絢の軌跡   作:ゆーゆ

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それでも私は。それでも僕らは。

1204年、6月28日。

この日の出来事は、間違いなく帝国史実に刻まれるであろう惨事だった。

正確に言えば、その一歩手前。引き金となった襲撃により複数人の血は流れたものの、それ以上被害が拡大することはなかった。

 

今の時刻は、同日の午後9時過ぎ。

ノルド高原は何事も無かったかのように、夜の深い静寂に包まれていた。

軍用飛空艇が空を駆ける音も、戦車が草原を踏みにじる音も無い。

導力革命以降も保たれてきた、自然と歩みを共にする姿があった。

 

「あ、あと1枚・・・・・・漸く終わりが見えてきたかな」

「ふふ、もうひと頑張りですよ、アヤさん」

 

私達は今、離れのゲルに木製のテーブルを持ち込み、特別実習のレポートを仕上げるべく奮闘していた。

実習は今回が3度目。内容のまとめ方もコツは掴めてきたのだが、如何せん今回は勝手が違った。

何しろ初日の移動日を含め、3日間に渡る実習のレポートだ。先月までとはまるで量が違う。

昨晩は宴の勢いで寝入ってしまった分、その反動も相まって今夜は泣きたい気分だ。

 

結論から言えば、既に戦争の危機は脱した。

犯人達を拘束した私達は、大急ぎで彼らの身柄をゼクス中将へと引き渡した。

それで全てが丸く収まるという私達の期待は、大いに裏切られる結果となったのだが―――

 

「―――レクターっていったっけ。あの人のこと、どう書けばいいんだろ」

 

再び結論から言えば、突然姿を現した青年の存在が、戦争の回避を決定付けるものとなった。

レクターと名乗った彼が、共和国側とどんなやり取りをしたかは知る由もない。

だがゼクス中将の言葉が真実なら、交渉の場に立ったのは彼だったはずだ。

 

「帝国軍情報局の人間、それ以上のことを知る術はないだろう。あの小娘の件もそうだが、憶測は無意味だ。事実だけを記せばいい」

「そうだけどさ、レポートの内容も評価対象になるんだから・・・・・・ユーシス、ちょっと見せてよ」

「お断りだ。添削はしてやらんでもない」

「ぐぬぬ・・・・・・」

 

まぁ、ユーシスの言う通りなのだろう。情報局なるものの存在は、今日初めて知ったばかりだ。

リィンやユーシスは耳にしたことがあるようだったが、詳細はまるで聞いたことがないらしい。

勝手な憶測は返ってマイナスになり兼ねない。

そしてミリアムが私の過去の一部を知っていたことも、今となっては追いようがない。

もう会うことさえ叶わない存在なのだろう。

 

「はは・・・・・・さてと、こんなものか。ガイウス、そっちはどうだ?」

「一通りはちょうど書き終えたところだ」

「ええー。早いよ、2人とも」

 

リィンとガイウスが背伸びをしながら、ペンをレポート用紙の上に置いた。

ユーシスは一足先にまとめ終えていたようで、欠伸を噛み殺しながら首を鳴らしていた。

 

「もう少しじゃない、アヤ。さっさと終わらせて、早く休みましょう」

「ええ、そうですね。流石に目蓋が重くなってきました」

 

アリサにエマは、スヤスヤとベッドで眠るシーダとリリを優しい目で見守っていた。

実家のゲルでは、昨晩に続いて盛大な宴が催されている。

誰が言いだしたわけでもなく、ごく自然な流れで文字通りのドンチャン騒ぎだ。

移住の準備に追われていた分、今でも一部の家具や寝具までもが外に放置されている。

片すよりも、今は喜びを皆で分かち合いたいのだろう。

 

こんな時に行き場を失くしたシーダとリリは、婆様と一緒に眠ることが多い。

今日はアリサとエマが一緒に眠ってあげると言っていた。

この3日間で、大分懐いてくれたらしい。ほほ笑ましい限りだ。

トーマも別のゲルで寝床を借りているのだろう。

 

