絢の軌跡   作:ゆーゆ

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紫電と絢爛

高速巡洋艦、アルセイユ。

空の軌跡にも登場した、リベール王国が誇る大陸最速の翼。

 

そのⅡ番艦となる、カレイジャス。

全長75アージュ。最高速度はアルセイユに及ばないものの、サイズは約2倍。

最先端の技術を駆使し、高い装甲性能と迎撃能力を有している。

正規軍にも領邦軍にも属さない、皇族の船。第3勢力としての翼。

それが私達に語られた、カレイジャスの全てだった。

 

「諸君、そろそろオルディスの上空に着く頃合いだ」

 

艦長の座に腰を下ろしたアルゼイド子爵閣下が言うと、眼前のスクリーンに映像が映る。

艦体の眼下の光景のようだ。写真で見たことがある、特徴的な街並みが映っていた。

 

「ふむ。あれがオルディスか」

「うん・・・・・・もう着いたんだ」

 

朝9時に、士官学院のグラウンドまで来るように。

特別実習初日、サラ教官の指示に従った私達は、言葉を失った。

グラウンドに丁度収まるようなサイズの巨大な艦体が、頭上を舞っていたのだ。

私達は促されるままに、超が付く程の速度で実習地へと飛ぶことになった。

 

ツァイス中央工房に、エプスタイン財団。ラインフォルトグループ。

いくつもの団体と技術、様々な人達の力を借りながら、実現した第3の翼。

あの光の剣匠が艦長帽を被っている点も、牽制役以上の影響力を持つに違いない。

・・・・・・やり過ぎな感は否めない。こうして艦内に立っている今でも、実感が沸いて来ない。

 

「ルーレとオルディスは、どれぐらい離れているんだ?」

 

眼前のオルディスの街並みを見ながら、ガイウスが聞いてくる。

 

「多分、2000セルジュ以上はあると思うけど・・・・・・あはは。1時間経たないうちに着いたね」

 

最高時速、3060セルジュ。

その性能をフルに活かせば、あのクロスベルの端から端までをたったの10分間。

リィン達A班をルーレで降ろしてから、1時間と経たないうちにオルディスに到着である。

導力技術の進歩は、こんな代物まで生み出してしまうのか。足が竦んでしまう。

 

興味本位に、シャロンさんに子供染みた質問を投げかけてみた。

この艦体を生み出すのに、一体どれぐらいのミラが費やされたのか。

返された値に、思わず耳を塞いだ。この高速巡洋艦は、それだけの物が込められている。

たくさんの意志と決意。殿下の、国の誇り。

両の足で立つことすらも、気が引ける思いだった。

 

「そろそろ着陸するみたいですし、下船の準備をしましょうか」

 

エマが言うと、皆が頷きながら彼女の下に集い始める。

そろそろB班メンバーともお別れだ。私にできるのは、あとは見送るだけ。

 

「頑張ってね、みんな。トリスタから応援してるから」

「はい。頂いた冊子、ありがとうございます。参考にさせて頂きますね」

 

エマの手には、私がまとめたオルディスに関する資料があった。

最も力を入れたのは、ミリアムも言っていた水上バスの路線図や時刻表。

海の都を隅々まで歩き尽くすには、運河を駆け抜けるのが一番効率がいい。

 

一方で、年々増加する観光客数に比例し、公共の交通機関の運賃は上昇の一途を辿った。

中心街は特にひどい。10年前と比較して、差額は何と倍。それがオルディスが持つ、裏の顔。

そんな重い話は、今要らない。必要なのは、ミリアムのような笑顔だ。

 

「ミリアムも頑張ってね」

「うん!でもワインは買って来ないからね?」

 

ワインの一言に、Bの班の面々が私の顔を覗き込んでくる。

構うことなく、私は皆の背中を押しながら下船の準備を促した。

 

_____________________________

 

オルディスに降り立ったB班を見送った後、私は急ぎ足でブリッジへ向かった。

艦内の見学に気を取られていたせいで、大切な人達への挨拶をし忘れていた。

オリヴァルト殿下と、トヴァルさん。2人と再会できる日を、心から待ち望んでいた。

 

