絢の軌跡   作:ゆーゆ

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後半部分は『空の軌跡~空を見上げて ボーカルバージョン~』をお聴きしてからお読み頂ければ幸いです。


10月24日、午後

『子爵令嬢メリッサ』。詳細はユーシスが教えてくれた。

今から40年以上も前に作曲、初演された、全4幕からなる軽喜劇。

所謂オリエントブームの火付け役となった作品であり、その伝統的且つ物議を醸した舞台設定は、後のオペレッタの在り方へ大いに影響を及ぼしたとされている。

 

物語自体は至ってシンプル。

フランツ子爵令嬢メリッサは、老若男女を問わず、誰からも愛される優しい女性だった。

同じ貴族の身分に属する許嫁がおり、その男性とはお互いに将来を誓い合った仲だった。

一方でもう1人、彼女には淡い感情を募らせる男性がいた。

遥か東、共和国の東端からやって来た一介の軍人。出会いは唐突に訪れた。

 

第1幕を終えた時点では、メリッサは後者を選ぶだろうと予想していた。

第3幕に差し掛かった辺りから、メリッサの心は次第に揺れ動いていく。

最終的には、彼女は思い出を選んだ。長年寄り添い、共に歩を進めてきた男性を選んだのだった。

 

40年前を反映した作品なのだと思う。私達には知り得ない、1150年代を思わせた。

異国の文化を描いておきながらも、結局は『国と伝統』を選んだと言い換えることができる。

知る由も無いが、当時はオリエンタリズムに対するアンチテーゼの代表として扱われたそうだ。

神秘的な幻想を東方の地に抱き始めていた国民に対する、警笛だったのかもしれない。

 

40年の時を経て、《Ⅰ組》はその全てを再現してくれた。

 

「フン。随分と皮肉の利いた演目を選んだものだ」

「それにしたって・・・・・・その、言葉が見つからないわね」

「ああ・・・・・・すごかったな」

 

ユーシスのような感想を抱かなかったと言ってしまうと、それは嘘になる。

私達は魅せる側だ。同じ立場にあるからこそ、彼らの全てが見えてくる。

 

多分、選択自体に意味は無い。あるとしても、そこに彼らの本意があるとは思えない。

作品に込められた作者の意図すらもが、ひどく些細な物に思えた。

 

「あっ」

「む・・・・・・」

 

肩で息をしながら、額に大粒の汗を浮かべる《Ⅰ組》の皆が、舞台裏へと戻ってくる。

先頭を歩いていたパトリックは、乱雑に袖口で汗を拭いながら、リィンの眼前に立ち止まった。

 

「はは、お疲れ。すごい完成度だったな」

「・・・っ・・・・・・!」

 

パトリックはリィンの顔を一睨みした後、口を閉ざしたまま再び歩を進めた。

全部、今し方の軽喜劇に込めた。そう言いたかったのかもしれない。

 

人数は関係ない。《Ⅰ組》が持つ人脈や金脈は、知識や力はこの際問題ではない。

彼らは自らの手足と声を以って演じ、歌い切った。それに変わりはない。

きっと彼らも、作品に込められた意志や感情には興味が無い。観客のための劇ですらなかった。

その矛先は自分自身であり、私達《Ⅶ組》。ひどく身勝手で、真っ直ぐ。私にはそう映っていた。

これが―――《Ⅰ組》の1ヶ月間。彼らが目指した学院祭2日目、10月24日。

 

やがて劇に使用されていた舞台装置が撤去され、私達は手早く演奏の舞台を仕上げに掛かった。

時計の針が2時45分を指した辺りで、15分後に演奏が開始する旨を、トワ会長が告げた。

 

「まあ、僕らも練習の成果を出せれば、見劣りはしないんじゃないか」

「そうだね。僕達だってずっと頑張って来たんだから、きっといいステージになるはずだよ」

 

昼前に高まり掛けた緊張感が、いい意味で薄らいでいく。おそらくこれも、《Ⅰ組》のおかげ。

私達と同等かそれ以上の時間と労力を費やしながら、彼らは積み重ねてきた。

観客の歓声で、結果が報われたことを示していた。なら、私達だってきっと大丈夫。

身に覚えのない挑戦状に応えるためにも、腹を括るしかない。

視線でお互いの意志を確かめ合っていると、背後から声が聞こえた。

 

「フフ、何とかギリギリ間に合ったみたいだね」

「え・・・・・・」

 

