ガコン、と音がして、スターティングゲートの扉が開く。コースの反対側から伝わってくる熱気で、空気がザワリと震えた。
ああ、始まったな。スタートした瞬間、あたしはまるで他人事みたいにぼんやりと思っていた。自分でも不思議なくらい、少しも緊張していなかった。今年初めてのGⅠ出走だというのに。同期以外の先輩たちもたくさん出走しているシニア戦なのに。
——勝つつもりが無いなら、緊張などしないだろう。
フォーミュラの言葉が思い出される。あれはたしか二年前、初めて模擬レースで勝負した時のこと。世代最強のウマ娘を相手に生意気にもガチガチになっていたあたしへ突き付けられた、痛すぎる正論。
困ったな。それじゃ今のあたし、勝つ気が無いみたいじゃん。
そんなわけない。こうすれば勝てる、なんてイメージは全然浮かんでないけど、出ると決めた以上は勝つつもりでいるに決まってる。むしろ、勝ちたい気持ちは今までで一番強いくらいだ。ここ数か月の間にあったたくさんの大変な思い出が、そっくりそのままモチベーションになっているのだから。
でも、だったらどうしてこんなに気持ちが凪いでいるんだろう。
あたしの戸惑いをよそに、ライバルたちの出足は鋭かった。当然ながらマイル適性の高い子が揃っているだけあって、出だしからみんなぐんぐん加速していく。割と良いスタートを切ったはずだけれど、気付けばあたしは集団の真ん中よりやや後方に控える形になっていた。
忘れちゃいけないターゲットは、探すまでもなかった。あたし自身が妙な冷静さを保っていたせいか、目立つ真っ赤な髪色のおかげか、相手の姿はスタートから一度も見失うことなく視界に納められている。
——ワンファートン。
オークスの頃まではほとんど無名だったのに、夏の間に急成長して現れた、秋華賞ウマ娘。トレーナーやボンの見立てでは、今日の優勝候補筆頭はこの子。客席からの人気も一番高い。脚質は差し寄りだけど、基本的に中団に陣取ってラストで抜け出すタイプ。メリッサやあたしよりは前でレースをする子だ。
そんな彼女を、あたしは1バ身ほど離れたところで比較的楽に追走できていた。つまり、ペースはミドルからやや遅め。なら、このままここで控えるか。あるいはいっそのこと、もう少し寄っていっちゃおうか。さっきの感じを見るに、ワンファートンは神経質なタイプっぽいし。以前あたしが他の子にやられたみたいに、外目から被せてプレッシャーをかけてみたら面白いかも……しれないけど、まあ、やめておこう。余計なことをしてこっちが脚を使っちゃったらバカみたいだし。
器用な性格とは言えないあたしにとって、100秒にも満たないマイルの闘いは本来、短い。こんな感じで、ああしなくちゃこうしなきゃと考えているうちに、終盤の勝負所に来てしまう。スタミナが持たないから無理だけど、もうちょっと時間の余裕がある長い距離で戦いたいなと思うくらい、頭も身体も忙しい。……いつもなら。
そう。いつもなら、マイルレースなんてあっという間。100秒どころか体感10秒くらいで終わってしまう。
でも、今日は違った。府中マイル戦の中盤に現れる、第三コーナーから最終第四コーナーまでのゆるやかな曲線が、なかなか終わらない。巨大な円をそれと知らずに回り続けているんじゃないかと思うくらい、長かった。何となく、ただでさえ遅めだったペースもさらに落ちていっているような気がする。
……何、これ。
スパートのタイミングと決めているラストの直線が、ちっともやってこない。なのに隊列からは誰一人飛び出そうとも、仕掛けようともしない。縦長になるわけでもなければ、ゴチャついた位置取り争いにもなっていない。実に退屈な展開だった。
「あ」
退屈。その言葉が頭に浮かんだ瞬間、ハッと我に返った。
バカ。何ナメたこと考えてんの。あたしは自分に言い聞かせた。つい数か月前、中山レース場で同じようなことを考えて、失敗したのをもう忘れたわけ? 今あたしが走ってるのはGⅠレース。退屈だなんて言ってる場合じゃないっつーの。ペースが落ちてて、みんな仲良く脚を溜め合ってるなら、あたしにとってはおあつらえ向きの直線勝負になる。それならトレーナーと約束した通り、最後の最後まで我慢するだけだ。考えていいのは勝つことだけ。勝つために何をすべきかだけ。だってここで勝てれば、勝てさえすれば——。
