絢の軌跡   作:ゆーゆ

45 / 93
黒髪の少女

「ん、こんなもんかな」

 

フィーの肩に纏わりついた髪を手で払いながら、出来栄えを確認してもらう。

切ったといっても、長さは大して変わらない。

適当に邪魔にならない程度に、という彼女の注文には十分応えられただろう。

 

「いい感じ。アヤって意外と器用なんだ」

「あはは。意外とは余計だよ」

 

わしゃわしゃと頭を掻きながら、鏡の前で満足気に頷くフィー。

彼女の仕草や挙動は小動物を思わせる。トワ会長がリスなら、フィーは猫だろうか。

 

私の7月18日は、約束していたフィーの散髪で幕を開けた。

場所は3階の談話スペース。以前ガイウスに切ってもらったのと同じセッティングだ。

本来は昨晩切ってあげるはずだったのだが、思い出した頃にはフィーに睡魔が訪れている時間だった。

私も私で、昨日は教官3人組に巻き込まれて予定が大幅に狂ってしまっていた。

今朝もベッドから起き上がったのは7時を回った後だ。自由行動日とはいえ久しぶりの大寝坊である。

 

「あ」

 

フィーと一緒に床を掃いていると、驚きと気まずさが入り混じった声が彼女の口から漏れた。

 

「む」

 

返すようにして、同じ色の声が背後から聞こえた。

振り返ると、そこに立っていたのはラウラだった。

 

「おはよう、ラウラ」

「・・・・・・おはよう、2人とも。髪を切っていたのか」

「うん。フィーに頼まれてさ」

 

そうして訪れる沈黙。

黙々と手を止めずに床を掃除するフィーと、腕を組みながらそれを見下ろすラウラ。

最近ではお馴染みの光景だ。朝っぱらから容赦がない。

 

前月の実習で、彼女らが行動を共にしたB班に与えられた評価は『B』判定。

聞けば、2人は実習中も終始こんな調子ですれ違い続けていたそうだ。

そんな悪条件の中でのB判定は、賞賛に値する結果なのだろう。

マキアス、エリオット。よく頑張った。

 

「今日も水泳部に行くの?」

「ああ。モニカとの約束があるからな。そなたは?」

「今日馬術部の活動は休みだから、終日キルシェにいるよ」

 

それから一言二言会話を交わした後、ラウラは階段を下りて行った。

気付いた時には、床に落ちていた髪は綺麗さっぱり無くなっていた。

 

「ご、ごめん。手伝わなくて」

「別に。切ってもらったのは私だし」

 

普段通りに見えて、やはりフィーの表情もどこかぎこちない。

何が2人をそうさせているのかは知る由も無い。ただ、少しだけ嫌な予感がした。

もしそうなったら、私はきっと2人を許すことができないかもしれない。

ただの、思い過ごしであってほしい。そう願うばかりだ。

 

__________________________________

 

昼下がりのキルシェ。

教室で過ごす緑色の午後の次に、私が好きな時間帯だ。

書き入れ時を過ぎた店内に人はまばらで、誰しもがゆっくりと流れる時間を満喫していた。

店内の導力ラジオからは、透き通るような女性の歌声が小音量で流れていた。

 

「フフフーン、フフフーン―――」

 

『空を見上げて』。

頭の中で歌詞をなぞりながら、鼻歌でそのメロディーを口ずさむ。

お父さんが『星の在り処』なら、お母さんがよく聞かせてくれたのがこの曲だった。

原曲を耳にしたことは数える程度しかない。ここで聞けるとは思ってもいなかった。

こうして改めて聞くと、恋愛色が強い歌詞に思える。

祝福されている気分だ。今の私にとっては、少し気恥ずかしい。

 

グラスを拭きながら耳を傾けていると、入り口から来客を示すドアチャイムが聞こえた。

 

「あ。いらっしゃい、2人とも」

「こんにちは」

 

ガイウスにリンデ。2人の顔を見てすぐに思い出した。

そういえば、昨晩是非にとガイウスに声を掛けていたか。

顔が緩んでしまいそうになるのを堪え、2人をカウンター席へ案内する。

 

