「所詮はガキどもだ!一気にブチのめしてやれ!」
「じゃあ遠慮はいらないわね」
次の瞬間、4人の偽管理人の前方に巨大な火柱が立ち上がる。アリサも大分場馴れしてきたようで、容赦がない。
「なななな、何だぁ!?」
「こいつらまさか、戦術オーブメントを―――」
こんな奴らに付き合っている暇はないと言わんばかりに、リィンとラウラははじかれたように飛び出す。
両端に位置する2人の後方に回り込むと、リィンは柄で脇腹を、ラウラは膝蹴りを的確に当て、手にしていた導力銃を奪い取った。
中央に陣取っていた残りの2人は、エリオットの導力杖の波動をまともに喰らい、既に昏倒している。
時間にして僅か10秒足らずの出来事だ。
「ちょっとアヤ。あなた今何もしていないじゃない」
「・・・・・・ごめん、出遅れた」
実際のところ、敵のその後を考えない手法を取れば、もっと迅速に殲滅できていたはずだ。
銃口を向けられた程度では、もう誰もが臆することはない。素晴らしい手際の良さだ。
「勝負はあった。投降して、大市の人たちにきちんと謝罪してもらうぞ」
「そちらの盗難品も全て回収するわ」
「それと・・・・・・『誰に』頼まれたかも話してもらう必要がありそうだな?」
とにもかくにも、これで一安心だろう。あとはラウラが言うように、黒幕を引きずり出せば万事解決―――
そう思った次の瞬間。
身の毛がよだつ程の咆哮が、周囲に鳴り響いた。
「こ、これって・・・・・・」
「大型の獣か・・・・・・!?」
魔獣の咆哮と、一定の間隔で鳴り響く地響き。異常な速さでその振動は増していき、間隔は狭まっていく。
一際大きな振動と共に、頭上高くに飛び上がったそれは、ついに姿を現した。
立ち塞がったのは、巨大なヒヒ。しかも異常なまでに興奮している。
呼吸は荒く、鼻口からは体液が流れ出しており、はち切れんばかりに浮かび上がる血管は私の手首よりも太い。
その圧力は尋常ではなかった。
「あ、あわわ・・・・・・」
「ひいいぃぃぃ・・・・・・ッ!?」
だがこれ位の境地、初めてではないはずだ。
焦るな。見た目に惑わされるな。気をしっかりと保て。今考えるべきことは―――この場にいる全員の生還。
「動かないでっ!!!」
私の叫び声に、背を向けて逃げ出そうとしていた4人の偽管理人は、足を止めてくれたようだ。
「分かるでしょ。獣に一度でも背を向けたら、絶対に助からない。獲物を狩るまでどこまでも追ってくる」
私は魔獣から目を逸らさないようにしながら、後方に位置する彼らに語りかける。
その甲斐あってか、4人は僅かながら落ち着きを取り戻してくれたようだ。
「お願いだから、じっとしてて。こいつは私達が何とかするから。そうでしょ、リィン」
「ああ。ここで彼らを放り出すわけにもいかない」
リィンはそう言うと、目の前の脅威に臆することなく私達の一歩前に歩み出る。
「みんな、何とか撃退するぞ!」
「了解!」
「承知!」
「わ、分かったわ!」
「女神様、どうかご加護を・・・・・・!」
巨大なヒヒ―――グルノージャは興奮の頂点に達したのか、いきり立ちながら私達に襲いかかった。
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戦闘が始まってから、どれぐらい時間が経っただろうか。
グルノージャは全身を焼かれ、いくつもの裂傷を負い、明らかに動きは鈍っている。
こちらの戦術に隙はない。リィンとエリオットが左翼、私とアリサが右翼に陣取り、ラウラは中央。4人の偽管理人は中央の後方。ラウラと常に一定の距離を保っている。戦術リンクがあってこその連携だ。
とはいえ、このままではジリ貧だ。特に後方の2人は体力の限界が近い。
決め手がなければ、どこかで一気に崩れかねない。
不意に、誰かの視線を強く感じる。その方角に目をやると、リィンが何かを訴えるように右手で合図をしている。
(リィン・・・・・・?)
