「今回の実技テストは以上。続けて今週末に行う特別実習の発表をするわよ・・・・・・リィン」
「はい」
サラ教官は軽く目配せをした後、茶色の封筒をリィンに手渡す。前回同様、あの中に今回の実習の詳細が記されているのだろう。
リィンは中身を取り出し確認すると、それを1枚ずつ各《Ⅶ組》メンバーに配り始めた。
私達《Ⅶ組》の代表といえば、当然クラス委員長であるエマだ。クラス内で何かを議論したり決め事をする際には、彼女が先頭に立ってその場を取り仕切るのが常である。
だがサラ教官はリィンをよく名指しするし、当のリィンも自然に応じる。エマもエマで、それを当然のように捉えているように見える。
言葉では表せないが、2人にはそれぞれの役割があるのだろう。
私の背後では、エリオットが右手の掌を擦りながら肩を落としていた。
今の実技テストで負った傷だ。気にならない程度の軽症だが、軽く皮を擦り剥いてしまったようだ。
「手、大丈夫?」
「うん、軽い掠り傷だから・・・・・・あはは、ダメダメだったね」
「見ていて気の毒になるぐらいダメダメだったね」
「き、キツイなぁ」
今回の実技テストは前回と同様、対『動くカカシみたいなもの』。今回は5人ずつ、2班に分かれて実施された。その第2班―――マキアス、ユーシス、エリオット、エマ、フィー。
戦術リンクどころか、それを抜きにしてもまるで連携が取れていなかった。
多対一というよりは、一対一の集まりとでもいったところか。
フィーの個人技に目が止まったぐらいで、それ以外はエリオットが言うように、ダメダメな結果だった。
サラ教官が言うように、責任の大半は彼ら『2人』にある。それは誰の目から見ても明らかだった。
「ありがとう、ガイウス」
「何のことだ?」
「前回の実習、無事に帰ってきてくれてありがとう」
「・・・・・・漸く俺の苦労が理解できたようだな」
大きく溜息をつきながら、リィンが手渡してくれた用紙に視線を落とす。
それによると、私は今回B班。アリサ、ラウラ、エリオット、ガイウス、そして私の5人編成のようだ。
「あ、私達一緒の班だよ」
「同じ班か。いい風が吹いたようだ」
私とガイウスが声を上げ、視線を交わしながら笑顔を浮かべる。
それと同時に、皆の視線が瞬時に私達2人に向けられた。誰しもが『今は黙っていてくれ』とでも言いたげな表情だ。
「・・・・・・失礼」
「・・・・・・失礼した」
無理もない。皆の関心は今『A班』の方に向いている。
「冗談じゃない!」
その当事者であるマキアスが声を荒げて続けた。
「サラ教官!いい加減にして下さい!何か僕達に恨みでもあるんですか!?」
「茶番だな。こんな班分けは認めない、再検討をしてもらおうか」
マキアスに同調するように、ユーシスも意義を唱える。
「入学当初を思い出すな」
「・・・・・・そうだね」
ガイウスの言う通り、あの時も今回と似たやり取りがあったことを思いだす。
たった2ヶ月間前の出来事だというのに、それが遠い昔の出来事のように思えてくる。それだけ濃密な日々を過ごしてきたという証だ。
その一方で、目の前のこの2人。マキアスとユーシスはあの時と何も変わってはいない。
何かいいキッカケがあればいいのだが。
(ああ、だからか)
多分、そういうことなのだろう。決して単なる思い付きではないはずだ。
班分けだけではない。A班の実習地にも、きっとサラ教官の思惑が込められているに違いない。
「あたしは軍人じゃないし、命令が絶対だなんて言わない。ただ、『Ⅶ組の担任』として君達を適切に導く使命がある」
そう語る彼女はいつもと同じ、こちらを見透かしたような余裕のある笑みを浮かべている。
だが、言葉は真剣そのものだ。普段は軽口が目立つ分、その重みを一層感じることができる。
「それに異議があるならいいわ。2人がかりでもいいから・・・・・・力ずくで言うことを聞かせてみる?」
「・・・・・・面白い」
(前言撤回)
どうしてそうなるのだ。多分、あれは単なる思い付きだ。
男のプライドとやらに障ったのか、マキアスとユーシスはいきり立ちながらサラ教官の前へ歩を進める。
リィンやエリオットの制止の声も、もはや耳に入っていない様子だ。あれではもう引き下がれない。
「フフ、そこまで言われたら男の子なら引き下がれないか。そういうのは、嫌いじゃないわ」
サラ教官もまた不敵な笑みを浮かべながら、躊躇なく2人の前へと歩み出る。
と思いきや、身構える2人を無視するかのように、彼らの間を通り抜けてしまった。
(え?)
