絢の軌跡   作:ゆーゆ

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※ファルマガ掲載「ノエルの休日」の設定をお借りしています。


復興支援③

旧市街区と市政府。お互いが不干渉に徹することで形成された、クロスベル市の孤島。

非衛生、暴動、貧困、犯罪。自由と呼ぶには、余りにも荒廃した世界。

それはこの街区で暮らす住民達が求め、受け入れてきた現実でもある。

頼れるのは自分自身だけ。その覚悟で、誰もが目の前の今日を精一杯生きていた。

 

今となっては、部外者である私ですら、声を上げたくなる。

保障も補助金も出ない。外部業者を頼るお金も無い。瓦礫の山を片すだけで1日が終わる。

私にできることは、一体何なのか。過度な干渉は、同情や偏見と取られかねない。

 

それはきっと、リリの行動の中に答えがあるように思えた。

立ち上がるのは彼ら自身。私達はその手助けをすればいい。

だから私は、1鍋目よりも倍量の『にがトマトペースト』を、豚汁へ溶かし込んでいた。

 

「はーっ。温まるなぁ」

「シンプルだけど、その分素材の味が楽しめるよ。これはいい物だね」

 

器に盛られた豚汁を啜り、ノエルさんとワジ君が温かな息を吐いた。

味に影響は出ていないようだ。よし、これならいける。

 

時刻は既に昼時。

最初に作った豚汁は順調に減っていき、今は私が仕込んだ2鍋目が振る舞われていた。

1人1杯という制限はありながらも、行列は途切れることなく、長蛇の列が形成されていた。

 

「でも、私達まで頂いてしまっていいんですか?」

「勿論。2人が調達してくれた素材を使ってるんだし、誰も文句は言わないよ」

 

2人掛かりでやっと持てる量の具材を、全て惜し気もなく使ったのだ。

余ることはあっても、足りなくなることはないだろう。

それなら、2人にも味わって貰うのが筋というものだ。誰にも文句は言わせない。

 

豚汁の素材調達は、特務支援課に寄せられた正式な依頼だったそうだ。

市民の些細な要望から魔獣討伐まで、あらゆる任務をこなすとは聞いていた。

本当に何でも引き受けてしまうらしい。士官学院の生徒会を思わせる。

そんな彼らの誠実さが、この旧市街区でも慕われる要因なのかもしれない。

 

「何度も言わせるな!姉御の豚汁が欲しいなら一列に並べと言ってるだろう!」

「横入りした奴は姉御に詫び入れて最後尾から並び直しだ!」

 

声を荒げながら、豚汁を振る舞う不良グループ『テスタメンツ』の面々。

姉御って一体誰のことだろう。なんて、考えるまでもなかった。

 

「はは、随分気に入られたみたいだね。君、才能あるんじゃない?」

「何の才能なの・・・・・・」

 

そう呼ばれる理由は分かっていた。

誰にも言いたくはないし、私には全く関係が無い。本当に。胸の中に秘めておこう。

既に十数名の住民が、私に頭を下げては列の最後尾へと走る様を見る羽目になった。

悪いことをしているわけではないのに、こちらが申し訳なくなってくる。

 

豚汁の器で顔を隠す私の横では、ノエルさんが笑みを浮かべながら、行列を眺めていた。

その表情は感慨深げで、どこか充足した顔付きだった。

 

「こんなにたくさんの人に喜んで貰えるなんて、思ってもいませんでした。大変でしたけど、満ち足りた思いですね」

「あはは。そう言って貰えると、作った私も嬉しいよ」

 

ノエルさんにとって、今日が特務支援課としての仕事納め。

早朝の支援課ビルで、彼女は警備隊へ復帰する旨を、皆に打ち明けていた。

理由は警備隊の深刻な人手不足。警備隊はクロスベル市と同様に、深い傷を負っていた。

 

軍事学の授業で学んだことだが、クロスベルの警備隊は軍ですらない。

定義の違いは別としても、周辺各国の軍と比べて、その戦力差は歴然。

何せ戦車や飛空艇といった、近代戦において肝となる兵器の所持を認められていないからだ。

相手がテロリスト集団とはいえ、総力戦ともなれば、後手を踏んでしまうのも無理はない。

市政と一緒で、そこにも2つの属州国を持つが故の不安定さが起因していた。

 

