絢の軌跡   作:ゆーゆ

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士官学院祭、そして―――

10月23日土曜日、午前9時。

 

「これより第127回、トールズ士官学院、学院祭を開催します。どうぞ心行くまで楽しんで、みんなで盛り上がって下さい!」

 

トワ会長の宣言が終えると同時に正門が開かれ、来場者らが歓声と拍手で呼応する。

それに再度返すように、学内で待ち構えている学生達からも、次々と声が上がった。

大半は「しゃあー!」「うぇーい!」といった、表現し辛い声の数々。

言葉を選ぶよりも、感情が先走っている表れだろう。無理もない。

誰もが待ちに待った士官学院祭が今、開催を迎えたのだった。

 

私達《Ⅶ組》は正門からやや離れた地点から、来場者らの姿を見守っていた。

皆と同様に、はしゃぎ騒ぎたいところではある。が、身体がそれを許してくれない。

寧ろ「もっと眠れ」と、まるで場の空気を無視した要求を突き付けてくる。

 

「まあ、ぶっちゃけまだ眠いよね」

「口に出さないでよアヤ。私だって・・・・・・くぁっ」

 

欠伸を噛み殺しながら、アリサが口元を両の手で押さえ言った。

 

ステージ演奏はこの2日間の追い込みで、誰もが納得のいく出来栄えに仕上げることができた。

全ての始まりは10月2日。本番のたった3週間前だ。素人目に見ても、強行軍だったと思う。

選曲や演出を取り仕切ってくれたエリオットらの力と指導、皆の努力があってこその成果だった。

そして昨晩。ステージには、サプライズとアンコールが付き物。

そんなクロウの思い付きに近い何かは、私達の体力と時間を根こそぎ奪い去って行った。

 

「クク、おかげでもう不安要素は無いだろ?本番で上手くやれりゃ、いい線行けると思うぜ」

「ま、まあこうして無事に朝を迎えられたことだし、本番は明日の午後だ。今日は皆で学院祭を満喫して、明日に備えればいいんじゃないか」

 

マキアスの言葉に、皆がやりきったその表情に笑みを加え始める。

できる限りのことはやったはずだ。クロウの提案も、ある意味で不安を拭い去ってくれた。

練習の成果を出し切ることができさえすれば、《Ⅰ組》の劇にさえ見劣りしない自信がある。

 

「んー、みんな結構余裕だね?クロスベルでは結構大きいニュースがあったばかりなのにさ」

「「・・・・・・」」

 

ミリアムが言うと同時に、浮かび始めた皆の笑みが消えていく。

今それを言うか。呆れ顔のユーシスの突っ込みに、ミリアムは少しも悪びれた様子を見せない。

 

昨日の10月22日、午後15時。

公の会見の場で、ディーター・クロイス市長はクロスベルの『国家独立宣言』を発表した。

同時に『クロスベル独立国』の名称を提示し、声明は一夜にして大陸全土に広まった。

驚天動地。青天の霹靂。そんな仰々しい表現を使いたくなる程の、大事件だった。

 

「クロスベル出身者として、お前はどう考えている」

 

ユーシスの視線が、そして皆の視線が私に向いた。

 

「ん・・・・・・まあ、出身者としては大っぴらに言えないけどさ。でも言っていい?」

「言ってみろ。聞き流してやる」

「あり得ないよ、絶対に間違ってる。手遅れだとしても、即刻撤回するのが最善策だと思う」

 

私は素直に思ったことを述べた。

独立の意志を否定するつもりはないが、賛同するには条件がまるで揃っていない。

何をそんなに急ぐ必要があるのか、私には理解できないでいた。

 

ディーター市長は独立の提唱に続き、独立国としての改革案を示した。

帝国と共和国の自治権破棄。税収10%壌土の完全撤廃。そして―――『クロスベル国防軍』。

警察と警備隊を再編した、独自の防衛力としての軍事力。その配備の意志までもを明らかにした。

 

これには帝国政府は当然として、共和国側も断固として受け入れないという声明を出している。

周辺各国も余りに唐突、且つ強硬な独立宣言に、慎重に協議すべきとの意見を示していた。

 

「ねえミリアム。他に新しい動きとかは聞いてないかな」

「まだ何にも。国防軍っていうのも、まだ一部の警備隊しか再編されてないみたいだしね」

 

