絢の軌跡   作:ゆーゆ

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一夏の日常

8月10日、午前10時。

夏季休暇も後半に差し掛かり、今日のトリスタも炎天下のうだるような暑さに苛まれていた。

聞いた話では、士官学院でも熱中症で倒れた生徒がいたらしい。

寒冷な気候の地からやってきた生徒にとっては、この暑さは如何ともし難いのだろう。

キルシェでは氷粒を使ったデザートが大人気だそうだ。

 

「アヤさん、今日は馬術部はお休みですか?」

「ん・・・・・・あ、エマ。今日は午後からだよ。エマはこれから文芸部?」

「はい。部長から校正を頼まれていまして」

 

私は第3学生寮の3階、談話スペースで涼を取りながら、ある物語小説を読み耽っていた。

そこに通り掛かったのがエマ。今し方扉を開く音は聞こえていたが、彼女だったか。

ちょうどいい。本の事なら、エマに聞くのが一番だ。

 

「ねぇ。この本の事で聞きたいことがあるんだけど・・・・・・これ、知ってる?」

 

『空の軌跡』。それが私が読み入っていた本のタイトル。

何を隠そう、あのオリヴァルト殿下から送られてきた本である。

特別実習のあの日、殿下が言っていた『プレゼント』とは、この事だったようだ。

 

「・・・・・・いえ、聞いたことがないですね。ですがこれは、個人が作成した作品かもしれません」

「個人が?」

「奥付が見当たりませんし、『オリビエ書房』という出版社にも心当たりがありませんから」

「そうなんだ・・・・・・まぁ、キャロルさんが知らなかったぐらいだしね」

 

主人公は2人。「あんですってー!」が口癖の、天真爛漫な16歳の少女、エリス。

もう1人は、何やらワケ有りの過去を持っていそうな同年齢の男子、アッシュ。

そんな2人の義姉弟が正遊撃士を目指しながら、リベール王国の各地を旅する冒険譚。

 

殿下がどういった意図で私にこの本を贈って下さったのかは、何となく理解できた。

これを読んでいるだけで、遊撃士に関する様々な事柄を学ぶことができそうだ。

それに作品としての完成度も申し分ない。どうしてこうも引き込まれるのだろう。

2人が見聞きした全てが、鮮明に頭の中に浮かび上がってくる感覚だった。

また徹夜でもして読み入ってしまいそうな気分になる。

 

(オリビエ、かぁ)

 

物語はまだ始まったばかり。第1部の『First Chapter』の序盤だ。

1つ不可解なことは、他者には内容を漏らさないでほしいという、殿下からのメッセージ。

当然だが、私以外の人間が読むことも許されないのだろう。こればっかりは意図が読めない。

 

「それとエマ、部長さんにお礼を言っておいてよ。昨年の交流会で部長さんが作った資料、参考にさせてもらったからさ」

「分かりました。大変だとは思いますが、手伝えることがあったら何でも言って下さいね」

「うん」

 

エマに言伝を預け、私は再び物語の中に身を投じた。

リベール王国。豊かな自然に囲まれた、信仰深い国だと聞いている。一度は行ってみたいものだ。

・・・・・・あ。また旅の演奏家が大活躍してる。頼もしいなぁ、この人。

 

_________________________________

 

エマと別れてからしばらくして、私は喉を潤すために厨房へと向かった。

そこには、意外過ぎる人物がエプロンを着けた姿があった。

 

「・・・・・・ラウラ?」

「む、アヤか」

 

ラウラだった。彼女が台所に立つ姿を見るのは、これが初めてかもしれない。

どうしたのだろう。昼食の準備をするにしても、少し早過ぎる時間帯だ。

 

「ちょうどよいところに来てくれた。アヤ、味を見てくれないだろうか?」

「味?」

 