「やっほー!どうしたのよ君達、こんなところに籠っちゃって!」

 

陽気な声を上げながら入り口に顔を覗かせたのは、サラ教官。

手にはワインボトルとグラスがあった。うん、もう立派に出来上がってる。

 

「ちょっとサラ教官、シーダ達が起きちゃいますよ。静かにして下さい」

「とにかくほら、今日の立役者がこんなところにいてどうするの。さっさと君達も参加して飲みなさいな」

「殴っていいですか?」

「アヤ、今はレポートに集中しなさい」

「そうですよサラ様。アリサお嬢様も困っておりますわ」

「何であなたまで入ってくるのよ!?」

 

アリサが声を荒げた途端、リリが「んんー」と声を漏らしながら寝返りを打った。

それが合図となったかのように、一気にゲル内が静寂に包まれた。

サラ教官とシャロンさんは、そのまま口を閉ざしながら踵を返してゲルを後にした。

 

2人がこの集落を訪れたのは、2時間以上前のことだった。

おそらく教官は事態を聞き及んだ後、すぐにこのノルドへ足を運んだのだろう。

全てが収束に向かった後だったが、私達の身を案じての行動と考えれば悪い気はしない。

シャロンさんは・・・・・・もう考えるまでもないだろう。

 

「さっさと終わらせるがいい」

「・・・・・・そうだね」

 

結局のところ、今のは邪魔をしに来ただけである。何て教官だ。

気を抜くと目蓋が閉じそうになるのを堪えて、私はペンを走らせた。

 

____________________________________________

 

レポートを仕上げるまで、それから1時間近くも掛かってしまった。

もう夜の10時を回っている。普段ならともかく、今日は皆疲労がピークに達しているのだ。

律儀に私達を待っていたリィンとユーシスは、もう限界だと言わんばかりにベッドの中に入ってしまった。

アリサとエマも、すぐにシーダ達の隣で寝息を立てることだろう。

 

「宴、終わってるかな?」

「どうだろうな・・・・・・教官の声は聞こえるようだが」

 

実家へと歩を進めるにつれ、中からはサラ教官の笑い声が耳に入ってきた。

私もリィン達に続いて寝床に入りたいところだが、どうやらそうもいかないらしい。

まだ飲んでいるのか、あの人は。こうなってくると何しに来たのか本当に分からなくなってくる。

溜息を付きながらゲルの中に足を踏み入れると、案の定教官の姿が目に入った。

 

「あら、やっと来たわね」

「サラ教官、まだ飲んで―――」

 

―――はなかった。

暖炉の前に座るのは、お義父さんとサラ教官。その手には、ノルドハーブが香るお茶。

台所では忙しそうに手を動かすお義母さんと、シャロンさんの姿があった。

言葉にはし難いが、何とも新鮮な光景だった。

 

「ほらほら、早く座りなさい。2人が来るのを待ってたんだから」

「は、はぁ・・・・・・あの、他のみんなは?」

「もう戻っている。疲れも溜まっていたのだろう」

 

私の疑問に、お義父さんが静かに返す。

言われてみれば、昼間は誰もが移住の準備に追われっ放しだったのだ。

そんな状態で酒でも入れば、すぐに睡魔がやってきてもおかしくはない。

 

暖炉を挟んで、教官とお義父さんの向かい側へと腰を下ろす。ガイウスも私の隣に座った。

それと同時に、シャロンさんが私達2人にお茶を用意してくれた。

お義母さんから教わったのだろうか。香りを嗅ぐだけで、お義母さんが淹れたそれと遜色無い出来栄えだと分かる。

 

「2人で何の話をしていたんですか?」

「ふふん、家庭訪問ってやつよ」

「・・・・・・家庭訪問?」

 

