サザーラント州東南部、オーツ村。正確には集落の類である。
エベル湖の湖畔に広がる麦畑の隅に位置する、たったの30人程度からなる集村。
村名の由来は至って単純。オーツ麦畑の『オーツ』から来ている。
七曜歴1178年。ノーザンブリア大公国が見舞われた、歴史に残る未曾有の大惨事。
あの大災害を機に、大陸ではありとあらゆる農作物の需要と供給が一変した。
何しろ一大国の大部分が塩と化したのだ。その分の供給が、一気に大陸各地へ散らばり始めた。
帝国で例を挙げるなら、ライ麦は国内需要が急上昇し、大穀倉地帯における生産が拡大。
オーツ麦も例外ではなく、ちょうどその頃にエベル湖の湖畔に麦畑が整備された。
もっぱら飼料用として生産されていたオーツ麦は、近年食用としても注目を集めている。
所謂健康ブームだ。雑穀食の需要が伸びに伸び、麦畑は各地で開拓の一途を辿っていた。
クロスベル自治州のベーカリー有名店では『ハチミツオーツ』と呼ばれるパンが発売された。
上品な甘みが特徴のアルモリカ産ハチミツと、オーツ麦の風味が合わさった食事パン。
発売後は一気に人気商品となり、雑穀ブームの火付け役となった。
懐が潤ったオーツ麦畑の管理者は、湖畔に従業員用の住まいを建設した。
次第にその家族や友人までもが移住、新築を重ね、いつの間にか1つの集落が形成された。
村としての機能はまるで無いものの、対岸にはレグラムという立派な街がある。
州は違えど互いに良好な関係を築き合い、交流を深め合っていた。
リオン・キャラダイン。
4年前に唯一の肉親である兄を亡くした彼は、オーツ村では珍しい独り身の男性だった。
彼が義姉とその娘を村に招待したのは、七曜歴1197年。3月30日の昼―――
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「ほぁー・・・・・・」
見渡す限りの濃い翡翠色。
一斉に揺れ始めるオーツ麦達が、顔に飛来する風を知らせてくれる。
同じような風景は、アルモリカ方面で何度も見たことがある。
でもやっぱり、スケールが余りにも違い過ぎる。広い、それしか言いようが無い。
「これは見事だね。思いっ切り『飛燕』をぶっ放したくなるよ」
「お母さん、絶対にやめてね」
と言いながら、その気持ちは少しだけ分かる気がする。
地面と水平に放てば、麦を刈りながら気持ちよく飛んでいくに違いない。
どこまで飛ばせるだろう。私なら、5~6アージュぐらいはいけそうだ。
「あたしなら30アージュは軽いさ」
桁が違った。多分お母さんなら、それぐらいはやってのける。
・・・・・・違う違う。そんな話をしたいわけじゃないのに。まだ収穫の時期じゃないし。
「どうですか、ランさん。僕は今の時期が一番好きなんです」
声に振り返ると、そこには私達をオーツ村に連れてきてくれた男性がいた。
リオン・キャラダインさん。レイン―――お父さんの、2つ下の弟だ。
収穫前の麦のように輝く細髪がよく似合う、この国で暮らす叔父さんだった。
「ああ、来てよかったよ。いいところじゃないか」
「そう言って貰えると僕も嬉しいですよ。ユイちゃん、気に入ってくれた?」
「はい。空気も美味しいです」
私達がこの国を訪れたのは、叔父さんの手紙がキッカケだった。
日頃から忙しく走り回るお母さんを気遣って、この村に招待してくれたのだ。
実際にお母さんは、家に帰らないことも珍しくない。それにももう慣れてしまった。
でも、きっと慣れてはいけない事だ。それは別に、私が寂しいからじゃない。
お父さんがいなくなってから、お母さんの生活は遊撃士の仕事が中心になった。
婚前以上の度を越した働きっ振りに、周囲からはよく心配されていた。
私だってそうだ。お母さんはきっと、寂しさを紛らわしている。
仕事に誇りを持っている、それは理解できる。だからこそ、逃げるような真似はしてほしくない。
お母さんは、そんな私の思いに気付いているのだろうか。
少なくとも私は、ロイド達にしか話したことがない。
「これから夕食の準備をするところです。ランさん達はどうしますか?」
「あたしはこの子に稽古を付けてから戻るよ。任せちゃって悪いね」
「構わないで下さい。じゃあ、また後で」
右手を振りながら、リオンさんは小型の導力車へと戻って行った。
いい人だ。お父さんが亡くなってからも、いつもああやって―――え、稽古?
