ストレイガールズ   作:嘉月なを

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#72-君も、僕も、変わらない

あれから一か月近く経った。念願のGⅠウマ娘にはなったものの、相変わらず実感は無いし、自分自身が何か大きく変わったとも思わない。けれども周囲の目は確実に変わった。

 

「今日は、今年の上半期のトゥインクル・シリーズを彩ったお二人にスタジオまでお越しいただいております。ホープアンドプレイさん、そして、ルピナストレジャーさんです!」

 

 毎週どころか、毎日のようにテレビやラジオに引っ張りだこ。行く先々で出会う人たちは、誰もかれもキラキラした目であたしたち二人を見つめてくる。その視線からは、かつて感じた「血統のハンデに負けずに頑張っている子」を見下ろすような匂いはもうしない。今ではむしろ、偉い人でも見上げるみたいに遠慮がちな雰囲気が漂っている。

 

「何か、変な感じだよ。ついこないだまでとみんな態度がぜーんぜん違うんだもん」

 

ある日の放課後、珍しくチーム全員がそろった部室の中で、あたしは思わずそんな愚痴をこぼした。いくらチヤホヤされても、全然喜べない。あたしの気持ちなんてそっちのけで、勝手に祭り上げられてしまっているみたいで……なんて。

 

「そういうものですよ。GⅠウマ娘という肩書きは」

 

クレセントはこともなげにそう言った。

 

「誇りに思いなさいな。ルピナスさんは、少々調子に乗っているくらいの時の方がコンディションも良くなりますし」

 

 その言葉でホープが噴き出したのは想定内。だけど、ショコラやボンまで笑っていたのをあたしは見逃さなかった。

 

「ったく、みんなよく分かってくれてるじゃん。ありがたいねえ」

 

 今できる抵抗は、こんな憎まれ口を叩くくらい。

 

「ところでルピナスちゃん、あの話、どうすることにした?」

「ああ、うん」

 

 タイミングよく放り込まれたボンの質問に、あたしは内心感謝しながら答えた。

 

「やめとく」

「そっか……うん、オッケー。トレーナーさんにもそう伝えておくね」

 

 ボンが尋ねてきた「あの話」というのは、今月末に開かれる宝塚記念への出走についてだった。

 

 投票期間中にGⅠを勝って話題を集めたおかげか、宝塚記念の出走権をかけた人気投票で、あたしは合格圏内である7位に食い込んだ。ホープに至っては、カイを上回る2位。上にはもう、現役最強の名を欲しいままにしているフォーミュラ様しかいない。

 

 当然、世間はあたしたち二人のヒト生まれによる仁川での直接対決を望んでいる。近頃はメディアに出るたびに、必ずと言っていいほどその話題を振られる日々だった。

 

 でも——。

 

「正直、身体がもう限界だもん」

「何となくそうかなとは思ってたけど、やっぱり大変なんだね。ヴィクトリアマイルから安田記念に続けて出るっていうのは」

 

 そう。実はあたしは、あのヴィクトリアマイル勝利のあと、中2週で安田記念にも出走していた。この二つのタイトルの連続出走は、ティアラ出身のマイラーウマ娘なら誰もが憧れるローテーションだ。ましてあたしはそのうちの一つ目を勝った。なら、連続出走どころか連続()()がかかる。挑戦しない手は無かった。

 

 メンタルの脆さは自他ともに認めるところだけど、足腰の丈夫さには自信がある。それにちょっとした連戦なら、去年の春先にも経験がある。だからこそ、体力的に厳しい戦いと分かっていながら出走を決めた。

 

 だけど、GⅠの連戦は想像していたよりもずっと過酷なものだった。

 

 出走した安田記念は、ヴィクトリアマイルとは打って変わって極端なハイペース。にもかかわらず先団に陣取った連中は最後まで垂れなかった。化け物じみた瞬発力に、異常なほどの耐久力。前走の疲労も抜けきっていなかったあたしは、後方でついていくだけで一杯一杯。結果、キャリアで一番のぼろ負け、9着に終わった。

 

