ストレイガールズ   作:嘉月なを

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#54-閉じた部屋の中で

 締め切られたトレーナー室の中は、キンと冷えた朝の空気が充満していた。

 

「ルピナス、もう一度確認させて。ホープの様子がおかしいって、思ったんだよね?」

「う、うん」

「出会ったばかりのころみたいに、心を閉ざしてしまっているような気がするって、そう感じた。間違いない?」

 

 トレーナーの尋問に、あたしはしっかりと頷く。

 

「……そう」

 

 トレーナーはそう言ってしばらく押し黙った後、部屋の中を忙しなく動き回って、半開きになっていたカーテンと、入口の鍵を締めた。

 

 一言も発してはいけないと思わされるくらい張り詰めた緊張感の中で、衣擦れや金属音の無機質な響きだけがあたしの耳を叩いてくる。

 

 誰からも、どこからも覗き込まれなくなったのを確かめて、トレーナーはようやく、どうしてよいか分からないまま立ち尽くしていたあたしに目を向けた。

 

「ルピナス」

 

 低く、こわばった声。少し荒い息遣いから、緊張と動揺が伝わってくる。

 

「最初に約束して。これからここで話すことは、どんなことがあっても、絶対誰にも他言しないって」

「そ、それは——」

「約束を守れないなら、私も話せない。どう? 守れる?」

 

 本当なら、すぐにでも「守る」と答えなきゃいけなかったところかもしれない。トレーナーの様子を見れば、冗談やハッタリなんかじゃなくて、本気で言ってるんだっていうのは明らかだった。

 

 それなのにあたしは、たった三音のその言葉がすぐには言えなかった。代わりに、ドキドキする胸を抑えながら、絞り出すように尋ねた。

 

「……ホープのこと、なんだよね?」

 

 トレーナーは頷きもしなかったし、否定もしなかった。それも含めて、あたしが約束を守ると言わない限り答えないつもりらしい。でも、それってもう、ホープの話だと言ってるのと同じだ。であれば、勝手にいろいろバラしちゃいけない話だってことも理解できる。

 

 それでもあたしは、まだ迷っていた。

 

「そんなに、ヤバいことなの?」

 

 怖かった。トレーナーが、今まで見たこともない表情をしていることが、とにかく怖かった。検査が怠くてこぼした軽口を諫められたときも、クレセントの脚の話で叱られたときも、ほんの一瞬、怖いくらい真剣な顔をしていたけれど、そういうのとは全然違う。今のトレーナーは、苦しそうで、どこか疲れ切ってもいるようで、まるで道に迷った子供みたいだった。見ていてこっちが心配になるくらい、平常心を失っている。

 

 あたしよりもずっと大人で、辛いことも、大変なこともこれまでたくさん経験してきて、あたしたちを守るために世間からのいろんな視線に耐えてきたはずのトレーナーが、そんな風になってしまうほどのことだなんて。想像するだけで、逃げ出したくなるくらい怖かった。

 

「…………」

 

 だけど、逃げ出すのも怖かった。ここでこのまま尻尾を巻いて帰ったら、あたしはまた、あのホープと出会うことになる。初めて出会った時の、頑ななまでにあたしを拒絶する、あのホープと。それはあたしにとって、大切な友達を一人失うことと等しい。

 

「……守る、よ」

「チームのみんなにも、家族にも言わないって、約束できる?」

 

 家族にも。その一言に、ガツンと殴られたような衝撃が走る。本当に、ただ事じゃないんだということが否応なしに伝わってくる。

 

 あたしはゴクリと唾を飲み込んで、頷いた。

 

「……わかった」

 

 トレーナーはそう言って、唇を一度きゅっと結ぶと、それからゆっくりと口を開いた。

 

「ホープが、家族と別れて暮らしてるっていうのは、知ってるよね? ……その理由は、ルピナスもなんとなく、わかっていると思うけど」

 

 思わず耳がピンと伸びた。忘れようにも忘れられない、二年前の夏の一夜が、思い出されたから。

 

『——ボクに母さんはいない。ボクは生きるために、家を捨てた子だから』

 

 あの時ホープは、確かに、そう言っていた。

 

 ウマ娘になんて生まれてこなければよかったと思ってしまうほどの出来事があって、自分の親にまで生まれを呪われて。そうして家を飛び出した果てに、今のホープがいる。

 

