絢の軌跡   作:ゆーゆ

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7年振りの再訪

8月27日。午前5時50分。

 

「うん、こんなものかな」

 

小振りの直焼きパンに挟んだ、色取り取りの具材。

少々作り過ぎてしまった感はあるが、余ったら私が食べればいいだけの話だ。

昨晩に下ごしらえを済ませていたこともあり、思っていた以上に早く仕上げられた。

まあ予定よりも早く起床したことが一番の要因か。残すは洗い物だけだ。

 

「・・・・・・またやってるよ」

 

2階から聞こえてきたリィンの呻き声。おそらくはミリアムの仕業だろう。

1人目の被害者となったおかげで、今朝はかなり余裕がある。

移動中に睡眠をとる時間もあるし、絶不調の先月とは違い、万全の態勢で臨めるはずだ。

 

「早いな、アヤ」

「おはよ。そっちはいつもより遅いね」

 

使用した器具や食器を洗っている最中、ガイウスが食堂に顔を覗かせた。

普段よりも起床時間が遅いのは、実習の時間に合わせたからなのだろう。

 

特別実習も今回で5回目。

皆もそうだが、事前準備から当日の動きに至るまで、大分慣れてきたように思える。

前日までに乗り継ぎの列車は勿論、それに合わせたトリスタ発の出発時刻を決めておく。

出来る限りの準備もしておき、当日はギリギリの時間まで睡眠をとる。

次第に列車の中での睡眠時間までもを考慮するようになる。

ガイウスの場合は、それを考えないようにしているのだろう。

 

「朝餉の用意をしていたのか。すごい量だな」

「A班分、全部作っちゃった。尊敬する先輩を見習ってね」

 

これは単なる気紛れだ。

アンゼリカ先輩の話を聞いて、感じるがままに作ってしまった。

別に他意は無いが、これで皆の士気が上がってくれるなら言うこと無しだ。

 

「それにしても・・・・・・あの起こし方は容赦が無いな」

「えっ。ガイウス、もしかして」

「いや、リィンの部屋の扉が開いていただけだ。君以外にあれは御免こうむりたい」

「バカ」

 

13歳という年齢だから許される・・・・・・のだろうか。

私からすれば、アウトなのだが。まぁ《Ⅶ組》の男性陣が相手ならギリギリセーフかもしれない。

ガイウスは例外だ。

 

「おーっす。朝からイチャついてんな、2人とも」

 

ガイウスに続いて1階に下り立ったのは、B班に班分けされたクロウ先輩だった。

朝寝坊の常習犯にしては随分と早いように思えたが、特別実習ともなれば話は別なのだろう。

 

クロウ先輩は私が用意した朝食に気付くと、何かを懐かしむような表情を浮かべ始めた。

流石に彼は察したか。見よう見真似とはいえ、具材もそれなりに再現したつもりだ。

隠す必要は見当たらなかった。私はアンゼリカ先輩から話を聞いた旨を打ち明けた。

 

「なるほどな。トワを見習ってってやつか」

「そんなところです。たくさん作ったので、1つどうですか?」

「お、マジで?」

 

じゃあ遠慮なく頂くぜ。

そう言ってクロウ先輩が手を付けたところで、再び2階から何とも言えない声が響いてきた。

次の標的はユーシスだったか。ミリアムがいれば、朝寝坊の心配は誰1人として無さそうだ。

 

鼻歌を鳴らしながら朝食を紙袋に詰めていると、ガイウスが私の顔を覗き込んできた。

 

「随分と上機嫌だな」

「まあね。楽しみにしててよ」

「何の話だ?」

「ん。後で話すから」

 

私達A班の特別自習地。ラウラの故郷、湖畔の街レグラム。

彼女にとっては入学以来の帰郷だ。今も胸を躍らせているに違いない。

それに私にとっても、今回の実習は2つ。2つの特別な意味合いを持っている。

うち1つは、レグラムに向かう途中で確かめるとしよう。

ガイウスを含め、皆が驚く顔が楽しみだ。

 