ならクロスベル警察は、そして特務支援課の皆は、今頃どうしているのだろう。

彼らだって決め兼ねていたし、答えは持っていなかった。市長へ安易に同調するはずがない。

話がしたい。許されるなら、もう一度クロスベルに飛んで行きたいところだ。

 

するとリィンが振り返りながら、ミリアムを端に流れ始めた空気を払拭するように言った。

 

「いずれにせよ、今は学院祭に集中しよう。来場者の皆も、楽しみにわざわざ来てくれたんだしな」

「ええ、ですね。予定通り夕方に最終確認を行うとして、それまでは自由行動になります。アヤさんとユーシスさんも、朝からクラブの方に向かうと仰っていましたよね?」

「ああ。乗馬体験コーナーは朝一から開く予定だからな」

「そうそうっ・・・・・・ゆ、ユーシス!お客さん達、もうグラウンドに向かってるみたいだよ?」

「むっ」

 

視線の先には、急ぎ足でグラウンド方面へ向かう人々の姿があった。

全員とはいかないまでも、乗馬目当ての客が大部分を占めていると考えた方がいい。

こうしてはいられない。ポーラも既に会場へ向かっているはずだ。

 

「急ぐぞ。またあいつに小突かれるのは御免だ」

「ごめんみんな。じゃあ、また夕方ね」

 

間が悪いというか、タイミングが悪いというか。

最近は色々あり過ぎて、クロスベルに想いを馳せることが多い。

それでも今は、リィンの声に耳を傾けよう。

 

ポーラとユーシス、馬術部の皆。

ステージ演奏の練習と並行して、今日を迎えるために多くを積み上げてきた。

それを無駄にしないためにも、今は馬術部員として、来場者の期待に応えたかった。

 

____________________________________

 

午後12時過ぎ、グラウンドの厩舎内。

 

「おねーちゃん。これ、どうすればいいの?」

「ほら、一緒にお馬さんに食べさせてあげよっか」

 

膝を曲げて同じ視線に立ち、ニンジンを持つ男の子の右手に、後ろからそっと手を添える。

おっかなびっくりの右手から馬がニンジンを受け取り、音を立てて噛み始めた。

 

「わー。息、すごいね。怒ってるの?」

「あはは。美味しいって言ってるんだよ」

 

勿論私には、声は聞こえない。その場しのぎの私の通訳に、男の子が喜びの声を上げた。

私が今対応しているのは、10歳前後の男の子と、彼の祖母と思われる女性の2人組。

ベアトリクス教官と同年代ぐらいか。白髪交じりの女性は、私達を温かな目で見守っていた。

 

興味津々の男の子に気を配りながら、邪魔をしないように一歩後ろへと距離を取る。

 

「余程珍しいみたいですね。楽しんでくれているようで何よりです」

「そうねえ。あたしが小さい頃は、そこら中で目にするのが普通だったけど、最近は街道を走る馬車もすっかり減ってしまったものね」

 

2人は帝都在住で、今日は娘の孫に当たる男の子と一緒に、トリスタまで足を運んだ。

両親が共働きなこともあり、お祖母さんがこうしてよく面倒を買って出ているそうだ。

お祖母さんの夫は実家で農業を営む次男坊。数年前に独り身になってからは、娘夫婦と一緒に帝都で暮らしている旨を話してくれていた。

 

「こう見えて、以前は泥に塗れながら馬を引いていたのよ。昔は馬抜きの生活なんて考えられなかったもの」

「よく分かります。私も故郷ではそうでしたから」

「え?おばあちゃん、お馬に乗ったことがあるの?」

 

勿論よ、とお祖母さんが答えると、再び男の子の目が輝きだす。

引退した今となっては乗馬は無理だろうが、現役の頃は力強く馬を引いていたに違いない。

 

「ねえ君、ちょっとだけ乗ってみる?」

「ほ、ホントに?乗りたい!乗ってみたい!」

 

はい、男の子1名予約が入りました。

胸の中でそう呟きながら厩舎を出ると、丁度ポーラの手が空いたところだった。

 

「ポーラ、この子お願いできる?」

「ええ、いいわよ。厩舎の中には今何人いるの?」

「この子が最後。少し落ち着いてきたね」

 

