列車は今だ氷雪に閉ざされた大地を、これまたコンテナの鉄扉のなかにうら若き乗客たちを閉ざし、時折雪を巻き上げながら駆けていた。車内は入念な暖房と偽装を兼ねた密閉により外界の切れるような冷気をはね除けていたが、長旅の疲れと、先ほど生じた「事件」のせいで居心地の悪い空気が充満し、場はじめじめとした薄ら寒さが支配していた。
先ほどまでくたびれた顔を隠して壊れたビデオテープのように談笑していた生徒たちも遂にその意気を挫かれ、手持ち無沙汰に窓なき壁に掛かった赤地に黄色があしらわれたポスターを眺めたり、眠ったふりをしながら、本当に眠ってしまって、起きたら目的地に着いていやしないかと僅かに望むのであった。
さて、その事件の渦中の人であった2人はと言えば、ほろの近くの壁に向い合わせで寄りかかっている。少年は例によって無表情にポスターを眺めようとしたが、向かいの壁に寄りかかって読書に精を出す黒髪の少女がそうはさせなかった。
「そろそろポスターを見せてくれ」
自分の視界に少女がいることを不快に感じたのかどうかは感情のない顔からは知るよしもないが、少年が皮肉ぎみにそう言ったのは事実であった。
「あなた、名前は?」
「無視かよ」
ガン無視であった。少女は少年の抗議をまるで合図程度とも言わんばかりに利用したまでであった。
「答えないのかしら?まあ名のる気がないなら話は以上よ。」
「けしかけているつもりか?」
「ええ、そうとも言えるかもしれないわね。最も、ここで話を終えても私にはなんの関係もないわ。」
「自分から話題をふっておいてか?」
「あら、話かけたのは貴方でしょう?名前も知らない誰かさん。」
要はこれから話すに当たって不便だから名前を聞いた、ということを簡潔に伝えられるほど少女は真人間ではなかった。
自らも一筋縄では行かない人間である少年は先ほど同様に皮肉で応酬したいという僅かな欲望が自らに生じたことを感知したが、真面目にやりあっていては時間の無駄であることに気づき、何とか踏みとどまり、要求に答えることにした。
「コジン・アヤノフ。満足か?」
「ええ、結構よ。ついでに言っておくと私はスズリャ・ホリキタロワよ。」
「興味はないが頭には入れておこう」
「ええ、他人に興味のある人間の気が知れないわ。」
誰も問うてはいないものの、そう言わずにはいられなくなる性質が彼女にはあった。それは新手の自己顕示のようでもあり、自らに呼び聞かせるかのようでもあった。
「同感だ。」
少年としても異論はないのでそう答えておく。尤も、彼としては軽い相槌程度の反応であり、自分達が世間からかなり外れた調子に聞こえかねない会話をしていることに意識があるわけではなさそうだった。幸い、車内の他の生徒たちは疲労困憊のあまりもはや列車後方のボソボソとした陰気なコミュニケーションに構ってなどいられなかった。
「それで、何か話したいことがあるから名前を聞いたんだろ?『ホリキタロフ』」
「ええ、と言っても、さっき私が言ったことの延長みたいなものよ。」
「というと?」
「あなたも他人に興味はないのよね?」
「ああ、自分ではそう思っているよ」
「では何故あの時席を譲ったのかしら?それも隣にいた私を巻き込んで」
そう、少女にとっては不思議でならなかったのだ。少年は乗車この方、必要最低限の会話以外何もしていなかったのだ。彼女のように本を読むわけでもなく、ただポスターを眺めているだけという奇っ怪な行動は、少なくとも人と話すことよりも有意義とは決して言えない時間を過ごすほうがマシであると考えているのかと勘繰りさせるには十分だった。他者に対する関心が薄い、ないしは他者に対する消極的な嫌悪感があるものと思われても仕方がない。その彼がまさに赤の他人のために、これまた赤の他人を巻き込んで席を譲ると言うのだから、彼女の疑問は一定の理解を得てしかるべきであろう。
「逆にどうして席を譲らなくてもよいと考えているんだ?」
「・・・は?」
だが、少年は逆に聞き返した。当然、質問を質問で返された少女が素直に応答するわけなどなく、やや威圧ぎみに困惑と遺憾の意をたった一言に付す。
「それは僕の質問が理解できないということでいいのか?」
彼はまるでごく率直にそう思っているかのように言った。勿論、そう言われておいそれと自らの理解力の如何を答えるほど少女は純粋ではなかったし、あるいはそんなことを気に留めないほど上機嫌なわけでもなく、むしろ挑発されたかのようにさえ感じた。
「私の質問にも答えないで自分の質問を理解させようなんて、いいご身分ね。」
最大限の苛立ちを込めて彼女は言った。もはや二人の議論は感情的な口論に発展しつつあるように見えた。尤も、少年の方はと言えば相変わらず無表情に少女の頭上に背を伸ばしたポスターの上端を眺めていた。その態度が余計に彼女を苛立たせたが、こんな奴に苛立たれていることに虚しさを感じ、
「もういいわ。」
とだけ残し、まるで彼と話した時間をごっそり忘却するかのように、読書の続きに没頭することにした。
少年がその無表情のなかに安堵と、重大な気づきを隠していたことに、気付いているものはいなかった。
「あ」
少年の口から小さく声がこぼれた。が、小さすぎて向かいで読書に勤しむ少女にさえ聞こえなかった。
(・・・そういえば、こいつあれから一度も僕の名前を呼ばなかったな)
ソヴィエト・ロシアでは、駄文が作者を書く!(鋼の意志)
《追記》読者同志の指摘により堀北のロシア風姓を変更