誰も警備隊を責めることはできない。

多くの犠牲を払いながら、その身を盾にして生まれ故郷を守ってくれた人達がいる。

その事実を、私は忘れない。眼前の光景は、彼らが守り抜いたそれに他ならない。

きっとノエルさんにもそれが分かっている。だからこそ、警備隊への復帰を願い出たのだろう。

 

「ねえノエルさん。ノエルさんはどうして特務支援課に入ったの?」

「上官からの指示でして。出向の具体的な目的も告げられず、少し戸惑いましたけど・・・・・・でも、今なら分かります」

 

警備隊からでは、見えない物がある。

ノエルさんはそう言うと、再び豚汁目当ての行列を見詰めながら続けた。

 

「あたしが守るべき人達の姿が、最近はよく見えるんです。少し目線を変えるだけで、全然違った世界が見えて来ますから。あたしは何も知らなかったんだなって、素直に思えます。ワジ君のことも、そうかな」

「へえ、それは初耳だね。僕の魅力に漸く気付いてくれたのかな」

「そういう生意気なところは前から知ってたけどね・・・・・・」

 

小さく溜息を付くノエルさんと、からかいながら笑うワジ君。

見えない世界、か。それは私も同じかもしれない。

生まれ故郷にすら、私の知らない世界がある。恥ずかしい限りだ。

 

「それはともかく、あたしはまだまだ学ぶ立場にあります。アヤさんが通うっていう士官学院も、少し見てみたいですね」

「あー。朝も言ったけど、多分ノエルさんが考えているような学校ではないと思うよ」

「・・・・・・そうなんですか?」

「昔は違ったみたいだけど、今は一般教養も広く学べる、総合的な学校に近いんだ。軍属を志望する卒業生は、全体の4割ぐらいだったかな」

 

進路に悩んでいた分、そういった数値はしっかりと頭に入っていた。

4割のうちの3割が正規軍。1割が領邦軍。残りは千差万別。

テンペランスさんのように、まるで異なる世界に飛び込む生徒がいれば、私のような例外もいる。

ノエルさんがイメージしていたのは、軍人を養成する、軍そのものに近い教育機関のはずだ。

 

私が士官学院の概要を説明していると、今度はワジ君が関心を示し始めた。

 

「面白そうなところだね。なら、学校のお祭りみたいなイベントもあるのかい?」

「それなら丁度、今月末に学院祭があるけど・・・・・・知ってるの?」

「学生は1年の半分以上、そのために時間を費やすって聞いたことがあるけど」

「偏見過ぎるでしょそれ・・・・・・」

 

どこからの情報なのだろう。私達はそんなに暇ではない。

とはいえ、クラスによっては2ヶ月も前から準備していた人達もいるという話だ。

当たらずとも遠からず、かもしれない。

 

学院祭に触れたこともあり、次第に話題は私達《Ⅶ組》の出し物へと移って行った。

ロック調の曲を軸としたステージ演奏。とりわけ興味を示したのは、やはりワジ君だった。

 

「バックダンサーか。君なら華があるし、ピッタリだと思うよ」

「でも中々慣れなくってさ。東方の舞なら自信があるんだけど・・・・・・」

 

それなら、僕が教えてあげようか。言いながらワジ君は私の手を取り、歩き始める。

余りに突然の提案に、私は言われるがままに先導されてしまった。

 

「え、ちょ、まま待って。教えるって何?」

「そこのお姉さん。1曲お願いできるかい」

「イヤや」

 

豚汁を食べながら、視線をこちらに向けようともしないリリ。

当たり前だろう。急に1曲と言って、弾いてくれるわけがない。

彼女なら可能かもしれないが、こんな―――

 

「せやけどまあ、余った豚汁を分けてくれる言うんなら、弾いてやってもええで」

 

―――豚汁の力が、要らないところで発揮された。

いい感じに退路が断たれてしまった。どうすればいい。

ノエルさんにヘルプの視線を送っても、「諦めて」と言いたげな憐みの目を向けられてしまった。

 

「あー、いらんいらん。私はええから、豚汁はこの子らに分けたってや」

 

無駄にカッコいいリリが、息を吹き込みながら鍵盤を叩き始める。

知らない曲だった。曲調は私達が選んだ曲のそれに近いが、初耳に変わりはない。

だというのに、ワジ君は戸惑う私を意に介さず、手を取りながら軽やかに足を動かし始めた。

 

「だ、だから待ってよ。私のはこういうダンスじゃなくって」

「一緒さ。僕に合わせて好きに動いてごらん」

 

