4月24日、朝9時過ぎ。
私達A班の5人は交易街ケルディックを目指し、大陸横断鉄道を駆け抜ける列車に身を揺られていた。
クロスベル自治州の玄関口であるクロスベル駅が完成し、帝都ヘイムダルが大陸横断鉄道で繋がったのは、ちょうど私が生まれた頃の話だ。その10年以上前には、帝都と主要4州都は既に鉄道路線で繋がっていたというのだから、驚きだ。現在でもその技術の進歩は目覚ましく、導力式の自動改札機などというものまで存在する。鋼都ルーレでの乗り換えの際、勝手が分からず戸惑っていた弟の姿はまだ記憶に新しい。
トリスタの駅を発ったのが、約1時間前。間もなく目的地に着くはずだ。
昨晩、ガイウスから渡された手紙に視線を落とす。
彼が言うように、皆変わりなく元気にやっているようで何よりだ。私の愛馬であるイルファも相変わらず気分屋だそうで、シーダが苦労しているらしい。
「随分と機嫌がよいようだな」
目の前に座席に座るラウラが、私の顔を覗き込むようにして問う。
「まぁね。ちょっと嬉しいことがあってさ」
「初の課外実習なだけに、私もそれなりに気を張っていたのだが・・・・・・ふふ、頼もしい限りだ」
そう言って笑うラウラは、同性の私から見ても大変に魅力的だった。
思わず見惚れてしまいそうになる自分を落ち着かせ、平静を装う。
「それは私も同じだよ。それに、そういうのはアリサに言ったら?」
私は隣の座席、リィンと『ブレード』に夢中になっているアリサに視線を送る。突然引き合いに出されたことに対し、「な、なんのことよ」と顔を赤くしながら返す彼女は、実に分かりやすい。今までの反動がある分、リィンとアリサのやり取りを見ていると、いい意味で気が解れる。
ちなみに通路を挟んだ反対側の座席には、サラ教官が気持ちよさそうに寝息を立てている。
こうして見ると、何とも可愛らしい寝顔だ。普段の教官からは想像できない。
「でもケルディックってのんびりした雰囲気の町だし、それを考えると自然に気が緩むんだよね」
「そうか。そなたは初めてではないと言っていたな」
「・・・・・・私がノルドに行く前の話だね」
車窓から風景を眺めながら呟いた私の言葉に、周囲の空気が微妙に変化したのを感じ取る。
視線を車内に戻すと、特に変わった様子はないものの、ラウラはどこか気まずそうな様子だ。
(・・・・・・当然、気になるよね)
特別意識していたわけではない。だが、私が進んで過去について語ることは、今まで一度も無かった。
ラウラの反応は、ある意味で当然と言える。
「・・・・・・気を悪くしたのなら、すまない。私もまだまだ未熟のようだ」
気付けば、ラウラは先程とは異なる、ばつが悪そうな表情を浮かべていた。
今度はこちらが心境を悟られてしまったようだ。
「ううん、こっちこそ。もしかして、顔に出てた?」
「ふむ。そなたも修行が足らぬようだな」
「あはは、お互い分かりやすい性格みたいだね」
その言葉に、私とラウラは思わず苦笑し合う。お互いに不器用な性分なんだろう。
「2人とも、そろそろ着くみたいだよ」
エリオットが『ブレード』を片しながら言うと同時に、車内アナウンスがケルディック駅に間もなく到着する旨を告げた。
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「へぇ・・・・・・ここがケルディックかぁ」
「のんびりした雰囲気だけど、結構人通りが多いんだな」
巨大な風車を中心として、木造建築を主軸とした町並みが醸し出す独特の雰囲気。出身によっては、新鮮味溢れる風景だろう。私の横では、アリサが大きく背伸びをしながら深呼吸を繰り返していた。
サラ教官曰く、特産品はライ麦を使った地ビールだそうだ。
ちなみにノルドでは、酒と言えばもっぱら乳酒―――馬や羊の乳から作られた、動物由来の酒のことを指す。一方で、帝国人との交流が少なからずあることもあり、帝国産のワインを始めとした酒類が入ることも珍しくはない。近年はそういった交流が増加している傾向にあり、特に帝国軍の監視塔が建てられて以降はそれが顕著のようだ。
酒に縁のない学生にとっては、特に興味も沸かない話題だろう。
