絢の軌跡   作:ゆーゆ

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巨イナル影ノ領域②

旧校舎第7層、最奥部。

 

「やれやれ、おっ始めやがったな」

「うん・・・・・・」

 

私達が足を踏み入れた空間と、サラ教官が残ったそれに、物理的な繋がりはない。

扉と言っても、正確には他の階層にも存在していた、転送装置のようなものだろう。

サラ教官と私達は、同じ場所にいない。だというのに、戦闘の波動を感じる。

肌が痺れるようなこの剣気は、サラ教官が放つ独特の気合に他ならない。

 

「皆、今は前に進もう。サラ教官に応えるには、それしかない」

 

リィンの声に反応し、皆が顔を上げ、前を見据えた。

サラ教官が食い止めてくれている以上、後退の2文字はあり得ない。

私達が為すべきは前進。そして異変の真相を突き止め、解決すること。

 

だからこそ、眼前の光景が理解できない。

この空間が、第7層の最奥部。何かを知っているであろうエマも、つい今し方そう言っていた。

 

「フン。前に進むことができるなら、お前がやってみろ」

「ぼ、僕の目が正常なら・・・・・・これは、壁じゃないのか?」

 

私達の前に立ち塞がった、壁。周囲には何も見当たらない。

何らかの紋様と、その中心に巨大な宝珠のような物が埋め込まれてはいる。

それ以外には、特に変わった様子は見受けられない。見た限りでは唯の壁なのだ。

引いても押しても微動だにしない。前進が可能なら、とっくにそうしている。

勘弁してほしい。ここに来て立ち往生している場合ではないというのに。

 

するとエマが歩を進め、右手でそっと壁に触れる。

何かを確かめるような気配を見せた後、ゆっくりと振り返りながら言った。

 

「リィンさん。必要なのは、あなたの意志と覚悟です」

「意志と・・・・・・覚悟?」

「はい。目を閉じて、純粋に念じてみて下さい。リィンさんが想う、意志と覚悟を」

 

エマに従い瞼を閉じ、左胸に手をやりながら、考え込むような素振りを見せるリィン。

私達には、見守ることしかできなかった。それで一体、何が起きるというのか。

 

―――サア、シメスガヨイ。

―――ナンジノ、ナンジラノタマシイノイロヲ。

 

「あっ・・・・・・」

 

不意に、声が聞こえた。

そう思い周囲を見渡すと、私と同じような表情を浮かべる皆がいた。

 

「き、聞こえたわよね?」

「ボクもボクも!多分、入口で聞いた声と同じじゃないかな?」

 

ミリアムの意見に、皆が首を縦に振った。

この魔宮に入り込む前にも、無機質な声が聞こえた。まだハッキリと覚えている。

 

―――ダイロクコウソクマデノカイジョヲカクニン。キドウシャコウホノライホウヲカンチ。

―――トキハイタレリ。コレヨリダイニノタメシヲシッコウスル。

 

『ダイロクコウソク』は第6拘束。

地下6層までの仕掛けを意味しているというのが、マキアスの意見。

『ダイニノタメシ』は第2の試し。

地下4層でエリゼちゃんを巻き込んだ、あの騒動に続く2つ目の試練が今日。これはリィンの考え。

『キドウシャ』は今のところ不確定。

3ヶ月前の騒動でも耳にしたが、結局は分からず仕舞いだった。

 

それでも1つ、確かなことがある。

旧校舎には、何者かの意志が宿っている。そして私達は、それに触れた。

この先に、異変を引き起こした何かがある。その異変にも、きっと意味がある。

 

「皆にも、聞こえたんだな」

「ええ。ARCUSのリンク機能によるものと思われます・・・・・・皆さん、聞いて下さい」

 

改まった口調で、エマが私達を見渡しながら言った。

いつの間にか、セリーヌも壁の前に居座っていた。

 

