「私やアヤ姉様が生まれる前のお話ですね。科学院と同じ敷地内に併設されたのが始まりだそうです。その頃は、あくまで科学院の一部に過ぎませんでした」
「うんうん」
「医学の発達とともに、医学分野は専門化が進みました。その重要度と必要性が認められ、独立した教育機関として設立されたのが『医学院』になります」
「うん」
「この医療棟は附属の医療施設であると同時に・・・・・・姉様、どうされました?」
「・・・・・・これって、おかわりできるのかな」
「既定の配膳量以上は難しいかと思いますが・・・・・・」
「あー、やっぱり」
7月26日、午後20時過ぎ。帝都医学院の医療棟、202号室。
贅沢が過ぎると思える程に充実した病室で、私とエリゼちゃんは遅めの夕食をとっていた。
病院食と言えど、文句の付けようがない味だった。量は如何ともしがたいが。
事の詳細は、遡ること2時間前。
地下道から無事生還した私達は、大事を取って精密検査を受けるべく、この医療棟へと運ばれた。
2時間にも満たないとはいえ、実際に私達は生き埋め状態だったのだ。
こんな充実した病院に来られたのは、クレア大尉の手筈によるものなのだろう。
全ての検査を終えた後、私とエリゼちゃんは2つのベッドが並べられた一室へと案内された。
目立った外傷や異常は見受けられない。それが先に知らされた診断結果だった。
ただ、一部の精密検査の結果が出るまで、相当な時間が掛かるそうだ。
今日のところは、この病棟で一夜を過ごす。反論の余地は無かった。
「もしよろしければ、お裾分け致しましょうか?」
「気にしないで。エリゼちゃんこそ、色々あったんだから。しっかり食べて休んだ方がいいよ」
今回の事件に関する事情聴取は、この病室で行われた。
私はともかく、彼女については明日にしろと声を上げたかったが、事情が事情だ。
人攫いと生き埋めからの脱出劇。疲労は相当のはずだ。今日はゆっくりと休んでもらおう。
直後には、寝泊りに必要な着替えの類を、《Ⅶ組》の皆が届けに来てくれた。
病室だというのに女性陣からは揉みくちゃにされ、リィンからは何度も感謝の言葉を掛けられた。
多大な心配を掛けてしまい、申し訳ない気持ちで一杯だったが、悪い気はしなかった。
ある1つの事実を除けば。
「ふふ。アヤ姉様は、これからの身の振る舞い方をお考えになられた方が宜しいかと」
「・・・・・・はぁ。何て説明しようかなぁ」
クスクスと小さく笑うエリゼちゃん。
それの意味するところは、私とガイウスの関係だ。
人目をはばからずに泣きながら抱きしめ合った私達は、たくさんの言葉を交わした。
それこそ皆には聞かれたくないような、こっ恥ずかしいものも、たくさん。
思い出すだけで顔から火が出そうになる。勢いに身を任せ過ぎたのだ。
要するに、バレてしまった。
姉弟を超えた私達の関係は、皆の知るところとなった。
アリサとエマは、嗚咽交じりに泣いていた。奇跡のような生還劇が、それを後押ししたのだろう。
「さ、3年間も待たせて・・・・・・このバカ!」か。まるでアリサから告白されたような気分だった。
とはいえ、クラスメイトに隠し続けるのも不義理なのかもしれない。
ちょうどいい機会だと考えるべきだろう。祝福の言葉を貰うのは、素直に嬉しい限りだ。
「2人とも、入るわよ」
「あ、はい。どうぞ」
ノックと同時に、横開きの扉がスライドした。
そこ立っていたのは、サラ教官だった。
「サラ教官。来てくれたんですか」
「意外に元気そうじゃない」
腕を組みながら、私達の様子を窺うサラ教官。
疲労のせいだろうか。私の目には、表情がやや曇っているように映った。
サラ教官は夏至祭に関する決定事項と、明日からの《Ⅶ組》の予定を話してくれた。
夏至祭の初日に勃発した、テロリスト集団による襲撃。そして皇族の誘拐事件。
驚いたことに、夏至祭は明日も当初の予定通り行われるのだそうだ。
「あ、あんなことがあったのに、ですか?」
「テロリストには屈しない。政府側も正規軍も、その理念を今更曲げるわけにはいかないのよ。念のため、一部の行事を見直したりはするみたいね」