ポーラに男の子を任せながら、お祖母さんに一言挨拶を述べ、周囲を見渡す。

そろそろ昼時ということもあり、客足は途切れつつあった。漸く一息付けそうだ。

 

かと思いきや、女の子とその母親と思われる女性に、声を掛けられる。

今し方ユーシスが対応していた2人のお客さんだった。

 

「すみません、写真をお願いできますか?」

「はい、いいですよ」

 

ファインダーを覗くと、その先には満足気に笑みを浮かべる女の子。

そしてどこかホクホク顔の母親と、やや疲れ気味のユーシスがいた。

 

(ちょっとユーシス。笑顔、笑顔)

(わ、分かっている)

 

作り笑いとはいえ、彼にしては上出来だろう笑みが浮かんだところで、シャッターを切る。

初めは久しぶりの写真撮影に戸惑いもあったが、大分慣れてきていた。

 

私達の予想に反して、来場者の多くを親子連れが占めていた。

子供らが乗馬や馬との触れ合いを楽しみながら、両親や祖父母がその様を見守る。

私達はその手助けをする。朝からその繰り返しだった。

馬を目にする機会さえもが減少しつつある今、子供らにとっては新鮮味に溢れた場であるようだ。

 

「お疲れ様、ユーシス。本当に疲れてるでしょ」

「見れば分かるだろう・・・・・・」

 

もう1つの客層が、まあ言ってしまえばユーシス目当ての女性陣。

更に言ってしまえば、子供らをダシにして、ユーシスと関わりを持とうとするレディー達。

自然と記念写真撮影を求める声が増えていき、撮影係は私が担当するようになった。

 

私からすれば子供らは楽しんでくれているし、何も言うことは無かった。

対応に追われ、疲労困憊のユーシスを除けば、の話だが。

おかげ様で『12時~13時は昼休憩により一旦休止』の事前告知は無視され、今に至る。

結局は終始3人掛かりで追うに追われ、他の出し物を満喫する余裕など皆無だった。

 

「バイバイ、おねーちゃん!」

「お世話になりました。頑張って下さいね」

 

先程の2人組に別れの挨拶を送ったところで、乗馬体験の来客が一時ゼロになる。

間髪入れず、ユーシスが『昼休憩中』のプラカードをグラウンドへと突き刺した。

直後、休憩場として用意していたビニールシートの上に、ユーシスが崩れ去る。

まあ無理もない。私やポーラもそうだが、彼はその倍以上の労力を費やしたはずだ。

 

「大盛況と言えるわね。この分だと、午後も総出で対応しないといけないかしら」

「そうだね・・・・・・今日のところは、お客さんをもてなす側に専念しないといけないかも」

 

学院祭2日目、ポーラはフリー。

私とユーシスも午後からのステージ演奏までは、自由に行動できる。

本格的に学院祭を見て回れるのは、明日からになりそうだ。

それにこれはこれで、祭りを満喫していると言える。客足が伸びずに暇をするよりは何倍もマシだ。

 

「さてと。ポーラ、期待してもいいんだよね?」

「フフン。言っちゃなんだけど、4時起きよ。2人とも、私に感謝しなさい」

 

言いながらポーラが大きな包みを解き、中から現れたランチボックスを並べ始める。

各種屋台で出される食べ物を満喫するのも、明日から。

今日はゆっくりと休憩時間をとるために、ポーラお手製のランチを楽しむ手筈になっていた。

 

「おい。まさかとは思うが、ポテト―――」

「じゃないってば。今日ぐらいは普通よ」

 

蓋を開けると、そこには普通と呼ぶには豪華過ぎる料理の数々。

私の好みを知り尽くしているとしか思えない、思わず腹が鳴るランチが待ち構えていた。

おそらくユーシスも同様のはずだ。4時起きと言っていたが、本当だろうか。

少なくとも、昨晩から入念に下ごしらえをしていたに違いない。

 

「ポーラ大好き。愛してる」

「私もよ。ほら、アンタも何か言いなさ・・・・・・ちょっと!頂きますぐらい言いなさいよ!」

 

無我夢中でサンドイッチを頬張るユーシス。彼の疲労の程が窺える。

それに、思わず笑ってしまった。ユーシスのこんな姿を想像できる人間が、一体何人いるだろう。

私達にしか見せない、彼の一面がある。入部当初では考えられないことだった。

ともあれ、私も本気を出そう。ポーラ曰く、余らせるつもりで作ったらしい。

上等だ。身構えながら、私はサンドイッチを3重にして手に取った。

 