ドクンと、胸の鼓動が一際大きな音を上げた。

そんなはずがない。声に振り返ることすら気が引けた。

本番の15分前。開幕を直前に控えた今、一度顔を見てしまったら、私は普通ではなくなる。

結局は、振り返るしかなかった。この状況下で、1人顔を背けることの方が躊躇われたから。

 

「アンゼリカ・・・・・・先輩?」

「やあ、3週間振りかな。皆元気そうだね」

 

思わず語尾が疑問形になってしまった。

視線の先には、艶やかな紺色のドレスに身を包んだ、アンゼリカ先輩がいた。

妖艶、という表現がしっくり来た。その2文字を使う機会が、今後何回あるのだろう。

胸元が露わになったドレス姿に、男性陣は目の行き場に困り果ててしまっていた。

 

突然の再会に面食らった私達に、アンゼリカ先輩は事の経緯を話してくれた。

学院祭に顔を出したいという先輩の申し出は、当然父である侯爵閣下から猛反対を食らった。

それならばと先輩が持ち出したのが、これまで幾度となく断り続けていた、見合い。

何件かの見合いを受けるという代償の先に、今回の来訪が叶ったとのことだった。

 

「確かに、礼儀には敵っている装いでしょうが・・・・・・」

「アンゼリカさんが着ると・・・・・・その、迫力があり過ぎますね」

「フフ、君達の艶姿に比べたら、流石に負けるというものさ」

 

言いながら、怪しげな笑みを浮かべるアンゼリカ先輩。

先輩はごく自然にアリサとエマの下へ歩み寄り、2人を抱いた。

抱きながら頬ずりに頬ずりを重ね、くんかくんかとその匂いを満喫していた。

言ってしまえば唯の変態行為である。クロウのセクハラという表現がかわいく思えてくる。

 

傍から見れば異常な光景なのだろう。私にとっては、想い焦がれた日常の1枚。

たったの3週間振りとなる先輩の姿を、私は目を据えてじっと見つめ続けていた。

 

やがて頭上からトワ会長の音声が鳴り、スタンバイの指示が下される。

開幕10分前。私達の3週間を試される時が、目前に迫っていた。

 

「よし、遂に俺達の出番だ」

「最終のチューニングをしたいから、1曲目のメンバーは位置に付いてくれるかな」

「ガイウス、頑張ってね」

「ああ。先に行って待ってる」

 

1曲目はマキアスとユーシスのツインボーカル曲。

その次がエマ、そしてバックダンサー3人組が主軸となる2曲目。

私の出番は2曲目からだ。取っ掛かりはガイウス達に任せるしかない。

 

皆をステージへと見送った後、私は再び振り返る。

目と鼻の先に、アンゼリカ先輩の顔があった。相も変わらず近い、近すぎる。

 

「いやなに、君の匂いを味わうのを忘れていたからね」

「はいはい。どーぞご自由に」

「フフ、やけに素直じゃないか・・・・・・それで?その恰好は、一体何の冗談かな」

 

本番直前に、冗談を決め込む余裕なんて無い。

私が身に纏うのは、皆とお揃い。白と黒を基調とした、斬新且つ大胆な衣装だった。

異なる点があるとするなら、それはアンゼリカ先輩から託された一式しかない。

手甲と鉢がね。10月2日のあの日、私は心に決めた。先輩と一緒にステージへ立つと。

誰にも文句は言わせない。今日この場に限り、これが私の勝負服だ。

 

「変ですか?結構似合ってると思いますけど」

「そうですね。とってもアヤさんらしいです」

「元々刀を振り回す役だし」

「アヤ格好良いー!」

 

アンゼリカ先輩はそっと私の頬に触れた後、無言で控室を後にした。

危なかった。涙を堪える作業で手一杯だった分、あれ以上交われば抑えきれなかった。

 

同時に時計の長針は真上を指し示し、幕は開けた。

私達が掴み取った10月24日は今漸く、本番を迎えた。

 

_____________________________

 

タンッタタン、タンタンタン、タンタンタタタタンッ。

 

ワジ君に習い、曲のリズムとテンポに意識を集中し、小刻みに足を動かす。

剣舞の流れを生むのは剣ではなく足。一度でも立ち止まれば、流れも止まる。

譜面の読み方は知っている。音楽学の授業で、一通りの記号の意味合いも頭に入っている。

どうだっていい。そんなものは演奏組に任せ、私は身勝手に振る舞えばいい。

主役はエマに他ならない。が、私にとってそれは私自身だ。

 

