絢の軌跡   作:ゆーゆ

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ノルドへの軌跡②

ルーレの上層部、南部の住宅街にひっそりと佇む真新しいダイニングバー『ef』。

薄暗くライトアップされた店内は、ダークブルーの洒落たインテリアや装飾に彩られている。

客層は広いように見えるが、大半はスーツやドレスに身を包んでいた。

店先の張り紙にあった『落ち着いた雰囲気』は何を指して言っているのだろう。

私からすれば、ひどく落ち着かない。

 

「なぁ」

「何?」

「いや、遠慮するなって言ったのは俺だけどさ。少しは遠慮しようぜ?」

「知らない」

 

私が昨日ザッツから請け負った依頼は、1体の大型魔獣の討伐。

だというのに、結果的に私は3体もの魔獣と対峙することになったのだ。

だから、当然報酬のミラも3倍。宿代も3倍になるのが道理だろう。

駄目元で吹っ掛けた私に、案の定ザッツは応えることができなかった。

軍人は稼ぎがいいと思っていたのだが、彼曰くピンキリだそうだ。

 

結局酒と食事を奢るという彼の妥協案に、私は応じることにした。

そうでなければ、こんな高そうなお店に入ろうという気など起きるはずもない。

 

「ナハハ・・・・・・俺もこんな高いワイン、初めて飲んだよ」

「3倍の報酬に比べたら安いはず」

 

ワインというものを飲んだのは今夜が初めてだ。

安物のワインでは悪酔いするだけ、と聞いたことがある。

なら、これは安物ではないのだろう。価格すら聞いていない。

独特の酸味と芳醇な味わいが癖になりそうになる。

 

「お前さん、18歳って言ってたけど・・・・・・その、親御さんは?」

「いない」

「兄弟とかは?」

「いない。肉親も知り合いもいない」

「わ、悪い。変なことを聞いちまったな」

 

グラスを傾けながら、吐き捨てるように言った。

この帝国において、私は既に天涯孤独の身だ。

 

女性がこの年で遊撃士や傭兵の真似事をしているというだけで、奇異の目で見られる。

余計なお世話だ。それしか私には生きる術が無かっただけだというのに。

北部に行けば、私のような存在はそれほど珍しくもない。

 

「その、安っぽい言い方だけど・・・・・・苦労してんだな」

 

彼の目には、私は戦災孤児のように映っているのだろう。

そう思っているのなら、ありがたい話だ。余計なことを話さずに済む。

 

「別に。もう慣れた」

「そうかい。でもあんな無茶はもうしないでくれよ。あれじゃあ死に急いでいるようなもんだ」

「何が言いたいの?」

「何って・・・・・・だから、命を粗末にするようなことはするなって言ってんだよ」

 

勝手なことを。何も知らないくせに、へらへらと。

酔いが回っているせいで、感情が大きく揺れ動いてしまう。

誤魔化すようにして、私はグラスへボトルを傾けた。

 

「それにしても、ホントよく食べるな。酒も強いみたいだし・・・・・・ま、マジで足りるかな」

 

渇いた笑い声を漏らしながら、テーブルの下で財布の中身を確認し始めるザッツ。

一般的な女性から見れば、情けないことこの上ない姿に違いない。

 

「・・・・・・独身なの?」

「へ?」

 

紙幣を数えていた手を止め、呆け顔のザッツがまじまじと見詰めてきた。

ひどい間抜け面だ。訊かなくとも答えは容易に想像が付く。

 

「そりゃあな。軍ってのは今も昔も男性社会さ。出会いなんて俺みたいな男には無いに等しいってもんだ」

「興味無い」

「訊いたのはアヤだろ・・・・・・」

 

これでも人を見る目は養ってきたつもりだった。

人を二分するなら、彼は『いい人』に分類される人間なのだろう。

先のような意味合いで分けるなら、間違いなく『無い』人間だ。

 

「ったく。アヤだって早いとこいい奴を見つけないと、あっという間に取り残されちまうぞ?」

「馬鹿じゃないの」

「ナハハ。なぁ、アヤって酔っ払うと口数が増える方だろ」

 

思わず顔をしかめた。

一方のザッツはにやにやと含み笑いをしながら、財布を上着の中へ戻しながら言った。

 

