目が覚めると、外はまだ暗い。時計を見れば、デジタル表記で0324という数字が並んでいる。こんなに早く目が覚めるなんて。少し損した気持ちになって、あたしはベッドの上でごろりと寝返りを打った。すると、向かいのベッドの上に小さな人影が横たわっているのが目に入った。
ああ、そうだった。あたしは、昨日の出来事を思い出していた。
「ホープは美浦寮配属。部屋は、ルピナス、あなたと同室ね」
トラックでの練習の終わりに、トレーナーはまるで簡単な事務連絡みたいに、さらりと言った。想定外のことにあたしは何にも言えなかったし、栗東寮に配属されているクラウンセボンは羨ましがった。
ルームメイトがいなくなって、寂しくもあり、どこか快適でもあった一人部屋生活。それはわずか数日で終わりを告げることになった。当のホープアンドプレイは、自分の配属にまるで興味が無いようで、あたしに対しても一言「よろしく」と言うだけで、特に何という感情も見せなかった。
あたしと同じヒト生まれのウマ娘が、あたしと同じ教室にやってきて、あたしと同じチームに入り、あたしと同じ部屋で寝ている。奇妙な巡り合わせだ。あたしは神様なんて信じてないけど、信心深い人なら、なにか運命的なものを感じちゃうだろうな、と思う。
「……ホント、よくわからない」
すやすやと寝息を立てるホープアンドプレイに向かって、あたしは、あたしにだけ聞こえる声でそうつぶやいた。あの森林バ道でのウォーキングの後、あたしたちはトレーナーの指示で、
けれどそうなると、どうして最初からトレセン学園に入らずに、わざわざ編入なんて道を選んだのか、その謎はかえって深くなった。いくら現代レースがスピード重視になっていると言ったって、これだけ特別な能力があるのなら、普通に入学したってよかったはずなのに。
(ねえ、アンタ何者なの?)
あたしは心の中で問いかける。こうして見ていると、ホープアンドプレイはその体つきも顔も、まるで小さな小学生みたいだった。それでいて、見た目には不釣り合いなほどの殺気を見せることもある。すべてがチグハグで、ツギハギの人形みたいな、不自然さがあった。
せっかくの同室、いろいろ話したいことや聞きたいこともあったけれど、昨日はそんな雰囲気にもならず、ただひととおり寮の中を案内するだけで終わってしまった。早く知りたい。この子のことをちゃんとわかりたい。そんな気持ちであたしの胸の中はざわざわしている。夜も明けないうちに目が覚めてしまったのも、きっとそれが原因なんだと思った。
「アンタは、いなくならないでよね」
眠っている相手だもの、聞いていやしない。それがわかっていながら、あたしは新しいルームメイトに、そう願った。
「――あれ?」
気がつくと、窓から差し込む光が、机の上の写真立てをキラキラ光らせている。いつのまにか、もう一度眠ってしまっていたらしい。あわてて時刻を確認すると、登校時間までにはまだ十分余裕がある。ひとまず安心して、ふと、部屋のもうひとつのベッドが空になっているのに気づいた。
「ホープ?」
呼んでも返事は返ってこなかった。目をやると、昨晩はベッドの脇に置いてあったスクールバッグも無くなっている。もう出かけてしまったらしい。それなら一声かけてくれればいいのに。そんな不満をちょっぴり抱きつつ、改めてホープアンドプレイの机の周りをながめた。
教科書や運動着の類いの他は何も持ち込まなかった彼女のスペースは、ひどく殺風景だった。昨日の朝、まだ一人部屋だった頃の見た目とほとんど変わらない。机の上に無造作に置かれている替えの蹄鉄を見て、あたしはなんとなくほっとしていた。それだけが、ホープアンドプレイというウマ娘の存在が夢じゃないということを、証明してくれているような気がしたから。
寮の食堂で朝食を済ませ、学園へと急いだ。どうしてか、早くあの子に会いたいという気がして、あたしの歩調は速くなっていく。校門にたどりづくと、そこにはそわそわと落ち着かない様子のクラウンセボンとパレカイコの姿があった。