「この先には、皆さんの想像を絶する試練が待ち構えています。リィンさんを含め、その覚悟ができていますか?」

「エマ、あなた・・・・・・」

「ふむ。やはりそなたは、何かを知っているようだな」

 

思わせぶりなエマの言葉に、返す言葉が無い。

それに覚悟があるから、私達はここまで来た。そう口にしようとした瞬間、エマの表情が消えた。

 

「少々、分かり辛かったですね・・・・・・言い換えます」

 

血肉を吐き、骨を折り、命を賭してでも。

この先に進む覚悟がありますか。本物の恐怖に、打ち勝つ覚悟はありますか。

無いなら、この場を離れて下さい。私が許します。

無表情のまま、平坦な声でエマはそう告げた。

 

唐突に迫られた選択。

それが単なる脅しでないことは、私達が置かれた異常な状況のおかげで理解できた。

先程と同様に、返す言葉が無かった。誰もが同じだった。

 

最初に口火を切るのは、多分リィンだろう。

そんな私達の期待に応えるように、彼は私達の一歩前に踏み出した。

 

「委員長。何となく分かるんだ。俺は・・・・・・いや、違うな。俺達は、試されている。そうなんだろ?」

 

分からない事だらけの中にある、唯一確かな真実。

3月31日。サラ教官の下、私達はこの旧校舎に集った。

あれが全ての始まり。私達は月を重ねる毎に、1層ずつ地下深くへ導かれてきた。

 

「多分、元々はバラバラなんだと思う。俺達が《Ⅶ組》に入ったのも、実技テストや特別実習も、この国の動乱も、今日が10月23日だってことも・・・・・・俺の胸の痣が、疼くことも」

「リィンさん・・・・・・」

「でも俺達の中では、全てが繋がっている。ここで退いたら、俺達が積み重ねてきた全てが無駄になってしまう。俺には、そう思えるんだ」

 

だからこれが、俺の意志と覚悟だ。

リィンはそう言うと、太刀の鞘を払いながら、壁―――扉の前に立った。

それに続いたのは、アリサとエリオットだった。

 

「それなら、私も同じね。私が正しいと思える道を母様に示すためには、前を向くしかないもの」

「は、はは・・・・・・正直、怖いよ。怖くて堪らないけど・・・・・・皆と一緒なら、耐えられると思う」

 

その後はあっという間だった。

言葉とは裏腹に、皆の顔には恐怖という、逃れられない感情の色が浮かんでいた。

なのに、動く。それを超える意志と覚悟を以って、皆が扉の前へと歩を進めていく。

 

「アヤ」

「・・・・・・うん」

 

差し伸べられたガイウスの手を見詰めながら、思い起こす。

リィンは全てが繋がっていると言った。私の場合はどうだろう。

 

やっとの思いで見つけることができた、遊撃士としての道。

支える籠手の紋章に恥じないよう、涙を堪え、歯を食いしばって乗り越えてきた。

エリゼちゃんを救えた。ガレリア要塞を、クロスベルを守り抜くことができた。

お母さんの剣とサラ教官の意志を継いで、乗客の命を救うことができた。

退くわけにはいかない。背中合わせをするように、偉大な先輩の背中が、後方にある。

 

10月23日。この日付にも、確かに意味があるように思える。

傍から見れば、学院祭の中止に駄々をこねる、子供に見えるのかもしれない。

そう受け取られても構わない。私達は、それ以上に大切な物を背負い始めている。

 

例えばもし、今日が無かったら。私の人生の中から、10月23日が抜け落ちてしまったら。

ポーラやユーシスと語り合うことはなかった。親友との思い出は、全て消え去る。

 

『そういえば、部長ってどうやって決めたんだっけ?』

『あれだよ。学院祭の初日に、3人で多数決を取ったじゃん』

『ああ、そうそう。よく覚えてるわね』

 