「さっきから色々喋ってくれて嬉しいぜ。こうして見ると、普通の女の子だな」

「・・・・・・マスター、もう1本」

「ええっ!?」

 

ザッツが悲鳴のような声を上げながら、再び財布の中身を数え始める。

 

口数が増えることは自覚している。

余計なことを口にはしたくないが、私はこの酔いの感覚が好きだった。

自分が自分でいられなくなるような、そんな感覚。

全てがどうでもよくなってしまう。酔いさえすれば、何も考えずに済む。

 

(何してるんだろ、私)

 

皿に盛られたナッツを頬張りながら、店内を見渡す。

圧倒的に男女ペアの客が多い。居心地の悪さは、それが原因なのかもしれない。

 

溜息をつきながら正面を見ると、ザッツの背後、店内の壁に掛けられた1枚の写真が目に入った。

額縁に入ったそれは、とても大きな風景写真だった。縦横1アージュ以上はあるだろうか。

―――吸い込まれるようにして、私は席を立った。

 

「あれ、どうしたんだ?」

 

ザッツの言葉を無視して、壁の前に立つ。

これはどこを写したものなのだろう。こんな場所は見たことがない。

 

「・・・・・・へえー、見事なもんだな。絶景だ」

 

感嘆の声を漏らしながら、ザッツが私の隣に立った。

すぐに彼は何かに思い当たったようで、右の握り拳で左手をポンと叩きながら言った。

 

「ああ、やっぱりそうだ。これはノルド高原だよ。しかも最近撮られたやつだ」

「これが・・・・・・ノルド?」

「多分、北部の崖から撮影したんだ。ほらこれ、見えるだろ?これが俺の勤める監視塔だよ」

 

ザッツが指差した先は、写真の左隅。

パッと見では何か分からないが、彼が言うことが正しいならそれが監視塔とやらなのだろう。

 

「ナハハ。言った通り、綺麗なところだろ?」

 

既に彼の言葉は耳に入らない。

一気に酔いが醒めていくような感覚だ。

よくよく見ると、写真の右下の隅に、人影があるのが分かった。

 

目を離すことができなかった。

こうして見ているだけで、そこに自分が立っているかのような錯覚に襲われる。

きっと夕刻の手前ぐらいの時間帯に撮られたものだ。

木々の若葉のような緑色の大地が、ゆっくりと黄金色に染まっていく。まさにその瞬間だ。

 

気付いた時には、既にザッツは席に戻っていた。

どれぐらい私はこの写真の前に立っていたのだろう。

 

「・・・・・・ねえ。明日の宿泊代、キャンセルしたい」

「は?」

 

グラスにワインを注いでいたザッツが、素っ頓狂な声を上げた。

 

「いや、それは構わねえけど・・・・・・急にどうしたんだ?」

「明日には監視塔に戻るって言ってたけど」

「俺のことか?ああ、朝一の貨物列車に乗る予定だよ。それで?」

 

それなら、話は早い。

私は感情の赴くままに、提案した。

 

「私も連れて行って」

 

グラスはワインで溢れているというのに、呆け顔のザッツはワインボトルを傾け続けていた。

 

_________________________________________

 

ノルド高原について私が知ることは少ない。

帝国と共和国が領有権争いをしていて、遊牧民が暮らす広大な地。それぐらいだ。

写真に隅にあった人影も、遊牧民の姿を映したものなのかもしれない。

 

貨物列車に揺られながら、ザッツはノルドに関する様々な話を聞かせてくれた。

大半はどうでも豆知識だったため、適当に聞き流してしまった。

 

「観光客?」

「そう、観光だ。ゼンダー門で聞かれたら、そう答えるんだぜ。書類にもそう書いてくれ」

 

昨晩の私の思い付きを、意外にもザッツはすんなりと引き受けてくれた。

絶対に断られると踏んでいた。言ってしまえば、私は住所不定の放浪者だ。

そんな立場にある私が、国境を超えることなどできないと思っていたからだ。

何度も確認したが、ザッツは大丈夫の一点張りだった。本当にそうなのだろうか。

 

程無くして列車は帝国最北端の軍事施設、ゼンダー門に辿り着いた。

列車を降りた後、私はザッツの背中を追うようにして歩を進めた。

周囲には何人もの軍人の姿が目に入った。

これだけの人数に囲まれるのは初めてのことだ。変に緊張してしまう。

 