見れば、ラウラの手元には小振りの2段型の弁当箱があった。

小振りではないか。客観的に見れば普通サイズのそれだろう。

中には色取り取りの主菜に副菜。メインには海苔を巻いたおにぎりが2つ。

 

「美味しそう。これ、ラウラが作ったの?」

「ああ。大分手間取ってしまったがな」

 

素直に驚いた。何でも卒なくこなすラウラだが、料理の心得もあったか。

調理実習の際には覚束ない手際だったような気がするが、見たところ立派なお弁当だ。

こちらも小腹が空き始めていたところだし、ありがたく頂戴しよう。

 

「いただきますっ」

 

味を見てほしいとのことなので、まずは一通りの品に手をつけることにした。

一品一品、十分に味わい、感想を考えながら。

半分ほど平らげた後、私は一旦箸を置いた。

 

「ふむ。味の方はどうだ?」

「・・・・・・えーとね」

 

贔屓目に言って、食べれなくはない。悪く言えば、美味しくない。

そのあたりが、真っ先に思い浮かんだ感想だった。

 

まずマカロニサラダ。味が薄く野菜が半生なせいで、何というか、ただのマカロニと野菜だ。

卵焼きの多少の焦げには目を瞑るにしても、よくよく見れば形がボロボロ。

鶏肉のフライは吸油が多過ぎやしないか。胃が弱い人間には堪えるだろう。

そもそも下に添えられたレタスの水切りが甘いせいで、下に薄っすらと水が溜まっているのだが。

そしておにぎりは・・・・・・握ればいいというものではない。1つ食べただけで顎が疲れてしまった。

 

見た目は悪くないし、食べれなくもない。

ただ二者択一を迫られれば、正直美味しくない。そうとしか言いようが無い。

 

「どうしたのだ、アヤ」

「んー・・・・・・」

 

さてどうしたものか。

これはハッキリ言ってあげた方が、ラウラのためになるのだろうか。

だとしても、言い辛い。言い淀んでいるせいか、ラウラの表情も曇り始めている気がする。

悩ましい。だが黙っているわけにもいかない。

 

「私も一通り口にしたが、とても食べられた物ではなかった。まさか、そうではないのか?」

「それを最初に言ってよ!」

 

うん、悩んだだけ無駄だったようだ。

そこまで言う程悪くはなかったが、ラウラの舌は間違いなく私よりも肥えているのだろう。

 

聞けば、一応本のレシピに従い作ったのがこれだそうだ。

本当にそうなら、こうなるはずはないと思うのだが。

レシピにも目を通してみたものの、別におかしな点は見受けられなかった。

 

「曖昧な表現が多くて、加減が分からないのだ。駆け出しの身には、少々荷が重すぎる選択だったのかもしれぬな」

「駆け出しって・・・・・・」

 

恐る恐る聞いてみると、ラウラがまともに包丁を握ったのは、今回が初めて。

文字通り、初心者だったらしい。それはそれで驚愕の事実だ。

料理初心者が揚げ物に手を出すなんて、確かに分不相応な選択だ。

それでこの出来栄えなら十分過ぎる気がするが、ラウラにとっては嬉しくもない評価だろう。

 

(あっ)

 

不意に、ラウラの左手に目が止まった。

多分、指は包丁で切ってしまったに違いない。手首の腫れは、火傷の痕か。

それなりの代償を払っていたようだ。ラウラには悪いが、その不器用さが彼女を身近に感じさせる。

 

「でも、何で急に?調理実習のカリキュラムはもう終わったよね?」

「それは、その。修行の一環としてだ。こういったことも、乙女の嗜みだろう」

 

乙女の嗜みと来たか。別段意外でもない。

こう見えてみっしぃのような可愛い物好きだし、料理にも興味があったのだろう。

まぁ、それ以外にも何か目的はあると見える。

 

「リィン」

「アヤ?」

「リィン」

「待つがよい。何故急にあの男の名前が」

「リィン」

「私はただ」

「リィン」

「違うのだ、私は」

「リィン」

「・・・・・・うん」

 