如何にもありそうな会話だ。

今日という日を思い返す未来は、きっと数え切れないぐらいやって来る。

来年には、思い出話に花を咲かせるだろう。その翌年も、数年先だってそう。

たった1日の出来事が、色褪せることのない、掛け替えのない思い出に変わってくれる。

 

10月24日は、きっとそれ以上。

この異変を食い止めなければ、学院祭は中止。

明日だけじゃない。明日を含めた未来を掴み取るためにも。

明日に向けて積み重ねてきた日々を、この半年間を、確かな思い出に変えるためにも。

 

「行こう、ガイウス」

「ああ。きっといい風が吹いてくれる」

 

彼と一緒に、前へ進もう。皆と一緒に、明日に向かって。

それがきっと―――私と、私達特科クラス《Ⅶ組》の意志と覚悟だ。

 

扉の目へ集った私達は、自然に手と手を取り合い、円陣を組んだ。

エマは何も言わなかった。代わりにリィンへ促すように、しっかりと首を縦に振った。

するとアリサが何かを思い出したかのように、笑みを浮かべながらリィンへ言った。

 

「ねえリィン。折角だから、いつものをやってくれない?」

「いつものって・・・・・・あれか」

 

口に出すのは蛇足。言わずとも、アリサの意図は容易に汲み取れた。

いいアイデアだ。こういう時は普段と同じ流れを取った方が、リラックスできるに違いない。

 

「作戦開始の号令は大事」

「あはは、ボクも賛成ー!」

「よっ、我らがリーダー」

「フン、噛むんじゃないぞ」

 

矢継ぎ早の催促。頑張れ、リィン。噛んだら本当に全てが台無しだから。

リィンは若干躊躇いながらも了承し、ゆっくりと瞼を閉じた。

 

リィンの意志と覚悟が、扉の鍵。開くタイミングは彼次第だ。

深々と深呼吸を置いた後、リィンは私達を導いてくれた。

 

「トールズ士官学院《Ⅶ組》総員。これより旧校舎の異変を食い止めるべく、それぞれの意志と覚悟を以って、最後の試練へ立ち向かうっ・・・・・・俺達の手で、明日を掴むんだ。皆、準備はいいか!?」

「「おうっ!!」」

 

応えるやいなや、寒気を感じた。

この領域に踏み込んでから狂い始めていたいくつもの感覚が、再び激しさを増していく。

 

寒くないのに、寒い。

眠くないのに、眠い。

生きたいのに―――死にたい。

 

(えっ?)

 

思わず目を開けてしまった。

繋いでいたはずの手はいつの間にか解かれ、立ち位置までもがバラバラ。

皆の姿は確認できる。全員が確かに、この場にいる。

 

「・・・・・・何、ここ」

 

見渡す限りの、灰色の砂。灰色の雲。灰色の風。

周囲には雑草が生い茂るように、無数の刃物が突き立てられていた。

その先には、何も無い。何も見当たらない。地平線さえもが、灰色にくすんでいる。

 

「わ、私達・・・・・・夢でも、見ているの」

「分からぬ。分からぬがっ・・・・・・気を付けるがよい!何か、来る!」

 

ラウラの叫び声と同時に、突如として、眼前に漆黒の湖が現れる。

その中からゆっくり、ゆっくりと。ゆらゆらと。

得体の知れない『何か』の頭部が、私達を覗き込むようにして出現した。

 

(―――!?)

