ストレイガールズ   作:嘉月なを

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第1章 白と黒
#04-新学期


 四月は、あたしたちにとって、出会いと別れの季節。

 

「ねえ、ほんとに辞めるの」

「うん。だって、仕方ないよ。このタイミングでのケガは、どうしようもないもの」

 

 あたしのルームメイトは、荷物をまとめながら寂しそうに笑った。

 

「それに、もともと私はそんなに期待されてなかったし。トレセン学園に一年間いられただけでも、幸せだったんだよ」

 

 言いたいことはいろいろあった。だけど、一度決心してしまったものを引き留めるための言葉なんて、思いつかない。

 

「……元気でね」

「うん。ルピナスちゃんは、デビュー目指して頑張ってね。契約、決まったんでしょ?」

 

 いいな、うらやましいな、あんただって期待なんかされてなかったくせに。そんな嫌味のひとつでも飛ばしてくれればいいと思った。でも、その子はまるで、自分のことのようにニコニコして、悔しそうな顔さえ見せてくれない。

 

「ボンちゃんにも、よろしくね。あんまり食べ過ぎちゃだめだぞって」

「わかった。伝えとく」

「それじゃ、私行くね」

「荷物、持とうか」

「ううん、大丈夫。歩く分には痛くないから」

 

 そう言わずに、と思ったけれど、やめた。この申し出を断ったのは、きっと傷が痛まないからじゃないんだ。

 

「じゃあ、さよなら」

 

 部屋を出ていくときも、その子は最後まで笑顔だった。あたしのルームメイト。特別仲が良かったわけでもないし、学園でのクラスも違ったけれど、この美浦寮の小さな一室で、同じ時間をたくさん過ごしてきた仲間。それが、目の前からいなくなっていく。なんだか心に大きな穴が開いたみたい。

 

「……さよなら、か」

 

 ひとりになった部屋で、あたしは誰に言うとでもなくつぶやいた。

 


 

「そっか、結局あの子、やめちゃったんだね」

 

 新学期の教室、あたしは友達のクラウンセボンと一緒に、朝から憂鬱(ゆううつ)な気分になっていた。

 

「あの子だけじゃないよ。去年の入学式から今日までの一年間で、もう何人も同期がいなくなってる」

「そうだね……」

 

 あたしたちの新しい学年、B組は、いよいよトゥインクル・シリーズへのデビューを間近に控えた学年だ。そんなB組の教室は、去年までのA組の教室よりずいぶん広く感じる。それは、教室が大きくなったからじゃない。生徒の数が明らかに少なくなっているからだ。

 

「この分だと、来年は床に寝転がれるかもね」

「ルピナスちゃん、笑えない」

「ごめん」

 

 厳しい世界だとわかってはいたけれど、こうして目に見える形で表れてくると、心が重たくなる。

 するとそこへ、あたしたちの肩に、だれかが後ろから勢いよく抱き着いてきた。

 

「うわっ、何?」

 

 ボンが声を上げて振り返る。そこにいたのは、クラウンセボンの同室でアメリカ生まれの大きなクラスメイト、パレカイコだった。

 

「ルピナスちゃん、ボンちゃん、ふたりとも、顔色が悪いわ。せっかくの春なのに」

「カイ、いきなり来るのやめてよ」

 

 あたしはペシペシとパレカイコの長い腕を叩き返した。あたしたちがカイと呼んでいる彼女は、いつもスキンシップが激しい。おかげであたしたちは、毎度びっくりさせられている。

 

「ごめんなさい。でもほら、ちょっと元気出たでしょう?」

 

 舌をぺろりと出して笑うその姿に、力が抜ける。たしかに、新学期早々落ち込んでいても仕方がない。あたしとクラウンセボンのことを考えれば、きちんと進級できたし、トレーナーとの契約もできたしで、言うことなしのはずなんだから。

 パレカイコはそのまま、あたしたちに尋ねてきた。

 

「ところで、ふたりとも聞いた?」

「なにを?」

 

 情報通の彼女は足だけじゃなく、耳も速い。クラスメイトがまだだれも知らないような噂話を、いつでもすぐに仕入れてくる。今日もなにか、新しいネタがあるらしかった。パレカイコはその大きな背をぐっと縮めて、あたしたちと同じ高さへ顔を寄せ、小声でこそこそと教えてくれた。

 

「ワタシたちのクラスに、編入生の子が来るんですって」

「本当?」

「ほんとよ。たづなさんが言っていたもの」

 

 たづなさんの言うことなら間違いない。……多分。

 

「編入さんか。どんな子かな」

 

