絢の軌跡   作:ゆーゆ

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復興支援②

遊撃士協会、クロスベル支部。

ここクロスベルで暮らす住民にとって、遊撃士は国際的な問題から頼りにされることが多い。

この年になって、その意味合いを漸く理解しつつあった。

 

帝国派と共和国派。

2つの派閥を持つこの自治州は、両者からの圧力としがらみによって、常に揺れ動いている。

そこには安定など無い。政治基盤は極めて弱く、住民からの信頼も薄い。

だからこそどちらにも属さない、信頼に値する第3の力を欲しているのだろう。

 

そう考えてみれば、革新派と貴族派が火花を散らす帝国も、同じなのかもしれない。

異なるのは第3の力。抑止力であったはずの遊撃士が、姿を消したことに他ならない。

 

「失礼しまーす・・・・・・」

 

東通りに本拠地を構える、クロスベル支部。

記憶の中のそれと今でも変わりはない。強いて言うなら、外壁の塗装が真新しいぐらいか。

扉を開けると、一気に様々な記憶が思い起こされていった。

 

「あらいらっしゃい。見ない顔ね?」

「えっと、おはようございます」

 

受付けのカウンターに立つ女性―――もとい、男性。

その特徴的な出で立ちも、7年前の通りだった。

男性は私の顔を見ると、ペンを取りながら室内の時計へ視線を移し、書類にペンを走らせ始める。

 

「依頼があるなら、アタシが聞いてあげるわよ。ウチは初めて?」

「いえ、依頼があるわけじゃないんです」

 

慣れた手つきで書類を用意し始めたその手が、私の声でピタリと止まった。

見ない顔。彼は今そう言った。一目で思い出して貰うには、やはり時間が流れ過ぎている。

こうして顔を合わせたのも、おそらく数回しかないはずだ。

 

「私はユイ。ユイ・シャンファです。お母さん・・・・・・ランの娘です。覚えて、いませんか?」

 

お母さんの名を口にした途端、男性の手にあったペンがコトリと、床に落下した。

私の顔と名前だけでは、こうはいかなかったかもしれない。

この場所には、お母さんの名が今も息づいている。それが肌で感じられた。

男性の表情も見る見るうちに変わっていき、やがてその手がそっと、私の頬に触れた。

 

「ユイ・・・・・・ユイちゃん。あらヤダ、本当にユイちゃん!?ユイちゃんなのね!?」

「は、はい!ユイでって痛たたたた!?」

 

カウンター越しに抱きつかれ、身体が海老反りの形に曲げられた。

こんな姿勢では息ができない。完璧に極まってしまっている。

こちらも感極まってはいるが、頼むから落ち着いてほしい。

 

落ちる一歩手前で解放された私は、呼吸を整えながら改めて名を名乗った。

まずは私をアヤと呼んでほしい。そんなお願いに、ミシェルさんは2つ返事で了承してくれた。

 

「あなたの話は随分前から聞いていたのよ。8月にも一度、こっちに来ていたんでしょう?どうして顔を出してくれなかったの?」

「あ、あはは。その、あの時は深い事情があったので」

 

ロイドと一緒に、両親の墓参りに向かった時のこと。

あの後、私はこのクロスベル支部に、挨拶へ向かう予定だった。

だが私は思い立ったが最後、全速力でクロスベル駅へと向かい、帝国に帰ってしまったのだ。

何を隠そう、想い人に告白するためだった。話せるわけがないし、今思えば不義理極まりない。

 

大まかな事情は既に聞かされていたようで、私は掻い摘んで身の上話を打ち明けた。

お母さんが亡くなった後、私は帝国で独り生き延びていたこと。ノルド高原に流れ着いたこと。

そして現在、士官学院の学生として生活していること。

一連の話を、ミシェルさんは穏やかな笑みを浮かべながら聞いていた。

 

