宝塚記念本番の日。いつもの様に選手の待機室で作戦会議をしようとしたところ、そこでスズカから聞いたのは衝撃的な事だった。
「私……今日のレースでは大逃げはしないつもりです」
大逃げをしない?スズカの大逃げは彼女のアイデンティティと言ってもいいし、今までその走りで勝利し続けてきた。
「どうしたんだ急に。どこか調子が悪いのか?足に違和感があるとか」
そう質問すると、スズカは首を横に振った。不調が原因じゃないとなると……どうしてなんだスズカ。
「なんて言ったら分かんないですけど……足が痛いとか調子が悪いとかじゃないんです。ただ、今日は大逃げが出来ない気がするんです!」
スズカの目は真剣そのものだ。俺が大逃げしろと言えば、きっとスズカは大逃げするだろう。ウマ娘の直感スズカを信じるか……
(いや……考えるまでもなかったか)
今までもそうだ。スズカを信じて、いつもスズカはその力で勝利を勝ち取ってきた。ならば、スズカを信じよう。
「分かった。今日は大逃げをするのはやめよう……だけど、その走りでお前は満足して楽しめるか?」
スズカの根本にあるのは走ることの楽しさだ。それが無くちゃコンディションや走りの質に関わる。
しかし、スズカは無邪気な子供のような笑顔で楽しそうに笑った。
「G1の宝塚記念でグルーヴやドーベルにライアン……そして、ミークさんと一緒に走れる……この舞台でこのメンバー。楽しめないはずありません!」
スズカから唐突も凄い気迫を感じた。全身が逆立つような感覚に襲われる。スズカは今も笑顔でレースを楽しみにしている。どこからその気迫が出てくるんだ?
「分かった……それならペースはお前に任せる。ただ、スタートからゴールまで先頭を誰にも譲るな!」
「はい!」
今日のスズカの調子はいい。勝てる……レースには絶対はないと分かっているが、何故かは分からないがそんな気がした。
観客席に向かおうと廊下を歩いていると、偶然葵さんと東条さんに出くわした。2人ともミークとエアグルーヴとの話が終わったんだ。
「来たわね柴葉」
「来ましたね柴葉さん」
どうやら、2人は俺のことを待っていたっぽいな。
「今日のエアグルーヴは今までで1番の仕上がりよ。気合いも十分。サイレンススズカに勝つために……このレースで負けないために己を鍛えてきたわ」
「ミークは今日は負けないと言いました。作戦も考えハードなトレーニングにも耐えてきました……勝ちますよ。サイレンススズカさんに」
2人からの宣戦布告。葵さんだけじゃなくて東条さんからも。
「スズカは負けません。だって……誰よりもこのレースを楽しみにしているんだから」
俺の言葉を聞くと2人は笑顔でその場を去った。簡単なレースにはならなそうだな……なぁスズカ?
パドック入場の為に近くの入口に居ると、グルーヴ、ドーベル、ライアン、ミークさんの4人が私の元にやってきた。
「お前とのこのレース楽しみにしていた……今日は勝たせてもらう」
グルーヴは先に行き、それに続いてドーベルとライアンも出て行った。そして、最後にミークさんが私の前に出てきた。
「私はこのレースで勝つために頑張ってきた……あなたはライバルだから」
ライバル……そっか、みんなライバルなんだ。一緒に競い高めあってきた相手。だからこのレースがこんなに楽しみなんだ。
「私も……負けられない」
パドック入場が終えてゲートインの準備に入っていた。観客席には、俺とマックイーン、スカイとキングの4人だ。
「さすがシニアのG1……みんな仕上がりが素晴らしいですわね」
パドック入場のウマ娘を1番よく見ていたのはマックイーンだった。今日のレースには強豪が揃ってるからな。俺もよく目を光らせておいた。
「今回もスズカさんの大逃げが楽しみね」
キングはスズカの走りを楽しみにしている。
「今日はスズカ大逃げしないぞ」
「「「えぇ!」」」
場が騒然とした。気持ちはわからなく無いが……あの走り屋のスズカが大逃げしないことがあるなんて、このチームじゃ考えられないことだ。
「まぁ、レースを楽しみに見ててくれ」
『ウマ娘が全員ゲートに入りました。宝塚記念2200m天候晴れ。馬バ状態は良。宝塚記念2200m先のゴールを目指して今!……スタートしました!』
予定通りスズカは前に出た。しかし、それほど大きく前には出ていない。
『サイレンススズカが前に出ますが……いつもよりもペースを抑えているように感じます』
実況の言う通り。スズカは今回大逃げしないからな。それは誰も予想できなかったらしく、レースプランが総崩れとなっていた。今回のレースで警戒されていたのはまさしくスズカだ。そのスズカ急に予想外の行動に出たらテンパるだろうな。
1000メートルを通過したあたりでレースは動き始めた。そこまで、各々がポジション取りをして、最終盤面に備えていた。
『ここにきてハッピーミークとエアグルーヴが動いた!一気にサイレンススズカの後ろに付きます!』
ここまでスズカがペースを上げないのをみて差しに来たか?いや、差しに来てる!