バックダンスではなく、所謂男女のペアーダンスだった。

なされるがままに、ワジ君に習いながら動いてみたはいいものの、やはり分からない。

足取りはバラバラで、傍から見ればただ歩き回っているようにしか映らない。

戸惑うばかりの私に、ワジ君は足を止めずに語りかけてくる。

 

「曲を気にし過ぎだよ。リズムとテンポだけを抜き取って、君が主旋律を奏でるんだ」

「リズムとテンポ・・・・・・」

 

エリオットを含め、今まで受けてきた助言の中で、一番グッと来たかもしれない。

物は試しにと、目を閉じながら、リリの演奏に耳を傾ける。

この際ワジ君はどうだっていい。足取りだけでも、自分の力で曲に合わせてみよう。

 

「そうそう、その調子。あとは僕が君に合わせるよ」

 

知らぬ間に、周囲から演奏に合わせ、手拍子を送られていた。

助長するように足が動き、身のこなしが軽くなっていく。

気付いた時には、たくさんの人々に囲まれていた。

初めはあったはずの恥じらいは薄れ、私は夢中になって舞い続けていた。

 

_______________________________

 

「だ、大丈夫ですか、アヤさん」

「ぜぇー、はぁ・・・・・・しっ、しばらくは無理」

 

同じ曲を何周したか、4週目から先は覚えていない。

3週目から、やけにテンポが速まったとは思っていた。

4週目からは明らかに速さが増した。私は負けじとそれについて行った。

鍵盤を叩くリリの体力に限界が訪れるまで、結局踊りっ放しだった。

 

「ふぅ。意外に器用なんだね。その調子なら、きっとステージでも上手く踊れるよ」

「へ、平気そうなのが何かムカつくっ・・・・・・!」

 

私が地べたに寝そべる一方で、ワジ君は優雅に額の汗を拭っていた。

肩で息をしてはいるものの、まだ余裕が有るように思える。

この辺は男女の違いだろうか。体力に自信はあったが、彼も相当鍛えているのかもしれない。

 

いずれにせよ、少し休まないと動けそうにない。

ノエルさんの膝枕が心地良い。このまま寝入ってしまいたい。

そう思っていると、頭上からノエルさんの声が聞こえてきた。

どういうわけか、若干不機嫌気味なそれに感じられた。

 

「それにしてもさ。ワジ君って、妙に女性の扱いに手慣れてるよね」

「随分と今更なご指摘だね。休日に『プレミアム』へ食事をしに行った時、しっかりエスコートしてあげたじゃない」

 

プレミアム。聞いたことがある。

歓楽街にオープンされてまだ間もない、VIP御用達の最高級レストランだ。

通商会議の前日に、各国の首脳陣がこぞって利用したことで、その名が大陸全土へと知れ渡った。

私達には手の届かない世界のはずだが、この2人はそんな場所で食事をしたことがあったのか。

というか、2人が一緒に食事という事実の方が、私としては意外だった。

新メンバー同士、気が合うところがあるのかもしれない。

 

「あの、アヤさん?ち、違いますからね。変な誤解はしないで下さい」

 

まだ何も言っていないのに、頑なに否定された。

まあ触れないでおこう。掘り下げたら、私が痛い目に合いそうだ。

 

視線を逸らしていると、今度は私の腰元のARCUSが鳴り始めた。

このクロスベルで私の番号を知る人間は、1人しかいなかった。

 

「は、はい。ロイド?」

『よお。オレオレ、ランディだ』

「・・・・・・ランディさん?」

 

ロイドかと思いきや、声の主はランディさんだった。

番号をロイドから聞いたのだろうか。彼と一緒に行動しているはずだし、そんなところだろう。

 

『ちょいとアヤちゃんに頼みごとがあるんだけどよ・・・・・・何だ、随分と息が荒いな。何やってたんだ?』

「あ、あはは・・・・・・ふぅ。その、ワジ君と、少しやりすぎちゃって」

『ワジイィィっっ!!?』

 

耳をつんざくような叫び声がARCUSから鳴り響いた。

キーンと耳鳴りが数秒間続き、耳の奥がズキズキと鈍い痛みに苛まれる。

勘弁してほしい。疲れている身に、これは辛いものがある。

 

耳鳴りが治まり掛けたところで、再び恐る恐るARCUSを耳に当てた。

 

