7月25日、午後16時前。
身体を休めるために協会支部の寝室に戻った私は、ベッドに寝そべりながら天井の模様を目でなぞっていた。
確かめるように何度も身体を動かしたが、痛みや疲れは感じられない。気分が悪いわけでもない。
それでも、あの時の感覚はハッキリと覚えている。あれは―――本当に、何だったのか。
「ん・・・・・・」
開け放たれた両開きの窓枠から、心地よい風が吹き込んでくる。
いい風だ。天気もいい。A班の皆は、今頃何をしているのだろう。
宝飾店が盗難にあったと言っていたが、大丈夫だろうか。
・・・・・・心配無いか。数は減っても、今のA班ならどんな依頼でもお任せあれだ。
それにしても、予想していた通りに時間を持て余してしまう。
2時間近く睡眠をとったおかげで目は冴えているし、一昨日の寝不足分はしっかり取り戻せた。
暇つぶしの遊撃士協会規約集も、大方読み尽くしてしまっている。
こんなことなら、カーネリア以外の本でも借りておけばよかった。
(小説、かぁ)
立て続けに明らかとなった3つの過去と、1つの決意。
捉え方によるが、どれも簡単に受け入れられるものではなかった。
現実味を感じさせない悲劇や挫折、決意と信念に溢れた物語。
小説の類をまともに読んだのはカーネリアが初めてだったが、4人の話を聞いていると、あの時と同じ感情が湧き上がってくる思いだった。
まぁ、私もそれなりの過去を抱えてはいるのだが。
(みんな・・・・・・どこに向かうんだろう)
カーネリアの主人公は、遊撃士という道を選んだ。なら、皆はどうなのだろう。
エリオットはきっと、音楽の道を選ぶ。私にはそう思える。
マキアスはお父さんのように、政治の世界に飛び込むつもりなのかもしれない。
フィーは・・・・・・どうだろう。そのまま軍に進む可能性が高いのだろうか。
ラウラはこれまで同様、剣の道を歩み続けるに違いない。
リィンは確か、エリゼちゃんへの手紙で軍に入るであろう旨を記していた。
当の私は遊撃士。一応、暫定的に。
「・・・・・・バラバラじゃん」
思わず口に出してしまった。
勝手な想像にすぎないが、士官学院に身を置きながら、軍に進む人間が1人か2人。
B班を入れても、余り変わらないように思える。これでいいのだろうか。
ARCUSを抜きに考えると、特科クラス《Ⅶ組》設立の目的すら今だハッキリとしていない。
まぁ、私が考えても仕方ないことか。
「よいしょっと」
勢いをつけて半身を起こすと、一際強い風が室内に吹き込んできた。
思わず目を瞬いた後―――漸く、違和感に気付いた。
「あれ?」
窓際に置いておいた、ベルト型のARCUS用ホルダー。
何が気に掛かったのかは分からない。ただ、何かがおかしい。そう感じた。
ベッドから離れ、恐る恐るそれを手に取る。
「・・・・・・嘘っ」
開けずとも、持ち上げただけで分かった。
空っぽ。文字通り、何も入っていなかった。
これはどういうことだ。もしかして―――いや、そんなはずはない。
部屋に戻ってから、私は一度ARCUSの時計を見た気がする。
ベルトを外し窓際に置くまで、確かにあったはずだ。
だが現実には、部屋中のどこを見渡しても私のARCUSは見当たらない。
記憶違いだろうか。もしそうなら、これは困ったことになる。
リィン達と連絡を取り合うことも出来ないし・・・・・・・それどころの話ではない。
(や、やばっ)
失くしました。なんて言ったら、私はどうなってしまうのだろう。
通常の戦術オーブメントならまだしも。想像しただけでゾッとする。
いずれにせよ、こうして突っ立っている場合ではない。
「さ、探さなきゃ」
もしどこかで落としてしまったなら、探す場所は限られている。
間違いなく、地下道を出た時には携帯していたはずなのだ。
可能性があるとすれば、オスト地区。あるいは導力トラムでここに戻ってくる道中のどこか。
急いで身支度を済ませ、階段を駆け下り扉を開け放つ。
まずはここから停留所付近までを確認しながら、車掌さんにも事情を説明して―――
「アヤ!?」
「え?」
そう思案している最中、突然前方から聞きなれた声がした。
