ストリップ・アイドル・ユニット:TRK26 <<pure!?>> BEGINNING-LIVE! 作:添牙いろは
彼女が時間に遅れることはない。むしろ、常々余裕をもって動いている。だから、そのような心配ではない。
彼はカラオケボックス最上階へと向かい、特設スタジオの扉を開ける。そこでは今夜の本番を前に、しとれたち『
しかし。
「ぎゅっぎゅっぎゅー」
「ぎゅっぎゅっぎゅー♪」
「……ぎゅぅ……ぎゅぅ?」
全裸の女のコが三人、ステージの上で肌を寄せ合っている。とはいえ、いまさら彼がこの状況に驚くことはない。
「……何をしているのでしょうか」
MMWはしとれと
ということで、彼はその三人が揃って練習しているのかと思った。していてほしかった。が、糸織は個人で自主練してから合流することの方が多い。何故ならこの現場では、何かと集中力を削ぐ要因がある。そして実際、思わぬ第三者の介入によって集中力を削がれていた。
「おねーちゃんが、しとれちゃんを元気づけてあげてるのー♪」
自ら姉を名乗るのは
そして、このように抱きしめて元気づけるのも自然体らしい。が、いまは元気よりも実際に体を動かすべき頃合いだと思われる。
「それは、ステージが終わった後に改めてお願いできますでしょうか」
朱美を淡々とあしらうプロデューサーだったが、しとれもしとれで、朱美の物言いに首を傾げる。
「……元気づけていたのは、私だったはずなのですが」
しとれと桃が入室する前、確かに朱美がレッスンに入っていたと聞いていた。だからこそ、彼も心配して様子を見に来たのである。
「ひのっきー、歌もダンスもすっごく上手いから、
桃としとれの最終調整、とはいいながらも、実質はしとれが桃を見てあげる力関係だ。一方で、朱美は加わったばかりということもあり、まだまだ練習中である。追いつこうとして励んでいるが、ひとりではなかなか難しい。ということで、うまくいかない朱美をしとれが元気づけていた、という事情があったようだ。そうでなければ、しとれ自ら進んで抱擁で労るようなことはしない。
「これからしとれちゃんたちライブでしょ? お礼におねーちゃんからも元気を分けてあげようと思ってー」
「やはり、それはステージの後でお願いします」
朱美も姉を名乗っているだけに客観的な状況は理解している。が、この元気注入に最も抱き心地の良い桃が加わったことで歯止めが効かなくなっていた。柔らかく温かな人肌に触れて――朱美は
「うんうんうんうんーっ、それじゃー、おねーちゃんは……プロデューサーに元気わけてあげるのーっ!」
朱美は、男があまり得意ではないが、本当のところは嫌いでもない。なので、こうして女子同士で気持ちを温めると、変な方向で勇気が湧いてくる。
「プロデューサーっ、ぎゅーっ!」
「あ、まっつーズルイ!」
桃までステージを下りようとしているが、さすがにそろそろ本番に備えてほしい。
「
「約束だかんねっ、絶対元気注入してよっ!」
こういうところでつい安請け合いしてしまうのは彼の迂闊な癖でもある。
ともかく、朱美を抱きかかえる形で捕捉した彼は、特設スタジオを後にした。
朱美は、服越しでの抱擁では満足できない。ゆえに、あのような裸の付き合いを好む。とはいえ、さすがに部外者の前でその姿を晒すことはない。よって、エレベーターの前まで来たところで、自らそっと腕を放す。
「うー……」
と小さく唸ったところで、さらにもっと小さく、欲しいの、と呟いた。が、それは聞かなかったことにして、彼はエレベーターに乗り込んでゆく。
「今日は昼のシフトにも入っていただいておりましたし、ゆっくりとお休みください」
「……はぁい」
朱美とはここで別れた。彼女は階段でひとつ下の九階へ。TRKプロジェクトのうち、このカラオケ店にも勤めているメンバーには店舗での寝泊まりの有無を提案するのが通例だ。そして朱美は『みんなと一緒がいいのー』と言ってここで暮らしている。女同士なので間違いは起きないとはいえ――先日の早朝、