『おーっとどうしたことか?ハッピーミークとエアグルーヴが後方についてからサイレンススズカのペースが上がっていきます』
「急にスズカさんペース上げたね〜」
周りから見たら不自然な加速だろう。後方が寄ってきた瞬間にペースを上げる先頭。しかし、今のレースは1000メートルを通過したばかりだ。
「スズカには先頭を奪われるなと言っておいた。ミークとグルーブが来てペースをあげたということは……2人は確実に抜きに来たんだ」
相手もスズカが足を溜めていることに気がついた。それを阻止する為に前に出てきた。前に出て蓋が出来れば良いし、後ろで足を溜めるのもいい。
『おぉっと!サイレンススズカ、ハッピーミーク、エアグルーヴの3人がどんどんペースをあげていきます』
このレースの最終勝負はもう始まってるんだ。このゴール1200m前の時点で。
「ここからはスピードと根性の勝負ね……落ちたらもう1着は取れない」
『ここまでペースを上げ続け、先頭にサイレンススズカ、その後方にはハッピーミークとエアグルーヴの2人!このレースも残り200mです!』
2人には早々に引き付ける走りで足を溜めてるのがばれちゃった。ここまで、ろくに脚を貯められてない。でも、それは相手も同じはず。この舞台でこのメンバーでこのレース……守りきった先頭は誰であろうと!
【先頭の景色は譲らない!】
『サイレンススズカが一気に前に出た!サイレンススズカがゴール向けて動き始めた!』
「いつもみたいに伸びないよトレーナー!」
スカイがいつものようなトップスピードで走らないのをみて叫んでいる。
「ここまでのレース展開で足は溜められてない。あの1000mの時点でラストスパートは始まってたんだよ!」
『サイレンススズカ前に出るが!ハッピーミークとエアグルーヴも前に出る!しかし伸びない!2人のスピードが上手く伸びません!』
スズカが足を溜められなかったのと同じでミークとグルーブも溜められてない。だからこその……根性勝負。
『残り数十m!サイレンススズカに後方2人が必死に食らいつく!サイレンススズカか!ハッピーミークか!エアグルーヴか!』
勝負が着いたのはその直後だった。
『1着でゴールしたのはサイレンススズカだ!いつも見せる大逃げとが違った逃げで逃げ切りました!』
「「「「うぉぉぉ!スズカ!」」」」
誰が勝ってもおかしくなかった。それでも、一番最初に主導権を握ったスズカが有利だったか。
「俺はスズカのところに行ってくるよ」
チームメンバーにそう言ってスズカの部屋に向かった。
「よくやったスズカ!」
俺は勢い余ってそのままスズカに抱きついた。スズカは顔が真っ赤になって尻尾でペシペシと叩いてきた。
「すまんすまん。つい興奮しちまってな」
あの激戦を勝ち残ったんだ。あの身の削り合いのような戦い。あれを見て興奮するなという方が無理だろう。
「最後の最後……3人とも足を使い尽くしてました。先頭を譲っていたらどうなっていたか」
「理由はともかく……よくやったスズカ!」
慣れない走りでの1着だ。十分良くやってくれた。
この後は、無事にウイニングライブも終えて解散となった。さぁ、スズカの宝塚記念が終わった……これからの夏合宿も気合い入れてかないとな。
実はここ好きを確認するのが好きです。
次回から夏合宿