絢の軌跡   作:ゆーゆ

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再始動

9月20日、月曜日。

僅かばかり感じられる残暑と、心地よい澄んだ空気が、秋の到来を知らせてくれる。

丁度秋分の時期でもある。今から更に日が短くなり、夜が駆け足でやって来る季節。

退院の手続きをする際にも、看護士さんに体調管理に気を配るよう声を掛けられた。

人は浴びる日光の量が減ると、生活リズムを崩してしまう生き物なのだそうだ。

私は特に、だろう。何せ今日まで3週間、入院生活が続いていたのだ。

 

「んー・・・・・・はぁ」

 

駅前で荷物を下ろし、背伸びをしながらトリスタの街並を見渡す。

キルシェから漂う美味しそうな匂い。駅前広場の木々。風の音。

そして遥か遠くから聞こえてくる、士官学院のチャイム音。

帰って来た。漸く帰って来れた。今の私が、帰るべき居場所。

 

『何をしている?』

「あはは、少し感慨にふけっていただけだよ。まず寮に戻ろっか」

 

時刻は午後14時。

無事退院を果たした私は、単身トリスタへと帰って来ていた。

たったの3週間とはいえ、やはり感慨深いものがある。本当に長かった。

 

今日はまず寮に戻り、簡単に荷を整理してから士官学院へ向かう予定だ。

学院生活に戻るための手続きなんかもある。本格的に復帰するのは明日からとなる。

 

第3学生寮へ向かうと、玄関先に1人の女性が畏まった姿勢で立っていた。

予想はしていた。相変わらず、図ったようなタイミングで出迎えてくれる。

 

「お久しぶりです、シャロンさん」

「お帰りなさいませ、アヤ様。お荷物はお部屋に運んでありますよ」

 

ただいま、と言った方がよかったか。それは士官学院から戻って来てからにしよう。

入院中に使用していた着替えの類は、既に寮宛てで送ってあった。

それも既に運んでくれているみたいだ。流石はシャロンさん。

 

「今日は少し士官学院に顔を出す予定なんです。色々とやることがあるので」

「畏まりました。では、ラン様はお預かり致しますね」

「・・・・・・ええっと」

 

シャロンさんが私の胸元を覗き込んで来る。

この人の前では隠し事はできそうにない。全てを見透かされているような感覚だ。

 

溜息をつきながら、胸元をトントンと叩く。

すぐさま飛び出してきたランは、そのままシャロンさんの肩へと着地した。

するとシャロンさんは私に習うように、メイド服の襟元を開き始めた。

いやいや、鳥籠に戻してくれればいいだけなんだけど。まあいっか。

 

3階へと続く階段を上り、私とミリアムの部屋の扉を開ける。

もしかしたら、ミリアムが部屋を散らかしているかもしれない。

私のそんな予感は裏切られ、代わりに隅々まで整理整頓が行き届いた部屋があった。

これは少しだけ意外だった。ミリアムも気を遣ってくれたのだろうか。

ベッドシーツにも皺1つなく、まるで新品のようだった。またまた流石はシャロンさん。

 

「さてと」

 

荷の整理はすぐに終わるだろう。

その後に向かえば、最後の授業中の時間帯に士官学院へ着きそうだ。

気持ちが先走ってしまう。それに、気分が高揚してくる。

今日が退院日なことは、既に皆へも知らせてある。

第一声は何と言おう。言葉を選びながら、私は鞄の中身を取り出し始めた。

 

__________________________________

 

士官学院の本校舎に入ると、私は初めに教官室へ足を運んだ。

まずは事務的な手続きを、一通り済ませる必要があった。

 

「失礼します」

 

扉を開けると、授業中ということもあり人気は少ない。

見た限り、2人の教官の姿しか見当たらなかった。

 

「む・・・・・・ウォーゼル?」

「あら、アヤさん」

 

ナイトハルト教官と、メアリー教官だった。

メアリー教官は私の姿に気付くと、足早に私の下へ駆け寄ってくる。

 

