絢の軌跡   作:ゆーゆ

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学院祭準備日

10月21日、木曜日。学院祭本番まで、残すところあと2日間。

平日のど真ん中である今日と明日、士官学院ではどのクラスも授業は休止。

誰もが2日後に思いを募らせながら、当日の準備や最終確認、会場の設営に全てを費やしていた。

 

私達馬術部は、有志による乗馬関連の出し物に関して、全面的に協力していた。

競技乗馬やレース用の会場設営に、当日の段取り。乗馬体験コーナーの設置。

当初はまるで足りないと思われていた人手は、ランベルト先輩が周囲へ働きかけてくれたこともあり、何とか軌道に乗った。

先輩の人望が厚かったおかげだろう。ラクロス部の皆も、会場の設営に手を貸してくれた。

グラウンドには競馬場を思わせる、小さな特設会場が1日にして設けられていた。

 

「ふう。こんなものかな?」

「随分とサッパリしたわね。見違えたじゃない」

 

私達馬術部1年組は、グラウンド周辺の草むしりに勤しんでいた。

乗馬に縁が無い人間が馬に抱くイメージの中でも、とりわけ大きいのが不衛生なそれだ。

なら、厩舎内を含め、グラウンドを徹底的に小奇麗にしよう。

そんな発想から、雑草や不恰好な石ころに至るまで、目のつく物は全て排除していた。

 

「まあ、半分以上はお前の手によるものだがな。雑草に恨みでもあったのか?」

「あはは。最近色々と溜まってたからさ。私もスッキリしたよ」

 

晴れやかな笑顔を向けると、ユーシスが含みのある笑みを浮かべながら、小さく溜息を付いた。

 

ここ3日間の記憶が、冗談抜きで曖昧だった。

何をして、何のために生きていたのかが分からない。食事を苦痛と感じたのはいつ以来か。

今まであったはずの日常が、無い。唯々絶望しか感じられなかった。

 

「よかったわね、学院祭前に仲直りができて。喧嘩なんて初めてでしょ?」

「喧嘩って言うのかな、あれ・・・・・・」

 

昨晩、漸く私とロイドに対するガイウスの誤解が解けてくれた。

彼を責めることはできない。立場が逆だったらと思うと背筋が凍る。

例えばもし、リンデとガイウスが腕を組みながら―――うん、やめよう。考えたくもない。

 

「言っておくが、原因はお前の不用意な行動にあるということは理解しておくがいい」

「泣いて縋ったって、駄目な時は駄目なんだからね。気をつけなさいよ」

「わ、分かってるってば」

 

ユーシスとポーラがグサグサと釘を刺してくる。

レクター大尉がどうやって何のために、あんな真似をしたのか。それはもうどうだっていい。

ある意味で、いい経験になったのかもしれない。恋仲なら、ああいったことも―――

 

「・・・・・・ちょっと待って。泣いて縋ったって、私言ったっけ?」

「え?ああ、それはほら。や、やっぱりそれぐらいはしたのかなーって」

「フン、想像するに容易い。それだけの話だ。そう、それだけだ。今日はいい天気だな」

 

私がガイウスの前で涙を流したのは、昨晩の出来事だ。誰にも見られてはいない。

訝しむ私に対し、2人は視線を合わせながら、頻りにあれこれと言葉を投げてくる。

何だろう。何かを誤魔化されているような気がしなくもない。

 

眉間に皺を寄せていると、昼を知らせるチャイムが本校舎から聞こえてきた。

そろそろいい時間だし、当日の段取りを確認しながらお昼にしよう、とポーラが言った。

するとユーシスが、仲直りの祝いに奢ってやると言い出し、ポーラがそれに乗っかった。

嬉しいけど、釈然としないものがある。そう感じつつも、私のお腹は空腹を訴えていた。

 

________________________________

 

時刻は昼の12時半。授業は休みでも、学生食堂は今日も平常運転。

私達は同じテーブルを囲みながら、10月23日の予定について話し合っていた。

 

「初日は結構忙しいわね。どれぐらい人が来るか分からないけど・・・・・・」

「例年の来場者数を考えれば、覚悟はしておいた方がいいだろう」

 

催しの1つである乗馬体験コーナーは、初日に私達3人が担当することになっていた。

初心者大歓迎と謳っていることもあり、常に最低2人は必要になるはずだ。

時間帯によっては、3人総出で対応することも考えておかなければならない。

 