テロリストの目的が皇族の身柄なら、襲撃の標的となり得るのは夏至祭の初日以外には無い。
分からなくもないが、それも可能性の話だろうに。大胆な決断だ。
あんな事件があったというのに、心から夏至祭を楽しめる人間が、一体何人いるのだろう。
当然のことながら、明日以降はより一層厳重な警備網が展開される。
私達《Ⅶ組》も、引き続き友軍として警備に当たる予定なのだそうだ。
「検査の結果によっては、アヤにも合流してもらうわ。疲れているとは思うけど、人手はいくらあっても足りないのよ」
「それに異論はないですけど・・・・・・空腹だと、力が出ないです」
「あ、あのねぇ・・・・・・まぁいいわ」
溜息を1つついた後、サラ教官はコートの内側から革製の財布を手に取った。
その中から無造作に取り出されたのは、1枚の1000ミラ札。
「食事制限は無いって聞いてるし、何か奢るわ。売店で何か買ってきなさい」
「え、いいんですか?」
飛び上がる程に嬉しい。ここはお言葉に甘えるべきだろう。
財布はあったが、レコードを購入したせいで間食する余裕すら無かったのだ。
目を輝かせながらお礼を口にしようとすると、サラ教官は私のベッドを通り過ぎてしまった。
立ち止まった先は、隣のベッド。改まった口調で教官は言った。
「エリゼ・シュバルツァーさん。あなたにお願いできるかしら」
「え・・・・・・」
エリゼちゃんと私の視線が重なった。
どうして、彼女に。どうして、私に。
戸惑い顔のエリゼちゃんが、再びサラ教官と視線を交わす。
すると彼女は、合点がいった様子で首を縦に振った。
「畏まりました。姉様、何かご希望の物は御座いますか」
「・・・・・・ううん、何でもいい」
足早にエリゼちゃんが病室を後にすると、私とサラ教官だけが残された。
なるほど。何となく、事情は察した。
「姉様、か。あの子、随分とあなたに懐いているみたいじゃない」
「まぁ色々あって・・・・・・サラ教官。話って、何ですか」
2人きりで話がしたいから、席を外してほしい。サラ教官はそう言いたかったのだろう。
それを「何か奢るわ」で表現するあたり、教官らしいと思える。
「アヤ」
「はい」
ベッドで半身を起こしている私に向き直り、組んでいた腕が解かれた。
するとサラ教官は、どういうわけか視線を落とし、俯いてしまった。
表情が見えない。一体何を言おうとしているのだろう。
「御免なさい。全部あたしの・・・・・・私の責任だわ」
「え・・・・・・な、何ですか急に」
「あの場にいながら、アヤに・・・・・・いえ。あなた達には、大変な思いをさせてしまった。責任者として失格よ」
身体を震わせ、両手を強く握りしめながら言った。
見えなくとも、声と挙動でその表情は窺えた。
「そんな。教官、顔を上げて下さい」
「今までもそうだったように、今回の件は実習が秘める危険性として、必ず取り上げられる。もしあなたに発言の場が設けられたら、その際には包み隠さず話してほしいの」
「・・・・・・今までの、ように?」
「黙っていたけど、通信を介した会議の場で、常任理事との間でも議論されてきたことなのよ」
顔を上げたサラ教官は、頼りない表情で告白した。
ケルディックでの、領邦軍との対峙。
バリアハートで発生したマキアスの監禁と、奪還に踏み切った独断行為。
列車内で発生した不可解な事件に、大型魔獣の襲撃。
そして先月。戦争の一歩手前まで追い込まれた、ノルド高原での一件。
改めて言われなくとも理解はしていた。
その全てが、一歩間違えれば命を落としかねない、危険と隣り合わせの内容だった。
偶発的な面が多々あれど、それは否定できない事実だ。
実習を終える度に、責任者であるサラ教官は、その危険性を何度も議題に挙げた。
その一方で、引き続き特別実習の続行を推していたのも、サラ教官本人だった。
常任理事の3人のような権限を持たずとも、帝国各地に内在する脅威を承知の上で。
ずっと教官は、私達の特別実習を支えてくれていたのだ。
「特別実習が持つ二面性。私は理解していたつもりだった。でも・・・・・・今回は違う。私が断るべきだったのよ」