ミシェルさんも、私とお母さんが行方知れずになった後のことを話してくれた。

オーツ村の惨劇の後、このクロスベル支部から帝国の各支部へ、ある捜索依頼が伝わった。

遺体が確認されていない以上、お母さんの1人娘である私が、帝国のどこかにいるはず。

そんな内容が国中へ広がったものの、結局私の所在は掴めず仕舞いだった。

次第にユイの名は忘れ去られ、このクロスベル支部だけが、希望を捨ててはいなかった。

 

事が動いたのは、その7年後。

遊撃士と繋がりを持つ者の中で、初めて私の素性に触れたのが、サラ教官だった。

教官は直にクロスベルを訪れ、唐突にある申し出を、ミシェルさんに願い出ていた。

 

「それって、もしかしてこれのことですか?」

「ええ、そうよ。突然そんなお願いをされて、戸惑っちゃったわ」

 

私が取り出したのは、お母さんの遊撃士手帳。

5月末にサラ教官が私に贈ってくれた、数少ない思い出の品。

どうして教官がそれを入手するに至ったのか、漸く合点がいった。

そしてその際に、ミシェルさんは思い掛けない事実を知らされていた。

それが私。ユイではなく、アヤとして生きる私の存在だった。

 

―――その手帳を、あの子に託したいんです。この地を再び訪れる決心がつくその日まで、彼女の存在は伏せておいて貰えませんか。

 

「そうだったんですか・・・・・・改めてお礼を言わせて下さい。お母さんの遺骨を引き取って、お墓を建ててくれて。実家の方も、この支部の皆さんが管理して下さっていたと聞いています」

「お礼なんていいのよ。ここで受付け役を任されてから、ランさんにはお世話になりっ放しだったしね。それにアタシからも、お礼を言わせてちょうだい」

 

無事に帰って来てくれて、ありがとう。

ミシェルさんは言いながら、目元に浮かべた涙を人差し指で拭った。

 

今でもよく覚えている。

あれは私がまだ10歳になる前、ドシャ降りの雨音が外から聞こえてくる日のことだった。

今日は早く帰ると言っていたはずのお母さんが、陽が暮れても一向に姿を見せない。

心配になった私は、傘も持たずに単身、このクロスベル支部へと足を運んだ。

その際、びしょ濡れの私を出迎えてくれたのが、受付け役を始めたばかりのミシェルさんだった。

 

「そんなことがあったわね。あなた、アタシを見た途端に泣きだしちゃうんだから、驚いたわよ」

「無理もないと思いますけど。初見のミシェルさんは迫力あり過ぎです」

「言うようになったじゃない。ま、否定はしないけどね」

 

お互いに笑いながら、昔話に花を咲かせ始める。

本当に、もっと早くここへ来るべきだったと思う。随分と時間が掛かってしまった。

 

それにこの人にも、話しておくべきだ。

そう思い、私は右手で胸ポケットにある、もう一冊の遊撃士手帳を取り出した。

そして背負っていた長巻を一振り、左手に。

ミシェルさんは食い入るように、交互にその2つを見詰めていた。

 

「この話、聞いてますか?」

「勿論よ。遊撃士協会は横の繋がりがとても強いの。あなたのことも聞き及んでいるわ。でも改めて、アヤ。あなたの口から聞かせて貰えるかしら」

 

自然と、ミシェルさんの頭上へ視線が移った。

そこには横長の板が掲げられ、遊撃士協会規定基本3項目が、達筆な字で書かれていた。

 

不思議な感覚だった。昔はお母さんの職場でしかなかった。

でも今は、私の番。頭上に掲げられた理念に則り、役目を全うする番だ。

 

「私、お母さんと同じ道を歩きます。まだ仮ですし、正式な資格ではありませんけど・・・・・・この街のためにできることがあるなら、私も力になりたいんです。今日はそのために来ました」

「・・・・・・もう。年を取ると、涙腺が緩んで仕方ないわね」

 