 楽しみだね、とクラウンセボンが言い、あたしもうなずいた。新しいクラスメイトが増えるというのは、うれしいことだ。編入してくるというのだから、優秀な子なんだろうか。元気のいい子かな。どこから来たのかな。いろいろと想像が膨らむ。

 

「でね、ここからがさらにビッグニュースなんだけど」

 

 パレカイコはいっそう声を低くして、あたしたちの顔を交互に見て、言った。

 

「その編入生の子、ルピナスちゃんと同じ『ヒト生まれ』らしいのよ」

「え!?」

 

 思わず大きな声が出た。まさか、と思った。あたしの突然の大声におどろいた何人かが、けげんな顔でこちらを見てくる。あたしはあわてて声のボリュームをしぼった。

 

「うそでしょ」

「ほんとよ! たづなさんが言ってたもの」

「たづなさん情報ってどこまで正しいのさ」

 

 あたしはすっかり混乱してしまった。そんなことってあるんだろうか。あたしみたいなヒト生まれのウマ娘が、もうひとり現れるだなんて。

 

「すごい話だね、ルピナスちゃん」

 

 クラウンセボンも信じられないといった様子だった。珍しい。見たことない。実際にいたんだ。ヒト生まれのあたしを目の前にした人たちは、みんな口々にそう言った。本当にヒトから生まれたのか、証拠を出せという人もいるくらいだった。そして、最後には必ず「ヒト生まれのウマ娘は走らない」と来る。それがお決まりのパターン。そうじゃなかったのは、この間契約した、あのトレーナーくらいだった。

 そんなヒト生まれが、新しくやってくる。この、トレセン学園に。

 

「……面白いじゃん」

 

 それが本当なら、これほど楽しみなこともない。きっといい友達になれる。その子も多分、あたしと同じような思いをたくさんしてきているはずだから。

 

「おはよう、みなさん席について」

 

 そこへ先生がやってきて、ホームルームの時間になった。教卓の前に立った先生は、みんなが静かになるのを待ってから、最初の挨拶を始めた。

 

「まずはじめに、B組への進級、おめでとうございます。みなさんにとっては、今年は特に大事な勝負の年ですね。夏からはジュニアクラスのメイクデビュー戦が始まります。みんなトゥインクル・シリーズへのデビューを目標に、一日一日を大切に過ごしていってくださいね」

 

 クラスメイトたちが声を揃えて「はーい」と返事するなかで、あたしとクラウンセボン、それにパレカイコの三人は、そわそわして落ち着かなかった。そんな通り一遍の挨拶はもういいから、はやく編入生の話をしてほしい。こういうのを、かかり気味って言うんだっけ。そう、まさにあたしたちはかかり気味だった。

 

「それから、今日は皆さんに新しいお友達を紹介します」

 

 来た来た。あたしたち三人は、待ってましたとばかりにお互いに顔を見合わせてうなずきあった。他のクラスメイトは初耳だったらしく、教室内はざわざわとまた騒がしくなった。

 先生は教室の引き戸を開けて、外で待たせていたらしい編入生を招き入れる。あたしは、教室へ入ってくるその子の顔をいち早く見ようと伸びあがった。でも、考えることはみんな同じ。前列の席の子たちも同じようにするもんだから、あたしの視界はせわしなく動くクラスメイトの長い耳たちに邪魔されてしまった。

 

「わあ、カワイイ!」

 

 パレカイコが最初に叫んだ。ちくしょう、背が高いからよく見えるんだ。こんなときは、彼女の身長がうらやましい。

 ――それにしても、全然見えないな。編入生ちゃんはどうやら、かなり背が小さいみたい。

 

「はい、みなさん落ち着いて。立っている子は座って。本人からご挨拶してもらいますから」

 

 先生はそう言って、みんなを席につかせた。それでようやく、あたしにも新しいクラスメイトの顔がちゃんと見えた。

 少しクセのある短い芦毛。緊張しているらしく、表情は固い。あんまりおしゃれに興味がない子なのか、今どきのウマ娘には珍しく、リボンや耳飾りのようなアクセサリーはひとつもつけていなかった。カイはカワイイって言っていたけど、どっちかと言えば、カッコいいタイプかも。背は小さいけど。

 

「ホープアンドプレイです。よろしく」

 

 言葉少ななところも、クールな感じ。嫌いじゃない。声も低くて、カッコいいライブ曲が似合いそう。

 

「みなさん仲良くしてあげてくださいね」

 

 先生の言葉にこたえるように、みんなの間からはパチパチと拍手が起こる。

 すると、そんなクラスの中からひとり、手を挙げる子が現れた。

 

「先生、ホープアンドプレイさんに、私も自己紹介したいです。お時間をいただけますか」

 