私はアリサとのリンクを一旦切り、一瞬だけリィンとリンクを繋ぎ直す。
それは1秒にも満たないものだったが、それだけでリィンの意図は把握できた。
彼には決め手がある。私達は時間を稼ぎ、その隙を作ればいい。
私を介してアリサに、そしてラウラとも意識を共有する。
残された時間は少ない。私達は新たな陣形を組み直し、グルノージャの視界からリィンを外すよう仕向ける。
「焔よ、我が剣に集え・・・・・・!」
リィンの体内の気が高まり、刀身が真紅の炎を纏い始めようとした、その時。
恐れていた事態が起きた。
「・・・・・・ひ、ひいぃぃっっ!!」
魔獣の圧力に耐え切れなくなったのか、気付いた時には偽管理人の1人が背を向け、後方に駆け出していた。
「ば、馬鹿者!何をして―――」
「グオオォォォッッ!!!」
高々と鳴り響く魔獣の咆哮に、ラウラの制止の声は届くことはなかった。
逃れようとする獲物を追う、獣としての野性的な本能。グルノージャのそれは痛覚を勝り、瞬く間に背を向けた獲物に飛び掛かった。
「ぐっ・・・・・・!!」
ラウラは庇うようにして大剣の腹を魔獣に向け、咄嗟に防御の体制を取る。
薙ぎ払うようにして放たれた右腕の一撃はラウラを直撃し、偽管理人もろともはるか後方に吹き飛ばされた。
魔獣は返すようにして、もう片方の腕を振り回し、今度はエリオット目掛けて薙ぎ払いを放つ。
「く、クレスト!」
咄嗟に唱えた防御アーツにより直撃は免れたものの、彼の体は宙を舞い、ラウラ同様戦域の外へと押しのけられた。
全てが一瞬の出来事だった。
吹き飛ばされた2人に意識はあったが、全身を襲う痛みで満足に立ち上がることさえできない。
陣形は乱れ、均衡は崩れた。ここからは一気に押し切られる―――。
「リィン!!技を止めないで!!」
周囲に鳴り響いたアヤの声に、リィンとアリサは現実に引き戻される。
絶対に諦めない。リンクを介さずとも、その揺るぎない意志は表情から読み取れた。
「アリサ、気をしっかり持って。時間を稼げばリィンが何とかしてくれる」
「で、でも私達だけ・・・・じゃ・・・・・・っ」
目を疑った。
アヤは笑っていた。こんな極限状態の中で、彼女は自信と優しさに満ち溢れた笑みを浮かべている。
「ほら、来るよ。構えて」
途端に、狭まっていた視界が開けた。風景が変わった気がする。
アヤの言う通りだ。もともと諦めるなどという選択肢は無い。
グルノージャは勢いをつけて私とアヤ目掛けて突進してくる。
どこにも逃げ場は無いように思えたが、リンクを介してアヤが退路を示してくれた。
『上』
「う、上?」
「アースランス!」
アヤは地面から現れた石槍の先端を右手で掴むと、私を左腕で抱きかかえたまま、勢いよく上昇した。
「きゃあああああ!?」
絶対に間違ってる。これはそういうアーツではない。
エリオットといい彼女といい、どうしたらそんな発想が出てくるのか。
アヤは空中で身を翻し、アリサを両腕で抱えたまま地面に着地した。
突然標的を見失ったグルノージャは、周辺の石碑を巻き込みながら倒れ込んでいた。
「軽すぎでしょ。ご飯食べてるの?」
「あなたの3分の1ぐらいわね」
アヤはアリサを下ろしながら、視界の隅に映るリィンの様子を窺う。
グルノージャにさとられない様に、彼は静かに技の完成を待っていた。
いい調子だ。心の乱れは気の乱れに繋がる。
再びグルノージャの方へ向き直る。怒りの感情は読み取れるものの、足取りは目に見えて重い。
同じ手は2度通用しないだろうが、疲労の影響か直線的な動きが多くなっている。
「く、来るわよ。次はどうするの?」
「落ち着いて。目を凝らせば、アリサにだって・・・・・・っ!?」
グルノージャはゆっくりと歩み寄ってくる。
その両の手には、大小入り混じる小岩。おそらく、先程薙ぎ倒した石碑のものだろう。
「ま、まさか」
「オオオオォォォッッ!!!」
咆哮と共に、私達はおびただしい数の小岩に襲われた。
私は咄嗟に身を屈め、飛来する小岩から最低限の急所を防ぎながら耐える。
そんな中、私とアリサの戦術リンクが、突然途切れた。
(アリサ!?)