漸く観念したか。

精々思い知れ。私はあの晩、5人分のこの圧力に耐えきったのだ。

責めるつもりないが、これでお相子だ。弄り倒される側の気持ちも分かるし。

 

「それで、どうするの?誰かに食べてもらうつもりなら、これだとちょっとね」

「そうだな。意地を張らず、他者に教えを乞うべきだったようだ」

 

ラウラはそう言うと、期待を込めた視線を真っ直ぐに送ってきた。

そんな目で見られても困る。私だって、人に教えられる程の腕前があるわけではない。

 

「何て言えばいいんだろ。多分、私って結構特殊なんだと思う」

「ふむ?」

 

私が本当の意味で炊事を覚えたのは、ノルドでの新生活を始めてからのことだ。

初めはそれなりの苦労はあったが、お義母さんのおかげで一通りのことは身に付いていた。

ただ、ノルドと帝国ではあらゆる点で違いがある。

 

まず火の使い方が違う。竈の類がここには無い。

基本となる調味料や器具でさえ同じではない。食材だってそうだ。

このあたりについては、私もガイウスも適応するまでに相当な苦労を要した。

小さい頃に真似事程度はしていたが、その経験は活かされることなく消え失せてしまっていた。

慣れているようで、慣れていないのだ。

 

「そもそもさ、適任者がこの寮にはいるじゃん」

「適任者・・・・・・そうか、失念していた。そうであったな」

 

ラウラが言うのと同時に、食堂の扉が静かに開かれた。

相変わらず、図ったようなタイミングで現れてくれる。

ラウラのことは彼女に任せ、少し早いが馬術部の用事を済ませに行こう。

そうでないと、またからかわれてしまう。12日前の、夜のことを。

 

______________________________

 

午後13時過ぎ。

生徒会室を訪ねると、そこにはトワ会長とアンゼリカ先輩の姿があった。

 

「あ、アヤさん。ちょっと待ってね、今準備するから」

「別に急ぎでもないので、お構いなく」

 

私がここを訪ねた目的は2つ。1つは、導力端末の使用申請。

端末室にある導力端末は、事前に申し出さえしておけば自由に利用することができる。

「向こう3週間は確保しておけ」とユーシスから頼まれていたが、それは通るのだろうか。

まぁ利用者自体多くはないし、私達には交流会の資料作成という明確な目的がある。

トワ会長に事情を話せば、どうにかなるだろう。

 

「これが生徒会用のカメラだよ。1つしかないから、大事に使ってね?」

「ありがとうございます・・・・・・へぇ。意外に小さいんですね」

 

もう1つが、撮影用の導力カメラ。当然ながら、資料用の写真を撮影するためだ。

初めは写真部を頼ろうと思っていたのだが、生徒会にも専用の導力カメラがあると聞いていた。

それにしても、カメラといえばもう少し大きくて、ゴツゴツしているイメージだったのだが。

私の手元にあるそれは、片手でも扱えそうな程に小型だった。

 

「ジョルジュが改良して小型化したのがそれさ。端末を介した出力が可能で、あのAF機能付きだ。初心者でもそれなりの写真が撮れるはずだよ。君も耳にしたことぐらいあるだろう?」

「・・・・・・ないです」

 

アンゼリカ先輩に力無く答える。

端末で出力可能はイメージできるが、AF機能とやらについては初耳だ。

何の略だろう。アローナフライ、とかだろうか。

 

「失礼します・・・・・・あれ、アヤもいたのか」

「リィン?」

 

声で察してはいたが、振り返るとリィンの姿があった。

話を聞くと、生徒会の依頼に関する報告をしにここへ来たそうだ。

・・・・・・5日間丸々、それに時間を費やすつもりなのだろうか。

確かリィンは、夏季休暇の初日から昨日まで、何かしらの依頼をこなしていたはずだ。

 