「お、やっと戻ってきたな」

 

ブリッジに戻ると、丁度2人の姿があった。

それにサラ教官と、皆がミュラー少佐と呼んでいた軍人さんも傍に立っていた。

トヴァルさんは待ってましたと言わんばかりに、高らかに笑いながら言った。

 

「よう、久しぶり。俺からの贈り物は受け取ってくれたみたいだな」

「はい。その、ありがとうございます。私なんかに、本当によかったんですか?」

 

トヴァルさんの贈り物。

それは当然、エステルを介して送られた準遊撃士(仮)としての資格を指していた。

トヴァルさんは情報収集役として、カレイジャスを担うスタッフとしてこの場にいた。

ずっと引っ掛かってはいた。エステル達を呼び寄せてまで、一体何をしていたのか。

2人に帝国での仕事を振ったのは、こちらに専念するためだったようだ。

 

「お前さんの知識と能力は認めてる。今までの実習の話も聞いていたからな。卒業後は、胸を張って準遊撃士として働くといい」

「・・・・・・身に余る評価だと思いますけど」

「そう謙遜すんなよ。俺はカレイジャスの件もあるし、今後も帝国中を飛び回ることになる。まだ先の話だが、行く行くはアヤにレグラムの支部を任せようと思ってんだ」

 

なるほど。今のうちから、その覚悟を持っておけというメッセージ。

それがトヴァルさんが私に仮免許を渡した理由だったというわけだ。

やはり私の身には余る言葉と待遇に思える。おそらく、サラ教官も同じだったのだろう。

 

「あら、あたしはまだ認めてないわよ」

 

言いながら、懐から私の遊撃士手帳を取り出すサラ教官。

途端にトヴァルさんは、その手帳と私を交互に見やりながら、声を荒げた。

 

「おいコラ。何でサラがアヤの遊撃士手帳を持ってんだ」

「言ったでしょう。あたしはまだ認めてないの」

「勝手に取り上げてんじゃねえよ!?」

「そっちこそ勝手な真似はよしなさいよ!?」

 

唐突に勃発した口論。

認めた、認めてないをお互いにぶつけ合う教官とトヴァルさん。

当の本人である私そっちのけである。これは暫く収まりそうにない。

 

とりあえず2人のことは置いといて。

一部始終を後ろで見守っていた2人にも、挨拶をしておかないといけない。

 

「殿下、お久しぶりです」

「元気そうで何よりだ。身体の方はもういいのかい?」

「はい、おかげ様で。カレイジャス・・・・・・凄い艦ですね」

 

ブリッジを改めて見渡しながら、感嘆の声が漏れる。

空の軌跡を読んでから、アルセイユには一度乗ってみたいとは感じていた。

Ⅱ番艦とはいえ、こうも早く夢が叶うとは思いもしなかった。

 

それに、リベール王国。

エステルらが語ったように、殿下はリベールとの絆も強いようだ。

彼だからこそ成し得た、アルセイユⅡ番艦の生誕。

こうして艦内に立っていられること自体、光栄なことなのだろう。

 

「ハッハッハ。驚かされたのは、私も同じだ。君は既に、エステル君達と出会っていたようだね」

「・・・・・・トヴァルさんから聞いたんですか?」

「ああ。君に空の軌跡を贈ったのは、それも理由さ」

 

殿下は語った。

国が違えば、何もかもが違う。複数ある国軍は、守るものが異なる。

国を成す民も、政治を取り仕切る人間も、文化も色も。

国境という名の殻に閉じ込もったままでは、見えてこない世界がある。知り得ない物がある。

 

そんな中で、唯一同じ紋章と意志を掲げる集団。

国境を越えた絆で結ばれた、志を共有する人々。それが遊撃士協会だった。

 