記憶が正しければ、まだ30を過ぎたばかりだろうに。

私が選んだ将来を、こうして喜んでくれる人がいる。それだけで、こちらも涙が零れそうになる。

 

ミシェルさんによれば、この支部に籍を置く遊撃士は出払っているそうだ。

復興支援に加えて、遊撃士としての通常業務の数々。予想通り、人手が足りていないらしい。

 

「あなたに正式な依頼を任せるわけにはいかないけど、復興作業の支援依頼は山積みで、後回しになっているものが多いのよ。あなたにはそれを手伝って貰うわ」

 

ミシェルさんが書類の束をペラペラと捲り始める。

その中から3~4枚の書類を取り出し、別の白紙へとペンを走らせていく。

おそらく寄せられた依頼内容を、別紙へと転記しているのだろう。

 

「アヤ。あなた自炊派?それとも買い食い派?」

 

突然選択を迫られた二者択一。何か関係があるのだろうか。

どちらかと言えば前者だが、この場合、質問の意図は他にあると考えた方がいい。

 

「まあ、人並み程度の料理経験はあると思いますよ」

「それで十分よ。まず初めに、ここにある住所に向かってちょうだい。話はそこで聞けると思うわ」

 

手渡された書類へ視線を落とす。

アパルトメント『ロータスハイツ』。住所は旧市街区を示していた。

 

__________________________________

 

クロスベル市、旧市街区。

自由貿易都市として急激な発展を遂げた輝かしい一面の裏に、クロスベルが持つもう1つの顔。

住民は主に貧困層。開発から取り残された街区とあって、周囲に漂う空気は重い。

 

3ヶ月前にクロスベルを訪れた時、その余りの変わりっぷりに驚愕した。

一方の旧市街は、今も昔も変わらない。そう聞いていたはずだった。

と言っても、私はこの街区にほとんど足を踏み入れたことがない。

 

「何・・・・・・これ」

 

眼前に広がる、瓦礫の山々。以前の姿を知り、見比べる必要は無かった。

建物の多くが、跡形もなく倒壊していた。炭と化した木材の、焦げ臭さが充満していた。

中心街で聞こえる導力式の駆動音は聞こえない。耳に入ってくるのは、人工的な音だけ。

別世界だった。これが同じ市内の光景だなんて、誰が信じる。

少なくとも復興や再建の兆しは、どこからも見受けられなかった。

 

恐る恐る、道行く人々の邪魔にならないよう歩を進めていく。

やがて目に止まったのは、瓦礫の山を熱心に掘り返す、1人の少年の姿だった。

その両手は灰と泥に塗れ、痛々しい生傷まであった。

 

「えっと。君、ここで何をしているの?」

 

膝を曲げて視線を合わせると、少年は私の顔の前に1本の釘を差し出してくる。

 

「まだ使えそうな鉄材を探してるんだ。ほら、たくさんあるでしょ?」

 

少年の足元には、釘を初めとした鉄材が入った空き缶が置かれていた。

その隣には、同じ型の空き缶。中身は錆びてボロボロか、或いは折れ曲がり使えそうにない釘。

量は圧倒的に後者が多かった。この瓦礫の中から、年端もいかない男の子が、たった1人で。

そう考えただけで、胸が締め付けられる思いだった。

 

「ねえ君、名前は?」

「僕はカノン。おねーさんは?」

「私はアヤ。カノン君、私に両手を見せてくれるかな」

 

カノン君の手を取りながら目を閉じ、呼吸法を変える。

鍛錬を重ねたことで、軟気功を他者に施せることができるようになっていた。

実戦では使い物にならないが、掠り傷程度なら、私の術でも手が届く。

首を傾げるばかりだったカノン君は、すぐに自身の手の異変に気付いたようだった。

 

「すごい。これ、オーバルアーツ?」

「ちょっと違うけど、すぐに効き目があるから便利だよ。それじゃあ、頑張ってね」

 

