みささまが見てくれているということが力になります。
では。
カゲロウという虫がいる。
小さく、弱い虫だ。
儚さの象徴として使われることもある。
エレノアはその扱いが、あまり好きではなかった。
◆
『──カゲロウ?』
『そう、カゲロウ。この虫の名前だね』
たまたま捕まえた小さな虫をエレノアは手のひらに乗せて見せた。彼はそれをまじまじと見つめると、微妙な顔でエレノアを見つめた。
『……そいつぁ食ってもあんま腹の足しにならねぇと思うが』
『ねぇ、私のことなんだと思ってる?』
あんまりな彼のもの言いに低い声を出す。そうすればすぐに『悪い、悪い。謝るから睨むなよ』と気の抜けた返答が返ってきた。
『別に睨んでないんけど』
あっけらかんとした態度にエレノアも毒気が抜かれてしまう。もとよりそこまで怒ってはいなかった。
『で、そいつがどうかしたのかよ』
『なんだかなぁ……まぁ、いいや。この虫ね、面白い特徴を持ってるんだよ、分かる?』
『んなもん知らねぇよ。勿体ぶんな』
『あー、もう。ほら、わかんない問題にも予測を立てて考えることは大事なんだってば!』
『分かった、分かったから叩くなって……。うーん、なんだ? 分裂するとかか?』
頭をかきながら、自信なさげに彼がそう言う。するとエレノアは満面の笑みを浮かべ──
『ぶー、残念! 正解はね、成虫になると口が無くなるんだよ』
楽しそうに不正解を告げた。彼の眉間には再び皺が寄った。
『はぁ? なんだ、それ。飯が食えねぇじゃねぇか』
『そう、食べない。成虫になった後はつがいを見つけて、子孫をなして死んでゆく。幼虫は一年くらいあるのに、大人の成虫になったら1日、もしくは数時間で生を終えちゃう。──なんとも儚い虫だって言われてるよ』
『そうか? 俺は随分と力強いヤツだと思うが』
幾分か虚をついた返答に『へぇ、何でまた?』とエレノアは面白がって尋ねた。
『だって、こんな小せぇなりで“次“に繋げようと、形を残そうとしてるんだろ? 一度の飯も食わねぇで。そいつは、随分と力強いと思う』
『……な、なかなか深い事を言うじゃん。──ラスティの癖に』
『ああ!? なんだラスティの癖にって!? そんな事言ったら手前ぇこそエレノアの癖に一丁前に『儚い』とか語ってんじゃねぇーよ!』
『ちょっと! なんで私が儚いとか言ったらそんなんなるわけー!? 私をリーダーって呼ぶならもっとちゃんと敬ってよ!』
『んなもんテメェの柄じゃねぇーだろ!』
結局、虫についての豆知識を教えていい感じに終わろうというエレノアの試みは、いつもの言い争いに帰着し失敗に終わった。
『カゲロウ』
弱々しく、すぐに死んでしまう儚さの象徴とされる虫。
『かげろうの命』のように使われている言葉や表現にも現れる、悲しいまでの儚さ。
なんとなくエレノアはこのカゲロウが儚いという風潮が嫌いだった。揃いも揃って『なんて可哀想に』と言われている事に鳥肌が立つ思いすらした。人々が、勝手にこの虫を憐んでいることが気に食わなかった。
だからこそラスティが、カゲロウは強い虫と肯定したことに気分の良いものを覚えたのだろう。
エレノアの大切な、いつまでも光を放つ記憶である。
◆
「ゴホッ……、がぼっ」
咳と共に地面にびちゃびちゃと、生ぬるい赤色が広がった。
「ふーっ、ふっー……」
肩口で乱暴に口をぬぐって、壁に手をつきながら歩き始める。
エレノアはロドスから逃走した後、鎚を無くしたことにすら気づかずに建物の壁を伝って歩き続けていた。鎚はもしかするとロドスが回収しているかもしれないが、エレノアには知るよしもない事だった。
足元に広がる瓦礫は、ひとたび足を取られたものならすぐさま転倒してしまうだろう。加えて悪いことにもう起き上がるだけの体力はエレノアには残っていない。
それでもひたすらに歩き続けた。タルラが居る場所へと。今回の行動の真意を問いただして、ダメそうなら一発ぶん殴ってやるつもりで。