______________________________

 

午前7時10分。

既にB班の面々は帝都方面の列車に乗り、帝国の最北西端へと向かっていた。

ジュライ特区。8年前に帝国に併合された自由貿易都市、元ジュライ市国が目的地だ。

先々月のブリオニア島に続き、班員の誰もが足を運んだことがない実習地だそうだ。

その分、苦労の程が窺えた。ノルド高原同様、片道だけでも丸1日を費やすことになる。

 

「よし。俺達もそろそろホームに下りよう」

「らじゃー!ほらユーシス、置いてくよ!」

「ええい、押すな鬱陶しいっ」

 

ミリアムの快活な掛け声に対し、ユーシスが肩を落としながら深々と溜息を付いた。

単にじゃれついているだけな分、彼も強くは拒絶できないようだ。

頑張れ、としか言いようが無い。まだ禿げてはいないようだし。

 

「あれれ。レクター?」

「え―――」

 

先頭を切って改札をくぐろうとしていたミリアムの視線が、出口側に向いた。

その先にいたのは、『スケアクロウ』の異名を持つ、忘れもしない赤毛の男性。

唐突にゼンダー門に姿を現し、火が点いた導火線を見事にむしり取った男性だった。

 

(・・・・・・何者だ?)

(帝国軍情報局、レクター・アランドール大尉だ)

 

開戦の阻止。言葉では言い表せない程の偉業だ。

動くはずだった歴史を変えたのだ。たった1人の人間の力で。

それだけを考えるなら、大陸中の誰もがこの男性に足を向けることができない。

 

「ひょっとして、ボクに会いに来たとかー?」

「おう。俺も明後日からクロスベル入りすっからなぁ」

 

逆にそれが、彼の異様さを際立たせる。

この場に居合わせたことについても、何らかの疑念を抱かざるを得なかった。

そんな私の複雑な心境を余所に、大尉はミリアムの頭を撫でながら口を開いた。

 

「怪しさてんこ盛りだろうが、まぁ精々普通に付き合ってやってくれ」

「は、はい」

 

何の変哲も無い挨拶ですら勘ぐってしまう。

帝国軍情報局。鉄血の子供達。宰相閣下が拾い上げた、才ある人間。

何とも息苦しい限りだ。宰相閣下に直に睨まれたかのような居心地の悪さを感じた。

・・・・・・やはり私だけなのだろうか。考えすぎと言われればそれまでだ。

 

大尉とのやり取りをリィン達に任せていると、列車の到着を知らせるアナウンスが聞こえてきた。

 

「大尉殿、すみません」

「俺達はこれで失礼する」

「おー、頑張れよ・・・・・・それと、そこのアンタ。アヤ・ウォーゼルさん」

「へぇっ。わ、私ですか?」

 

改札に向かいかけたところで、どういうわけか呼び止められた。

しかも名指しで。思わず身体が強張り、声が裏返ってしまった。

 

「ちょっとだけ耳を貸してくれ」

「は、はぁ」

 

大尉は声が漏れないよう、右手で口元を押さえながら言った。

 

「ワリィ。あの通信機な、内容を全部傍受してんだわ」

 

_____________________________

 

先々月の実習の朝のように、私達は列車内で朝食をとることにした。

私が用意した調理パンは、一部の具材を除いてどれも好意的に受け取られた。

できれば私も美味しく頂きたかったのだが―――先の一件で、気落ちしていた。

 

「アヤ、どうかしたのか?顔色が優れないようだが」

「大丈夫・・・・・・少し眠いだけだから」

「ねえねえユーシス、このポテトサンドも美味しいよ!食べてみなよ!」

「やめろ」

 