______________________________

 

午後12時50分。戦いはたったの10分で終焉を迎えた。

2割ポーラ。3割ユーシス。5割が私。ランチはめでたく3人の胃袋の中に収まっていた。

作った本人が一番少ないのは、少しだけ申し訳なく感じてしまう。

 

「はー。台風一過ってやつかしら。午前の忙しさが嘘みたいね」

「嵐の前の静けさかもよ。またすごい数のお客さんが来るんじゃない?主にユーシス目当てのさ」

「やめろっ・・・・・・そもそもの話が、いつから乗馬体験コーナーは指名制になったんだ」

 

今は残り僅かな休憩時間を満喫するべく、3人揃ってビニールシート上に横たわっていた。

中央のランチボックスに頭を向けて、3人が等間隔に寝そべる。

上空から見れば、長針が3本ある時計のように見えるだろう。

 

私が好きな時間帯。静寂に包まれた、緑色の午後。

上空には雲1つ見当たらない。正に祭り日和と言ったところか。

そんなことを考えていると、ポーラがそのままの体勢で言った。

 

「でも不思議。他人に乗馬を教えるなんて、以前じゃ考えられなかったもの」

「努力は認めてやる。俺からすればまだまだだがな」

「分かってるわよ。相変わらず一言多いわね」

 

ポーラが初めて馬の背に跨ったのは、4月の中旬。

たった半年間で、ポーラは見違えるように乗馬技術が向上した。

私やユーシスと比べることはできないが、今では安心して馬の世話も任せることができる。

そう。私達は―――変わった。

 

「ねえポーラ。初めて馬術部に来た時のこと、覚えてる?」

「勿論よ。入学式の時に初めて話した生徒も、アヤだったわね。ユーシスは覚えてる?」

「・・・・・・フン」

「そうそう。そんな感じで人様の挨拶を無視してくれちゃったのよね」

 

この半年間、《Ⅶ組》で濃密な時間を過ごしてきたと思う。

それはこの馬術部でも同じ。放課後は決まってこのグラウンドか、キルシェ。

キッカケは多分、5月の特別実習。あれ以来、この3人で夕暮れを眺める機会が一気に増えた。

 

そして7月の11日。私とガイウスが結ばれた瞬間を、2人が見守っていたあの夜。

あれからユーシスは事あるごとに絡んできた。鬱陶しかったが、嬉し恥ずかしなところもあった。

クラスの誰にも関係を明かさなかった分、ポーラにはよく相談に乗って貰っていた。

ガイウスも何だかんだで、ユーシスにはよくお世話になったと言っていた。

 

ポーラが感じたように、私も不思議な感覚を抱いてしまう。

共有した時間は圧倒的に少ないのに、《Ⅶ組》同士の絆に勝るとも劣らないそれが、ここにある。

馬と戯れながら、他愛も無い会話に興じる日々。思い出が色褪せることなく、積み上がっていく。

 

「アヤ、どうしたの?」

「ううん・・・・・・何だろ、ちょっと感傷に浸ってたかも」

「やれやれ。まだ学院祭は始まったばかりだぞ。まだ8分の1だ」

 

ユーシスの言葉に、首を傾げてしまった。

既に初日の半分を終えた。だから今は、4分の1のはず。

私が指摘すると、ユーシスは再び笑いながら言った。

 

「来年度のことを忘れたのか?今回の乗馬体験もそうだろう。この調子なら、来年度の学院祭でも実施を求める声が多いはずだ」

「・・・・・・そっか。そうだよね」

 

失念していた。私達には、まだ1年と半年の時間が残されている。

学院祭も、あと3日間と半日。この盛況ぶりを考えれば、ユーシスの言う通りかもしれない。

来年になればランベルト先輩達はこの馬術部を去り、私達は2年生となる。

 

「あれ?それなら、この馬術部の部長って誰がやるの?」

「部長か・・・・・・それがあったわね」

 

再び訪れる静寂。

精力的に活動している1年生は、この場にいる3人のみ。

ならこの中の誰かが、馬術部の部長を務めるべき。それは2人も分かっているはずだ。

 