今なら殿下のお言葉の1つ1つが、胸に奥にストンと心地よく入ってくる。

私とエステル達のように、ロイド達のように。

今の時代、国を越えた横の繋がりは、大変に貴重で重要な意味を持つようになるはずだ。

この1ヶ月間で、私は何度もそれを実感してきた。

 

「私が君に期待していたのは、正にそれだ。私が考えていた以上の速さで、君は世界を広げつつある。その繋がりを、今後も深めていくといい」

 

再び、肩に重みを感じた。

今の私にとっては、その重さに不快感は抱かない。

トヴァルさんの期待。殿下の期待。精々踏ん張りながら、背負って見せよう。

私は絢だ。色糸の数が増えれば増えるほど、強くなれる。

 

「待て。空の軌跡とやらは、一体何のことだ?」

 

殿下の隣に立っていたミュラー少佐が、思いっきり怪訝な表情で殿下を問いただす。

確か彼は、あのゼクス中将の甥に当たるとガイウスから聞かされていた。

私は今日が初対面。彼にも挨拶をしておきたいところだが、ちょっと雰囲気が宜しくない。

殿下に対して、明らかに何かを疑いにかかっている。一体どうしたというのだろう。

・・・・・・というか今、殿下に対して溜め口で話していなかったか。

 

「ハッハッハ、言えるわけないじゃない」

「どうした。何故言えん」

「だって君、絶対に怒るから」

「ほう。面白いことを言うな」

 

殿下の胸倉を右手で掴み、締め上げるミュラー大尉。

客観的に見て、すごい光景だ。一軍人が、皇族の息を止めにかかっている。

この人こそ何者だ。まるで理解が及ばない。

 

「・・・・・・ああ、そっか。ロイドが手紙に書いていた、護衛役の軍人さん」

「む?」

 

ロイドの名を出した瞬間、ミュラー大尉の手から殿下が解放された。

今思えば、ロイドの手紙には、殿下に同行する護衛役の軍人の存在が書かれていた。

あれが彼だったなら、納得がいく。ロイド達の前でも、殿下に対し容赦が無かったそうだ。

 

「おい、彼女は何者だ」

「ケホッ、ケホッ・・・・・・前にも話しただろう?特科クラスに面白い生徒がいるってね」

 

もしかしなくとも、それは私のことだった。

どうやら2人にとって、エステルらやロイドらと面識がある私は、特異な存在のようだ。

どちらも私が何かをしたわけではない。ロイドに至っては唯の幼馴染である。

 

いずれにせよ、丁度いい機会だ。話が急に変わってしまうが、仕方ない。

この場を逃せば、私はまた確かめる術を失ってしまう。

 

「殿下。1つお伺いしたいことがあります」

「ん、何かな」

「身喰らう蛇は・・・・・・この国で、何をしようとしているんですか?」

 

名を出した途端に、2人の表情が消えた。

空気も変わった。一気に張りつめた緊張感が広がっていく。

 

テロリストと共に出現した、人形兵器の数々。

その存在だけで想像するに容易い。リベールの異変が、連中の手により引き起こされたように。

この国の裏で、何らかの形で暗躍している。それは皆も知るところだった。

 

私が確かめたかったのは、2年前。

異変の裏で発生していた、リベールへの侵攻。

導力停止現象という大混乱の最中、余りにもタイミング良く現れた第3機甲師団。

―――そう、タイミングが良すぎるのだ。

 

エステルらの話が事実なら、異変が生じてから1日と経たない中での進軍だ。

戦車部隊を主軸とする1個師団を、そう簡単に国外へ動かせるはずがない。

まるで異変が起きることが分かっていたかのような手際の良さ。

 

『その答えはきっと、オリビエさんが知っているんじゃないかな』

 

私が感じた、漠然とした引っ掛かり。それは多分、そこにある。

蛇の存在だけではない。何か1本、糸と繋がりが足りていない。

私がラインフォルトを通じて知りたかったのは、真実。

いつ誰がどこで、どうして導力無しで駆動する戦車を造り上げたのか。全ての鍵は、それだ。

 

「・・・・・・これは驚きだ。参ったね」

 