「もう十年近くも、ホープはご両親と一度も面会していないの。本人が望んでいないし、ご両親の方も、サカイさんたちに連絡すら寄こしたことがなかったから。……それならそれで、お互いのためにも良かったと思うけどね」

 

 深いため息とともに、トレーナーは視線を足元に落とした。続けて何か言おうとしているようだったけど、まだ決心がつかないのか、口元をもごもご動かして、苦しそうに表情をゆがめている。

 

 そんなトレーナーの様子を見て、はたと思いつくことがあった。同時に、その思いつきのあまりの恐ろしさに鳥肌が立った。まさか、そんなわけない。そんなこと、あるわけない。頭の中でそう繰り返し、必死に打ち消そうとした。

 

 あたしはすぐに、考えていることが顔に出る。何も口に出していないはずなのに、トレーナーはあたしをじっと見つめて、まるで何かを肯定するかのようにパチリと一回、両目を閉じた。

 

「——学園に……」

 

 トレーナーの声は、震えていた。

 

「学園に、来たらしいの。ホープの……()()()()()()()が」

 

 突然頭の上から氷水をかけられたみたいに、不快な寒気が全身を襲う。自分の心臓の鼓動が、うるさいくらいに聞こえてくる。

 

「い、いつごろ、そんな」

「去年、私たちがショコラの遠征に出ていたころ」

 

 唇をかんで、トレーナーはいまいましげに言った。

 

「……学園の人たちが、追い返してくれたんでしょ?」

「もちろん。たづなさん以下、学園のスタッフが何人も出て行って、面会をお断りして帰ってもらった。だけど……」

 

 その後、施設の方にもその男は現れたのだという。娘がいつ頃休暇で帰ってくるのか、どれくらい滞在するのか、聞きだそうとしつこく絡んできたらしい。

 

「サカイさんからも連絡をもらって、今年はホープを帰さない方がいいということになったの。私営の施設より、うちの学園の方がセキュリティはしっかりしているから」

 

 それでようやく、ホープが突然帰らないと言い出した理由がわかった。聞いてみればなるほど、その方が絶対に良い。

 

 だけど、わからないことがあった。

 

「どうして、いまになってそんなことを……?」

 

 その途端、トレーナーはやるせないといった表情で髪を一度両手でかき上げると、天井を見上げる格好で、吐き捨てるように言った。

 

「たづなさんとサカイさんから報告を受けた限りでは、随分お金に困っている様子だったって」

「それって……!」

 

 さっきまで胸に抱いていた恐怖が、一気に怒りへと変わった。

 

「マジありえない! どういう神経してんの!?」

「ホントの理由は何なのか、確たることは言えないけど」

「でもそれ以外考えらんないじゃん!」

 

 せめてこれまでのことを後悔して謝りに来たとか、そういうことならまだわからなくもないと思っていた。それだって、ホープのことを思えば勝手な話で、追い返されたとしても文句は言えない。なのに、それどころか、もっと自分勝手な目的でホープに近づこうとしていただなんて。

 

 菊花賞二着、ステイヤーズステークス優勝。すでにホープは、その辺のアスリートよりもずっと高額な賞金を手にしている。トレーナーの取り分や、ものすごく高いトレセン学園の学費を差し引いたって、当分暮らしていくには困らないくらい。

 

「きっと、テレビかなんかで、見たんだ」 

 

 いまさら会いにきたわけも、そう考えればスジが通る。大きなレースでホープが取り上げられて、いい成績を上げたのを見て、お金の匂いを嗅ぎつけたに違いない。

 

「考えが甘かった。ホープの成功は、あの子自身が過去にとらわれずに、自分の脚で生きて行けるようになるための助けになると思っていたんだけど」

 

 怒りで震えているあたしとは対照的に、トレーナーは悔しそうにそう言うと、力なくソファに腰を下ろして頭を抱えた。

 

「やっぱり私、全然足りてなかったって思ったよ。みんなを守るみたいなこと言って、こんな簡単なことにも気付けなかった。あの子が人前で目立てばどうなるかなんて、ちょっと考えればわかるはずなのに」

「トレーナーのせいじゃないよ。悪いのは、その、向こうなんだから」

 

 何の慰めにもならないことはわかっている。それでも何か言わずにはいられなかった。

 

 トレーナーはこれまで、ワケあり者ばかりのあたしたちのために、色々と手を尽くしてくれていた。あたしたちの前ではもちろん、あたしたちが見ていないところでも。実際、ドーピング疑惑への対策も、クレセントの脚のケアも、ボンの新しい道への挑戦も、あたしのワガママでしかなかったはずの無茶なローテーションへの道筋も、どれもこれもいつの間にかちゃんとお膳立てされていた。その中には、ホープの心のフォローも間違いなく入っていたはず。