「おはよう、ルピナスちゃん」
「アロハ!」
「おはよう二人とも」
ふたりがあたしのことを待っていた理由は、聞かなくてもわかった。あたしの新しいルームメイトのことを聞きたがっているんだ。
「ホープちゃんは、一緒じゃないの?」
思った通り、クラウンセボンは真っ先にそれを尋ねてきた。
「あたしが起きたら、もういなくなっててさ。あいつ、もう学園に来てると思うんだけど」
「そうなの? じゃあ、随分早かったんだね」
クラウンセボンがおどろくのも無理はない。あたしが来た時刻だって、別に遅いわけでもないのだから。あたしたちはとりあえず、教室へと向かった。その途中、パレカイコが待ちきれないといった様子であたしの肩を掴んできた。
「で、どうだったの、ホープちゃんとは。仲良くできたかしら?」
「うーん、良いとか悪いとかじゃなくて、まだあんまり話せてないから」
「んもー、ふたりとも恥ずかしがり屋さんなのね」
そういうことじゃないんだけどな、と思いつつ、あたしはわしわしと頭を撫でてくるパレカイコの腕から身体を引き抜いた。クラウンセボンは、そんなあたしたちを見てクスクスと笑った。
「カイちゃんったら、寮に帰ってからずっとホープちゃんのことばっかり聞いてくるの」
「だって、ずるいわ。ボンちゃんとルピナスちゃんはチームメイトだし、ルピナスちゃんはルームメイトでもあるんでしょ。ワタシだって、ホープちゃんのことすっごく気になるのに」
ぷっと頬を膨らませるパレカイコは、あたしたちの中で一番身体が大きいのに、一番子供っぽい。その明るさはいつもあたしたちに元気をくれるけど、多分、ホープアンドプレイは苦手なタイプだろうなと思った。
教室の前まで来ると、中からそのホープアンドプレイの声が聞こえてきた。
「だから、そういうのはボクじゃなくて、ナギサに言ってよ」
「なら、おまえからトレーナーに伝えておけ」
なにやらだれかと押し問答になっているらしい。あの性格なら、喧嘩になってもおかしくない。まずいなと思ったあたしは、戸を開いて、わざと少し大きな声で挨拶しようとした。
「おはよう、ホープ……」
そこであたしは言葉を飲んだ。ホープアンドプレイと話をしている相手というのがだれなのか、ハッキリとわかったからだ。
「フォーミュラさん、どうしたの」
クラウンセボンがまじめな調子で言った。ホープアンドプレイと言い合いをしていたのは、レイアフォーミュラという鹿毛のウマ娘だった。
レイアフォーミュラ。あたしたちのクラスで、いや、
そんなレイアフォーミュラが、ホープアンドプレイと何の話をしているのか、気になるし、少し怖くもあった。
「別に、要件を伝えていただけだ。来週の土曜、模擬レースで私と勝負しろっていう話をな」
「はあ?」
あたしは思わず声を上げてしまった。
「何勝手にそんなこと言ってるの?」
「私が決めたことじゃない。うちのトレーナーの要望だ」
レイアフォーミュラは鋭い目つきのまま、毅然とした態度で言い放った。
「どうせ、うちのトレーナーもおまえたちのトレーナーに、今頃話はしているだろう」
その全身から放たれるオーラには、恐ろしいほどの威圧感がある。あたしと身長はさして変わらないのに。実際、普段からレイアフォーミュラに話しかける生徒はあまりいない。圧倒的な実力もさることながら、その強者としての雰囲気が、周りを尻込みさせるからだ。あたしたちのクラスでも、編入生のホープアンドプレイを除けば、とりわけ特別な存在だった。
あたしは急いで、二人の間に割って入った。
「ホープ、受けることないよ。トレーナーだって、アンタが嫌だって言えば無理に走れなんて言わないよ」
けれども、ホープはきょとんとした顔で答えた。
「どうして。ボクは別に構わないよ。ナギサに言えって言ったのは、ボクひとりじゃ決められないからってだけだし」
「アンタ……」