「ランベルト先輩の話だと、乗馬体験の問い合わせが結構来てるみたいだよね」

「新聞にまで載っちゃったものね・・・・・・」

 

そう。私達馬術部3人組の姿は先月の中旬に、新聞に載った。

初めて聞かされた時は、開いた口が塞がらなかった。実際に目の当たりにした時も同様だった。

 

 

『学び舎の垣根を越えた絆』

 

第7回生徒会交流会が18日、聖アストライア女学院で開かれ、約40名の学生が参加した。

同交流会は高等学校の学生同士が交流を深め合い、お互いの良さを分かち合うことを目的として、7年前より毎年開催。今年はセントアーク理科大学も参加し、例年にない盛り上がりを見せた。

会場では各校の生徒会が学内での取り組みを紹介した他、代表のクラブからの活動内容が発表された。各校が独自の良さを持っており、盛んに意見や議論が交わされた。今年度の主催校であるトールズ士官学院、マカロフ教員は「学生が見聞を広げられる貴重な場。我々教員も学ばされることが多い」とし、今後も同取り組みを継続できるよう働きかける意志を示した。

(写真はトールズ士官学院馬術部の部員ら。乗馬や馬の世話を通じて、身分や性別の垣根を越えて育んだ絆の深さを熱弁した)

 

 

「絶対にユーシス目当てのお客さんが来ると思うわ」

「俺は女性部員に関する問い合わせが多かったと聞いたがな」

 

どうだろう。こうして見れば美男美女だし、その両方が来てもおかしくはない。

それにリリによれば、音楽院では2人に関するある噂が実しやかに流れているそうだ。

これは私の胸の中に秘めておこう。言ったら大変なことになってしまう気がする。

ちなみに文芸部では、そんな噂をネタに、あれやこれやと妄想するのがブームらしい。

これも黙っておこう。下手をすれば、彼女達の命が危険に晒される。

 

いずれにせよ、私達の知らないところで、士官学院馬術部の名が広まっていた。

気軽に乗馬を体験できるともなれば、当日は目の回る忙しさかもしれない。

 

「そういえば、私達のステージ演奏は2日目だけど、ポーラもクラスの出し物があるでしょ?大丈夫なの?」

「私は事前準備役だったから、開催中はお役御免なのよ」

「『みっしぃパニック』だったか。この時期に微妙なものを選んだものだ」

 

ポーラ達《Ⅴ組》の出し物は、ユーシスが今言った『みっしぃパニック』。

ラウラお気に入りのキャラクターを使った、アトラクションの類だそうだ。

一応、あのミシュラムワンダーランドから、採用の許可を貰っているとのことだった。

あちら側にとっても、みっしぃの名が帝国に広まるのなら言うことはないのだろう。

 

「うーん・・・・・・まあ確かに、微妙な時期ではあるよね」

 

クロスベル問題は通商会議に端を発し、様々なメディアが取り沙汰している。

帝国解放戦線の脅威が去った頃からそれは顕著になり、そして10月17日。

独立の是非を問う住民投票が実施されてから、再びクロスベルは周辺各国から注目されていた。

 

投票率は9割を超え、その7割以上が独立を望む物だった。

当初の予測を上回るクロスベル住民の声は、間違いなくあの襲撃事件に起因していた。

それは傷の深さを実際に目の当たりにした、私だからこそ理解できる。

 

「変な噂も多いわよね。襲撃事件が自作自演だなんて話、どうやったら出てくるのかしら」

「不謹慎過ぎるよ・・・・・・本当に、たくさんの人が家族や家を失くしたっていうのにさ」

 

ポーラが言うように、最近では全く理解し難い噂話を耳にしていた。

曰く、あの襲撃事件は全て、クロスベルによる自作自演。

民意を独立へ向かせるために、猟兵団を雇ってクロスベル市を襲わせた。

一方で、裏で共和国と手を組み、事件を帝国による陰謀だと工作している、なんて話まであった。

正直に言って、どれも聞くに堪えない下らないものばかりだった。

 

「客観的に見れば、あの襲撃事件はクロスベルにとってもマイナスでしかない。通商会議に続いて、再び国防力の脆弱さを露呈したに過ぎん。独立など夢のまた夢だ」

 

夢のまた夢、か。そう断言されても、反論の余地がない。

言い切ったユーシスに、ポーラが頭を掻きながら投げかける。

 

「それ、私も気になっていたのよ。色々な話を聞くけど、結局クロスベルの独立って難しいわけ?」

「今更それを聞くのか・・・・・・当たり前だ。山積みの課題をクリアーできたとしても、帝国と共和国の承認が得られなければ全て水の泡だ。両国が認めるわけがないだろう」

「どうして?」

 