「お、お母さん?今日もやるの?」
「さあユイ。向こうの岩場まで全速力だ」
「ええ!?」
嫌じゃないけど、何でこんな日にまで。
反論する時間も与えられず、私は500アージュを全力疾走する羽目になった。
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「一の舞、『飛燕』!」
振り下ろした長巻から放たれた斬撃が、小岩目掛けて飛来する。
乾いた鋭い音と共に、岩肌にはハッキリとその跡が残された。
真剣の扱いにも大分慣れてきた。調子はいいし、この重さが心地よいとさえ思える。
「ん、一通り基本は身に付いたようだね。まあまあの出来じゃないか」
「うーん・・・・・・そうかなぁ。お母さんなら、あれ真っ二つにできるよね?」
「あんたはまだ身体ができていないからさ。焦ることはないよ」
岩を真っ二つ、か。私も大分ズレてきているのかもしれない。
ここ半年ぐらいは、技の冴えが伸び悩んでいる気がする。思うようにいかない。
お母さんレベルの使い手になるには、あとどれぐらいの年月が必要になるのだろう。
「・・・・・・うん。そろそろ見せてあげてもいい頃合いか」
「え?」
お母さんは背負っていた長巻の鞘を払うと、私の後方に目を向けた。
そこには一回り大きな岩。いや、二回り以上は巨大な大岩があった。
・・・・・・冗談だよね。流石のお母さんでも、あれは―――
「連舞―――『飛燕投月』!!」
―――直後。お母さんの手から投げ放たれた長巻は、轟音と共に孤を描きながら加速した。
標的にされた巨石は真っ二つに斬り裂かれ、その遥か後方まで斬撃は続いた。
風を切る轟音は次第に聞こえなくなり、やがて視界からも消えていった。
恐る恐る視線を向けると、普段と変わらないお母さんがいた。
言葉に、ならなかった。
「ふう・・・・・・ユイ。あんたに授けた5つの舞は、あくまで型。あたしの剣には、その先がある」
飛燕、円月、弧月、月鎚、そして投月。
近、中、遠距離を制する5つの剣舞。私がお母さんから教わったのは、その5つだ。
私はそれ以外を知らない。あんな投擲術は初めて見た。
「昔耳にしたことがあるよ。武の真髄は―――」
「真髄は?」
「・・・・・・タイム」
両腕でTの字を作るお母さん。うん、もうこんなやり取りも慣れっこだ。
お母さんが夢見るA級遊撃士。大陸全土の遊撃士をひっくるめても、30人に満たないそうだ。
お母さんはもう10年以上前からB級遊撃士のまま。A級の資格を得られないでいる、その理由。
・・・・・・みんな、冗談で言ってると思ってたけど。もしかして、本当にそうなのかな。
「あ、そうそう。『無』だよ。武の真髄は、無。有る事と無い事は、同じ」
「同じ・・・・・・どういう意味なの?」
「さあ?捉え方は人それぞれだろうね。少なくともあたしは・・・・・・何だい、その目は」
「な、何でもない。続けて?」
私が疑っては駄目だ。お母さんが剣を語る時はいつも真剣そのもの。
立派な遊撃士、私の自慢だ。だからお母さんもそんな目で見ないでほしい。本当だってば。
「まぁいいさ。いいかい、あんたに長巻を握らせた時、あたしは何て教えた?」
「蝶のように舞い、旋風のように斬れ」
「そう。そこには型なんてない。思うが儘に、流れるように舞いな。いつかきっと、分かる時が来る」
思うが儘に、流れるように。何となくは理解できるけど、やっぱり分からない。
ただ、さっき見せてくれた技がヒントになるはずだ。
・・・・・・どっちにしろ、気が遠くなるような時間が掛かるに違いない。
私もあんな風に、剣を振るうことができるようになるのだろうか。
30アージュなんて嘘だ。その気になれば、100アージュに届くかもしれない。
「とは言っても、私もまだまださ。完成には程遠いよ」
「え?」
「所詮思い付きで始めた剣だからね・・・・・・ユイ。この際だから、正直に言うよ」
16歳。確かお母さんが初めて剣を握ったのは、遊撃士の資格を得たのと同じ時期。
それ以来、たった独りで自分の剣を育て上げてきた。ここまでは私も知っていた。