『アヤさん、聞こえてる?』

「ああ、エリィさん。さっきのランディさん、何だったの?」

『私にも分からないのよ。それで、さっきランディが言っていたと思うけど、1つお願いごとがあるの』

 

エリィさん曰く、今日の午後一から商工会主催のチャリティイベントが開催される。

場所は行政区の市民会館。既に開催時刻が迫っている一方で、ある企画への参加者が思うように集まらず、困っているとのことだった。

 

『私達の方でも動いてはいたの。でもあと一枠がどうしても埋まらなくて、困っていたのよ』

「・・・・・・もしかして、それを私に?」

『ええ。もし時間が空いていたら、お願いできないかしら』

 

時刻はもう昼の12時半。午後からの開催ともなれば、もう残された時間は残り少ない。

私で力になれるなら喜んで引き受けたいところだが、肝心なことをまだ聞いていなかった。

 

「時間なら作れるけど・・・・・・それって、何をする企画なの?」

『それは―――え?』

 

返答を待っていると、通信機の向こう側から複数の声が聞こえて来る。

声量が小さくて、うまく聞き取れない。今更内容を確認しているのだろうか。

ノエルさんの膝枕から頭を上げて、待つこと約十数秒。漸くエリィさんとの会話が再開した。

 

『えっと。その企画っていうのが、『大食い選手権』っていう、食べる量を競う―――』

「出るっ!!」

 

声高らかに、旧市街のど真ん中で参加への意志を表明した。

 

_______________________________

 

「―――それで、そのミスコンとやらに参加させられちゃったわけ?」

「信じた私が馬鹿でしたよ、ええ」

 

陽が暮れ始めたクロスベル東通り街区、遊撃士協会クロスベル支部。

ミシェルさんから回された仕事を一通り済ませた私は、2階にあるソファーに腰を下ろしながら、少々ご機嫌斜めな色を浮かべていた。

 

遡ること5時間前。

クロスベルミスコンテスト―――働く女性よ、永遠に。

前菜の豚汁で胃を慣らした私を待ち構えていたのは、全く予想だにしない物だった。

全ての黒幕は、同じ参加者のウェンディ。ものの見事に引っ掛かってしまった。

唆されたとはいえ、ロイド達も相当切羽詰まっていたに違いない。

 

「その、すみません。勝手に遊撃士枠として参加しちゃって・・・・・・大丈夫でしたか?」

「問題無いわよ。女性人は皆出払っていたし、寧ろ助かったわ」

 

そう言って貰えると救いがある。こっ恥ずかしい思いをした甲斐があるというものだ。

どうもああいったのは苦手だし、気が引ける。だからこそ食べ物で私を釣ったに違いない。

そもそもチャリティイベントで大食い選手権だなんて、不自然極まりないだろうに。

私もまだまだ洞察力が足りていない。今後の教訓にしよう。

 

ちなみに選考については辞退した。元々クロスベル市民でもない私には資格そのものが無い。

私以外にももう1人、同じ理由で辞退した女性がいた。

クロスベル大聖堂に従事するシスターで、ロイド達の知り合いのようだった。

本当に大食い選手権が開催されていたら、おそらく私と彼女の一騎打ちになっていただろう。

だって私より食べてたし。豚汁分だけ負けていた。

 

「ん、誰か戻ってきたみたいね」

「え?」

 

1階から扉を開けるドアチャイムの音が聞こえて来る。

続いて、そのまま真っ直ぐ2階へと上ってくる足音。

依頼人ではなく、この支部へ所属する遊撃士の誰かが帰ってきたようだ。

 

慌ててソファーから身体を起こし、両足で立つ。

遊撃士は私にとって、誰もが先輩に当たる人間だ。失礼な言動は慎まなければならない。

直立不動の姿勢で階段を見詰めていると、そこには長刀を腰に携えた、長身の男性の姿があった。

 

「アリオスじゃない。早かったわね」

「ああ。予定よりも早く片付いた」

「・・・・・・え゛っ」

 

思わず奇妙な声を上げてしまい、口を手で押さえる。

先輩どころの話ではなかった。同じ志を共有しながらも、雲の上の存在が、目の前に立っていた。

 

「お疲れ様。それなら久しぶりに、シズクちゃんのところに行ってあげたら?」

「いや、これからオルキスタワーへ向かう。既に先方にも連絡済みだ」

「あら、また?最近多いわね。支部の代表として参加して貰うのはありがたいけど、無理はしないでよ」

「分かっている・・・・・・ん?」

 