気付いた時には、アリサは左足の太腿から血を流しうずくまっていた。鋭利な破片に切られたのかもしれない。
「アリサ!!」
彼女の元に駆け寄るのと同時に、私達の前にはグルノージャの大きな巨体が立ち塞がった。
手負いの獲物を前にして舌なめずりをするかのように、気味の悪い笑みを浮かべている。
今度こそ逃げ場は無い。隣にはアリサがいる。
「・・・・・・あ、アヤ?」
私はゆっくりと立ち上がり、アリサと魔獣の間に立つ。
脳裏をよぎるのは7年前。私の体に掛けられた呪い。
黒いサングラスの男は言った。『全てはお前が弱いせいだ』と。
(違う。そうじゃない)
そんなことは今どうだっていい。
何が呪いだ。悲劇ぶるのも大概にしろ。もう二度と、大切なものを失ってたまるか。
「駄目よアヤ!!逃げて!!」
グルノージャの握り拳が、私達目掛けて容赦なく振り下ろされた。
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信じ難い光景だった。
恐る恐る目を開けた先に映るのは、アヤの背中。
無風にも関わらず、彼女の髪やスカートの裾はひらひらとはためいていた。
それに、目の錯覚だろうか。金色の何かが、彼女から発せられているように見える。
「・・・・・・嘘」
振り下ろされたはずの握り拳は、根元の手首が半分以上切断されており、力なくぶら下がっている。
当のグルノージャも何が起きたのかが分からないといった様子で、自身の右手首を呆然と見つめていた。
「アリサ、狙って!!」
「・・・・・・っARCUS、駆動!」
アヤの声に反応するように、アーツの詠唱を開始する。
身じろぎ一つとる度に左足に激痛が走るが、今はそれどころではない。
「二の舞、『円月』!!」
「ヒートウェイブ!!」
アヤは股下に潜り込み円を描くように両の膝へ斬撃を放ち、アリサはありったけのEPを顔面に叩き込んだ。
スケイリーダイナ戦同様、視界を奪われバランスを崩した巨体に、大きな隙ができる。
機は今しかない―――
「「リィン!!」」
「ああ、掴んだ!!」
2人のはるか前方に位置していたリィンは、瞬時に距離を詰めグルノージャの背後から斬りかかる。
「はあああっ!斬!!」
長い時間を掛けて練り上げられた剣気を叩き込まれ、グルノージャは瞬く間に業火の渦に包まれた。
その勢いは衰えることを知らず、アヤ達が勝利を確信するまで薄暗い園内を照らし続けた。
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第3学生寮。
時刻は夜の12時を過ぎており、既に日付が変わっていた。
(・・・・・・何でだろ。全然眠くない)
疲労感はそれなりにある。いつもの調子なら、ベッドに入った瞬間に意識を失う自信がある。
多分、しばらくは無理だ。眠ろうとする意志と眠気は、いつも対立関係にある。
私は音をたてないよう慎重にドアを開け、周囲の様子を窺う。
ラウラとアリサの部屋は既に消灯しているようで、静寂に包まれていた。時刻を考えれば当然だろう。
特別実習の対グルノージャ戦。撃退に成功しつつも満身創痍であった私達は、鉄道憲兵隊の方々から手厚い看護を受けた。