 あたし自身、ホープと戦ってみたい、宝塚記念に出たい、という思いが無いわけじゃない。いつか二人の適性距離の中間で勝負しよう、と約束したのはほんの一年半前。さすがにこっちは忘れていない。でも、今の状況ではどう考えても無理だ。上半期だけで三つのGⅠを戦い抜くだけの力は、あたしにはまだ備わっていないらしい。トレーナーがあたしの体は未完成だと見立てたとおりだ。悔しいけど、仕方ない。

 

「実際、強度の高いレースに続けて出るのって、大変だよね」

 

 ソファの一番端で肩を小さくして座っているチームメイトに向かって、あたしは同意を求めるようにそう呼びかけた。

 

「ねえ、テンダー」

「う、うん」

 

 今回宝塚記念をスキップすることにしたのは、あたしだけじゃなかった。春先に日経新春杯を勝ち、ついこの間も目黒記念で、勝てはしなかったものの掲示板に入る激走を見せたテンダーライト。ここで稼いだおかげで、テンダーの成績ポイントは、出走登録さえすれば宝塚記念にも出られるだろうというところまで伸びた。でも、やっぱり彼女も反動が激しく、トレーナー判断で出走は断念。秋のGⅠシーズンまで大舞台はお預けになった。

 

「足の疲労はどう?」

「……大分、良くなったよ。レースが終わってから一週間は、ほとんど走らないようにしてたから」

 

 答えながらテンダーは、唇をきゅっと引き締めるような表情で微笑んだ。以前トレーナーも心配していたけど、やっぱり逃げ戦法で戦い続けるのはかなりタフなものらしい。テンダーが出走したのはGⅡ競走だったけど、レース後は安田に出た後のあたしよりも疲弊していたように見えた。あたしたちみたいにGⅠレースへ出てみたいと言っていただけに、せっかく得られた権利を手放す決断は相当悔しかったはずだ。

 

「じゃあ、ホープ先輩だけなんですね。宝塚は」

 

 タブレットで今日のトレーニングデータを見返していたショコラが顔を上げて、寂しそうに言った。

 

「あー……そのことなんだけどさ」

「ボク出ないよ」

 

 言い出しにくい訂正を口ごもっている間に、ホープの短い返事が割り込んできた。

 

「ええっ、ホープ先輩も? それじゃあ、チーム〈プルート〉は全員、宝塚記念を回避するってことですか?」

 

 寂しそうどころか、ちょっぴり怒ったようなショコラのリアクションに、あたしは苦笑いしながら頷くしかなかった。

 

 まあ、これが正しい反応だよね、とは思う。実際あたしが選手じゃなくただのファンだったら、何だこのやる気のないチームはと思ったに違いない。実を言うと、ファン人気投票ではリハビリ中のクレセントも上位に入っていた。つまりチーム〈プルート〉は何とびっくり、あたしとホープ、テンダーとクレセント、四人もの選手が宝塚記念への出走権を持っていたことになる。それを全部放棄して一人も出ませんというのだから、がっかりされても仕方ない。

 

「負けても文句言わないなら、出てもいいけど」

「何言ってんの」

 

ホープのくだらない軽口は、エスカレートする前に叩き潰すに限る。

 

「次そんなこと言ったら、蹴っ飛ばすからね」

「怖いな。GⅠウマ娘になって、気性が荒くなったかな」

「確かめてみる?」

 

 ヒートアップしかけたあたしの手綱を握ってくれたのは、やっぱり一番の親友だった。

 

「どうどう! ルピナスちゃんそこまで!」

「ボン……」

「ホープちゃんも、それ以上からかわないの!」

「はいはい」

 

 いや、親友と言うよりこれは、子供のケンカの仲裁をしてくれるお母さんか。

 

「ムキになるルピナスちゃんが可愛いのは、すごーく分かるけどね!」

「おいこら」

 

 すぐ調子に乗るのは、どうやらあたしだけじゃないらしい。

 

 

 ほかよりも一週間早い店じまいとなった、チーム〈プルート〉の春シーズン。それは同時に、ある一つの別れがやってくることを意味していた。

 