お母さんは語った。15年が経った今でも、昔と何ら変わらない。
理想像は既にある。それは完成しつつある。ただ、自分はまだその域に達していない。
あと何年掛かるか分からない。もしかしたら、志半ばで道を断たれるかもしれない。
「現役であり続ける限り、諦めるつもりはない。でもあたしが剣を握れなくなった時は・・・・・・ユイ。あんたがこの剣を完成させな」
「お母さん・・・・・・」
今私達は、間違いなく剣術の話をしている。でも何となく、それだけではない気がした。
お母さんは私に何かを伝えようとしている。分かっているのに、上手く汲み取れない。
多分それは、遠慮や戸惑いがあるからだ。そんなもの、必要ないのに。
「約束するよ」
そして―――どういうわけか、お母さんを急に遠くに感じてしまった。
唯一の家族が、遠いどこかへ行ってしまいそうになる。そんな感覚。
剣を握れなくなる。そんなわけない。お母さんは今も元気に剣を振るっているのに。
先の話だとしても、そんな事を口にしないでほしい。そんな話、聞きたくない。
「私はお母さんの剣が好きだよ。だから、もっと教えて。もっと強くなりたい」
「・・・・・・ああ。もちろんさ」
気付いた時には、私は引き止めるようにお母さんの腰元に抱きついていた。
目元にはまるで原因が分からない涙が、薄っすらと浮かんでいた。
見せてはダメだ。お母さんを不安にさせるようなことはしたくない。
そのためにも、私はもっと強くなる。その思いでずっと剣を習ってきた。
だからこれは、きっと嬉し涙だ。そう思えば、涙も治まってくれる。
「なら、ユイが好きなあたしの剣。取って来てくれるかい」
「へ?」
顔を上げると、遠くを見つめるような表情のお母さんがいた。
いや、実際に遠くを見ていた。視線の先には、先程半分に斬られた大岩。
そのずっと先。いくつもの岩々を斬り、遥か遠くまで飛んで行った長巻。
ここからでは、その距離が分からない。だって見えないし。
「・・・・・・嫌だよ」
「やっぱり?」
やれやれと溜息を付きながら、お母さんは長巻の下に歩を進めた。
今は少しでも離れたくない。私は剣を収めながら、足早にお母さんに駆け寄った。
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叔父さんがこの村に移り住んだのは4年前。ここの麦畑を管理する人間の1人だそうだ。
両親の反対を押し切って農業を学び、今に至る。農業は叔父さんによく似合っていると思う。
昔は軍人さんだったお父さんも、初めはもっと違う職業を望んでいたらしい。
私から見ても、お父さん少し優し過ぎる人だった。私が生まれた頃には、配達業をやっていたし。
兄弟と言われれば納得できるけど、顔はそこまで似ていない。
多分、叔父さんは母親似だ。割とがっしりとした身体つきだけど、顔は女性のように小顔だった。
叔父さんの家は村の外れにあった。
1人住まいにしては少し大き目で、私とお母さんが客室に寝泊りすることになった。
1つだけとはいえ、ベッドまで用意されていた。実家のベッドよりもふかふかで、寝心地は最高だった。
「はぁ・・・・・・」
時刻は午後22時。
私はそのベッドの上で、珍しく眠れない夜を過ごしていた。
原因はお母さんが言った、あの言葉。やっぱりどうしても気になってしまう。
あたしが剣を握れなくなったら。
お母さんはまだまだ現役だ。確か以前、50歳になるまでは剣を手放す気は無いと言っていた。
だというのに、今日のお母さんは柄にもない言葉を並べた。あれは何だったのだろう。
そして、私に何を言いたかったのだろう。あんな顔のお母さん、初めてだ。
「んしょっと」
こうして考えていても眠れるわけないか。
私はベッドから身体を起こし、まだ明かりが点いたままのリビングに向かった。
きっと今日は遅くまで飲み明かすつもりに違いない。叔父さん、大丈夫かな。
「あれ?」
リビングを覗くと、そこには誰の姿も無かった。
テーブルには、お母さん達が飲んでいたお酒や食べ物が置かれていた。
