4月18日 昼休みの教室
ここトールズ士官学院は優秀な人材が集う名門校として名高い一方で、クラブ活動が盛んである点でも有名だ。文学系と運動系のクラブがいくつも存在しており、放課後や自由行動日には多くの生徒がクラブ活動に励んでいる。
アヤもその例外ではなく、自分に合ったクラブを探していた。いたのだが―――少々、他の生徒とは事情が違っていた。
「迷ってるって・・・・・・昨日は水泳部か馬術部に入りたいって言ってなかったっけ?」
「そうなんだけど。ちょっと事情があって」
アヤの隣、ガイウスの席に座るエリオット・クレイグは、頭上に疑問符を浮かべながらアヤに言う。
「他に入りたいクラブでも見つけたの?」
「・・・・・・ってわけでもないんだよね」
エリオットの問いに対し、曖昧な返答で口を濁す。
その返答が意味するのは、クラブ活動以外の選択。
きっかけは朝方―――喫茶宿場『キルシェ』でのドリーとのやり取りにあった。
(どうしよっかなぁ)
朝方はついつい『お礼』に食いついてしまったが、あれから真剣に考えて出した結論。
2人の力になりたい。この思いは本物だと、胸を張って言える。
それに、あれはあれで新鮮な体験であった。興味本位の思いつきというわけではない。
だが一方で、クラブ活動に興味があるのも確かだ。サラ教官が言うには、来週からは新しいカリキュラムも始まるらしい。
要するに―――両方を選ぶには、あまりにも時間的な余裕が少ないように思えたのだ。
教官からの説明によれば、クラブへの入部は必須ではないそうだ。
学業や他の活動に注力するために、無所属を通す生徒もいるらしい。
ちなみに、エリオットは吹奏楽部。バイオリン担当になるとのことだ。実に彼らしい選択だと思う。
「バイオリンかぁ。うん、似合ってる似合ってる」
「そ、そうかな?」
「ピアノとかも上手そう。部屋の本棚とか楽譜で埋め尽くされてそうなイメージかな」
―――ガタタンッ!!
椅子の前足を浮かせて座っていたエリオットは、唐突にバランスを崩し盛大に転んだ。
「ちょ、大丈夫?どうしたの?」
「う、うん・・・・・・あはは、何でもない。何でもないよ」
「?」
いずれにせよ、決断を急ぐ必要はない。今日の放課後は、とりあえず水泳部の見学に行くとしよう。
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「あれ、ラウラ?」
ギムナジウム内にある水練場に足を踏み入れると、そこにはラウラの姿があった。
彼女の隣にいるのは、おそらく水泳部に所属する先輩だろう。
「アヤか。そなたも水泳部を見に来たのか?」
「まぁね。じゃあ、ラウラもそうなんだ」
「お、君も入部希望者か?歓迎するぜ」
クレインと名乗るその先輩は、水泳部の活動についての詳細を話してくれた。屋内に設置されたプールは噂以上の規模であり、年中一定の水温を保っているらしい。
クレイン先輩からの話を聞き終えた私達は、2階から水泳部の活動を見学していた。
「ふむ。確かに悩ましい選択ではある」
一通りの事情を、私はラウラに打ち明けていた。
「知恩報恩、か。よい心掛けだ。それに、本業を疎かにしたくはないというそなたの思いも理解できる」
「うん・・・・・・でも、時間は有限だから。私、欲張りかな」
「そうでもない。だがこの場合、二者択一というわけでもないであろう」
「え?」
ラウラは1階のプールを見下ろしながら続ける。
「自ら選択肢を狭めようとする姿勢には感心できぬ、と言っているのだ」
真剣な眼差しと口調をもって、私に問いかける。付き合いは浅いものの、彼女が本音で真っ向から語り合ってくれているのは、理解できた。
「両立できるか否かはそなたの努力次第だ。いずれかを見限るのは、今である必要はない」
「・・・・・・そっか。うん、そうだよね」