 

気当たりとも違う。物理的な波動ではない。

その頭部から発せられた何かに、身体を射抜かれたかのような感覚を抱いた。

 

反射的に爪を両の掌に突き立て、下唇を噛みながら、血を流していた。

そうでもしないと、気を失いかねない。頭が発狂しそうになる。

本能が働き、身体が勝手に動いていた。

 

―――コレナルハ、オオイナルチカラノカケラ。

―――テニスルシカクガナンジニアリシカ、サイゴノタメシヲシッコウスル。

 

再び頭の中に響き渡る、無機質な声。

その意味に考えが回るより先に、隣に立つエリオットの異変に気付いた。

 

「っか・・・・・・はっ・・・っ」

 

がくがくと身体を震わせながら、その眼は焦点が合っていない。呼吸音が、不自然過ぎる。

迷っている時間は無かった。私は血で染まった右の掌で、力任せにエリオットの頬を殴った。

加減が利かなかったせいか、彼の身体はその勢いで地面に崩れてしまった。

 

「がっ・・・・・・はぁ!はぁっ。ご、ごめん。助かったよ」

「気をしっかり持って!少しでも退いたら、全部持っていかれるっ・・・・・・!!」

 

エリオットに対しては有効だったかもしれない。

だがそんな私達の異様な様は、皆の恐怖心を煽るには十分過ぎた。

これでは駄目だ。もう、『何か』の上半身が見えている。

エマの言葉は正しかった。あれは普通じゃない。何もかもが、常軌を逸して―――

 

「馬鹿野郎!!てめえらの覚悟はそんなもんかよ!?」

 

暗闇を切り裂いたのは、クロウの罵声だった。

クロウは導力銃を構えながら、力の限り私達に声を荒げ始める。

 

「後ろにサラがいんのを忘れてんじゃねえぞ!ここでビビッて、何が特科クラスだっ・・・・・・明日を掴むんじゃねえのかよ!?分かったらさっさと前を向きやがれ!!」

「ガーちゃん、お願い。最初っからリミッターは外すよ」

 

クロウに続いて、ミリアムが制服の上着を乱雑に脱ぎ捨てる。

 

「ボク、この戦いだけは絶対に負けたくない。だからお願い、ガーちゃん」

「ՓѐАΠϒ」

 

ミリアムとクロウが私達と生活を共にするようになったのは、2ヶ月前。

たったの2ヶ月だ。そんな2人の言葉と行動は、覚悟が揺らぎかけた皆を、突き動かしてくれた。

 

「2人の言う通りだっ・・・・・・怯むな、我らならきっとやれる!」

「ああ。これが最後の『試し』だ」

 

既に魔物は、その全身を露わにしていた。

漆黒の瘴気と影が質量を持ち、生物を思わせる四肢を揺らす。

あのノスフェラトゥが取るに足らないと思えてしまう程に、巨大な『力』が蠢いていた。

 

「俺達の全力を以って、あの巨大な影を撃破する!!」

 

リィンの声を合図に、死闘が開幕を告げた。

それは正に、死闘そのものだった。

 

_________________________________

 

ノスフェラトゥを引き合いに出したのは、あながち間違いでもなかった。

魔物が腕を上げると同時に、何も無い空間から小さな影が次々に生まれていく。

影は行き場無くゆらゆらと浮遊したかと思えば、突如として弾け飛び、四散する。

爆発、と表現するのが適切かもしれない。接近を許せば、その爆発に巻き込まれた。

影に気を取られていると、魔物の剛腕が襲い掛かってくる。

腕を薙ぎ払っただけで、地面が抉れる。まともに食らえば、助からない。

 

特徴はノスフェラトゥに似通っていた。ただ、何もかもが想像の範疇を超えていた。

言葉は不要だった。口に出しては追いつかない。

戦術リンクで意志の疎通を図り続けない限り、誰かの命が危険に晒された。

 

影の集団は、遠距離からの迎撃が可能な面々が押さえていた。

私を含めた前衛陣は唯ひたすらに、魔物の一撃を躱しては、技を放っていた。

既に地面は鮮血に染まっていた。それが誰の血かは、もう判別が付かない。

誰もが全身に深手を負っていた。とりわけ影の爆発による、炸裂傷が目立った。

私の左腕も火傷による激痛に苛まれ、傷が固まっては動かす度に、肉が千切れた。

 

30分程前だろうか。誰かのARCUSの時計が視界に入った。

午後24時。戦闘が開始してから、おそらく1時間近くが経過していた。

乾き切った喉に灰色の砂と瘴気が入り、呼吸がままならない。

 

このままでは―――もう、駄目かもしれない。私には、そう思えた。

駄目押しと云わんばかりに、背後から悲鳴が聞こえてくる。

 

(あ、アリサ!?)