私の長巻が空を斬る度に、観客からは悲鳴に近い声が上がった。

模造刀とはいえ、当たれば無事では済まない。加減を誤れば剣圧が邪魔をする。

ミリアムとフィーの視界には入っている。だが一度も視線は剣を追わないし、躱してなどいない。

間を縫うように剣が躍り、次第に悲鳴は歓声へと変わっていく。

 

曲が終盤に近付くに釣れて、物足りなさを感じた。

多少のアドリブは織り交ぜていた。観客も、それに歓声で応えてくれた。

だが足りない。こういった舞台では、観客を沸かせた方に軍配が上がるというものだろう。

 

(フィー。じっとして)

(えっ)

 

エマが最後のフレーズを歌い終えた辺りで、私はフィーの動きを止めた。

狙うは観客席の最前列。外したら台無しだ。成功しても、無礼千万。今だけは目を瞑ろう。

私は呼吸を止め、フィーの頭上に被さるシルクハットを見据えた。

 

「はああぁっ!!」

 

私の上段蹴りは正確にシルクハットを捉え、観客席に向かって飛来した。

クルクルと回りながら宙を舞い―――狙い通り、エリゼちゃんの頭上に、すっぽりと被さった。

どよめきが起こり、両隣に座る殿下御一行の笑い声と拍手で、それは再び歓声に変わった。

ごめんねエリゼちゃん。後で謝るから、そのまま被ってて。

 

(アヤっ、ボクもボクもっ)

 

ミリアムが頭上を指差しながら、ぴょんぴょんと飛び上がる。

言われてみれば、もう1つあったか。なら、次は誰に。視界の端に、その標的を発見した。

随分と距離がある。駄目で元々、繊細且つ思いっ切り蹴り飛ばすしかない。

 

「せぃあぁっ!!」

 

ミリアムのシルクハットが再び壇上から舞い、《Ⅰ組》の筆頭である彼に着地した。

彼らの軽喜劇は心を動かされる程に、見事な出来栄えだった。だからこれはそのお返し。

これが私達《Ⅶ組》の10月24日だ。真摯に向き合い、歌と演奏で応えた。

別に勝負ごとに拘りがあるわけではない。が、こうなったらとことん付き合うまでだ。

 

予定通りに2曲目を終え、私達を照らしていた照明が消える。

一方で観客席は未だにざわめいており、熱は冷めていなかった。

さあどうする。暗闇の中で視線を合わせた私達に、舞台袖で待機していたクロウが囁いてきた。

 

(間違いねえ、こいつは『来る』ぜ。お前ら、3曲目の準備だっ)

 

皆が首を縦に振り、手にしていた楽器を一時手放す。

陣形を変える必要がある。とりわけエリオット用のピアノが欠かせない。

私達は準備してあったキャスター付きのピアノへ駆け寄り、慎重に移動を始めた。

そこで初めて小さな問題に気付いた。楽器や機器を繋ぐコードが邪魔をして、上手く進めない。

 

(ふむ、ならば一度コードを外すしかあるまい)

(し、慎重にね。暗いから間違えないように)

(おい貴様、早々とポーズを決めていないで手を貸せっ)

(るせえ、位置取りが重要なんだよ・・・・・・なあ、視線はもっと落とした方がいいか?)

((手伝え!))

 

フィーの右足がクロウの尻を蹴り上げ、呻き声が上がる。

あ、やばい。聞こえたかも。と思いきや、全く同じタイミングで、眼前から波が起こった。

 

「「アンコール!アンコール!アンコール!」」

 

(クク、想定の範囲内ってやつだ・・・・・・イテテ)

 

尻を押さえながら、クロウがドヤ顔を私達に見せびらかす。

まあこればっかりは、彼とエリオットの機転に感謝をするべきだろう。

司会進行役のトワ会長ですらが、この事態に戸惑いの声を漏らし始めていた。

プログラム上には無い、3曲目。私達の中には、たった一晩で仕上げたとっておきがある。

 

唐突にスポットライトの光が壇上へと降り注ぎ、クロウの姿が照らし出される。

絶妙な角度(?)に視線を落としながら、彼は観客の声援を沈めるべく、静かに言った。

 

「皆さん、ご声援ありがとう。アンコールにお応えして、3曲目。行かせてもらいます」

 