「サラ教官・・・・・・」
「だってそうでしょう。テロリストの危険性を知りながら、私は3日目の課題の変更を許したのよ。知事閣下じゃない、私の責任だわ」
俯いていた顔を上げ、真っ直ぐに私を見据えながら。
「あなた達を見送り、見届けるのが私の仕事よ。でも、担任としてあなた達を守る義務がある。それだけは譲れない」
譲れない。サラ教官は、確かにそう言った。
思わず、笑みが浮かんだ。
「あ、アヤ?」
サラ教官の胸中は、何となく察することができた。
声色や言葉とは裏腹に、私から見れば迷いが見え見えだ。
迷い、とは違うか。これは期待だ。教官は、何かを欲しがっている。
なら遠慮なく、言わせてもらう。
「今回の事態は、私の弱さが招いたことです。申し訳ありませんでした」
「な・・・・・・違う、そうじゃないわ」
「違いません。私の咄嗟の判断と行動の遅れによるものです。認めて下さい」
それが、今回の事態を引き起こした私の弱さだ。
構うことなく、私は続けた。
「だから、私はもっと強くなります。強くなると誓います。だから、もう二度とさっきみたいなことを言わないで下さい。あんな顔をしないで下さい」
「アヤ・・・・・・」
「それが私の―――私達の覚悟です。次は、サラ教官の番ですよ」
突然の振りに、サラ教官は戸惑いの色を隠せないでいた。
ただ、それも一瞬だけ。すぐに私の意図と―――その先にある、私の願いを察してくれたようだ。
「・・・・・・いつもいつも、無理ばっかりして。少しはあたしの身にもなってみたらどうなの?」
「テロリストの追跡を指示した人に言われたくないです」
「生き埋めになれと指示をした記憶もないわよ」
どっちもどっち。お互い様だ。
やがて観念したかのように、サラ教官の顔は普段通りのそれに戻っていった。
「認めるわ・・・・・・怖かった。怖くて堪らなかったわよ。今も、これからだってそう。でもそれは、あなた達を信じ切れないあたしの弱さだわ」
「私達の責任でもありますよ、教官」
どうして気付かなかったのだろう。サラ教官も、ずっと一緒に戦ってくれていたのだ。
実習を終える毎に増していく恐怖を抑え、きっと成し遂げてくれると信じながら。
いつか教官自身が言っていた。自分はまだ2年目に過ぎない新米教官だと。
私達とは掛け離れた存在とばかり思っていたサラ教官が、今この瞬間だけは身近に感じられた。
《Ⅶ組》は10人じゃない。11人揃って初めて《Ⅶ組》だ。
「思う存分、あたしに気苦労を掛けなさい。全部、おねーさんが受け止めてあげるわよ」
「はい、遠慮無く。その代わり、必ず何かを得てから戻って来ます」
しっかりと目を見据えて、誓いを立てた。
私だけじゃない。《Ⅶ組》を代表して、代弁しているだけだ。
リィンより説得力は無いかもしれないが、彼ならきっと同じことを言うはずだ。
特別実習は、私達の確かな土台になりつつある。それはこれからも変わらない。
今の私達なら、どんな壁が立ちはだかろうとも、それを成長の糧にしてみせる。
「サラ教官、私からも聞きたいことがあります」
「あら、何かしら」
「身喰らう蛇」
口に出した途端に、表情が変わった。
教官のそれではなかった。存在を知る、1人の戦士として。元遊撃士として。
そんなところだろうか。いずれにせよ、思っていた通りだ。
「教官は、知ってるんですよね。その存在も・・・・・・私の7年前の過去も」
「・・・・・・ええ」
ノルド高原でゼクス中将と出会った、あの日。
帝国で行方不明となっていたユイが、私本人であることを告白した時。
あの時私は、全てを打ち明けた。私が見舞われた全てを。そして、その存在を。
中将からは、他言しないように釘を刺された。危険性を考慮しての判断だったのだろう。
この国における私の経歴が抹消されたのも、そのためだったのかもしれない。
今となっては、サラ教官が知っていても大した驚きはない。
もしかしたら、殿下もそうなのだろうか。お母さんが遊撃士だったことを知っているぐらいだ。