まさかあの会話が他人に筒抜けだったなんて、誰が予想する。しかも、あの彼に。

聞かれては不味い内容ではなかったが、それでも嫌なものは嫌だ。

ミリアムも悪気があったわけではないのだろう。

もしかしたら、彼女も知らされていないのかもしれない。問題児扱いされていそうだし。

 

「腹も脹れたことだし、このあたりで今回の実習地の話をしておこう」

 

列車がケルディック駅を通り過ぎた辺りで、ラウラがレグラムの概要を話し始めた。

レグラムはエベル湖の湖畔にある小さな街で、クロイツェン州に属する。

ラウラのお父さん―――アルゼイド子爵が治める、独立性の高い領邦だ。

 

私が訪れたことがある、帝国各地の都市や街、村や集落の数々。

その中でも、レグラムは群を抜いてお気に入りの街だった。何より空気がいい。

多少は思い出補正という名のフィルターが掛かっているのかもしれない。

足を運んだことも一度しかなかったが、前々から再訪したいとは思っていたのだ。

 

感慨に浸る私を余所に、皆は税収問題というひどく現実的な議論に花を咲かせていた。

 

「根深そうな話だな」

「簡単に解決できる問題ではなさそうですね」

「・・・・・・そ、そうだね」

 

いつの間にそんな話題になっていたのだろう。何だか置いてけぼりにされている気がする。

慌てて合流してしまったが、今話を振られても返答に困ってしまう。

 

「むー。そんな話より、もっとレグラムで面白い話は無いのー?」

「はは、そうだな。レグラムと言えば・・・・・・やっぱりアルゼイド流だろうな」

 

ナイス、ミリアムにリィン。いい振りだ。

応えるように、話題はヴァンダール流と双璧をなす流派、アルゼイド流へと移っていった。

するとラウラは何かを思いついたのか、私達を見回しながら言った。

 

「故郷に着いたら、そなた達に頼みがあるのだが」

「頼み?」

「ああ。八葉一刀流に、伝統的な宮廷剣術。長巻術に騎馬槍術。いずれも武芸に身を置く者には、よい刺激になるに違いない」

「3人はともかく、俺は剣術ではないが、いいのか?」

 

ガイウスの疑問はもっともだ。ラウラに代わって、私がそれに答えることにした。

 

総合武術、という表現が一番適切なのかもしれない。

ラウラが振るう剣術はアルゼイド流の一部に過ぎない。

アルゼイド流槍術や弓術があれば、鞭術に鎖術だってある。

 

元々流派というものはどこで繋がっているか分からない。

1つの流派から枝分かれすることがあれば、その逆もある。無手も得物も関係ない。

私の長巻術も、体術と舞台芸術と我流剣術を足して、お母さんで割ったような流派だ。

アルゼイド流もヴァンダール流も、帝国に伝わる武術の集大成なのだろう。

 

「こんな感じかな。大体合ってるよね、ラウラ」

「ああ、概ね合ってはいるが・・・・・・詳しいのだな」

 

驚きと感心が入り混じった声でラウラが言った。

否定はしないが、今のは全て受け売りだ。

 

「流派云々の一般論は別として、アルゼイド流に関してはお母さんが教えてくれたよ」

「母君が?」

「うん。そのお母さんは、跡取り様に教えてもらったんだってさ」

 

跡取りという表現に、皆の関心が一気に私へ向いた。

ちょうどいい。私とお母さんの過去を、確かなものにしたい。

100%に近い確信がある。それをこの場でハッキリさせよう。

 

「ねぇラウラ。ラウラのお父さん、長巻の使い手と立ち合ったことがあるって、言ってなかった?」

 

考え込むような素振りを見せるラウラ。他の面々には何が何だかさっぱりのようだ。

隠していたわけではないが、ガイウスにでさえまだ話したことがなかった。

やがてラウラは目を見開きながら、私の目を見た。その先に、彼女の遠い記憶を見ながら。

 

