ストレイガールズ   作:嘉月なを

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#44-希望の光(後編)

 クラシック三冠ウマ娘。それは、皐月賞、東京優駿、菊花賞の三つのレースすべてを制したものに送られる称号。歴史上、その名を頂いたウマ娘は数えるほどしかいない。そこに「無敗で」という条件を加えると、その数は片手の指にも満たなくなる。

 

 レイアフォーミュラは、無敗の三冠ウマ娘になる? この問いに対する答えは、トゥインクル・シリーズファンと、あたしたちウマ娘とでは違っていたように思う。

 

 多くのファンは期待を込めて頷いた。あたしたちウマ娘は、半ばあきらめにも似た気持ちで、多分ねと頷いていた。期待と、諦め。現れてくる答えは同じでも、その背後にあった感情は、相容れないものだった。

 

 だからといって、別にみんながレイアフォーミュラを勝たせようとしていたわけじゃない。みんなそれぞれ、自分のできる限りのことをして、絶対王者に一矢報いようとしていた。そのことごとくが跳ね返されただけ。そうしていつか、なんとなく出来上がった「三冠達成」の雰囲気。そびえたった大きな雰囲気の波に抗うのは、そう簡単なことじゃない。わからなくなるからだ。どうすればいいのか。どう挑めばいいのか。何をしても無意味に思えて、身体も、脚も、すくんでしまう。

 

 だから、目の前で起こっている光景に一番驚いていたのは、スタンドで見守るファンではなく、レイアフォーミュラでもなく、彼女を羨望の眼差しで見つめていた、すべてのウマ娘たちだったに違いない。

 

 

『これから隊列は最初の正面スタンド前に向かいます。おおっと、ここで3番のパレカイコが今日は先頭をうかがう格好! 最内1番トゥーセンタックに競りかけていきます!』

 

 大方の予想では、パレカイコが中団前目の位置につけ、レイアフォーミュラはその一列後ろから。東スポ杯や皐月賞で見慣れたような展開になると、誰もが思っていた。そんな予想を裏切る形で、パレカイコは一周目から、ひとり抜け出した逃げウマ娘のトゥーセンタックに突っかかっていった。

 

 スタンドからどよめきが起こっている。まさか大勝負を前に掛かってしまったのかとも思ったけれど、そんな様子はない。むしろ、背後からパレカイコに追い立てられているトゥーセンタックの方が、しきりに後ろを気にしている。彼女も想定外のことに戸惑っているようだった。

 

「カイ、何考えてんの」

 

 あたしは思わず眉をひそめた。多分、スタンドで見ていたほとんどの人が同じように思ったはず。まず第一に、普段のパレカイコの位置取りとは全然違うということ。突かれたトゥーセンタックにピッタリついていったおかげで、後方のバ群とは4バ身ほども差が開いている。そして第二に、これがそもそも勝ちにつながる作戦には見えないということ。酷い言い方をするなら、これはまるで、逃げウマ娘を潰すためだけに走っているみたいだった。ジュニア級のGⅠを制したウマ娘がやるようなことじゃない。

 

「……そっか」

 

 小さな声で、クラウンセボンが呟いた。

 

「カイちゃん、ずっとこれを考えてたんだ。だから……」

 

 そういえば、ここ数日様子がおかしかったと言っていた。ついさっきも、あたしのことがまるで目に入っていないような、ピリピリした雰囲気だったし。でも、ということは相当に強い意志をもってこの作戦を敢行したということだ。

 

「ボンにはわかるの? カイの作戦の意味が」

「ううん、私にもわからない。わからないけど……何も考えがないなら、カイちゃんはこんなこと絶対にしないはず」

 

 ならばトレーナーは、と思ったけれど、トレーナーは先行勢には目もくれず、最後方を追走しているあたしたちのチームメイトに視線を注いでいた。

 

「ボン、ルピナス、ちゃんと見てなさい。ホープの菊花賞は、今日が最初で最後なんだから」

 