「退院おめでとう、アヤさん。それとお帰りなさい、かしら」

「ありがとうございます。ご心配をお掛けしてしまい申し訳ありません」

 

メアリー教官の話では、今日が退院日である旨を、サラ教官から聞かされたそうだ。

教官室では毎朝、朝礼が行われる。その際、代表者がスピーチをする決まりなのだという。

担当は教官らの間でローテーションしており、それが今朝はサラ教官の番だったようだ。

 

「酒のうんちくを聞かされた時は呆れたがな」

「ふふ、あれはあれで面白かったですよ」

 

ナイトハルト教官が苦笑しながら、ゆっくりと私の前に立つ。

すると突然姿勢を正し、身に纏う雰囲気が軍人のそれへと変貌した。

 

「アヤ・ウォーゼル。お前の勇気ある行動により、最悪の事態を回避することができた。一軍人として、敬意を表する」

 

言いながら、敬礼を私に向けてくるナイトハルト教官。

彼がそう言うであろうことは、何となく予想はしていた。

そしてその後に続く言葉も。教官は敬礼を解くと、大きく溜息をつきながら再び口を開いた。

 

「だが―――」

「分かってます」

 

遮るように、今度は私が姿勢を正し、改まった口調で言った。

 

「結果はどうあれ、あの状況下で私は教官の命令に背きました。今後はその事実を重く受け止め、士官学院生の名に恥じない行動を心掛けて参ります」

「・・・・・・分かっていればいい」

 

何がどう転んでもおかしくはない状況だった。

今更たらればを語っても仕方ないが、私に弁解の余地は無い。

先回りしたのが功を奏したのか、ナイトハルト教官は小さく頷き、デスクへと戻っていった。

 

「アヤさん、証明書は持って来ているかしら」

「あ、はい。そのために来たんですけど、お願いできますか?」

 

退院証明書を取り出すと、メアリー教官はサラ教官のデスクへと向かった。

すぐに手続きができるのはありがたい。今日は色々とやることが多いのだ。

壁に掛けられた時計を見ると、時計の針は午後の15時を指していた。

 

______________________________

 

「うーん・・・・・・」

 

授業終了を知らせるチャイムが鳴るまで、あと5分間。

私は《Ⅶ組》の教室の前でうんうんと呻りながら、考えていた。

 

念願の復帰なのだから、何か気の利いたことを言いたい。

普通は逆なのだろうが、ありがとうやただいまでは何となくつまらない。

「うーッス!」とクロウの真似でもして扉を勢いよく開けるのはどうだろう。

・・・・・・無いな。面白くも何ともない。

 

ガラガラ。

 

「え?」

「あっ」

 

考えを巡らせていると、どういうわけか、扉が開いた。チャイムが鳴るより前に。

そこに立っていたのは、私と部屋を共有する少女だった。

 

「アヤー!」

「わわっ」

 

勢いよく私に抱きついて来るミリアム。思わず転びそうになる。

余りに突然のことに、言葉も失っていた。

 

「久しぶり!やっと戻って来たんだね!」

「あ、あはは・・・・・・えーと。もう授業は終わりなの?」

 

戸惑いながら教室の中へ目を向けると、教壇に立つサラ教官と目が合った。

なるほど、今はサラ教官の座学の時間だったか。

彼女が数分早く授業を終わらせてしまうことは度々あった。今もそんなところだろう。

 

「よいしょっと」

「わわわっ」

 

お返しと言わんばかりに、ミリアムの小さな身体を抱き上げながら、数歩前に進む。

先月以来となる、私達の教室だ。一斉に、皆の視線が私へと注がれた。

 

「アヤさん!」

「アヤっ・・・・・・」

「ただいま、みんな」

 

結局私は、ありきたりなものを選んだ。

帰るべき場所に帰った時の言葉。それ以外に思い浮かばなかった。

 