男性と私の視線が交わり、一気に身体が強張ってしまう。

 

アリオス・マクレイン。現A級遊撃士。

遊撃士のみならず、剣を握る人間なら、『風の剣聖』の名は誰だって耳にしたことがある。

国境を越えて各地が取り沙汰する、大陸でも5本の指に入る剣士。

お母さんが健在だった頃、何度か話してくれた「あたし以上の使い手達」。その1人だった。

 

「ミシェル、彼女は?」

「以前何度か話したでしょう?ランさんの娘さんよ。今日は支援作業のために来てくれたの」

「ラン・・・・・・そうか、彼女が」

 

アリオスさんは小さな笑みを浮かべると、私の前にその右手を差し出してくる。

何て大きい手だ。性別や体格の違いを超えて、一際その手が広く、大きく感じられた。

 

「アリオス・マクレインだ。話はミシェルから聞いている」

「ゆ、ユイ・シャンファです、今はアヤ・ウォーゼルといいます」

 

アリオスさんは私の手を取ると、お母さんの話を聞かせてくれた。

お母さんが彼を知るように、アリオスさんもまた、同じ剣の道を歩むランの名を知っていた。

アリオスさんが遊撃士となったのは5年前。お母さんが知るのは、警察官としての彼。

直接の面識は無かったものの、お互いの腕を認め合った関係だったそうだ。

 

「優秀な遊撃士だったそうだな。君も遊撃士を目指していると聞いたが?」

「トヴァルから仮免許を貰っているそうよ。いい経験になると思って、今日も存分に働いてもらったわ」

 

ミシェルさんは数枚の書類を取り出すと、それをアリオスさんへと手渡す。

見れば、それは私が今日取りまとめた報告書の数々だった。

 

チャリティイベントが終わった後、私は残りの依頼を済ませるべく、市内を奔走した。

物資の配達から素材調達等々。内容はバリエーションに富んだ物だった。

数は多かったものの、非公式な依頼なだけに、難易度自体はどれも低く感じられた。

 

アリオスさんは報告書を1枚ずつ確認しながら、ページを捲っていく。

すると怪訝な表情で、ゆっくりとミシェルさんに視線を移した。

ドキリと胸が跳ね上がった。報告書に何か不備でもあったのだろうか。

 

「・・・・・・ミシェル、随分と無茶をさせたな」

「アタシだって驚いたわよ。2日分をまとめて任せたつもりが、たった半日でこなすだなんて。報告書までしっかり作成してくれたしね」

「え、あれ?そうだったんですか?」

 

私の滞在期間は明日まで。それはミシェルさんにも話してあった。

それでもあれが2日分とは考えてもいなかった。事実、既に依頼は一通り達成できているはずだ。

報告書のまとめ方は実習で慣れているし、既定の書式や作成方法もレグラムで経験済み。

単独行動とはいえ、最近は1人で行動することが多かったこともあり、何の違和感もなかった。

 

「見習いにしては出来過ぎているが・・・・・・本番はそう易々と事は運ばない。遊撃士にイレギュラーは付き物だ。これからも精進するといい」

「き、恐縮です。ありがとうございます」

 

身に余る評価ということはよく理解していた。

分かっていても、思わず飛び上がりたくなる。夢のような瞬間だった。

 

アリオスさんはミシェルさんとのやり取りを済ませると、急ぎ足で協会支部を後にした。

オルキスタワーに向かうと言っていたが、こんな時間からまだ仕事があるのだろうか。

 

「今後のギルドの対応について、市議会と協議中なの。優先順位や人員の割き方を考えるのはアタシの仕事だけど、今はクロスベル全体で考える必要があるのよ」

「それはよく分かります。今日も色々と見聞きしてきましたから」

 

都市機能を取り戻すには、主要施設の復旧が最優先。

旧市街のような街区は後回しにするしか手立てがないが、だからといって放置もできない。

最低限の手を差し伸べるために、市政が遊撃士協会や特務支援課と連携を図る必要がある。

それをアリオスさんが取り持ってくれているのだろう。

 

「1人で抱え込むような真似だけはしてほしくないわね。アタシが言わないと、間を置かず働き続けちゃうのよ」

「大変ですね・・・・・・あっと、すみません」

 

会話を切り、着信音を鳴らすARCUSを手に取る。

表示されているのはロイドの番号。今度は確かに彼からの通信のようだ。

 

