源王は玉座を譲らない 作:青牛
試合は双方無得点のままハーフタイムを迎えた。
ホワイトラバーズのベンチでは、アツヤを中心として空気が冷え切っていた。
本人は熱くなっているのだが、不思議と彼の放つオーラとでも言うべきものは周囲が凍えてしまうブリザードのような冷たさを孕んでいた。
「くっそー! あいつ必殺技も使わないなんて、バカにしやがって!」
「アツヤ、もう少し落ち着きなよ……」
「わかってるよ!」
「だからわかってないでしょ!」
経験のない大苦戦にフラストレーションが溜まるアツヤは兄にまで噛み付き出す。
士郎にもどうにもできなければ、他のチームメイトには手のつけようがなかった。
「なんか騒いでるなあいつら」
「……これなら俺達でも勝てるんじゃないか?」
「おい、油断は禁物だぞ。あの2人のプレーを見ただろう」
「だが好都合なのは事実だな」
「杉森」
その様をリトルプライドの面々が遠目に眺めている。
落花生を思わせる特徴的な髪型をした少年
そこへ、髪を針のように纏めた刺々しい髪型をしている、獅子王と同じ6年生の
実力から源田に正GKの座を譲った杉森だが、腐らずに持ち前の情報収集・データ分析能力を生かして作戦などを立案することで試合に携わる、チームの頼れる先輩である。
「確かにあの兄弟は飛び抜けているが、他のメンバーの実力はこちらと同じか、あるいはそれ以下。吹雪兄弟のコンビネーションが崩れるのなら、こちらにも付け入る隙はできる」
「なるほど……」
「吹雪アツヤはこれまでのデータからも、熱くなると身体能力に任せた雑なプレーになる傾向があるとわかっている。吹雪士郎も個人として明確な弱点はないが、1人で守るにはフィールドというのは広い。突破は可能だろう」
「杉森先輩、つまり俺達が攻める時は……」
「ああ。吹雪士郎を引き寄せてからのサイドチェンジで攻めていけ。お前達ならボールをゴールに持っていきさえすれば点を取れる」
「はいっ!」
リトルプライドのメンバー達は杉森の指示に納得し、後半に備えてレギュラーが集まり細かい動きを話し合い始める。
彼はそれを見届けると、ベンチの端に座る後輩に歩み寄った。
「お前がそんな顔をしているとは珍しいな、源田」
「杉森さん……」
思い詰めた様子で拳を握り締めていた源田の隣に杉森が座る。
「お前はいつも、相手のシュートが強い程笑っていただろう? さっきもナイスセーブだった。それなのにどうしたんだ?」
杉森が先程のアツヤとの熾烈な攻防を称えるが、彼の顔色は優れない。
「しかし……杉森さん、俺は未だに必殺技を使えません」
源田が吐露したのは、必殺技がなくとも、普段から誰よりも練習して努力を欠かさない彼らしからぬ弱音だった。
確かに、戦い始めた頃は色々なシュートを受けるごとに力の増大を感じた。
手が傷だらけになる度に、もう同じシュートではその傷がつかないと言える程の力を手に入れてきた。
だが、近頃になってその力が伸び悩んできたのだ。
このまま必殺技がないのでは、限界が来るということを感じながら、しかし必殺技は使えない。
(強者と戦い続ければ目覚めるものと思っていたが――)
依然として、地面を殴りつけても衝撃波の壁が現れることはない。
ただ憧れた男の姿を借りているだけでは、辿り着ける場所ではないのかと考えながら答えは出ない。
普段は疲れ知らずでサッカーに打ち込み続ける後輩の弱々しい姿に、杉森もなんと言ったものかと逡巡していると、背後から足音がした。
「あ、あなたは……!」
振り向いたリトルプライドの監督が上擦った声を上げた。
日本サッカー界で、ベンチに近付いてきたその男のことを知らぬ者は居ない。
細長い顔、瞳を隠すサングラス。紫を基調としたスーツ。
中学サッカー協会副会長・影山零治である。
「か、影山総帥……なぜこのような所に」
「リトルプライドをこの大会への特別出場に推薦したのはこの私だ。目をかけたチームの戦いぶりを見に来ることは、おかしなことかね?」
「い、いえっ、滅相もございません……」
何でもないように語る影山の言葉に、恐縮しきりで頷く監督。
リトルプライドは、自分達と同じく東京の、影山が支援をするジュニアチーム“ジュニアエンパイア”と試合をして引き分けている。
そのチームの選手の殆どが帝国学園にスカウトされ、サッカー部で即戦力として起用されているという都内有数の強豪と彼らは互角に戦ったのだ。
そのような経緯で影山から実力を認められ、彼による関係者への紹介が今回の北海道の大会への出場の一助となっている。
大人達のやり取りはそれで終わり、影山は監督の横を通り過ぎてベンチの側に来た。
「影山総帥……」
「少し離れてくれたまえ、杉森くん。源田くんに話したいことがある」
「……はい」
外向きの顔で話し杉森をその場から遠ざけて、影山は源田を見下ろした。
「影山、総帥……」
「何を迷っているのかね? ジュニアエンパイアの攻撃を凌ぎきった男がらしくないな」