 あたしはハッとして、慌てて隊列の後方に目を移した。そう、あたしたちが見なきゃいけないのはパレカイコよりもホープアンドプレイだ。がっしりとしたGⅠ出走者が纏う華やかな勝負服たちの後ろに、鉄紺のローブと、白い綿毛のような髪が規則正しく揺れている。レースはちょうど半分を過ぎたあたり。向こう正面の直線に入った。

 

 トレーナーがごくりと唾を飲み込む。

 

「そろそろ、仕掛けのときだよ」

 

 事前の作戦では、そろそろスピードを上げていくところ。一瞬で加速する切れ味がない分、超ロングスパートで仕掛けていくしかない。ゆっくりと、ラップを上げていく。ここから行けば、上がりの3ハロンは35秒台まで上げられる。切れ味に優れるレイアフォーミュラが34秒台の時計を出しても、最後の直線に入った時点でリードを奪っていれば、差し返されることもないはずだ。

 

「来た!」

 

 クラウンセボンが声を弾ませる。約束通り、ホープアンドプレイが進出を開始した。といっても、目に見えるような加速じゃない。まずひとつ、つづいてもうひとつ、順位を上げていく。

 

『レイアフォーミュラはここ、後方から六、七番手といったところでしょうか。今日はやや抑えた格好です。あるいは先頭の競り合いを嫌ったでしょうか。しかし非常にゆったりとしたいいテンポで進んでいるようです。かつてかの皇帝シンボリルドルフが辿った淀の旅路を、今日はレイアフォーミュラが往きます。日本中のレースファンの期待を乗せて、いよいよ二周目の坂へと入って参りました』

 

 場内アナウンスはレイアフォーミュラのことにばかり注目していて、その後方からにじりよる小さな芦毛のウマ娘の名は呼ばれない。――よしよし、いいぞ。このままバレないようにするすると上がっていけばいい。と、そんなことを考えていたところで、耳を疑うような言葉が聞こえてきた。

 

『速報値では2000メートルの通過タイムは2分4秒2!』

 

「えっ」

 

 遅い。いや、遅くはないけれど、パレカイコがあれだけ前を煽ったにしては速い時計になっていない。まさかと思って先頭を確認すると、パレカイコは後ろとの距離を測るようにしながら、余裕そうなフォームで第三コーナーの坂を駆け上っている。少しずつ後方集団との差が縮まって来てはいるけれど、リードを保ったまま坂の頂上まで来てしまった。

 

「これ……」

 

 ヤバくない? といおうとしたその時、いち早く下りに突入したパレカイコが、スッと先頭に躍り出た。散々後ろから突かれてペースを乱していたトゥーセンタックは、そこでフッと意気消沈したかのようにズルズル後退していく。場内はレイアフォーミュラのライバルが先頭に立ったということで一気にボルテージが高まった。

 

 ホープアンドプレイは、上り坂で固まった集団の中を縫うようにして進出を続けている。小さい身体であんな狭いところに飛び込んでいくのは相当勇気のいることなのに、少しも恐れる様子がない。まるで、どこへ行けばいいのか、答えの道が見えているかのように。

 

 そして、後方集団も下りに入った。徐々にペースが上がっていく。そろそろ仕掛けどころ。集団の中から、最初に立ち上がってくるのは誰だ。みんなが期待しているのは、当然無敗の二冠ウマ娘。やはり下バ評通り、パレカイコとレイアフォーミュラの一騎打ち。そんな雰囲気が場内を包み込んだ。

 

 様子がおかしいことに場内が気付き始めたのは、それから数秒後のことだった。

 

『坂の下りで後続勢は大きく横へ広がって、さあ、レイアフォーミュラはどうか、さあそろそろ仕掛けるでしょうか!』

 

 実況が煽り立てる。けれど、レイアフォーミュラはまだ来ない。いつのまにかバラけた集団の中で、強引に外へ持ち出そうとしているのが見える。明らかに何かおかしい。でも、何があったのかわからない。

 

「おいおい、ヤバいぞ!」

「なんでまだ上がってこないの!?」

 

 怒りにも戸惑いにも似た叫び声があちこちから聞こえてくる。まだ来ないのか、まだ来ないのかと焦っている。早くしないと、パレカイコに逃げ切られてしまう。スタンド中を埋め尽くす不安の色をよそに、先頭を飛ぶハワイの極楽鳥ははやくもひとり先んじて最終直線に入って来た。

 

 一方であたしは、期待に胸が膨らみつつあった。何があったのか知らないけれど、レイアフォーミュラが出てこない。でもそれなら、あたしたちの願いを背負ったウマ娘が、代わりに出てくるだけだ。あたしは声を出さずに、そのバ群の中にいる友へと呼びかけた。さあ、ほら、早く。相手がもたついている間に、来い。来い!