「はい、アヤです。ロイドだよね?」

『ああ。今大丈夫か?』

「うん。どうかした?」

 

内容はノエルさんの送別会についてだった。

早朝の支援課ビルの場で、今日はノエルさんのために、送別会を開こうという話になっていた。

ロイド曰く、課長さんのご厚意で、私も送別会に誘ってはどうかという案が挙がっているそうだ。

 

嬉しい誘いではあったが、私はパンセちゃんに食事を用意する必要がある。

その旨を伝えると、今度はパンセちゃんとウェンディの参加までもが認められてしまった。

・・・・・・大丈夫だろうか、課長さんの財布。奢りらしいが、既に総勢10名を超えている。

 

「えーと。本当にいいの?」

『ああ。もうお店は取ってあるから、19時にヴァンセットへ来てくれ』

「分かった。じゃあ、19時にね」

 

通信を切り、腰元のホルダーへとARCUSを戻す。

ごめんなさい、課長さん。今すっごくお腹減ってます。

 

_________________________________

 

送別会はノエルさんの挨拶に始まり、課長さんの音頭で乾杯が行われた。

初めはノエルさんを労う他、別れを惜しむ声や話題が多かった。

次第に四方山話に花を咲かせるようになり、結局は愉快な酒の席と化した。

 

意外にも、皆に酒を勧めたのは課長さんだった。

こんな状況下だからこそ、楽しめる時は楽しんで、しっかりと英気を養い夜は休む。

そして明日も目一杯働けばいい。それが課長さんの言い分だった。

 

送別会というものは初めての経験だったが、ノエルさんにも愉しんで貰えたようだった。

課長さんには、皆でご馳走様ですと頭を下げた。おそらく、かなりの額だったはずだ。

 

そして現在、午後21時過ぎ。中央広場、喫茶レストラン『ヴァンセット』入口前。

既にキーアちゃんはロイドの背中の上で夢の中。

パンセちゃんもウェンディに連れられ、一足先に部屋へと戻っていた。

 

「おーし。このまま俺の部屋で2次会といこうや」

「ランディさん、まだ飲むんですか・・・・・・近寄らないで下さい。お酒臭いです」

「はは、相変わらず酒に強いよな。ランディは」

 

店を後にした私達は、支援課ビルを目指しながらゆっくりと歩を進めていた。

日常的に酒を嗜むランディさん以外は、皆ほろ酔い程度に酒が入っている。

ティオちゃんとワジ君は未成年なので当たり前だが、私も同じく素面。

今日は初めてノンアルコールビールなるものを飲んだ。

癖のある味わいだったが、気分だけでも飲んだ気になれるのは大変ありがたかった。

 

「なあノエル、ランディはああ言ってるけど、君はどうする?」

「そうですね。明日は移動日としてお休みを頂いていますし、折角の先輩のお誘いですから、付き合いますよ」

「なら決まりだ。22時に俺の部屋に集合だぞ、お前ら」

「やれやれ。飲むなとは言わん。が、明日非番じゃない奴は持ち越すんじゃないぞ」

 

課長さんの言葉に、皆が顔を見合わせる。

自然と数人が手を挙げた。ランディさん、ワジ君、ティオちゃん。一応私も。

酒飲み組は1人しか該当しなかった。

 

「だー!俺だけかよ!?」

「ふふっ、飲みすぎないように私達が見張らないといけないわね」

「ついでにワジ君も見張らないと。これはあたしの仕事だしね」

「少しぐらい信用してくれてもいいじゃない・・・・・・痛っ。な、何で殴るのさ」

 

特務支援課は平日が通常シフトで、土日は交代で休みが入ると聞いていた。

勿論有事の際にはそうは言っていられない。明日は何も無いことを祈るばかりだ。

それにしても―――

 

(―――楽しそうだなぁ、みんな)

 

夜遅くまで盃を交わし、語り合う。学生には少し早い楽しみ方だ。

私達《Ⅶ組》にも、今のような瞬間が訪れる日が来るのだろうか。

 

意志とは関係無く私達は大人になり、道を違える。

自由を得ると同時に離れ離れになり、一つ屋根の下での共同生活は終焉を迎える。

遅かれ早かれ―――やって来る。

 

「どうかしたのか、アヤ?」

「ううん・・・・・・ねえロイド。朝の約束、覚えてる?」

 

______________________________

 

