ストレイガールズ   作:嘉月なを

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#57-集まる視線

「――ですから、最初の印象は『なんだこいつ』って感じで。会話がまともにできないと言うか。ホント、合わないなって」

 

 蹄鉄留めの釘を叩くあたしの手元に、大きなテレビカメラが向けられている。いろんな人に見られるんだ、と思うと、いつもと違って変に力が入ってしまう。

 

「それでも、できれば仲良くしたいと思って?」

「まあ、それはそうですよね。あはは。うん、できれば」

 

 力が入ってしまうのには、もうひとつ理由があった。

 

「なるほど。そこはやっぱり、敢えて申し上げれば出自というか、ご両親が人間であるっていう共通点が……?」

「それはありますよ。それ言うと向こうはウザがりますけど」

「そうなんですね」

 

 ……カタい!

 

 ドキュメンタリー制作班の特徴なのかもしれないけれど、カメラマンもディレクターも、とにかく真面目な表情を崩してくれない。月刊トゥインクルやレース番組のスタッフさんは、馴れ馴れしいくらいのにこやかな取材態度だったのに。あまりの落差で風邪をひきそうだ。

 

(資料読んだときは、もうちょっと軽いノリになるかと思ってたんだけどな)

 

 「スポーツ×HUMAN」の取材は、こんな具合に、あたしが雑談しながらシューズを整備している場面を撮るところから始まった。

 

 結局あれから、あたしが半ばごり押しする形で出演が決定した。ホープは納得しきっていないような顔をしていたけど、言いたいことはハッキリ言えっていうのが、あたしたちの間での約束だったはず。だのにホープは最後まで「嫌だ」とは明言しなかった。だから、言わない言葉は無視することにしたってわけだ。

 

 以来、テレビ局のクルーがやってくる日を心待ちにしていたのだけど、雰囲気は思っていたのとはちょっと、いや大分違っていた。

 

「あの、こんな感じで、大丈夫なんですか? その、空気とか」

 

 思わずこっちが余計な心配をしてしまう。撮影前の打ち合わせでは、まずはリラックスした感じで楽に話して、と言っていたのに。これじゃまるでお葬式の控室で思い出話をしているみたいだ。

 

「大丈夫ですよ。ルピナスさんは、フォーミュラさんよりもすごく喋ってくださるんで」

「あー、あいつは……ね」

 

 その名前を出されると、苦笑いするしかない。あれと比べれば、誰だって取材しやすいだろうとは思うけど。

 

「にしても、全然知りませんでしたよ。フォーミュラの取材もされてたなんて」

「その辺はもう、情報を出すなってことで、すごかったんで」

 

 そう。実は「スポーツ×HUMAN」には、あたしたちに先んじてフォーミュラが登場することになっている。正直、そんな取材や番組制作が行われていたなんて全然気づかなかった。ついこの間、テレビで予告編が流れたことで初めて知ったくらいだ。

 

「撮ったのは去年、ですか? 三冠レースのあいだもずっと?」

「そうですよ」

 

 よくバレなかったな、とも思うけど、考えてみればフォーミュラは遠征だの特別レッスンだので学園にいないことも多かったし、そうでなくても、彼女が色んなメディアを引き連れているのは当たり前の光景だった。だから、どれがどこの局でどんな番組が取材に来てるのかなんて、いまさら誰も話題にしなかったわけで。

 

「アイツはこんな風に、自分で蹄鉄のお世話なんてしてなかったでしょう?」

「そういえば、そうでしたね。なんか、全部、プロのスタッフに用意されてて」

「カペラって、そういうとこやっぱすごいですよね。……あたしたちはもう、そういうの自分でコツコツやるしかないんで」

「文字通りですか」

「うまーい」

 

 ここでようやく、ディレクターが初めてクスリと笑ってくれた。

 

「でも、だからこそ、このチームはすごく“ルピナスさんっぽい”というか、ぴったりなチームなんじゃないですかね」

「あはは、ヤバ。クレセントが聞いたら怒りますよ」

 

 クレセントもそうだし、何より彼女の母親が聞いたら腹を立てそうだ。

 

「あ」

「どうしました?」

「い、いやなんでもないです」

 