 

地面に力無く、アリサの身体が横たわっていた。

影を迎撃し切れず、爆発をまともに食らったのかもしれない。制服が所々、燃えていた。

構うことなく、横たわるアリサに向かって、再び周囲の影が接近していた。

 

「アリサぁ!!」

 

庇うように駆けつけたエリオットへ、立て続けに影が浮遊し、爆発の炎が上がった。

今度は彼の悲鳴が聞こえた。振り返る暇も無かった。

その全てが、一瞬の出来事。魔物と対峙していた私達には、どうすることもできなかった。

 

だからと言って―――私は、何をしているんだ。

 

「・・・・・・タイム」

 

私の場違いな声に、皆の耳がピクリと動く。

駄目かもしれない、じゃない。このままでは、本当に駄目だ。

我慢し切れず、額に思いっ切り右拳を打ち付けた。

 

私は今何を考えていた。何故動かない。

もう明日じゃない、今日だ。日付が変わり、学院長との約束は既に破綻している。

このままいけば、間違いなく全滅。私達は今日で終わりだ。

終わらせない。絶対に、終わらせはしない。

 

「リィンっ!!」

「ああ!マキアス、クロウ、頼む!」

「分かっている!」

「任せとけってんだ!」

 

前言撤回。言葉は必要だ。口に出すだけで、周囲がまるで違って見えてくる。

マキアスとクロウはありったけの弾丸をばら撒くと、影の集団が一気に四散した。

私達は一旦後退し、深手を負った2人の下へと駆け寄る。

 

「委員長、2人は!?」

「こ、こんな・・・い、一刻も早く治療を・・・・・・っ!?」

 

突然、意識を失った2人の身体が、宙に浮いた。

あっけにとられた私達を余所に、2人は魔物に向かって浮遊した。

文字通り、吸い込まれた。2人とも、魔物の体内の中へと、消えて行ってしまった。

 

「なっ!?」

「い、一体何を・・・・・・何が、どうなっているんだ!?」

 

答えは無い。見つかりはしない。

確かなことは、2人が魔物の中に、消えた。その事実だけだった。

気を持ち直した私達の顔に、再び絶望の色が浮かびかけた、その時。

 

「私がやる」

 

双剣銃に弾丸を込めながら、フィーが言った。

 

「邪魔なのは影。私が飛び込んで一掃する。その隙に、あの魔物を総出でやる。それしかない」

 

既に魔物の前方には、いくつもの影が蠢いていた。

私達は一旦退いてしまった。あれをどうにかしない限り、もう魔物に技は届かない。

フィーの技を以ってすれば、確かに掃討できるかもしれない。

ただ、その反動は計り知れない。群れの中心で技を放てば、爆発の衝撃を直に食らってしまう。

 

「ば、馬鹿者!それではそなたが―――」

「黙って!もう方法がない。長引けば全滅、分かってるでしょ。そんなの絶対に嫌」

 

10秒後に仕掛ける。フィーは言うと、腰を落としながら、突撃の構えを取る。

迷っている時間も、余裕も無かった。応えるように皆が得物を構え、アーツの詠唱を開始した。

私も、覚悟を決めた。全てをフィーに託し、やるしかない。

 

「フィー!私の遠撃と同時に、飛び込んで!」

「ん、助かる」

 

きっかり10秒後。

私は渾身の力を込めて、長巻を後方へ振りかざした。

 

「連舞―――飛燕投月っ!!」

「アクセルっ・・・・・・!」

 