「よおザッツ。もう休暇は終わりか?」

 

施設の奥に入り込んでいくと、デスクに座る1人の男性が声を掛けてきた。

察するに、ここが受付のようなところなのだろう。

デスクにはペンや数種類の書類が置かれていた。

 

「おう。休暇って言っても、ルーレでフラフラしてただけなんだけどな」

「相変わらずノンビリしてんな・・・・・・ん、その子は?」

「列車の中で知り合ったんだ。観光目当てらしいぜ」

「観光?」

 

デスクの男性が怪訝そうな視線を向けてくる。

本当に大丈夫なのだろうか。不安の余り、思わずザッツの上着の裾を掴んでしまった。

 

「ふーん、女性が1人で観光ねぇ。こんな辺境の地のどこがいいんだか」

「そう言うなよ。景色はいいところだろ?」

「そうだけどよ。それで、君は成人だよな?」

「はい。18ですけど」

 

ならこの書類を埋めてくれ、という彼の指示に従い、私はペンを走らせた。

アヤ・シャンファ、18歳。住所はホテル『ラグランジュ』のそれだ。

書いているだけで不安に駆られる。本当にこれが通用するのだろうか。

 

私の心配を余所に、男性は何点かの注意事項を述べた後、あっさりと許可証を出してしまった。

開いた口が塞がらない。こんなものが審査と呼べるのだろうか。

 

「国境越えって言っても、ここじゃあ帝国法が適用される。帝国領内にいるのと同じようなもんだ。さっきのも形式だけの手続きさ」

「・・・・・・いいの?それで」

「さあな。上官も口を出さないし、いいんじゃないか?」

 

呆れたものだ。係争地のど真ん中に立っているというのに、緊張感の欠片もない。

彼が言うには、この施設は半ば左遷地のような扱いを受けているらしい。

言われてみれば、誰からも軍人特有の覇気が感じられない。

隠そうともしないその態度が、そのまま杜撰な管理に結びついているのだろう。

 

「ナハハ、それだけ平和なのさ。世間じゃ色々と騒がれてるけど、実情はこれだからな」

「仕事してよ」

「そ、そう言うなよ・・・・・・さてと。アヤ、準備はいいか?」

「え?」

 

両開きの扉に手を掛けたザッツが、笑みを浮かべながら訊いてくる。

私の返答をまたずして、彼はその扉を勢いよく開け放った。

 

(あ―――)

 

太陽の日差しを両手で遮りながら、歩を進める。

眼前に広がるのは、果てしなく広がる雄大な緑色の大地。

目が覚めるような深い翡翠色が、一気に私の目に焼き付いてきた。

 

「綺麗・・・・・・」

「ナハハ、そうだろ。アヤがそう言ってくれるのを楽しみにしてんだ」

 

風が草原を撫でる音。小鳥達のさえずり。土と草の匂い。

写真では分からなかったこの地の魅力に、五感の全てが奪われてしまう。

こうして立っているだけで、心が洗われるような感覚だ。

 

「それで、これからどうするんだ?列車の中でも言ったけど、後ろに乗っけてってやるぜ?」

 

後ろを振り返ると、ザッツが馬を引きながらこちらに歩いてくる姿が目に入った。

ここでは馬が足代わりになる。列車の中で彼が教えてくれたことだ。

 

「仕事は?」

「ナハハ、今日中に戻れれば問題無いさ。夕刻ぐらいまでなら、この周辺を一緒に回るぐらい付き合ってやるよ」

 

太陽はちょうど真上。時刻は昼過ぎぐらいだろうか。

馬に乗ったことはない。少しだけ初の乗馬を体験してみたい衝動に駆られたが、そうも言っていられない。

 

「いい。歩いて行くから」

「・・・・・・は?歩いて?」

 

―――そろそろ、彼ともお別れだ。

 

「それに、ここからは1人で行く。ついて来ないで」

「何言ってんだよ。1人で歩いてって・・・・・・アヤ、ノルドは初めてなんだろ?どこに行くつもりなんだ?」

「さあ?」

 

私が肩をすくめながら言うと、見る見るうちにザッツの表情が強張っていった。

無理もない。この地に何の準備も無しで身を投じる危険性は、私にも理解できる。

はいそうですかと私を見送るほど、彼も馬鹿ではないだろう。

 