「じゃ、今日が最後になります。お二人とも本当に、お疲れさまでした」

 

夏の暑さと湿気が流れ込み始めた部室に、噛みしめるように唱えられたその言葉がじわりと染み込んでいく。約四か月にわたる長期取材を終えた番組ディレクターとカメラマンたちが、最後の挨拶にやってきていた。

 

「長い間ありがとうございました。いろいろ配慮してくださったので、あたしたちもすごくやりやすかったです」

「いえいえそんな。僕らのこそ感謝しかないですよ。いろいろ勉強させてもらいましたし、最後には、最高の画ももらいましたし」

 

 一抱えほどもある大きな三脚を軽く持ち上げて、番組ディレクターの彼はしみじみと言った。

 

「何というか、今までいろんなアスリートを取材してきましたけど、こんなに熱い気持ちになったのは初めてでしたよ」

「はは、じゃあこの後も是非、応援よろしくお願いします」

「もちろんですよ。お二人がさらに活躍してくだされば、また別の取材としてお邪魔できますから」

 

 多分どこの取材先にも同じようなことを言ってるんだろうけど、あえて指摘はしなかった。

 きちんと言葉で挨拶を交わすあたしとは違って、ホープは上目遣いに相手をちらちら見るだけで、相変わらずろくに言葉を発さない。それでいい、と向こうも分かっているようで、小さく「ね」と呼び掛けて、一人勝手に満足げな笑みを浮かべていた。

 

「では正門までご案内しますよ」

 

 そう言ってトレーナーがテレビマンたちを連れ出すと、部室に残ったのはあたしとホープ、二人だけ。ほかのチームメンバーはみんな前日のうちに挨拶を済ませていたから、今日は各々オフやらリハビリやら、自由に過ごしている。

たった二人の部室は、怖いくらい静かだった。少し、懐かしい気がするくらい。チームが始動し始めたばかりのころ、ボンがちょっと席を外した時なんかはよくこんな風に、ホープと二人きりでぼうっとしていたこともあったっけ。あの時と同じように、無口なホープには何と話しかけていいのか分からない。だけど案外、居心地は悪くなかった。

 

 ただでさえ雑音の多かったあたしたちの周りは、ここ半年の間、良いことも悪いことも山ほどあって、ますます騒がしくなっていた。物音一つしないよりは多少賑やかな方が好きなあたしだけど、さすがにうんざりするくらいに。密着取材の彼らは決して耳障りな不協和音ではなかったけれど、彼らがいなくなったおかげで、ある意味あたしたちは元の姿をほんの僅かだけでも取り戻せたのかもしれない。

 

「終わっちゃったね」

 

 寂しさもある一方、どこかホッとしている自分がいた。

 

「ああ」

 

 多分それが伝わったんだと思う。短いけれどホープは優しく返事をしてくれた。

 

「放送、楽しみだね」

「別に」

 

 つれないヤツ。

 

「そういえばさ、秋はどうするの?」

「どうするって」

「天皇賞、出るの?」

「ああ……」

 

 宝塚は無理だった。でもあたしは、直接対決そのものを諦めたわけじゃない。

 

「あたし、2000くらいならなんとか頑張るよ」

「公式戦、出たこともないクセに?」

「アンタもだろーが」

 

 ホープは小さく肩をすくめて、スチール製の机に頬杖をついた。

 

「勝てる見込みが無いなら、出ないよ。有マなら、考えないでもないけどさ」

「……そっか」

 

 返事の内容自体は残念だったけれど、正論が聞けて嬉しくもあった。言い方はぶっきらぼうでも、冷静で冷徹な正論を返してくれるのが、本来のホープだったから。

 

「そんな顔すんなよ」

 

 呆れたように笑うホープは、それから意外なことを口にした。

 

「キミが言ったんじゃないか。ボクらの実力が完成するまでには時間がかかるって」

「え?」

「だから、焦るなよ」

「……それ言ったの、トレーナーじゃない?」

 