止めるわけにはいかない。それは私の勝手でしかない。

多分、この街はそうなのだろう。年齢や性別は関係ない。

道を踏み外さないギリギリのところで、形振り構わず精一杯生きる。

帝国で独りになった私もそうだった。生きるためなら木の根を齧り、泥水を啜った。

 

カノン君の背中を見守っていると、不意に声と、音が聞こえた。

いくつもの音が連なり重なり、やがて心地良い旋律となり、胸の中に浸透していく。

間違いない。誰かが楽器を奏でながら、それに合わせ複数人が歌っている。

引き寄せられるように、私はその発生源へと歩を進めた。

 

そこには1人の女性が立っていた。

確かあれは、鍵盤ハーモニカという楽器だったか。

器用に片手で鍵盤を叩きながら、軽快なメロディが周囲に響き渡っていく。

そんな女性を囲むように、子供達が愉快な声で歌っていた。

中心の女性が足踏みでリズムを刻み、それに合わせて子供達がぐるぐると回る。

 

(あはは、楽しそう)

 

そこだけ世界が違っていた。色付いていた。

街中に漂う重々しく黒々とした空気が、その空間には微塵も無かった。

子供達の目もきらきらと輝き、活気が溢れていた。思わず手拍子で参加しそうになる。

どんな女性が弾いているのだろう。そう思い、顔を窺おうとした、その時。

 

「え?」

 

女性の顔に、見覚えがあった。

それに、彼女が身に纏う制服も。先月の中旬に、私は彼女と会話を交わしていた。

見間違えるはずがなかった。

 

「リリ・・・・・・リリさん、だよね?」

「へ?」

 

声と共に、ピタリと演奏が止まる。

途端に子供達から、不満の声が上がり始めた。

構うことなく、女性―――リリさんは、私の下へと駆けより、首に腕を回しがら言った。

 

「アーやん!?アーやんやん!何や、こんなところで何しとん!?」

「うわわっ」

 

やんやんやん。頭の中でこだまする、生まれて初めての呼び名。

戸惑うばかりの私は、やはり戸惑いながら驚くことしかできなかった。

交流会以来、約1ヶ月振りとなる再会だった。

 

_____________________________

 

「いやービックリしたわ。アーやんもクロスベルに来とったんやな」

「昨日の深夜にね。規制が解除されてから飛んできちゃった」

「私も似たようなもんやで。おかげで財布がスッカラカンでなー、稼がんと帰れへん」

「・・・・・・あ、そう」

 

我ながら無計画な旅だとは思っていたが、それ以上が隣に座っていた。

お裾分けとして、用意していた昼食の一部を見せると、勢いよく口に運んだ。

今朝から何も食べていなかったらしい。本当に無茶をする。

リリはポテトサンドを頬張りながら、クロスベル入りした経緯を話してくれた。

 

音楽院1学年、文芸部所属。リリランタさん。通称リリ。さん付けは嫌いと今日知った。

クロスベル市旧市街区で生まれ育った彼女の両親は、今から約4年前に蒸発。

孤独の身に追いやられてから、1人この街で力強く生き長らえていた。

そんなリリに転機が訪れたのが、昨年度のクロスベル自治州、創立記念祭。

 

小遣い稼ぎにと、歓楽街でパレードに合わせ、歌声を披露していた時のこと。

帝国から来たという、音楽関係者を名乗る男性に声を掛けられ、将来音楽の道を目指してみないかと勧誘されたそうだ。

 

「へえ、すごいじゃん。じゃあその人にスカウトされて、音楽院に入ったんだ?」

「初めはそんなんええから金くれやー言うたんやけど、おっさんも退かんかってんな」

「・・・・・・え、断ったの?何で?」

「そらそやろ。知らん外人にホイホイついて行く程、私もアホやないし。怪しすぎや」

 