ラウラの言葉が意味するのは、第3の選択。
もしかしたら、誰かに背中を押してほしかっただけなのかもしれない。
らしくない、と私は思う。
「でも水泳部は年中本格的に活動してるみたいだし、さすがに両立は難しいかな」
「そうか。そなたとは共に高め合えると思ったのだが、仕方あるまい」
察するに、ラウラは既に水泳部への入部を決めているということだろう。
「この水泳部なら、色々と得るものがありそうだ」
ラウラはこれからのクラブ活動を想像しているのか、目を閉じながら笑みを浮かべていた。前々から思っていたが、常に自らを高めようとする彼女の向上心は、《Ⅶ組》の中でも群を抜いている。
「さてと。じゃあ私、他のクラブを見学しに行くね」
「ああ。お互い、充実した学院生活を送りたいものだな」
「ありがとうラウラ。風と女神の導きを!」
私は弟の口癖を真似てラウラに礼を言い、ギムナジウムを後にした。
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「―――決めました。私、馬術部に入部します」
夕暮れ時、時刻は17時前。
私は今、グラウンドにある馬舎にいる。
そのグラウンドでは、馬術部の部長であるランベルト先輩が、愛馬に乗り軽やかに疾走している。
ノルドには馬の育成を生業としている民が数多く存在する。というより、共に生きる家族のような存在と言った方がいいだろう。馬術部が管理する馬も、全て純ノルド産だそうだ。
そんな背景もあり、私が入部を希望したことに対し、先輩は心の底から喜んでくれて―――というより、興奮しているようだ。
グラウンドをぐるぐると疾走していた先輩が、ゆっくりと馬舎に戻ってくる。
「ふう。柄にもなくはしゃいでしまった。見っとも無い姿を見せてしまったかな」
「いえ、そんな。私の方こそ、ありがとうございます」
私は先輩に、事情を一から説明した。
ノルド出身で、馬との生活は日常であったこと。馬術部に興味があること。キルシェの手伝いも優先したいため、積極的に活動には参加できないこと。
そんな私を、先輩は快く歓迎してくれた。
馬の管理には大変な労力を伴う。適切なコンディションを維持するためには、正しい知識と経験も必要だ。現状は一部の教官や用務員のガイラーさんが持ち回りで手を貸してくれているそうだが、特に馬術部員の負担は大きいようだ。
人手は多いほどいい。時間がある時には、世話を手伝う。それが私の主な活動になりそうだ。
私は先輩が乗っていた馬の背を優しく撫でると、「ぶるるっ」と力強く息を吐いた。
「マッハ号も君を気に入ったようだね。君から故郷の匂いでも感じたのかな?」
マッハ号。
先輩とは今日が初対面だが、彼らしいネーミングセンスに思わず苦笑してしまう。
「ランベルト先輩、これからも宜しくお願いします」
「大歓迎さ。今度、君の故郷の話を聞かせてくれたまえ」
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4月23日。時刻は夜の8時前。
私は今、明日の特別実習に向けて自室で荷造りの最中だ。
時が経つのはあっという間で、あれから1週間近くが過ぎた。予想通り、というより覚悟していた通り、私の学院生活はたちまち忙しさを増した。
フレッドさんもドリーさんも、私の申し出に対し心の底から喜んでくれたようだ。とはいえ、まだまだ覚えなくてはいけないことは山積みである。本格的に2人の力になるには、もう少し時間が掛かりそうだ。
そんな私に苦言を呈したのは、《Ⅶ組》の副委員長、マキアス。
「念のため課外活動の申請はしておけ」と言う彼に対し、「アルバイトとは違うし必要無いんじゃない?」と忙しさにかまけて放置していた結果、大激怒されたのが昨日だ。実際彼が言うように、もし私がキルシェで怪我でもした場合、責任の所在も含めて困るのはフレッドさんである。