「ああ、それはオートフォーカス機能のことだよ」

「おーとふぉーかす?」

 

リィンはAF機能について知っているようで、詳細を簡単に教えてくれた。

自動的にピントを合わせる。それだけ。特に感動も無かった。

縁の無い私には理解できないが、その世界ではかなり革新的な技術らしい。食べ物ではないようだ。

 

「ふーん。それで、これどうやって使うの?」

「簡単さ。実際に一度撮ってみるといい。ファインダーを覗いて、まずは被写体を捉えてくれ」

 

トワ会長の手を煩わせるまでもない。

先月の実習でもリィンは慣れた手付きでカメラを扱っていたし、ここは彼に教わっておこう。

 

右目でカメラのファインダーを覗き、周囲の様子を窺う。

なるほど。ここからはこんな形で見えるのか。

被写体・・・・・・撮影する対象か。何を撮ればいいのだろう。

 

「アヤ君、こっちだよ」

「はい?」

 

声がした方に、カメラのレンズを向ける。

そこには、スーツのジッパーを胸元まで下ろしたアンゼリカ先輩がいた。

 

「あ、アンちゃん!?」

「ハッハッハ!さぁ、思う存分撮りたまえ!」

「嫌です」

 

何をやってるんだこの人は。

暑さのあまり、頭の中が溶けてしまっているのではないか。

それとリィン、視線を外すならしっかり外せ。ちらちら見るな。

 

「ああもう・・・・・・すみません、トワ会長。少しじっとしててもらえますか?」

「え、え、私?」

 

気を取り直して、隣にいたトワ会長にカメラを向ける。

そこには「えへへ」と照れ笑いを浮かべる天使がいた。

うん、どうせ撮るならこういう写真を撮るべきだ。1枚と言わず何枚も。

 

「オッケー。次はどうすればいいの?」

「軽く右上のボタンを押してみてくれ。半押しすると、自動的にピントが合うはずだ」

「軽くって・・・・・・え、これを軽く押せばいいの?」

「ああ、こんな感じで―――」

 

私がカメラを持つ手に、そっとリィンの右手が添えられた。

その瞬間、弾かれたようにその腕の肘が彼の脇腹に突き刺さった。

 

「ぶはっ!?」

 

気付いた時には、くの字に折れ曲がったリィンがいた。

全部、無意識の行動だった。

 

「だ、だから・・・・・・俺は、何を謝ればいいんだ?」

「ご、ごめん。何かその、つい」

 

切実に何かを訴えようとするリィン。

謝りたいのは山々だが、それ以上の何かを問われている気がしてならない。何かあったのだろか。

それにしても―――

 

(―――何で?)

 

手が触れただけだ。本当に、それだけ。

だというのに、どうして手が出てしまったのだろう。

自分でも理解できないが―――うん、嫌だった。何となく。

私も暑さでおかしくなっているのかもしれない。真夏日だし。

 

「えっと、アヤさん?私いつまでこうしてればいいのかな?」

「あ、すみません。今撮りますから」

 

リィンに謝罪の言葉を並べながら、再びカメラ越しにトワ会長へと視線を向ける。

先程の指示に従い、軽くボタンを半押ししてから強めにボタンを押す。

パシャッ。

 

「・・・・・・これで撮れたの?」

「ああ。簡単だろ?」

 

なるほど。確かにこれなら私にも扱えそうだ。

もっと少し取っ付きにくい代物かと思っていたが、これもAF機能のおかげなのだろう。

 

「アヤ君、どうせなら私と君とのツーショット写真でもどうだい?」

「・・・・・・いいですけど。変なことはしないで下さいよ」

 

リィンにカメラを手渡し、ジッパーに伸ばされた先輩の腕を制してから肩を並べる。

密着する程に身体を寄せられながら、私達の姿は一枚の写真に収められた。

 

____________________________

 