ミリアムを下ろすと、代わる代わる皆が声を掛けてくれた。

お帰りなさい。やはり皆が選んだのも、ただいまに重なる言葉だった。

 

「はは、やっと全員揃ったな」

 

リィン。

 

「シャロンも困っていたわよ。食材が余って感覚が狂うってね」

 

アリサ。

 

「またそなたと剣を交えることができるな」

 

ラウラ。

 

「隣の席が空席だと落ち着かない。やっとだね」

 

フィー。

 

「ガイウスも寂しがってたよ。よかったね、ガイウス」

 

エリオット。

 

「ああ。漸く列車通いの生活も終わりそうだ」

 

ガイウス。

 

「馬の世話で疲れ切っていたところだ。精々働くがいい」

 

ユーシス。

 

「これで全員で学院祭の準備を進められるな」

 

マキアス。

 

「お帰りなさい、アヤさん。皆待ってましたよ」

 

エマ。

 

「クク、しばらく見ねえうちに少し太ったんじゃあ痛たたたた!?」

 

そしてクロウの首根っこを掴みながら、皆の顔を見渡す。

待っていたのはこちらも同じだ。夢の中にまで出てきた、待ちわびた光景。

掛け替えの無い時間を共に分かち合う、掛け替えの無い仲間達。

思わず流れ出そうになる涙を堪えていると、パンパンを手を叩く音が聞こえた。

 

「ほらほら。感動の再会は後にして、先にホームルームを始めるわよ」

 

サラ教官が言うと、皆がそれぞれの席へと戻り始める。

代わりに教官が腰に手をやりながら、私の下へと歩を進めた。

 

「まずは退院おめでとう、かしら。手続きはもう済ませた?」

「はい。メアリー教官が処理してくれました。ナイトハルト教官とも話しましたよ」

「そう、ならあたしが言う必要はないわね・・・・・・ただ、1つだけ」

 

にっこりと笑いながら、右手を差し出してくるサラ教官。

何だろう。首を傾げていると、思い当たる物が1つだけあった。

あの日。エステルとヨシュアが、私に贈ってくれた物。その『資格』だった。

 

「手帳。持ってるわね」

「・・・・・・はい」

 

胸ポケットに入っていた、3つの手帳。

1つは学生手帳。1つはお母さんの遊撃士手帳。

そしてもう1つ。私自身の遊撃士手帳を取り出し、サラ教官の右手に置いた。

 

「しばらくの間、預からせてもらうわ」

 

それが意味するところは、1つしかない。

あの時も感じたことだった。サラ教官なら、きっとそうすると。

携帯が義務付けられているエンブレムも、今は身に着けていない。

 

―――まあ、精々覚悟しておけよ。教え子として以上に、後輩としてな。

 

有無を言わさぬその態度は、教官としてではなく、先輩としてのそれなのだろう。

サラ教官が何を考えているかは分からない。

ただ近いうちに、私は試される時が来る。そんな気がした。

 

私達のそんなやり取りを、今度は皆が首を傾げながら眺めていた。

私はそそくさと席に着き、教壇に立つサラ教官の声に耳を傾けた。

 

「連絡事項は1つよ。さっさと学院祭の出し物を決めちゃいなさい。あたしも立場上、そろそろ内容だけでも決めてもらわないと困るのよねー」

 

ああ、それがあったか。失念していた。

聞かされていた話では、他のクラスは早々に内容を決め、準備に取り掛かっているそうだ。

対する私達《Ⅶ組》は、未だ出し物を何にするかさえ決まっていない。確かに問題だ。

 

「その件なら、1つアイデアがあるんです」

「あら、そうなの?」

 

リィンの声に意外そうな反応を見せたのは、サラ教官。そして私。

初耳だった。いくつか案は上がったものの、どれも少人数の私達《Ⅶ組》では難しいという話だったはずだ。

 

「昼休みに決めたばかりだからな。アヤ、放課後はどうするつもりなんだ?」

「あー。アンゼリカ先輩のところに行こうと思ってたんだけど」

「アンゼリカ先輩?」

 