もっとも、マキアスは成績が芳しくない私が課外活動をすること自体、快く思っていないようだ。
これ以上彼に余計な気苦労を掛けないためにも、もっとしっかりしなくては。
馬術部の方では嬉しい出来事あった。
《Ⅴ組》のポーラと、同じ《Ⅶ組》のユーシス、2人が馬術部への入部を決めたことだ。特にポーラとは入学式以来話す機会が無かった分、グラウンドで再会した時には手を取って喜びを分かち合った。その一方で、ポーラとユーシスの仲は初日から険悪ムード真っ只中である。
・・・・・・リィンにアリサ、マキアスとユーシスといい、もう少し歩み寄ってくれないものだろうか。
そんなこんなで、私にはキルシェと馬術部という、新たな2つの居場所ができた。
少しずつではあるが、私の学院生活も軌道に乗りつつあるようだ。
「アヤー、ちょっといいかしら」
「あ、はい。今行きます」
この1週間の出来事を振り返っていると、不意にドアをノックする音が聞こえた。
ドアの向こうにいたのは、どこか疲れ切った表情のサラ教官。
「何かありましたか」
「1階に行けば分かるわ。ガイウスにも声は掛けたから」
「はぁ」
サラ教官と一緒に1階へ降りると、そこには確かにガイウスの姿もあった。その横には、大きな布袋に包まれた大荷物。
「ガイウス、何それ」
「アヤと俺宛ての荷物だそうだ。先程サラ教官から預かったものだ」
「サラ教官から?」
「ここまで運んでくるのに苦労したんだから。感謝しなさい」
サラ教官はそう言いながら、ガイウスに封筒を手渡す。
「これは?」
「ノルドから学院宛てに届いたものよ。その荷物と一緒にね」
ノルドから。
サラ教官の言葉に、心が躍る。ガイウスも私と同様のようで、いそいそと封筒の中から便箋を取り出していた。私もさっそく、荷物の包みを解きにかかる、
「わぁ・・・・・・すごい、こんなにたくさん」
中には衣料品を始めとした雑貨に、日持ちする食料品や嗜好品の数々。これだけでも、当分は生活に困ることは無さそうだ。その中には、私の大好物の姿もあった。
「あ、チーズもある!これってもしかして、キルテおばさんから?」
「ああ。どれも皆が持ち寄ってくれたそうだ。手紙はトーマが書いたようだな」
ガイウスはそう言うと、再び手紙に視線を落とす。
夢中になって手紙を読む彼の姿に、思わず笑みがこぼれる。
「へぇ、いい香りね。美味しそうじゃない。ワインに合いそう」
一方のサラ教官は、私が手にするチーズに興味津々のようだ。
「羊乳から作ったチーズなんです。脂肪分が高くて濃厚だから、合うと思いますよ?あげませんけど」
「・・・・・・ぐぬぬ」
「・・・・・・冗談です。荷物を運んでくれたお礼もしたいですから」
私の言葉に、サラ教官は「ひゃっほーう♪」と歓喜の声を上げながら食堂に入っていった。
年甲斐もなくはしゃぐ彼女の姿に大きく溜息をついた後、私はガイウスに歩み寄る。
「どう?みんな元気そう?」
「ああ、変わりないそうだ。と言っても、まだ一月も経っていないからな。当然と言えば当然だろう」
既に読み終えたらしく、ガイウスは私に手紙を手渡してきた。
「今度返事を書いてあげないとね」
「そうだな。さて、今日のうちに片しておくか。明日には発たないといけないしな」
明日は実技テストに引き続き、特科クラス《Ⅶ組》の特別カリキュラム、特別実習初日だ。目的も実習内容も明かされていない分、多少なりとも緊張感を抱いていたが、いい意味ですっかり和んでしまった。きっとガイウスも同様だろう。
「班は別々だけど、頼んだからね。ユーシスとマキアスのこと」
「やるだけやってみる・・・・・・あまり、自信はないがな」
「あはは、いい風が吹くといいね」
荷を一通り片した後、私達は故郷を想いながら、早めに寝床に入るのであった。