10月28日、午前5時。
まだ陽が昇り始めてもいない、夜の静寂が朝のそれに変わる時間帯。
丸2日間、私は考えていた。
考えて、考えて、考えて。食べる時も眠るときも、ずっと考えて、迷っていた。
結局答えは見つからなかった。迷いの先に待っていたのは、ランが言った選択の刻。
当たり前だ、と思った。答えはここにはない。あるはずがない。
見つけるには、探しに行かなくてはならない。私の足と目で、真実を見据える必要がある。
士官学院の制服以外の衣服を身に着けて、外に出る。いつ以来のことだろう。
7月11日。ロイドと一緒に実家を訪ねた際に持ち帰った、お母さんの戦闘衣装。
露出が多く動きやすい分、この季節の朝方は、冷え込みを文字通り肌で感じた。
アンゼリカ先輩の手甲と鉢がね。お母さんの長巻と戦闘衣装。それが今の出で立ち。
士官学院の制服を置いて来たのは、迷いを断ち切るため。
そして決意の表れでもあった。この地に戻って来ないと、制服に袖を通すことは叶わない。
トリスタの東から繋がる街道。
ランが全てを話してくれたその場所に、私は今立っている。
そっと右手を掲げると、小さな鳥が私の腕の上で羽根を休め始めた。
『よいのか』
「うん・・・・・・まあ、よくはないんだけどね」
そっと目を瞑り、声を待つ。
自分勝手に帰るべき場所を離れ、朝方に歩を進める。私の人生の中で、これが2回目。
きっと来る。いや、絶対に来る。彼が知らない私なんて、いないはず。
だから別れすら告げていなかった。どうせこの場で顔を合わせることになる。
「どこに行くんだ」
―――ほら、来た。
声と同時に、ランが再び上空へと舞った。
振り返ると、やっぱり彼がいた。違いがあるとするなら、その横に恩師の姿まであること。
もう1つの違いは、覚悟。あの時の私は迷いながら、何かを期待していた。
でも今は違う。彼の表情も、あの時のそれではなかった。
「あなたねえ。こんな物を郵便受けに入れられても、困るのよ」
「・・・・・・すみません」
休学届け。誰にも相談できなかったせいで、正式な書類ではなかった。
黙って去ることも気が引けた。だから私は、一時的に士官学院生ではいなくなる旨を記し、サラ教官の郵便受けにそれを残していた。
「ガイウス・・・・・・やっぱり、分かった?」
「ああ。顔を見ればな。動くなら今日だと思っていた。皆にも、俺が伝えた」
「・・・・・・そっか」
皆、か。サラ教官だけだったら、躊躇わずに済んだのに。
ガイウスの言葉を皮切りにして、ぞろぞろと。
2人の後方から、掛け替えの無い仲間達が歩み寄って来る。
「アヤ、あなた・・・・・・って、聞くまでもないわね」
アリサの言う通り、聞くまでもない。皆も分かっているはずだ。
全てあのおみくじに記してあった通りだった。選択を、唐突に迫られた。
迷ってはならないという部分には無理があった。寝る間を惜しんで迷い続けた。
お互いに、言葉が出て来ない。
この選択が正しいのか、誤っているのか。私を含めて、正解は無いのだから。
初めに口火を切ったのは、眉間に皺を寄せたサラ教官だった。
「あたしは・・・・・・どうせあたしが止めても、あなたは言うことを聞かないんでしょう」
「剣を抜いてでも」
「でしょうね・・・・・・はぁ」
こうも迷いを浮かべるサラ教官を見るのは初めてだった。
担任として、見過ごせない。担任として、見守るべき。
両者の間で行ったり来たりを繰り返しながら、大いに揺れ動いているに違いない。
皆も同じ色を浮かべていた。そんな中で―――ガイウスだけが、違っていた。
「皆、聞いてくれ」
ガイウスが振り返りながら言うと、私に注がれていた視線が、彼へと向いた。
「勝手を言ってすまないが・・・・・・お願いだ。全部を俺に、預けてくれないか」
返答を待つことなく、ガイウスが1人私の下へと歩み寄って来る。
このままでは埒が開かない。そうして貰えると、私も助かる。
やがてガイウスは立ち止まり、私を見下ろして言った。
「本音を言えば、行かせたくはない」
「うん。私も」
「離れたくもない。ずっと君に触れていたい」
「うん。私も」
「俺がこれから何を言うかも、分かっているな」
「・・・・・・うん」
そっと、ガイウスの右手が私の頬に触れた。
泣くまいと思っていたが、自然と涙が零れ、彼の指を伝った。
先のことは分からない。
どれだけの時間を費やすことになるのか。無事に戻って来れるのか。また会えるのか。
全てが曖昧なままで、離れ離れになる。泣くなと言われても、涙腺は言うことを聞かない。
「行ってくれ。俺が愛する女性は、そういう人間だ」
「・・・っ・・・う、ん」
もう何度もそうしたように、私は彼と唇を重ねた。
残された時間の限り。息苦しさが限界を迎えるまで、私は彼と身を重ねた。