どこに行ったのだろう。そういえば、さっきから話し声が聞こえなくなっていた。
2人を探すため、私は靴を履いて外に続く扉を開けた。
流石にこの季節に寝間着じゃ寒い。たちまち息も白くなってしまった。
周囲は月明かりに照らされ、夜にしては鮮明に村の全景が窺えた。
辺りを見渡すと、井戸の近くに転がっていた小岩に座る、2つの人影があった。
お母さんと叔父さんだ。あんなところで、一体何を―――
「・・・・・・お邪魔虫、だよね」
2人に近寄ることなく、私は逃げるようにその場を後にした。
向かった先は、納屋の影。私はその壁に背を預けて、地面に座り込んだ。
「ふぅ・・・・・・ふふっ」
すらりとした長身。猫のような小顔と細目に、胸元まで伸びた黒髪。
お母さんは私の自慢だ。何より美人だし、この歳になってその魅力に気付かされた。
お父さんが亡くなってから、何人の男性が言い寄って来たか分からない。
実を言えば、お母さんの気持ちには気付いていた。私も、それを望んでいた。
4年前からそうだった。悲しみを押し殺すお母さんを、ずっと支え続けていたのはあの人だ。
欠かさず送られてくる手紙を読む度に、お母さんの顔には笑みが浮かんでいた。
時折クロスベルまで足を運んでくる叔父さんが、私は大好きだった。
そんな叔父さんを見るお母さんの顔が、次第に特別なそれに変わっていった。
それでいいと思う。私は寂しくなんかない。でもお母さんは違う。
お父さんも認めてくれるはずだ。お母さんは今もお父さんを想っている。それもきっと、本物の感情。
「そうだよね。お父さん」
お母さんはもっと、自分の幸せを考えるべきだと思う。
私はもっと強くなる。早く大人になって、1人で生きていけるようになりたい。
そうすれば、お母さんは自分自身に目を向ける事ができる。
それが私にとっても、お母さんにとっても幸せに繋がるはずだ。
だから私は、もっと強く―――
カタンッ。
(―――え?)
背を預けていた、壁の向こう側。
納屋の中から、不意に物音が聞こえた。
もしかして、中に誰か―――そんなわけないか。動物でも入り込んでいるのかもしれない。
足音を潜めながら扉側へと回り、そっと扉を開けた。
暗い。納屋の中までは月明かりも入ってこないし、これでは調べようがない。
まぁいいか。明日の朝に叔父さんに声を掛けておこう。
そう思い、納屋を後にしようとした瞬間。
「っ!?」
何かに身体を引っ張られ、私は納屋の中に吸い込まれた。
直後、扉は固く閉ざされてしまった。
「痛っ・・・・・・な、何?だ、誰か―――」
「黙ってろ」
暗闇の中で、男性の声が聞こえた。
悲鳴を上げたくとも身体は強張り、私は納屋の中で一歩も動けずに立ち尽くしていた。
するとオレンジ色の光点が目の前で点滅し、それは暗闇の中を漂い始めた。
喉が刺さる様なこの感覚。これは煙草の匂いだ。
「道に迷っちまってな。寝床を探してたんだ。邪魔してるぜ」
煙草の先に灯る火の塊だけが、その存在を知らせてくれた。
「な・・・・・・に。何、なの」
「安心しな。ガキなんざどうだっていい・・・・・・あー、そうだな」
食料と水。この村の周辺の地図。それを持って来さえすれば、何もしない。
男は深々と煙を吐きながら、私にそう言った。
従うしか無かった。自分が置かれた状況は肌で、本能で感じていた。
そうしないと、殺される。頭の中で、そう何度も言い聞かせた。
私は身体を振るわせながら叔父さんの家に戻り、求められた物を乱雑に掻き集めた。
周囲に気付かれない様に気を配りながら、私は足早に納屋に戻り、そっと扉を開けた。
目には見えなくとも、先程よりも煙が充満していることだけが匂いで分かった。
「こ、これ」
「おう。礼を言うぜ」
差し出した麻袋を手に取ると、男は再び深々と息を吐きながら言った。
「それにしても・・・・・・クク。てめえ、何者だ」
「え・・・・・・ひっ!?」
その大きな手で、頭を鷲掴みにされた。
そのまま私の身体は引き寄せられ、眼前に男の顔が迫っていた。
既に目も暗闇に慣れてきており、その顔立ちが窺えた。