 

 そんなトレーナーにとって、今回の件がどれほどショックだったことか。想像するだけで、あたしまで悔しい気持ちになる。

 

 それなのに、さっきあたしがホープの話を出すまで、トレーナーはそんなことお首にも出さなかった。それがまた、もどかしい。もしかしたら、過去にもそうやってあたしたちに気付かせないまま片付けてきたことが、たくさんあったのかもしれない。

 

「ねえ——」

 

 そこへ、コンコンと乾いた音が割り込んだ。どうやら、誰か来たらしい。

 

 トレーナーはビクリと身体を震わせて、けれどもそこから立ち上がろうとはしなかった。

 

 どうしよう、と思っていると、今度はノックの代わりに、声が聞こえてきた。

 

「ルピナス、ナギサ。そこに、いるんだろ」

 

 その瞬間、トレーナーはギョッとした顔で弾かれたように扉へと駆け寄った。向こうに誰がいるのかは、確かめるまでもなくすぐにわかった。

 

「ホープ!」

 

 すっかり取り乱した様子で、扉を開けるのと同時にトレーナーは叫んだ。

 

 扉の向こうに立っていたホープは、意に介さずと言った様子でスタスタと部屋の中へ入ってくる。

 

「ホープ、私が迎えに行くまで寮を一人で出ちゃダメって、言ったでしょう! しかも、まだ人目もほとんど無いこんな早い時間に」

「言った通りだったでしょ。ルピナスは絶対、ナギサのとこへ行くって」

 

 トレーナーを無視して、ホープはどかりとソファへ腰を下ろした。そして、トレーナーの方へ雑な態度で振り返り、投げやりな口調で尋ねた。

 

「で、話してくれたの」

「……一応、だいたいは」

 

 言いたいことはまだたくさんありそうだったけれど、トレーナーはとりあえず、静かにそう答えた。

 

 ホープはそれを聞くと「そう」とそっけなく呟き、頭の後ろで両手を組むと、今度はあたしに向かって、言った。 

 

「まあ、そういうことだよ。おかげさまで、ボクはこれから学園外で何をするにも、当分はナギサと一緒に行動しなきゃダメってことになった。遠征はもちろん、美浦寮までのほんのちょっとの道すらもね。あんまり不自由だからさ、ちょっとイライラしていたんだ。悪かったよ。どうだい、これで満足かい」

 

 何でもないことだとでも言いたげに振舞っているけど、やっぱり、声が冷たい。それに、どことなく突き放した物言いが気になる。

 

 たまらず、あたしは口を開いた。

 

「ちょ、ちょっと——」

「黙れ」

 

 心臓を一突き。グサリと一発、突き刺された。

 

 ホープが、あたしを睨んでいる。初めて出会ったあの朝の教室で、あたしを睨みつけてきたときと、同じ目で。

 

 じわ、と視界が滲んだ。おかげでホープの恐ろしい表情も見えなくなったけれど、それがかえって悲しかった。目をそらしたくないのに。どんなに怖くても、見ていなきゃダメなのに。

 

「……ほら、だから言ったろ。ボクは酷いヤツだって。もう、関わろうとするなよ」

 

 やめてよ。どうしてそうやって、自分を傷つけるようなことを言うの? それで一番つらくなるのは、アンタじゃないの?

 

 大声で言いたかった。だけど声を出そうとすると、涙でボロボロに崩れてしまいそうで、あたしは喉の奥からこみあげてくる空っぽの音を、必死に抑えようとするので精一杯だった。

 

「今日はね、これからしばらくナギサの寮で生活することにするって、言いに来たんだ。いちいち寮の移動についてこられるのも鬱陶しいし、キミに色々詮索されるのも面倒だからさ」

 

 嘘でしょ。やめてよ、そんなの。

 

 あたしがまともに喋れないのをいいことに、ホープは次から次へと礫のような言葉を投げつけてくる。

 

「ホープ」

 

 トレーナーの声が聞こえる。さっきより、ずっとハッキリした音だった。ホープはやっぱり無視して答えない。わざとらしく、手元の何かに視線を落としている。それが何なのか、歪んだ景色の中ではよくわからなかった。

 

「ホープ」

 

 聞こえてくる語気は、少し強くなった。

 