「知ってる?ライ麦から作ったパンって独特の酸味と風味があって、これがまたお酒に合うの。ワインもいいけど、やっぱりビールとの相性は抜群ね。かるーくトーストすると香ばしさが際立つし、他の食材と合わせてもいいわね。スモークしたサモーナと合わせたり、しゃっきり玉ねぎでマリネを作って一緒に食べるのも最高よ。私はシンプルに熟成バターで食べるのが一番のお気に入りだけど・・・・・・うんうん、テンション上がってきたわ!あ、でも君達は学生だから飲んじゃダメだけどねー」
「・・・・・・」
捲し立てるように熱弁をふるうサラ教官に対し、案の定私以外の4人は何の興味も沸いていないようだ。
むしろドン引きだった。
それもそのはず、士官学院生の飲酒は校則で禁止されている。そもそも、未成年の飲酒自体が帝国法違反なのだ。酒の何たるかを説いたところで、心に響くはずもない。
「いや、勝ち誇られても」
「別に悔しくありませんけど」
当然ながら、リィンとアリサの心は全く動じていないようだ。
当たり前だ。私達は誇り高きトールズ士官学院生。
学生なのだ。
「そう?約1名はそうでもないみたいだけど」
「「え?」」
4人の視線が、その約1名に注がれる。
サラ教官の言葉に、熱々のライ麦パンを頬張った後、地ビールでそれを流し込み、特有の旨味とコク、喉越しを堪能する様を想像するも、士官学院生という立場である以上、それが叶わぬことであるという現実を受け入れられず、下唇を噛みながら耐えんとする女子学生がいた。
「・・・・・・こっち見ないでよ」
アヤ・ウォーゼル19歳。私だった。
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私達はサラ教官が紹介してくれた宿酒場『風見亭』の女将、マゴットさんが用意してくれた部屋で、荷物の整理をしていた。
2階が宿泊スペースとなっており、1階が酒場となっているあたり、トリスタのキルシェを連想させる。
「別に隠していたわけじゃないんだけどね。話すきっかけがなかっただけっていうか」
「私達より2つ上・・・・・・あ、エリオットは3つ上になるのね」
アリサの言う通り、私は今年で19歳。1年以上前に、成人の仲間入りを果たしている。サラ教官ほどではないにせよ、酒を嗜む心はあるのだ。
とはいえ、それはあくまで帝国法に基づいた概念だ。彼らと同年齢のガイウスも、ノルドでは既に成人として認められている。
「はは・・・・・・でも、合点がいったよ。アヤからは、どこか大人びた雰囲気を感じていたからな」
「あ、それは分かるよ。やっぱり僕だけじゃなかったんだね」
「嘘、私ってそんな目で見られてたの?」
「私は別段、意識してはいなかったが・・・・・・」
「私もラウラと一緒ね。言われるまで気付かなかったぐらいだし」
どこか納得のいったような表情の男子に対し、女子は特に思うところはないようだ。
もしかしたら、その違いはガイウスの存在に起因しているのかもしれない。
「さてと。エリオット、準備はいいか?」
「うん。それじゃあ、僕達は先に行くね」
2人はそう言うと、私達3人を残し部屋を後にした。
「・・・・・・はぁー。それにしても、まさか同室とはね。気が重いわ」
アリサは大きく溜息をつき、天井をみながらぼやく。
「仕方あるまい。これも訓練の一環と考えれば、気が楽になる」
「そうかもしれないけど、そう簡単には割り切れないわよ」
「そんなに嫌?私はそこまで抵抗ないけど」
「嫌に決まってるじゃない!すっぴんで寝起きの寝間着姿を見られるなんて!」
そういうものだろうか。
同じ女性の身でありながら、私と彼女らとでは感覚に大きな違いがあるようだ。
ガイウスの前では常識人ぶっているものの、もしかしたら私も相当ズレているのかもしれない。
「とりあえず、そろそろ出た方がいいんじゃない?待たせちゃ悪いしさ」
「ああ。今も気を遣って先に出てくれたのだろう。我々も早く身支度を済ませてしまうべきだ」
「わ、分かってるわよ」
マゴットさんから手渡された文書によれば、実習内容は3つ。
事の詳細は分からないが、こうして何気なく過ごしている間にも、残された時間は刻々と過ぎ去っていく。相変わらず説明不足な分、特別実習の最中であることを忘れてしまいそうになる。
私達3人はリィンとエリオットの後を追い、サラ教官がいる1階に降り立った。
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「ぷっっはあああああッ!!この一杯のために生きてるわねぇ!」
