「ジョルジュ先輩、できましたよ」
「ああ、悪いね」
熱々のコーヒーが注がれたカップを、溢さないよう慎重にデスクの隅に置く。
出来立てとはいえ、粉末をお湯で溶かした即席のコーヒーだ。子供だってできる。
「君の分はいいのかい?遠慮しないでくれよ」
「いえ、お構いなく。それに私、コーヒーってちょっと苦手で」
正直に言えば、ちょっと苦手を通り越して大の苦手だ。
じゃあ何が好きかと訊かれれば、私は迷わず『グリーンティー』と答える。
ノルドハーブを使ったお茶も好きだが、1番は譲れない。
そのどれもが私の両親、2つの愛すべき両親の影響に他ならないが、ジョルジュ先輩には知る由もない。
本校舎の北北東に位置する技術棟。
内部を見渡すと、様々な工具に専門書籍、そして必要最低限の生活雑貨がそこかしこに散乱している。
随分と生活感溢れる空間だ。
「ああ、ここか。これならすぐ直せるよ」
私がここを訪ねた理由は『ARCUS』の修理だ。
修理と言っても、外れてしまった表面のカバーをつけ直してもらうだけで済むはずだ。素人目にもそれぐらいは分かる。
どうやらカバーを止めていた部分の一部が欠けてしまっているようで、ジョルジュ先輩はそれを器用に修復している最中だ。
「ARCUSは多機能で複雑な分、耐久性に難があるからね。これからも定期的に持ってきてもらうと僕も助かるよ」
・・・・・・机から落っことした拍子にカバーが壊れました、と言ったら先輩はどんな顔をするだろうか。
これからはもう少し大事に扱うよう心掛けよう。余計な手間を取らせるわけにはいかない。
「アンの指導はどうだい?詳しい事情は聞いていないけど、何か教えてもらってるんだろう?」
「そうですね。その、力の使い方というか。それを少し」
「ふーん」
3日前の実技テストの『補修』。
あの後に私がサラ教官から課せられた宿題は、『力』の扱い方と操る術を覚えることだった。
サラ教官曰く、「基本が出来ていないくせに限度を知らないから危なっかしいにも程がある」だそうだ。
皆の前で気を失ってしまった以上、反論の余地が無い。
サラ教官の言うことは最もだ。今まで目を背けてきた分、私はこの力の何たるかを知らなかった。
『気の流れ』などと言われてもまるでピンとこない。リィンやラウラの方がまだ理解しているように思える。
そんなわけで、私の指導役に抜擢されたのがアンゼリカ先輩だった。
多分、私にとって彼女は大変に優秀な先生だ。まだ一度しか指南を受けていないものの、十分すぎる程の手応えを感じることができた。
やたらとボディタッチが伴うことは授業料と考えれば安いものだ。
それにしても、私が忌み嫌っていた力が「危なっかしい」の一言で済まされるとは思ってもいなかった。
リィンとラウラに至っては、「負けていられない」とアンゼリカ先輩の指導に進んで参加してきたほどだ。
私は特科クラス《Ⅶ組》の女子生徒、アヤ・ウォーゼル。それ以上でも以下でもないのだ。
それがやっと分かった気がする。
「よしっと。お待たせ、終わったよ」
「ありがとうございます。こんな朝早くからすみません」
「構わないさ。特別実習の日程は聞いてるしね。出発前は何かと準備がいるだろう?」
いい人だ。途方もなく。
何かと個性的な面々が目立つトールズ士官学院の中で、ジョルジュ先輩はある意味で異質だ。
普通にいい人だ。
先輩は一度大きく背伸びをした後、再びデスクに座り導力端末のパネルを叩き始めた。
ディスプレイには様々な数値に数式やグラフ、そして何かの図面のようなものが映っていた。
「これって表に停めてあった・・・・・・導力バイク、でしたっけ?」
「そうだね。こうやって定期的にデータをまとめて、レポートをルーレ工科大へ送ってるんだよ」
「ルーレ工科大学かぁ・・・・・・ジョルジュ先輩、大学ってどんなところなんですか?」
「む、難しい質問だなぁ」
大学。学術研究と教育の最高峰と言われる機関である。私からすれば、別次元の世界だ。
興味本位で訊いてみただけだったのだが、ジョルジュ先輩は腕を組みながら考え込んでしまった。
「あの、別にそんな。少し気になったから訊いてみただけですよ」
「・・・・・・そうだなぁ。君の今回の実習地は、確かセントアークだろう?」
何の前置きもなく今回の特別実習地を言い当てられてしまい、思わず戸惑ってしまう。
サラ教官から聞かされていたのだろうか。
「あ、はい。そうですけど・・・・・・それが何か?」
「やっぱり実際に見てみるのが一番早いんじゃないかって思ってね。時間があったら、是非立ち寄ってみるといい」