「ルピナスがどうして泣いているのか、あなたならわかるよね?」

 

 するとホープは手に持っていた何かを放り投げて、イライラした様子でまくし立てた。

 

「何ができるんだよ。ナギサや学園の人たちみたいに特別な権限があるわけでもない。ボクにちょっと凄まれただけで泣き出すメンタルで。だいたい自分自身だって、何もかも順調ってわけでもないくせに。ボクなんかのことより、もっと大事にしなきゃいけないことが、いくらでもあるくせに」

 

 あたしは何も言い返せなかった。ホープの言ってることは、きっと、全部正しい。間違ってることなんて、一つも無い。……だからこそ、酷いヤツだなんて思えない。やっぱり今のホープは、出会ったばかりのころとは違う。すべてが水の泡になってしまったわけじゃない。そう確信できた。それだけに、何もできない自分がつらい。

 

「だ、だけど」

 

 ようやく絞り出せたあたしの声はガタガタで、輪郭も、芯もブレまくりの、弱々しいものだった。それでも、ここで黙っていたらどんどん事態が悪化していく気がした。これ以上ホープが自分を痛めつけるようなことを口にする前に、あたしが何か喋らなきゃと自分を奮い立たせて、懸命に言葉を繋いた。

 

「何にも、できない、けど。あたし、アンタの、味方でいたい。いさせて、よ。アンタの言う通り、あたし、強くないから、邪魔だって、思うかもしんない、けど」

 

 浅くなった自分の呼吸が、何度も邪魔してくる。

 

 負けるもんか、と思った。今ここで怖がってちゃんと思いを伝えられなかったら、きっと一生後悔する。

 

「関わるななんて、言わないで」

 

 ホープはうつむいたまま、制服の胸のリボンを息苦しそうに握りしめていた。

 

「どうしてキミは、そこまで——」

「あたし、失くしたくないの。大切な、友達のこと。だって、それって、すごく寂しくて、悲しいことだから」

 

 これ以上無い、あたしの本当の気持ちだった。

 

 ホープは自分のことを酷いヤツだと言っていたけど、それを言うなら、あたしだって自分勝手な酷いヤツだ。

 

 力になりたい。悩みがあるなら、聞かせて欲しい。そんなのは全部、相手のためじゃない。あたしが、あたしのためにしていること。ホープの味方でいさせてほしいなんて願いも、おんなじだ。困っていることがわかっていながら、放っておく自分が許せない。どこかへ消えてしまうかもしれないと思ったら、追いかけずにはいられない。だってホープは、あたしにとって、たった一人の同じ生まれを共有できる仲間なんだから。育ち方が違っても、得意なことが違っても、それも含めて、大切な友達なんだから。だから、失いたくない。手を放したくない。

 

「結局、あたしの、自己満足かも、しれないけど——」

 

 その瞬間、ホープがドンと足を踏み鳴らして、大きな声を上げた。

 

「何にも分かってないな!」

 

 思わず息を呑んだ。ホープは髪を掻きむしって、さらに強い口調で先を続けた。

 

「キミは、裏切られたことがないから! 信じてたものに、裏切られたことがないから! そうやって、そうやって……! もう、嫌なんだよ。期待なんて、したくない。されたくもない! 大切な友達だなんて、言われたくない!」

 

 そのままの勢いで、ホープは次にトレーナーに向かって叫んだ。

 

「ナギサなら、わかるだろ!」

 

 トレーナーは黙ったまま、ピクリと眉を動かした。乱暴な物言いにムッとしたのか、それともただ驚いただけなのか、どちらなのかはわからなかった。

 

 ホープはハッとした表情になって、顔を背けると、前かがみになって頭を抱えながら、自分に言い聞かせるみたいに続けた。

 

「……ナギサはボクに期待なんてしてない。ルピナス、キミにだって期待しちゃいないんだ。ただ数集めに必要で、そこそこ走れば御の字だと思って、だから——」

「嘘だよ、そんなの」

 

 あたしは思わず遮った。だってトレーナーは、あたしに言ってくれた。あたしとホープ、二人とも大きなタイトルを狙えるって。期待してくれてるって。そうでなきゃ、スカウトしようなんて思わなかったって。

 

「バカかキミは。人なんて、口だけならなんとでも言える。心変わりだって簡単にする。……ほら、だから、分かりゃしないんだ」

 

 最後の方は唸るような、潰れた声だった。

 

「ホープ」

 

 トレーナーの毅然とした声が、冷え切った部屋の中を切り裂いた。

 