彼女はそのままこちらへ向かって歩を進め、私の前で足を止めた。
「出番よ、アヤ」
「はい?」
「だから、あなたが2人の相手をしてあげなさい」
「・・・・・・」
「「ええっ!!?」」
周囲に私を含めた《Ⅶ組》全員の声が響き渡った。
「な、何で私が・・・・・・無理ですよそんなの」
「そう?私にはそうは思えないけど。それに愚弟の面倒は長女が見るべきでしょう」
「勝手に弟を増やさないで下さい!」
本気なのか冗談なのか。表情から察するに、おそらく前者だろう。
理解できない。自分で彼らをそそのかしておいて、どうして私が巻き込まれる。
サラ教官の理不尽な振りに納得できない一方で、私以外のメンバーは別のところに意識が向いていた。
「ふざけるのも大概にするがいい!!」
「この男の言う通りだ!!どれだけ僕達を侮辱すれば気が済むんですか!!」
ユーシスとマキアスは隠そうともせず、感情に身を任せて怒りを露わにしていた。
彼らの反応は当然だろう。場の勢いとはいえ、2人がかりで教官に食って掛かった先に待っていたのが、私だなんて。
サラ教官は彼らの言葉を無視するようにして、私の顔を覗き込んでくる。
「ちょ、近い、近いです」
「それに、そうやっていつまでも目を背けているわけにはいかないでしょ?」
「えっ・・・・・・」
既にサラ教官の顔は、私の目と鼻の先にまで近付けられている。
おでこ同士が接触し、互いの熱を測りあうような体勢だ。
「大まかな事情は聞いてるわ。私も知っておきたいのよ、あなたの担任としてね」
「そう、言われても」
「とはいえ、アヤにも思うところがあるだろうし。この場は任せるわ」
サラ教官は私から顔を離すと、私を見守るような面持ちで続けた。
「どう?やれる?」
「・・・・・・私は」
周囲の様子を窺う。私とサラ教官のやり取りに、皆戸惑いの色を隠せないようだ。
唯一、ガイウスだけが皆とは別の意味合いで、少し不安げな視線を送ってくる。
サラ教官の言う通りかもしれない。多分これは、私にとって避けては通れない道だろう。
「・・・・・・分かりました。立ち合います」
「フフ、決まりね。リィン、ついでに君も入りなさい」
「りょ、了解です・・・・・・どちら側にですか?」
「あっちに決まってるじゃない」
サラ教官は溜息をつきながら、ユーシスとマキアスの方角へ指を向けた。
周囲にどよめきに近い声が上がる。
ダメ押しと言わんばかりのリィン参戦に、既に2人の怒りも限界点に達しているようだ。
「アヤ、無理はしないでくれ」
「大丈夫。ただ、危なくなったらお願いね」
ガイウスと小声でやり取りをしていると、リィン達3人は既に開始線の前に立っていた。
私も遅れて反対側に位置する開始線を目指しながら、考える。
まともにやり合えば勿論勝ち目はない。
だが『制限無し』なら、やりようによってはいけるだろう。
幸いにも、3人中2人は浮足立っている。付け入る隙はいくらでもある。
「フン、さっさとこの茶番を終わらせるぞ。それで全て解決だ」
「言われるまでもない。アヤ君、悪く思わないでくれ」
ユーシスとマキアスが、剣先と銃口を私に向けた。
刃を落とした訓練用の刀剣に、殺傷力を抑えた訓練弾。訓練用とはいえ、どちらもまともに受ければ無事では済まない。
私のことはどうだっていい。本来ならこの場に立っているのはサラ教官だ。
元凶は彼女の挑発だし、勢いと流れに乗っただけとはいえ、彼らは自分の意志でこの場に立っている。
何か特別な事情があるのは理解できる。もしかしたら、凄惨な過去があるのかもしれない。
だからといって教官に刃向っていい理由にはならない。
先月の特別実習に、今回の実技テスト。巻き込まれた側のことを考えているのだろうか。
段々とイライラしてきた。余りにも2人は周りが見えていない。
「あのさ。何か事情があるのは分かるんだけど、少しは周りのことを考えたら?」
「・・・・・・何だと?」
「迷惑だって言ってるの。身分の違いの前に、人となりを見ようよ。貴族だから何だっていうの?」