頬がこけている。真っ黒い眼鏡のような物に遮られ、目元は窺えない。
獰猛な動物に睨まれているような感覚を抱いた。とても人間とは思えなかった。
「おう、親父の名は」
「れ、レイン」
「・・・・・・知らねえな。母親は」
「ラン」
お母さんの名を口にした瞬間、男はまた薄気味悪い笑い声を上げた。
すると今度は姓を聞かれた。聞かれるがままに、私はシャンファと答えた。
「ジジイが言ってやがったな・・・・・・確かそんな名だ。ならこいつは、先天的な才かよ。羨ましい限りだぜ」
私の頭は、未だ掴まれたままだ。痛みなど既に通り越していた。
いっその事、大声で助けを呼んだ方がいいかもしれない。外には、お母さんがいる。
そう思った矢先に、頭を掴む手に一層の力が込められた。
「おいガキ。強くなりてえか」
「な、何?」
「そのままでも将来有望だ。だが・・・・・・クク、これ程のもんは滅多に見られねえ。てめえが望めば、俺が強引に『気穴』をこじ開けてやるぜ。どうなるか知ったこっちゃねえがな」
紫煙と共に吐き出される言葉の数々。まるで理解できない。
お母さんが何だ。この男はお母さんを知っているのか。
私が何だって言うんだ。気穴なんて言葉は知らない。
下手な事を言えば、何をされるか分からない。
だから私は思うが儘に、ずっと願ってきた言葉を口にした。
「つ・・・・・・強く、なりたい」
私は大丈夫。もう手の掛かる子供じゃない。
だからもっと―――自分の幸せを、考えてもいいんだよ。お母さん。
「よく言ったな。なら遠慮なくやらせてもらうぜ」
直後。私の頭を掴む5本の指から、何かが流れ込んできた。
途端に、全身に声にならない程の激痛が走り始めた。
「―――っ!!?」
「力を抜きな。痛みは初めだけだ。すぐに終わらせてやるさ・・・・・・っ!」
気が狂うような苦痛と耳鳴りに苛まれ、上下を見誤る程に視界が歪んだ。
すると私は突拍子も無く、これまで歩んできた私の道のりを思い返していた。
家族3人で歩んだ8年間。2人だけで歩んだ4年間。掛け替えのない親友達。
沸き立つように、数々の記憶が流れ出ていく。
と思いきや、今度はその真逆。私が知らない、私以外の記憶。
まるで知らない思い出、確かな感情が頭へ雪崩れ込んできた。
「な、に・・・・・・なに、これ」
殺した。もう何人も殺してきた。
強者を訪ね、技を奪っては殺し、彷徨い歩く。その分だけ強くなる。
古臭い拳法なんざ興味が無い。強者と戯れている時だけ、快楽を感じる。それ無しでは生きていけない。
(ち、違うっ)
違う。そんなもの強さなんかじゃない。
こんな感情は身に覚えがない。なのにどうしてこうも、鮮明に。
抗えば抗う程、次第に意識が薄れていき―――目には男の笑みだけが焼き付いていた。
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気付いた時には、私は両の足で立っていた。
いつから目を覚ましていたのか分からない。どれぐらい時間が経ったのかすらハッキリしない。
眼前には、あの時と同じ光景。暗闇の中を彷徨う、オレンジ色の光点。
異なるのは―――外から聞こえてくる、喧騒。
そして壁の隙間から漏れ出てくる光。日の光じゃない。
「・・・・・・え?」
「漸くお目覚めか。どうだ、いい気分だろう?」
一瞬にして、思考がその機能を取り戻し始めた。
「な、何。私、何を・・・・・・」
「ほんの小一時間程度だ。寝て待ってようとも思ったが・・・・・・クク、外では面白れえ事になってるぜ。力試しには打って付けじゃねえか」
私が今置かれている状況が、まるで理解できない。
小一時間程度。男はそう言った。それが事実なら、今はまだ夜中だ。
なら、外から聞こえてくる音は、声は。この光は一体何だ。
「どうせ猟兵団崩れか何かだろうよ。煩くって眠れやしねえ」
「猟兵っ・・・・・・!?」
弾かれたように踵を返し、私は納屋の扉を開け放った。
途端に目に飛び込んできた、深夜のオーツ村。
真夜中の静寂など、どこにもなかった。
「・・・・・・嘘」