さて。
TRKプロジェクトはストリップアイドルとして推し進められてきた。しかし、それ以外の展開も模索しており、プロデューサーとして多忙を極めている。さらにはカラオケ店自体の経営も疎かにはできない。ここのところ、息をつく暇さえない日々が続いている。
一時間後には『MMW』の送迎があるとはいえ、それまでも無駄にできない。先ずは、メールの返信から着手しようとメーラーを開く。だが、その新着メッセージには早速落胆させられた。
……やはり、一筋縄ではいかないらしい。歩・しとれ経由で
それらの調整を行い――集合予定時刻一〇分前に部屋を出る。
そこはスタッフの休憩室と直結しており、糸織がスマホを片手に寛いでいた。
「ん、もう時間かいな?」
そう言って、閉ざしていた膝を軽く開き、机の天板に肘をかける。わざわざ態度を悪く見せたいようで、そのためにスカートではなくパンツを穿いているほどだ。そういうキャラ付けをしたいのだろう、と彼も本人の好きにさせている。
だが、卓上の飲み物については気になった。
「……それは、どのような味なのでしょうか?」
太陽サンサン・サラダサイダー――炭酸入りトマトジュース、といえば聞こえはいいが、どうやらベースはレタスやキュウリといった淡色野菜らしい。
「あー……ちょい待ち、いま激マズ以外の気の利いたコメント考えとるさかい」
眉間に指を当てて苦しそうな表情を作っているのは本気で悩んでいるのか、それとも味に悶絶しているのか。こうしてハズレを引くところまで含めて新商品の醍醐味やで、というのが糸織の持論である。
「健康志向……身体の細胞隅々まで侵食……やなくて染み渡るような……」
どうやらその味わいは未知との遭遇だったらしく、残念ながらこの場で答えは導き出せそうにない。
「そちらについては後日楽しみにしております。もうすぐふたりとも下りてくる頃合いなので」
しとれは一〇分前行動を心がける性格である。それは、糸織も知っているはずなのだが。
「むしろ、迎えに行ったほーがええんちゃう?」
プロデューサーの言葉を振り切るように、糸織は天井を見上げて逡巡する。
「ギリギリまでやると思うで。前回桃はん、盛大に振り付け間違えたやろ」
「ええ……まあ」
脱衣のタイミングを誤り、桃はひとりだけ上半裸になってしまった。『フライングやでー♪』と糸織がメロディに合わせて即興の替え歌にしたことで場は逆に盛り上がったが、自分だけスキルが劣ることを桃は内心焦っている。朱美としとれの“入魂おしくらまんじゅう”に加わったのは、桃なりに切実な思いがあったのかもしれない。
とはいえ、糸織の懸念はそこになかった。
「きっと、いまも桃はんにつきっきりやろな。しとれはん、ぶっちゃけ練習量足りとらんで」
糸織がライバルとして最も警戒しているのは歩だが、メイド☆スターとしての実力と実績は当然認めている。MMWは桃に合わせて難易度は低めに構成されているので問題ない。糸織が気にしているのは、歩との三人ユニットの方だ。TRKプロジェクトの顔として盛り上げ、その中で糸織自身が頂点に立つ――そんな野望を抱いているというのに、基盤となる三人ユニットの方を疎かにされるわけにはいかない。
それについてはプロデューサーも把握していた。本能型の歩は他人に自分の技術を伝えることができない。そして、あまり顔を出さない糸織に代わり、しとれがみんなの指導を一手に引き受けているフシがある。さらにはカラオケ店のシフトも積極的に入れるし、衣装の調整や制作までも。これでは練習の時間を取りようもない。
