しかった。
口をゆすいで、ふうと一息つくと、勉強机の上に放り出された例の耳飾りが目に入った。あのあと、ホープアンドプレイはそれを身に着けたまま寮へ帰って来た。いままで頑なに敬遠していたというのに、どういう気持ちの変化があったんだろう。
あたしの悪い癖が、首をもたげだす。
「ねえ、どうして?」
「ん」
「どうして耳飾り、着ける気になったの」
芦毛の友だちはため息をついた。
「言ったろ、キミを驚かせようと――いや」
一度言いかけた言葉を呑みこんで、いやいやをするように首を振った。
「うるさかったからさ。いろいろと」
その答えはあまりにもぼんやりしていて、ハッキリしない。でも、なんとなく、根拠なんてないんだけど、嘘はついていないんだと思った。
「悪いけど、いまはそれ以上言えない」
そうして、ホープアンドプレイは逃げるように布団の中へもぐりこんだ。あたしももう、これ以上理由を問いただす気にはならなかった。けれど、どうしても、確かめておきたいことが他にある。
だから尋ねた。
「あたしは、アンタにとって、うるさくない?」
ホープアンドプレイは布団にくるまったまま、顔も出さずに答えた。
「うるさいよ。おかげで余計な音が、聞こえなくなるくらい」
なら、もっとうるさくしよう。あたしはすっかり安心して、部屋の照明を落とした。もぞり、と音がして、ホープがくるまっている布団の、その腰のあたりが動いたのが分かった。
菊花賞当日は、雲一つない、吸い込まれそうなほどの青空だった。
『18番、ホープアンドプレイ。8番人気です』
パドックステージのトリを飾ったのは、あたしたちのチームメイトだった。
初めてのGⅠが、クラシックの最終戦。観客にとって、この小さな芦毛のウマ娘の勝負服姿は、今日が初めてだ。どよめきにも似た歓声が広がる。クールなスタイルの勝負服で颯爽とステージを歩きまわり、振り返りもせずに幕の向こう側へ下がっていく。うっとりするようなため息がどこからか聞こえてきた。まあ、そうだよねと思う。黙ってみてる分には、あたしだってちょっとドキドキするくらいカッコいいもの。
「本当に落ち着いてるね、ホープちゃん。ぜんぜんイレこんだ感じもない」
クラウンセボンがうんうんと頷く。トレーナーも、ひとまずは安心したようだった。
「むしろ、相手の方が緊張しているみたいだったね」
相手というのはもちろん、レイアフォーミュラのことだ。トレーナーが言った通り、いつものレイアフォーミュラより、パドックステージでのテンションは高めだったように感じる。妙に早足だったし、あちこちに視線を動かしてそわそわした様子だった。これまであんな彼女は見たことがない。
「無理もないかもしれません。こんな状態では」
レイアクレセントがチラリとパドックステージの片隅に目をやりながら言った。観客たちがいつも応援するウマ娘たちの横断幕を掲げているあたりに、今日はいつもと違う光景が広がっていた。
『さあ行こう 夢の三冠へ』
『歴史の目撃者になろう』
『Triple Crown~栄光のステージへ』
『三冠への
他にも無数の応援幕が掲げられている。極めつけには、パドックステージが始まる前のアナウンス中に、大型ビジョンでは過去の三冠挑戦の記録VTRが流されていたくらいだ。ここにいるほぼ全員が、レイアフォーミュラの三冠を観に来ている。そして、それが達成されることを、あるいは阻止されることを期待している。どちらにしても、それ以外の話題は必要とされていない。こんな状態で、平常心でいろという方が無理な話だ。あたしには想像もできないほどのプレッシャーがかかっているに違いないんだから。
「でも、それに打ち勝ってこそのフォーミュラなのです。私は、あの子がこれしきのことで無様な走りをするとは思っていません」
レイアクレセントのその言葉は、あたしにはどこか、そうであってくれと言っているように聞こえた。
彼女にとって、レイアフォーミュラはやっぱり特別な存在だ。自身の勝てなかった相手が他の誰かによって負かされるところなんて、見たくない。それが自身と同じ家に生まれた家族であれば、なおさら。その気持ちは、あたしにもなんとなくわかる気がした。
「な、なんか、ホープさんを応援したら、悪い……かな」