目を閉じ、考える。適任者は1人しかいないように思えた。

すると「せーの」の合図で、3人同時に名指ししよう、とポーラが提案した。

今決めるべきことではないが、本人にその自覚を持ってもらういい機会になるかもしれない。

そう思い、私は賛同した。ユーシスも同じ思いのようだった。

 

「じゃあいくわよ。せーの―――」

 

「ユーシス」

「「ポーラ」」

 

三度訪れる静寂。そしてポーラの素っ頓狂な声。

案の定、本人に自覚は無かった。そしてユーシスも、私と同じ想いを抱いてくれていたようだ。

 

「ま、待って2人とも。どうして私なわけ?」

「ポーラ部長、私は自分で考えるべきだと思うよ」

「部長殿、レース場で競馬紛いの博打に興じている輩がいるぞ」

「放っておきなさいよ・・・・・・じゃなくて!」

 

往生際が悪いとは正にこのこと。私もユーシスも、考え無しにポーラを選んだわけじゃない。

クラブ活動に費やした時間と、注いだ情熱と想い。大切なのは技術でも知識でもない。

 

「あっ。部長、そろそろ再開の時間じゃない?」

「やめてって言ってるでしょっ・・・・・・ああもう。ほらユーシス、さっさと年老いたレディーの相手をしに行きなさい!」

「な、なんだとっ。指名制は無しだと言っただろう!?」

 

来年は胸を張って、この馬術部の中心に立っていてほしいと、素直に思える。

ユーシスが丸くなった要因は、ポーラにもあるはずだ。彼女にはそんな魅力がある。

1205年に想いを馳せながら、時刻は午後の13時を迎え、乗馬体験コーナーは再開を告げた。

 

________________________________

 

午後19時、第3学生寮。

士官学院祭1日目は無事終了し、私達《Ⅶ組》は第3学生寮の食堂に集っていた。

楽器の調整や段取りの最終確認は実施済み。後は練習の成果を本番で発揮するのみとなっていた。

 

「苦労はあったけど、最後の曲の導入もいいサプライズになりそうね」

「ああ。あとは俺達がどれだけ観客を沸かせられるかが重要だな」

「まあ、ここまで来たら気合あるのみだろう」

「んー、クロスベルもそうだけど、盛り上がって来たね!」

「「・・・・・・」」

 

朝に引き続き、ミリアムが皆に冷水を浴びせるが如く、あっけらかんに言った。

 

私達が学院祭に興じている最中、クロスベルでは再び市長による緊急会見が開かれていた。

周辺各国にとっては、昨日の独立宣言以上に、ひどく現実的な危機を意味するものだった。

ミリアムに代わり、アリサがその内容について言及した。

 

「クロスベル国際銀行・・・・・・各国から預かる国外資産を、凍結するっていう話ね」

 

大陸経済の中心地であるクロスベル国際銀行。通称『IBC』。

事実上、大陸各国の国外資産の大部分を預かる銀行が、その凍結を宣言したのだ。

凍結解除の条件は勿論、昨日に示したクロスベル独立宣言、その承認だ。

各国への内政干渉どころの騒ぎではない、大陸経済を根底から揺さぶる所業だった。

 

「アヤ。今の話はどれぐらい大きな騒動なんだ?」

「要するにさ。ノルドの集落に、外貨と食料を保管している倉庫があるでしょ。そこに誰かが勝手に鍵を掛けて、『言うこと聞かないと開けないぞ』ってみんなに脅してるようなものだよ」

「・・・・・・それは、要求を飲むしかないんじゃないか?」

「フン、もっと手っ取り早い方法があるぞ。鍵を持つ何者かを痛めつけて、強引に開かせればいい」

 

ノルドの集落を例えに使ったせいか、ひどく小さな世界に思えてくる。

だが現実には、規模は大陸全土。クロスベルが相手取るのは、その全てだ。

 

ユーシスの言う通りなのだ。何も要求をそのまま飲む必要はない。

手段はいくらでもあるし、痛めつけるに十分な軍事力が、クロスベルの両隣に存在している。

クロスベルには、両国に抗う術も、軍事力も無い。だからこそ理解できない。

 

報道からだけでは、クロスベルの凶行が、一体誰の意志によるものかが見えてこない。

こういった状況を回避するために、政治には複数の力があるというのに。

まさか本当に、市長1人による大それた真似だというのだろうか。

 

「ねえミリアム。朝も聞いたけど、報道で公になっている以外に、何か新しい動きはないの?」

「あったよ!今日の夕方ぐらいに、結構おっきいのがね」

 

皆がざわめき立ち、その続きに耳を傾ける。

 

「でもキミツジコウだから言えないよ?」

 

ガタタンッ!