一連の疑念を述べ終えると、殿下が複雑な笑みを浮かべながら、言った。

 

「我々も全てを把握しているわけではない。だが・・・・・・君はいずれ、この国が抱える闇に触れるかもしれないね」

「闇、ですか?」

「ああ。それは君自身の力で、その目で確かめるといい。私が話すべきことではないさ」

 

予想していた通り、殿下の口から聞くことは叶わなかったか。

今の言葉にも、嘘はないのかもしれない。何せ相手があの結社だ。

歴史の裏で暗躍し続ける存在。一体何を仕出かすつもりなのだろう。

この国が向かう先も。私の目には、まるで見えてこない。

 

考え込んでいると、再びミュラー少佐が殿下に詰め寄っていく。

 

「もう一度聞くが、何故彼女はあの異変について詳しいんだ」

「さあ?エステル君達に聞いたんじゃないかな」

「何を隠している。言わんとその身ぐるみを剥ぐぞ」

「イヤン、ミュラー君ったら大胆っ」

 

実際に剥されかけたところで、私は見ない振りを決め込んだ。

視線の先では、サラ教官とトヴァルさんの2人が、今も声を荒げていた。

楽しそうだなぁ、この人達。愉快な時間は、あっという間に過ぎて行った。

 

______________________________

 

私達《Ⅶ組》を実習地へ送り届けたのは、あくまでついで。

本来の目的は、カレイジャスの処女飛行を帝国全土に披露することにあった。

ガレリア要塞の一件以降、国中に張りつめた緊張感が漂っている。

その緊張を和らげると共に、テロリストへの牽制にも一役買うというわけだ。

 

「高速巡洋艦カレイジャス・・・・・・また乗れるかな」

「どうかしらね。あなたは殿下に気に入られているみたいだし、頼んでみたら?」

「あはは。迷惑は掛けられません」

 

時刻は午後の13時。

私とサラ教官を士官学院グラウンドへと降ろしたカレイジャスは、既に視界から消えていた。

地上から見ると、改めてその速度に驚かされた。信じられない速さだ。

ともあれ、あれがこの国では今後、重要な意味合いを持つことになる。それは確かなはずだ。

 

「さてと。サラ教官、お昼は―――」

「待ちなさい、アヤ」

 

本校舎側へ歩を進めようとした矢先に、サラ教官が私を呼び止めてくる。

振り返るまでもない。その声からは、教官の意志が感じられた。

 

「身体、作って来たみたいね。少し見せてみなさい」

「・・・・・・そうですね。調子はいいです」

 

私は背に携えていた長巻を一刀、手に取った。ゆっくりと振り返りながら、鞘を払う。

復帰してからは、一度も抜かなかった。身体ができるまで、抜かないと決めた。

心が躍る。慣れ親しんだはずの感覚。鞘走りの音。

たったの1週間振りだというのに、どれもがひどく懐かしい。

 

「シュッ!!」

 

確かめるように、目の前の空間を十字に斬る。

剣が嘘のように軽い。入院中は、日に日に感じる重さが増していくばかりだった。

剣だけじゃない。身体全体が羽のように軽く感じる。壊す以前よりも、足が動く。腕も動く。

 

「サラ教官。見ての通りです」

 

剣先をサラ教官へと向ける。

いつの間にか、彼女の手にも剣と導力銃が握られていた。

教官は目を瞑りながら、私に問いかけてくる。

 

「アヤ。この国で遊撃士を目指すとして、一番必要なものは何かしら」

「力です」

 

考えるまでもない。私は被せるように、即答した。

何事にも、何者にも屈しない力。失った信頼を取り戻すための力。

一度は地に付いた膝を、二度と曲げないための確かな力。

 

「そう。あたしも色々と、方法は考えていたんだけど・・・・・・分かっているのなら、話が早いわ」

 

私は強くなりたかった。それにこうなると分かっていたのかもしれない。

いつか立ちはだかるであろう壁を、早く乗り越えたかった。

だから無我夢中で、身体を鍛え直し続けた。今それが、叶いつつある。

 