「ま、まさかとは思うけど・・・・・・お前、変な気を起こしたんじゃないだろうな」

「そのまさかだって言ったら?」

「ば、馬鹿野郎!!命を粗末にするなって言っただろ!!」

 

その瞬間、ザッツの背後にいた馬の身体が大きく反り上がった。

傍で大声上げたをせいか、驚いて足をバタつかせてしまったようだ。

 

「わ、わわ―――」

 

それに気を取られたザッツの背後が、無防備に私に向けられた。

心の中で詫びながら、間髪入れず長巻の柄で彼の首筋を打つ。

 

衝撃で意識を飛ばされたザッツの体が、力なく草むらの上に横たわった。

 

「・・・・・・ごめん」

 

そう呟いてから、空を見上げる。

本当に綺麗な場所だ。夕刻になれば、見事な夕焼けがこの大地を染め上げるのだろう。

星空も一見の価値があるとザッツが教えてくれた。

 

目的など無い。思うがまま、感じるがままにこの地にやって来ただけだ。

野垂れ死にするのなら、それまで。ここで土に還れるなら本望だ。

私の―――アヤという人生を締めくくるには、少々勿体無い場所かもしれない。

 

腰を下ろし、ザッツの体を仰向けに寝かせ直す。

ここにいれば、いずれ軍の誰かが気付いてくれるに違いない。

 

「それと―――ありがとう」

 

こんな感情がまだ私の中に残っていたことに、自分自身驚いた。

久しぶりに人に戻れたかのような感覚だ。少しだけ、名残惜しさを感じた。

 

彼にお礼を言った後、踵を返して私は歩を進めた。

どこまでも続く、果てしない草原に向かって。

 

_____________________________________

 

当てもなく北東部に向かって岩山を超え、ただひたすらに歩を進めた。

道中、山羊の死骸が草むらに横たわっているのが目に入った。

魔獣の食べ残しだったのだろう。状態から見て、2~3日前の物と判断できた。

いつもの癖で、皮と毛を切り取って肩に背負ってしまった。

こういった毛皮は体温を保護するのに適している。悪臭が漂い始めていたが、鼻が慣れるのも時間の問題だった。

 

森林が生い茂る緩やかな崖を下ると、川を見つけることができた。

水流の中には、サワガニがいた。水が澄んでいる証拠で、火を通せば飲み水にもなった。

近くにあった大きな岩の窪みに、当たり前のように枯れ木を集め始めた。

獲物が潜んでいそうな浅瀬に長巻を叩き込めば、気を失った川魚が水面に浮かんできた。

水も食料も、寝床も確保できた。

 

日が落ちて周囲が暗闇に包まれる頃、気温が一気に低下してきた。

昼夜の寒暖差が激しいとは聞いていたが、想像以上だった。

とはいえ火を絶やさず、毛皮に身を包めば体温は保持できた。

 

白い息を吐きながら、焚火で燻られた川魚を夢中になって頬張った。

私はやはり、食事をしている時が一番幸せだ。

そこで―――漸く気付いた。

 

私は生きている。生きようとしている。

死に場所に足を運んだつもりなのに、全ての行動が当然のように生へ向かってしまう。

 

(本当に綺麗・・・・・・)

 

上空を見上げると、森を埋め尽くす木々の葉に遮られているものの、星を目にすることはできた。

ザッツの言う通りだ。この星空の前では、どんな言葉を並べても安っぽいものになってしまう。

 

今頃、彼は何をしているのだろう。

そして私は、今何をしているのだろう。

夕焼けに染まる草原の姿が頭から離れない。この星空から目を離すことができない。

自分で自分が分からなくなる。私は一体何を望んでいる。

 

(私もこれで、16歳か)

 

胸元でくしゃくしゃになったタバコに火を点けながら、16回目の誕生日を想う。

ノルドでは、16歳で成人を迎えるそうだ。

―――どうでもいいことだ。吸い始めたばかりのタバコを焚火の中に放り込み、目を閉じた。

 

____________________________________

 

3月31日。

私は早朝から川に沿って森を歩き続けていた。

道中にはザッツが言っていた監視塔とやらを目にすることができた。

分かり切っていたことだが、人工的な物はそれだけだった。

 