それは前々から決めていたことだったし、既に話は通してある。

私が私に戻るために、必要不可欠なこと。失ったものを取り戻すために、どうしても必要なのだ。

まあそれは後からでもいい。アイデアがあるなら、私も早く聞いてみたい。

 

「実際に見てもらった早いと思うんだ。少し端末室まで付き合ってくれないか?」

 

_____________________________

 

「ふーん。やっと決まったんだ」

「ああ。内容はこれから詰めるところだがな」

 

午後16時半、放課後。

長靴を履き、ホースから出る水で厩舎の床の泥を流しながら、ポーラに返す。

漸く帰ってきたと思いきや、アヤの姿はここにはなかった。

 

「ポーラ」

 

名を呼ぶと、床をブラシで磨くポーラの手が止まった。

見れば、ぽかんと呆けたような表情で、口を半開きにしていた。

何だ。俺は単に名を呼んだだけなのだが。

 

「何だ。何を見ている」

「ふふ、何でもない」

「何故笑う」

「何でもないってば。それで、どうかした?」

「あの馬鹿は何をしているんだ?」

 

グラウンドに目を向け、その『馬鹿』の姿を追う。

遠方からでも分かる程に、3人の叫び声が厩舎まで届いていた。

 

「ほらほら、足を止めると導力バイクに追いつかれてしまうよ!精々逃げ延びたまえ!」

「ハッハッハ!アヤ君、マッハ号の足に踏まれたくなければ速度を緩めぬことだ!」

「だああああ!!」

 

導力バイクをグラウンドで容赦なく走らせる、ログナー侯爵家の息女。

マッハ号に跨り、その自慢の脚を惜し気も無く引き出すランベルト部長。

そして2人に追われるように、爆走するアヤ。

腰にはロープが結ばれており、その先には大きなタイヤが繋がれていた。

まるで理解できない光景だった。

 

「身体を鍛え直してるんでしょ。1週間以内が目標って言ってたわ」

「・・・・・・できるわけないだろう」

「アヤって回復力が異常に早いそうなのよ。だからあれぐらいがちょうどいいんだって」

 

入院生活で鈍り切った身体を、元の身体へと鍛え直す。

目標はそこに留まらず、より柔軟で強靭な肉体へ仕上げること。

そのためには徹底的な、オーバーワーク気味の鍛錬が必要になる。

それが声を荒げながらタイヤを引き摺る、理由とのことだった。

 

何をそんなに急ぐ必要がある。特別実習に参加するわけでもないというのに。

まああいつらしいと言えばあいつらしい。相変わらずとんでもない発想をする。

 

「いい、いいよその表情!苦痛で顔を歪める君も狂おしい程に素敵だ!!」

「マッハ号も喜んでいるよ!どうやら君の尻に惹かれてしまっているようだね!?」

「いやああああ!?」

 

アヤに手を貸す2人も、ある意味で適任役のようだ。

馬が喜んでいるとなれば、これも部活動の一環だろう。

 

「やれやれ。これでは当面、今までの生活が続くというわけか」

「それどういう意味?」

「決まっているだろう。あいつがあれでは使い物にならん」

 

馬の世話役が増えるかと思えば、あんな調子では手が回るとは到底思えない。

結局世話役はマイナス1名のまま。今月は何とか乗り切る必要がある。

だというのに―――

 

「だから、お前は何故笑っている」

「何でもないって言ってるでしょ。あ、そうそう」

 

ポーラが額の汗を拭いながら、何かを思い出したかのように手を止めた。

 

「また実家からほっくりポテトが―――」

「待て」

 

その先を聞いてはいけない。

聞いたら最後。そんな悪寒が背筋を全速力で駆け抜けた。

 

「何よ。ちゃんと料理のレパートリーも増やしてあげたんだから、付き合いなさい」

「ぐっ・・・・・・数はどれぐらいだ?」

「そうね。1ダースぐらいかしら」

 