私が放った斬撃は、影が蠢くど真ん中を貫き、爆発が連鎖した。

それを追うように、フィーが地面を蹴る。気付いた時には、フィーは影の中央にいた。

 

「シルフィードっ・・・・・・ダンス!!」

 

フィーが放った無数の弾丸は、的確に影の集団を捉えていた。

続けざまに発生する、連鎖爆発。その中心にいながらも、フィーは手を止めなかった。

爆風と炎は、魔物までをも巻き込んだ。魔物の重々しい声が、周囲に響き渡っていく。

 

爆発の勢いが収まると、力無く項垂れる魔物の姿があった。

ここだ。機は今しか無い。これを逃せば、もう勝機は無い。

 

「皆、今だ!!」

 

リィンの合図で、私達は駆け出した。

その足が止まったのは、沈黙したはずの魔物が、再び目が眩むような殺気を放った時だった。

 

「「っ!?」」

 

突如として、魔物の剛腕が薙ぎ払いの形で、私達を襲った。

躱す余裕は無かった。受け止める力などありはしない。

その間へと割って入ったのは、ミリアムとアガートラムだった。

 

「ガーちゃん!!」

 

障壁を展開したアガートラムが、剛腕を真正面から受け止める。

その勢いは収まることなく、後方のミリアムを巻き込みながら、振り切られた。

遥か遠方に、アガートラムとミリアムは吹き飛ばされてしまった。

ミリアムの身体は、ピクリとも動かなかった。

 

今の一撃で、周囲に舞い上がっていた砂埃が吹き飛び、視界が明瞭になる。

目に飛び込んできたのは、爆発の中心地に1人横たわる、フィーの小さな体躯。

魔物はその剛腕を頭上に掲げ、眼前のフィーがいる地面に向けて、振り下ろそうとしていた。

 

「フィー!?」

 

足が動くよりも先に、口が動いてしまった。

そして後悔するよりも先に―――魔物の腕が、轟音と共に振り下ろされた。

 

思わず目を閉じた。開きたくなかったが、今更現実から目を逸らしても、どうにもならない。

そう思い瞼を開くと、見えるよりも先に、男性の呻き声が聞こえた。視線の先には、3人いた。

 

「・・・・・・嘘」

 

ユーシスとマキアスが、振り下ろされた腕を受け止めていた。前方には、クロウの姿もあった。

腕がおかしな方向に折れ曲がり、足は地中深くに埋まり、鮮血に染まっていた。

立っていられるのが異常と思える程に、3人の身体は、限界を迎えていた。

 

「ったく、よぉ・・・俺様、は・・・・・・何、やってん・・・・・・」

 

クロウの呟きと同時に、3人の身体が崩れ去る。そこからは、先程の繰り返しだった。

フィーとミリアムを含めた5人の身体が宙に浮かび、魔物の身体に吸い込まれる。

再び周囲には影が召喚され、私達の行く手を阻み始めていた。

 

自分でも信じられないぐらい、視界と思考が明瞭だった。

単純な話だ。私がああならなかった理由も、ひどく単純。

 

「こうも自分自身に腹が立ったのは、初めてです」

 

私の胸の内を代弁するように、エマが導力杖を地面に突き刺して言った。

もういい。いい加減にしろ。本当に―――いい加減にしろ。いい加減にしろ!!

 

「がっ・・・っ・・・うあああああぁぁぁぁっっ!!!!」

 

もう耐えられない。私は何をしていた。

エマが言っていただろう。命を賭す覚悟があるかと。

私は今だ。皆が覚悟を示してくれて、やっとだ。情けなさで身体が千切れそうになる。

明日が遠のいてもいい。皆で無事に帰ると、サラ教官に約束した。

未来を掴めるなら、今を捨ててやる。月光翼の限界を超えろ。もう一度、あの力を―――

 

(―――え?)