太陽が天辺に昇り切る頃、私は川の緩流に身を預けて体を洗っていた。

流石にこの季節では、日中でも相当な冷たさだ。予め火を焚いておいて正解だった。

そういえば、この地には遊牧民がいるはずだ。

川を下って行けば、もしかしたら出くわすこともあるのかもしれない。

 

―――そう思っていた矢先の事だった。

 

「・・・・・・悲鳴?」

 

確かに聞こえた。動物の声とは違う、甲高い声。

人がいるのだろうか。そうだとしたら、明らかに今のは悲鳴だ。

足早に川を出て、上着で身体を拭いてから衣服を羽織る。

念のために戦術オーブメントと長巻を携えて、声がした方角に向かって走り始めた。

 

見ればこの先は小さな崖、川は滝となって降りているようだ。5~6アージュ程度だろうか。

水流に流されないようにして、慎重に崖下を覗き込む。すぐにそれは目に入った。

 

(あれが、ノルドの遊牧民?)

 

青色の衣装を身に纏った男の子と、その後ろで身を屈めている女の子。

そして、2人の前で十字の槍を構える男性。その先には、3匹の羊。

いや―――羊型の魔獣だ。遠目で見ても、3人に向けて殺気を放っているのが分かる。

私が立つ崖を背にして、3人の少年少女はじりじりと魔獣に追い詰められていた。

 

「あっ」

 

3匹の魔獣の後方から、さらに1匹の同型魔獣が唐突に姿を現した。

その瞬間、一気に場の雰囲気が豹変したのを肌で感じた。

均衡は崩れた。多分、あれでは無理だ。

 

自然に体が動いた。気付いた時には、私の体は宙を舞っていた。

受け身を取っている余裕は無かった。

少女の背後に強引に両足で着地したのと同時に、両腕に力を集中させる。

左右から襲い掛かってきた魔獣の蹴りを、何とかその両腕で受け止めた。

 

「なっ―――」

 

前方を見ると、槍を持った男性が呆気に取られた表情を私に向けていた。

何をしている。そんな場合ではないだろう。

 

「前っ!!」

「っ・・・・・・承知!!」

 

長巻の鞘を払い、勢いをそのままにして二の舞『円月』を繰り出した。

追撃しようとしていた左右の魔獣を、円状の斬撃で2匹共々切り払う。

前方では、男性が4匹目の魔獣に槍を突き立てていた。

これで全部だ。既に周囲には、魔獣の気配はない。もう脅威は去ったはずだ。

 

(・・・っ痛・・・・・・)

 

未だに腕が痺れている。

3人に気付かれないように、患部を押さえながら回復系アーツを発動させた。

低級の魔獣といえど、まともに蹴撃を腕で受けるのは流石に無理があったようだ。

 

「だ、誰?」

 

振り向くと、少女を胸に抱いた少年が、目を丸くして私を見詰めていた。

これは、どう答えればいいのだろう。名を名乗ったところで意味がない。

 

「シーダ、トーマ!無事か!?」

 

シーダとトーマ。この少女と少年の名前なのだろう。

周囲に残心を取っていた男性が、槍を放り投げて足早に男女の下へ駆け寄ってきた。

 

「う、うん。僕は何ともないよ」

「うぅ・・・っ・・・・・・うええぇぇん」

 

力強く答えた少年に対して、少女は堰を切ったように涙を流し始めてしまった。

男性は少女を優しく抱きしめながら、傷を負っていないか確認しているようだ。

 

払った鞘を拾いながら、まじまじと彼らを観察する。

こうして改めてみると、確かに彼らはこの地の原住民なのだろう。

褐色の肌に、独特の民族衣装。どれもザッツが教えてくれた特徴と合致している。

 

程無くして、泣き声は止んだ。少女も漸く落ち着きを取り戻し始めたらしい。

 

「すまない、助かった。君のおかげで弟達も無事みたいだ」

「・・・っ・・・そう」

 

声を掛けられただけだというのに、どういうわけか緊張してしまう。

澄んだ翡翠色の瞳。まるで風色のセピスのようだ。

見られているだけで吸い込まれてしまいそうな感覚だ。

 