「3人、知ってます。巻き込まれただけなんだと思います。あいつらにとっては、私は道端の雑草のような存在なのかもしれません」
「そう」
「身喰らう蛇って、何なんですか。人とすら思えません。あいつらは、一体―――」
「知らなくていいことよ」
遮るようにして、サラ教官の一言が被された。
先程までとは打って変わって、身震いするような鋭い視線が向けながら。
それだけで、どれ程その存在が危険なのかが察せられた。
「・・・・・・分かりました。もう、聞きません」
「必要な時が来たら、あたしが直々に話してあげるわ。でもそれは今じゃない。その時は、教官としてではなく―――」
―――1人の、先輩としてね。
それを最後に、サラ教官は病室を後にした。
強くなろう。強くなって、立派な遊撃士になってからだ。
肩を並べられる程度に強くなってから、教えてもらおう。
サラ先輩と、そう呼べるその日まで。
______________________________
結論から言えば、3日間に渡る夏至祭は無事終了した。
検査を終えた私もA班に合流し、各街区の巡回をしながらも、夏至祭を満喫した2日間だった。
そしてその翌朝。7月29日、木曜日の午前9時過ぎ。
「父さん、傷の方は大丈夫なのか?」
「ああ、大事には至っていない。まだ少し痛むが、じきに完治してくれるだろう」
私達は殿下のご厚意で、バルフレイム宮の迎賓口に招かれていた。
出迎えてくれたのは、殿下とアルフィン皇女に、エリゼちゃん。
そしてレーグニッツ知事に、セドリック皇太子だった。
皇太子の顔を拝見したのは、これが初めてだ。
フィーが漏らした「ちょっと可愛い」は、私の感想でもある。
光栄の限りだ。皇族一同が私達のためにこうして集うことなど、生涯に渡ってこれが最初で最後のはずだ。
「変則的ではあったが、無事に今回の特別実習も終了した。士官学院の理事として、まずはお疲れ様と言っておこうか」
「恐縮です」
「ありがとうございます」
士官学院の、3人の常任理事。
まるで立場が異なる上に、誰もが《Ⅶ組》の肉親であるという事実。
こんな時でも、そこには何らかの意志が介在していると疑わざるを得なかった。
ただ、私達には知る由が無い。
「色々思うところがあるとは思うが、君達には君達にしかできない、学生生活を送ってほしいと思っている。それについては、他の2人も同じだろう」
「父さん・・・・・・」
ともあれ、レーグニッツ知事は信頼に値する人間なのだろう。
負傷しながらも陣頭指揮を執り、無事夏至祭を終えた手腕は見事というべきだ。
彼の言葉を信じるしかない。《Ⅶ組》には《Ⅶ組》にしかできないことが、きっとある。
「その点に関しては、どうか殿下もご安心下さい」
「はは、分かった。元より、あなたについては私も信頼しているつもりだ。だが―――」
「どうやらお揃いのようですな」
(え―――)
不意に、彼らの後方から声が聞こえた。
数アージュ先から放たれた声だというのに、耳元で囁かれたかのような感覚に陥った。
「オズボーン宰相っ」
皇太子の言葉に、皆が顔を見合わせた。
(こ、この人が・・・・・・)
鉄血宰相。国の安定は、鉄と血によるべし。
その存在について思い出せたのは、それだけだった。
気当たり、とは違う。ただ、こうして向かい合っているだけで息が詰まりそうになる。
テロリスト達と対峙した時以上に、膝と腰が抜けそうになる思いだった。
こんな感覚、初めてだ。
「アルフィン殿下におかれましては、ご無事で何よりでした。これも女神の導きでありましょう」
「ありがとうございます、宰相」
私の思いとは裏腹に、何の変哲もない畏まった挨拶が交わされていった。
私だけ、なのだろうか。皆の表情を窺っても、緊張以外に変わった様子は見受けられない。
いずれにせよ今は、平静を装うしかなかった。
悟られない様に呼吸を落ち着かせていると、宰相の視線が私達へと向けられた。
「君達の噂は、私も少しばかり耳にしている。帝国全土を又に掛けての特別実習。非常に興味深い試みだ。これからも頑張るといいだろう。それと―――」