そういうものだろうか。まあ彼女の境遇を鑑みれば、無理もないかもしれない。

リリが言うように、音楽院は帝国の高等学校。クロスベルとは世界が違う。

歌声を買われたことが事実でも、簡単に故郷を離れられるとは思えない。

それに、彼女は一度捨てられた身。見知らぬ男性をすぐに信用できるはずがない。

リリにはリリの生きる世界がある。それが、この旧市街だったのだろう。

 

「でも、結局は音楽院への入学を決めたんでしょ?」

「せやなー。学費は免除して貰えるって聞いとったし、音楽も好きやったしな」

 

言いながら、リリの視線と指先が、前方の子供達の輪に向いた。

中心には、先程までリリが弾いていた鍵盤ハーモニカを操る、少女の姿があった。

覚束無い手つきながらも、しっかりと旋律を奏でていた。

 

「あの楽器な、オトンが唯一買うてくれた玩具なんよ。あれと歌うことぐらいしか遊び方知らんし、取り柄も無い。せやからまあ、そんなんもええかなーって。私って単純やろ?」

「・・・・・・そうかな。私はそうは思わないけど」

「そうやねんて。まあええわ、アーやんは何で旧市街におるん?中心街生まれなんやろ?」

 

リリに代わって、今度は私が旧市街へ足を運んだ経緯を話し始める。

私もクロスベル出身であることは、既に話してあった。

ここへ来たのは、準遊撃士見習いとして、遊撃士協会を頼った結果。

どんな形でもいいから、復興の手助けをしたい。そう考えての行動だった。

 

「私のお母さんも、ここで遊撃士をやっててさ・・・・・・それが、一番の理由かな」

「オカンの後を継いでってわけやな。あはは、私より単純な動機やんか」

「あ、あはは」

 

思わず眉間に皺が寄ったが、悪気があっての発言ではないのだろう。

思ったこと感じたことは、自動的に口に出てしまう人間。

似たような知人は周りにもいるが、こうも潔い人と出会えたのはいつ以来か分からない。

 

「でもさ、リリってすごいよ。楽器1つで、あんなことができるんだね」

「人間なんてそんなもんやって。私がぱっぱらぱー歌ってぷっぷかぷー弾けば子供らは喜ぶし、大人共は笑う。単純な生き物なんやで。ドローメ以下や」

 

エリオットに続いて、何故かドローメを引き合いに出すリリ。

音楽家はドローメが好きなのだろうか。そんなことは今どうだっていい。

 

「さーて。ほんならもう1曲、ドデカいのいくでー!」

 

腰を上げながらスカートの砂埃を払い、リリが再び子供達の中心に立つ。

先程よりも一際強く、流れるような旋律が、リリの鍵盤ハーモニカから発せられる。

子供達もそれぞれの道具を手に、好き好きな音を上げ始めた。

空き缶を叩く音。木材同士をぶつける音。食器や瓶、ガラス。バラバラな演奏。

 

リリは全身を使い、地面までもを道具の1つとしながら、丁寧に音を拾い始めた。

楽器とは呼べないガラクタ達から響く音が、次第に1つ1つ、重なりを見せ始めていく。

その全てが繋がった時、そこには小さな楽団があった。

いつの間にか1人、また1人とリリ達を囲む人間が増え、全く別の空間が形成されていた。

年齢や性別も関係ない、彩り豊かな世界が広がっていた。

 

人の感情は、確かに単純かもしれない。だがそう簡単に動きはしない。

リリの声と演奏に心を動かされる人々がいるとするなら、それは彼女の力に他ならない。

私が剣を握るように、リリにとってはそれが声であり楽器。

彼女は彼女にしかなし得ない形で、このクロスベルに光を当てようとしていた。

 

「・・・・・・ありがとう、リリ」

 