導力端末の使用許可とカメラを得た私は、報告を終えたリィンと一緒に生徒会室を後にした。

彼は午後から明日に掛けて特に予定は無く、久しぶりに趣味である釣りに興じるそうだ。

漸く一息付くことができるか。夏季休暇ぐらい、ゆっくり休んでほしい。

 

「アヤは明日、何か予定はあるのか?」

「明日は・・・・・・その、ガイウスに誘われててさ」

 

昨晩のことだった。

私の部屋を訪ねたガイウスから、8月11日は終日空けていてほしいとお願いをされた。

詳細はまだ聞かされていないが、たまには一緒に外へ出ようとのことだった。

その時は驚きの余り、空返事をすることしかできなかったが―――嬉しさの余り、ベッドの上で悶えていたのは秘密だ。

 

「・・・・・・リィン、何か知ってるの?」

「え?ああいや、よかったじゃないか。俺も嬉しくってさ」

「ふーん」

 

ははは、と普段通りの笑い声を漏らすリィン。

何やら含みのある笑いに見えなくもないが。今思えば、ユーシスもそうだった。

まぁ考えても仕方ないか。それに、誘われたことに変わりはないのだから。

 

「そうだ。リィン、好き嫌いってある?」

「好き嫌い・・・・・・食べ物のことか?」

「うん」

 

学生会館の階段を下りながら、リィンに話題を振る。

唐突にこんな話をされては怪しまれるかもしれないが、回りくどいのは苦手だ。

それに私なら「また食べ物か、アヤらしいな」程度で済まされるに違いない。

実際に予想通りの言葉を1つ置いてから、リィンは語り始めた。

 

「苦手な物は特にないけど・・・・・・そうだな。鴨肉は子供の頃からよく食べていたよ」

「鴨?」

「父さんが大の狩猟好きでさ。よく付き合わされたんだ」

 

鴨肉か。少しハードルが高そうな食材だ。

入手するのも容易ではないだろう。

 

「ふーん。それ以外は?」

「魚料理かな。川魚が苦手な人っているけど、俺は結構好きなんだよ」

 

なるほど。リィンにとって釣りは趣味だし、その延長線上なのかもしれない。

これぐらいでいいか。余り深く掘り下げると、話しがまたややこしくなる。

 

「そっか。じゃあ、私一度寮に戻るから。またね」

「ああ・・・・・・今のは何の話だったんだ?」

「何でもない。でもまぁ、期待してていいと思うよ」

 

右手を振りながら、一足先に学生会館を後にした。

今頃はシャロンさんの下で、おにぎりの握り方を教わっているのかもしれない。

同窓のために、これぐらいの協力はしてあげよう。

 

______________________________

 

結局ラウラはリィンの好みに応えるべく、魚料理の練習をシャロンさんと約束するに至った。

ついでに、釣皇倶楽部の部室を聞かれた。教えはしたが、それは何か違う気がしてならない。

・・・・・・鴨肉はどうするつもりなのだろう。狩るのだろうか。

 

「おい。さっさと撮ったらどうなんだ」

「まだ駄目だよ。もっと泥だらけになってくれた方が絵になるじゃん」

「そうそう。普段のアンタとのギャップが目的なんだから」

「貴様らっ・・・・・・」

 

午後17時過ぎ。

私は生徒会から借りてきた導力カメラを手に、厩舎の掃除に勤しむユーシスを眺めていた。

いい写真を撮るためにも、彼には精々頑張ってもらう必要がある。

ついでに厩舎の仕事も進むのだから言う事はない。

後でシャロンさんが奇麗にしてくれるし、制服が汚れても問題無しだ。

 

「へぇ、誘ってくれたんだ。よかったわね」

「うん。行先はまだ聞いてないんだけど、明日は1日留守にするね」

 

隠すことに意味は無いそうだが、要は当日までのお楽しみというやつだろう。

らしくないことをする。まぁ、悪い気はこれっぽっちもしない。

 