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今回の実習地であるセントアークに向かうには、帝都ヘイムダル経由の直通列車でも5時間以上は掛かる。
往復の移動だけで丸1日近く費やすとは、ある意味で贅沢な実習だ。
私達B班は朝一の直通列車に揺られながら、同じくバリアハート行きの列車に乗っているだろうA班―――もっと言えば、マキアスとユーシス、2人について話をしていた。
「前回の実習の評価が『E』でしょう?流石にあの2人もかなり堪えたんじゃないかしら」
「どうだろうな。少なからず後悔はあると思うが・・・・・・それで歩み寄れる程、彼らの溝が浅くはないのも事実だろう」
「・・・・・・それもそうね」
実技テストの後、マキアスとユーシスに声を掛けようとした私を止めたのは、ガイウスだった。
私は自身の行き過ぎた言動を謝ろうと思っただけだったのだが、「今はそっとしておいてやれ」というガイウスの言葉に従い、その日は一度も言葉を交わすことはなかった。
あの日以来、彼らとは会話らしい会話をしていない気がする。
言葉のやり取りは勿論あるが、感情が伴っていない。
それに、日を追うごとに掛ける言葉が少なくなっていく感覚だ。
同じ馬術部のユーシスとは、気まずいの一言に尽きる。活動に積極的ではない彼の姿勢が、今だけはありがたいと感じてしまう。
「うーん。でもさ、今は僕らが考えても仕方がないんじゃないかな」
「へ?」
思考がすっかり2人のことへ向いてしまっていた分、エリオットの言葉に間抜けな声を上げてしまった。
「ふむ。確かにA班の心配をする程、我々に余裕があるとも思えぬしな」
「・・・・・・そっか。そうだよね」
エリオットが言うように、今は目の前の特別実習に集中すべきだ。
前回の実習同様、今回も一筋縄ではいかない困難が待ち受けているのかもしれない。
「セントアークかぁ。みんな今回が初めてなんだよね」
「ええ、そうね」
私達B班が目指すのは、白亜の旧都セントアーク。足を運ぶのは皆今回の実習が初めてと聞いていた。
「『白亜の旧都』か。俺も耳にしたことはあるが、そう呼ばれる由来までは知らないな」
「あ、それ私も気になってた」
私とガイウスが言うと、3人はきょとんとした表情を浮かべていた。
「帝国じゃ結構有名な話だと思うけど・・・・・・まぁ2人が知らないのは無理もないか」
「七曜暦が始まって間もない頃の話だから、伝承みたいなものね」
アリサの説明によれば、今から千年以上前のことだそうだ。
暗黒時代と呼ばれる混乱期の真っ只中、『暗黒竜』が放った瘴気によって帝都ヘイムダルが死の都へと変貌した際に、セントアークへ遷都したとのことだった。
「いや、そこまでは私も知ってるんだけど・・・・・・ああ、そういうこと?」
「察するに、色の対比になっているようだな」
暗黒時代に暗黒竜、死の都。その時代に帝都に何が起きたのかは想像もつかないが、色彩で表現するなら黒一色だ。
ガイウスが言うように、黒に対しての白なのだろう。思っていた以上にシンプルな由来だ。
「諸説あるみたいだけど、それが1つの理由ね。もう1つは、私も写真でしか見たことがないわ」
「私もだ。確か、車窓から見渡すことができると聞いていたが」
「うん、そのはずだよ。えへへ、結構楽しみにしてたんだよね」
「・・・・・・何の話?」
どうやら『白亜』の由来は1つではないようで、先と同じくアリサにラウラ、エリオットはそれを知っている様子だ。
だが私とガイウスが訊ねても、3人は「言葉では表現しづらいから見れば分かる」の一点張りだ。
そんな風に勿体ぶられると、余計気になってしまうのだが。
何れにせよ、5時間後には明らかになることだ。無理に問いただすこともないだろう。
「それにしても、あと5時間も掛かるんだね。長いなぁ」
「初めてトリスタに来た時は8時間以上掛かったな」
それはそうだが、あの時は半分以上眠っていたような気がする。
どうも私は長時間列車に揺られていると、眠くなる体質のようだ。
今回もそれは例外ではなく、発車したばかりだというのに目蓋が重くなってくる。
「休める時には休んでおいた方がよい。戦場では、時と場所を選ばずに分刻みで睡眠をとる場合もあると聞くしな」
「それはちょっと違う気が・・・・・・でもまぁ、お言葉に甘えようかな」
ラウラの言葉に従い、私は襲い来る睡魔に身を任せ目を閉じた。
できれば到着の30分前ぐらいまでは起きないでいてほしい。自覚していなかったが、大分疲れも溜まっているようだ―――
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「あっという間に寝ちゃったわね」