建物が一軒、燃えていた。叔父さんの家だった。
燃え立つ炎に照らし出された地面には、所々に力無く横たわる人の姿があった。
数名の人間は立っていた。どう見ても村の住民には思えなかったが、どうでもよかった。
私の視線は、井戸の傍らへと吸い込まれていた。
「・・・・・・お母・・・・・・さん?」
「ん。おい、ガキが1人残ってるじゃねえか」
「お母さん!!」
確かめるために、私は視線を逸らすことなく駆け寄った。
何度叫びながら近寄っても、動かない。耳元で叫んでも動かない。
身体を揺すりながら何度呼んでも、私の手がどろりとした液体に染まるだけ。
認めたくなかった。だから私は、うつ伏せに眠るその身体を、力任せに仰向けに変えた。
胸からは、赤い液体が止めどなく流れ出ていた。
お母さんの下には、叔父さんがいた。叔父さんも動かなかった。
「・・・ユ・・・・・・イ」
微かに声が聞こえた。
ごぼごぼと口元から溢れ出る液体と共に、私の名が零れ出た。
「お母さん!?」
「い、き・・・・・・な・・・さ―――」
パンッ。
それが最後だった。その言葉を最後に、お母さんの喉は爆ぜてしまった。
背後から飛来した何かが喉に着弾し、私の顔を生温かく、真っ赤に染め上げた。
瞬きすら忘れ、私はその様をじっと見続けていた。
「まだ生きてやがったか。人質がいなかったらと思うとゾッとするぜ」
「ああ・・・・・それで、こいつはどうする。女だし生かしておくか?」
何だこれは。
お母さんはどこにいった。叔父さんは何故動かない。
お母さんが掴むはずだった幸せは、どこに消えた。
さっきまで2人の間に流れていた幸せな時間は、いつの間に消え失せた。
お父さんと呼ぶ覚悟はできていた。私が夢見ていた光景は、これじゃない。
それに、どうして私は泣いている。お母さんの前では、もう泣かないと決めたのに。
「ガキなんざどうすんだよ。邪魔なだけだ」
「・・・・・・さ、いっ」
消えたんじゃない。奪われたんだ。
全部こいつらが、在るはずの幸せを根こそぎ奪ってしまった。
お母さんが、叔父さんが掴むはずだった全てを。
全部――――こいつらのせいだ。
「うぁああああああぁぁぁぁっっ!!!!」
こいつらを絶対に許すな。
その思いで、私はお母さんが握っていた長巻を振るった。
目の前の人間が、横半分に真っ二つへ斬り裂かれた。
「な―――」
返す刀で、もう一体を斬った。
首から上がはね飛ばされ、勢いよく上空に血が噴き出し始めた。
魔獣は斬ったことがある。その感覚と同じだ。
肉を斬る手応えも、頭上から降り注いだ返り血も、目の前のそれも。全部同じだ。
何が違う。何も違わない。何も感じない。
振り返ると、もう数体いた。
どういうわけか、感情と共に力が溢れ出てくる。真剣が嘘のように軽い。
自分の足ではないようだ。この力の行き場は、目の前にいる。
躊躇うな。こいつらは魔獣だ。全部、こいつらが奪ったんだ。
力任せに斬り捨ててしまえ。そう思った矢先に―――胸を、強く叩かれた。
「がっ・・・・・・!?」
続けざまにもう一発。胸が焼けるような感覚に陥った。
途端に全身から流れ出るように、力が抜けていった。動きたいのに、動けない。
痛みなどどうだっていい。動け。どうして動かない。
既に口からはごぼごぼと、お母さんが漏らしたような音だけが吐き出されていた。
「やれやれ・・・・・ここでくたばっちまったら、話にならねえだろうが」
―――どうして。
急に、どうしてこんな。何でこんなことになったの。
私はただ、お母さんと一緒に生きたかっただけなのに。
帰りたい。もうお家に帰りたい。ねぇ、ロイド。
お父さん。お母さん。誰か―――答えてよ。
「まあ、おかげでタダ飯にありつけたしな。こいつは特別サービスだ」
誰でもいい。誰か、助けて。
私はまだ、死にたくない。
「俺の気功を受け止める器があるんなら、精々耐えてみな。てめえなら十分可能性がある・・・・・・クク、暇つぶしにこいつらも全員潰してやるよ」
薄れいく意識の中で、再び何かが流れ込んできた。
頭を掴まれた時とは打って変わって、それはとても切なく、温かな感情。