「……俺の強さは、俺が求める領域にはまだ辿り着けていません。吹雪アツヤは強い。必殺技が使えなければ、さらに強くなったあいつ、これから出会う強者達を相手に勝ち続けることはできない。しかし、俺は必殺技を使うことができないんです」
「ふむ……確かに、これからもサッカーで勝つには必殺技は必要不可欠だろうな」
杉森に言ったことと同じ内容を告げると、影山は顎に手を添えながらその言葉に頷いた。
だが、それになんと言おうかわかりかねた杉森に対し、影山は何も迷うことなく、答えを出した。
「君が必殺技を使えないのは、自分の力を信じられていないからだ」
「はっ……?」
彼の鋭い刃物のような言葉に、源田が思わず目を見開いた。
だが、影山は反論など聞く気はなくそのまま畳み掛ける。
「試合中度々拳を地面に打ちつけていたのが、必殺技かね? だとすれば思い切りが足りん。周りの者達は、不発に終わった後に対応してみせた腕前を見ているようだが私は違う。私に言わせれば、そもそも不発になることがおかしいのだ」
それは、既に30年以上フットボールフロンティアを連覇している王者帝国学園の指導者として、その覇業を成し遂げるだけの必殺技開発等にも携わってきた彼の視点からの見解だった。
「必殺技が不発になって尚も君がシュートを止められるのは、不発でもシュートに対応できるように自分で余裕を作っているからだろう。失敗を恐れ、自分で自分に枷をつけているのだよ君は」
「……」
「私が“自分を信じろ”などと言うのが意外かね?」
面食らって黙り込んだ源田の内心をも、影山は言い当てた。
実際、源田には不可思議であった。
彼の影山への印象は、効率至上の合理主義者。
信じる、などと言う所謂感情論の代表のような言葉を使うのはその印象から大きく外れる。
源田の疑念に影山は、クツクツと笑い声を
「私は、常に勝ち続ける絶対的強者であることを理想としている。そして、本当の強者が自身の強さを疑うことはあるまい?」
「……!」
圧倒的な強者であれ。絶対的な王者であれ。
それを目指し続ける男の考えは至ってシンプル。
常に勝ち続ける者は、盤上の敵・味方・己自身の力の全てを、正確に把握して的確に運用するもの。
そこに前提である力そのものへの疑念が介在する余地はないのだ。
「己の力も信じられない者が、頂点を掴むことはできん」
より正確には“信じる”というより“疑わない”と言うべきか。
とにかく、影山の語る王者のあり方に、源田は何も言えなかった。
程なくしてハーフタイムが終わる。
影山はベンチから去り、源田達はグラウンドに戻っていく。
『リトルプライドとホワイトラバーズ、一歩も退かぬ両者、天秤はどちらに傾くのか! いよいよ後半戦開始です!』
ホワイトラバーズのキックオフから始まった決勝戦後半。
前半と同様にアツヤは単独でリトルプライドの陣営に切り込んでいき、みるみる内にゴールへ迫っていく。
「何度も好きにさせるか! ジャイアントスピン!」
「遅ぇよ!」
(さっきよりもさらに速い!? そして……冷たい!)
獅子王が独楽のように回転しながらのタックルでアツヤからボールを奪い取ろうとするが、躱されてしまう。
すぐ横を通り抜けられた獅子王は、彼の纏う冷気が肌を刺されるように感じるほどに強く、鋭くなっていっていくのを感じた。
ゴールを目前に、アツヤは走るスピードを落として必殺技の体勢に入る。
「やってやらぁ!
前半までのアイシーシュートとは違う。
アツヤ自身でもまだ特訓中だった新必殺技だ。
だが初めての強敵を相手に、出し惜しみはできないと判断した。
両足で挟んで回転をかけ、ボールをバウンドさせる。
氷を纏っていくボールに彼も回転しながら、蹴りを叩き込む。
「――エターナルブリザードォ!」
「と、止めるぞ! ――うわぁぁ!」
「なんて勢い、だぁぁぁ!?」
氷を散らしながら飛んでいくボール。
それはシュートブロックに入ろうとしたDF達も吹き飛ばしながら、ゴールへ迫ってくる。
猛烈な雪風を浴びながら、源田は腰を落として両手を構えた。
「くっ、おぉぉぉ、なんというシュートだ…!」
受け止めながら、ボールの勢いは収まる気配がない。
ずりずりと足が足下を抉りながら後ろへ押し込まれていく。
「いけえぇぇぇぇ!!」
「ぬっ、あああ!」
アツヤの叫びと共に力の増したシュートを、源田は上に逸らすことで辛うじて防いだ。
源田が弾かれて尻餅をつくと同時に、思い切りゴールポストにぶつかって跳ね返るボール。
「なに!?」
「よくやったぞ源田ぁ!」
ボールを確保して反撃に回るリトルプライド。
着実にディフェンスを躱し、左サイドを使って前に進んでいった。
「行かせないよ!」
「くっ……ボールは渡さないぞっ」
ゴールに近付けば、当然士郎が対応してくる。
詰め寄ってきた士郎に出前は臆さず挑んだ。
だが、実力差は歴然で、抜き去ることはできそうにない。
士郎が必殺技を使おうとする。
「ホワイト――」
(今だ!)