横に視線を移すと、私と同様にしてガイウスが頭上に疑問符を浮かべていた。

家庭訪問。聞いたことがない表現だ。文字通りの意味なら、家庭を訪問すること。

この場合の家庭は、間違いなくここだ。それ以外の特別な意味合いがあるのだろうか。

 

「ガイウス。お前は実習の成績が芳しくないようだな」

「む・・・・・・」

 

お義父さんの鋭い指摘に、ガイウスがくぐもった声を上げた。

ガイウスは1回目の評価が『E』判定。2回目は私と同じ班で『B』評価だ。

1回目で『E』を食らったガイウス以外のメンバーは、2回目で『A』評価を勝ち取っている。

単純に平均評価で判断するなら、ガイウスの成績はかなり厳しいことになる。

 

「それとアヤ。お前の科目別の成績についてなんだが・・・・・・」

「ごめんなさい」

 

自然と謝罪の言葉が口から漏れた。見れば、お義父さんの手元には見慣れた成績表があった。

科目別の成績は月一で評価される。評価基準は日々の小テストや授業態度、質疑応答の内容等々だ。

というか、何故お義父さんがそれを手にしているのかが分からない。先のガイウスの件だってそうだ。

 

「・・・・・・あのー、サラ教官?」

「言ったでしょ?家庭訪問だって。これもお仕事よ、お仕事」

 

徐々にその意味が理解できてきた。

家庭訪問とは、要するにこういうものなのだろう。

散々飲んだくれておいて、何て恐ろしいことをするのだ。

隠そうにもこれでは筒抜けではないか。

 

「勘違いするな、別に責めるつもりはない。2人とも、最近は頑張っているそうじゃないか」

「え?」

「ふふ。私達も不安だったけど・・・・・・立派にやっているようね。中間試験、だったかしら?ガイウスもそうだし、アヤは特に成績が良くなってきているじゃない」

 

台所にいたお義母さんが、お義父さんの隣に座りながら言った。

中間試験の結果まで知らされていたのか。それはそれで、少しだけ胸を張れる思いだ。

 

「先も言いましたが、2人のことは心配要りません」

 

私とガイウスにちらと目配せをした後、サラ教官は私達に対する言葉を並べた。

 

「文化や習慣が異なる不慣れな地で、ガイウスはよくやっています。アヤの勉学に対する姿勢には、教職員一同感心させられる思いです。私自身、教官としては2年目の若輩者ですから・・・・・・2人が私のクラスに入ってくれて、本当によかったと思いますよ」

「さ、サラ教官・・・・・・」

「少々、面映いな」

 

時折見せる、本気で真面目モードのサラ教官。似合わないと思う一方で、ちょっとずるいとも思う。

どちらが教官の素顔なのだろうと考えたことがあったが、結局『どちらも』という結論に至った。

 

「・・・・・・え、2年目?サラ教官って、もっと前から士官学院にいたわけじゃないんですか?」

「あら、君達には言ってなかったっけ?見ての通り、まだまだ若手の新米教官なのよ」

 

『若手』がやけに強調されていたのは、気にしたら負けなのだろう。

聞けば、サラ教官が士官学院の教官となったのはつい昨年のことだそうだ。

教職員の中では若い方だと思ってはいたが、もう少し経験が長いと思い込んでいた。

生徒の扱いは手慣れているし、普段はともかく、先程のような場面ではしっかりと教官の務めを果たしているように思える。

皆はそのギャップを笑い飛ばすことが多い。私は・・・・・・結構好きなのだが。

 

「じゃあ、士官学院に来る前は何をしていたんですか?」

「ひ、み、つ♪」

 

口元を人差し指でトントンと押さえながら、艶やかな声を漏らした。

どうしてそこで色目を使うのかが分からないが、お義父さんは明らかに鼻の下が伸びていた。

 

「あなた、少し話があります」

「む?ま、待てファトマ、一体何を―――」

 

________________________________________

 