 それは、去年あたしたちのクラスで学級委員長をしていたオリンピアコスだった。

 

「いいですよ」

「ありがとうございます」

 

 では、とひとつ咳ばらいをして立ち上がると、オリンピアコスはいつも学級会でそうしていたように、大げさな演説口調で自己紹介を始めた。

 

「ようこそ、ホープアンドプレイさん。私はオリンピアコスと申します。昨年はこのクラスの学級委員長をしておりましたので、クラスのみなさんからは、委員長だとか、オリ、と呼ばれています。『良き友はあらゆる財宝に勝る』と言います。まさにこの出会いは、あらゆる財宝に勝るものなのです! ぜひ、良き友として、そしてライバルとして、ともに歩んでまいりましょう!」

 

 編入生の返事はなかった。というより、ちょっと引き気味みたい。でも、はじめてオリンピアコスの演説を聞いた子ならだれでもそうなるものだ。当の本人は、演説が終わって満足げに胸を張り、まばらな拍手の中、ゆっくりと腰をおろした。

 

「……はい、オリンピアコスさんありがとう。あとは、他にご挨拶したい子はいますか?」

「ハイハイ! 先生、ワタシも!」

 

 次に手を挙げたのは、パレカイコだった。

 

「はじめまして! ワタシ、パレカイコって言うの。パパもママもアメリカ人! でも、日本には小さいころに来たから、日本語上手でしょ?」

 

 大きな体を揺らして勢いよくしゃべるパレカイコ。どうやらかかりは解消されていないみたいだ。

 

「ホープちゃんはどこから来たのかしら? 地方とか、ワタシみたいに海外とか?」

 

 すると、ホープアンドプレイは小さく首を横に振った。

 

「ホープアンドプレイさんは、一般の中学校に通っていたんですよ」

 

 先生の説明に、へえ、という声が上がる。一般中学からの編入は珍しいからだ。編入というと、だいたいどこかしらの地方のトレセン学園にいたとか、海外からの移住とかが多い。

 

「そうなのね。これからよろしくね。ホープちゃん、アロハ! あ、アロハっていうのはね、ハワイの言葉で……」

「カイちゃん、その辺にしようよ」

 

 隣の席のクラウンセボンにたしなめられて、パレカイコはハッと我に返ったらしく、頭をかきかき席についた。

 そこで一時間目の予鈴が鳴ったので、ホームルームはお開きになった。

 

「じゃあ、ホープアンドプレイさん。そこの、一番前の席に」

 

 そう言って、先生は新しいクラスメイトを、教室の一番出口に近い席へ案内した。みんなもう少し話したいことや聞きたいことがあったみたいだけれど、もうすぐ一時間目の授業が始まる。質問攻めは授業の後までお預けだ。今日の休み時間はいつもより待ち遠しい。かくいうあたしも「ヒト生まれ」の噂の真偽を聞いてみたいと思っていたから。

 

 

 その休み時間、あたしは目を見開いて固まっていた。

 

「ルピナストレジャーって、キミのこと」

 

 編入生のホープアンドプレイが、あたしの席の目の前にいる。そして、あたしに話しかけてきている。どういうわけなんだろう。そりゃあ、話したいことはあったけど、これじゃ思ってたのと逆だ。というより、なんであたしの名前を知ってるんだろう。どこかで会ったことあったっけ? 疑問があとからあとから湧いてきて、あたしはパンクしそうだった。

 

「え、ルピナスちゃん知り合い?」

「マジ? ちょっと、どういう関係?」

 

 周りからはやし立てる声が聞こえる。あたしは必死に違う違うと否定したけれど、クラスメイトたちはますます面白がって、盛り上がっている。あたしは冷や汗をかきながら、じっとこちらを見つめてくる編入生に尋ねた。

 

「な、なんであたしに? いや、うれしいけど」

「ナギサが言ってた。チームメイトには挨拶しとけって。あと、クラウンセボンにも」

「ナギサ?」

 

 どこかで聞いたことがあるような。

 

「ボクをスカウトしたトレーナーの名前」

「……あっ」

 

 思い出した。たしか、この間あたしたちと契約したトレーナー、そんな名前だったっけ。あれ? ということは……。

 

「アンタ、あのトレーナーにスカウトされて、編入したの?」

「そうだよ」

 

 なんだ、そういうことか。あたしはすっかり納得した。

 

「……じゃない! え、アンタよくあのトレーナーと契約する気になったね」

「キミも契約してるんでしょ」

 

 そう言われると、何も言い返せない。あたしは話を少しだけ逸らすことにした。

 

「ボン、この子、あのトレーナーと契約してるんだって! チームメイトだよ!」

「ほんと!?」

 