呆れ顔のユーシスが、ポーラに1つ1つ現実を突き付けていく。

 

真っ先に思い当たるのは、税収の問題。

クロスベルに課せられた10%という異常な税収は、両国にとって貴重な収入源。

これ1つとっても、クロスベルの独立は不利益を被ることと直接結びつく。

 

それにクロスベルは自由貿易都市として、商業的に重要な拠点でもある。

国として両国の手を離れれば、関税を含めた取引に関する諸問題が引っ掛かってくる。

どのような形で落ち着いても、周辺各国にとっていい方向に働くはずがない。

 

「それにクロスベル自体にも問題がある。警察や警備隊の癒着問題に、二度に渡る襲撃事件・・・・・・先も言ったが、国防力は国を成す国民、領地、主権を守る重要な要素だ。それを無くして独立など成り立つわけがない」

「ちょっと待ってよ」

 

ユーシスの言葉が、私の何かに障った。

言っていることは全て正しい。それでも私は、認めたくなかった。

その身を犠牲にしてあの地を守り抜いた人達の顔が、思い出された。

彼らを悪く言われているような気がして、思わず気が立ってしまった。

 

「警備隊については、帝国と共和国も関与していることでしょ。通商会議でもそうだったけど、飛空艇や戦車の所持を認めていない側が、クロスベルの国防力を指摘するのっておかしくない?何か納得がいかない」

「それを俺に言ってどうする・・・・・・それに今の話は、歴史的な背景がそうさせているだけだろう。宗主国がころころと変わる自治州に、独自の軍事力の所持を認める国がどこにある」

「でも今と昔は違うよ。時代は変わったし、クロスベルも変わった。なら体制も変えて然るべきじゃないの?」

「クロスベルの急速な発展には、防衛費を最低限度に抑えていることも貢献しているんだぞ。今年度の州予算内で、防衛費が占める割合を知っているのか?元々が―――」

「ストップストップ。2人とも、その前にもう1つ聞いてもいい?」

 

やや不穏な空気が流れ始めたところで、ポーラが横槍を入れる。

ポーラはまた言い辛そうな表情を浮かべながら、そもそもの大前提を問いかけた。

 

「独立自体、クロスベルにとってメリットがあるのかしら。さっきから話を聞いてると、そうは思えないのよね」

「それは・・・・・・うん。私だって、そう思うよ」

 

それは先週、現地でロイドらとも語り合ったこと。

現地民である彼らですら、ポーラの疑問に対する答えは持ち合わせていなかった。

独立と一言で言っても、そこには理想と現実がある。

 

属州として搾取され続けてきた、支配される側からの独立。

聞こえはいいし、そこには確かな正義と魅力に満ち溢れている。

それにクロスベルには今、とりわけ帝国に対する敵対心が募っている。

あの襲撃事件の黒幕がどこにあるのか。それは定かではない。

が、既に住民の間では噂の範疇を越え、行き場の無い怒りをぶつけるように信じられているのだ。

 

一方で、現実の独立はどうなのか。

その姿がまるで想像できない。想像したくないのかもしれない。

思い描かれるのは、2大国に挟まれ、睨まれるクロスベルだけだ。

帝国と共和国がどんな強硬策に打って出るのか、分かったものじゃない。

今し方ユーシスが触れたように、必然的に莫大な予算が防衛費へ費やされることにも繋がる。

独立の先に待ち構えている未来は、決して明るいものだけではない。

 

「まあ、難しいよね。だからこれだけ騒がれてるんだし・・・・・・生まれ故郷のことだから真剣に考えたけど、今は不安しかないかな。どっちに転んでも、手放しには喜べないっていうのが正直なところだよ」

「そうなんだ。何かそういう意見って新鮮ね」

「まだ良識のある判断と言えるだろう。州民は冷静さを欠いているとしか思えん」

 

ともあれ、ここで議論したところで何も生まれはしない。

それに今クロスベルが置かれた状況は簡単ではないし、私も全てが見えているわけではない。

 

「よいしょっと」

 

だから私は2人に先んじて、食器が置かれたトレーを返却するために腰を上げた。

 

「あら、もう行くの?」

「ごめん、サラ教官と約束してるんだ。先に戻っててよ」

 

_____________________________

 

午後13時過ぎ。

質屋ミヒュトを訪ねると、店内には既にサラ教官の姿があった。

 