視線を上げると、そこにはどういうわけか、ラウラとフィーの姿があった。
「アヤ、無事か!?」
「ら、ラウラ。どうしてここにいるの?」
深刻な表情を浮かべたラウラとフィーが、足早に私の下へと詰め寄り―――
「アヤ、じっとしてて」
「んぁっ」
フィーに、身体をまさぐられた。
ベタベタと容赦無く、撫でる様に。
「・・・んっ・・・・・・や、ちょっとフィー!どこ触ってんの!?」
「メディカルチェック・・・・・・む。呼吸と心拍の数値が異常と判断」
「やはりあの男に何かされたのか!?」
「今、今されてるから!!」
狼狽する2人を何とか引き止め、説明を要求する。
何がどうなっている。どうして2人がここにいるのだ。
そして私は何故フィーに・・・・・・ああもう。私こそ落ち着け。
「あー、コホン。2人とも、気は済んだか?」
「・・・・・・見てたんなら止めてよ、リィン」
「できるわけないだろ・・・・・・」
見れば、ラウラとフィーだけでなく、リィンにマキアス、エリオットの姿も確認できた。
約5アージュ程距離を取り、気まずそうに視線を逸らしている。全部見ていたのだろうか。
「はぁ・・・・・・それで、どうしてみんなここにいるの?依頼は?」
「そちらはもう解決済みだ。それに、これはアヤ君のARCUSだろう?」
「え・・・・・・・ああ!?」
マキアスが私に手渡したのは、紛失したとばかり思っていた、私のARCUSだった。
大きく溜息をつきながら、ほっと胸を撫で下ろす。漸く生きた心地がしてきた思いだ。
「も、もしかして。どこかで拾った、とか?」
「いや、俺達にも分からないんだ」
「へ?」
首を傾げながらお互いを見つめ合う男性陣。
私はてっきり、どこかで失くしてしまったARCUSを彼らが拾ってくれたのだと思ったのだが。
皆の様子を見る限り、どうもそうではないようだ。
「僕らも何が何だか分からなくって・・・・・・リィン、何て説明しよっか」
「時間も無いし、サンクト地区に向かいながら話そう」
「・・・・・・サンクト地区?」
頭上に疑問符をいくつも並べる私を余所に、A班の次なる目的地が告げられた。
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事の発端は、宝飾店から盗み出された『紅蓮の小冠』という国宝級のティアラ。
そして事件現場に残されていた、『怪盗B』と名乗る盗賊からのメッセージ。
「怪盗B?」
「うん。帝都では結構有名な名前だけど・・・・・・アヤは知らないんだ」
「聞いたことないかな。それで?」
「ああ。そのメッセージというのが―――」
私が説明を促すと、リィンが一から事情を説明してくれた。
怪盗Bは帝都では名の知れた盗賊であり、『美の解放活動』という主義主張の下、度々世間を騒がす存在だそうだ。
簡単に言えば、皆はその怪盗Bが仕組んだ、大規模な宝探しに巻き込まれたのだという。
やっとの思いで『紅蓮の小冠』に行き着いたと思いきや、どういうわけか、そこには私のARCUSも置かれていた。要するに、そういうことらしい。
うん、まるで説明になっていない。
「・・・・・・何が何だかさっぱりなんだけど。変態紳士、だっけ?」
「アヤ君、怪盗紳士だ」
盗難品を手にした皆の前に姿を現したのが、怪盗紳士『ブルブラン』と名乗る男性。
何を隠そう『怪盗B』その人であり、驚いたことに、リィン達は以前にも面識があった人物だったそうだ。
「結局取り逃がしてしまったが・・・・・・妙な術を使っていた。ただの盗賊とは思えぬ」
「只者じゃないことは確か。だから、アヤの事が心配になって戻ってみたら」
「別段変わりない私がいたってわけか」
ARCUSの件もあり、まさか私の身に何かが。
そう危惧して協会支部に戻って来たのが、私がARCUSを探しに外へ出たのと同じタイミングだった。なるほど。漸く大まかな流れは理解できた。
ただ―――事の経緯を聞けば聞くほど、それ以上に新たな疑問が浮かび上がってくる。
どうして私達A班を名指ししたのか。何故私達の素性と事情を知っていたのか。
そもそも何が目的だったのか。そして―――