「サラ教官並の早寝術だな。私も見習いたいものだ」
「あはは。多分、疲れもあったんじゃない?いつも忙しそうにしてるしさ」
アリサ達3人の目の前には、静かに寝息をたてるアヤの姿があった。
彼女の頭は今、隣に座るガイウスの肩に預けられている。
エリオットが言うように、アヤには自身が思っている以上の疲労が蓄積していた。
クラブ活動にキルシェのヘルプ。勉学が苦手な分、日々の予復習には人一倍時間を費やしている。
それでいて《Ⅶ組》の中ではガイウス同様、誰よりも朝が早いのだ。
「・・・・・・男子3人を相手取ったとは思えぬな。こうして見れば、唯の女子生徒だ」
「ふふ、そうね。それにやっぱり、年上ってことで特別な目で見ちゃうことがあるみたい。同じクラスだっていうのにね」
「ガイウスもいるからね・・・・・・ガイウス?」
ガイウスは車窓の枠に肘を置き、目を細めながら外の風景に視線を向けていた。今し方掛けたエリオットの声も、彼には届いていない。
どうも様子がおかしい、と3人は思った。
見れば、額には大粒の汗が浮かんでいる。外の風景を眺めているように思えたが、焦点が合っていない。
一見してリラックスしているように見えるものの、よくよく見れば全身が妙に強張っている。
―――まさかとは思うが。3人は確かめ合うように視線を交わすと、アリサが恐る恐る口を開いた。
「・・・・・・照れてるの?」
ガイウスは大きく目を見開いた後、アヤの頭が乗った肩を動かさないようたっぷりと時間を掛けて、視線を3人へと移した。
「何のことだ」
シラを切っても、答えは顔に書いてあった。
アリサ達3人はぽかんとした表情で再び視線を交わし、目の前の2人に目をやる。
途端に、周囲に大きな笑い声が響き渡った。
「笑われる理由が見当たらないが」
「い、いやガイウス、もう遅いって・・・・・・あはは、ごめんごめん」
「そうだな・・・・・・ふふっ。何、そなたも男子なのだな。姉とはいえ無理もない」
「ええ。それに事情を知らない人が見たら、あなた達どう見ても―――」
アリサが言い終わる前に、眠っていたアヤが「んー」と小さな唸り声を上げた。
少し騒ぎ過ぎたか。4人は一旦口を閉ざし、小さく身じろぎをするアヤの姿を見守った。
しかしそのせいで、肩に置かれていた彼女の頭はするするとずり落ちていき―――ガイウスの膝元へと落ち着いた。
「・・・・・・勘弁してくれないか」
勘弁してほしいのはこちらの方だと言わんばかりに、アリサ達3人は口に手をやりながら声を出さずに笑い転げていた。
3人にとって、目の前の光景は素直に嬉しかった。
エリオットにとっては、ガイウスも自分と同じ男子なんだという事実。
アリサとラウラは、彼だって異性を意識することがある男性なんだという当たり前のことを。
穏やかな寝顔を浮かべるアヤには知る由もない時間と空間を、4人は確かに共有し合っていた。
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目を開けると、ガタンガタンという音と振動でここが列車内であること、そして今が特別実習の初日であることを思い出す。
「・・・・・・あれ、今どの辺?」
「おはようアヤ。ちょうどいい頃合いね」
ARCUSを見ると、時計は昼の12時過ぎを示していた。
かなり長い時間眠っていたようだ。アリサが言うように、間もなくセントアークに到着する頃合いだ。
「そろそろ見えてくると思うよ。朝言ってたもう1つの理由がね」
「あ、そうだったね。どこを見ればいいの?」
「方角的にはこっちの車窓から見えるはずだよ」
車窓に視線を移すと、隣ではガイウスも同様にして外の風景に目を向けていた。
長時間列車に揺られていたせいだろうか。顔が疲れているように見える。
「大丈夫?何か疲れてない?」
「心配ない・・・・・・なるほど。あれがそうか」
「え、どこ?」
目を凝らして遠くを見やる。
そこに広がっていたのは、信じがたい光景だった。
「・・・・・・何、あれ」
雪景色とも違う。氷とも違う。そもそも今の季節、こんな地域で見れるはずがない。
だが目の前には、白く光り輝く台地の数々。
太陽に照らされたそれは、余りにも神秘的で形容のしようがなかった。
3人の言う通りだ。どんな言葉を並べ連ねたところで、この光景に比べれば安っぽいものになってしまうだろう。
「見事なものだな。写真で見た以上だ」
「そうね・・・・・・言葉にならないわ」
私を含めた誰しもが目を奪われていると、車内アナウンスが周囲に響き渡った。
白亜の旧都セントアーク。第2回目の特別実習の幕が開けようとしていた。