草原の匂い。故郷を思わせる彼の匂いを忘れないように、しっかりと噛み締めながら。
私達は人目を憚らず、お互いの全てを分かち合った。
身体を離すと、皆が視線を明後日の方向に逸らしていた。
いち早く視線を戻し、現実を突き付けてきたのは、やはりユーシスだった。
「それで、お前はどうするつもりなんだ」
「どうするって?」
「現実問題として、お前はクロスベルに立ち入ることすら叶わんだろう。たった1人で何をする気だ?最悪の場合、戦場に足を踏み入れることになるんだぞ」
そう。それが皆の迷いの正体。
私の選択がどれ程危険で無謀な物なのか、それは考えなくとも分かる。
ガレリア要塞は勿論、民間人はクロスベル方面行きの列車に乗ることすら規制されている。
百万が一、国境を越えたとしても、噂通りならそこは戦場。
大国の軍事力が正面衝突する、戦火のど真ん中。皆の中では、そういった解釈なのだ。
何のために、何をするために士官学院を去るのか。それすらも曖昧に違いない。
話したとしても、理解して貰えるはずがない。
私自身、クロスベルの地で何が起きているのか、把握できてはいない。
ただ―――1つの可能性を、示すことは可能だ。
迷ってはいたが、私にはそれしか方法が見当たらない。
頭上を見上げると、2日前と同じくして、ランが私を中心に飛び回っていた。
私はランに向けて右腕を上げ、その名を呼んだ。
「お願い、ツァイト」
『―――よかろう』
途端に周囲の木々がざわつき、私を中心にして一陣の風が巻き起こる。
直後、昇り始めた朝陽を背に、ツァイトは瞬時にその身を露わにした。
蒼白く輝く体毛を風になびかせる、巨狼。体高は10アージュに届くか届くまいか。
突如として現れた巨体に、誰もが口を半開きにしながら言葉を失っていた。
2日前。選択と同時に突き付けられた、聖獣としてのツァイトの全貌。
私が知るランはもういない。分身体は本体と融合し、再び小鳥として私の下へ帰って来た。
意志や記憶は共有していながらも、ランはツァイトになっていた。
『聞くがよい、人の子らよ』
直接頭に鳴り響くツァイトの声。
駄目押しと云わんばかりのその事態に、再び皆が戸惑いの色を浮かべた。
『我はこれよりかの地に赴き、一時人の子らに助力する。この者はかの地で築かれし絆の1つ。我が声、我が手足となりて振る舞って貰う・・・・・・なに、悪いようにはせん』
相も変わらず超然とした口調だった。
もう少し分かりやすく話してくれてもいいだろうに。伝わっているのかどうか心配だ。
「な、ななっな・・・・・・!」
「アヤ。そなたは一体・・・・・・何者、なのだ」
「あはは、私は私。私はアヤ・ウォーゼルだよ」
言いながら、ツァイトの前に歩を進める。
結局は私の口から言わないと、事は進まない。
「私はトールズ士官学院特科クラス《Ⅶ組》出席番号1番の、アヤ・ウォーゼル。だから私は、帰って来る。絶対に帰って来るって、約束する」
言い終わると同時に、皆よりも頭1つ小さな身体が飛び出し、私の腰を抱いた。
最近は色々と気苦労を掛けてしまった。それに彼女も私と同じ、《Ⅶ組》の1人。
「ごめんね。色々と部屋に置きっ放しだけど・・・・・・お菓子とか、食べていいから」
「やだ。アヤが帰って来てから一緒に食べる」
「・・・・・・そっか」
ミリアムの頭を撫でながら、再び浮かびかけた涙を指で拭い去る。
これ以上は無理だ。そう思い、私は振り返って歩を進めた。
別れを惜しんでいては始まらない。歯切れは悪いが、これが正真正銘の最後。
もう振り返らない。私は前だけを見据えて、この先を行く。
「ツァイト。人目に付くとまずいから、街道を外れるよ」
『心得ている。乗れ』
渾身の力を込めて飛び上がり、視界が10アージュ上からのそれに変わる。
この巨体を隠しながら東部を目指すのは苦労するに違いない。
遥か先にある地を見詰めながら考えていると、背後から声が聞こえた。
「トールズ士官学院、特科クラス《Ⅶ組》総員」
それは卑怯だよ、リィン。呟きながら、やはり振り返らない。
皆の想いに応えるために。再び士官学院生として、帰って来るために。
「アヤの揺るぎない決意に応え、俺達は再会を約束しながら彼女を見送るっ・・・・・・アヤ、待っているからな。絶対に、絶対に帰って来てくれ!」
さよならの代わりに、ありがとうを言いながら。私とツァイトは、トリスタを去った。
10月28日、午前5時半の出来事だった。
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同日、午後18時半。
人目を避けるために入り込んだ、ヴェスティア大森林の南端部。
私を乗せたツァイトは木々の間をすり抜けながら、ゆっくりと歩を進めていた。
「うーん・・・・・・人目には付かないけど、時間掛かっちゃうね」