1ダース。12個か。その程度なら付き合ってやらんでもない。

何だかんだ言いつつ味はいいし、料理の腕前だけは認めていた。

 

「寮生からもクレームが来ててね。12箱ともなれば、置き場所に困るのよ」

 

_______________________________

 

午後18時。

私はガイウスの大きな背に身を預けながら、憔悴し切っていた。

 

「俺も鍛錬の様子を見たが、無茶をし過ぎじゃないか」

「痛たた・・・・・・あはは。あれぐらいでいいんだよ」

 

身体中が悲鳴を上げている。こうも筋肉痛に苛まれるのはいつ以来だろう。

まるで月光翼を限界まで引き出した後のようだ。歩くことすら億劫になる。

目標は1週間以内。焦る必要は今のところ特に見当たらない。

でも私には、そうしなければいけない理由があるように思えたのだ。

 

いずれにせよ遅かれ早かれ、鍛え直したいとはずっと考えていた。

今まで以上に、私は強くなりたい。力も体力も、速さも技も。

一旦身体がリセットされた今なら、むしろ都合がいい。

そして、アンゼリカ先輩が扱う体術。泰斗流と呼ばれる、東方発祥の技術体系。

お母さんが剣を取る前に習得した技を、少しでも自分のものにしておきたかった。

どちらもアンゼリカ先輩の知識とサポートが、どうしても必要だった。

 

「今以上に強くなられたら、俺との差も広がるばかりだな」

「ガイウスこそ。最近はよく鍛錬に励んでるって、ラウラが言ってたよ」

「まあな」

 

おそらくそこには、2つの理由がある。

1つ目は、エステルとの出会い。彼女が見せてくれた棒術に起因しているはずだ。

医療棟の広場で、エステルは棒術の型や技を私達に披露してくれたのだ。

棒術は剣や槍といった全ての術技の基本であり、独特の技もある。

槍術とは通じるところも多い。あの術技を身に付けたいのだろう。

 

そして、2つ目。

ユーシスから手渡された、お義母さんからの手紙。

私とガイウスの仲は、トーマから、そして両親から祝福された。

上手く理解できない可能性があるシーダとリリには、次に会う際に直接伝えることになった。

一方で手紙には、ガイウスに宛てられたお義父さんの言葉が綴られていた。

 

『強くなれ』

 

たった4文字の一言に、ガイウスが何を思ったのかは分からない。

ただその思いが、私に向けられたものであるなら、何も言えない。

 

「・・・・・・ふふっ」

「どうした?」

「何でもない。ただ、嬉しいだけ」

 

彼の首に回していた腕に、少しだけ力を入れる。

私達はもっと強くなれる。お互いの夢を叶えるために、強くなる必要がある。

それぞれの想いを胸に、明日からもまた、懸命に。

 

「あ、いい匂いがしてきた」

 

第3学生寮が近付くにつれて、空腹を刺激するいい香りが鼻に入ってくる。

これも3週間振りだ。またシャロンさんの手料理に、舌鼓を鳴らすことができる。

私の回復力は、食事にも大いに支えられている。食べることも鍛錬の1つなのだ。

 

「今日はきっと豪勢だぞ。特別な日だからな」

「え、そうなの?」

 

特別な日。何だろう。

今日は何かの記念日だっただろうか。

 

ガイウスが玄関の扉を開けると、そのまま食堂の方へと足を進めた。

ゆっくりと彼の背から下り、痛む足で身体を支える。

 

「開けてみるといい」

「うん」

 

何か引っ掛かりつつも、私は食堂の扉を開けた。

すると突然、『パンッ』と何かが爆ぜる音がいくつも聞こえてきた。

同時に頭上から降り注ぐ、色取り取りの花びら。

 

「えっ・・・・・・」

「「退院おめでとう!!」」

『パフパフッ』

 