「そう。なら残りのポテトはユーシスに食べてもらおうかしら」

「ば、馬鹿な・・・・・・無尽蔵だというのか?」

「何よ。アンタも美味しそうに食べていたじゃない」

「阿呆が、味の問題ではないと言っているだろう!」

 

最早何も言うまい。何か言ったら、こっちに振られそうだ。

多分、ポーラは自炊派だ。腕前も味が物語っていた。ただ、全部ほっくりポテトだった。

サラダ、バター焼き、フライ等々。昨日からポテトに溢れた生活が続いていた。

ラウラのお弁当の中身がマカロニサラダでよかった。

あれがポテトサラダだったら、弁当箱をひっくり返していたかもしれない。

 

「さてと。ポーラ、そろそろ撮ってあげた方がいいんじゃない?」

「そうねぇ・・・・・・頭の上にボロでも乗せた方がいいのかしら」

「それは私もどうかと思うよ」

 

相も変わらず容赦が無い。それはユーシスも怒っていいと思う。

生徒会室で練習したおかげで、問題無く撮影できるはずだ。もう頃合いだろう。

 

「ユーシス、そろそろ撮るよ」

「さっさとしろ。日が暮れるぞ」

 

ファインダーを覗き込みながら、ユーシスの姿を捉える。

制服を汚しながら、厩舎の掃除に身を投じるユーシス・アルバレア。

うん、いい絵だ。もしかしなくとも、これはかなり貴重な写真になるのではないか。

小型化に成功したものの、容量というものに課題があるらしく、保存できる枚数は限られている。

ここは慎重にいこう。

 

「さっさとしろと言っているだろう」

「分かってるってば・・・・・・うわっ!?」

 

ゆっくりと背後へ歩を進めていた右足が、不意にぬかるみに取られ、盛大にすっ転んだ。

手にしていたカメラを落とさないよう庇ったせいで、背中から思いっ切り。

背中に鈍い痛みが走ると同時に、ヒンヤリとした泥の感触が広がっていった。

 

「いたたた・・・・・・」

「ちょ、ちょっとアヤ。大丈夫?」

「あはは。何とか―――」

「よかった。カメラは無事みたいね」

「・・・・・・あ、うん」

 

気持ちは分かるが、少しは心配してほしい。まぁ、カメラが無事でよかった。

私達のポケットマネーでは、弁償できるかどうか分からない程に高価な物のはずだ。

 

半身を起こすと、背後のホースからは少量の水が流れ出していた。

当然ながら、ホースの逆端は厩舎の水道の蛇口に繋がっていた。

水道の栓が完全に閉まっていなかったようだ。おかげでこの有様である。

 

「ああもう。ユーシス以上に泥塗れだよ」

「フン、ちょうどいい。お前も被写体になれという風と女神の導きだ」

「ええ!?」

 

随分と適当なことを言う。風と女神というより、これでは水と泥の導きだろう。

 

「いいわねそれ。私が撮るから、2人とも近寄りなさいよ」

「「・・・・・・」」

「な、何よ?」

 

別に誰が悪いわけでもない。ただ、納得がいかない。

その思いで、私とユーシスは共同戦線を張った。

 

_____________________________

 

馬術部の部長であるランベルト先輩は、明日の8月11日から実家に戻るのだそうだ。

ただ、それもたったの3日間だけ。それ程までに、マッハ号と離れるのが心苦しいらしい。

ここまで酔狂に馬を愛する人間も、帝国では稀だろう。

 

「ハッハッハ。ユーシス君、表情が硬いな。照れているのかね?」

「心外です。それより何枚撮れば気が済むんですか」

 

今からおよそ20分前。

3人仲良く泥を被った私達を訪ねたのは、ランベルト先輩だった。

旅立ちの前にマッハ号の様子を見に来た先輩は、私達を目にするやいなや愉快な笑い声を上げた。

それはそうだろう。意図的に泥に塗れた私達は、余りにもこのグラウンドで浮いていた。

結局は先輩が写真の撮影を買って出てくれたおかげで、被写体はめでたく代表者3人となった。

 