 そんなことを考えていたら、ものの見事に目測を誤って、せっかくお店で整形してもらった蹄鉄の端が歪んでしまった。ああ、これで数千円がパア。こういうときにすぐお金の勘定を始めてしまうあたり、やっぱりカペラみたいなエリートチームと同じ感覚ではいられないなと思わされる。

 

「大丈夫ですか?」

「大丈夫! 全然、平気です!」

 

 ダメになったものをくず入れに放り込んで、新しいものを取り出す。結局この後釘も一本ダメにしたけど、なんとか打ち直し終えるところまで撮ってもらえた。番組で使うときは綺麗にできたとこだけ使ってくださいよと念を押して、あたしは二ヵ月ぶりのトラックランニングへと向かった。

 

 トレーニングコースへ出ると、すでにホープがランニングを始めていた。その姿を、別の撮影班が遠巻きにカメラで追いかけ続けている。さすがは有名な大手テレビ局だけあって、そんじょそこらのCSバラエティとは予算が違うらしい。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

 あたしを担当しているスタッフさんに一声かけて、コースに足を踏み入れる。

 

 今日は初日だから、ウッドコースを速歩(ダク)で五本。一本走った後は常歩(なみあし)で十分間のインターバルを挟む。休養明けの身体には効くけれど、強度としてはそんなに大したものじゃない。それでも、今日はシニア級に上がって最初の一走目。このために蹄鉄を新調して、おろしたての体操着とジャージを用意したんだから、気合いが入るってもんだ。

 

「よしっ」

 

 カメラを意識したわけじゃないけど、一歩踏み出す前に、自然とそんな声が出た。それから、踏みしめたウッドチップの擦れる音とともに、あたしはトラックコースを渦巻く風の中に飛び込んだ。

 

 新しい一年、新しいレースへのスタート、そして新しい番組取材。新しいものが一斉に始まる瞬間だったけれど、ひとたび走り出してしまえば、そこにあったのは未知の世界じゃなくて、慣れ親しんだいつもの世界だった。強度だって、今日は軽いジョギングみたいなものだから、全力で走った時のようなスピード感も感じられない。つまらない、と思ってしまうかもしれないくらいの日常的な風景が、音や空気と一緒になってあたしの身体を通り抜けてゆく。

 

(だけど、やっぱり違うな)

 

 そう。今日は二月の第一週。あたしにとって、一年の中で誕生日以上に特別な思い出がたくさん刻まれている季節だ。冷たい風が尻尾を撫でるたびに、いろんな感情があふれてくる。この冷たさは、いつだってあたしの胸を熱くしてくれる。おかげで、途中でジャージを脱ぎ捨ててしまうくらい、寒さなんて感じなかった。

 

 一時間ほどかけたトレーニングのあと、クールダウンのウォーキング中に、()()()を捕まえることができた。

 

「どう、取材の具合は」

「雑に聞くなよ」

 

 ホープは涼しい顔でひたいの汗をぬぐっていた。

 

「スポーツ担当と違ってさ、ドキュメンタリーの人たちってなんか暗くない?」

「うるさくないだけだろ」

 

 暑苦しいのが嫌いなタイプにとっては、むしろありがたいらしい。

 

 実際、いざ取材が始まってみると、ホープは露骨にカメラクルーを邪険にすることもなく、これまでこなしてきたのと同じように、よそ行きレベルのそっけなさで対応してみせている。

 

「感心するよ」

「え?」

 

 ふいに珍しい誉め言葉が聞こえてきて、思わず首を傾げた。

 

「ナギサのことだよ」

「トレーナーが?」

 

 ホープはスタンドの方にいるスタッフたちをちらりと見た後、やれやれといった感じに肩をすくめた。

 

「ずいぶん注文付けたんだろうね。マスコミが喜びそうなめんどくさい話、全然聞いてこないからさ」

「……そっか」

 

 相変わらず、手回しがいい。

 

 マスコミが喜びそうな話、といえば、あたしも散々聞かれてきた学園入学前の経歴だとか、生まれ育った家庭の環境だとか、多分、そのあたりの話だ。

 

 言われるまで意識していなかったけど、思えば確かに去年一緒に取材を受けた時も、ホープについてはこういう話題を振られることはなかった。おそらくは、トレーナーがあらかじめ先回りしてNGを出していたに違いない。同じことは、今回も徹底されているらしい。その甲斐あって、心配していたほどホープもストレスを感じていないようだった。