「・・・・・・ねぇ。もう一度その怪盗Bの特徴を教えてよ」
「え?ああ、外見は30代から40代ぐらいの男性で―――」
白を基調とした衣装と、特徴的な仮面。薄紫色の長髪。
貴族を思わせる高貴な口調と、謎めいた力。
―――心当たりなら、ある。
「リィン、そいつ蛇がどうとか言ってなかった?」
「蛇・・・・・・いや、記憶に無いな。何か心当たりがあるのか?」
「ううん。忘れて」
「そ、そうか」
忘れもしない、3年前の対峙。
もしあいつなら、私に気付かれることなくARCUSを拝借するぐらいはやってのけるだろう。
今思えば、身体の硬直も彼の仕業だったのかもしれない。
ただ、それも全て憶測に過ぎない。余計な事を言って、皆に心配を掛ける必要はない。
思い過ごしであってほしい。そう願うばかりだ。
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聖アストライア女学院、正門前。
サラ教官が指定した場所へ向かった私達は、B班の面々とも合流を果たし、1日半振りに《Ⅶ組》メンバーが勢揃いしていた。
トラムの中では聞きそびれてしまったが、A班B班共に、ここに向かうようサラ教官から通信が入ったそうだ。
「その、何だ。そなた達にも、心配を掛けたな」
「もう心配無用」
「そっか・・・・・・うんうん、良かったじゃない!」
「実習が終わったら、誰かの部屋で一晩中語り合いたい気分ですね」
アリサとエマは、いち早く私達A班の変化を察してくれた。
ユーシスとガイウスもそれに続き、自然と皆の顔に笑みが浮かんでいった。
思っていた通りだ。皆もきっと、この瞬間を待っていたはずだ。
私達の間に、もう壁はない。あとは絆を深め合っていけばいい。
ARCUSに頼らずとも、きっとできるはずだ。
これが始まりだ。今この瞬間から、《Ⅶ組》は初めて足並みを揃えて前進できる。
「・・・・・・ヘイムダルの鐘、か」
女学院の時計台が午後5時を指し示すと、ヘイムダル大聖堂の鐘が壮厳な音色を奏で始めた。
それにつられるようにして、皆が上空を仰いだ。
鐘の音と共に飛び立った鳥達が、夕暮れ色に染まる空を駆けていく。
美しいVの字の陣形を取りながら、それを乱すことなく空を舞う鳥達。
以前、お義父さんが鳥の習慣について教えてくれたことがある。
どうして鳥はお互いに衝突することなく、美しい陣形を保ちながら飛ぶことができるのか。
『仲間の下に集いながら、同じ速度で、互いにぶつからないようにして飛ぶ』
驚いたことに、そこにはたった3つの条件しかなかった。
納得できなかった私は、ご隠居にお願いして鳥の生態学に関する本を取り寄せてもらった。
そこにも、そう記されていた。事実、学術的に認められていたことだった。
たった3つ。簡単なようでいて、人間には到底無理な芸当だ。
それでも、今の《Ⅶ組》なら。リィンを中心に、足並みを揃え、手を取り合いながら。
私にはそう思えて仕方なかった。
「お疲れだったな、アヤ」
「ん。お互いにね」
皆が音色に気を取られている最中、後ろ手にそっと、手の甲同士が触れ合った。
今は、これぐらいにしておこう・・・・・・と思いつつも、無意識のうちに私の右手は、彼の左手指に吸い込まれていった。
「兄様?」
「わわっ!?」
「え、エリゼ?・・・・・・って、何でアヤが驚くんだ?」
声の方に振り返ると、そこには1週間振りとなるエリゼちゃんの姿があった。
多少驚きはあったが、ここは彼女が通う学び舎だ。ここにいても何らおかしくはない。
・・・・・・秘密を抱えている分、最近取り乱すことが多すぎる気がする。
もう少し年長者として余裕を持って行動すべきだろう。落ち着け、私。
「それにアヤ姉様に、《Ⅶ組》の皆様もお揃いのようですが」
「エリゼちゃん、ストップ」
嫌な予感はしたが、やっぱりそう来たか。
皆が疑問符を浮かべている間に、その呼び方だけは改めてもらおう。
それに、アリサの視線が背中に突き刺さるようで痛い。分かったから。
「畏まりました。では、気付かれぬよう御呼び致します」
「何でそんなに頑ななの・・・・・・」