「ランベルト先輩、そろそろ枚数が限界だと思うんですけど」

「そのようだ。残すところあと2枚だね」

 

それに、大分日が暮れかけてきている。

先輩も列車の時間が近いと言っていたし、そろそろ潮時だろう。

 

「ならここからは好きに撮らせてもらおう。3人とも、もっと近寄ってくれたまえ」

 

先輩の言葉に従い、ユーシスを中心に並ぶ。

 

「アヤ君、私から見てもっと右だ」

「こうですか?」

「ポーラ君、君は左だ」

「はぁ」

 

・・・・・・いや、何故にこうも一箇所に集まる必要がある。

先輩は一体どんな写真を撮るつもりなんだ。早く泥を洗い流したいというのに。

 

「まだ表情が硬いね。ユーシス君、両手に花だろう。もっと笑いたまえ」

「冗談でしょう。両手に芋です」

「アンタぶっ飛ばすわよ!?」

「そうだよ!何で私までポテトなの!?」

「アヤ、それどういう意味!?」

「ハッハッハ!」

 

ああだこうだ言い合う私達を余所に、ランベルト先輩は一際大きな笑い声を上げた。

 

「実に愉快だ。私も参加させてもらおう」

 

______________________________

 

それからはあっという間だった。

近くを通り掛かったガイラーさんに導力カメラを託し、ランベルト先輩は私達の輪に加わった。

列車の時間が近いというのに、先輩の制服は私達同様、茶色に染まった。

 

4人の馬術部員が肩を寄せ合いながら、夕暮れ時に撮影された集合写真。それが1枚。

最後の1枚は、半ばやけっぱちのポーラが私とユーシスの肩を取り、3人仲良く密着した写真。

遅い時間だというのに、写真はジョルジュ先輩の協力ですぐにプリントされた。

資料用の写真はポーラが保管し、最後の2枚は私達3人に行き渡った。

 

4人の写真は、被写体である私が言うのもなんだが、いい写真だと思う。

ラスト1枚は何度見ても照れる。勢いに身を任せた私とポーラは、満面の笑みを浮かべていた。

ユーシスの表情は複雑極まりなく、いくつかの感情が入り混じっていた。

照れなのか喜びなのか・・・・・・何だろう。もう1つ、身近な感情がある気がしてならない。

私には、どうにも拾い切れなかった。

 

その2枚の写真と、ついでにアンゼリカ先輩とのツーショット写真。

計3枚の写真は、私の学生手帳の中に収められた。

ポーラとユーシスが写真をどうしたのかは分からない。少なくとも私は、大切にしたいと思う。

恥ずかしい事この上ないそれも、きっといつかは掛け替えのない思い出に変わってくれる。

 

「・・・・・・明日が最後か」

 

ベッドの中でそう呟く。時刻は夜の22時。

あと2時間も経てば、夏季休暇の最終日、8月11日。

 

あっという間の4日間だった。今日1日を振り返っても、特別なことは何1つ見受けられない。

抑揚に乏しい淡々とした日々。数年後には、記憶の海の底に沈むであろう日常。

 

案外、そんな中に幸せというものは隠れているのかもしれない。

そこやかしこに散りばめられた、欠片の数々。それが私の中で、1つの何かを模っていく。

皆にとっては、私も切れ端に過ぎない。互いの世界を結ぶ本数が、日を追うごとに増していく。

彩りの数だけ煌びやかに、そして強く。戦術リンクの軸は、きっとそこにある。

 

「あはは」

 

考え事が途方も無く壮大になり過ぎたところで、布団を掛け直す。

明日に控えた最後の欠片と思い出を想いながら、私は夢の中に落ちていった。


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