だが、それも達成できるか怪しくなってきた。
先ほどから頭はちかちかと絶え間なく赤い危険信号を放っているし、股関節のあたりが体温を失ってがくがくと震える。口もひどく出血しているせいで、息を吸い込むたびに粘度の高い血が喉に張り付く。そのせいで呼吸がしづらい。
──流石にアーツを自分の顎に展開するのはやり過ぎだったか。
(今更言ったところで……)
そうしてまた足を一歩踏み出す。牛歩のような一歩だが、確かに前に進んでいるという事実がエレノアの心を支えていた。
また一歩。加えて一歩。慎重に、真剣に。意識を集中して──
「あっ」
次に踏み出した一歩が、ずるりと地面を滑った。
体は重力に引かれ、地面に近づいてゆく。それを止めてくれるものは無く──地面に倒れ伏した。
幸いなのかどうなのか、地面に激突する衝撃は不思議と感じなかった。頬を足のざらついた肌触りが撫ぜる。
転倒の原因は、流した自分の血だった。
戦場で自分の切った相手の血に足を滑らせ、死ぬヤツが居る。
間抜けな死に様に聞こえるかもしれないが、戦いの場では十分起こりうる死因だった。そして戦闘中はエレノアも気をつけていた事だった。
(は、はは……。まさか戦場の外で、それも自分の血で滑って転ぶとは)
なんとも間抜けで、笑ってしまうような有り様だ。
あまりに無様で自分に相応しいとも言える。
既に身体は神経系の命令を無視しだしている。どんなに強く念じたところで、意志の力だけで体は動いてくれない。腕は筋繊維が断裂しているのか上がらず、脚は痺れて動かない。視界の端からだんだんと暗くなってきている。この後のエレノアに待つのはどうしようも無い“現実“だろう。強い気持ちだけでいきなり身体は治ったりはしないのだ。おそらくここが彼女の終着、自分ではもはやひっくり返せない詰みの盤上。
こりゃもうだめだ、とエレノアは残った力で諦めの苦笑いを浮かべ──無い。
口を真一文に引き結んで、目の前の瓦礫を睨みつけた。
──諦めるなんて、くそくらえだ。
私の最期を、終わり方を知ったのならば心優しい人は憐んでくれるだろう。悲しんでくれるだろう。なんて可哀想にと涙を流してくれるかも知れない。
だが、そんなものはゴメンだ。可哀想だなんて思われるだけで怖気がする。こんなにもみんな、必死で生きているのに。明日も見えない中で戦っているのに。それを上から勝手に『可哀想なもの』と決められることがエレノアには我慢ならなかった。
だからもし。世界が私に死ねというならば。そういう結果を私に用意しているならば。唾棄してやる。唾を吐きかけてやる。そんでもって土をかけて、深いところに埋めてやる。やすやすと死んでやるものか。
だって
ぼうっとする頭をぐるぐると回す、回す、回す。
状況を考え、手札を整理し、展開を探る。
今までの状況、周りの状態。ギリギリ自分が出来る僅かなこと。
それらを必死に組合せ、組み替え打開を図る。死地を脱しようと試みる。
そして諦めの悪い頭はついにひとつ道をしめした。
(まだ──。まだ、居てくれるかもしれない)
余計な部位は動かさなくていい。指先が僅かに動けばそれでいい。どうにか余力をかき集めて空中にアーツを展開する。
狙いは空。高すぎなくても良いから、わかりやすい場所。そして小さなアーツが展開された。
次の瞬間、最後のアーツはばちん、と気の抜けた音が響かせ、かき消えた。後には何も残らなかった。
だが、それでいい。
エレノアが狙ったのは“音“であるからこそ。
きっと自分をここまで送り届けてくれた男はまだ、この街に居るだろうから。あんなにも自分を心配してくれたお人好しの男だから。きっと探してくれているだろうから。
エレノアはそれに賭けた。
「ハアッ、ハアッ……み、見つけた!」
その賭けにエレノアは見事勝ったのだろう。暗い道の先には、息を切らした男が一人立っていた。