改めるという選択肢はないのだろうか。相変わらずのエリゼちゃんだ。
「それにしても・・・・・・兄様。5時過ぎにいらっしゃるという10名のお客様は、ひょっとして皆様のことなのでしょうか?」
「え?」
周囲を見渡しながら、頭数を数える。
改めてそうしなくても、分かり切っていた。
私達《Ⅶ組》は、全員で10人。それが意味するところは、1つしかなかった。
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午後5時過ぎの、聖アストライア女学院。
貴族子女にのみ入学が許されたこの学院は、時代の流れと共に平民の受け入れを認めつつも、在籍する生徒はほとんどが貴族出の少女達である。
本校舎を始めとした施設は勿論、学生寮も敷地内の外れに建てられており、この時間帯でも周辺には数多くの生徒が見受けられた。
そんな女子生徒らをかき分けるようにして―――1つの集団が、静かに歩を進めていた。
「お、男の方?」
「あの制服・・・・・・トールズ士官学院の方々ですわ!」
エリゼが先頭になりながら、リィン達《Ⅶ組》を引き連れて歩く。
その様はこの女学院に通う女子生徒らの目に、余りに新鮮かつ異質な存在として映っていた。
年齢は別として、敷地内に教職員以外の異性が足を踏み入れることなど滅多に無いのだ。
そんな事情も相まって、いくつもの無垢な視線が彼らに向けて注がれていた。
「あ、あれは公爵家のユーシス様!」
まずはユーシス・アルバレア。
四大名門、アルバレア公爵家の次男坊。もはや説明など不要である。
《Ⅶ組》の皆と触れ合う中で、本人も気付かぬうちに身に纏う刺々しさは鳴りを潜めていた。
その超然とした態度、そして和らぎつつある彼の表情に、誰もが羨望の眼差しを向けていた。
「先頭にいる黒髪の方は、平民の方なのかしら?」
続いてリィン・シュバルツァー。
一見して貴族のような高貴さは感じられないものの、その凛々しい佇まいは異性としての魅力に満ち溢れていた。
そしてどういうわけか「お兄様」と呼び止めたくなる衝動に、湧き上がってくる不思議な感情。
すれ違うだけで兄という存在の何たるかを思わせる魅力は、リィンが生まれ持った1つの才であった。
「小柄で紅茶色の髪の方は、何とも可愛らしいというか・・・・・・」
エリオット・クレイグ。
男性陣の中では最も身長が低く、同い年と言われても不思議ではない。実際に男性陣の中では1つ下だ。
それ以上に、エリオットの中性的な顔立ちと柔らかな表情は、先の2人とは全く別次元の魅力を思わせてならなかった。
いたいけな少女らに母性本能を植え付ける、ある意味で厄介な存在である。
「はぁ、あの背の高い男性は異国の方なのかしら」
そしてガイウス・ウォーゼル。
一目見ただけで、彼が国境を越えてやって来た留学生と分かる。
戸惑いはあるものの、その屈強な身体つきと男性美溢れる―――
「ひっ・・・・・・!?」
―――いや、駄目だ。
憧れと言えど、彼に色目の類を向けてはいけない。
彼の後方から、何かが来る。凍てつくような感情を身に纏った、何か。
・・・・・・断っておくが、当の本人は「何か面白くないなぁ」といった感想しか持ち合わせていない。
いないのだが、感受性豊かな年頃の少女らは、奥底に存在する確かな嫉妬心を敏感に感じ取っていた。
「・・・・・・何だ。僕は何か損をしている気がするぞ」
ガイウスの隣を歩く、マキアス。
彼も同年代の男子としては大変高い素質を持ち合わせていたのだが、不幸なことに少女らの視線が向くことはなかった。
「何かしら。敷地内に入ってから、妙な寒気を感じるわ」
「そなたもか。私もだ」
「わ、私もです」
「私も。何でだろ」
「・・・・・・面白くないなぁ」
全部、彼女のせいだった。
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テーブルの上に整然と並べられた、高級感溢れる食器の数々。
空腹ではあるのだが、今はそれ以上に緊張感で喉を鳴らしてしまう。
(アヤ。これはどう使えばいいんだ?)