「一度だけ、聞かされたことがある・・・・・・二刀の長巻を背に携えた、女性がいたと」

 

やっぱりそうか。まあ分かり切っていたことだ。

何せレグラムのあの地で、現当主の跡取り様だとお母さんは言っていた。

なら、それは1人しかいない。

 

流れ行く風景を眺めながら、私は語った。

私が初めて外の世界に触れた、この帝国という地に初めて足を踏み入れた、あの日。

 

「2人が立ち合ったのは、今から20年も前のことだよ。私がお母さんと一緒にレグラムを訪れたのは、その13年後。今から7年前の、あの日―――」

 

__________________________________

 

七曜歴1197年、3月29日。午後14時半。

ユイ・シャンファが12歳の誕生日を迎える、その前日。

 

「見てみな、ユイ。あれがここの当主様、貴族様のお屋敷さ」

「うわー・・・・・・大きい。市庁舎とどっちが大きいかな」

 

お母さんが指差す方向には、丘の上に建つ大きなお屋敷があった。

何て大きな建物だ。お部屋はいくつあるのだろう。想像が付かない。

実家の近くにも大きなお家はあったけど、あそこまで大きな建物は無かった。

 

昨日からこんなことばかりだ。

たくさんの線路が並ぶ大きな駅に、端が全然見えないだだっ広い田園。

後ろにある湖は、エルム湖以上に大きいように見える。

この街自体はクロスベル市より小さいけど、やっぱり何もかもが違う。

ここが―――エレボニア帝国。お父さんが、生まれた国。

 

「せぃやあっ!!」

「たあぁっ!」

 

突然、お母さんが抜刀することなく長巻を振り下ろしてきた。

間一髪、木製の長巻でそれを受けると、お母さんは上機嫌な声を上げた。

 

「ん、良い反応だ。様になってきたじゃないか」

「お母さん・・・・・・みんな見てるよ」

 

嬉しいような、恥ずかしいような。

クロスベルでは「またやってる」みたいな目で見られるだけだ。別に気にならない。

でもここは違う。みんなが私達を見ている。絶対に変な目で。

 

「甘ったれたこと言うんじゃないよ。ユイも好きな時に仕掛けて来な」

「クロスベルに帰ったらね・・・・・・でもお母さん。周りのお家は普通なんだね」

「そりゃそうさ。あたしらと同じ平民だからね」

 

まただ。この国に来てから、お母さんは貴族と平民という言葉をよく使う。

何となくイメージは付いたけど、やっぱり分からない。クロスベルに貴族様はいないし。

 

「やれやれ。まぁ留守なら仕方ないか。再戦はまたお預けだね」

「私も残念だよ。お母さんより強い人なんて滅多に会えないもん」

「むっ。あの頃はあたしも未熟だったし、今ならどう転ぶか分からないよ」

「ふーん。それで、名前は思い出せたの?」

「・・・・・・何だっけなぁ」

 

今から13年前。それは、私がまだ生まれる前の出来事。

お母さんとお父さんは、この街に来たことがあると言っていた。

そこで出会った当主様の息子に、お母さんは剣を叩き折られてしまったそうだ。

でも、肝心の名前が、家名が思い出せない。お母さんらしい抜けっぷりだ。

街の人に聞くだけで済む話なのに、それもしないのがまたお母さんらしい。変に頑固なのだ。

 

「あっ!思い出した、思い出したよ!」

「え、ホント?」

「確か・・・・・・アルデヒド、男爵?」

 

どうして疑問符が付いたんだろう。

それにさっき剣を交えた時以上に、周りからすごい目で見られてる気がする。

分からないけど、早くこの場からいなくなりたい。

 

「お母さん、湖を見てきてもいい?」

「好きにしな。あたしは部屋をとっておくよ。気が済んだら宿に来るんだよ」

「うん」

 