「随分安っぽい人生ですね」
「お、落ち着きなよアヤ。言い過ぎだよ」
1階に降りてみれば、既にほろ酔い気分のサラ教官の姿があった。
言ってしまえば、勤務中の飲酒である。今この場にハインリッヒ教頭でもいようものなら、ただでは済まされないだろう。
「はぁ・・・・・・それで、あの内容は何なんですか?実習の意図が全然見えてきませんけど」
「んー、まぁそうね。とりあえず、必須のもの以外は別にやらなくてもいいわよ?全部君達に任せるから、あとは好きにするといいわ」
「「・・・・・・」」
ますます分からない。やらなくてもいいと言われ、はいそうですかと返すわけにはいかない。
真意を伏せようとするサラ教官の態度は『特別オリエンテーリング』を連想させる。私だけではなく、誰もが彼女の言わんとすることを図りかねているようだ。
「―――もしかして、そうした判断も含めての、特別実習というわけですか?」
そんな膠着状態の中、一つの可能性を導き出したのはリィンだった。
その言葉の真意を汲み取ることはできないものの、これもあの時と同じだ。
誰よりも先んじて《Ⅶ組》への参加を決意した彼の姿を思い出す。
「・・・・・・うふふん。やっぱり『君』か。結構なことね」
リィンの問いに対し、サラ教官は満足気に頷く。
「A班は近場だから明日の夜にはトリスタに戻ってもらうわ。それまでの間、自分たちがどんな風に時間を過ごすのか。せいぜい話し合ってみることね」
そう言い終えるやいなや、教官は再び木製ジョッキを口に運ぶ。あとは自分達で考えなさい、ということだろうか。
「ふむ。そなたには思い当たる節があるようだな」
「とりあえず一旦外に出よう。ここじゃ他の客の邪魔になるからな」
リィンの言葉に従い出口に向かおうとした矢先、私は「アヤ、ちょっといいかしら」とサラ教官に呼び止められた。
「ごめん、先に行ってて」
「ああ、宿の前で待ってるよ」
4人を見送った後、私はサラ教官に向き直る。
わざわざ私以外の4人を外したのだ。ここから先は、真面目な話に違いない。
「それで、何ですか?」
「そうね―――単刀直入に訊くわ。リィンのこと、あなたはどう思う?」
「・・・・・・はぁ?」
突然何を言い出すんだこの人は。酔っ払った勢いで生徒に絡むつもりだろうか。
「ちょっと、勘違いしないでよ。彼の人となりを聞いてるの。色恋沙汰に興味はないわ」
「なら最初からそう言って下さい・・・・・・そうですね」
気を取り直して、私はリィンと共に過ごした1か月間を振り返る。
付き合いは短いものの、私は思うがままに自分の目に映るリィン・シュバルツァーという存在を語った。
「優しいし、気配りができるし・・・・・・いつの間にか、みんなの中心にいるような感じです。本人は無自覚だと思いますけど、それがリィンの魅力なんだと思います」
「なるほどね。まぁ概ね同感だわ。じゃあ、アヤは?」
「私、ですか?」
戸惑いに似た色が、かすかに浮かぶ。
「《Ⅶ組》という試みは無謀だと言えるわ。『身分や出身に囚われないクラス』なんて、聞こえはいいけどね。その中でも『出身』って意味じゃ、あなたは特別だわ。それは認めるわね?」
「それは・・・・・・はい。私もそう思います」
おそらく、教官の言うことは正しい。
《Ⅶ組》全員の事情を知っているわけではないが、その中でも自分の生い立ちはとりわけ異質のはずだ。
「帝国という枠に収まらないあなたは、《Ⅶ組》にとって重要な存在なのよ。リィンとは違う意味合いでね」
「・・・・・・買いかぶり過ぎです。それに、言っている意味がよく理解できません」
「でしょうね。正直、あなたの出身はどうだっていいのよ」
「ええ?」
余計に頭がこんがらがってきた。それでは最初の話と繋がらない。彼女は一体何を言わんとしているのだろうか。
そう思っていると、入り口の方からアリサの声が聞こえた。
「ちょっとアヤ、まだ掛かるの?」
「あ、ごめん。今行くから・・・・・・サラ教官、もういいですか?」
「ルイセちゃーん、ビールのおかわりおねがーい♪」
これだ。散々思わせぶりなことを言っておいて、この人は。
「・・・・・・ああもう。あまり飲みすぎないで下さいよ、サラ教官」
「はいはい」
アヤは踵を返し、皆のもとに向かう。
そんな彼女の背中を見つめるサラの目は、教え子を想うそれに他ならなかった。