その時、出前が思い切りボールを逆サイドに蹴り出した。
ボールが向かう先に居るのは、エースストライカー
仲間内では物静かで控えめな彼だが、試合になれば基礎能力に裏付けられた正確なプレーをする。
士郎も誘い出されたことに気付くが、全く逆サイドのディフェンスには流石に間に合わない。
「い、行かせないべよー! ――あれれ!」
藁帽子を被った少女
「決めろ、下鶴!」
「はい――サイコショット!」
ベンチからの杉森の声に応え、彼は念の力でボールを浮き上がらせた。
翳した手の動きに従い、ボールは触れられていないにも関わらず勢いよくゴールへ飛んでいった。
「おぉーー!」
ホワイトラバーズのGK
が、しかしその手は届かず、ボールはゴールネットに突き刺さった。
『ゴールッ! リトルプライド先制ーー! 均衡を破ったのはリトルプライドだーー!』
「くっそぉ! ぜってぇ取り返してやる!」
アツヤを筆頭に、ホワイトラバーズが反撃に動く。
ついに点を奪い取ったリトルプライド。
このままホワイトラバーズの攻撃を止められれば、勝利は確実だ。
そして勝利は、源田の働きに懸かっている。
だが――
(次に
源田は、先程のアツヤのシュートの力に戦慄していた。
既に離れた後も、ボールを受けた両手は霜焼けしたように冷たい。
前半に受けていた“アイシーシュート”とは比べ物にならない威力だった。
後半開始早々に放たれたあれを防げたのは完全に幸運によるもの。
「覚悟しやがれ! エターナル――」
再び回転をかけたボールを、アツヤが蹴り飛ばしにかかる。
(だが、パワーシールドは……)
確かに“パワーシールド”はただ拳を打ちつける必殺技ではない。
気を溜めた拳を、高く跳び上がった上空から、思い切り叩きつける。
純粋に強靭な肉体と、高さを合わせた力がシュートを弾き飛ばす衝撃波の壁を生み出す。
しかし練習でそれを出せたことはない。
その上、相手のシュートを前に大きく跳び上がり、万が一不発となれば流石の彼でも対応し切れない。
それ故に、その場で拳を叩きつけることで発動ができないか試行を重ねていたのだ。
――本当の強者が自分の強さを疑うことはあるまい?
(俺は、強者になれるのか?)
否。それを疑っている内は、その領域には到達できない。
「――ブリザード!」
どうやら、今まで上手くいっていたことで、成功のぬるま湯に慣れてしまっていたらしい。
(俺は――)
――王者になる!!
改めて誓う。この魂にかけて。
サッカーの、守護神達の頂点に立つ。
「オオォォォォ!!」
男は獅子のように吼える。
そしてゴール前で高く、高く飛び跳ねた。
「なにっ!」
「まさか!」
「ほう……」
アツヤや士郎、チームメイト達、観客達がざわめく中、眺めていた影山は感心した風に息を吐いた。
笑っている。男は、一度振り上げた拳を降りていく地面に向ける。
重力に任せず、自分から地面に向かっていくように。
やがて、拳が地面に到達する瞬間、高らかに叫ぶ。
その必殺技の名を。
「パワーシールド!!」
ゴールエリア前で吹き上がった衝撃波はブリザードを完全に塞き止め、ボールをフィールドの外へ弾き飛ばした。
源田幸次郎
今試合で初めて必殺技を使った。
躊躇いを捨てた結果、必殺技を習得する。
吹雪アツヤ
エターナルブリザードを使う。
この時点だと源田相手に得点の可能性があったのはアツヤのみ。
超天才ストライカーである。
リトルプライド
出前洋 FW
杉森威 控えGK
下鶴改 FW
源田のチームメイト。
ジュニアエンパイア
影山小飼のサッカークラブ。
帝国学園で台頭する選手の多くはここ出身。
鬼道や寺門などはここに所属している。
数ヵ月前リトルプライドと引き分けた。
影山零治
源田に指導した。
リトルプライドが北海道の大会に参加できたのは、この人の根回しの力も多分にある。