直後、エリオットの指が旋律を奏で、エマが優しく歌い始める。

序奏が終えると同時にステージ全体が再び光に包まれ、《Ⅶ組》全員参加の3曲目が始動した。

私の手にも、既に剣は無い。ここからは皆と一緒に、声が力になる。

 

『I swear』。

琥珀の愛、星の在り処といった名曲達と同時期に、人目に触れずひっそりと誕生した曲。

当初は見向きもされなかったそうだ。評価が見直され始めたのは、近代に入ってからのこと。

時代を経て国中で愛されるようになり、帝国で誕生した名曲の1つとして扱われるようになった。

エリオット曰く、早過ぎた名曲。漸く時代が追いついたらしい。

 

そんな名曲が今、私達《Ⅶ組》の手によって、姿を変える。

カバー曲という言葉の意味は知っている。原曲を耳にしたこともあった。

ギターに、ベース、ドラム。あるはずのない音が、現在と過去を繋いでいく。

クロウとエリオットの試みが、どう受け取られるのか。心配ではあった。

今は亡き作者への冒涜と思われても無理はない。

 

40年以上前の伝統を重んじた軽喜劇を、伝統を重んじて再現した《Ⅰ組》。

否定はしない。それはとても大切なことだ。今度は、私達が変える番。

私達にしかできないことがある。1204年、10月24日の《Ⅶ組》だけの演奏。

両者の間に優劣は無い。だから私達は、精一杯の想いを演奏に込めた。

 

最初に声で応えてくれたのは、オリヴァルト殿下だった。

次にアルフィン皇女殿下が。その次にエリゼちゃんが。次第に最前列一同までもが。

遂には観客のほとんどが、私達の演奏に歌を以って応えてくれた。

 

不思議な歌詞だと思う。

別れの先に、出会いを。終わりと同時に、始まりを思わせる。その逆も然り。

選曲はクロウだった。今思えば、彼が何故この曲を選んだのか、聞いたことがなかった。

何か、意味があるのだろうか。

 

(まあ、いっか)

 

後で聞いてみればいい。多分、あるはずだ。

考えてみれば、クロウが私達と教室を共にするのも、今月一杯まで。

月が変われば彼は再び先輩となり、《Ⅶ組》は11人となる。

ミリアムもそうだ。目的が分からない以上、卒業まで一緒にいられるとは思えない。

もしかしたら、その辺りに答えがあるかもしれない。

 

いずれにせよ、今は歌おう。既に恥じらいは無い。

会場が1つになり、あのパトリックまでもが参加してくれている。

これが音楽の力。リリがクロスベルでそうしたように、奏でるだけで心が揺れる。

 

やがてエリオットのピアノの余韻だけが残り、私達の『I swear』は終わりを告げた。

観客席では拍手喝采が収まらず、演奏よりも一際大きい波を肌で感じた。

誰もが肩で息をしていた。たった3曲に、私達は全てを注いだ。

自然と皆の顔に笑みが浮かび、終了を告げる挨拶に移ろうとした―――その時。

 

アンコール。

 

「えっ」

 

アンコール。アンコール。

 

「こ、これは」

 

アンコール。アンコール。アンコール。

 

「はは・・・・・・参ったな、こりゃ」

 

「「アンコール!アンコール!アンコール!」」

 

拍手喝采は声となり、再アンコールという要求へと変わっていった。

眼前の光景と声に、戸惑いを隠せないでいた。これは流石に予想外だ。

この場合、私達はどう応えるべきなのだろう。『I swear』を再演奏すればいいのだろうか。

頼みの綱であるクロウに目を向けると、彼も同じ色を浮かべていた。

 

「ど、どうするのよ?4曲目なんて用意していないじゃない」

「チッ、こいつは想定の範囲外だぜ・・・・・・仕方ねえ。芸は無いが、もう一度―――」

「みんな、待って」

 

エリオットの声に、皆の視線が彼に向いた。

続けて彼が放った言葉は、再び予想だにしないものだった。

 

「実はもう1曲、弾きたかった曲があるんだ。この場は僕に任せてくれないかな」

「ま、任せてって言われてもな。まさか、エリオット1人で乗り切るつもりなのか?」

「ううん・・・・・・ねえアヤ。お願いできる?」

「へ?」

 