「す、すみません、少し遅くなりました」

「あたしも今来たところよ」

 

昼の13時に、ミヒュトさんの下で。それがサラ教官との約束だった。

目的は勿論この質屋、そしてミヒュトさんが持つもう1つの顔。

私達には知り得ない情報を、流してもらうことにあった。

 

ミヒュトさんは私の顔を見るやいなや、楽しげに笑いながら言った。

 

「聞いたぜ。情報局の兄ちゃんに、こっ酷い目に合わされたそう―――」

「忘れて下さい」

 

表情を変えずに、抑揚のない声で遮る。

思い出させないでほしい。今週の出来事だというのに、遠い過去のように思えてくる。

でもだからといって、故郷について新たな情報が得られるなら、私は迷いはしない。

クロスベル問題は、大陸全土を巻き込みつつある。できる限りのことを知っておきたかった。

今日の件についても、サラ教官に頼み込んで同席を願い出ていた。

 

「クク、まあいい。ほれ、注文の品だ」

 

2万と7800ミラ。ミヒュトさんが料金を述べながら、カウンターに小さな包みを置いた。

音から察するに、硬い金属製の何かだろう。サラ教官が依頼していた物だろうか。

情報屋として以外に、頼れる何でも屋として、教官もよく利用しているとは以前に聞いていた。

 

サラ教官は苦悶に満ちた声を漏らしながら、ミヒュトさんの顔色を窺い始める。

 

「に、2万っ・・・・・・それ、当然情報料込みですよね?」

「ああ。安いもんだろ?」

 

相場がまるで分からない世界なだけあって、私にはその判断が付かない。

そもそも全額の何割を情報料金が占めているのか。聞いてもいいものだろうか。

 

「ねえアヤ。これから教えてもらう情報って、あなたも聞くのよね」

「え?はい、そのために来たんですけど・・・・・・待って下さい、私は払いませんよ?」

「わ、分かってるわよ」

 

目が本気だった気がするが、触れないでおこう。

自慢じゃないが、私に支給される生活費は、大部分が食費として消えていく。

シャロンさんお手製の食事も無料ではない。よく食べる分、私にはそれ相応のミラが求められる。

帝都でレコードを購入して以来、最低限の生活雑貨以外に買い物をした記憶が無かった。

 

ミヒュトさんはサラ教官から受け取った情報料を数え上げると、ちらと私達の後方を見る。

すると視線を落としたまま、呟くように語り始めた。

 

「『赤い星座』・・・・・・連中はまだクロスベルに潜伏中だ。所在は掴めていないがな」

 

赤い星座。

初めて耳にしたのは、帝都でフィーの口から語られた過去の中。

次にその名を目にしたのが、通商会議の後。ロイドからの手紙にあった通りだった。

そして今回が3度目。10月9日の日曜日に、2人の口から直接聞かされていた。

 

「あれだけ大それたことをしておいて、よく居座れたものね。その情報、トヴァルにも回しておいて貰えます?」

「ああ、お安い御用だ」

「あ、あの。私からもいいですか」

 

襲撃事件から既に、10日以上が経過している。

それでもなお、今もクロスベルに留まっているという事実だけでも驚愕の思いだった。

私が知りたいのは、その先。そう思い口を開きかけた瞬間、ミヒュトさんが被せるように言った。

 

「言っておくが、連中の目的も雇い主も掴めちゃいないぜ。当たり前だがな」

「・・・・・・そうですか」

 

胸の内を垣間見られたのか、先回りをされてしまった。

当たり前、か。聞くまでもなかったことかもしれない。

現地に赴いた私でさえ知らない事実を把握しているだけでも、本来なら信じ難いことだ。

 

当のクロスベル市では、この帝国による陰謀説が市内中に流れていた。

一方の帝国では、クロスベルによる工作、共和国との繋がりまでもが疑われ始めている。

事実は1つしかないというのに、何故こうも複数の真実が語られてしまうのだろう。

 

「ま、新しい情報が入り次第教えてやるよ。有料でな」

「アヤ。気に掛かるのは分かるけど、今は目の前のことに集中しなさい。そんな調子じゃ、上手く踊れないわよ?」

「そう、ですよね・・・・・・すみません、無理を言ってしまって」

 

真相はどうあれ、これも学生食堂の時と同じだ。

この場で考察を重ねても、何も生まれはしない。単なる憶測にしかなり得ない。

今は2日後のことを考えよう。私達に許された時間は、もう残り少ない。

 