 

思わず椅子から転げ落ちてしまった。

私のそんな様子に、皆がクスクスと笑い声を漏らし始める。

笑っている場合ではない。恐慌や戦争の引き金になりかねない、深刻な事態なのだ。

するとアリサが、椅子に座り直す私を見ながら言った。

 

「だから余計に現実味が無いのよ。クロスベル側も、引き下がるしか方法が残っていないじゃない?引き際さえ間違えなければ、大事には至らないと思うわ」

 

そういうものだろうか。少し楽観的すぎる気がしてならない。

撤退の2文字が選択肢にあるなら、初めからあんな声明を出すとは到底思えない。

 

「ま、俺達が考えても仕方ないだろうよ。それより、こんな状況でお前さん達の親御さんは来れるのかよ?お偉いさんが揃い踏みだろ?」

「それは問題ないそうよ」

 

クロウの疑問に答えたのは、丁度食堂に入ってきたサラ教官だった。

マキアスにアリサ、ユーシスにラウラ。エリオット。

軍や政府、企業の関係者にとっても、今のクロスベルは看過できない状況にある。

一方ですぐに帝国に影響が出るわけでもなく、無用に騒ぎ立てれば返って混乱を招きかねない。

それよりは予定通り、子供達の行事に参加することで、関係者を安心させたい。

そんな連絡が、各方面から士官学院へ直接届いているとのことだった。

 

「じゃあ、予定通り父さんも来れるんだ」

「ふむ。私も一安心だな」

 

サラ教官の話を聞いた皆が、安堵の色を浮かべ始める。

私とガイウスにも今月の初め、トーマとシャルちゃんの来訪を予告する手紙が届けられていた。

ご隠居が引率してくれるそうで、今頃は帝都にあるシャルちゃんの実家に着いた頃だろう。

 

「うーん。私、考え過ぎなのかなぁ」

「アヤ、気持ちは分かるが・・・・・・朝にリィンが言っていただろう。今は学院祭のことを考えるべきじゃないか?」

 

もう何度も同じ道を行き来していた。

クロスベルに気を取られては、目の前の学院祭を見据える。その繰り返しだった。

襲撃事件を発端にして、最近は事が起き過ぎた。少しナーバスになっているのかもしれない。

 

それに原因は、他にもあるように思える。その1つが、ラン。

いつも胸元に潜むか、鳥小屋に佇んでいるはずのランの姿が、無い。

2日前の10月21日から、忽然と姿を消してしまっていた。

 

「シャロンさん。ラン、帰ってきてないですよね?」

「はい。残念ながら・・・・・・」

 

ずっと一緒だったせいか、日常から1つのピースが抜け落ちたかのような感覚だった。

たまにふらりと居なくなることはあったが、丸2日間も帰ってこないのは初めてのことだ。

最近は様子が変だったし、何か関係があるのかもしれない。ステージ演奏、見せたかったのにな。

 

「今頃どこを飛び回って・・・・・・え?」

 

不意に、鐘の音色が聞こえたような気がした。

耳を澄ませて息を潜めると、再び。3回目で、皆の表情も変わった。

4回、5回と鐘が鳴るにつれて、記憶の奥底に埋まっていた何かが浮かび上がってくる。

 

(こ、これって)

 

あれはいつのことだ。夜空に鳴り響いた鐘の音色。私はこの音を、知っている。

私が思い至ったのと同時に、数人がハッとしたような表情を浮かべた。

それで確信が持てた。リィンにラウラ、ユーシス。ガイウスとミリアム、エマ。

8月末の特別実習。エベル湖の湖畔に佇みながら、青白色の光を放っていたローエングリン城。

2ヶ月の時を経て、同じ音色が遥か遠方から響き渡っていた。

 

この日の私には、知る由も無かった。

ランとの出会い。そして謎の失踪。その全てが、繋がっていたことを。

運命の歯車は、知らぬ間に動き始めていた。

 

10月23日。私がトリスタを去る、『5日前』の出来事だった。


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