「・・・・・・ガイウス?」

 

ふとガイウスの方を見ると、すぐに違和感を覚えた。

どうも様子がおかしい。いつもは穏やかで冷静な彼の表情が、今は心無しか引き攣っているように思える。

これは―――怒り、だろうか。明らかに感情が昂ぶっているように見受けられた。

 

「どうしたの、怖い顔しちゃって」

「ええっと。それがですね・・・・・・」

 

ガイウスの代わりに、困り顔のリンデが事の経緯を説明してくれた。

その内容は、私にとって余りにも意外なものだった。

 

「はぁ?取っ組み合い?」

「・・・・・・面目ない」

 

リンデによれば、2人がここへ足を運ぶ道すがら、Ⅰ組のパトリックと偶然出くわしたそうだ。

初めは沈黙を守っていた2人だったが、パトリックがまた余計なことを口走ったらしい。

その内容というのが、私やガイウスに関することだった。

そんな安い挑発に乗ったガイウスが無言で詰め寄り、一触即発の状態に陥った。

掻い摘んでいえば、そんなところだそうだ。

 

「呆れた。まさか手を出したりはしていないでしょうね?」

「いや、流石にそれはしていないが・・・・・・すまない。冷静ではなかった」

 

そういえば、前月の実技テストから危うい気配はあった。

私があの時止めていなかったら、今回のような結果になってしまっていたのかもしれない。

まだ引きずっていたのか、ガイウスは。私はそこまで気にしていないというのに。

いけ好かない相手ではあるが、あれでも公爵家の三男坊だ。

そんな相手の顔をぶん殴ったともなれば、何が起きるのか想像も付かない。

ハインリッヒ教頭はどんな顔をするだろう。私に前科がある分、完全に不良姉弟扱いになりそうだ。

 

「ガイウス君を責めないであげて下さい。アヤさんのことを悪く言われたから、頭に血が上っちゃっただけなんだと思います」

「それはそうかもしれないけどさ」

「それに・・・・・・ふふ。言い方はあれですけど、少しほほ笑ましいです」

「ほほ笑ましい?な、何で?」

「あんなガイウス君を見たの、初めてですから。2人の関係がちょっとだけ羨ましいですよ」

 

そう言って、私とガイウスを交互に見やりながら笑みを浮かべるリンデ。

おそらくは彼女の言う通りなのだろう。私だって、怒りを露わにするガイウスを見たことは多くない。

呆れてしまう反面、確かに悪い気はしない。

それにしても―――

 

「ねえ。あなた本当にリンデだよね」

「え?ど、どうしたんですか急に」

「その悪戯っぽい笑いが何となーく、ヴィヴィに似てる気がする」

「ええ!?ち、違いますよ!」

 

リンデとヴィヴィの瓜二つっぷりは、学院内でも有名だ。

リィンが依然話していたことだが、ヴィヴィは度々リンデに化けては周囲を驚かせているそうだ。

昨日だってそうだ。ガイウスはさりげなく美術部に紛れ込んだヴィヴィをリンデだと思い込んでいたらしい。

 

「アヤ、俺も昨日気付いたばかりだが、リンデとヴィヴィでは瞳の色が若干違うようだ」

「え、そうなの?」

「ああ。彼女は間違いなくリンデだ」

 

ガイウスに促され、リンデの瞳の色を窺う。

・・・・・・駄目だ。まるで分からない。

比較対象が無い分当然かもしれないが、2人を並べても私には分かりそうにない。

 

「あはは。それに気付いたの、学院内でもガイウス君ぐらいですよ」

「毎日のように君を見ているからな」

「・・・・・・ガイウス君。それ多分言っちゃダメな台詞だと思います」

 

気付いた時には、目を細めて睨んでいた。

リィンか、お前は。息を吐くようにそんな言葉を出さないでほしい。私の前で。

 

「えっと、改めて言わせて下さい。2人のこと、応援してますから」

 