私はマキアスに問いかける。膨れ上がった風船を針で突いたかのように、彼は反発してきた。
「君に僕の何が分かるっていうんだ!!!」
「分かるはずないでしょ。何も話してくれないんだから当たり前じゃん」
私は捲し立てるように続けた。
「歩み寄ろうともしないくせに、自分が抱えるものを私達に理解しろって言うの?無茶言わないで。身勝手にも程があるよ」
「・・・・・・そ、それは」
口ごもるマキアスの隣、ユーシスに目を向ける。
「ユーシスもだよ。『身分はどうあれ、士官学院生はあくまで対等』。自分で言ったことでしょ。もう忘れたの?」
「言っている意味が分からんな。だからこうして茶番に付き合ってやっているのだろう」
「・・・・・・ああ、そう。もういいよ」
私は開始線の前に立ち、長巻の鞘を払って勢いよく投げ捨てる。
その先にいたガイウスが鞘を受け取ったのを確認し、2人に鋭い視線を向けた。
「1つだけ言わせて。エリオットの右手の傷、気付いてる?」
突然名を挙げられたエリオットは、誤魔化すようにして右手を後ろ手にして隠した。
「これ以上、戦いの場に私情を持ち込まないで。次は掠り傷じゃ済まないかもしれない。自覚してよ、お願いだから」
胸の奥がズキリと痛む。まるで自分自身に言い聞かせているようだ。
だが、誰かが言わねばならない。事が起こってからでは遅い。後悔するのは彼ら自身だ。
「抜きなよ、リィン。まとめて相手をしてあげる」
「・・・・・・ああ。本気なんだな」
「ふふ、そろそろ始めるわよ。両者、構えて―――」
サラ教官の合図を待ちながら、目を閉じ呼吸を整える。
意識して全身を弛緩させ、『枷』を外す。
サラ教官が言うように、存在を否定しても意味が無い。そろそろ正面から向き合ってもいい頃だ。
「・・・・・・あ、あれは」
私の変化に初めて気付いたのはリィンのようだ。
私達を見守るラウラ、フィーの顔色も変わった。先の特別実習で一度だけ目の当たりにしたアリサも後に続いた。
「―――始め!!」
「一の舞、『飛燕』!!」
サラ教官の合図とともに、やや下方に向けて袈裟切りを放つ。
その斬撃はリィン達の足元に向かって飛来し、地面の土砂を頭上高く巻き上げた。
「な―――」
いい具合に視界を遮ってくれたようだ。私が3人の頭を飛び越えるようにして背後に回った今でも、後方に位置するマキアスの視線は前方に向かれたままだ。
「1人目」
私はマキアスの後頭部を軽く剣の腹で叩く。
彼はその意味を理解できていないようだが、今はどうだっていい。
リィンとユーシスがこちらへ振り返るのと同時に、合わせるようにしてユーシスの左方へと回り込む。
彼の手元に向けて力任せに長巻を振り下ろすと、両刃剣は彼の手を離れ地面に叩きつけられた。
「2人目ね」
長巻の先端をユーシスの首筋に当てると、彼は呆気にとられた表情で私を見詰めていた。
これで数の利は無くなった。残すところはリィン1人だ。
「っ・・・・・・はあああっ!!」
躊躇ないリィンの連撃が私に襲いかかり、辺りに剣戟の音が鳴り響く。
相変わらず見事な太刀筋だ。
多分、技は互角だろう。差があるとすれば、それは身体能力の違いに他ならない。
「たぁっ!!」
リィンの薙ぎ払いを刀身で受け止め、返すように逆側から中段蹴りをお見舞いする。
呻き声を上げながら地に膝をついたリィンの頭を、手刀で軽く小突きながら言った。
「3人目。文句ある?」
「・・・・・・ま、参った。降参だ」
力なく呟いたリィンの言葉に、サラ教官が満足気に立ち合いの終了を宣告した。
再び周囲にどよめきが起こる。さて、この事態を皆にどう説明すればいいのやら。
考えを巡らせようとした矢先、1人の女子生徒―――ラウラが、私とリィンの間に立ちはだかった。
「サラ教官。この場を少しお借りしてもよいだろうか」
ラウラは私の目を真っ直ぐに見据えながら、力強く言った。
「アヤ、そなたと手合せ願いたい」
その顔に浮かぶのは、覚悟と緊張感。
そして得体の知れない『何か』を目の当たりにしたかのような、戸惑いと畏怖に他ならなかった。