『案ずるな。時間はある』
「まあ、信じるしかないか。それで、クロスベルに入ったらどうすればいいの?」
『まずはかの地の現状を見せる。おぬしもそれを望んでいるだろう』
「その後は?」
『ワジと呼ばれていた男の行方を追う。おぬしにも助力願いたい』
突然飛び出した、ワジ君の名前。
何か考えがあるのだろうか。適当に選び呼んだわけではないと思いたい。
現時点では、特務支援課の面々がどうしているのかが分からない。
クロスベルが今どういった状況下にあるのかすら曖昧。まずはそれを知るところからだ。
自分自身の目で真実を見据え、行動する。特別実習で学んだことをなぞればいい。
「・・・・・・ねえ、ツァイト。1つお願い」
『何だ』
「ランって呼んでもいい?それと、私のこともアヤって呼んでよ」
単なる気分の問題と言われれば、それまで。
ランは単なる分身体に過ぎなかった。が、2ヶ月以上生活を共にしてきたのも事実だ。
割り切るには、寂しいものがある。
『・・・・・・フフッ』
「やっぱりダメ?」
『そうではない。こうも分身体の意志が残存することは初めてだ。煩くて敵わん』
ツァイトは一旦足を止め、顔を上げながら囁いてくる。
『いずれこの旅路も終焉を迎える。この身を縛る禁忌が薄れたとはいえ、無制限の助力は許されぬ。それは理解しているな』
「なんとなーくだけどね」
『だが・・・・・・おぬしに力添えをすることも、やぶさかではない。この国もいずれは、動乱に巻き込まれるやもしれぬ。そうであろう?』
「・・・・・・そっか。なんとなーくだけど、分かったよ。ありがとう、ラン」
跨っていた背を撫でると、ランは身体を震わせながら応えてくれた。
ランは多くを語らない。敢えて知らせないようにしているのかもしれない。
聖獣と言われてもピンと来ない。
クロスベルで何が起きているのか。至宝は、人形とは一体何なのか。
確かなことは、私を仲間と言ってくれた人達が、今苦しんでいる。
それを教えてくれただけで十分だ。それに、ランはここにいる。
クロウやミリアムと同じように。ランとの間にも、築かれた絆があると思いたい。
ランの背に身を預けていると、次第に木々の本数が減り、開けた場所に出ることができた。
『休息を取るか。おぬしにも疲労があるだろう』
「大丈夫。ランさえよければ、このまま行こう」
『構わぬ。ならば今一度速度を上げるぞ、アヤ』
「っ・・・・・・あはは、うんっ」
振り落とされないようにしっかりと体毛を掴み、前を見据えた。
ランが言ったように、この旅路には終わりがある。
私には帰る場所がある。待っている人間がいる。終わりの先に、始まりがある。
欲張っても罰は当たらない。大切な人の数だけ、私には成すべきことがあるのだから。
特科クラス《Ⅶ組》の一員として。準遊撃士見習いとして。
クロスベルを想う人間の1人として。私は、立ち止まるわけにはいかない。
「行こう、ラン」
―――この物語は、本来あるはずの無い物語。
狼と少女の邂逅に端を発した軌跡は、神狼と少女が引き起こす奇跡へと繋がる。
碧き聖獣と少女が輝き閃いた刻、あるべき世界が姿を変える。
だが運命の歯車は止まらない。
くるくると、くるくると。
歪みは再び捻じ曲げられ、行き着く先は変わらない。
この軌跡は、本来あるはずの無い軌跡。
その先に待ち構える未来も、姿を変える。
しかしながら、運命の歯車は留まることを知らない。
ぐるぐると、ぐるぐると。
それでもアヤは、止まらない。
彼女が描いた絢の世界は、運命の歯車を惑わせ、狂わせる。
きらきらと、きらきらと。
絢爛の光で、人々を照らしながら。彼女が辿る軌跡は、どこまでも続く。
「ごめん。お腹減ったからやっぱり降ろして」
『解せぬ』
引っ張るのもあれなので、早めに区切りを付けます。
最後までお付き頂いた読者の皆様方、本当にありがとうございます。
おかげ様で『絢の軌跡』は当初の構想通り、一先ずの終了を迎えることができました。
元々閃Ⅱの存在を考えずに執筆を開始したため、当然続編の構想は無いです。
この作品に区切りを付けるために、閃Ⅱも現時点では未プレイです。
続編があるとするなら、少なくともプレイ終了後になります。
とはいえ、やはり本編に沿う形で描ける自信がありません。
何せ思いつきで開始した処女作ですので・・・現実的に考えて、難しいですね。
その辺りの判断も、閃Ⅱをプレイした後にしようかと思います。
今一度、読者の皆様方に感謝申し上げます。
頂いた感想や評価のおかげで、ここまで来ることができました。
続編の有無を抜きにしても、アヤの戦いは始まったばかりです。
今後もアヤを見守って頂ければ幸いです。
しつこいですが、もう一度。
読者の皆様方、本当に、本当にありがとうございました!