声を潜め、私とガイウスに祝福の言葉をくれるリンデ。

ポーラとユーシスに続く、私とガイウスの仲を知るもう1人の存在。

どういうわけかお互いクラブ仲間同士になってしまったが、私にはこれぐらいがちょうどいい。

 

周囲に言い触らすような真似はしたくない。恥ずかし過ぎてできるはずもない。

ただ、この喜びを誰かと分かち合いたいという思いも、あるにはある。

ガイウスが彼女とどんなやり取りをしていたかは知る由も無いが、素直に感謝したい。

彼に想いを自覚させてくれたのは、彼女の存在に違いないのだから。

 

「アヤちゃん。テラスのお客さん、お願いできる?」

「あ、はい」

 

ドリーさんの声で、私が今接客中だということを思い出す。

随分と話し込んでしまった。流石に他のお客さんを無視して立ち話はできない。

 

「ガイウス、また後でね」

「ああ」

 

オーダー表を手に、店外のテラス席に足を運ぶ。

全然来客に気付かなかった。少し待たせてしまっただろうか。

 

「いらっしゃい・・・・・・ませ」

 

そこにいたのは、純白の制服を身に纏い、足を組みながら手元の小説に視線を落とす男子生徒。

パトリック・T・ハイアームズ。何ともタイムリーな来客だ。

気まずいにも程があるだろう。店内の2人に気付いているのだろうか。

 

「む。君は・・・・・・」

「コホン。ご注文は」

 

咳払いを1つして、平静を装う。

いずれにせよ、今の彼は客だ。なら私もキルシェの人間として振る舞うのが無難だろう。

 

「・・・・・・すまなかった」

「は?」

 

擦れるような小声で、パトリックが言った。

すまなかった、と今言ったか。確かに聞こえた。

 

「ねえ、今のはどういう―――」

「うるさい、二度とは言わないぞ。もう野蛮な留学生に殴り掛かられるのは御免なだけだ」

 

ぱたんと本を閉じ、顔を逸らすパトリック。

何となくだが、想像は付いた。多分、ガイウスとのやり取りのことを言っているのだろう。

彼がパトリックに何を言ったのかは分からないが、きっとそういうことだ。

 

「そう。できればそれ、クラスメイト全員に言ってほしいんだけど」

「意味が分からないな。何故僕がそんなことをする必要がある」

「・・・・・・ああ、そう」

 

思わず溜息が出る。本当によく分からない男性だ。

どうやら改心して謝罪の言葉を口にしたわけではないらしい。

 

「で、注文は?」

「・・・・・・この『ノルドティー』とは何だ。以前は無かったはずだが」

「ああ、それ?お勧めだよ。一度飲んでみたら?」

 

キルシェへの客足を伸ばす、2つ目の作戦。

フレッドさんが提案したそれは、新しいドリンクメニューの開拓だった。

それを店員でもない私に求められても困るのだが、1つだけ思い当たるものがあった。

それが実家から大量に送られてきた『ノルドハーブ』だった。

 

結局パトリックは悩んだ末に、私の勧めに乗ってくれた。

貴族様の口に合うかどうか自信は無かったが、少なくとも《Ⅶ組》内では高評価だ。

 

「お待たせしました」

「1つ訊くが、これは君が淹れたのか?」

「そうだけど。ダメだった?」

「フン、まあいい」

 

鼻で笑わないでほしい。これでも淹れ方はお義母さんにも引けを取らない自信がある。

そっとティーカップを口に運んだパトリックは、すぐに表情が変わった。

 

「これは・・・・・・」

「どう?」

「独特な香りだな。しかし・・・・・・癖になる味わいだ」

 

パトリックはそう言うと、再びティーカップを口にした。

先程までとは打って変わって、目を丸くしながらノルドティーに夢中になるパトリック。

その表情は、まるであどけない少年のそれだった。

 

(ふーん)

 

そんな顔もできるのか。なら、普段からそうしていればいいのに。

少なくとも、ノルドティーはこの地でも受け入れられそうだ。

今は私が私物を持ち込んで振る舞っているだけなので、材料原価はゼロに近い。

この調子なら、本格的に店で取り入れてもらってもいいかもしれない。その分故郷が潤うのだ。

 