「あなたがその道を行くなら、あたしが言うことは何もない。でも今のあなたに、遊撃士手帳を渡すわけにはいかない。返してほしければ・・・・・・分かってるわね」

 

眼前で膨れ上がる闘気。当てられる気当たり。

一歩も退くな。今退いたら、私は夢を捨てたのと同じ。

どの面を下げて手帳を受け取ればいい。これが私の特別実習であり、実技テスト。

そして遊撃士の資格を得るための、試験。越えるべき壁だ。

 

常在戦場。あれは軍人の気構えのみに留まらない。

守るべき人々の身にいつ訪れるやもしれぬ災厄が、目に見えない行列を成している。

遊撃士も同じ。唐突に申し込まれたこの立ち合いを、拒んではならない。

 

「行きますっ!」

 

地を蹴り、迷いなく私は長巻を振り切った。

渾身の連撃。サラ教官は事も無げに、その全てを片手で捌いてくる。

思っていた以上に身体が動く。目もついて来ている。

技に陰りは見られない。ブランクも感じられない。

間違いない。今の私は、19年間の中で一番冴えている。

 

「怪我の影響は無いみたいね」

「何度言わせるんですか。見ての通りです・・・・・・っ!」

 

鍔迫り合いの状態から、力任せの薙ぎ払いで、後方に吹き飛ばされる。

距離が生まれたことで、サラ教官の導力銃が私へと向けられた。

焦るな。剣戟と同じだ。違いは線か点か。軌道さえ見えれば、捌ける。

 

続けざまに放たれた数発の銃弾を、刀身の腹で弾き返す。

鈍刀なら度台無理な芸当だが、この業物ならこれぐらい持ち堪えてくれるはずだ。

 

「お見事。そのうち斬弾も教えてあげるわよ」

「どうも。でも教官こそ、早く本気を出したらどうなんですか」

 

言うやいなや、サラ教官から発せられていた気当たりが止んだ。

途端に、色を帯びた剣気が見る見るうちに増大していく。

 

「痛ぅ・・・・・・っ!」

 

稲光のような光と、目が暗むような殺気。

肌が痛む程に痺れるのは、教官が身に纏う独特の剣気のせいだろうか。

 

1対1で対峙してみて、初めて肌で感じられる。

紫電のバレスタインの本気。あの光の剣匠を髣髴とさせる重圧。

それに今のサラ教官は教官ではない。一個人としての、サラ・バレスタイン。

一歩も退かないという決意でさえもが、揺らぎ始めていた。

 

「言っておくけど、加減はしない。覚悟しなさい」

「え―――」

 

急に距離が縮まったかのような錯覚に陥った。

気付いた時には、眼前にサラ教官が迫っていた。

 

慌てて間合いを取りながら、長巻で上段を受け止める。

全身を貫くような痛み。そして剣とは思えない程の重量が、両手に圧し掛かってきた。

一撃一撃が、途方も無く重い。それに速い。身体も目も、ついて行けない。

 

「はあぁっ!!」

 

隙間を縫うように、放たれた膝蹴り。

実技テストでガイウスが喰らったものと同じ膝が、私の腹部を襲った。

 

「がはっ・・・・・・!」

「何をしてるの。続けるわよ」

 

起こされるように、容赦の無い連撃が私に襲い掛かる。

呼吸が苦しい。退かないと決めたはずの足が、段々と後退を選んでしまう。

そんな状態で捌ききれるはずもなく、再度サラ教官の右膝が、私の腹部に突き刺さる。

私の身体は耐えきることなく、地に膝を付き、落ちてしまった。

 

「ぐうぅ・・・・・・げぇっ」

 

込み上げる胃酸が、私の口から地面に吐き出された。

食事前で良かったかもしれない。後だったら、全部無駄になっていた。

 

「立ちなさい。まだ終わってはいないわよ」

 

そんなことは分かっている。私は何もしていない。

グラウンドを汚してしまっただけだ。まだ一撃も、サラ教官に届いてすらいない。

 