この女性は誰だろう。やはり私の記憶ではない。
風になびかせる黒髪と、優しげな細目。綺麗な人だ。
どことなくお母さんに。私に、似てる。きっとこの人は素敵な女性だ。
私も大人になって、髪を伸ばせば。こんな風になれるのだろうか。
―――キリカ。
彼女を呼ぶ声を最後に、思考が止まった。心臓の音が、止んだ。
もう、何も考えられない。
ごめんね。ウェンディ、オスカー。もう帰れない。
―――ロイド。もう一度、会いたかった。
____________________________
3月31日。午前6時。
朝焼けに照らされたオーツ村の中央で、1人の少女が呆然と立ち尽くしていた。
見渡す限りの血と肉の海。元は人間だった物の、残骸の山々。
たった1人の男によって引き千切られ、殴打され、貫かれ。
生臭い異臭だけが漂う海の中心で、ユイはそれらを見下ろしていた。
―――どうかな。キミにとっても、悪くない提案だと思うんだけど。僕が保障するよ。
―――面白れえ。退屈凌ぎにはなりそうな話だ。
―――じゃあ決まりだね。ようこそ、『身喰らう蛇』へ。
いつの間にか、その場に立つ人間が1人増えていた。
その存在は視界に捉えつつも、会話の内容はユイの耳には入っていない。
自身の足で立ち上がってから、既に1時間以上が経過していた。
その間ユイは微動だにせず、じっと母親の亡骸を見下ろし続けていた。
―――あの子も結構、素質があるように見えるね。
―――やめとけ、今は唯のガキだ。俺の楽しみを奪うんじゃねえよ。
煙草に火を点けながら、男―――ヴァルターは、ユイの下に歩を進めた。
深々と紫煙を吸いながら背後に立つと、ヴァルターはその煙を彼女目掛けて吹きかけた。
「―――っ!!」
「おっと」
振り向きざまに、ユイは手にしていた長巻を力任せに振り下ろした。
その刃はヴァルターに届くことなく両の手に阻まれ、刀身は頭上1リジュの位置で静止した。
彼の手から僅かに流れ出た血液が、刀身を伝ってポタポタと地面に滴を落としていく。
「精々力を育てな。俺は強え奴が好きなんだよ・・・・・・何なら、面倒を見てやってもいいぜ。ついてくるか?」
ユイは口を開こうとしなかった。
その反応に気を落とすことなく、ヴァルターは刀身から手を外し、踵を返してその場を去った。
「てめえはいい女になる。数年経ったら様子を見に来てやるよ。順調に育っていれば・・・・・・クク、俺が食ってやる」
その言葉を最後に、2人は忽然と姿を消した。
血の海に残されたのは、ユイ。たった独りだけ。
誰も彼女の存在を、名前すら知る人間が誰一人として存在しないこの国で。
彼女は今、紛れもない独りになった。
途端に、ユイは途方も無い空腹感に苛まれた。
数日間何も口にしていなかったかのような、人生の中で初めての感覚。力の代償。
無我夢中で探し回った。道中に誰かの亡骸を踏み付けようと、気にも止めずに。
竿にぶら下げられた干し肉を目にした彼女は、迷わずそれを口に運んだ。
「・・・うぶ・・・・・・げぇっ!かはっ・・・」
飲み込んだ瞬間、すぐに吐いた。
それが余計に空腹を煽り、構うこと無く再び彼女は食らった。
「うっ・・・・・・うううぅぅっ!!!うああああぁぁぁ!!!!」
逆流する胃液を飲み込みながら、泣き叫びながら彼女は食らい続けた。
この村に何が起きたのか。自分の身に何が起こったのか。
どうして私は人間を斬ってしまったのか。この現実を、何をどう受け入れればいいのか。
何も分からない。今の彼女を突き動かすのは、たった1つの言葉。
生きなさい。今わの際に残した言葉を、気が狂いながらも懸命に守るために。
生きる、絶対に生きて見せる。吐瀉物で濡れた手で肉を食らいながら、そう誓った。
七曜歴1197年、3月31日。
狼の気紛れが拾い上げた命。宿してしまった力。孤独の始まり。
ユイ・シャンファがユイの名を捨て、12歳の誕生日を迎えた、翌日の出来事だった。
同年―――ハーメル村。
何の因果か、ユイと似た境遇に陥っていた少年は、彼女とは異なる選択肢を選んでいた。