私は逃げるように、街の南西部を目指して走り出した。

ずっと列車の中で座りっ放しだったせいで、身体が硬くなっている気がする。

勢いをそのままに、階段を全部すっ飛ばして湖の船着き場に下り立った。

 

「うわあ・・・・・・」

 

やっぱりエルム湖とは全然違う。

水面が日の光に照らされて、まるで大きな1枚の鏡を見ているみたいだ。

向こう岸までもがハッキリと見える。ここから何アージュあるだろう。

 

それに―――お城。うん、お城だ。それ以外の呼び名は知らない。

本の中から飛び出してきたような大きなお城が、湖のほとりに建っていた。

何だかワクワクしてきた。初めて剣を握った時のように。

 

「爺。あれも刀なのか?」

「長巻、と呼ばれる刀剣の類で御座いましょう」

 

長巻。今確かに、そう聞こえた。

振り返ると、そこには白い髭を生やしたお爺さん。そして、1人の女の子が立っていた。

歳は私と同じか、少し下ぐらいか。身長は私の方が高いみたいだ。

 

「お嬢様、そろそろお戻りになられた方がよろしいかと」

「承知した」

 

2人はそう言うと、足早に船着き場を後にした。お爺さんは、ぺこりと丁寧にお辞儀をしてから。

承知した、か。何だか格好いい。今度私も使ってみよう。

 

船着き場を後にした私は、約束通り宿を訪ねた。

案内されたお部屋では、お母さんが荷解きをしている最中だった。

 

「どうだいエベル湖は。綺麗な海だろう?」

「海じゃなくて湖だよ」

 

エベル湖って自分で言ったのに。「似たようなものだろ」みたいな顔をしないでほしい。

お母さんらしい・・・・・・のかなぁ。何か泣きたくなってきた。

 

「すごく綺麗だったよ。あと、青い髪の女の子がいたかな。すごく格好良かった」

「考え直しな。あんたにはロイドがいるじゃないか」

「何でロイドが出てくるの・・・・・・」

 

私の肩を両手で揺らしながら、真剣な表情で覗き込んでくるお母さん。

最近はこんなのばっかだ。何かにつけてロイドロイドって。

別に私は・・・・・・嫌いじゃないけど。

 

「さてと。明日の朝にはレインの兄さんが迎えにくるから、遊べるのは今のうちだよ」

「じゃあ釣りに行きたい。1階に貸し竿があった」

「はいよ。なら早く支度しな」

「うん!」

 

明日には父方の伯父、お父さんのお兄さんが暮らす集落に向かう予定だ。

私はそこで、12歳の誕生日を迎える。初めての国外旅行で、誕生日を祝うなんて。

ちょっと贅沢だなって思う。でも、今は楽しむことだけを考えよう。

お母さんにとっても、今回の旅はきっと特別だ。だから、お母さんにも楽しんでもらおう。

たくさんの思い出を作りながら。

 

_______________________________

 

時は戻り、午前10時現在。

 

漸く繋がった。下らない記憶違いのせいで、唯一生じていた矛盾。

20年も前に、お母さんは確かにアルゼイド子爵家の跡取りと。

現アルゼイド子爵家当主―――ラウラのお父さんと剣を交えていた。

 

「あははは!アヤのお母さんって、頭悪かったんだね!」

「こ、こらミリアム。もう少し言葉を・・・・・・っ、こ、言葉をだな」

「そうですよミリアムちゃん。アヤさんに・・・・・・フ、フフッ」

 

ミリアムを咎めながら、身体を小刻みに震わせるリィンとエマ。

よかったねお母さん。7年越しのボケ、相当ウケてるよ。

あと、無茶苦茶恥ずかしいよ。お母さんのバカ。

 

「・・・・・・コホン。父上が言っていたのだ。若かりし頃、長巻の使い手と剣を交えたことがあるとな。それがまさか、アヤの母君だったとは」

「新婚旅行中の話なんだけどね。お母さんがまだ18歳の頃だよ」

「わけが分からん・・・・・・」

 