——もしも勝ったら、またニュースになっちゃうね。
ズキン、と音がして、胸の中に何か硬くて冷たいものがつっかえた。
——きっとみんな大騒ぎするよ。レースには向かないはずのヒト生まれが、立て続けに二人もGⅠウマ娘になっちゃったら。変な疑いを持つ人も、ますます増えるだろうね。
そんなこと、誰も言ってない。こんなレースのさなか、聞こえてくるはずもない。これは全部、あたしが勝手に呼び寄せた、不安と弱気の種。見ないように見ないようにしていたものが、土壇場になって襲いかかってきただけ。
耳を貸しちゃダメだ。
——まあ別にいいか。だって、悔しかったんでしょう? あの子に先を越されちゃって。アンタの方がずっと早くデビューしたのにね。おんなじヒト生まれだったはずなのにね。かわいそうな生い立ちで、体も小さくて大変だなんて、同情してたくらいなのにね。
うるさい。
——結局、アンタって甘いんだよ。……無理もないか。いつだってアンタは、親や友達に守ってもらってばかりだったもんね。生まれのせいで苦労したみたいなツラしてるけど、実際そうでもないでしょう? アンタはいつでも安全なとこから弱ってる子を見下ろして哀れんだり、泣きごと言って慰めてもらったりして、ちっぽけな自尊心を満たしてるだけ。だから勝てないんだよ。GⅠみたいな、本当に大きな舞台ではさ。
うるさいってば!
——これで今日も勝てなかったらさ、ますますチャンス無くなるよね。だって秋には、アイツが帰ってくるんだから。アンタとは血統も才能も全然違う、アイツがさ。
黙れ、黙れ、だまれ!
本当は分かっていた。あたしは退屈していたんじゃない。退屈するふりをしていただけだ。勝ちたくて、だけど気づかされてしまった不都合だらけの現実に目を向けるのは怖くて、だからわざとレースの熱情から一歩引いて、受け流そうとしていただけ。だって今の精神状態でそんなのと真正面から向き合ったら、もうあたし、とてもじゃないけどレースになんて出られなくなっちゃうもの。
あたしが夢見たターフには必要なかったはずだ。理不尽な疑いをかけられるわずらわしさも、仲間や後輩への同情も、心配も……子供じみた嫉妬も。
ああもう、イライラするな。早くぶっ飛ばしたいのに。
心の中に浮かんだセリフを、奥歯でガッチリ咥えこむ。そんなあたしを嘲笑うかのように、残り600メートルのハロン棒が、ゆっくり、ゆっくり近づいてくる。やけに進行が遅く感じたのは、あたしのこんな気持ちが招いた錯覚だったのか、それとも本当にペースが遅かったのか、もう分からない。でも、おかげさまできっちり余計なことを考えさせられてしまった。
そうしてやっと、広い府中の直線が現れた。最後の関門としてそびえたつ長い坂道が、あたしたちを出迎える。
……もう、いいよね。
いろんな意味で、我慢の限界だった。
蹴り足を、右足主導から左足主導へ乗り換える。あたしの身体が、自然とコースの真ん中の方へ引っ張られていく。視界が開けた。前を塞ぐ壁は無い。こうなったらあとはただ、ゴール板まで一直線に突っ込むだけでいい。いつの間にかあたしは、トレーナーとたくさん話し合って決めたはずのスパートの段取りすら忘れていた。
膝を深く曲げ、左足に力を込めて、芝をグッと踏み潰す。
その瞬間、溜めに溜めた
「うぅっ……!!」
景色が飛んでいく。誰の姿も見えなかった。ワンファートンも、モモイロビヨリも、他の同期も先輩たちも、スタンドの観客さえ、一人も見えなかった。一完歩、一完歩を踏みしめるたびに、あたしの身体をドンと衝撃が突き抜けていく。ただその音と震えだけに耳を傾けて、あたしは駆けた。蹴り飛ばしたかった、たくさんの横顔を蹴飛ばして。
『————! ————!? ————!!』
気がつくと、あたしの横には誰もいなかった。ゴールの先、惰性で曲がったコーナーの向こう側、バックストレッチに入ったところで後ろを振り返る。
「ルピナスちゃん!」