面と向かって言えば、きっとリリはそんな筋合いはないと言って怒るだろう。

それでも私は、彼女の来訪にありがとうを言いたい。

今この街区に必要なのは、明日への希望。眼前に沸き上がる活気は正にそれだ。

結局彼女は、クロスベルへやって来た理由を話してくれなかった。

聞く必要もないし、想像するに容易い。リリはそれを行動で教えてくれた。

同じ故郷を持ち、意志を共有できる人間が、帝国にもいる。その事実が私をも支えてくれる。

 

演奏が終わると、周囲の住民から大きな歓声が上がった。

リリは素直にその喝采を受け取り、八重歯を覗かせながら笑っていた。

すると子供達の中の1人が、やや不満気な表情を浮かべながら、リリのスカート引っ張っていた。

 

「何や、どないしたん?」

「リリおねーちゃん。私おなかへった」

「もう少し我慢しいや。何や知らんけど、後で豚汁が食えるらしいで」

 

豚汁、か。

五彩味噌を使ったスープは、クロスベルを離れてからは口にしていない。

一般的な調味料だと思っていたが、どうやら地域性のある物らしい。

 

「あっ」

 

豚汁で思い出した。すっかり忘れていた。

リリのように、私にだってやるべきことがある。

慌てて腰を上げ、私はミシェルさんから受け取った住所の下に疾走した。

 

_________________________________

 

私の準遊撃士見習いとしての初仕事は、先月末のラマール本線での戦い。

たった数分間の足止めとはいえ、多くの乗客の命を背負う、絶対に負けられない戦いだった。

そして今、支える籠手の紋章を賭した、2回目の戦いが始まっていた。

 

「アゼル君、そろそろお味噌入れよっか」

「そうだね。大分煮えてきたみたいだ」

 

アパルトメント『ロータスハイツ』の一室。

私はミシェルさんから任された依頼を達成すべく、鍋の中で煮え動く具材と睨めっこをしていた。

内容は炊き出しのお手伝い。旧市街の住民の空腹を満たすため、寸胴鍋一杯の豚汁を作っていた。

 

遊撃士の使命は、民間人の生活と平和を守ること。

そのためには高い戦闘力が必要とされる一方で、こういった生活力さえもが求められる。

1つの能力や知識に特化しがちな軍人と違い、全般的な技能を養わなければならない。

要するに、命がけで剣を振るうこともあれば、豚汁を作ることもある。それだけの話だ。

 

「アヤさん、味見をお願いできるかい」

「え、いいの?」

「さっきからソワソワしてるし、食べてみたいのかなって思ってさ」

 

正にその通りなのだが。

初対面の男性に見抜かれていたともなれば、気恥ずかしいものがある。

まあ味見も重要な手順の1つだ。ありがたく頂こう。

汁を一口分だけ小皿へと取り出し、そっと口の中へ啜った。

 

「どう?」

「・・・・・・んぁ」

「えっ」

 

あー、これはやばい。やばいやばい。リリ風に言うと、これアカンやつや。

野菜と肉の旨味、味噌の風味が合わさって、言葉にならない。

豚汁は世界を救えると、今この瞬間だけは自信を持って言える。

最後に投入された『にがトマトペースト』だけが気掛かりだったが、心配は無用だったようだ。

 

「バッチリ。少しだけ煮込んだら持って行こう」

「よし、じゃあ僕は食器の準備をしておくよ」

 

アゼル君はそう言うと、慣れた手付きでテキパキと準備を進めていく。

調理の合間にできることは済ませてしまうところといい、大分手慣れているように思える。

 

「近くのバーでアルバイトをしてるからかな。それに、昔はよく姉さんの手伝いをしててさ」

「ふーん。お姉さんとここで暮らしてるの?」

「いや、実家はアカシア荘だよ。弟と3人で暮らしてるんだ」

 

アカシア荘。なら、アゼル君は東通り出身だったか。

炊き出しを任されているぐらいだから、ここで暮らしているとばかり思っていた。

それにしても、彼のお姉さんの名前には聞き覚えがある気がする。

 