待ち構えていたのは、《Ⅶ》の仲間達。祝福の言葉。フィーが鳴らす、小さな金管楽器の音。

そして何かのパーティー会場のように、テーブルに並んだ豪勢な御馳走の数々だった。

 

「はは、漸く帰ってき」

『パフパフッ』

「あなたを驚かせ」

『パフパフッ』

「随分遅くま」

『パフパフッ』

 

自重するがよい、とラウラから楽器を取り上げられるフィー。

あの楽器、まだ持ってたんだ。相当気に入っていたに違いない。

 

「ねえ、これって・・・・・・」

「決まってるでしょう。あなたへの退院祝いよ。昨日からみんなで準備していたんだから」

 

アリサが言いながら、手にしていたクラッカーの紐を引いた。

再び響き渡る、心地のいい乾いた音。先程の音や花もクラッカーだったようだ。

すると今度は、後方からまた懐かしい声が聞こえてきた。

 

「久しぶり、アヤちゃん。キルシェからのお祝いを届けにきたわよ」

「ど、ドリーさん?」

「それとお客さんも来ているみたいね」

 

これまたジュージューと気持ちのいい音を鳴らす、大きなピザを手にしたドリーさん。

そして彼女が言うお客さんは、先程まで一緒にいた2人だった。

 

「随分と賑やかのようだね」

「ふふ、私達もお呼ばれしていたのよ。わー、凄い豪勢ね」

「ランベルト先輩、ポーラ・・・・・・」

 

矢継ぎ早の祝福。突如として立て続けに起こる、サプライズの数々。

驚いている暇も無かった。言葉すら見つからない。

伝えたいのに、口が動かない。代わりにそれは、涙となって頬を伝った。

 

「みんな・・・・・・あり、がとう」

 

私の退院を祝う、大仰極まりない夕食会。

それは私の感謝の一言を皮切りにして、開始を告げた。

 

______________________________

 

その後もトワ会長にアンゼリカ先輩、ジョルジュ先輩。

サラ教官と、ナイトハルト教官までもが。

食堂は総勢20人近いメンバーによる、立食パーティの場と化した。

 

「アヤ、このポテトピザとやらも絶品だ。食べないのか?」

「あ、あはは。さっき食べたから」

 

ピザの上にこんもりと盛られたポテト。またポーラの実家から送られてきたそうだ。

フレッドさんの手により立派なピザの具材として活躍しているが、もう十分。

ユーシスはポーラによって逃げ場を塞がれたらしく、嫌々ながら口に運んでいた。

 

「そうだ。エステルとヨシュアから手紙が来ているぞ」

「手紙が?」

 

ガイウスから手渡された手紙に目を落とすと、そこには2人の近況が綴られていた。

手紙はヨシュアが書いてくれたようだ。随分と綺麗な字に思える。

 

手紙に寄れば、トヴァルさんが抱えていた案件も軌道に乗ったらしく、2人は既にリベールへ戻っているようだ。

仮とはいえ、私達はもう同業者と言っていいような立場にある。

何かあったら、お互いに助け合っていこう。手紙はそんな嬉しい言葉で締め括られていた。

 

「また会うこともあるかもしれないな」

「うん・・・・・・私にとっては先輩だしね。あ、そうそう」

 

手紙で思い出した。

私にも手紙と合わせて、届け物が寮に届いていた。

一旦部屋に向かい、その届け物を抱えて足早に食堂へと戻る。

以前手紙でロイドにお願いしていた、ラウラへのプレゼントだった。

 

「はい、ラウラ」

「む?・・・・・・こ、これはっ」

 

はぐはぐみっしぃ。

あのミシュラム・ワンダーランドでしか手に入らない、貴重な限定品。

先週にロイドが休暇としてミシュラムへ向かった際に、買って来てくれたのだ。

ラウラの右腕にそれをはめると、少しだけ顔を赤らめながら喜んでくれた。

 

「はは、可愛いじゃないか。似合ってるよ」

「そ、そうか?」

 