市松人形よろしくまっすぐに切りそろえた前髪を揺らして、モモイロビヨリがいそいそと走り寄ってきた。
「おめでとう!」
「……え?」
言葉の意味が分からなくて、思わず聞き返す。すると今度はワンファートンが、顔中の汗を腕で拭いながらやってきた。
「スゴいな、アンタ。話には聞いとったけど、それ以上やったわ。今日のところはウチの完敗やな。おめでとうさん」
その口ぶり。まるであたしが勝ったみたいな。……勝った、みたいな……。
「どうしたの?」
「なんやこいつ、目ぇ開いたままボーっと突っ立って。どこ見てんねん」
聞こえてくる全部の音が、声が、グワングワンとエコーがかかったように歪んでいる。
「……うそ」
手足の感覚が無くなっていく。痺れたとか、疲れて重たいとか、そんなんじゃない。むしろ反対にふわふわとして、一歩踏み出しただけで風の中に溶けてしまいそうだと思うくらい、軽すぎる。
「トンちゃん、少しそっとしておいてあげた方が良いかもよ?」
「うるさいわい、アンタに言われんでもそれぐらい分かるわ。……ほならルピナス、ウチら先行くで。また後でな」
うん、と返事したつもり。だけど実際には、声なんてろくに出やしなかった。
初夏の空気は、汗ばむほど熱くて、震えが来るほど冷たかった。嬉しいのか、悲しいのか、楽しいのか、怖いのか、そのどれでもない何かなのか、ちっとも理解ができないままに、あたしはただ黙ってターフの真ん中に一人、立っていた。
◯
いつか、いつの日か、GⅠウマ娘になれたなら、その時はカメラの前で、どんなことを話そう。喜びのリアクションはこんな感じかな。お世話になった人への感謝も忘れちゃいけないな。嬉しすぎて泣いちゃったらどうしよう。興奮して変なこと言わないようにしなきゃ……。レースの世界に夢を抱いた者なら、誰でも一度はそんな妄想をしたことがあると思う。あたしも、そうだった。だけど、これまで何度も思い知らされてきたように、現実ってやつはいつも思い通りにはいかないものだ。
「あ、ほらルピナスちゃん、またワイドショーのスポーツコーナーでルピナスちゃんのことやってる」
「ボン、チャンネル変えて」
「どうしてよぉ、すっごくカッコよかったのに」
「それはレースが終わるまでの話でしょ」
トレーナー室のテレビに、レースを終えたばかりで汗だくになった三日前のあたしがデカデカと映し出されている。
誇張でも何でもなく、あの後のことは1ミリも覚えていない。インタビューも、ウイニングライブも、何なら夜寝る前にシャワーを浴びたのかどうかも。別にそれ自体は悪いことじゃない。記憶が飛ぶくらい上の空でも、やるべきことをそつなくこなせていたのなら。
『ヒト生まれとしてはグレード制導入後初のマイルGⅠ制覇という素晴らしい偉業を達成されました。今のご心境は』
『えーっと……そうですねぇ…………ぇへへ、ぁあ、なんか、そうですね……うん、勝ったんだなって』
結論、全然こなせていなかったわけで。
『まだ実感は湧かないですか』
『そうですねぇ……うーん……うん、そう……そんな感じ』
汗きったな。インタビュー受ける前に拭けばいいのに。あと、へらへらしないでちゃんと会話しろ。
自分の姿に自分でイライラする。というかあれが自分だとは信じたくない。それくらい酷い受け答えだった。
『この喜びを誰に伝えたいですか』
『うーんと、そうですねぇ……やっぱ、まず、母さんれふかね』
肝心なとこで甘噛みすんな、バカ。
『それを聞いて、お母さんきっと喜んでらっしゃいますよ』
『……どうですかねぇ。だといいんですけど。結構サバサバした人なんで』
なんだその意味の無い返事は。
『言葉にできない思いもたくさんあると思います。それらは全部、この後のライブに思いっきり、ぶつけてくださいね』
『このあとのライブ? 何かありました……あ、チームのお祝いで?』
『ウイニングライブです』
『あ、あぁ、あはは、そう、それ。うん……えっと、本能スピード?』
『楽しみにしてますよ!』
『はあ、はい……へへ』
「うおお……もう……」