私達は久しぶりに勃発した夫婦喧嘩から逃げるように、外で風に当たりながら時間を潰すことにした。

実家からはお義父さんの悲鳴が聞こえてくる。自業自得だろう。

逃げ遅れたサラ教官とシャロンさんについては・・・・・・気にしないでおこう。

 

「はぁ。おかげで目が覚めちゃったかな」

「俺もだ。あと30分は時間を潰す必要があるな」

「・・・・・・星、今日もよく見えるね」

 

故郷の星空を見上げながら過ごす、3回目の夜。

そして当然のように隣に座る、ガイウス。

いつも通りだ。いつも通りの私と、いつも通りの彼。何も変わらない日常と、故郷の星空。

こうしていて漸く実感が湧いてくる。

 

「私達・・・・・・守ったんだよね。守れたんだよね」

 

長い1日だったと思う。ノルドで過ごしてきた日々の中で、1番長い1日だった。

私達は救うことができた。この愛する故郷を。愛する家族、集落で生活を共にする皆を。

 

不思議な感覚だった。原因は昨晩、アリサとエマに私の過去を語ったからに違いない。

7年前の私と、3年前の私。涙を堪えて戦った、今日の私。

帝国に足を踏み入れてから私が歩んだ7年間の軌跡と、降って湧いた故郷の窮地。

バラバラのようでいて、全てが繋がっているように思えた。

 

「ああ。だが今日の一連の騒動は、予兆に過ぎないのだと思う」

「予兆?」

 

星空を見上げる視線をそのままにして、ガイウスは続けた。

 

「俺の予感は当たっていたのかもしれない。このノルドの地が平穏であり続ける保証は、どこにもない」

 

いずれ、外の大きな流れに巻き込まれる可能性がある。

午前中にゼンダー門へ向かう道中、ガイウスが語ったことだ。

その通りだと思う。今回の事件は、私達への警告なのかもしれない。

 

ある意味でノルドの遊牧民は身勝手だ。

帝国や共和国との関係を深め、少なからず両国の恩恵を受けながらも、自身はまるで変わろうとしない。

お義父さんが語ったように、変わらなければいけないことだってあるはずなのに。

 

「うん、私もそう思う。帝国も共和国も・・・・・・きっとこのままじゃいられない」

 

ともあれ、ノルドは変わる。姿は以前のままでも、帝国と共和国の目にそうは映らない。

国境紛争は回避できても、その寸前にまで追い込まれたという事実だけは両国に残る。

互いに軍備を強化し合うのかもしれない。監視塔のような軍事施設が新たに設けられてもおかしくはない。

睨み合いや意地の張り合いは、今日で終わりだ。

その狭間で居ない振りを決め込むのも、そろそろ限界なのかもしれない。

 

「だから俺は、強くなりたいんだ。俺はいつか、父さんの後を継ぐ立場にある。ノルドの未来は、俺達の未来だ。俺は・・・・・・強くなりたい」

 

風渡る高原。高き山々。蒼き蒼。

日の出の神々しさ。夕陽の切なさ。全てを許してくれるような綺羅の夜空。

全てを愛していると、ガイウスは言った。

 

だから守りたい。だからこそ、外の世界を知りたい。

それがリィン達へ打ち明けた、ガイウスが士官学院を志望した理由だった。

 

でも、そうではないのだろう。外の世界を知った先―――彼が言いたいのは、その先の話だ。

リィンやユーシス、アリサにエマ。誰一人として欠けていい仲間などいなかった。

ゼクス中将、第3機甲師団、ミリアム。レクターと名乗る青年。どれかが1つでも欠けていたら。

私達は、その一因に過ぎなかった。それ以上でも以下でもない。

 

自分自身の力で故郷を守り、未来を掴む。それがノルドを離れた、本当の理由。

 

「ガイウス・・・・・・」

 

胸を締め付けるような感覚に苛まれた。

故郷に対して愛していると臆面もなく口に出せる男性は、ガイウス以外に知らない。

素敵なことだと思う。立派だと思う。なんて綺麗な感情なのだろう。

彼はどこまでも純粋だ。瞳の色は、その全てを物語っている。

 