お母さんに関して更に言うなら、その頃にはもう、お腹の中に赤子を宿していた。

まだ妊娠1ヶ月程度の時期だったそうだ。知る由も無かったのだろう。

これは口に出さない方がいい気がする。どういうわけか嫌な予感しかしない。

 

それに、もう1つだけ。確かめたいことが残っている。

既にラウラも察してはいるようだ。表情を見れば、それぐらい分かる。

実を言えば、先月の実習でレグラムを訪ねたことがある旨を、皆に話した時。

あの時からずっと引っ掛かっていた。勘違いではなかったようだ。

 

「・・・・・・やっぱり。あの時に船着き場にいた女の子、ラウラだったんでしょ」

「ああ、そのようだ。今まで忘れていたことが不思議でならないな」

「不思議な縁だな。これも風と女神の導きだろう」

 

ガイウスが言うように、不思議な巡り合わせだと思う。

皆の顔には、先程までとは違った色の笑顔が浮かんでいた。

 

だから、この話はここまでだ。この先の、3月30日の出来事は伏せておこう。

私とお母さんが見舞われた悲劇を、この場で語る必要はどこにも無い。

 

「何か不思議だね。生き別れの妹が傍にいた、みたいな感じだよ」

「フフ、なるほどな。ではアヤが私の・・・・・・っ」

 

突然言葉を詰まらせたかと思いきや、ラウラは一点に私の目を見ていた。

いや、私の遥か後方だ。視線は私に向いていても、焦点が合っていない。私を見てはいない。

 

すると一瞬にして、ラウラの顔が青ざめた。そうとしか表現のしようがなかった。

 

「ど、どうしたのラウラ?」

「・・・・・・いや。すまない、少し酔ってしまったようだ。大事無い」

「そう。無理しないで、少し休んだ方がいいよ」

 

ラウラでも乗り物酔いはするのか。少し意外ではあるが、列車酔いはよく耳にする話だ。

私も少し眠気を感じ始めている。列車を乗り換えたら、少し休んでおこう。

頭上からは、経由地であるバリアハートが近いことを知らせるアナウンスが流れ始めていた。

 

この時の私は、気付いていなかった。

3月29日の記憶。7年前。お母さんとの死別。そして、12歳で天涯孤独の身となった私の過去。

それがラウラの中で繋がりを見せ始め―――彼女の中で、1つの可能性が導き出されていた。

 

_________________________________

 

季節や時刻が変われば、顔も変わる。そんな都市や街はたくさん見てきた。

眼前のこの光景も、その1つ。正直な感想を言うなら、私の知っているレグラムではない。

 

見渡す限りの霧景色。見晴らしは悪いものの、駅から湖を拝める程度には澄んでいた。

元来より精霊信仰が根強い分、周辺には特徴的な石碑や彫像がそこやかしこに点在している。

それらをより幻想的に、神秘的に際立たせる霧模様。

霧と伝説の街。これがレグラムのもう1つの顔か。とても今回が二度目とは思えなかった。

 

「紹介しよう。アルゼイド家の家令を務める執事のクラウスだ。アルゼイド流の師範代として世話になっている」

 

街並みに見入っていた私達の前に現れたのは、1人の老人だった。

右手を添え、左手を後方に一礼する仕草がよく似合っていた。

 

「お待ちしておりました。トールズ士官学院《Ⅶ組》の皆様。ようこそレグラムへ」

 

その真っ白な髭も、先程の挨拶も、初めて目にするものではない。

よく覚えている。ラウラの隣にいた、あの人だ。

 

クラウスさんとラウラが先頭に立ちながら、私達はレグラムの街中へと向かった。

懐かしい限りだ。街並み自体は何も変わっていないように見受けられた。

 

「覚えているか、爺。彼女の事を」

「・・・・・・はて。お嬢様。彼女、とは?」

 