 

突然、身体が軽くなった気がした。

同時に、腰元のARCUSから温度を感じた。

結界の前で、皆のARCUSが光を放ち始めた、あの時の感覚。そのものだった。

 

「アヤ。君の力と痛みを、俺にも分けてくれ」

「そうでもしなければ、私は自我を保てそうにない」

 

ガイウスとラウラ。それにリィン。

戦術リンクを介して、月光翼の限界を超えた力と苦痛が、3人へと流れ込んでいく。

その奇跡さえも、今となっては取るに足らない些細な事象に過ぎなかった。

 

「聞いて下さい。今から私が持つ全てを術に込めて、放ちますっ・・・・・・それで取り込まれた皆さんを救えるはずです。どうか私に、時間を下さい」

 

エマは眼鏡を外すと、その全てを導力杖に向けて注ぎ始めた。

私達には残された時間も、数も、力も少ない。できることは限られている。

戦術リンクのおかげで、簡単に意志は共有できた。

 

「なら、俺達にできることは1つしかあるまい」

「ああ。我らには打って付けの役割だ」

「分かりやすくて私も助かるよ」

「時間が無い、皆を救うためにも・・・・・・負けるわけにはいかない!絶対に諦めるな!!」

 

作戦なんか無い。数秒先のことも考えられない。

影の襲来からエマを守るために、私達は我武者羅に足を動かし、腕を動かし、抗い続けた。

元々接近戦を本職とする4人だ。私達は得物を振るう毎に、爆発に巻き込まれた。

 

最初に限界を迎えたのはガイウスだった。

元々皆を庇い、深い傷を負っていた分、そうなるのは目に見えていた。

 

驚いたことに、次に変化が訪れたのは、魔物の方だった。

無尽蔵に沸いてくると思われた影は、最後の爆発を境に、姿を消した。

魔物の動きも鈍っていた。外見ではダメージの程が窺えないからか、全く予想していなかった。

 

「ラウラ、アヤ!」

「ああ!一気に押し切っ―――がはっ!?」

 

何の前触れも無く、ラウラの額が割れた。続いて私の身体からも、血飛沫が舞った。

リィンも蹲り、苦痛に顔を歪めていた。それで漸く、合点がいった。

月光翼の限界を超えた反動。分散していたとはいえ、私達の身体にも、限界が訪れていた。

 

それを好機と捉えたのか、魔物が再び、その右腕を振り上げた。

その先にいるのは、私。もう身体がピクリとも動かない。

 

「ぐっ・・・・・・アヤ!」

「あ、アヤっ」

 

私には魔物の腕が、死神の鎌のように見えた。

身体が弛緩し切った今、あれを食らえば間違いなく助からない。

エマの術も、間に合いそうにない。その先に待っているのは、紛れもない最期。

 

「うっ・・・うぅぅ・・・・・・っ」

 

大粒の涙が、地面に零れ落ちていく。悔し涙でも、悲しみのそれでもない。

死にたくない。私はまだ、死にたくない。唯々恐怖に駆られ、泣いた。

 

届かなかった。明日をも捨てた力と覚悟すらも、無に帰してしまった。

誰でもいい。誰でもいいから、このどうしようもない現実を、変えてほしい。

私の願いは届くことなく、無慈悲な鉄槌が、私に向かって振り下ろされた。

 

(―――っ!!)

 

鈍い音が響き渡った。

地面に、頬に、足に。生温かい血が飛び散ってくる。

私の血じゃ―――ない。

 

恐る恐る視線を上げると、背中が見えた。

涙で視界が滲み、外見からでは誰の背中かが分からない。

 

それでも、私はすぐに思い至った。ガイウスでもリィンでも、ラウラでもない。

後ろで結っていた髪は解け、血で固まっていた。衣服もボロボロ。全身が無数の傷だらけ。

大好きな背中だった。追いつこうとどれだけ歩を進めても、一向に辿り着けない、私達の背中。

 