_____________________________

 

午後17時半。

旧校舎の入口扉を開くと、その先には私を除いた8名の同窓の姿があった。

この場に見当たらないのは、リィンにラウラ。そしてクロウ。

 

「みんな、お疲れ様。クロウはまだ戻って来てないの?」

「いや、予定が変わったとかで、衣装はリィン達が引き取りに向かっている」

 

私の疑問に、マキアスが掻い摘んで事情を話してくれた。

 

今日は当日の衣装合わせを兼ねて、本番と同様の流れでリハーサルを行う予定だった。

だが本番場所である講堂のステージは、《Ⅰ組》の使用予定が先々まで入ってしまっていた。

その代わりにとサラ教官が手配してくれたのが、この旧校舎だった。

 

多少不本意ではあったが、スペースは十分。音の聞こえ方も講堂と遜色ない。

何よりステージ衣装は、本番まで誰にも見せないようにと皆で決めていた。

それなら寧ろ、人が寄り付かない旧校舎の方が都合がいい。教官はそこまで考えてくれていた。

 

衣装は帝都の専門店までクロウが取りに向かう手筈だったが、そこは変更があったようだ。

リィンとラウラが、現在導力バイクで帝都から向かっている最中らしい。

クロウはどこで何をしているのだろう。学内にいるのだろうか。

 

「というわけで、今は衣装待ちなんだ。馬術部の方はもういいのか?」

「うん、有志の先輩達もいるから大丈夫。ユーシスも先に来てるでしょ?」

「ああ。リィン達が帰って来るまで、もう少し待たないといけないな」

 

周囲を見渡すと、皆が階段や床に腰を下ろしながら、思い思いにくつろいでいた。

私と同じようにクラブの方に顔を出し、今はリハーサルに向けて体力を温存しているのだろう。

檀上には既に楽器類が準備してあり、その前にはエリオットとガイウスの2人が座っていた。

 

「ガイウス、美術部の方はどう?」

「展示場の設営は済んである。手掛けていた油絵も何とか間に合ってくれた」

「そう。当日、楽しみにしてるからね」

「俺もだ。アヤにも是非見て貰いたい」

 

最近、2つの油絵に注力していたことは聞いていた。

一方で、何を描いた物なのかは一貫して教えてくれなかった。

当日までのお楽しみ、というやつだそうだ。似合わないことをする。

 

ガイウスと会話を交わしていると、周囲にはいつの間にか皆の顔があった。

誰もが含みのある、何かを言いたげな笑みを浮かべていた。

 

「・・・・・・何?」

「えへへ。いやほら、本番まで仲違いしたままだったらどうしようって思ってたからさ」

「ぶっちゃけ覚悟はしてた」

「ふふ、誤解が解けて何よりですね」

 

ごめんなさい。素直に頭を下げた。ガイウスもそれに続いた。

今考えてみれば、私は自身のことしか考えていなかった。周りが全く見えていなかった。

どうやら相当な心配と気苦労を掛けてしまっていたみたいだ。心苦しくて仕方ない。

 

「アヤってば、死んだお魚みたいな目をしてたもんねー」

「見ているだけで気の毒だったものね・・・・・・でも、ガイウスがもう少し早く素直になってくれたら、ああはならなかったと思うわよ?」

 

アリサの言葉が、ガイウスの胸に深く突き刺さった。ように見えた。

かと思いきや、どういうわけかマキアスが、ガイウスの一歩前に歩み出る。

 

「待ってくれ。今回の件はアヤ君の軽はずみな行動が招いたことだろう。ガイウスを責めるのは筋違いじゃないか」

 

マキアスの言葉が、私の胸に深く突き刺さった。ように感じた。痛い、痛すぎる。

かと思いきや、今度はフィーが私の一歩前に歩み出る。

 

「事情は聞いてるでしょ。あれは追跡者を惑わすフェイクで、アヤに他意は無かった。それはガイウスも分かってるはず。なのに退かなかったのはどうして?」

 

マキアスに続いて、エリオット。

 

「ま、待ってよ。恋人のあんな写真を見せられたら、誰だってショックを受けるよ。あんなガイウス初めて見たし・・・・・・本当に辛かったんだよ?風を求めて屋上の柵を乗り越えるぐらい辛かったんだよ?」

 

フィーに続いて、エマ。

 

「それはアヤさんも同じ、いえそれ以上です。きっと信じてくれると信じていた殿方に裏切られる・・・・・・想像を絶する程の苦しみを味わったはずです。昨晩のアヤさんの涙を何だと思ってるんですか?」

 

何だ、これは。一体何が始まった。

よく分からないが、私達のせいで大変な事態を招きかけているような気がしてならない。

 

「ねえ、ガイウス。何か変な空気になっちゃって―――」

「お、俺は・・・・・・何てことを・・・・・・アヤに、アヤに・・・・・・」

 

ガイウスもガイウスで、何やら変なスイッチが入っていた。

あっという間に、私を取り巻く人間達は、平静ではなくなっていた。

・・・・・・え?昨晩の、涙?