 

 

 

 その呼びかけに応えるように、最初に後方集団から抜け出してきたのは、白と鉄紺のハイコントラストだった。

 

 

 

「ホープ!」

 

 信じられないようなスピードで坂を駆け下りてくる。小さな身体を活かして、いちばん内側の狭いコースをすり抜けて、まるで稲妻のように。

 

 あたしは無我夢中で、身を乗り出して叫んだ。

 

「いけ! 走れ! 捕まえろ! ……ホープ!」

 

 あまりにもスピードが出過ぎたのか、コーナーから直線に入るところで大きく外へ吹き飛ばされている。大きすぎるロス。でも、そんなの関係ない。ホープアンドプレイというウマ娘は、ずっと外ラチ沿いを走ったって疲れないような、無尽蔵のスタミナを持ってるんだから。

 

 そのとき、あたしの隣でレイアクレセントが叫んだ。

 

「フォーミュラ……!」

 

 その言葉に合わせたかのように、バ群からオリーブ色の勝負服が、矢のように飛んできた。ようやく、本命のお出ましだ。先頭のパレカイコまでは7、8バ身といったところ。ホープアンドプレイとも3バ身ほど差がある。

 

「よし!」

 

 切れ味勝負では勝てない。だから、この時点でホープアンドプレイの方が前にいるのは、勝利への絶対条件。理由はまだわからないけれど、レイアフォーミュラの仕掛けは確実に遅れている。それは間違いない。おぜん立ては終わった。ホープアンドプレイにとって、完璧すぎるほど、完璧なレース運び。あとはここから前を行くダービー二着のエリートウマ娘を捕まえて、後ろから猛然と追い込んでくる無敗二冠ウマ娘の末脚から逃げきるだけ。

 

『パレカイコ逃げる! 逃げる! 懸命に逃げます! 追いすがるのはホープアンドプレイと、そしてここでようやくレイアフォーミュラ! レイアフォーミュラ届くのか!』

 

 ……なんてうんざりするようなハードルだろう。あまりにも遠い前。あまりにも近すぎる後ろ。パレカイコは恐ろしいほどの粘り腰で簡単に差を詰めさせない。レイアフォーミュラは爆発的な末脚で襲いかかってくる。三人の距離が、どんどん、どんどん、一点に集まっていく。ひとつのかたまりのようになって、ゴール板へとなだれ込んでいく。

 

 お願い。勝って。勝ってよ。あたしは祈った。三冠達成なんか見たくない。ライバルによる三度目の正直なんて無くていい。たったひとりのヒト生まれのウマ娘が、クラシックのタイトルを獲る姿。それだけが見たいんだ。ホープアンドプレイの勝利は、三冠阻止なんてつまらない言葉で片づけられるような、そんなちっぽけなものじゃない。

 

 

 

 

 

 あたしの希望なんだ。あたしの願いなんだ。

 

 

 

 

 

『ついに、ついに、レイアフォーミュラの牙城が崩れるのか!』

 

 

 

 

 

 ああ、それでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 届かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思っていた形とは違ったけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気づくと、ざわめきとどよめきが大きなうねりとなって、会場中を渦巻いていた。称賛の声と、うらめし気なため息、それが半分ずつくらい。永遠に相容れないふたつの感情をさらにかきたてるように、場内アナウンスが何度も何度も結果を繰り返しコールしている。

 

『フォーミュラ敗れる! レイアフォーミュラ敗れました! 三冠の夢成らず! 勝ったのは同じチーム〈カペラ〉の刺客! パレカイコです! 思い切った先行策で、見事、盤石かと思われたレイアフォーミュラの壁を打ち破りました! フォーミュラの、そしてレイア家の三冠の夢ここに散りました!』