ナイス、リィン。彼にしては上出来と言える。

またお礼の手紙を書いておこう。最近は手紙を貰ったり返事を書いたりで大変だ。

でも気持ちのいい忙しさだ。それだけ外の世界とのやり取りがある。

殿下が言った繋がりは、きっとこういったことを含めてのものなのだろう。

 

ヨシュアやロイドの手紙を読み直していると、クロウとアンゼリカ先輩が近付いてきた。

ニヤニヤと、悪戯な笑みを浮かべながら。

 

「なるほどねぇ。何だかんだ言って、入院生活を楽しんでたんじゃねえのか?」

「アヤ君の男関係も更に広がりを見せたようだね。残念でならないよ」

「誤解ですから。変な言い回しは止めて下さい」

 

男関係、という言葉に皆が反応し、視線が一手に注がれる。

勘ぐるようなその視線は、私の隣に立つガイウスにも向けられた。

応えるように、ガイウスが言った。

 

「俺は別に。そんなことを気にしていたらキリがないだろう」

「「おおー・・・・・・」」

 

周囲から感嘆の声が沸き起こる。何だこの理不尽極まりない空気は。

私が浮気性とでも言いたげな雰囲気が気に入らない。

話題を変えるために、私は先週末に行われた交流会について触れた。

 

「3人には改めてお礼を言わないとね。とっても素敵な発表をしてくれてありがとう」

 

トワ会長言うと、ランベルト先輩もそれに続いた。

 

「立候補した甲斐があったというものだ。特にユーシス君は、馬術部の素晴らしさを身体を張って伝えてくれたようだね」

 

ランベルト先輩が笑い、トワ会長もうんうんと同意を示す。

私とポーラが苦笑し、ユーシスが顔を背ける。

そんな私達の挙動を、皆が不思議そうに見詰めてくる。

どうやらあの発表の場での出来事は、私を含め5人しか知らないようだ。

 

すると唐突に、ポーラは2つの使用済みクラッカーを手にし、それをトワ会長へと向けた。

 

「リリさん役、お願いできますか?あ、これマイクの代わりです」

「おい待て。何をする気だ」

 

ユーシスに構うことなく、ポーラは「お願いしますね」とトワ会長にクラッカーを握らせる。

続いて私の耳元で「私役、お願いね」と囁いてくるポーラ。なるほど、彼女の意図は読めた。

トワ会長は躊躇いながらも、ポーラの声を合図に、任された役を全うした。

 

「馬術部に入って、一番良かったと思えることはありますか。ユーシス君?」

「待てと言っているだろう!?」

 

その後はあの場の再現だった。

ポーラが私の頭を何度か小突き、私が彼女の頭をド突き倒す。

一字一句、あの時のユーシスの言葉をそっくりそのまま、ポーラが言った。

 

途端に沸き上がる歓声と笑い声。

素直に感動の声を上げるリィンやガイウスに対し、笑い転げる面々もいた。

マキアスに至っては、腹を抱えて爆笑していた。

 

「ククッ・・・・・・き、君は僕を笑い死にさせる気か。は、恥ずかしいにも程があるぞ」

「黙れ」

「コホン。馬術部にいる間、俺は1人のぶふっ!あははは!駄目だ、か、勘弁してくれ!」

「ポーラ!!」

 

ユーシスがポーラに詰め寄り、いつも通りの痴話喧嘩のような何かが始まる。

マキアスに釣られるように、笑い声は1つの声となり、食堂中に響き渡った。

 

どう見ても笑う場面なのに。

私の笑い声は尻すぼみとなり、次第に再び、目頭が熱くなってしまう。

 

今後も忘れることはないであろう、たった一夜の夕食会。

私のために集ってくれた、大切な仲間達。先輩に教官ら。

これだけの人間に、私は今支えられている。漸く私は、帰って来れたんだ。

 

9月20日、月曜日。夜20時。

身体中の痛みも忘れ、私は涙を堪えながら、小さく「ただいま」と呟いた。


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