特に外傷が目立つラウラとアリサ、エリオットには即効性のある軍用の回復薬を処方された。その効果はてき面で、アリサの左足の傷は既に目立たない程度にまで回復している。反面、副作用として長時間の睡眠を強いられるらしい。
名目上、明日は特別実習の予備日となっていたが、サラ教官曰く「好きにしなさい」だそうだ。3人ともゆっくり休めるだろう。
一方で、実習地が離れているB班メンバーはまだパルムに滞在中だ。少し彼らには申し訳なく感じる。
2階に降り立つと、私は無意識のうちにとある部屋の前に向かっていた。
「・・・・・・何で開いてるの」
鍵が掛かっていない。あれだけ外出時は施錠するよう言っておいたというのに。
私は卓上の小さな灯を点けると、静かにベッドに腰を掛け、そのまま仰向けに寝転がる。
私は何をしているのだろう。自分自身に問いかけても、理由は分からない。
目蓋が急に重くなる。少し気が引けたが、私は睡魔に身を任せ目を閉じた。
夢を見ていた。
驚いたことに、私は男の子のようだ。隣には可愛らしい黒髪の少女が立っている。多分、この子の妹だ。
辺りを見渡すと、一面の雪景色。見慣れない光景だ。比較的高緯度に位置するノルドでも、ここまでの積雪は見たことがない。
『―――兄様』
妹が私を呼ぶ。名前を呼ばれた気がするが、うまく聞き取れない。彼女は何と言ったか。
「―――ヤ。起きろ、アヤ」
目を開けると、天井には見慣れない木の模様があった。
「・・・・・・あれ、ガイウス?何で?」
「俺に聞かれてもな」
ベッドから起き上がり、気を落ち着かせる。
そうだ、昨日私はガイウスの部屋に入り、そのままベッドに寝転がって。
卓上の時計に目を向けると、短針は2時を指している。窓から日の光が差し込んでいるから、当然昼の2時だ。
「嘘、私ずっと寝てたの?」
「よく分からないが、俺が聞きたいぐらいだ」
「・・・・・・あはは。その、ごめん。鍵、開いてたから」
開いていたから何なのだ。私は咄嗟に話題を変える。
「特別実習は?もう終わったの?」
「ああ。散々な結果に終わったがな」
「そう・・・・・・ねぇガイウス」
「何だ?」
自分から話しかけておきながら、次の言葉が出てこない。
どうも昨晩から調子がおかしい。私は弟の部屋で何をしているのだ。
「私・・・・・・私ね」
視界が滲んでいく。堪えようとすればするほど、意図に反してそれは溢れていく。
「大まかなの経緯は、先程リィンから聞いた」
不意に、頭の上にふわっとした感触を覚える。
浅黒く大きい右手が、ベッドに座る私の頭を覆っていた。
「大変だったみたいだな」
「・・・っ・・・・・・う、うぅ」
怖かった。本当は怖かった。
失うのが怖かった。大切な仲間が危険に晒された時、生きた心地がしなかった。
ラウラが、エリオットが魔獣の手に掛かった時、本当は全てを投げ出して駆けつけたかった。
血を流すアリサを目にした時、庇ってやれなかった自分を許せなかった。
唸るような嗚咽の声が、ガイウスの部屋に響き渡る。
「アヤ」
「・・・・・・なに」
「髪、切ってやろうか。大分伸びてきただろう」
特別実習の時から、違和感はあった。そろそろ切ってもいい頃合いだ。
私の髪を触るガイウスの手を、そっと握り返す。
2日振りの彼の手に、私は胸が軽くなるのを感じた。