オネガイデキル。まるで異国の言葉のように聞こえた。

私の思考がその意味に追いつくより前に、エリオットは皆に語り始めた。

4曲目は、僕とアヤが引き受けるよ。勝手だけど、お願い。

たったそれだけの言葉を置いた後、エリオットは再びピアノの前に立った。

 

そんなエリオットの態度に、皆は不安な色を浮かべながらも、従うしか無かった。

壇上に残されたのは、私とエリオット。驚き狼狽える私と、真剣な面持ちの彼。たったの2人。

何かを期待させるその様に、観客席からは再度どよめきが起こり始めた。

言っておくが、私は何も聞いていない。そう期待されても困る。

 

「ち、ちょっと、何のつもり?わけ分かんない、何をする気なの?」

「前に言ったでしょ。いざとなったら、君の声と思い出を貸してってね」

「声と・・・・・・あっ」

 

もし僕の予感が当たったら、アヤの歌声と思い出を、僕に貸してくれないかな。

 

あの時だ。確か10月8日の日記に、彼の意味深な台詞を記した記憶がある。

あの日、私と彼は何をしていた。エリオットが音楽室でピアノを弾いていて、それで―――

 

「―――まま、まさかとは思うけど。わ、私が?」

「心配は要らない、主役は僕が務めるよ。2人は力を貸してくれるだけでいいんだ」

 

正気の沙汰とは思えない。無茶にも程がある。

彼が弾こうとしている曲は分かるし、記憶と思い出が頭の中にある。

だからと言って、ここに来てぶっつけ本番などあり得ないだろうに。

・・・・・・2人?今2人と言ったか。彼を除いて、もう壇上には私しかいないはずだが。

 

「お待たせ、エリオット。それにアヤさん」

「えっ・・・・・・えええ!!?」

 

唐突に、その『2人目』が舞台袖から姿を現した。

まだ記憶に新しい制服と、淡い桃色の髪に、カチューシャ。

その手には、ヴァイオリンと弓が握られていた。

 

「ありがとう、カリンカ。随分迷ったけど・・・・・・姉さんには、観客席にいて欲しかったから。この役目を任せるとしたら、君しか思い浮かばなかったんだ」

「構わないわよ。でも本当にいいの?私、士官学院生ですらないのに」

「どっちにしたって、僕達に4曲目は無かったからね。だからこれは、僕の我儘なんだ。《Ⅶ組》のステージ演奏は、もう終わってるよ」

 

全く会話に追いつけない。

察するに、エリオットはこの事態をある程度見越していたのだろう。

思えばあの日、彼が教えてくれたことだった。

形式ばらないコンサートなどでは、再々々アンコールまで求められるケースもあると。

 

「ねえアヤ。もう一度言うけど、君は思い出を貸してくれるだけでいいんだ」

「そ、そう言われても、よく分かんないんだってば」

「あはは、大丈夫だよ。あのレコードを手に取ってくれたアヤなら、きっとね」

 

言いながら、2人は口を閉ざした。

その顔には、演奏者の表情。そんな表現がピッタリの色が浮かんでいた。

 

エリオットの指が鍵盤に触れ、カリンカの弓が弦をなぞる。

彼の口ぶりから、その曲が流れ始めるのは分かり切っていた。

私は知っている。だというのに、耳に入って来たのは―――知らない音だった。

 

(え?)

 

同じピアノのはずだった。

ついさっきまでピアノが発していた音が、全く異なる色味を帯びていた。

鍵盤を叩くたびに響き渡る音の1つ1つが、私の中に眠る何かを呼び起こしていく。

 

(・・・・・・ああ、そっか)

 

漸く理解するに至った。やはり彼も、私と同じなんだ。

瞼を閉じれば、鮮明にその姿が浮かび上がってくる。声が聞こえてくる。

私とお母さんの―――思い出の曲。

 

振り返りながら、先程までエマが立っていた位置へと歩を進めた。

これなら大丈夫だ。2人の演奏と感情に流されるが儘に、歌えばいい。

主役はあくまでエリオット。彼の演奏に、そっと声と思い出を添えよう。

 

エリオットのピアノと、カリンカのヴァイオリン。

たった2人の重奏曲に、私の声を被せ始める。

彼のお母さんが生前に生み出した、『空を見上げて』。4曲目が、開始を告げた。

 

______________________________

 

私はこれまでに二度、エリオットの目から光が消えた日に直面したことがある。

 