たっぷりと間を置きながら、その視線は私たちの中心。サラ教官へと移っていった。
口元に浮かんだ小さな笑みの意味は、私には分からなかった。
「―――久しいな、遊撃士。転職したそうだが、息災そうで何よりだ」
「ええ、おかげ様で。『その節』は本当にお世話になりました」
一方で、皮肉が込められたサラ教官の言葉の意味は、すぐに理解できた。
遊撃士協会の件について言っているのだろう。その背中からは、何の恐れや迷いも感じられない。
一国の宰相に対してそれか。無礼千万なその態度が、今だけは素直に頼もしかった。
「諸君らもどうか健やかに、強き絆を育み、鋼の意志と肉体を養ってほしい。これからの―――激動の時代に、備えてな」
「あっ・・・・・・」
思わず声を上げ、後ずさった。
そのせいか、宰相と私の視線が重なった。
「―――っ!」
視線を外すことさえできず、悲鳴すら上げてしまいそうな衝動に駆られた、その時。
「ご心配無く」
目の前に在ったのは、サラ教官の背中だった。
教官は普段と何ら変わらずに、腕を組みながら仁王立ちしていた。
「私の生徒達は順調に強い絆を育み、鋼の意志と肉体を養ってくれています。今の職場に移れて、今では感謝しているぐらいですよ。オズボーン宰相?」
「ほう」
「・・・・・・この子達は希望です。彼らに牙を向ける存在があるのなら、たとえこの身を刃に変えてでも―――私は戦います。そこのところ、どうかお忘れなく」
_________________________________
午後20時。
帝都を後にした私達は、3日間に渡る特別実習、そして夏至祭の警備に費やした体力を取り戻すべく、各自が思い思いに身体を休めていた。
5日間も学生寮を留守にしていたというのに、埃1つ見受けられない。流石はシャロンさんだ。
「はぁ。5日間だけなのに、1ヶ月振りぐらいに戻って来たような気分だよ」
「ん。何だか帰ってきたって感じ」
「あはは、分かる分かる」
私は実習で使用した一通りの荷物を整理した後、フィーの部屋を訪れていた。
雑談が目的ではない。どうしても、訊いておきたいことがあったからだ。
「それで、話って何?」
「うん・・・・・・知っていたら、でいいんだけどさ」
地下道で対峙した、ヴァルカンと名乗る男性。そして、その腕にあった刺青。
何度2つの記憶を照らし合わせても、それは一致していた。
勘違いであるはずが、なかったのだ。
「・・・・・・思い出した。猟兵団『アルンガルム』」
「そう・・・・・・やっぱりそうなんだ」
「『Rn』の刺青は、その団の実動員に与えられた証。話でしか知らないけど、間違いはないはず」
7年前の、母方の伯父を訪ねた異国旅行。
お母さんを失った、一夜の悲劇。鳴り響いた、一発の銃声。
その導力銃を握る男の腕にも、同じ刺青があった。
「でも・・・・・・少し解せない。あの団は既に無くなっているけど、義を重んじる集団だったから。団長が教えてくれた」
「・・・・・・そうなの?」
「猟兵団って言っても、規模や方向性はピンキリ。残虐非道な連中もいれば、戦争孤児を守るために存在する団だってある。アルンガルムは、間違いなく後者の類だったはず」
ヴァルカンも言っていたことだ。レグラムの近辺に足を運んだ覚えはないと。
それに―――私達を襲った連中は、既にこの世にはいない。
サングラスの男。狼が、全員その手で葬り去ってしまっている。
復讐するつもりなど毛頭無いし、その相手すらも存在していない。
ただフィーが言うように、確かに腑に落ちない。
そんな団に所属していた彼が、どうしてテロリスト一味に加担などしているのか。
そもそも、何故アルンガルムは無くなってしまったのか。
私には知る由もないことだが、事情が事情だ。それなりに気にはなる。
「・・・・・・ごめん」
「え?な、何で謝るの?」
「少し、無神経だった」
「・・・・・・ああ。いいよ、フィー。別に何も感じないから」
私達を襲ったのは、猟兵団。その事実だけは確かだ。
そんな集団を美化するような言葉を並べたことを、後悔しているのだろう。