「い、行きますっ」

 

口元を袖で乱雑に拭い取り、剣を構える。

このままでは駄目だ。何か1つでいい。手が届けば、それがキッカケになる。

 

「だああぁっ!!」

 

月鎚の上段。振り下ろした一撃が、たったの右腕一本で受け止められる。

サラ教官は一歩も退かない。むしろ前進しながら、私の技をいなしてくる。

これなら好都合だ。今の私には、間合いは必要ない。

 

身体をぶつけるように、鍔迫り合いの体勢からサラ教官と密着する。

ここだ。教官がそうしたように、剣が届かないなら、剣でなくていい。

―――アンゼリカ先輩。技を、借ります。

 

「泰斗流・・・・・・っ!!」

 

全身のバネと、気を瞬時に炸裂させる打拳。

零距離から放った技は、確かにサラ教官の身体に届いた。

 

(―――え?)

 

教官の身体が遠のいて行く。ふわりと、宙に浮く感覚。

吹き飛ばされたのは、私の方。打った側が、遥か後方に飛んでいた。

背中を打った痛みと、左腕に走る激痛が、その現実を物語っていた。

 

「あぐっ!?」

「寸勁、ね。いい打拳ではあるけど・・・・・・あたしに刺すつもりなら、もっと磨いてからにしなさい。腕が壊れるわよ」

 

理解できない。何故打った側が飛ばされる。

どれだけ膂力に差があればこうなる。左肩と肘が、壊れかかっている。

 

差があることは知っていた。相手は元A級の遊撃士だ。

それでも、私は甘かったのかもしれない。これ程の差があったのか。

遠い。何をしても、到底届くとは思えない。恐怖感すら抱きつつある。

 

「何度も言わせないで。立ちなさい」

「ま、待って。腕が―――」

「いいから立ちなさい!!」

 

屋内にいるかのように、サラ教官の声が周囲に響き渡った。

その表情からは、教官の胸中を窺い知ることはできなかった。

 

「分かってない。あなたは全っ然分かってない・・・・・・っ!」

 

膝を付いたままの姿勢で、サラ教官の剣を受ける。

たったの一撃で、月下美人は遥か後方に弾かれてしまった。

教官はそれすらも意に介すことなく、手を止めない。

 

「味方のいない、何の後ろ盾も無いこの国で、支える籠手の紋章を掲げる―――」

 

背に残されたもう一刀の月下美人。

縋り付くように握った剣と一緒に、私の身体は再度、宙を舞った。

受け身など取れるはずもない。もう胃液すら出ない。

代わりに、大粒の涙。熱を帯びた呼気だけが、衝撃で肺から吐き出されていく。

 

「―――その覚悟が、あなたにはまるで足りてない」

 

重い。唯々重かった。空っぽの胃に、ずしんと重く圧し掛かってくる。

吐き気すら覚える。サラ教官が喋る度に、背中や肩に重荷が重なっていく。

 

「今のあなたに務まるような軽いものなら、あたしは諦めたりはしなかった。その程度の力と覚悟しか見せられないんじゃ、手帳を返すわけにはいかないわ」

 

剣は映し絵であり、鏡。

受ける度に、サラ教官の感情が剣を介して流れ込んでくる。

明確な怒りと、悲しみ。迷い。熱いはずの激情が、冷やかに感じられる。

 

私はどうだろう。

溢れ出る涙は、一体どの感情が起因しているのだろう。

絶望に恐怖。痛み。恥じらい。悔しみ。

―――悔しい。この状況でそう思えるなら、まだ救いがあるのかもしれない。

 

「・・・・・・相変わらず、気の練り方だけは一人前ね」

 

立てる。まだ私は、立つことができる。

痛みも和らいだ。軟気功のおかげで、左腕も動く。

 

私はどうして、遊撃士になろうと思った。

今更になって思い出す。両親の墓の前で、全てが繋がった瞬間を。

あの時から、世界が変わった。出口の無い迷路の中で、確かに光が見えた。

立ち止まるわけにはいかない。まだ私は歩み始めたばかりだ。

 