一度目は、7年前。

母親を亡くしたあの日を境にして、一時的にクレイグ家から、楽器の演奏音が消えた。

あの家はいつも、温かい音色と笑い声に満ち溢れていた。一番多く耳にしたのは、この曲。

立ち直るまで、相当な時間を要した。3人の演奏は、2人に減った。

思えばあの頃から、エリオットは先の道を決めていたように思える。

フィオナさんも当然のように、母親と同じ道を歩き始めていた。

 

二度目は、丁度1年前。

父親にその道を閉ざされてしまったあの日、再び光が消えた。

幾度となく懇願しても、道は開かなかった。一時的にしろ、彼は恨んだだろう。

私も同じ想いを抱いていた。何の力にもなれなかった自分にも、腹が立った。

エリオットが帝都を去るまで、結局光は戻らず仕舞いだった。

 

だからこそ、私は理解できなかった。

マーテル公園で再会したエリオットの目は、しっかりと前を見据えていた。

たったの4ヶ月の間に、彼の身に何があったのか。

それは今日、彼らが音と声を以って示してくれた。

 

自分の不甲斐無さに呆れ、彼らに対し嫉妬心のような何かを抱いた。

そんな自分に、改めて嫌気が差した。きっとこの半年間は、エリオットの背中を押してくれた。

それだけで十分だ。彼は今、前を向いている。空を見上げて、伝えようとしている。

 

こうして私を選んでくれたことが、嬉しくて堪らない。

母親の音色を知る人間だからだろうか。この曲を弾けるからだろうか。

どっちでもいい。彼がこうも温かな音色を奏でることができるなら、もう何の心配も要らない。

 

さあ、私の全てをこの曲に捧げよう。

音楽の道を歩む者としての、演奏力と表現力を以って。

幼少の頃から彼を見てきた人間として、その背中を見守りながら奏でよう。

 

頑張って、エリオット。その想いは、きっと届くはずだから。

 

_____________________________

 

演奏が始まって間もなく、観客は戸惑いを覚えていた。

知名度は前曲に劣るとはいえ、若くしてこの世を去った高名な音楽家が残した名曲。

 

大部分が知っていた。歌詞も、曲に込められた作者の想いも知っていた。

淡い恋心を、切なくも儚い旋律で表現した曲のはずだった。

なのに、歌声が違う。ピアノとヴァイオリンの音が違う。

 

次第に曲が進むに釣れて、1人。また1人と。

3人の演奏に込められた想いに、観客らは気付き始めていた。

何故こうも、胸が締め付けられる。どうして上空を仰ぎたくなるのだろう。

いち早く理解に至ったのは、3人を知る人間達だった。

 

「頑張れ・・・・・・エリオット」

「ここでミスったら台無しやで、カリンカ」

 

共に音楽を学び、その道を歩み始めた音楽院の生徒達。

 

「ど、どうしたんです、メアリー教官」

「フフ、分かりませんか?この曲が誰の為に・・・・・・誰に捧げられたものなのか」

 

日頃からエリオットの音色を耳にしてきた、教官達。

 

「おいおい、こりゃ反則じゃねえのか」

「はは・・・・・・今だけは目を瞑って、見守ってやってもいいんじゃないか」

 

彼と学び舎を共にする同窓達。

 

「ねえお父さん。すごいでしょう、音楽って」

「・・・・・・フン」

 

そして想いを共有する家族は、エリオットの演奏の先を見詰めていた。

 

演奏が終盤に差し掛かった頃には、誰もが上空を仰いでいた。

天井の先、遥か遠くの空の先にいる、それぞれの『誰か』を想いながら。

この場にいるはずのない、大切な誰かに、想いを募らせながら。

 

 

 

ねえ、母さん。

不安はあったけど、3曲とも大成功を収めることができたよ。

全部母さんのおかげ。

母さんが教えてくれた音楽のおかげで、僕達は最高のステージを作り上げることができた。

 

あれから7年が過ぎて。

結局僕は、母さんや姉さんとは違う道を歩いてる。

卒業後にどうするかも、まだ決めてはないんだ。

 

でも約束する。

もう二度と、絶対に下を向いたりしないって約束する。

たくさん練習して、ヴァイオリンもピアノも、こんなに上手く弾けるようになったから。

大切な仲間達と、皆に出会えたから。

 

もう、心配は要らないよ。

僕は前を向いて、歩いて行ける。

僕は父さんと母さんの子だから。

 

だから。だから今、空を見上げて―――

 

 

 

―――ありがとう、母さん。

 

 

 


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