そんな彼を、私は支えたい。

傍で見ていたいと思う。力になりたいと思う。

彼が未来を掴みとる軌跡を、私は隣で見ていたい。

たとえ私と彼が、異なる道を選ぶことになったとしても―――それでも、私は。

 

「あっ」

「ん?」

 

唐突に、理解した。

何年も何年も悩み続けていた疑問が、解消されたかのような瞬間。

それは余りにも突然の感情で―――いや、ずっとそうだった。

理解しただけだ。ずっと前から、そして今も。

むしろ今は、以前よりも増してずっとずっと、その想いは強く。

 

「・・・・・・ふふっ」

「アヤ?」

「あは、あはは!あはははは!」

 

笑いが止まらない。漸く合点がいった。

成程、だから姉らしく振る舞えないわけだ。

姉弟なんかじゃない。始めから私は、彼を弟とは見ていなかった。

 

何故気付かなかったのだろう。3年間も隣にいて、どうして分からなかったのだろう。

傍にいたいと思うのに。彼無しでは、もう生きていけないという自覚はあるのに。

こんなにも―――想っていたのに。

 

「アヤ、どうしたっていうんだ?」

「うるさい、馬鹿っ」

 

精一杯の虚勢を張って、お茶を濁す。

察してほしいという思いはあったが、それも無茶な話だ。

それでも今は、少しだけ意地悪をさせてほしい。

 

いずれにせよ、これは困ったことになった。

私は今日から、彼の前でどんな顔をすればいいのだろう。

もう平気ではいられない。たった数分前の自分には、もう戻れそうもない。

いっその事、顔を赤らめて初々しい態度をとってやろうか。

・・・・・・馬鹿か、私は。アリサじゃあるまいし。似合わないにも程がある。

 

「ねえ、ガイウス」

「何だ」

「・・・・・・呼んだみただけ」

 

私はこの感情の名前を知っているし、初めてではないようにも思えた。

それはきっと、生まれ故郷へ置き去りにしてきた、淡い思い出。

私が歩むかもしれなかった、もう1つの軌跡。

忘れようとは思わない。忘れたくはない。それ以上に私は、今のこの想いを大切にしたい。

 

「・・・・・・酔っているのか?」

「飲んでないってば。でも・・・・・・あはは、そうなのかも」

 

そっと小指同士が触れ合う程度の、付かず離れずの距離。

そんな数リジュの距離感にやきもきしながら、私は夜空を見上げていた。

 

______________________________________

 

遡ること、約1時間前。

 

アヤと同じ夜空で繋がりながらも、それは遥か2000セルジュ以上も離れた国境の向こう側。

築30年以上も経つ、ややくたびれた3階建てのビル。以前は『クロスベル通信社』の本社として使用されていた建物だ。

その屋上には、遠い過去へ思いを馳せる1人の青年の姿があった。

 

「よぉ、ロイド」

「ん・・・・・・え、オスカー?」

「やっほーロイド。何してんの、こんなところで」

「ウェンディまで・・・・・・それはこっちの台詞だろ」

 

名を呼ばれたロイドは、振り返りながら男女の名を口にした。

幼少の頃の彼を知る、数少ない存在。兄の背中を追いかけるロイドを見てきた、古くからの親友。

それぞれが別の道を歩みながらも、ロイドにとっては掛け替えのない存在であった。

 

「売れ残りだけど、差し入れを持ってきてやったよ。1階のテーブルに置いてあるから、キーアちゃんと食べてくれ」

「私はこれ。明日から研修なんでしょ?早い方がいいと思って」

 

ウェンディがロイドに差し出したのは、彼が今朝方に調整を依頼していた戦術オーブメントだった。

 

「わざわざ届けてくれたのか。ありがとうウェンディ、それにオスカーも」

「いいって。それで、お前の方は何してたんだ?天体観測か?」

「はは・・・・・・まぁそんなところさ。ほら、今日は星がよく見えるだろ?」

 