 

 だけど、それでいいんだろうか。ホッとするのと同時に、そんな思いが頭をもたげる。

 

 ホープはこのまま、本当にあの問題から、ずっと逃げるように生きていかなきゃいけないんだろうか。いつかどこかで逃げ切れなくなって、向き合わなきゃならなくなるときが、来るんじゃないか。今はその時じゃないっていうのなら、だったらいつ? あたしたちがすっかり年を取って、おばあさんになる頃? それまでずっと、腫れ物のみたいに、触らないように、痛まないように扱われていくつもりなんだろうか。

 

 わかってる。こんなの、ホープが一番嫌う、独りよがりなお節介でしかないってことは。でも、そもそも今のホープが安心して伸び伸びと暮らせているように見えるなら、こんな気持ちなんて持たなくていい。そうじゃないから、気掛かりが抑えられない。

 

「何か言いたそうだけど」

「言ったら怒るからヤだ」

 

 どうせホープのことだから、あたしが何を考えてるかなんて見抜いてるはず。それが証拠に、走り去っていくときに、使い終わって汗の染みたタオルをあたしの顔めがけて投げつけていったもの。

 

  〇

 

 ホープに対する配慮なのか、それともまだ撮影が始まったばかりだからなのか、それからしばらくは、密着取材といっても教室や寮の中まで取材班が追いかけてくることはなかった。想定よりも緩い感じで、ちょっと拍子抜けするくらい。そういう意味では、面倒だったのはテレビ局の人間たちよりも、もっと身近な存在の方だった。

 

「ねえルピナス、あんた『スポーツ×HUMAN』の取材受けてるんだって?」

 

 どこから聞きつけたのか、取材が始まった次の日の朝、クラスメイトの何人かがあたしの机の周りで騒ぎ立てた。

 

「ヤバじゃん。たしか今度フォーミュラも出るんだよね? これでウチらのクラスだけで二回目だよ」

「えー、それもう伝説じゃね? 今までにそんなんある?」

「バッカ。黄金世代とか、いろいろあったやろがい」

「ウチんち受信料払ってないからさ」

 

 ギャハハ、と笑い声が響く。別にそれほどひどい話をしているわけでもないのに、あたしを置き去りにした楽しそうな仲間たちの声はやけに耳障りだった。

 

「何ですって、ルピナスさんたちに、再びテレビ取材が!? しかも、あの有名なテレビ局からですと!」

 

 そして、そんな騒ぎ声はもっとうるさいやつを呼び寄せてしまった。

 

「何とまあ、学級委員長としても、一クラスメイトとしても、実に鼻が高いですね! 我がクラスはこの世代でもとりわけ優駿ぞろいですから決して不思議ではないとはいえ、誠に喜ばしいことです!」

 

 オリンピアコスの無駄にハキハキした語りは、一度スイッチが入ってしまったら誰も止められない。教卓の前に陣取って、教室中に響き渡る声量で演説が始まった。こうなると満足するまで放っておくしかないのだけど、困ったことに、今日の演説は久しぶりの長尺だった。

 

「いや、素晴らしい。思えば、先の有マ記念では、我がクラスのエースと、そのエースに土をつけた菊の王者がワンツー決着を果たしました。そして、ルピナスさんとホープさんは、ともにヒト生まれの星として、人気、実力ともに大注目を浴びております。なるほどなるほど。これは、私も負けてはいられません! 昨年のダービー以来不甲斐ない走りが続いておりましたが、皆さん! このオリンピアコス、委員長として次走の小倉大賞典では、必ずや勝利を我がクラスにもたらさんことを、ここに誓いましょう!」

 

 話の途中で、聞いていられないとばかりに首を振って、ホープは教室から出て行ってしまった。当の学級委員長様はそんなことに気づきもせず、ホームルームの先生が入ってくるまで延々と、いかにこのクラスが素晴らしいかについて講釈を垂れ続けていた。ある意味これであたしたちへの注目は小さくなったわけだから、そういう意味でちょっと感謝しないこともないけど。

 

 とはいえ、昼休みになれば、また同じことの繰り返しだった。

 