「あなたの言うことは、正しいと思う。人は裏切る。心変わりもする。どんなに親しいフリをしていたって、優しい素振りを見せたって、心の中では何を考えているか分からない。どんな親友でも。恋人でも。……親子でさえ。それは、私もよく分かってる。それに、あなたたちを最初にスカウトした時、とにかく人数を集めなきゃっていう意識が無かったかと言われたら、そんなことはない。正直な話、打算ももちろんあったよ」

 

 そんなことを言いながら、トレーナーは、なぜかあたしのそばへと近寄ってきた。ホープに向かって話をしているはずなのに、どうしてだろうと思っていると、トレーナーはあたしにサッと目配せをして、それからあたしの肩に手を置いた。

 

(あ……!)

 

 その手はすっかり冷え切って、小刻みに震えていた。見れば、トレーナーの顔はまっすぐホープの方を見据えていたけれど、瞳は今にもこぼれ落ちそうな涙の潮で満ちて、揺らめいている。

 

 いてもたってもいられず、あたしは肩に置かれたトレーナーの手に、そっと自分のもう片方の手を添えた。

 

「ただ一つだけ、訂正させて」

 

 あたしの差し出した手を握り返して、トレーナーは言った。

 

「今の私は、あなたに期待してる。それは嘘でもごまかしでもない。もちろん、ルピナスにも。あなたたち二人は、きっとどこまでだっていける。それはタイトルがどうのって話だけじゃなくてね。自分たちの脚で、自分たちの力で、自分の人生を切り開いていける。私はそう信じているし、そのために、あなたたちを支えようと思っているの。そう思えるようになれるだけのものを、あなたたちは私にくれたの」

 

 トレーナーの手に、ギュッと力が入るのがわかった。

 

「感謝してる。信じてる。これ以上はないってくらい、期待してる。たとえそれが裏切られたとしても、後悔しないっていうくらいね」

 

 その言葉が終わると同時に、頭を抱えたまま下を向いていたホープの肩が、ピクピクと上下し始めた。それからしゃくりあげるような息遣いが何度か聞こえた後、ホープは両手で顔を覆って、悲鳴にも似たうめき声を上げた。

 

「……やめてよ、二人とも」

 

 さっきまでとは打って変わった、か細い声だった。

 

「そんなんじゃ、ボクが……ボクだけが、弱いままじゃないか」

 

 ホープの声が、次第に涙に溶けていく。

 

「信じられない。……信じられるわけ、ないだろ。ボクは……ずっと、ずっと……」

 

 その後は言葉にならなかった。

 

 小さな子供のすすり泣きだけが、あたしたちの周りに響き渡っていた。

 

   ○

 

 結局その日、あたしたちは二人ともトレーニングを休んだ。

 

 トレーナーの計らいで、一緒に風邪をひいたことにしてもらったけど、チームメイトからのお見舞いLANEに嘘の返事をするのは、なかなかに気が引けた。

 

 遠くから、外周ランニングをしている子たちの声が聞こえてくる。いよいよ明日に迫った新学期に向けて、みんな新しい活動に踏み出し始めている。そんな中で、あたしたちは真昼間から寮のベッドの上で、天井を見上げていた。そうしていると、まるでこの部屋だけ時間がゆっくり流れているような感じがしてくる。

 

「あたし、また余計なことしちゃったね」

 

 それとなく放り投げた言葉に、返事はなかった。

 

「でもさ」

 

 それでも聞こえていると信じて、思いを天井に向けて投げ続けた。

 

「アンタはあたしを、信じてくれてたんでしょ」

 

 やっぱり返事はない。だけど、あたしには確信があった。

 

 ホープは、あたしを信じてくれてる。だって、トレーナー室に入ってきたとき「今朝のあたしの行動は予想してた」みたいなことを言ったあとで、こう付け加えていたもの。

 

 ——『で、()()()()()()()』——

 

 それは、あの話をあたしに教えても良いって、言ってくれてたってことだ。トレーナーの口を介していたとはいえ、何もできやしないはずのあたしに、一番触れられたくないはずの部分を、見せてくれたんだ。

 

 これからどうなるか、わからない。どうしていいかもわからない。だけど、少なくとも今、そばに居させてくれる。それだけで、あたしは嬉しかった。たとえそれが、あたしのエゴでしかなかったとしても。

 

「ありがとう、ホープ」

 

 隣りのベッドから、もぞり、と何かが動く音がした。

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