ロイドが指指す上空には、満点の星空があった。

それは紛れもなく、彼が仲間と共に守り抜いた故郷の夜空だ。

 

得体の知れない狂信者集団の暗躍と、州議会議長との繋がり。

自治州始まって以来の大スキャンダルに、一時は暴動が起きかねない程の混乱が市民を襲った。

今ではそれも鳴りを潜め、誰もが新市長と新議会長への期待に胸を募らせている。

クロスベルは今まさに、大きな変革の時を迎えようとしていた。

 

「・・・・・・やっぱり、寂しいの?」

「え?」

「顔に書いてあるわよ。今朝が出発だったんでしょ?」

 

特務支援課の長であるセルゲイと、ベッドの中で寝息を立てるキーア。

ビルの中にいるのは、その2人だけだ。頼れる兄貴分も、過去を乗り越えた少女もいない。

想いを寄せる女性に至っては、父親と共に遠い異国の地へ降り立っている頃合いだ。

皆それぞれの確固たる信念のもと、一時的に特務支援課は離散していた。

泣き顔ではなく、笑顔で。さよならは言わず、また会おうと誓いを立てて。

それがちょうど、6月28日の朝の出来事だった。

 

「そんなことないさ。みんな必ず戻ってくるんだ、寂しくなんかないよ」

「それは分かるけど。じゃあ、どうして?」

「少し、昔のことを思い出しててさ」

「昔のこと?」

「・・・・・・もう、7年も経つんだな」

 

7年間。その言葉だけで、オスカーとウェンディは彼の心中を察した。

 

親しい少女がいた。住宅街の外れに佇む、小さな一軒家に住んでいた。

明るく活発なその少女は、ロイドらと行動を共にすることが多かった。

遊撃士である母親に習い、剣を学んでいた。度々相手をさせられていたロイドは、泥だらけになるまで稽古に付き合わされた。

オスカーとウェンディは、そんな2人を見るのが大好きだった。

日曜学校で同じ教科書を共有し、日が暮れるまで同じ時間を過ごす毎日。

 

ある日、母方の伯父を訪れるため、親子2人でエレボニア帝国へと旅立った。

3日間留守にすると聞かされていたロイド達は、少女の帰りを心待ちにしていた。

3日目の夜。待てど暮らせど、2人がクロスベルに戻ってくることはなかった。

1ヶ月後、母親の訃報が彼らの下に届いた。それが、最後だった。

 

2人と関わりのある者達は、警察や政府に対して何度も説明を要求した。

返ってくるのは、母親は傭兵に襲われて死亡、少女は行方不明。それだけだった。

遊撃士協会も帝国の各支部に捜索依頼を出していたが、足取りは掴めなかった。

それが意味するところは、1つしかなかった。時が経つにつれ、少女の名を口に出す者も減った。

 

この場にいる、3人を除いて。

 

「今頃どうしてんのかなぁ、あいつ」

「ふふ、もしかしたら結婚でもしてたりして。一番年上だったしね」

「・・・・・・はは、そうだな」

 

確かめ合うようにして、3人の思いが重なる。

1人では諦めていたかもしれない。2人では支えきれなかったかもしれない。

可能性は絶望的かもしれない。淡い希望にすがっているだけなのかもしれない。

 

―――それでも彼らは、信じて疑わない。もう何度目になるか分からない、3人の誓い合い。

絶対に生きている。彼女もきっと、こうして同じ夜空を見上げているに違いない。

心を共にする仲間が再びここへ集うように、彼女もきっと。

そう心の中で願いながら、ロイドはエニグマを手にした。

 

「もうこんな時間か。2人とも、そろそろ―――」

 

突然、周囲に着信音が鳴り響いた。

エニグマに搭載された、無線による通信機能。

それが始まりだった。願いが現実となる、その一歩目。

今のロイドには、知る由も無かった。


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