(アリサ、ヘルプ)
(後で教えるから安心しなさい)
隣にアリサがいてくれてよかった。
こういった場でのテーブルマナーなんて、私達に分かるわけがない。
「驚きました。学院の理事長をされているのが、皇族の方とは聞いていたのですが」
「驚くのも無理はない。今をときめく『放蕩王子』が、士官学院の理事長なんかやっているんだからね」
私達《Ⅶ組》が招き入れられたのは、女学院内の奥、聖餐室。
上座で陽気な笑い声を上げたのは―――紛れもない、オリヴァルト・ライゼ・アルノール皇子。
帝国の現皇帝の血を継ぐ、雲の上の遥か上を行く存在だ。
「お兄様。ご自分でそれを言ったら身も蓋もありませんわ」
そして彼の腹違いの妹である、アルフィン・ライゼ・アルノール皇女。
いや、本当に冗談抜きで信じられないし、まるで実感が湧いてこない。
声を出すことさえできそうにない。無意識のうちに委縮してしまう。
とはいえ、殿下のお話を聞き流すのも無礼という言葉では済まされない。
目の前の現実を受け入れ、今はじっと耳を傾けよう。
聞けば、特科クラス《Ⅶ組》を立ち上げたのは、他ならない殿下だったそうだ。
その目的の1つが、士官学院に新たな風を巻き起こすこと。
「私は君達に、現実に様々な『壁』が存在するのをまずは知ってもらいたかった」
「壁、ですか?」
「ああ。革新派と貴族派を筆頭に、帝都と地方。伝統と宗教と技術革新、帝国とそれ以外の国に自治州までも。この激動の時代において、必ず現れる壁から目を背けず、自ら考えて行動する―――」
―――そんな資質を、若い世代に期待したい。
殿下は私達を見渡しながら、そう言った。
身に余るお言葉だと思う。ただ、漸く合点がいった思いだ。
勿論ARCUSの適性が前提条件だが、このメンバーが集められたのも頷ける。
それでも―――やはり気になってしまう。それは、部屋で1人考えていたこと。
これだけの期待を担いながら、各自が思い思いの道に進む。それは許されることなのだろうか。
というより、この面子ならそうなるのも当然かもしれない。
特別扱いを受けながら、それは少し贅沢が過ぎるような気がしてならなかった。
「それに―――ガイウス君に、アヤ君。君達2人にも、改めて礼を言っておこう」
「は、はい!?」
不意に名指しされ、見事に声が裏返った。
穴があったら3年ぐらい入っていたい。
「俺達に、ですか?」
「ああ。士官学院への入学、そして《Ⅶ組》への参加を受け入れてくれて感謝しているよ。帝国という異国の地で生活するだけでも、何かと不便だろう?」
「い、いえ。その・・・・・・恐縮です」
精一杯の答えだった。
というか、私のような反応が当たり前じゃなかろうか。
皆が大物過ぎるのだ。相手は皇族だというのに。
「ハッハッハ、皆そう畏まらなくてもいい。君達はあくまで学生だ。学生は学生らしく、時には青春を謳歌するべきだろう。恋に部活に、友情。甘酸っぱい青春なんかをね♪」
・・・・・・捉えどころがないお人だ。
リュートを奏でながら颯爽と登場した時から感じていたことだったが。
どちらかと言えば、こっちの顔が殿下の自然体のように思える。
それとユーシス。『恋』に反応していちいちこっちを見るな。鬱陶しい。
エリゼちゃんは特別に許そう。可愛いし。
口元に指を当てて「内緒だからね」の念を送っていると、アリサが殿下へ疑問を投げ掛けていた。
どうやら「我々」という言葉に、殿下の他にも《Ⅶ組》の協力者がいるのではと踏んだらしい。