「気に入ったんなら、クラスのみんなにも教えてあげてよ」

「ああ、これなら・・・・・・待て。何故僕がそんなことをする必要がある」

 

我に返ったかのように、パトリックは再びいつもの貴族の顔に戻ってしまった。

やれやれ。どちらが彼の本当の顔なのやら。

結局パトリックは、気まずそうにもう一杯のノルドティーをオーダーするのだった。

 

____________________________________

 

夕刻の16時過ぎ。

キルシェを後にした私は、そのままの足で学院内の美術室に足を運んだ。

ちょうどクラブ活動を終えた頃のガイウスと、一緒に下校するためだ。

 

「ごめん、待ってた?」

「いや、こちらも後片付けを始めたところだ。少し待っていてくれ」

「ん」

 

美術室には、ガイウスの姿しか無かった。

普段は部長であるクララ先輩が居座っているはずなのだが、今日は早く切り上げてくれたそうだ。

ありがたい限りだ。短い間だが、これで2人っきりになれた。

 

椅子に座りながら、筆を洗うガイウスの背中を見詰める。

今日が7月の18日。想いが成就してから、ちょうど1週間が過ぎた。

いつも通りの、変わらない背中。意識しているこちらが馬鹿らしくさえ思えてくる。

 

「ねぇ、ガイウス」

「何だ?」

「・・・・・・ううん、何でもない」

 

何だか不安さえ覚えてしまう。

私の想いも彼の想いも、嘘偽りの無い本物に違いないというのに。

普通の恋仲というものは、こんなものなのだろうか。

経験が無い分、こういう時何をすればいいのか分からない。

 

「ガイウスって、私に何もしないよね」

 

無意識の内に、そう口にしていた。

応えるように、ガイウスの筆を洗う手が止まった。

 

「アヤ?」

 

・・・・・・自分から言っておいて。まともに目を見ることもできない。

流石のガイウスにも、言葉の意味は理解できたようだ。

 

「な、何でもない」

 

目を逸らしながら言う私を余所に、ガイウスが一歩ずつ私に歩み寄る。

来ないでほしい。いや―――違う、そうじゃない。

お願いだから、もっと私を見てほしい。私に、触れてほしい。

壊れ物を扱うようにじゃなく、もっと強引に。

 

「アヤ」

「あっ―――」

 

そっと、顎を手で引かれた。

彼の吐息を頬に感じた、その瞬間。

 

「忘れ物忘れ物・・・・・・って、あれ?」

 

恋のキューピッドが、盛大に邪魔をしてくれた。

 

__________________________________

 

何事も無かったかのように、私とガイウスは美術室を後にした。

今度リンデに会ったら、3回は蹴ってあげよう、うん。

しばらくの間は、まともに目を見て話すことすらままならない。

それはガイウスも同じようだ。まぁ、今回は良しとしよう。

彼にその気があると分かっただけでも、不安など感じるはずもない。

 

「旧校舎・・・・・・そっか。今日が探索の日だったっけ」

 

聞けば、ガイウスはキルシェでの休憩後、旧校舎の探索に手を貸していたらしい。

私が旧校舎に入ったのは、先々月の探索が最後だったか。

来月にはまた手を貸してあげた方がいいかもしれない。

 

「赤い扉?」

「ああ、唐突に出現してな。何かの前触れかと思うのだが」

「へぇ、そんなことが・・・・・・あれ?」

 

階段を目指し歩いていると、3階へと続く階段を登るリィンの姿が目に入った。

その隣には、見慣れない少女の姿。あれは確か―――聖アストライア女学院の制服だ。

 

「妹、さん?」

「妹?」

 

気付いた時には、そう口にしていた。

ガイウスが怪訝そうな目で、私と2人の背中を交互に見ながら言った。

 

「リィンに妹がいるとは聞いていたが。彼女がそうなのか?」

「う、うん。女学院に通ってるって言ってたし、多分そうじゃないかな」

 