このグラウンドに、私の全てを捧げる。

サラ教官が言うように、私の道は茨の道。自分自身で選んだ責任がある。

教官は真摯に私と向き合おうとしている。

何を言っても全部蛇足。言葉は不要。想いは剣に込めて、響かせろ。

 

「来なさい。あたしが全部受け止めてあげるわ」

「ふぅ・・・・・・うああぁっ!!」

 

届け。届け―――届け。

想いとは裏腹に、戦況は何も変わらない。

何をやっても、サラ教官には届かない。気持ちばかりが先行していく。

 

「1つアドバイスをしてあげるわ。あなたの剣筋は、一時を境に変わった」

 

連撃を捌きながら、サラ教官が言った。

一体何のことだ。私の剣は、変わってなんかいない。

誰にもそんなことを言われた覚えもない。

 

「母親の背中を追うようになってから、まるで借り物の剣よ。思い出しなさい、あなた自身の剣を。真似るだけじゃ限界がある」

 

―――心当たりなら、ある。

もしそうなら、私が遊撃士を目指すようになってからのことだ。

あれからずっと、お母さんの剣を追い求めていた。

記憶にあるお母さんの舞を、なぞるように剣を振るっていた。

それが剣筋に影響していたというのだろうか。少なくとも、自覚は無い。

 

「思うが儘に、剣を振るいなさい。そうすれば、あなたの剣もきっと『色』を帯びるようになる」

 

痛いところを突かれてしまった。

 

リィンの剣に、焔が集うように。

ラウラの剣が、光輝くように。

紫電。その二つ名の如き雷撃を、サラ教官が発するように。

長年に渡り剣を握っていると、独特の色味を纏うようになる。

 

リィンやラウラより劣っているとは思えない。

だというのに、私の剣には色が無い。未だに無色のまま。

 

「っ・・・・・・そう、その調子よ。心地いいリズムだわ」

 

意識はしていない。どうやら自覚するだけでも効果があるようだ。

掴んで見せる。そうでもしなければ、剣も想いもサラ教官には届き得ない。

まだ足りない。まだ私は出し切っていない。

力と意志の全てを剣に託し、無我夢中で剣を振るい続けた。

 

_____________________________

 

斬っては返され、蹴られ殴られ、吹き飛ばされ。

どれぐらいそうしていただろう。知らぬ間に、周囲は夕焼けに染まっていた。

グラウンドには、既にクラブ活動に興じる生徒の姿があった。

 

「・・・・・・どうやら限界のようね」

「ま・・・・・・だ、です」

 

何とか立つことはできた。

にも関わらず、剣が音を立てて地に転がってしまう。

勘弁してほしい。立ち上がるだけで、数分間の時間を要したというのに。

 

「もういいわよ。立たなくていい」

「嫌、です・・・・・・まだ」

 

まだだ。結局、何1つ届かなかった。

私は何も掴めてはいない。

 

私に託された、お母さんの剣。一体何が足りない。

お母さんの剣は、風の色だった。草原を撫でる風のように、鮮やかな翡翠色。

言われた通り思うが儘に、感じるが儘に振るった。

思い付く限りの技を使った。それなのに、何も変わらない。

 

悔し涙が鬱陶しい。泣く余裕があるなら、一度でも多く剣を握りたい。

サラ教官にも、お母さんにも顔向けができない。

私とお母さんが積み上げたシャンファ流は―――

 

(―――私と、お母さん?)