自然と呻き声が口から漏れる。恥ずかしいなんてもんじゃない。その後流れたライブの様子も、振りはそれなりに動けていたものの、歌はヨレヨレだし、表情はほとんど固まったまま。まさしく心ここにあらずって感じだ。
「この映像あと何回使われるんだろ……」
「いいじゃない。コメンテーターさんもみんな可愛いって言ってくれてるし。私もルピナスちゃんのこういうとこ、好きだよ」
ここに限っては、ボンの意見は参考にならない。あたしのこととなると大抵何でも好きって言うんだから。
にしてもレースの後、一夜明けてからも大変だった。大量に届いたLANEメッセージへ返信を送るだけで一日のほとんどが終わってしまったほどだ。交換したことすら忘れていたような相手からもお祝い文が届くものだから、途中からは感謝スタンプ連打の流れ作業になったけど。
「……ほんとに、勝っちゃったんだね」
母さんから送られてきたやたらと長いメッセージを指でなぞって、あたしはボソッとそうこぼした。「勝っちゃった」だなんて、不謹慎な言い方かもしれない。ただ、レースが終わってからもう三度も朝を迎えたけれど、いまだに実感らしい実感が湧いてこない。その間、教室で学級委員長のありがた迷惑な祝辞を浴び、密着取材を続けてくれていたテレビのスタッフさんにも花束をもらって、きっちり取材も受けて、仕上げにトロフィーと賞状を寮の部屋に持ち帰った。間違いなく、あたしは勝った。夢にまで見たGⅠウマ娘に、確かになった。……そのはずなのに。
「ルピナスちゃん、もしかして、あんまり嬉しくない?」
気づくと、ボンの顔から笑みが消えていた。
「そんなことない、嬉しいよ。すっごく嬉しい」
あわてて首を横に振る。困るなあ、さっきまで能天気なファン代表みたいな顔をしていたくせに、急に鋭いトレーナー助手になっちゃうんだから。
「でもね、ボン。あたし……」
隠し事なんか、できるはずもない。
「本当に、全然分かんないんだ。何であたしが勝てたのか。ううん、本当に勝ったのかすら、よく分からない。聞いてて意味不明かもしれないけどさ。あたしもこんなの初めてだから、うまく説明できないや」
無理やりたとえて言うなら、本当は別の誰かが勝ったのに、寝ている間にあたしが勝ったことになっていた……みたいな。どうもこの間のレース中からずっと、おかしい。あれほど勝ちたかったのに、思いつめすぎて調子をおかしくするくらい、勝利への渇望は強かったのに、いざ勝ってみるとそれに見合った反応ができない。ホープはともかく、メリッサやクレセントが聞いたら、何言ってんだと怒りだすかもしれない。
そういえば、その二人とはまだちゃんと顔を合わせていない。メリッサはもうすぐ始まるオークスに向けて、チームの後輩の面倒を見るのに忙しいみたいだし、クレセントはリハビリセンターに通い詰めだ。一か月後に始まる夏合宿に向けて、万全な身体を作っておきたいと張り切っている。今週末プルートの仲間で開くことになっている、あたしとホープの祝勝会までは部室にも顔を出すつもりはないらしい。
「嬉しいんだよ。ほんとに。勝てたこと自体は本当に嬉しいの。だけど、なんか自分でもびっくりするくらい、全然テンションが上がらないんだ」
メリッサもクレセントも、勝ったその日のうちにお祝いのメッセージをくれた。もちろんお礼はスタンプ連打なんかじゃなく、きちんと言葉で返したけれど、今思うとありきたりな中身の無い返事になっちゃったな、と思う。自分でも理解できていないこの感覚をうまく言語化できるはずもないんだから、仕方ないんだけど。
「ごめん。もっと分かりやすく喜ばなきゃダメだよね。だって、やっと証明できたんだから。ヒト生まれでも勝てるって。GⅠウマ娘にもなれるんだって」
いつかボンは、あたしに言ってくれた。あたしはいつか、GⅠを勝てるくらい強くなるって。その時は、励ましや慰めのためにヨイショしてくれたんだと思っていたけど、今なら分かる。ボンは、いつだってあたしに噓をつかなかった。いつも本気で、あたしは強くてカッコいいウマ娘になれると言ってくれていた。そんなボンの前で、こんな腑抜けた態度でしか勝利を受け止められないなんて、悪い気がする。
けれどもボンは、クスクスと笑みをこぼして言った。