「ねえねえ、ドキュメンタリーの取材ってどんな感じなの?」

「ナレーションとかつくんでしょ? ットゥーン、とかいって黒バックに白文字でさ」

「あれ、それ別番組と違う?」

 

 オリンピアコス委員長の演説で一旦は打ち切られたわいわいトークが、再び思いっきり浴びせかけられる。

 

 さすがに鬱陶しいな。思わずそんな言葉が頭をよぎる。でも、あたしの頭の中には、同時に別の言葉も浮かんでいた。

 

 ——懐かしいな。

 

 あたしがまだ小学生だったころ、町の小さなレース大会で勝つたびに、こんな風に囲まれていたっけ。

 

 でも、あの頃と今では、色んなものが違っている。あの頃あたしの周りに集まっていたのは、みんな人間の女の子たちで、今あたしの周りにいるのは中央のエリートウマ娘たちだ。

 

(あたしも、変わったな)

 

 嬉しい、誇らしいって気持ちしかなかった当時のあたしと、今の妙な居心地の悪さを感じているあたし。ウマ娘六年も経てば、ずいぶん変わるもんだ。これは成長? それとも、老けたんだろうか。

 

 ただ、この居心地の悪さは、あたし自身の変化だけが原因じゃないってことは、分かっていた。

 

「ところでさ、あいつやっぱり最近機嫌悪いの?」

 

 無言で教室を出ていくホープの後姿を確かめてから、集まった子たちの一人がそっと尋ねてきた。そう。結局は、ここの問題なんだ。

 

 レース前後の会見やインタビューにも最低限しか応じないホープの取材嫌いは、誰もが知るところだった。みんなの目には、ここのところ色んなところにあちこち引っ張り出されているせいで、気が立っているように見えているのかもしれない。

 

「あー、まあ、そんな感じ」

 

 それも、ある意味で間違ってはいない。実態はもうちょっとだけ、複雑なんだけど。

 

「人気者の宿命やねぇ。ルピナスも、ホープも」

「からかわないでよ。イライラしたあいつ、ほんとに怖いんだから」

 

 人気者。……人気者か。客観的に見て、今のあたしたちはもう、そういう括りで呼ばれるような存在になってきているんだ、とは思う。実際今年に入ってから、街を歩いている時にファンの人から声を掛けられることも何度かあった。熱心なレース愛好家の間で、あたしたちの名を知らない人なんて、もうほとんどいないだろう。

 

 それ自体は、決して嫌なことばかりじゃない。学園の門をくぐったからには、いずれはそうなりたいと思っていたわけだし、忙しくなることも、好むと好まざるとにかかわらず注目を浴びてしまうことも、ある程度覚悟していた。

 

 ただ、こんなに難しくて、頭が痛くなっちゃうようなことばっかりが待ち受けてるとは思わなかった。半分意地で通したけれど、本音を言えば、テレビ取材くらい、なんの心配も憂いもなしに受けたかった。

 

「ねえルピナス、今度カメラ入る日分かったらさ、ウチらも——」

「はいはい、そこまで! ルピナスちゃんはいまとーっても大事な時期なんだから、みんな、お静かに!」

 

 厄介な要求が飛んできそうになったところで、心強い親衛隊の隊長が、手をパンパンとと叩いてシャッターを閉め切ってくれた。

 

「ンだよぉ。ボン、嫉妬してんのー?」

「ったく、トレーナー(づら)加速してんだからさぁ」

 

 ぶつぶつ文句を言う連中を追い払って、ボンはにっこりとこちらに笑みを投げかけてくる。あたしはその頼もしい笑顔に、親指を立てて返したのだった。

 

 

 それからあっという間に、レース二週前追い切りの日がやってきた。

 

 その日は、いつもならURA公式の追い切り映像を撮るおなじみのカメラマンだけがぽつんと立っている坂路沿いの歩道に、みんなの見慣れないテレビ局のスタッフがずらりと並んでいた。GⅠ開催週でもないのにどうしたんだろう、なんて囁く声があちこちから聞こえてくる。

 

「あーあー、目立たないようにってお願いしたのに」

 

 トレーナーはやれやれとため息をついて、生徒たちの視線を集めているスタッフたちのもとへ走っていった。

 