「君は・・・・・・外の人間のようだな。どうしてこんな所に?」

「か、観光」

「観光?こんな森の奥に、1人でか?」

 

男性が怪訝な表情で見詰めてくる。

ゼンダー門で通じた言い訳も、彼には通じない。

丸2日間、歩きっ放しだった。気付かないうちに、どうやらかなり深い所まで入り込んでしまっていたのだろう。

 

「驚いたな。君のような女性が、こんな所まっ・・・・・・!」

 

そこで言葉を切って、男性が急に上空を見上げた。

同時に、表情が先程までのそれに豹変する。

 

「え?」

 

彼につられて上空を見上げると、太陽の光が何かに遮られた。

影のシルエットだけで、それが何かはすぐに分かった。

 

「っ・・・・・・!」

 

咄嗟に長巻を握っていた方の腕で、頭部を防御する。

すぐに意識が遠のく程の衝撃が、私に襲い掛かった。

完全に不意を突かれた。崖の上に、もう1匹いたようだ。

 

「がはっ・・・・・・!」

 

何とか防御には成功したものの、耳鳴りと揺らぐ視界で状況が判断できない。

あと数秒間は回復しない。今魔獣はどこにいる。少年と少女は無事だろうか。

 

「はぁっ!!」

 

男性の声がした方向に目を向ける。

おぼろげながら、槍に身を貫かれた魔獣の姿が確認できた。

何とか間に合ったようだ。少年と少女にも変わった様子は見受けられない。

 

「ぶ、無事か!怪我は!?」

 

地面に膝をついた男性が、私の顔を覗き込んでくる。

外傷はない。意識もハッキリしている。視界と聴覚も回復しつつある。

 

(―――あれ?)

 

視界が明瞭になるにつれ、違和感に気付いた。

途端に、途方もない孤独感に苛まれた。

 

「どうしたんだ?」

「無い・・・・・・無いっ」

 

どこにも無い。先程まで右手にあった、長巻が無くなっていた。

そう遠くまで飛ばされたはずがない。近くにあるはずだ。

 

「・・・・・・っ!?」

 

思わず息を飲んだ。川の中だ。

急流に飲み込まれて、流されていく長巻の姿が目に飛び込んできた。

 

「お、お母さんっ!!」

 

気付いた時には、私は川の中に飛び込んでいた。

男性の叫び声が聞こえたが、今はどうだっていい。

このままでは―――私は本当に独りぼっちになってしまう。

 

底に足はつかなかった。思っていた以上に流れも速い。

一気に水を吸った衣服が身体に纏わりついてくる。

泳ぎは得意な方だが、ここではそれも通用しそうにない。

 

(お母さんっ・・・・・・!)

 

流れに抗わないように水を掻き、視界に長巻を捉え続けながら後を追う。

幸いにも長巻は岩に行く手を阻まれながら減速し、少しずつ私との距離を縮めつつあった。

 

(捕まえたっ)

 

やっとの思いで長巻の柄を掴んだ。

それと同時に、後頭部から鈍い音がした。

私の頭部は―――今日二度目の衝撃に襲われた。

 

(―――木?)

 

狭まっていく視界の端に、大きな丸太が映った。

どうやら流されてきた丸太で後頭部を打たれたようだ。

身体が思うように動かない。全身の感覚が、一気に遠のいていく。

 

「掴まれっ!!」

 

再び、男性の声が聞こえた。

驚いたことに、彼の身体はすぐ傍に迫っていた。

川の中まで追ってきたのか。何て無茶をするんだ。

 

彼が差し伸べた手が、私の左腕を捕らえた。

私はそれを―――最後の力を振り絞って、振り払った。

 

「っ!?」

 

このままでは、彼にも危険が及ぶ。

急流とはいえ、彼1人なら今からでも助かるだろう。

 

多分、これが私の最期だ。

思っていた通りだ。やはりここが、私の死に場所だったのだろう。

寂しさは無い。懐にはお母さんがいる。私は独りじゃない。

 

幼い2人の命を救うことができた。それだけで満足だ。

最期の最期で、人間らしいことができてよかった。

 

(お母さん・・・・・・ごめんね)

 

4年間、私はお母さんとの約束を守り続けた。

私は十分頑張った。だからもう、休みたい。

 

―――待っていて、お母さん。すぐにそっちに向かうから。


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