「サリナ・・・・・・ああ、サリナさん?サリナさんなら知ってるよ」

「あれ、そうなの?」

「うん。日曜学校で何回かお世話になったと思う」

 

あれは私が10歳になる頃までの話だ。

日曜学校でも年長者であったサリナさんは、面倒見のいいお姉さんとして慕われていた。

と言っても、彼女は私のことを覚えていないかもしれない。

私自身名前を出されても、思い出すまで大分時間が掛かってしまった。

 

「3人暮らしかぁ。実家の方も大変なのに、炊き出しを買って出るなんて、働き者だね」

 

感心していると、アゼル君の手が止まった。

表情には笑みが浮かびつつも、その裏にはどこか寂しげで、悩ましい影が映っていた。

 

アゼル君は以前、あのワジ君が率いる不良グループに身を置いていた。

何が気に入らなかったのか。どうしてそんな真似をしていたのか。それは今でも分からない。

その話だけは、調理の最中に話してくれていた。

 

「1月の終わり頃だったかな。この旧市街でとある事件があって、大怪我を負ったことがあってさ。姉さんに散々迷惑を掛けておいて、その上気苦労まで・・・・・・流石にあの時は後悔したよ」

「・・・・・・そっか」

「だからアルバイトの件も、その償いみたいなものなんだ。褒められたものじゃないよ」

 

アゼル君は言いながら、自嘲気味に乾いた声で笑った。

人によっては、情けないと感じてしまう話なのだろうか。

私にはそうは思えなかった。

 

「それでも、私はすごいと思うよ」

「え?」

「償おうって思うだけなら簡単だけど、アゼル君はそうじゃないでしょ。それにほら、この豚汁。すごく美味しいしね」

 

豚汁が美味しい。その言葉にアゼル君は首を傾げてしまった。

我ながらよく分からない言い回しをする。まあ美味しかったのは事実だ。

少なくとも彼は、過去と向き合っている。今はそれで十分だと思う。

 

「思い出すなー。私も16歳ぐらいの頃は、煙草とお酒が大好きな非行少女だったんだよ」

「え・・・・・・え?嘘だよね?」

「あはは、ホントホント」

 

酒が好きなのは今も変わらない。が、喫煙歴だけは思い出したくない。

流れ着いた先のノルド高原。ガイウス達と出会うまでにポイ捨てした吸い殻は、土に還らない。

今でも払拭できない過去の汚点だ。できることなら、1つでも多くを拾い上げたい。

 

「とりあえず、今は炊き出しのことを考えようよ。もう豚汁もいいんじゃない?」

「あ、そうだね。じゃあ僕は中身を小鍋に移すから、2鍋目の準備をお願いできるかな」

「・・・・・・2鍋目?これで終わりじゃないの?」

 

寸胴鍋の中身をいくつかの小鍋に移しながら、アゼル君が説明してくれた。

前回炊き出しを行った際、量が不足してしまい、約半数の住民にしか行き渡らなかったそうだ。

受け取れなかった住民からは不平不満が続出し、危うく騒動になりかけてしまった。

今回は万全を期して、前回の倍以上の量を仕込む予定だった。

 

「あれ。でも材料がもう無いよね。どうするの?」

「ああ、それならもうそろそろ届くと思う・・・・・・っと、来たみたいだ」

 

言い終えると同時に、コンコンと扉をノックする音が聞こえて来る。

その材料とやらが届いたようだ。私は急ぎ足で音の下へ向かい、扉を開けた。

扉の先には、両腕と胸一杯に袋を抱えた、2人の男女が立っていた。

 

「・・・・・・何してるの、2人とも」

「は、早く中に入れて下さい!」

「同感だね。そろそろ腕が痺れてきたよ」

 

ノエルさんとワジ君だった。


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