あたしはめまいがしてきた。ホープアンドプレイは、まだ何も知らないんだ。レイアフォーミュラというウマ娘は、そんじょそこらにいるちょっと強いウマ娘とはワケが違う。ちぎり捨てられて、自信を無くすだけだ。彼女は、良い勝負をしようだなんてこれっぽっちも思っていない。ホープアンドプレイの実力のほどを確かめてやろう、とも思っていない。完膚なきまでに叩きのめそうと考えているだけ。そんな勝負、素直に受けたって得られるものなんて何も無い。
「とにかく、ナギサが決めることだから。ボクは全然、どんな勝負でも良いよ」
そう言って、ホープアンドプレイは「用が済んだならどいてよ」と言い、レイアフォーミュラの身体を押しのけるようにして、自分の席へと戻っていった。
「面白いヤツじゃないか」
「フォーミュラ、どういうつもりなの」
どこか満足そうにうなずくレイアフォーミュラに、あたしは食ってかかった。編入生相手に、いきなりこんな勝負を仕掛けてくるなんて、威圧行為以外の何物でも無い。
「知らん。私だって、なんの意味があるのか。ただ、トレーナーがそうすると言ったんだ。それで、勝負を受けるよう説得してこいと」
レイアフォーミュラのトレーナーと言えば、名門チーム、カペラのトレーナーのことだ。そこには、パレカイコも所属している。何か知っているんじゃないか、とあたしはパレカイコの方を見た。
すると、パレカイコは肩をすくめて、初耳だという顔で答えた。
「いいじゃない。ワタシ、応援に行こうかしら。ホープちゃんの」
「カイ、本気で言ってるの?」
あたしの言葉に、パレカイコは真面目な表情になって、言った。
「本気よ。うちのトレーナーさん、嫌がらせとか、いじめっ子みたいなことをする人じゃないもの。昨日、ルピナスちゃんたち、コースで走ってたんでしょう? ワタシたちのチーム、B組メンバーは自主練だったからコースには出なかったけれど、うちのトレーナーさんは、C組メンバーの桜花賞の追い切りのために、トラックコースに行ってたのよ。きっとそこで、ホープちゃんのことを見たんだわ。それで、フォーミュラと対決させてみたいって思ったのよ」
そうして、いつものにっこりとした笑顔で、レイアフォーミュラに笑いかけた。
「フォーミュラ、頑張らないと負けちゃうかもしれないわね?」
「笑わせるな。私はいつだって全力で相手するし、全力で走れば、負けるはずなど無い」
ワオ、すごい自信ね、と笑って、パレカイコは舌をペロリと出した。
「だ、大丈夫かな……」
クラウンセボンは不安な面持ちでそうこぼした。それには、あたしも同感だった。確かに、ホープアンドプレイは豊富なスタミナがある。それは昨日の併走で嫌というほどわかった。でも、それだけではレースには勝てない。爆発的な加速力、スピードの絶対値。それらがそろっていなくては、トップレベル、それこそレイアフォーミュラのようなウマ娘とは戦えない。あの細い手足にそんな力が宿っているとは、考えにくかった。
「トレーナーが断るよ、きっと」
あたしは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
――けれど、その思いが届くことは無かった。
「模擬レースの申し込みがあったから、早速準備しないとね」
放課後にチームプルートの部室に集合したところで、トレーナーはあっさりとそう言った。
「トレーナー、マジで言ってるの?」
「マジも何も、良い機会じゃない」
だめだ、こりゃ。あたしはトレーナーが何を考えているのか、さっぱりわからなかった。トレーナーだって、レイアフォーミュラの実力は知っているはずなのに。負けるとわかっているような勝負をなぜ受けるんだろう。
「まさか、勝てるとでも思ってるの?」
あたしはつい、そんな風に聞いてしまった。
「ずいぶんバカにしてくれるね」
ホープアンドプレイが、苦笑しながら言った。あたしはハッとして、あわてて謝った。
「ご、ごめん。アンタが弱いと思ってるわけじゃないんだ。ただ、アイツ本当にヤバいくらい強いから」