 

 あたしはスタンドのベンチに座り込んだまま、立ち上がることができなかった。

 

『そして両者の間に割って二着に入ったのはホープアンドプレイ! 素晴らしい力を見せてくれました!』

 

 あたしが願いを託した勇者の名は、こうしてただ一言、あっさりと触れられただけ。正直言って、寂しい。でも、おかげでかえって、ショックは小さくなったかもしれない。チームメイトが負けたことを繰り返し聞かされるのは、やっぱり嫌なものだから。

 

「パレカイコ……恐ろしい方」

 

 震える声で呟いたのは、レイアクレセントだった。

 

「あの方は、逃げウマ娘のあの子を、生贄にしたんです」

「カイちゃんが? どういうこと?」

 

 珍しく、クラウンセボンの方が理解できないという風に首を傾げた。

 

 それに答えたのは、トレーナーだった。

 

「最終コーナーに向かって続く下り坂は、集団のペースが上がる場所。でも、ここで仕掛けてしまうと、今日のホープのようにコーナーで曲がり切れずにロスをしてしまう。だから、普通はじっと我慢するところ。それは言い換えれば、みんなが仕掛けの準備をする場所ってこと。考えてごらん。そこでちょうど、前から垂れウマがぶつかってきたら、どう?」

「あっ」

 

 クラウンセボンはそれでわかったようだった。

 

 レイアクレセントは、厳しい表情のまま、こぶしを握り締めた。

 

「パレカイコさんは、逃げウマ娘の特性を利用したんです。逃げのレースは、先頭を奪われた時点で終わり。体力的にも精神的にも、もう走る力は出せません。彼女は、どのタイミングで先頭に立てば、あの逃げウマ娘が後方集団に垂れて行くか、計算していたんです。ペースを背後から操り、疲弊させ、最後に後ろへぶつける爆弾にしたんです。すべては、フォーミュラの仕掛けを遅らせるため」

 

 全然気づかなかった。あの時レイアフォーミュラの抜け出しがやけに遅かったのは、仕掛けようというちょうどそのときに、前から垂れてきたトゥーセンタックが内ラチ沿いを進んでいた子たちの壁になったからだった。当然、道を求めて外へ膨らむ。膨らんだことで、さらにその外の子が押し出される。こんなことが連鎖して、それまで穏やかに一団まとまっていたのが、突然の激しい位置取り争いに発展したのだという。

 

「ホープさんも、危ないところでした。あの方はすんでのところで、バ群をさばき切ったのです。小さな身体が活きたのでしょう」

 

 ちょうど手元のモニターに、ホープアンドプレイが映った。ひたいに汗をにじませて、肩で息をしている。こんな姿を見たのは初めてだった。それだけ、このレースが過酷だったということを物語っている。その表情はぼんやりとしていて、悔しそうでも、嬉しそうでもない。むしろ、どこかさっぱりとした匂いさえ漂ってくるようだった。

 

「さあ、ルピナス、立って。楽屋へ行くよ」

 

 あたしの手を引っ張り上げて、トレーナーはやけに爽やかな口調であたしに笑いかけた。

 

 

「あーあ、やっぱり三冠は厳しいのか」

「いやここまで無敗だったのが逆にすごいよ。パレカイコだって、超良血だぜ? むしろおめでとうっていうべきじゃないかな。最後の最後で勝てたんだし」

 

 ゴールインから10分ほどたって、ウイナーズサークルではパレカイコの写真撮影が始まっている。あたしたちは、帰還するチームメイトを出迎えるために楽屋に急いでいた。行く道々、観客たちが口々に今しがた見たレースの興奮を共有し合っている。場内アナウンスのそれと同じで、やっぱりホープアンドプレイの名前はあまり聞こえてこない。

 

 あたしはフッと、あの春の出来事を思い出していた。

 

 ――桜花賞のスタンドでも、この人たちはこんな会話をしていたんだろうか。

 