「無理に嬉しそうに振舞おうなんて思わなくていいよ。ルピナスちゃんの気持ちは、ルピナスちゃんだけのものだもん。感じ方も、喜び方も、そのままで」
「そう……かな」
「そうだよ! 私にはルピナスちゃんの感じ方を同じようには理解できない。ルピナスちゃんだって、私の考え方や感じ方は分からないこともあるでしょ。でも、だからダメなんじゃないし、悪いことでもない。全部が全部そうすればいいってわけでもないけど、時にはそのまま受け入れてあげることも大事だって思うんだ」
……なんか、すごくカッコいいことを言われている気がする。
「——って、これ実は、トレーナーさんの受け売りね」
「ああ、言いそう」
えへへと笑って片目を閉じるその仕草に、あたしのよく知っているクラウンセボンが見えてホッとした。
「だから、ルピナスちゃんが喜びたいように喜んだらいいと思うよ。変に気兼ねなんかしないで」
そうだよね。あたし自身が思ってたのとは違うけど、これもこれで、悪くない。どうも感動が薄くなっちゃったのは、きっといろんなものに振り回されすぎて、余裕が無かったせい。レースの前から、走っている最中もずっと、そうだったもんね。それが物足りないなって思うなら、もう一度、今度は思いっきり喜べるように勝てばいい。
その時扉が開いて、トレーナーが入ってきた。手に、何やら水色の封筒が握られている。
「ああ、ルピナスいたんだ」
「うん。……どうしたの、それ。また取材の申し込みか何か?」
ファンレターの類なら、チェック済みと書かれた箱で持ってくるのがいつものパターンだ。単独で一通持ってくるなんて、他とは違う特別な何かだろうと考えるのは自然なことだった。
「ううん、取材じゃない。だけど、あなた宛てってのは当たりかな」
「どういうこと?」
「読んでごらん」
そっと手渡されたそれは、よく熱心なファンが送ってくれる綺麗でかわいい封筒に入ったファンレターによく似ていた。
「え、これって……」
「懐かしい相手なんじゃない?」
ただのファンレターと違うのは、差出人の名に見覚えがあるということ。
「……確かに。懐かしいね」
それは、あたしが小学校の時、同じクラスにいたウマ娘の子からの手紙だった。GⅠ勝利おめでとう、約束を守ってくれてありがとう、と、細く整った文字で書かれている。
「約束って……」
手紙の文章からすると、小学校の卒業の日、あたしはその子に約束をしたらしい。絶対にGⅠウマ娘になって、ライブのセンターを取る、と。
「ほんとに言ったのかな、こんなこと」
どんだけ自信家だったんだ、小学生のあたしは。たしかにいろんな子供向けのレース大会で勝ってノリノリだった時期はあるけど、そのあとスクールに入れてもらえなかったり、挫折を繰り返したりして、卒業するころにはすっかり伸びた鼻を折られまくっていた記憶しかない。そんな時期に、母さん以外の相手にここまで大胆な宣言をしていたなんて、ちょっと驚き。
「だとしたらサイテーだな、あたし」
相手はお手紙までくれるほど大事に覚えてくれていたのに、あたしは今の今まですっかり忘れていた。
「あはは、まあ、そんなもんだよ。私も子供のころは勢いで結構攻めたこと言ってたらしいけど、自分じゃ全然そんなの覚えてないし」
トレーナーは軽い調子で笑ってくれた。叱ってくれない分、罪悪感が強くなる。
「ボン」
「なあに?」
決めた。やっぱりもう一度、やり直さなきゃ。
「今度勝つときは、ちゃんと、ちゃんと勝つから」
次こそちゃんとGⅠの重さをきちんと感じて、上の空になんか逃げないで、勝ちたい。
「あー、なんか悔しくなってきた! こんなはずじゃなかったのに!」
我ながら、超贅沢なことを言っているのは理解している。だけどこんなんじゃ、応援してくれるみんなはもちろん、あたし自身も満足できやしない。こんな自覚も覚悟も仕上がって無いポンコツのままじゃ、終われない。
「トレーナー、あたし走ってくる!」
「ダメ。レースが終わったばかりでしょう。来週までルピナスはダッシュ禁止」
トレーナーはあたしと違ってやっぱり大人で、しっかりしているようだった。