多分、それは後付けだ。

私は今、当然のように彼女をリィンの妹だと言った。

どうしてだろう。不思議と確信に近いものがある。

 

3階へ向かう2人の背を見送ると、続くようにしてアリサ達が階段を上ってきた。

こそこそと、隠れるように足音を忍ばせながら。

・・・・・・いや、怪し過ぎるだろう。後をつけているのだろうか。

見たところ、ラウラとフィー以外の《Ⅶ組》メンバーが勢揃いしていた。

 

「・・・・・・皆、何をしているんだ」

「さあ・・・・・・とりあえず、私達も行ってみる?」

 

何だか先月の実習から、こんなことが多い気がする。

状況はよく分からないが、私とガイウスはアリサ達に続いて階段を上った。

 

3階に着いたところで、周囲を見渡す。

リィンやアリサ達の姿は見当たらなかった。

 

「おっかしいなー、みんなどこに行ったんだろ」

「屋上に向かったのかもしれないな」

「あ。そっか」

 

言われてみれば、屋上があったか。

お互いに普段あまり足を運ばない分、その存在をすっかり忘れていた。

 

屋上に続く階段を上り、扉を開ける。

思っていた通り、そこにはアリサ達の姿があった。

その視線の先には、リィンと先程の少女の姿も確認できた。

 

「アリサ」

「わわっ・・・・・・って、アヤじゃない。どうしたの?」

「こっちの台詞だよ。みんなで何を―――」

 

私の言葉を遮るようにして、少女の叫び声が屋上中に響き渡った。

その声は、泣いていた。

 

_____________________________________

 

『アヤ、そっちはどうだ?』

「ううん、中庭にはいないみたい」

『そうか。俺はもう少し本校舎を探そう』

「分かった。私も外を回ってみる」

 

ARCUSの通信を切り、周囲を見渡す。

そう遠くへは行っていないはずだ。敷地内を探すのが無難だろう。

 

状況はアリサが掻い摘んで説明してくれた。

思っていたように、やはり少女はリィンの妹で間違いないそうだ。

2人の間に何があったのかは分からない。ただ、妹さん―――エリゼちゃんは、泣いていた。

級友として、放っては置けない。もしかしたら、道に迷っているのかもしれない。

いずれにせよ、妹を泣かすだなんて。リィンには後でお説教の刑だ。

 

「あっ」

 

中庭から本校舎を回るように走っていると、キルシェで見たばかりの男子生徒の姿が目に入った。

そしてその手前には、目当ての少女の姿もあった。

漸く見つけた。やはりまだ敷地内にいてくれたか。

 

「パトリック!」

「む・・・・・・また君か」

 

息を荒げながら駆け寄ると、私の様相に驚いたのか、エリゼちゃんは一歩後ずさってしまった。

落ち着け。ここでまた逃げられては困る。

 

「えーと。エリゼちゃん、でいいんだよね」

「は、はい。そうですが・・・・・・その、あなたは?」

「私はアヤ。リィンのクラスメイトなんだ」

「兄様の・・・・・・そうでしたか」

 

呼吸を整えながら名を名乗ると、エリゼちゃんはスカートの裾を摘む優雅な仕草を見せた。

思わずドキリとしてしまう。こういったやり取りは初の経験だ。

・・・・・・別に、やり返す必要はないよね。

 

「エリゼ・シュバルツァーと申します。兄がいつもお世話になっております」

「いえいえ。その、こちらこそ」

「やはり君はあいつの・・・・・・くっ、よりにもよってあのいけ好かない男の―――」

「ちょ、ちょっと」

 

対応に困っていると、パトリックがいつもの調子で毒を吐き始めた。

妹の前で、何て失礼なことを。何もこんな時に―――

 

「・・・・・・どうやら、兄と何か確執がおありのご様子。ご不快にさせたくありませんので、失礼致します」

「え?あ、待って―――」

「離して下さい!」

 

私の制止も聞かず、肩に置いた手を振り払いエリゼちゃんはその場を走り去ってしまった。

すぐに後を追おうとしたが、思わず躊躇してしまった。

あんなことを言われたら、誰だって怒るに決まっている。

 