 結局、みんなの集中力が削がれるからと、番組スタッフには一度場を離れてもらうことになった。彼らの目的は、あたしの映像を撮ることなのだから、それ以外の子が走っている時に張り付いている必要はない。

 ということは、つまり。

 

「ルピナス、あなたの番は一番最後ね」

「うわ、だる」

 

 何となく、そうなるような気がしていた。すでにあたしは一度ウォーミングアップを済ませて、やる気満々になっていたのに。一番最後ってことは、あと一時間以上は順番が回ってこない。まだ春の匂いも感じない空気の中でそんなに待っていたら、身体が冷えてしまう。

 

「人気者の宿命、だね」

「ボン、アンタなんでちょっと嬉しそうなの」

 

 ニヤニヤしながらこの間教室でクラスメイトが言っていた言葉を投げかけてくるボンのほっぺたを、ぐいと指で押し返してやった。

 

「みんなこないだから反応しすぎなんだよ。こっちの気も知らないでさ」

「わあ、その言い方、ホープちゃんみたい」

「影響されてんのかもねー」

 

 ケラケラ笑うボンに口を尖らせつつ一旦部室に戻ると、ちょうど追い切りのパートナーがシューズを履き終えたところだった。

 

「す、すみませんルピナス先輩! お待たせしてしまって! もう、私行けますから——」

「いいのいいの。座ってて。まだ当分走れないから」

 

 慌てて駆け出そうとするショコラを手で制して、その隣に腰かけた。

 

「良いんですか……?」

 

 困惑して顔をきょろきょろさせるショコラに、トレーナーが事の次第を説明してくれた。

 

「——というわけ。二人とも、しばらくは待機ね」

「そう、ですか」

 

 どことなくホッとした様子の後輩の姿を見て、あたしは何気なく尋ねた。

 

「ところで、ショコラはここで何やってたの? って、ああ、別に怒ってるわけじゃないんだけど」

 

 するとショコラはぴょこんと立ち上がると、ロッカーの中をごそごそ探って何かを取り出し、机の上に並べて見せた。

 

 それは、二種類の蹄鉄だった。

 

「鉄の打ち替えをしていたんです」

「打ち替え?」

 

 ショコラは頷いて、片方のやけに色が黒くて分厚い蹄鉄を指さした。

 

「ここ最近、ずっとこっちの重い鉄を履いてトレーニングをしていたんです。今日もウォーミングアップまではこっちで。ただ、追い切りとレース本番はこっちの軽い方に打ち替えることになってまして。さっきは、その打ち替え作業をしていたんです。……お待たせすることになってしまって、本当にすみませんでした」

「いやいや、別にいいんだけど。結果困ってないし」

 

 謝罪よりも話の内容が気になって、あたしはショコラが指さした重い方の蹄鉄を指でつまみ上げた。

 

「ぉうっ」

 

 思わず変な声が出た。特別製らしいその蹄鉄は、見た目よりも随分ずっしりしている。普段履いているものの四、五倍の重さはありそうだった。

 

「これ履いてトレーニングしてたの?」

「? はい」

 

 当然でしょと言わんばかりの顔をする後輩に、背筋がほんの少し寒くなった。

 

「これは、ボンちゃん先輩が提案してくださったものなんですよ」

「ボンが? ……っていうか、ボンちゃん先輩って何、誰に言われたのそんな呼び名」

 

 ボンは咳ばらいを一つして、得意げに言った。

 

「ショコちゃんは、ルピナスちゃんと同じマイル路線を目指しています。でも、ショコちゃんは本来スプリンター。だからスタミナの強化が課題になるんだけど、この重い鉄は、それにとーっても良い効果を発揮するんです」

「……呼び名の方の謎は解けてないんだけど?」

 

 ごまかされないぞ。

 

 ボンは観念したように、指と指を突き合わせながら、さっきとは打って変わって小さな声で呟くように言った。

 

「だって、そっちの方がかわいいもん……」

「やっぱアンタがそう呼べって言ったのか」

「だ、大丈夫ですよ! ボンちゃん先輩! 私もこの呼び名、好きです!」

 

 ちょうどその時、部室のドアがノックされて、さっき場所を追われたテレビ局のスタッフたちがきまり悪そうな顔で入ってきた。あだ名ハラスメントの現場を撮られなくてよかったと、あたしはこっそり、胸をなでおろしていた。

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