「ヴァンダイク学院長さ。私もトールズの出身で、彼の教え子でね。彼には大変お世話になっている。何よりも現場の責任者として、最高のスタッフを揃えてくれたからね」
殿下のお言葉に、私達は顔を見合わせた。
どうやら同じところに引っ掛かったようだ。
「もしかして・・・・・・サラ教官のことでしょうか?」
「ああ。帝国でも指折りの実力者だし、何よりも特別実習の指導には打って付けの人材だろうからね」
帝国でも指折りの実力者。それは身の振る舞い方を見ただけで理解している。
ただ、後者についてはやはり引っ掛かる。殿下は何を言いたいのだろう。
「私も噂ぐらいは耳にしたことがありますわ。『紫電』なんて、格好いい呼び方をされている方ですよね?」
アルフィン殿下が言うと、リィンとラウラは驚愕の表情を浮かべていた。
「最年少でA級遊撃士となった、恐るべき実力と実績の持ち主・・・・・・『紫電のバレスタイン』。それが君達の担任教官さ」
「・・・・・・え、ええ!!?」
思わず席を立ち、声を上げた。年長者の余裕など、皆無だった。
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時刻は夜の19時半。
殿下との会食は閉幕を迎え、皆順次に挨拶を交わしながら、聖餐室を後にしようとしていた。
「で、殿下っ」
「おっと、君か」
皆が部屋を出た隙を見計らい、私は殿下に事の真相を確かめるべく、声を掛けていた。
勿論、それ以外にも目的はある。それを実行するかどうかは後回しだ。
隣にガイウスがいるのは、心細いから。それぐらいは大目に見てほしい。
「サラ教官が遊撃士だったというのは、本当ですか?」
「ああ、本当さ。何か気になる点でもあったのかい?」
「・・・・・・いえ。身近に元遊撃士がいただんて、思ってもいなかったので」
只者ではないと思っていたが、まさかサラ教官が遊撃士だったなんて。
聞きたいことは山程ある。シラを切られても、これで裏は取れた。
「ふむ。察するに君は、遊撃士に何か思うところがあるようだね」
「それは・・・・・・」
言葉が続かない。言った方がいいのだろうか。
決意してから、まだ1ヶ月も経っていない。
そんな生半可な覚悟で口にするのも、気が引ける。
「アヤ」
視線を落とし言い淀んでいると、右手を握られた。
背中を押すように、強くしっかりと。
そうだ。これは私だけの問題じゃない。
「私は・・・・・・遊撃士に、憧れています。私は将来、遊撃士になりたいんです」
「・・・・・・ほう。これは驚いた」
目を見開いて、殿下が言った。
当然の反応だろう。士官学院生の中で、遊撃士の志望者は相当に稀なはずだ。
だからこそ聞いておきたかった。私達《Ⅶ組》を設立した、張本人に。
「ただ・・・・・・その、士官学院生の中でも、とりわけ恵まれた環境を与えられながら・・・・・・それがご期待に沿える道なのかどうか、分からないんです」
「そんなことを考える必要はないさ。少々、言葉足らずだったかな」
何を今更と言わんばかりの様子で、殿下は続けた。
「軍以外の道、大いに結構。元よりそういった意味合いも、君達の人選には込められている。それは君にも分かっているのだろう?」
「それは・・・・・・はい。みんなもそうだと思います」
「時代が変われば、士官学院の在り方も変わる。君達はその取っ掛かりというわけだ。君の将来は、君自身の意志で決めればいい。といっても、私には背中を押すぐらいしかできないがね」