 間違ってるとは言わないし、実際つい最近それを思い知らされたばかりだけど、あたしが自分でそんなことを言った覚えはない。できれば認めたくない事実だもの。

 

 けれどもホープは間違いないとでも言いたげに真剣な顔で首を横に振った。

 

「いやキミだよ」

「いつ言った?」

「桜花賞の帰り」

「そんな前のこと?」

「今年のだよ」

 

 本気で忘れたのか、と眉をひそめたホープは、次の瞬間わざとらしく唇を尖らせて、甲高い声色を出した。

 

「言ったろ。“あたし、もっと強くなれると思うんだぁ。でも、すぐには無理。本格化も遅かったしぃ、実力が完成するまでには、他の子よりも時間がかかるもん”って」

「あっ」

 

 一気に記憶がよみがえる。そうだ、思い出した。ショコラが桜花賞で敗れ、やっぱりレースは血統で決まるのかと落ち込んだ気持ちを奮い立たせるために、ボンと自分自身に言い聞かせた言葉だ。

 

「……あたし、そんなバカっぽい言い方してない!」

「思い出したか」

「アンタ性格悪いよ」

「今更だろ」

 

 ポタン、と大きな音が鳴った。大きな雨粒が、プレハブの部室の屋根を叩く音。どうやら雨が降り始めたらしい。

 

「忘れんなよ。自分で言ったことくらい」

「……悪かったね、バカで」

 

 顎を突き出すあたしの顔がおかしかったのか、ホープは口の周りをもごもごさせながら、ぷいと横を向いてしまった。

 

「……とにかく、時間はたっぷりあるんだ」

 

 その横顔が、何故か、泣いているようにも見えた。

 

「ボクらは同じ、ヒト生まれなんだから」

 

 降り始めた雨の音は次第に強さを増して、トレーナーが戻ってくる頃にはすっかり本降りの様相になっていた。

 

  ○

 

「ルピナスてめぇーっ! 逃げやがってコラァ!!」

 

 あたしたちのクラスへそいつが殴り込みをかけてきたのは、宝塚記念も終わって、いよいよ一週間後には期末試験、そしてその後は夏合宿が始まるという月曜日の昼休みだった。

 

「メリッサ! もう帰って来たの? 早かったね」

 

 確か彼女は前日の宝塚記念に出走し、ティアラ勢の中では最高の二着に入ったばかり。疲れているだろうに、たった一日でもう阪神から戻って来たなんて。そんなことを考えていると、メリッサは頭との間にピアスが挟まるほどキツく耳を絞って、不機嫌そうに尻尾を振り回しながらあたしの席までやって来た。

 

 やばい、と思ったときにはもう遅かった。グワシと頭をホールドされ、こめかみにこぶしをぐりぐり押し付けられる。こんな時助けてくれるはずのボンはちょうど購買へ買い出しに行っている最中で、あたしは成すすべなくされるがままになった。

 

「早かったねじゃねェ! ええおい、勝ち逃げは許さねーって言ったろーが! あークソ、マージで関西嫌いだわ! 京都も! 阪神も! 二着だの三着だのばっかりッ!!」

「ちょ、後の方あたし関係な、ちょちょ、やめやめ、痛い痛い!」

 

 あたしが直前になって宝塚を回避した腹いせと、ここのところ善戦しながらなかなかタイトルに恵まれない自身の苛立ちが加わってか、メリッサの腕の力は強かった。おまけに指に嵌められた金属製のアクセサリーが威力を増幅させていて、地味に、いや大分派手に痛い。

 

「ごめん、ごめんって!」

 

 いろいろ言いたいことはあるけれど、とりあえず攻撃をやめてもらうために平謝りするしかなかった。

 

「ッたく、何なんだあんたは。いきなり出てきて桜花賞二着に入るわ、そのくせ途中でティアラ路線抜けるわ、舐めプで重賞取っちまうわ、混合戦のGⅠで苦戦したかと思ったらモモとトン吉ぶっ倒してあっさり勝っちまうわ、かと思ったら次でタコ負けするわ、そんでもって宝塚フケるわ!」