テンダーライトが恐る恐るといった様子で呟く。多分、会場の雰囲気と、レイアクレセントの気持ちを感じ取ったからだ。
そんな心配を、あたしたちのエースは笑って受け流した。
「よしてください。私はもちろん、ホープさんを応援しますよ。あの子が万全な走りをして、そのうえで破っていただくようにと」
多分、100パーセントの本心じゃない。でも、そう答えるのがレイアクレセント流の振る舞いなんだと思う。ちょっと、カッコいい。
地下バ道はさらにすごいことになっていた。だれもレイアフォーミュラに近づけまいと、チームのスタッフたちが彼女の周りをSPのように取り囲んでいる。ちょっかいかけてやろうかとも思っていたけど、とてもそんな雰囲気じゃない。他の出走者たちは気にしないふりをしていたけれど、みんな横目でチラチラと様子を伺っていた。こんなのだと、精神的な影響は本人だけに留まらなそうだ。
「ホープ、窮屈じゃない?」
「ん、大丈夫」
トレーナーは淡々とホープアンドプレイの勝負服の首元を調整している。こうなってみるとこの落ち着きぶりは頼もしい。
係員がやってきて、本バ場入場の合図が出る。いよいよ、順番に勝負の舞台であるターフへと出ていく時間だ。せっかくだから、最後になにか声をかけたい。そう思って、あたしは小さな鉄紺の勝負服に向かって歩み寄った。
そのときだった。
ドン、とあたしの肩に大きな影がぶつかった。その衝撃で思わずしりもちをついたあたしは、とっさに謝罪の言葉を口にしようとその大きな影の方を見た。
「――カイ」
褐色の肌に、鮮やかな黄色の羽をまとった姿は、まさに大きな極楽鳥のようだった。パレカイコはあたしに一瞥もくれずに、そのまま黙って本バ場へと駆けていった。
「ルピナスちゃん!」
「ルピナス先輩!」
クラウンセボンとショコラレインがあたしを助け起こしてくれた。
「ルピナス、大丈夫? ぼんやりしないで。出走者の迷惑になっちゃダメだよ」
トレーナーの小言にあわてて頷く。ここは地下バ道。通行は出走者が最優先だ。故意でなかったとしても、邪魔は許されない。
「でもトレーナーさん、あの人わざとぶつかって来たみたいでした!」
「ごめんごめん、あたしは大丈夫だから。ショコラ、静かに」
ショコラレインが抗議しようとしていたけれど、ややこしくなるだけなので頭をグシャグシャと撫でて黙らせることにした。
「ルピナスちゃん、怪我はない?」
「うん」
心配そうなクラウンセボンに、あたしは親指を立てて無事をアピールする。それを見て一旦はホッとした表情を見せたクラウンセボンだけれど、すぐにまたその顔を曇らせた。
「カイちゃん、最終追い切りの日からちょっと変なの。お部屋でも、全然お話ししてくれないし。ずっと何か思いつめてるみたいで」
「そうなんだ」
遠征は公欠扱いになるので、パレカイコは先週から授業に出てきていない。彼女の異変を知っているのは、ルームメイトのクラウンセボンだけだった。
「だから、わざとぶつかるとか、そんないじわるしたわけじゃないと思うの。きっと、レースのことで頭が一杯なだけ。ね?」
「わかってる。アイツ、そういう嫌なヤツじゃないし」
普段のパレカイコは、もっと穏やかで、明るい性格だ。大きな身体でぶつかって相手を転ばせてしまったら、すぐにでも抱き上げてハグしてやるような優しいウマ娘。そのハグが強烈で失神させられたことあもあるけど。とにかく、今日のパレカイコはいつもと様子が違うというのはあたしでもわかる。
そんな話をしているあたしたちを横目に、ホープアンドプレイは小さく肩をすくめて出て行こうとした。
「じゃ」
「あ、待ってよ」
いつもどおりすぎる態度のチームメイトを、あたしは慌てて呼び止めた。
「あのさ……」
「よそ見すんなよ。また誰かにぶつかっても知らないよ」
またそうやって嫌味を言う。こんな時だっていうのに、ちっとも盛り上がらない。……でも、それが、ホープアンドプレイらしい。
返事を待たずに去っていくその小さな背中に、あたしは精一杯呼びかけた。
「待ってるから!」
あたしもいつも通り。こういうとき、気の利いたセリフのひとつでも出てくればいいのに。月並みなことしか浮かばない。でも、きっとそれがあたしらしいって、ホープアンドプレイも思っているはず。