歩きながら、ラウラは後方を歩く私達に視線を向けた。

クラウスさんはラウラが言う『彼女』が誰を指すのか、まだ察してはいないようだ。

 

「アヤ、そなたは当然覚えているな?」

「もちろんっ」

 

思い出せないなら、再現するまで。ラウラの目がそう言っていた。

私はA班の皆から外れ、石畳の階段を飛び下り、船着き場の先端を目指した。

振り返ると、クラウスさんの右手を握るラウラがいた。全部、あの時のままだ。

 

「爺。あれも刀なのか?」

「・・・・・・お嬢様」

「ん?」

「お二人とも、お美しくなられましたな」

 

合点がいった表情で、クラウスさんは何度も首を縦に振った。

私は祖父や祖母という存在を知らない。両親共々、若くして死別してしまっていた。

何だかくすぐったいというか。身勝手な感情だが、心温まる思いだった。

 

街の中心部まで来ると、続々とラウラの周囲に人だかりができていった。

性別や年齢を問わず、たくさんの住民に囲まれるラウラ。

大変慕われているようだ。強いて言うなら、同年代の女性が多いような気もするが。

 

「リィン。ラウラの頭撫でてみなよ」

「嫌な予感しかしないんだが・・・・・・」

 

当たり前か。ただ、少しだけ悪戯心が沸いてきた。

物は試しにと、後ろからそっと。ラウラの頭部に右手を置いて、撫でてみた。

 

「む・・・・・・どうしたのだ、アヤ」

「ラウラお姉様!誰ですかこの女!?」

 

すぐに手を引っ込めた。どうやら同性でも駄目なようだ。

しかも思いっ切り敵意を向けられた。しばらく大人しくしておこう。

クラウスさんだけが、温かい視線を送ってくれた。

 

_______________________________

 

アルゼイド子爵家に案内された私達は、2階にあるテラスからの光景に見入っていた。

部屋は当然男女別だったが、テラスは外で繋がっており、眺めは絶景の一言に尽きた。

 

「あれが《槍の聖女》が本拠地にしたという古城、ローエングリン城だ」

「これは・・・・・・相当絵心をくすぐられるな」

「あはは。今度は実習以外でレグラムに来たいね」

「ああ。そうだな」

 

私がそう口にした途端、会話が止んだ。同時にもう何度目か分からない、複数の視線を感じた。

何だろう。私達は今、変なことを言っただろうか。

 

「アヤさんのご両親は、新婚旅行でこちらにと言っていましたね」

「見せつけるのも大概にするがいい。胸焼けして適わん」

「くっついちゃえー!」

 

最早どこに地雷が潜んでいるのか分からない。

むしろ皆が積極的に足元へ埋めてくる。どうしろと言うのだ。

こういう時は知らん振りを決め込むのが一番に違いない。

 

「とりあえずさ。時間も無いし、そろそろ実習の課題を知っておこうよ」

 

それで漸く、皆の表情が観光気分から特別実習としてのそれに変わった。

事実、もう午後の13時を回っていた。まだ昼食もとっていない。

人数は7人と多いものの、内容によってはすぐにでも行動に移る必要がある。

 

「では、広場の一角にある遊撃士協会にお行き下さい」

「えっ!?」

 

思わず声を上げてしまった。当然だが、存在自体は知っていた。

今回の実習に抱いていた、特別な感情。1つは既に、列車で皆に打ち明けている。

 

もう1つが遊撃士協会、レグラム支部の存在だった。

先月の実習で、レグラム支部が今も活動中である事実を教えてくれたのはラウラだ。

クラウスさん曰く、実習の課題はそこで請け負う手筈となっているそうだ。

 

「みんな!早く行ってみよう!」

「あ、ああ・・・・・・それでは爺、早速出掛けてくる」

「お気を付けて行ってらっしゃいませ」

 