「よく喋るね」

 

 言いながらなんとかヘッドロックから逃れたあたしは、息も絶え絶えにそう返すのが精一杯だった。一方のメリッサはというと、あれだけの長いセリフをほとんど息継ぎもせずまくし立てていたのに息一つ乱れていない。さすがはオークス女王ってとこだろうか。

 

「なあルピナス、忘れてるかもしンねーけど、もうアタシたち、一年以上同じレースに出てないんだよ? 言ったろ? 次はアタシの距離でやろうって。グランプリなんて最高の舞台でそれが叶いそうだったってのに、肝心のあんたが出てこねーんじゃ意味無いじゃねーか!」

「それはホント、ごめん」

 

 出られるもんなら出たかったよ。……なんて話は、当然メリッサだって分かっているはず。ホープとの約束とはまた別に、同期たちとの勝負はあたしにとっても特別だ。特に、ティアラ組のリーダーポジションを引き受けてくれているメリッサには感謝もしているし、そのライバル心にも応えたい。

 

「……一つ確認だけど、身体は問題ないのか?」

「大丈夫。怪我はしてない。疲れちゃっただけ」

 

 さっきのヘッドロックで怪我するかと思ったぞ、とは言わないでおいた。

 

「ならよかった。ホント言うと、あんたが回避したって聞いて、それが一番心配だったんだよ。クレセントやモモの件もあるしさ」

 

 さっきまでの様子はどこへやら、メリッサはホッと息をついてあたしの肩をポンと小突いた。

 

「そんで、どうすんだ、秋は」

「秋……ね。できれば出たいって思ってるけど」

「天皇賞?」

「うん」

「その後は? エリ女はパスでマイルCSか?」

「た、多分」

 

 まだそこまでは考えてないけど、おそらくそうなるはずだ。青いカラコンの瞳が、頭の中まで見通そうとするみたいにギラギラとまっすぐあたしの顔を見つめている。

 

「よし! なら、あたしも次走は秋天だ。ひょっとしてあれだろ。クレセントもそこで復帰のつもりなんじゃねーか?」

「あー……どうだろ。そうなるといいなって感じかな」

「そこの白いのは?」

 

 メリッサがチラッと視線を飛ばした先では、ホープが退屈そうな顔であくびをしていた。

 

「出ないって」

「そうか。ま、仕方ないな」

「ちょっと、あたしと随分反応違うじゃん!」

「アタシ、アイツと因縁無いし」

 

 まったく勝手な話だ。悪い気はしないけど。

 

「……そういえば、秋天に出るとなると、アイツも来るのかな」

 

 ふとそんなことを思って、あたしは教室の一番端の窓際の席を見た。そこは、ちょうど昨日、メリッサの宝塚記念制覇を阻んだクラシック二冠ウマ娘の席だ。急いで帰って来たメリッサとは違って、本人は今ごろのんびり移動のチャーター便か何かに乗っている頃だろうけど。

 

「いや、フォーミュラは来ないよ」

「え、何で?」

 

 驚いた。条件的にも、タイトルの大きさ的にも、間違いなく狙ってくると思っていたのに。

 

 メリッサは少し不満げにため息をついて、尖らせ気味に口を開いた。

 

「だってアイツは——」

「ルピナスちゃーん! 買ってきたよー!」

「ああボン、ありがとう」

「あれ、メリッサさん? もう帰って来たんだ! 早いねー!」

 

 ちょうどそこへ購買から戻って来たボンの声にかき消されて、メリッサの言葉がよく聞こえなかった。

 

「……ごめんメリッサ、なんて? もう一回言って」

「だから、アイツは……」

 

 耳を動かしてチャラチャラとピアスを小さく鳴らしたメリッサは、次の瞬間何を思ったか伸びをして、あたしの耳に口を寄せてきた。

 

 そして、そっと続きを口にした。

 

「フランスへ行くからさ」

「えっ!?」

 

 その場で飛び上がりそうになったあたしに、メリッサはもう一度念を押すように言った。

 

「行くんだよ。フランスに。……凱旋門賞に」

 

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