そんな気遣いは無用だ。寧ろ感謝すべきだというのに。
「その話、サラ教官にもしてあげた方がいいよ。連中の足取りを掴むキッカケになるかもしれない」
「そだね。明日伝えておく」
「ありがとう。じゃあ、また明日ね」
ひとしきりフィーの頭を撫でてから、踵を返す。
すると背後から、言外の含みを匂わせる視線を感じた。
「・・・・・・何?」
「別に。ガイウスの部屋に行くのかなって、そう思っただけ」
「ち、違うってば」
「おやすみ、アヤ。ごゆっくり」
「・・・・・・お、おやすみ」
明日から、こんなやり取りが一気に増えそうだ。
この点に関してだけ言えば、明日が来ないでほしい。そう願うばかりだった。
_______________________________
フィーに掛けた言葉は嘘ではなかった。
私は真っ直ぐに、自室へと戻った。言葉の綾、というやつだが。
ガイウスが、私の部屋に来た。ただそれだけのことだった。
「なるほどな。確かに腑に落ちない話だ」
「うん・・・・・・結局、私は見逃されたわけだし。あいつらの目的が何なのか、さっぱり分かんない」
私はフィーから得た情報と、実習の中で体験した全てをガイウスに明かしていた。
初回の特別実習の時もそうだったが、あの時もこうしてお互いの話に耳を傾けていた。
来月はどうなのだろう。また一緒の班になってくれればいいのだが。
「いずれにせよ、また対峙する時が来るかもしれないな。不思議と俺にはそう思える」
「ん、そうだね。次は絶対に負けるわけにはいかない」
次の敗北は、間違いなく死を意味する。ヴァルカンもそう言っていた。
テロリストと私達の間に、接点など生まれようがない。
でもどうしてだろう。ガイウスが言うように、どういうわけかそう思えてしまう。
「よいしょっと。ガイウス、次はそっちの番だよ」
「ん?」
「『ん』じゃないでしょ。話すって約束してくれたじゃん」
ベッドに預けていた身体を起こし、テーブルを挟んでガイウスと正面から向き合った。
既にB班の話は聞いている。だから、次は彼の話に耳を傾ける番だ。
この実習が終わったら、必ず話す。そう約束していたはずだ。忘れたとは言わせない。
「・・・・・・そうだな。正直に言えば、俺は焦っていたのかもしれない」
「焦るって、何を?」
「如何にして故郷を守るか。あの実習以来、そればかりを考えていた」
故郷を守るために、強くなる。
聞こえはいいが、現実問題として、それは余りにも困難な道のりだ。
何しろ2大国に挟まれた領地争いのど真ん中だ。人一人の意志でどうにかなる程、現実は甘くはない。
それは、誰にだって分かっていることだった。
「理解はしている。だがオズボーン宰相が仰られたように、時代は動き始めている。先月の一件すらも、その予兆に過ぎないのだろう」
「それはそうだけど・・・・・・」
「それに、アヤに置いて行かれるような気がしてな」
「へ?」
どういうわけか、突然引き合いに出されたのは私だった。
何故そこで私の名前が出る。これ以上分からないことを増やさないでほしい。
抱えきれない程に、色々なことが頭に詰まっているというのに。
「様々な過去を持ちながらも、アヤは・・・・・・前に進めているだろう。遊撃士という確かな道も見つかった。それが、俺は羨ましかったのかもしれない」
「・・・・・・置いて行かれるのが、怖くなった。とか?」
「ああ。情けない限りだが」
呆れたものだ。そんな詮無いことを考えていたのか。
支え合っていくと言ったのに。別に無理に歩調を合わせる必要はないだろう。
私だって別に、彼の前を歩いているつもりはない。道を見つけただけだ。
「そっか・・・・・・」
ただ、気持ちは分からなくもない。
ガイウスにも、男性としてのプライドがあるのだろう。
まぁ、お義父さんはお義母さんに尻を敷かれ気味なのだが。それは別の話だ。
「一緒に考えさせてよ。2人だけじゃなく、みんなでさ。サラ教官もゼクス中将も、相談できる人間はたくさんいるんだから」
「・・・・・・そうだな。ありがとう、アヤ。少しだけ、気が楽になった」