「あっ・・・・・・勿体無い、お言葉です」
本当に、私達は恵まれている。今更ながらにそう思える。
それに、殿下の言う通りだ。私はきっと、背中を押してほしかっただけなのだ。
先の話を聞いただけでも分かり切っていた。こうして話してしまえば、自然と逃げ道は無くなる。
私自身が宣言した道を、歩まざるを得なくなる。・・・・・・一国の皇子に何をさせているんだ、私は。
「もう迷いません。この場をお借りして、誓います」
ただ、これで決意は固まった。もう逃げたりはしない。
私はお母さんの意志を継ぎ、遊撃士になる。それだけはこの場で誓おう。
「それに、《Ⅶ組》で学んだことは決して無駄にはしません。何より、みんなと共にいくつもの壁を乗り越えた事実が残ります。それが私にとって・・・・・・私達にとって、大きな支えとなるはずですから」
「・・・・・・そう言ってもらえるだけで本望さ。ガイウス君、君も遊撃士に?」
「いえ。俺は卒業後、一度ノルドに戻ろうと思っています」
話を振られたガイウスは、何の躊躇いも無く殿下に答えた。
ただ、どういうわけかその先が続かなかった。
「・・・・・・ガイウス?」
何かを言い淀んでいるかのようにも見える。一体どうしたというのだろう。
数秒ほど視線を落としていたガイウスは、再び顔を上げ、殿下に向けて口を開いた。
「先のことは、まだ決めかねています。故郷を守るためにできることを、模索している最中です」
「え・・・・・・ま、待ってよ。どういうこと?」
殿下のことなど気にも留めず、お構いなしにガイウスに詰め寄る。
言っている意味が分からない。卒業後は、ノルドに戻る。私はそれしか聞かされていない。
「黙っていてすまない。ノルドでの実習を終えてから考えていたことだが・・・・・・今言ったように、まだ何も決めてはいない。この実習が終わったら、必ず話す」
「・・・・・・絶対に。絶対にだからね」
「ああ」
突然、彼が遠くへ行ってしまいそうな感覚に陥った。
それを止めるように、ガイウスの手を握る右手により一層の力が込められた。
彼の手も、それに応えてくれた。
「ヒュー、お熱いねぇ。BGMが必要なら、遠慮なく言ってくれたまえ」
「け、結構です」
どこからともなく取り出したリュートを構え、私達に熱い視線を送る殿下。
アルフィン殿下のハリセンといい、あれはどこから出てきたのだろう。謎である。
それにしても―――考えてみれば、ずっと手を握り合ったままだった。
言葉にはせずとも、私達の関係は殿下に伝わってしまったらしい。
「まぁ、まだ学院生活も始まったばかりだ。先の事はゆっくり決めればいい。それにしても・・・・・・君達はどことなく、エステル君達に似ているよ」
遠い目で私とガイウスを見ながら、殿下が言った。
エステル君。誰のことだろう。名前からは、それが女性であることしか分からない。
「久しぶりに愉快な時間を過ごさせてもらった。お礼と言ってはなんだが、私からアヤ君に1つ。プレゼントを贈ろうか」
「プレゼント、ですか?」
「ああ、後日郵送しよう。アヤ君、読書の習慣は?」
「・・・・・・最近は、ある程度。この間、小説のカーネリアを読みました」
「それなら、君にピッタリだ」
手を取り合う私達に、ウィンクを1つ。
殿下は高らかな笑い声を上げながら去って行った。
「どうか君の『母君』のような、立派な遊撃士になってくれたまえ。期待しているよ」