 

ピタリと涙が止んだ。

私でも、お母さんでもない。2人で一緒に築き上げた、我流の長巻術。

 

あれは全て『偶然の一致』だった。

丁度いい。気分転換に、一度踊ってみよう。

僅かながら、身体が軽くなった気がする。

 

「・・・・・・アヤ?」

 

オリヴァルト殿下から漢字の話を聞いて、私も一度調べたことがある。

絢。それが私の名を示す1文字。私が知りたかったのは、お母さんの名を示す漢字だ。

 

漢字は時に2文字1組となり、その意味合いを大きく変えることがある。

かと思いきや、本来の意味を強めることもある。私達の場合もそう。

 

私がお母さんから初めて教わった、舞台芸術としての剣舞。

覚えるまで2週間。完璧に舞えるまで更に2週間。

何度も何度も必死になって踊り続けた、私の原点。お母さんとの絆の舞。

 

私とお母さん。アヤとラン。

2人の剣を結びながら、全ての始まりに回帰しながら舞う。

 

「刀剣舞の狂い、第4演目―――絢爛」

 

煌びやかで美しく、華やかな様。

舞い終えた頃には、私の意識は段々と遠のいて行った。

色が、見えた気がした。

 

________________________________

 

唐突に踊り狂う様を見て、気が触れたのかと思った。

かと思いきや、突如として周囲が閃光に包まれた。

目を瞬いた直後。目に飛び込んできたのは、絢爛の刃。

 

色で表現するには、余りにも煌びやかで、眩しすぎる。

快晴の正午、頭上から降り注ぐ暖かな日の光のように。

陽が沈み掛ける時間帯に、窓枠から差し込む夕焼けのごとく。

長巻の刀身が太陽を思わせる光を纏い、巨大な刃と化す。

 

あたしの頭では、ありふれた表現しか思い浮かばなかった。

 

「・・・・・・綺麗ね」

 

別にアヤが未熟だったわけではない。

国中を放浪した、空白の4年間。それが色褪せてしまった原因。

埋め合わせるかのように、色付いた3年間。それが取り戻せた理由。

 

今のアヤの剣は、目が眩む程に光で溢れている。

何かを思わずにはいられない。他人の剣に心を動かされたのは、いつ以来のことだ。

まるで彼女の人生を在りのままに、力に変えているかのよう。

 

「ふふっ」

 

何はともあれ。こうも見事に引き出してくれるとは思ってもいなかった。

かの槍の聖女が操った騎兵槍を髣髴とさせる、巨大な光の刃。

躱すことは容易だろう。だがこの手で確かめてみたい。受け止めてみたい。

 

「仕切り直しよ、アヤ」

 

今となっては銃は無粋。一振りの剣で噛み締めてあげよう。

アヤは力と意志を私に示した。次はあたしが応える番だ。

この国の元遊撃士として、担任として。この役目だけは誰にも譲らない。

 

「―――った」

 

・・・・・・何だ。今アヤは、何を言った。

気のせいだろうか。光が小さくなっているように思える。

 

「アヤ?」

 

夕陽が沈んでいくかのように、光が尻すぼみとなり、消えていく。

やがて彼女の手から剣が離れ、乾いた音が鳴り響いた。

膝が折れ、崩れ落ちる直前に、何とかその身体を抱き留める。

 

「っとと・・・・・・ふぅ」

 

ぼそぼそと、何かを唱えるように呟き続けるアヤ。

完全に意識は失っていないようだが、これではもう立つことすら儘ならないはずだ。

正直に言って、あたしも疲弊し切っている。もう何時間も動きっ放しだった。

ここまで付き合ってくれたことも、少し予想外。

 

今し方見せた絶技を使いこなすには、まだ時間が掛かるだろう。

それも時間の問題。この子はあたしの想像の範疇を越えて、きっと強くなる。

あたしが紫電と呼ばれるように。強者は自然と二つ名で表現されるようになる。

絢爛。絢爛のアヤ。この子がそう呼ばれる日は、案外そう遠くないのかもしれない。

 

「あたしも素直じゃないわね・・・・・・合格よ、アヤ」

 

何かを漏らし続けるアヤの口に、そっと耳を近づける。

思わず笑ってしまった。この子らしいといえばこの子らしい。

 

久しぶりに今日は美味い酒が飲める気がする。

教え子と杯を交わす。あたしの小さな夢も、いつかきっと叶う時が来る。

腕に抱かれたアヤは、相も変わらず呪文のように、訴え続けていた。

 

「お腹、減った」


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