月。Moon.あなたの一番そばにいる星。
「こんにちは。つきがきれいですね」
私を捕まえて聞こえるのは、幼く拙い言の葉。こんな夜更けにこんにちはとは、幼さ故の可愛らしい言葉にくすりとなってしまう。それになにより。
「こーら、ボク? "月が綺麗ですね"なんて言葉は、もっと大切な人を見つけて言うのよ?」
それは愛を紡ぐ言葉で、凡そ初対面の私と少年には似合わないだろう。そう言って振り返ると、純朴で愛らしい瞳がきょとり。7歳くらいの子供だろうか。
「そうですか、すみません」
「ああ、いいのよそんなに律儀に謝らなくて。ところでお父さんやお母さんは? もう夜遅いわよ?」
少なからずお姉さんぶった振る舞いをしてしまう。そういう私も独りで歩いているのに。……あれ。
そういえば、私はなんでこんなところにいるのだろう。
「お姉さんは、どうして」
「どうしてここにいるのですか?」
言葉に詰まる。素朴な疑問なのだろうが、今の私には答えられない。気がついたら、ここにいた。
「わからない、わからないのなら」
見かねたのか、少年は言葉を継ぐ。
「いっしょに、さがしてみませんか?」
悪くない提案だと思った。この限りなく続く夜の道で、目一杯エンジンを吹かせる。うん、悪くない。
「よぉし、乗ったわ!」
小さな手を取る。
「さあ」
小さな身体を抱える。
「かっ飛ばすわよ!」
全力疾走。満天の星を置いていくくらい、疾く走る。
「なんだか、きもちいいですね」
「そうでしょ? 走るのって、とっても気持ち良くて、楽しいんだから!」
そう、走るのは楽しい。これは私の中にずっとある気持ちで、トレーナー君が支えてくれている気持ち。トレーナー君。いつも振り回してしまっているけれど、本当はとても大事なひと。たまには何か恩返しがしたいかも。
「……どうしたんですか?」
「うーん、鋭いわねボク」
すぐさま異変を察知されたらしい。急に振り落としたりはしないから、そんなに敏感に反応しなくても大丈夫なのだけど。
「ねぇ、ボクは誰か。恩返しがしたい人とかいるかな?」
「おん、がえし」
「いつもありがとう、これからもよろしく。そういった気持ちを、言葉と行動で表すの」
「……ああ、それなら」
「ふーん、だれかなー? お姉さんに聞かせてみて?」
「いつも優しい、素敵な女の人。いつも一生懸命で、憧れにならんと努力する人。いつも、そう。いつも」
「君は最高のウマ娘だよ、マルゼンスキー」
歪む、捩れる。揺らいだ空と乾いた地面が一つになり、暖かい虹が全身を包む。
私はそこで、目を覚ました。
「おはよう、マルゼンスキー」
「おはよう、トレーナー君。……なんだか眠そうね」
「そういう君こそ」
朝が来て、トレーナー君と会う。夢の中で思ったこと。恩返しをしたい。あと、もう一つ。あの少年の言葉の深層。その正体。それが知りたい。
「そういえば、不思議な夢を見たよ」
その時不意に、答えは紐解かれる。
「俺は夜道を歩いててさ。小さなウマ娘の女の子がいて」
月鏡に映るように、対照的な貴方の夢。
「俺はその子に話しかけられるんだ、えっとなんだったかな────」
「"こんにちは、月が綺麗ですね"」
「おっと、そうそう……あれ?」
「トレーナー君のことなら、なんでもお見通しなんだから」
それは少し嘘かもしれない。夢の重なりは奇妙な奇跡。月蝕のような滅多にない連星。理屈はない。そういったものかもしれない。
「……ねえ、トレーナー君」
「……私、死んでもいいわ」
「……それは」
君も私も本当は大人。子供のふりをして、夢に入って愛を囁く。それほどまでに、愛している。
「これで恩返しになれたかしら?」
「それは夢の中の話じゃないか」
「夢の中の話が通じているのなら、同じ夢を見たのなら。そこにある心の動きくらいは、本当だと思っていいんじゃない?」
「……君には敵わないな、マルゼンスキー」
やっぱり私は君を振り回していたい。そうすれば、弱いところも全て見てもらえる。
「じゃあ、久しぶりにドライブでも行きましょうか」
「……今からか?」
「モチのロンよ!」
ああ、本当に。君と走るのは楽しい。私の助手席に君が座っていて、二人はきっと、ずっとそばに居て。
「さあ、行くわよトレーナー君!」
「待て待て引っ張らないでくれ、まず目的地は!?」
「あら、決まってるじゃない? 今までの会話の流れからして」
そう言って、私はぐいと君の耳元を近づけて。
「honeymoon. 愛の告白は通ったんだから。とろとろに甘い月に向けて、フルスロットルで行きましょう?」
これからもずっと、あなたのそばにいよう。