 あの時はレイアクレセントとモモイロビヨリの一騎打ちムードだった。あたしが二着に割って入って、その時のあたしは全力を出し切った清々しさと強烈な悔しさに溺れていたせいで、周りのことなんか何にも見えていなかった。でもきっと、同じような会話が繰り広げられていたんだろう。

 

 でも、だとしたら。……だとしたら、やっぱり、同じじゃない方が良かった。ゴールの瞬間のそれよりも、何倍も、何十倍も大きな悔しさがいまさらのようにあたしを襲ってくる。

 

 バカ。言ったのに。お願いしたのに。

 

『――アンタは、勝ってよ』

 

 そう言ったのに。あたしと同じ、負けだなんて。二着だなんて。

 

「ルピナスちゃん」

 

 クラウンセボンが、あたしにハンカチを差し出している。自分でも気づいていなかったけど、あたしの顔はまるで水でも浴びたかのように濡れていた。ありがとうと言って、手にしたハンカチを目に押し当てる。視界がキラキラと不思議な形の模様に包まれて、まぶたの裏側に流れる血の色が、じわりと滲んで光って見える。

 

「ホープ、お帰り」

 

 トレーナーの声が聞こえた。続けて、ぷっと吹き出すような笑い声。ああ、こうしていてもわかる。この声、この笑い方、アイツだ。

 

 顔を上げると、芝草の切れ端と土ぼこりに汚れた小さな芦毛が、あたしをまっすぐ見つめていた。

 

「なんでキミが泣いてんだよ」

「うっさい、バカ。そんなこと、聞かないでよ」

 

 困ったように肩をすくめるホープアンドプレイは、ふうと大きく息をついて、誰に言うとでもなく、まるで天井に放り上げるような口調で言った。

 

「やれるだけは、やったんだけどな」

 

 ああ、そうだ。そうなんだ。わかってる。わかっていたんだ。でもだからこそ、悔しい。悔しくて悔しくてたまらない。

 

 本当は許されるなら、いますぐありがとうと言いたかった。その手を取って、心の底から、ありがとうと伝えたかった。でもそれは、あたし自身の気恥ずかしさと、そんな熱っぽさを嫌うだろう友達のせいで、できるはずもなかった。いつか言われたような気がするけど、あたしは結構、臆病なんだ。

 

「そういうとこだよ」

 

 ホープアンドプレイは、今度はハッキリと、あたしに向かって語り掛けた。

 

「ボクは、キミのそういうところが……いや、いいや」

 

 ちょっと、いま何を言おうとしたのと尋ねるよりも早く、ホープアンドプレイはあたしたちのトレーナー助手に視線を移していた。

 

「ボン、振り写し頼むよ」

「えっ……」

 

 名前を呼ばれたあたしの親友は、信じられないという風に両手を口元に当てて目を丸くした。

 

「なんだよ」

「ホープちゃん、いま、()()って……」

「キミ、ボンじゃないのか」

「そ、そうだけど……」

 

 ホープアンドプレイはさらりと目を逸らして、なんでもないといった口調で答えながら、あたしたちを押しのけるようにして楽屋の扉に手をかけた。

 

「じゃ、よろしく。衣装に着替えてくるから」

 

 あたしたちは何も言えなかった。けれど、トレーナーも、クラウンセボンも、他のみんなも、どこか嬉しそうな表情をしていた。レースには負けてしまったはずなのに、どうしてか、幸せな空気があたしたちの空間を支配している。さっきのものとは違う何かが、いましがた借りたばかりのハンカチをもう一度熱くさせた。

 

 楽屋へ入っていく勇者の横顔に、そこだけひと筋キラリと光る跡があったのは、きっと、見間違いじゃないと思う。

 

 


 

第4回京都開催7日目 菊花賞 芝3000m 天候:晴 芝:良

 

1着 ③パレカイコ    (2番人気) 3.04.1

2着 ⑱ホープアンドプレイ(5番人気) 1/2バ身(+0.0)

3着 ⑯レイアフォーミュラ(1番人気) ハナ  (+0.0)

4着 ⑧ティエラナタール (8番人気) 4バ身 (+0.8)

5着 ⑪ドリームハリアー (6番人気) 1/2バ身(+0.9)

 


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