クラウスさんに軽く会釈をしてから、皆がそれぞれの宿泊部屋へと戻っていく。

私も皆に続こうとした、その時―――

 

「アヤ、待ってほしい」

「え?」

 

―――右腕を、ラウラに掴まれた。自然と足も止まった。

顔を上げると、ラウラは視線を逸らしてしまった。合せようともしてくれない。

気付いた時にはクラウスさんの姿も既に無く、テラスには私達2人だけが残された。

 

「どうしたの、ラウラ」

 

私が聞いても、ラウラは何も答えない。

沈黙を守ったまま、ラウラはエベル湖の方角を見やりながら、ゆっくりと歩を進めた。

その先には何も無い。あるのはテラスの柵だけだ。

 

(・・・・・・ラウラ?)

 

戸惑いながらも、私はテラスの柵沿いに、ラウラと肩を並べた。

目の前には霧。霧に囲まれた幻想的な世界。これでは対岸の波止場は拝めそうにない。

 

「今は見えぬが、向こう岸にはサザーラント州の波止場がある」

「うん。前に来た時には見えたよ」

「ちょうどあの辺りが、州境になるな」

 

言いながら、ラウラは右手でその州境周辺を指し示した。

 

途端に、胸が激しく鼓動した。

目が眩みそうになるのを堪え、私はしっかりと霧の先を見据えた。

あの時と同じだ。フィーが元猟兵だと告白された、あの瞬間。

 

漸く合点がいった。ラウラは知っている。気付いている。

7年前。あの日、あの場所で起きた惨劇を。

 

「山脈の麓に、『オーツ』という村があった。サザーラント州側に位置していたが、この街とも少なからず交流があってな」

「うん」

「その住民が、一夜にして・・・・・・・1人残らず、殺された。今から7年前と記憶している」

「・・・・・・うん」

 

その力無い返答が全てだった。

全部事実だ。ラウラの推測は正しい。正確に言えば、7年と約5ヶ月前。

私は、その集落にいた。紛れもない事実だった。

 

「・・・っ・・・・・・すまない」

 

視線を落としてしまったラウラの表情からは、後悔と戸惑い、焦り。様々な負の感情が窺えた。

そんな顔をしないでほしい。それに、しっかりと私の目を見てほしい。

 

「謝らないでよ」

「私は・・・・・・気付いていて、そなたに―――」

「聞いてラウラ」

 

私はラウラの手を取り、真っ直ぐに視線を重ねた。

受け入れたわけじゃない。乗り越えたわけじゃない。

ガイウス以外は知らない、今までずっと直視できなかった唯一の過去。

 

「ありがとう、ラウラ」

「え・・・・・・」

 

以前の私なら、この場から逃げるだけだったはずだ。

でも今は違う。私は1人じゃない。こうして肩を並べてくれる、私を知る人間がいる。

 

「話してくれてありがとう。7年前の私を、覚えてくれていて」

「・・・・・・分からぬ。私は、何を」

「分からなくていいよ。もう十分だから」

 

言葉すら交わすことがなかった、たった1つの接点。

あの日の私を知る人間が傍にいる。ラウラだけじゃない、クラウスさんもいる。

それだけだ。たったそれだけの事実が、私の心を満たしていく。

 

「あの日から私は、この国で独りになった。だから簡単に名前と過去は捨てられた。誰も私のことを知らなかったから。でも・・・・・・違ったんだね」

「アヤ・・・・・・」

「だからありがとう、気付いてくれて。思い出してくれて・・・っ・・・・・・こうしてまた、出会えただけで。十分だよ・・・・・・ラウラ」

 

もう少し器用に言葉を選べればいいのに。もっとこの想いを伝えたい。

私にしか知り得ない感情なのは分かっている。涙の意味は、伝わらない。

 

私は頬を濡らしながら、誰にも理解できない幸せ噛み締めていた。

ラウラは私の肩を抱きつつも、ただ戸惑うばかりだった。


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