◆
X:00 p.m. 晴天
チェルノボーグ 広場
「なぜ奴らを見逃した」
フロストノヴァが硬い調子で尋ねる。
広場の中央には焼け焦げて溶けた石材が趣味の悪いオブジェを作り出していた。タルラはそんな中に立っていた。
「答えろ、なぜ…………その足元のモノは何だ?」
「奴らが投げて寄越した物だ。なんの機能も無い鉄の塊だった」
訝しげなフロストノヴァの疑問にそれだけ答えると、タルラは他に見向きもせず歩き出した。その視線は空に向けられており、表情は伺えなかった。
それを黙って見届けた後、フロストノヴァは残熱に顔を顰めながら先程までタルラが立っていた場所に向かう。広場にはまだ鉄の何かが残されていた。
「……これは」
そこで驚きに目を見張る。
タルラがぞんざいとも言える態度で扱っていたモノは唯の鉄塊ではなく──武器であった。鉄の鎚であった。ヘッドが小さく柄が奇妙なほどに長い、表面には無数の傷と抉れた跡と、時間の経過で錆びた血液がこびりついている。
フロストノヴァはこれをよく知っている。これの持ち主を知っている。
あの底抜けに明るく、止めろと言っても聞かない能天気な
持ち上げてみると、鎚は周囲の惨状の割に不思議なほど熱くなかった。掴んだ持ち手の上に僅かに傷が入っていて、それが懐かしい記憶を呼び起こさせる。昔、手合わせと言って熱中しすぎたことがあった。この傷はその時にフロストノヴァが付けてしまったものだった。そのことに彼女は随分と怒っていたことを覚えている。
レユニオンの幹部は目を細める。そうしてすぐさま踵を返すと瓦礫の奥へ消えていった。
「……お前は一体、何処に居るんだ」
◆
ぼんやりと漂っているような。ゆれているような。
そんな感覚は意識が明瞭になるにつれ苦痛をともなって明瞭になっていった。
口の中に何かある。
手を入れて
焦ったいので一息に引き抜いた。
「──っ」
痛かった。瘡蓋を無理に剥がした時のような痛みが頭に伝わってきた。
上体を起こして見てみれば、成る程。口に詰まっていたものは止血用の布だったらしい。いまは血が固まって赤黒いような、茶色いような、錆びた色合いをしていた。ざらざらとしていたのは固まった血によるものだった。
ぐるりと部屋を見渡せば、木組の小さな一室のようで窓からは月が覗いていた。自分が寝ていたベットの脇に腰ほどの高さのキャビネットがあり、水の入ったコップが静かに置かれている。
──声が聞こえた。
『よう、リーダー。ようやくお目覚めかい?』
思わず部屋の隅に視線を走らせる。当然ならがそこにはがらんとした空間が広がっているだけだった。
『ははは! 随分寝坊だなぁ。だがまぁうん。おはよう、リーダー』
「お……」
声に出しかけて、頭を振った。今聞こえているのは寝起きだから現れた幻だ。いくら手を伸ばしたところでそこには何も無い。
そう思った途端やけに喉が渇いてきた。水を飲もうと手を伸ばしたその下、コップを重しにしてメモ書きが挟まっていた。
ちょうどベットから降りずとも手の届く位置だったので、水を溢さないようにコップを退けてメモ書きを手に取る。そこには所々インクが滲んでいるものの、読み取れるウルサス語でこう綴られていた。
『チェルノボーグ陥落』と。
◆
エレノアは膝を立てて、手を組んで思考に耽る。
なぜレユニオンはチェルノボーグを落としたのか。
ウルサス帝国ほどの絶大な“力“に反抗しても、勝ち目が無いことは分かっていた。最初の障害を退けて勝利を掴んでも、第二第三の障害が立ち塞がり、それは前のものよりも大きくなってゆくだろう。いずれは倒れ潰される。
──そうして獣の如く街を襲った感染者の立場は更に下がる。
最早無くなると言っても良い。言い切ってやろう。
それが分からないタルラでは無いはずだ。では何故?
そもそもどうしてチェルノボーグほどの都市を落とせた?
