控室にいるのはキングと俺の二人だけ。キングの集中力と気迫に固唾を飲み、呼吸音だけが響き渡る。
「いよいよ始まるわね」
キングの一声で、絞まるような感覚が解けて肩から力が抜けていく。
「そうだな……全距離制覇最後の挑戦。キングヘイローのラストランだ」
この二年を通して短距離、マイルのG1を制し、皐月賞を合わせて残りは長距離だけだ。
現実的な話。キングのピークは終わりかけている。今のパフォーマンスで走ることができるのも数度が限界だろう。だからこそ、今日の有馬記念に残りのレース人生全てをこの一年捧げてきた。
「覇王と呼ばれるテイエムオペラ―にその世代の猛者たち……世間じゃ世代交代なんて言われてるそうじゃない」
ため息をつきながら傍に置いてあった新聞を指でなぞる。
「私の前で王を名乗るなんていい度胸ね。どちらが真の王者か見届ける権利をあなたにあげるわ!」
俺を指さすキングの手は震えていた。
それはそうだろう。相手は歴代でも屈指の実力者。自分が背負っているのはレース人生の集大成とその全て。
「キングヘイロー……それが今日の頂点に立つウマ娘だ。それをみんなにも見せつけてやれ」
差し出された手を両手で握り、体を乗り出す。
キングは一瞬目を見開いたが、手の震えは消えて、鋭い目つきで勝利を見据えていた。
***
「はーはっはっは!」
ターフに上がればその中心でテイエムオペラオーが高らかに笑っていた。
「ついに王者と覇王の勝負がここに幕を開ける!そして、共に身を削り合おうじゃないか、我がライバルたちよ!」
不敵な笑みが私に直接突き刺さる。
だからこそ、私は腕を組んで堂々と――
「いいわ。あなたには私が一着でゴールする瞬間を見る権利を上げる」
そう宣言した。
―――
キングヘイローは長距離レースに適正がない……それが世間の評価なのよね。人気は九番。私がこのレースを制すると思う人は少ない。
これが私のラストランだというのに?
いいわ。キングヘイローの走りを目に焼き付けてあげる。
スタートからのポジション取りほとんど同じ。いや、明らかなマークで前に出られていないだけね。
(それなのに何なのこの威圧感は)
マークされて動きにくいのは自分のはずなのに。私をマークしてる娘たちなんてほとんどいないのに、ひしひしと気配を感じる。
(いいわ。あなたとの真っ向勝負……受けてたとうじゃない!)
彼女は囲まれて上手く動けない状態にいるけれど、確実にあの集団から抜け出してくるはず。
――ならこのタイミングで仕掛けられるのはきついんじゃない?
作戦では後方からのラストスパートでの末脚勝負だったけれど、ここでできる限り距離を離すわ!
(ただ、相手はテイエムオペラオーさんだけじゃない)
ナリタトップロードさんやメイショウドトウさんも警戒しない訳にはいかない。このレースを走っているのは私と彼女だけではないのだから。
他の娘たちの動きにも対応できる程度にスタミナを残し、予定よりも早い段階で前に出る。
そのことを察して彼女も後方から抜け出そうとしたけれど、このタイミングでは集団から抜け出せていない。
(末脚勝負なら間違いなくこちら側が有利だけれど……)
2500mという距離のラストスパート。スピードだけじゃなく、スタミナとパワーも必要になる。
(大丈夫。自分のスタミナとレース展開を考えればこのポジションがベスト)
レースは激しい動きを見せることなくそのまま終盤戦に持ち込まれた。
(仕掛けるなら……今!)
地面を力いっぱい踏みしめて、全力で一歩を踏みだす。
加速と共に一人、二人と追い抜いていきレース場がざわめく。
けれど……もっと大きい歓声が響き渡る。
(来たわね!)
あのマークを抜けてきただけじゃない、そのままの勢いで先頭を奪いに来ているのが伝わってくる。
私も対抗するようにさらにスピードを上げて後方を突き放し、最後の1人も追い抜く。
(突き放すつもりが……それどころか距離を詰められているのは私の方!)
じわじわと距離を詰められてそのまま背中に張り付いてきた。
(たとえあなたがどれだけ速くても!私は負けるわけにはいかない!このラストランに全てを賭けているのだから!)
このレースが終われば私は引退。次のチャンスなんてものはない。
有馬記念のためにこの一年、今までの全てを注いできた。生活や食事。レースプランやトレーニングメニュー――そして、私たちの夢。
全距離制覇という私とトレーナーの夢。これまでしてきた努力。様々なものを背負ってここで走っているのよ!
一歩。また一歩。使い果たしたスタミナを搾り取るように踏み出していく。
(今までの王者が誰であろうと、これからの王者が誰であろうと!この瞬間、今日だけは私が王者!)
テイエムオペラオーが横に並ぼうとした瞬間――轟音と共に地面をえぐり取るように蹴りだした。
(足が重い、肺が痛い、飲み込もうとするプレッシャーが背後からずっと遅いかかってくる……でも、そんなの関係ないわ!)
この後、私が調子を崩そうと、怪我をすることになろうと。これが私のラストランなのだから。
――ついにこのレースの決着がついた。
一瞬の静寂のあとに割れんばかりの大歓声がレース場を包み込む。
力の入らない体を何とか支えて、私は腕を高らかに上げる。
「目に焼き付けてもらえたかしら?真の王者はこの私!キングヘイローよ!」
キング!キング!と大勢の声が聞こえる中で、意識が途絶えそうになり体から力がスッと抜けていく。
しかし、近づいていくはずの地面は目の前で止まって、それ以上私が倒れることはなかった。
「立ち上がってくれたまえよ。主役のいない舞台は盛り上がりに欠けるからね」
テイエムオペラオーに体を支えられながら、観客席に向かって再び視線を向けると、再び大きな歓声がレース場に響き渡る。
レースの王者の誕生の一日でもあり――王者が玉座を降りたその日でもあった。
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