私とロイドは皆と一旦別れ、中央広場を歩いていた。

背中にいたキーアちゃんは、今頃ランディさんに連れられてベッドの中。

2次会に向けて準備を始めている頃合いだろう。

 

「はは、そんなことを考えてたのか。確かに学生でいる間は、叶いそうにないな」

 

私は道中に感じたことを、ありのままにロイドに語った。

別に何かを言って欲しかったわけではない。ただ何となく、話してしまった。

 

「でもそうだな。俺達と違って、アヤ達には卒業っていう別れがあるんだよな」

「うん・・・・・・」

 

そもそもが身分も出身もまるで違う、出会うはずのない者同士が集ったクラスだ。

現実的に考えて、卒業後は皆が一手に揃う機会なんて滅多にやって来ない。

卒業と同時に元通りになるだけだ。何も変わりはしない。

変わったのは、お互いを結ぶ絆。想像するだけで寂しさを覚えるぐらい、強い絆。

どう誤魔化したところで、やはり別れは寂しいし、辛い。

 

でもだからと言って、今がずっと続けばいいだなんて、そんなことは思わない。

寂しいと感じてしまうのは、人として当たり前のことなんだと、今は素直に思える。

士官学院に入ってから涙脆くなったのは、私が人間らしくなっているという証だ。

これから先も、きっと数え切れない出会いと別れを経験しては、涙を流す。

 

今回の帰郷だってそう。今日と明日、たった2日間の出会いと再会。

1日がこれ程長く感じられたのは、いつ以来か分からない。

たくさんの人と話をして、物事を見聞きして。私は明日、ここを去らなければならない。

 

「んー、自分でも何を言いたいのか分からなくなってきた・・・・・・要するにさ」

 

足を止め踵を返し、後方を歩くロイドに振り返る。

 

「今も寂しいってこと。みんな本当にいい人達だし、また会いに来たいけど、いつになるか分からないから。だから明日、私泣くと思う。見送りはいいって言っても、どうせみんなを引き連れて来るんでしょ?」

 

色々と巡り巡って、結局はそこに集約された。

襲撃事件により特例として認められた、クロスベルへの帰郷。

次に来れるとするなら卒業後か、どれだけ早くとも来年の長期休暇ぐらいのものだ。

絶対に泣く。我慢しても、耐え切れる自信がまるで無い。

送別会と皆の雰囲気がそうさせたのか、既に感情が揺れ動いていた。

 

「そうか。なら遠慮は要らないな。キーアも連れて、送らせて貰うよ」

「できればお土産も欲しい。美味しいの」

「はは、忘れないうちに準備しておかないといけないな」

 

先回りしておいて正解だった。これなら、目元に涙を浮かべるぐらいで済みそうだ。

ぶっつけ本番だったら顔をくしゃくしゃにして、別れを惜しむ羽目になっていたかもしれない。

 

残すところあと1日。できる限りのことをしよう。

クロスベル支部にも特務支援課にも、やるべきことはまだまだ残っているはずだ。

 

「それで、俺に話があるっていうのは?今のは別の話なんだろ?」

「あ、うん。それなんだけどさ・・・・・・」

 

言いながら、止まっていた足を再度動かし始める。

前方に注意を払い、自然に歩を進めながら、小声でロイドに言った。

 

(気付いてる?)

(流石にな。俺も訓練の経験があるけど・・・・・・あれじゃ気付いてくれと言っているようなものさ)

 

後方に1人。他に気配は感じられない。

ロイドはともかく、私に気付かれるようでは三流としか言いようがない。

敵意や殺気は無い。危害を加えるつもりはないのだろう。目当ては私達の会話か、他の何かか。

所属も目的も分からない。が、心当たりは無くも無い。

 

もしかしたら、私は知りすぎたのかもしれない。

先月から多くの真実に触れ、真相を解き明かそうと動き続けてきた。

考えすぎかもしれないが、この場での不用意な言動は控えた方がいい。

もし標的が私なら、絶対にロイドを巻き込みたくはない。

 

(とりあえず、戻ろっか)

(ああ、そうだな・・・・・・って、アヤ!?)

(静かに。振りだってば、振り)

 

ロイドの腕を抱きながら、支援課のビルへと歩き始める。

どうせなら、徒労に終わらせてやる。何者かの苦労は完全に水の泡と化す。いい気味だ。

私は胸の中でガイウスに謝りながら、悪戯な笑みを浮かべた。


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