「バカ!何であんなことを言ったの!?」

「べ、別に僕はそんなつもりでは・・・・・・おい、今僕に馬鹿と言ったか?」

「ああもう。何とか誤解を解かないと・・・・・・」

 

いずれにせよ見過ごすわけにはいかない。

後を追おうとして、再びその足が止まった。

彼女が向かった先にある建物は―――

 

________________________________

 

「あ、開いてる」

「そんな・・・・・・じゃあ、エリゼは中に入ったのか!?」

 

リィンと合流した私達は、呆然としていた。

普段なら施錠されているはずの旧校舎の扉が、どういうわけか開いていた。

建物の周囲にエリゼちゃんの姿はない。それが意味するところは、最悪の可能性。

 

「これはまずいことになったな。リィン後輩、どうする?」

「どうもこうもありません、急ぎましょう!」

「おうよ!」

 

リィンと行動を共にしていたクロウ先輩が、リィンに続く。

もし中に入ったとするなら、迷っている時間はない。

 

「ほら、パトリックも早く!」

「ぐ、どうして僕まで・・・・・・」

「いいからほら!」

 

パトリックの背中を押し、旧校舎の中へと入る。

途端に、耳をつんざく様な悲鳴が内部に響き渡った。

 

「エリゼ!?」

「リィン、急がないと!」

 

声は地下から聞こえてきた。

最悪の可能性が、現実味を帯びていく。建物の奥は魔獣の巣窟だ。

急いで昇降機のパネルを操作し、駆動音と共に私達は地下へと飲み込まれていった。

 

「な、何だありゃあ?」

「巨大な甲冑・・・・・・!?」

 

昇降機が下り切るのを待たずして、それは視界に飛び込んできた。

全長5アージュ以上はゆうにある、翡翠色の巨大な甲冑。

無機質のはずのそれは、まるで生きているかのように肩を揺らしていた。

その足元に横たわる、リィンの妹。

甲冑は手にしていた大剣をゆっくりと頭上高く掲げ、今にも振り下ろさんと身構えていた。

まるで、何かを待っているかのように。

 

「え、エリゼちゃん―――」

 

ガシャンという音と共に、昇降機の駆動音が止まる。

彼女の下に駆けだそうとした瞬間、突然隣から風を感じた。

 

(え―――)

 

気付いた時には、リィンは甲冑の足元にいた。

目を瞬いた、その一瞬の間に、音も無く。

 

それに目を奪われたせいで、足が止まっていた。

甲冑の右手が、無慈悲に2人目掛けて振り下ろされようとしていた。

 

「リィン!!」

 

思わず目を背けてしまった。

周囲に響き渡る、金属音同士が重なった重低音。

間に合わなかった―――震えながら、恐る恐る目蓋を開けた私の目に飛び込んできたのは、到底理解できない光景だった。

 

受け止めていた。

太刀一本を両の腕で支えながら、足を釘のように地に埋めて。

それはリィンであって、リィンではなかった。

頭髪を銀色に染め上げ、赤黒い血液のような気を身に纏う、リィンのような何か。

 

「オオオォォォォッッ!!!」

 

力任せに弾き飛ばされた大剣と共に、甲冑の巨体が大きく揺らいだ。

微動だにできなかった。唯々呆然として、見守るしかなかった。

 

「何・・・・・・何なの、あれ」

「わ、分からねえが・・・・・・見ろよ、どうも様子が変だ」

「え?」

 

今にも甲冑に斬りかかろうとしていた太刀が、乾いた音と共に床へ転がった。

上体を反らし、再び雄叫びのような声を上げるリィン。

 

(痛っ―――)

 

不意に、頭の中を直に叩かれるような鋭い頭痛が襲った。

これは何だ。この感覚は―――

 

「戦術、リンク・・・・・・?」

 

心と身体が繋がっているかのような感覚。

間違いなく、ARCUSのリンク機能のそれだ。

操作もしていないにも関わらず、私とリィンはARCUSを介して繋がっていた。

いや、違う。これはそれを超える、もっと強い繋がりだ。

 