 あたしたちを遠巻きに見ていたクラウンセボンは、すぐに飛んできた。ホープアンドプレイは、あたしの栗毛の友達をしばらく見つめたあと、まるでロボットが命令を確認するかのように、無機質な調子でつぶやいた。

 

「キミが、クラウンセボン」

「は、はい!」

「よろしく」

「よ、よろしくお願いします!」

 

 それだけすませると、ホープアンドプレイは「じゃ」と言ってきびすを返した。本当にただトレーナーに言われて挨拶に来ただけらしかった。

 

「ま、待ってよ」

 

 他のクラスメイトに囲まれる前に、あたしは急いでホープアンドプレイを呼び止めた。この際、あの話の真相を確かめておこう、と思ったからだ。

 

「なに」

「あのさ、あたしからもちょっと聞いていい?」

「いいよ」

「その……噂で聞いたんだけどさ。アンタが『ヒト生まれ』なのって、本当?」

 

 一瞬、ピリッとした緊張が走った。いままでほとんど表情を変えなかったホープアンドプレイの眉間に、明らかに不機嫌そうなしわが寄っている。

 

「なんでそんなこと聞くの」

 

 あたしはあわてた。そりゃ機嫌も悪くなるはずだ。あたし自身がそうだったように、トレセン学園に入ってくるような子で「ヒト生まれ」扱いにいい思い出がある子なんて、そうはいないはずだもの。だからすぐに、そのわけを答えた。

 

「あたしも『ヒト生まれ』だから」

 

 あたしの言葉に、ホープアンドプレイはぴくりと反応した。それから、横目であたしの顔をじろりと睨んでくる。その目つきに、あたしは背筋がぞくっとした。なんだろう、この殺気のこもった目は。まるで、周りにあるものすべてを疑っているかのような、冷たくて、鋭い目。

 

「……へえ」

「だ、だからさ、もしもアンタも同じ『ヒト生まれ』だったら、なんかちょっとうれしいな、なんて。ほら、他にそんな子、なかなかいないからさ。あは、アハハ……」

 

 あたしは必死に笑顔を取り繕った。このままだとナイフか何かで刺されそうな感じだったから。他のクラスメイトも、この雰囲気に気付いたらしい。「あれ大丈夫なの」とか「修羅場?」とか、そんな小声がちらほらと聞こえてくる。

 

「そう。よかったね」

「え?」

「ボクも同じ『ヒト生まれ』だよ。これでいいかな」

 

 ホープアンドプレイは、にこりともせずにそう言った。

 

「あ、うん。そっか。よかった。ヒト生まれ同士、仲良くしてくれるとうれしいな。チームメイトにもなるんだしさ」

 

 じっとりと冷や汗をかきながら、あたしはそう答えた。本当にヒト生まれなんだ、なんて感慨にふけっている暇はない。

 すると、ずっと黙って見ていたクラウンセボンが、助け船を出してくれた。

 

「ホープアンドプレイさん、ルピナスちゃんはとっても優しくて、すっごく素敵な子だから、私からもお願い。仲良くしてあげて。ね?」

「……そう。わかった」

 

 その口ぶりはまだ冷たかったけれど、もとの無表情に戻って、その殺気を収めてくれた。あたしはほんの少しほっとするとともに、クラウンセボンに感謝していた。こういうとき、彼女の柔らかい雰囲気は助かる。

 

「ごめんね。いきなりヘンなこと聞いて」

 

 あたしが謝ると、ホープアンドプレイは「別に、気にしてないから」と言って、自分の席へと戻っていった。嘘つけ、めちゃめちゃ怒ってたじゃないか、と言いたかったけど、それを言ったら今度こそ何かされそうな気がして、口には出せなかった。

 教室は変な空気に包まれていた。新しい編入生は、どうやらかなりの気性難らしい、ということがみんなの共通認識になったようだった。

 

「ルピナスちゃん、大丈夫?」

「こりゃ参ったね」

 

 心配そうなクラウンセボンに、あたしは精一杯おどけてみせた。だけどホントのところ、あたしは泣きたいくらい不安だった。あんなのと、これからチームメイトとしてやっていけるんだろうか。同じヒト生まれらしいけど、ちっとも心が躍らない。

 これが、あたしとホープアンドプレイの最初の出会いだった。

 

 




登場人物-No.04【クラウンセボン】誕生日 4月3日

【挿絵表示】

身長 155cm/体重 微増/BWH 83-54-85
毛色 栗毛/靴のサイズ 両足22.5cm
 母は音楽教師。本人も歌とダンスが得意。ウマ娘のなかでもかなりの健啖家で、体重管理が悩みの種。ルピナストレジャーとは入学試験のときに知り合った仲。

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