いや、確かに
考えれば考える程おかしな点が浮かび上がってくる。
まるで最初からチェルノボーグを明け渡そうとしたかのような──
「──は」
思わず声が漏れた。思考のピースがかちりとハマる気がした。
仮にチェルノボーグ陥落が相手の、それもウルサス帝国の想定通りだとしたら。そんな思考の果てに一つの絵が完成した。吐き気を催すような絵が。
エレノアは歴史を知っている。
断片的な、思い出した記憶の中にそれはいくつも入っていた。
強い力を持った者たちの話をしよう。
彼らはその力で辺りを平定、覇を唱えた。力があれば正義だったから。
そこである時その中に叛意を持つ者たちが現れた。規模は小さいかもしれないが駆除をすれば周囲から非難されるかもしれない。でも放置はしたくない。だったらどうするか。
──駆除をされて当然の存在にすればいい。
エサをぶら下げて、それを取るための武器を与えて。そうして尻を叩く。
『さあ! 目の前にエサがあるぞ! その武器で取ってみろ!』と。
そして、駆除する。文句は出ないだろう。なぜなら先に噛み付いてきたのはあちらなのだから。害をなすのだから、渋々、残念ながら、気は進まないが、そんな事を言いながら手早く駆除をする。
当然、違う箇所もいくつかあるだろう。全く同じ状況などありえない。
だが、今回駆除されるべきは──私達。レユニオンだ。
そうなってしまった。
室内を冷たい月の光が柔らかに照らす。
その光に照らされエレノアは静かに目を閉じた。瞼の裏にはいくつもの景色が浮かんでは消えていった。
真面目くさった顔で“理想“を語ったタルラ。
冷たい態度を取りながら、隠しきれない優しい苦笑いを浮かべるフロストノヴァ。
笑顔でこちらに駆け寄ってくるメフィスト。それに呆れつつもこっちに来てくれるファウスト。
クラウンスレイヤーが、パトリオットが。スノーデビル達が、レユニオンの構成員達が。そしてアリーナやエレノアのかつての家族達が。
みんなが居る、寒くても暖かな家だった。行き場を失った感染者達の家だった。
それが便利な道具のように使われた。
使い捨てのエフェメラのように、捨てられる。
規律も何も無い、単たる
エレノアはゆっくり目を開けた。
「ふざけるなよ。みんなが目指した理想を。斃れていった者達が残していってくれた希望を。願った未来を」
──塵のように扱うなよ。
ぎり、と歯を食いしばった。この満身創痍の身に時間がどれだけ残されているか分からない。
なら私が繋ごう、みんなが夢見た未来を。
守ってみせよう、感染者の家を。
私は人だ。人であるからこそ──
──私はカゲロウになろう。
連綿と続く弱肉強食の世界で、今の今まで種を繋いできたカゲロウに。刹那の時間に、命を賭して未来を繋げてきた力強いカゲロウに。
◆
シャイニングはタオルと水鉢を持って廊下を歩いていた。
そろそろ彼女が目覚めるだろうと、予測してのものだった。突然、顔色を変えた男が飛び込んできて、彼女を手渡してきた時には大いに驚いた。蒼く伸びた髪がまだら模様になるほど出血が酷かったのだ。もしあの場にシャイニングとナイチンゲールが揃っていなかったら助からなかっただろう。そうであってもよく命を繋いでいたものだと感心した。
「おや」
軋む扉を開けて部屋に入ると、彼女の姿はなかった。
空いた窓から夜の冷たい空気が入り込んで、カーテンを揺らしている。足を踏み入れると、静かな部屋は床板の軋む音がよく聞こえた。
寝ていた者がいなくなったベッドに触れると、わずかに暖かい。ちょうど背中にあたる位置は、一番酷い怪我だった為か滲んだ血がシーツを少しばかり赤色に染めていた。
そうして目線を上げると、枕元にメモが置いてあることに気がついた。
読み終わるとシャイニングはそれを丁寧にポケットに入れた。手に持った桶をキャビネットに置こうとすれば、コップの横に存在を主張している細長い鍵があった。
手に取って見てみると、側面には細かく数字と文字が刻印されている。恐らくこれがメモにあった座標なのだろう。
もう一度窓に目をやる。窓の外には月と、どこまでも続く夜が覗いているのみだった。
「行ってしまわれたのですか」
シャイニングは静かに独り言ちた。その呟きは、風になって夜の闇に消えていった。
◆
➡︎『あなたが来るまでのカウントダウン』 終
next 『そして彼女のフィナーレへ』
今回の章はこれにて一区切りです。
あと数話、もしくはもう少しでエンディングにたどり着く予定です。
ちなみにエレノアは傷が治った訳ではなく、割と無理して出ていっただけです。多分戻ってきたらシャイニングに怒られます。
ここまで読んでくださったあなたに感謝を。