「な、何だ・・・・・・?」

「『力』を、抑えようとしてんのか?」

 

声は聞こえるが、頭の中には入らない。

―――思い出した。この感覚は、あの時と一緒だ。

特別オリエンテーリングで、魔物との一戦を終えた時。

戦術リンクという名では表現し切れない、他者の一部が流れ込んでくるかのような感覚。

 

それと、夢だ。あの夢を見たのは、初めての特別実習を終えた夜のことだったか。

黒髪の少女が、私を兄様と呼ぶ夢。あるはずの無い記憶。

 

「リィンっ・・・・・・」

 

感覚だけではない。全てが共有され、感情までもが手に取るように分かる。

だからこそ、私には理解できる。

今、リィンは戦っている。懸命に何かと戦いながら、もがいている。

 

「リィン・・・・・・大丈夫だよ」

「お、おい。お前さんもどうしたってんだよ?何で泣いてんだ?」

 

意識せずとも、リィンの全てが私の中に流れ込んでくる。

この3ヶ月半、彼が見聞きして感じ取ってきた全てが。

 

「だから頑張って、リィン」

 

士官学院に入学してから、私達が歩んできた道のり。

リィンの目には―――こんなにも、輝かしく映っていたのか。

取るに足らない一日一日の全てが、掛け替えのない大切な宝物となり、支えへと変わる。

そうだ。一歩ずつ、少しずつではあるけれど、あなたは前に進めている。

だから、きっと大丈夫だ。今のリィンなら、きっと乗り越えられる―――

 

「―――負けないで、リィン!!」

「・・・っ・・・・・・オオオォォォォッッ!!!」

 

一際大きな雄叫びを上げ―――胸の奥から込み上げてくる感情は、鳴りを潜めた。

見れば、リィンの髪色も瞳の色も、本来のそれに戻りつつあった。

 

「はぁ、はぁっ・・・・・・これ以上・・・呑み込まれてたまるかっ・・・・・・」

「リィン・・・・・・」

 

私達を余所に、甲冑は体勢を立て直し、再びその大剣をリィンへと向けていた。

しかも、周囲には複数の殺気が漂い始めていた。

 

「あ、あれは」

 

先々月の探索で対峙したことがある、古代人形を思わせる不可思議な魔獣。

巣窟から這い出てくるように、私達を取り巻く気配は増加していった。

こうしてはいられない。幸いにも剣はあるし、私達は日常的にARCUSの携帯を義務付けられている。

 

「後輩、加勢するぜ!キルシェの娘っ子、嬢ちゃんを頼んだからな!!」

 

クロウ先輩はそう言うと、2丁の導力銃を甲冑に向けた。

彼の力の程は聞いたことが無かったが、物怖じしないその態度から戦力の程は窺えた。

 

「分かりました。リィン、妹さんは私に任せて!!」

「す、すまない。2人とも」

 

目元の涙を拭い、長巻の鞘を払う。

甲冑の巨体をリィンとクロウ先輩に任せ、私はエリゼちゃんの前に立った。

 

「はああっ!!」

 

出し惜しみは無しだ。一気に力を開放し、敵の挙動を探る。

一体一体は大した脅威ではないが、如何せん数が多すぎる。

どうやって―――いや、考えている時間は無い。絶対に守り抜いて見せる。

 

「エアリアル!!」

「え―――」

 

突然、背後でオーバルアーツの発動を感じた。

何の前触れも無く発生した竜巻の刃を前に、数体の人形が力無く地に横たわった。

 

「くっ・・・・・・こんなことなら剣を持って来ればよかった」

「ぱ、パトリック?」

「何をしている、得物があるなら早く何とかしたまえ!!」

 

そう言ってパトリックは2発目のオーバルアーツを発動させた。

エリオット顔負けの詠唱速度だ。これならいけるかもしれない。

 

「オッケー、援護は任せたからね!!」

 

背中を彼に任せ、私は長巻の柄を強く握りしめた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。