だって、振り返りはしなかったけれど、片手をひらりと一度だけ、上げたもの。
ほんとに、嘘みたいだ。
芝生に足を踏み入れて、その感覚を味わったボクは、またそう思った。
割れんばかりの歓声が、シャワーのように降ってくる。やけに期待感を煽る音楽と、場内アナウンス。ただボクたちウマ娘が走るだけのこれに、信じられないくらいの熱狂を浴びせてくる。
こんなところに、ボクがいる。
正直、こんなこと望んじゃいなかった。ただ走れるから、走れる場所をもらえるから、流れに身を任せただけ。波風が立たないように。ボクなんて、いてもいなくてもいいように。だから期待もしなかった。期待をさせようとも思わなかった。
それがどうして、こんなことになっているんだろう。
(――ナギサのせいだ)
一年半前、ナギサの思惑にボクは乗っかった。適当な食い扶持になって、適当に生きていける。そういう打算と天秤にかけただけ。そうしたらまんまと、こんなとこまで連れてこられてしまった。
(父親似だよ。ナギサは)
聞かせらんないな、こんな言葉。
それからもう一人、ボクをこんなとこにまで連れてきた厄介者がいる。
(――ルピナス)
本当に面倒くさいヤツ。お節介で、打たれ弱くて、うっとうしくて。……
ああ、アイツに見せてやりたい。ヒト生まれが、GⅠを勝つところ。
そうしたら、こんなにも呪った自分の生まれが、そう悪いものじゃないって、そう思えるかもしれない。――そう、思いたいのかもしれない。
変な希望を持たせてくれる。だからアイツは、タチが悪い。
「相変わらずだな、ホープアンドプレイ」
そら来た。そろそろだと思ってたんだ。
振り返ると、案の定
「お前にとって、この菊花賞は何だ」
尊大な態度で、王様はボクというみすぼらしい奴隷に話しかけてくる。だからボクは、奴隷らしく下卑た態度で答えてやった。
「手に入れる場だよ。キミと違ってね」
「私と違う? それはどういう意味だ」
なんとなくわかってるくせに。
「ボクは何にも持ってない。名声も、期待も、生まれた意味も。ここで負けたって、何にもないままのボクに戻るだけ。でもキミは、失うものが多いだろ。そういうことだよ」
尊大な王様は笑った。
「お前は見抜いているようだから、教えてやろう。――その通り。私は恐れている。すべてを失うことを。お前のようなウマ娘に敗れて、積み上げた価値観全てが打ち崩されてしまうことを」
へえ、そこまで自覚あるんだ。そりゃビックリだ。もうちょっとバカなのかなと思ってた。
「だが、だからこそ楽しみだ。……こんなこと、トレーナーが聞いたら怒るだろう。勝つことだけを考えろと言われてきたからな。だが楽しみになってしまった。もしもお前に敗れたら、私はどうなってしまうのかと。恐れると同時に、楽しみになってしまった」
訂正、こいつやっぱりバカだ。
「じゃあ、負けてくれればいいじゃないか」
「そうはいかん。私は勝つことしか教わっていないんでな」
ああ、なるほど。こいつ、うちのお嬢様とは別な意味で、かわいそうなやつなんだ。――名門の家になんて、生まれるもんじゃないな。
「それじゃ」
ファンファーレが聞こえた。ボクは王様に背を向けて、ゲートの前に向かう。王は満足げな声でボクの背中へ宣戦を布告した。
「全力で来い。私も全力で、抗ってやろう」
そのとき、どうしてか口が動いた。ボクもどうやら、平常心ではいられなかったらしい。
「フォーミュラ」
「な……」
初めて名を呼ばれて、レイアフォーミュラは一瞬身じろぎをしたようだった。
「取り消すよ。『ボクは何も持ってない』ってやつ」
「ほう」
奇数番のやつらの枠入りを待ちながら、ボクは16番の無敵の王に言った。
「ボクも持ってる。小さいけど、
そうして、右の耳をピクリと一度動かした。青いムーンストーンが、頭の上で揺れる音がした。
レイアフォーミュラはそれを見て鼻で笑うと、いよいよ自分の番になった枠入りへと歩を進めた。
それでボクには確信できた。
『最後に大外18番、ホープアンドプレイがゲートに向かいます』
レイアフォーミュラは、負ける。この菊花賞で。三冠の夢は、破れる。
『さあ、ここがクラシックの終着駅。そして歴史が創られる場所!』
もう、わかりきっていた。
『スタートしました!』