思えばたしかに、随分な物言いだったと反省した。ホープアンドプレイに勝ち目がないと決めつけたような言い方は、本人からしてみれば気分のいいものじゃないはず。それでも、レイアフォーミュラというウマ娘の強さを知っている身としては、無責任に頑張れと言いたくないのも事実だった。
「そんなに強いの」
あたしの様子を見て、ホープアンドプレイはトレーナーに尋ねた。
「そうだね。この期のクラシック戦線は、もうあの子が中心で決まりと言ってもいいくらいかな」
トレーナーの表現はおおげさなものじゃない。トレセン学園に入学した去年、新歓イベントで開かれた新入生参加のエキシビションレースで、あたしたちは初めてレイアフォーミュラの走りを目の当たりにした。和気あいあいとしたお祭りの雰囲気は、彼女が出てきた途端に一変したのだった。エキシビションだというのに、まるで本番のレースのような気合い。そして、大差での勝利。同じ新入生とはとても思えないほどの、怖いくらいの力の差だった。
その後、すぐに生徒会から推薦されて出走した選抜レースでも、上級生を含む全員をなぎ倒して、圧勝。入学後わずかひと月で、毎年のようにGⅠウマ娘を輩出する名門チーム、カペラへとスカウトされていった。以来、彼女と走りで勝負して、先着した者は一人もいない。まさに圧倒的な存在だった。あの無敗の三冠ウマ娘、シンボリルドルフ会長のような存在になるかもしれないとさえ言われている。もちろん、実力者のパレカイコやオリンピアコスと言った面々も、対抗として名前が上がるけれど、それもあくまで「挑戦者」としてだ。レイアフォーミュラの座を揺るがすようなウマ娘が現れるなんて、あまり想像できない状況だった。
「へえ、そうなんだ。そんなに強いんじゃ、たしかにボクじゃ相手にならないだろうね」
「せめて良い勝負ができるって言うのなら話は別だけど……」
あたしがそう言ったとたん、トレーナーがすかさず言った。
「良い勝負になると思うよ?」
その言葉は、すぐに頭には入ってこなかった。あまりにも予想外の話だったから。
「トレーナーさん、本当ですか?」
あたしの代わりに、クラウンセボンが聞いてくれた。いまのホープアンドプレイが、あのレイアフォーミュラと良い勝負になるなんて、信じられなかった。あたしたちの学年で、レイアフォーミュラとそこそこの勝負ができるウマ娘なんて、パレカイコくらいだもの。はっきり言って、冗談だと思った。
けれどもトレーナーは、意外にも真面目な調子で答えた。
「私もバカじゃないよ。それに『負けるとわかってても戦う気合いを持て!』なんて根性論を言うつもりもない。ちゃんと考えてるよ。レースするにあたって、こちらから条件をつけさせてもらったの」
「条件?」
あたしは反射的に聞き返した。条件ってことは、良い勝負にするための条件ってことだ。ハンデとか?
「そう。左回り、芝2000メートルで勝負しましょうって」
「長っ」
びっくりしたけれど、同時に、そういうことかと思った。実際2000メートルなんて、あたしたちは授業でも模擬レースでも、本気で走ったことなんか一度もない。そんな距離はランニングでゆっくり走るときくらいのものだ。多分、レイアフォーミュラだってまだレースでは経験がないはず。そして、豊富なスタミナを持っているホープアンドプレイなら、この距離でアドバンテージを取れるかもしれない。トレーナーが考えていることは大体わかった。
「でも、そう簡単にうまくいくかな?」
「なに
「え?」
トレーナーの口ぶりに、あたしは嫌な予感がした。
「ルピナス、あなたにも走ってもらうよ」
登場人物-No.06【レイアフォーミュラ】誕生日 2月28日
【挿絵表示】
身長 162cm/体重 微増(成長期)/BWH 85-56-86
毛色 鹿毛/靴のサイズ 両足23.5cm
大企業であるレイア産業の令嬢。数々の優秀なウマ娘を輩出してきたレイア家のなかでも最高傑作と言われ、レイア家初の三冠ウマ娘を期待されている。名門チーム《カペラ》所属。