「何、してるのっ・・・・・・最後まで!前を、向きなさい!!」

「っラ、教官っ・・・・・・!」

 

次の瞬間、エマの術式の声が上がり、周囲が紫色の光に包まれた。

ローエングリン城でノスフェラトゥを葬り去った、光の術技。

その光と衝撃で、頭を盛大に揺さぶられた。もう、限界だった。

段々と遠のいて行く意識の中で、リィンの叫び声と、剣技の波動を肌で感じた。

 

お願い。どうか、私達に未来を。

空の女神に願いながら、私は深い闇の中へと落ちて行った。

 

_______________________________

 

背中が冷たい。それに、誰かの声が聞こえる。

トワ会長か。それに、ジョルジュ先輩もいる。

ここはどこだろう。頭がボーっとする。私達は確か、旧校舎に入って。

その先で、私達は―――

 

「―――あれ?」

 

勢いよく半身を起こす。

途端に身体が軋み、痛みを覚えた。傷の痛みかと思ったが、そうではなかった。

身体が冷え切って、固まっている。そんな状態で、急に動かしたせいかもしれない。

 

「おっと。2番目のお目覚めだね」

「よ、よかった・・・・・・これなら、皆も大丈夫そうだね」

「あ、あの」

 

言葉が出て来ない。視界や聴覚といった感覚は明瞭だ。

一方で、頭が働かない。何がどうなっている。

 

混乱していた私は、取り急ぎ現在の日時を聞いてみた。

トワ会長曰く、午後の24時20分。もうこの時点で何かがおかしい。

戦いの最中に目にした時刻と、その後の時間を考えれば、24時20分はあり得ない。

 

落ち着こう。ここは旧校舎。それはまず間違いない。

私達が最後の試練へと立ち向かった時の場所だ。

私の周りには、皆がいた。そして、思わず目を疑った。

誰の身体にも、傷1つ見当たらない。制服だってそうだ。

場所だけではなく、何もかもが試練の前と同じ。元通りだった。

 

「アヤ」

「え・・・・・・さ、サラ教官」

 

トワ会長らの後方には、サラ教官の姿もあった。教官も、鮮血に染まってはいなかった。

2番目というジョルジュ先輩の言葉から察するに、サラ教官も同じ状況にあったのだろう。

 

「サラ教官。これ、どうなってるんですか?」

「分からないわよ。気付いた時には、皆ここにいたの」

「分からないって・・・・・・じゃあ、あれは何だったんですか?覚えて、いますよね?」

「勿論」

 

サラ教官は笑いながら、私の頭の上に右手を置いた。

温かい。冷え切った身体へ伝わってくる、僅かばかりの体温。

今はそれが、大変に温かく感じられた。

 

「頑張ったわね。皆で掴み取った、10月24日よ」

 

10月24日。

その日付を耳にした途端、自然と目に涙が浮かんだ。

同時にたくさんの感情が一気に膨れ上がり、胸が締め付けられていく。

 

「サラ、教官っ・・・・・・教官!」

「っとと。どうしたのよ。随分と甘えん坊ね?」

 

サラ教官と記憶を共有している以上、全て夢ではない。

だが感覚は夢そのものだ。全身に汗をかき、悪夢から目覚めた時の感覚。

夢で良かったと、ホッと胸を撫で下ろした時の、あの感覚。

それの最大級とも言える感情が私を襲い、涙となり止めどなく流れ出ていく。

安心しているのか、嬉しいのか、怖かったのか。全てが入り混じり、嗚咽が止まらない。

 

「うっ・・・うぅ・・・・・・教官っ」

「はぁ。もう気が済むまで泣いちゃいなさい。あたしはどこにも行かないわよ」

 

皆が次々と目を覚ましていく最中、私はサラ教官に縋り付きながら、泣き続けた。

10月24日、午前0時24分。既に学院祭は、2日目に突入していた。


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