お互いに顔に笑みが浮かび、視線が重なる。
さて、これで1つの心配事はもう大丈夫だ。
もう1つは私が強引に聞き出さないと、吐いてはくれないだろう。
「それで、何を悩んでるの」
「ん?」
「だから、『ん』じゃないでしょ。次にしらばっくれたら、殴るからね」
拳を鳴らしながら、優しげ且つ凄味を効かせた視線を送る。
それぐらいお見通しだ。どれだけの時間を今まで共有してきたと思ってる。
やがて観念したかのように、ガイウスは頬を掻きながら口を開いた。
「その、先程の事も相まってな」
「うん」
「時折、アヤを遠くに感じてしまう」
「・・・・・・うん?」
とおくにかんじてしまう。
何だそれは。突然何を言い出すんだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ。わけ分かんない。何が言いたいの?」
「言っただろう。アヤは、リィンに似ている」
またそれか。一体彼の何を指して言っている。
さっぱり分からない。ハッキリ言ったらどうなんだ。
「言っていいのか?」
「言ってよ。何度言わせるの」
「俺以外の男子に、必要以上に笑顔を見せないでくれ」
「・・・・・・は?」
ハッキリ言われた結果。私には、何の言葉も見つからなかった。
「すまない、これ以上は・・・・・・察してくれないか」
「ガイウス・・・・・・」
言葉は出ない。ただ―――何となく、ではあるが。
彼が言わんとしていることが、おぼろげながら見えてきた。
太陽のように、笑う君。
君を例えるなら、俺は太陽だと思う。
決して、独り占めにはできない。
今までまるで理解できなかったガイウスの言葉が、今になって漸く繋がりを見せ始めた。
そうして見えてきたのは、1つの感情に他ならなかった。
「・・・・・・ふふっ」
「アヤ?」
「あはは、あははは!」
笑う以外に何がある。笑うしかないだろうに。
よくそんなことが言えたものだ。それを言うなら、こちらだって同じだ。
私が知らない時間を、ガイウスがリンデと共有しているというだけで不安になる。
女学院で複数の視線を浴びる彼を見ただけで、自分がどれだけ狭量な人間なのか思い知らされた。
正直に言えば、彼が私以外の女性と話しているだけで嫉妬心に駆られる。
私のものなのに。私だけの彼なのに、そうはなってくれない。
要するに、お互い様だ。
逆の視点から見れば、確かに私もそうだったかもしれない。
いや、きっと彼以上だ。今思えば、土下座したくなる程に迂闊だった。
想いが繋がってから、たったの3週間足らず。その間にも、生まれて初めての感情に戸惑っていたのだろう。
「・・・・・・勘弁してくれないか。自分でも、おかしなことを言っているという自覚はある」
「ごめんごめん・・・・・・違うよ。おかしいから笑ってるんじゃない」
嬉しさから来る笑いに他ならない。
もう、安心だ。そんなことが原因なら、方法はいくらだってある。
「ガイウス。私のこと、好き?」
「ああ、好きだ」
「本当に?」
「本当だ」
「これからも、ずっと?」
「ああ。風と女神に誓う」
「・・・・・・そっか」
その言葉の意味を、理解しているのだろうか。
勢いで―――いや、私が信じなくてどうする。
あの夕暮れの下で、誓ったじゃないか。
幸せになると。一生を共にする覚悟すらできていると。
「ねぇ。美術室で言ったこと、覚えてる?」
「・・・・・・すまない、いつの話だ?」
もう迷わない。
ただ、これは彼の役目だ。こちらから言いたくもないし、したくもない。
それぐらいすぐに察しろ。この唐変木。
「ガイウスって―――私に、何もしないよね」
七曜歴1204年、7月29日木曜日。快晴。
5日間の夏季休暇を、翌月に控えた初夏。真夏の思い出の、始まりの1ページ目。
私の19年間と4ヶ月の中で、一番幸せで、一番長い夜だった。
これにて第4章は閉幕、次話からは第5章となります。
序盤は、原作では何故かさっと流された、『5日間の夏季休暇』の出来事になります。
これだけでもかなり時間が掛かりますが、どうかご勘弁を。
だって、夏休みですから。