 

「ま、待ってよ。ポーラもそうだけど、何で昨晩のことをエマが―――」

「大体アヤ君は日頃から警戒心が薄すぎるんだ。男子の身にもなってくれ」

「僕もそう思う。見せられるこっちだっていい加減にしてほしいんだよ」

「待ちなさい!あなた達急に何言ってるの!?」

「変態」

「ああもう、僕達だって被害者なんだってば!」

「不埒すぎますっ・・・・・・ユーシスさんも同じなんですか!?」

「阿呆が。同じ馬術部に身を置いてみろ、3日間で耐性が付く」

「だからあなたまで何を言い出すのよ!?」

「変態」

「結論としてはアヤ君が悪い!そもそもの原因は彼女にあるだろう!」

「いいえ、ガイウスさんの小ささが原因です!」

「あはは、何だか楽しくなってきたね!」

「俺はっ・・・信じてやれずに、アヤを・・・・・・・・・」

「ねえ何で!?何で昨晩のことを知ってるの!?」

 

知らぬ間に、私も参加していた。

 

__________________________________

 

午後18時。

士官学院の敷地内は既に大部分が装飾され、祭りの様相を呈し始めていた。

夕陽に照らされたその様は、まるで学院祭を終えた後。装飾を片している最中のようにも映る。

祭り前の高揚感と、後の解放感。その2つが合わさり、ノスタルジックな感傷を抱かせた。

そんな士官学院の敷地内で、リィンとラウラは歩調を合わせながら、旧校舎へと向かっていた。

 

「だから私は言ったのだ・・・・・・」

 

導力バイクを2人乗り。これにはいくつかのコツがある。

肩や肘の力を抜き、両腕はライダーの腹部を抱え込むように添える。

膝は腰周辺を軽く挟み、適度に密着しながら、視線は前に。

ラウラはジョルジュから教わった体勢を厳守し、リィンに身体を預けていた。

 

傍から見れば気恥ずかしいことこの上ない。

だからラウラは、正門前で降ろしてほしいと、リィンに願い出ていた。

そんな彼女の思いを意に介さず、リィンは導力バイクに乗ったまま、技術棟を目指してしまった。

 

「はは、すまない。悪目立ちしちゃったな」

 

そういう意味で言ったわけではない。ラウラはそう口に出そうかと思ったが、気が引けた。

この男はいつもそうだ。感情を揺さぶられるのは、いつだってこちら側。

そしてそれは、私だけではない。だから余計に揺れ動くし―――胸が痛む。

 

「どうかしたのか?」

「何でもない。詮無いことだ」

 

言いながら、ラウラは衣装が入ったトランクケースを、左手から右手に持ち直す。

無意識の行動だった。左手ばかりに負担が掛からないよう、単に右手へ持ち替えただけ。

そんな彼女に、リィンは言った。彼のそれも、無意識の言動だった。

 

「なあ、ラウラ」

「何だ」

「手を繋がないか」

「は?」

 

ラウラの左側を歩くリィンの手と、ラウラが繋がる。

本校舎東部から道を外れ、旧校舎へと続く細道を2人が行く。

赤面する余裕は無かった。驚き戸惑う時間すら無かった。

唐突に握られた手からお互いの体温を感じながら、会話を交わすことなく歩を進める。

 

一歩。また一歩。

石畳の階段を上り、入口扉の前で足を止める。

視線をやや下方へ落とし、立ち尽くすたった数秒間の一時。

離したくない。そう感じながらも、扉の向こう側から聞こえて来る喧噪で、我に返る。

 

「す、すまない」

「い、いや。私は別に」

「・・・・・・離す、か?」

「・・・・・・ああ」

 

そっと、お互いの手に距離が生まれる。

―――自分は今、一体何をしていたのか。

理解に至る前、誤魔化すようにお互いの手がハンドルに伸び、勢いよく入口扉が開かれた。

その先に待ち構えていたのは、混乱の境地だった。


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