何より、問題を深くしているのは――しとれ自身に、この状況を改める様子がないところにある。彼女のそれは、長所であり美点に違いない。だからこそ、前職ではメイド☆スターと慕われ、メイドたちの憧れとして君臨できたのだろう。
だがそれは、短所であり汚点にもなりかねない。
「……檜さんには、
同様の懸念を、糸織も抱いていたようだ。
「これで、さらに新メンバーまで加わったら、しとれはん、ほんまにパンクしてまうで」
「とはいえ、規模は大きくしていかなくてはなりませんし」
「いや、そっちやのーて」
漠然と増やすメンバーより、先に目下の応募者がいる。
「Pはん、まいどめいどの方、見たんかいな? あとで追加分も再確認しとくゆーとったろ」
「あ……はい、そうでした。すいません」
まいどめいどの募集は事実上しとれの加入を機に打ち切った。しかし、
「少なくとも、まともに唄えそーなモンはおらんかったで。これでさらにしとれはんが面倒見るんが増えたら……どないすんねん」
と言いながらも、糸織自身がサポートするつもりはないようだ。
そこに。
「話は聞かせてもらったっ!」
ガチャリ、と休憩室の扉を引き開くのは桃――と、しとれ。ギリギリまで練習するつもりだったとはいえ、五分前には到着してくれた。だが、何故か朱美までくっついてきている。これに、糸織には悪い予感しかしない。
「おい……何で朱美はんがくっついて来とんねん……」
「だって、今日はMMWが出るでしょー? おねーちゃん、お客さんとして『はぐはぐサービス』してもらおうと思ってー♪」
はぐはぐサービス――イワ爺を悩ませる種のひとつに、踊り娘への無断タッチがあった。本来、ストリップ劇場での踊り娘への接触は厳禁である。が、この劇場が下火であることに漬け込み、女のコが舞台縁に来たところで素早く身を乗り出そうとする客が後を絶たない。
そこで朱美は逆に、正式サービスとして演目の後に観客を抱きしめてあげる催しを提案したのである。但し、ステージ中に違反者が出た場合は行われない。これにより観客たちは疑わしい行為すら自重するようになり、劇場の秩序は保たれるようになったのである。
しかし、メンバー内の空気は平穏とはいい難い。とにかく柔らかい桃――小さくて可愛らしい糸織――桃はともかく、不要なスキンシップを好まない糸織を抱きしめるために、朱美は虎視眈々と狙っている。狙われていることを、糸織自身も把握しているからこそ。
「せんわっ! ……Pはんからも何とかゆーてえな」
「……メンバーが客席に混ざるのは混乱の元になるのでお控えください」
プロデューサーから直々にNGを出され、朱美は露骨にしょんぼりしている。そこで、ここぞとばかりに桃が話題の主導権を奪い返した。
「それより、MMWの新メンバー会議、やるんでしょ?」
桃は何かとこの手の会合を開きたがるが、これに糸織はあまり乗り気でない。
「もうスクリプトは止めたゆーたやん。あれから新しい応募者はおらんはずやろ」
桃と糸織は一度全員分確認しているが。
「けどほら、ひのっきーにもちゃんと見てほしーし」
「いえ、人事については店長に一存にて」
やはり、しとれは管理職としての業務に一線を引いている。しかし、糸織は桃の提案の方に乗った。
「うんにゃ、メイド視点のメイド審査っちゅーことなら、ウチも興味あるで」
「いえ、従業員を雇うのは店長の役割であり、メイドの役割はご主人さまへのご奉仕です」
あくまで距離を置きたがるしとれに対して、桃は多数決で押し切ろうとする。
「そんじゃ、先ずは日時から決めちゃおうよ。今度の土曜日なんて、どう?」
当然、部屋の主たるプロデューサーがいなければ集まれない。
「大変申し訳無いのですが、その日は全日――」
だがそのとき、彼の脳裏に天啓が下りた。それは、短い間ではあるがしとれのことを見てきた彼の直感。もしかすると、彼女の
「
「えっ?」
しとれがシフトに入っていることは知っている。その時間帯は誰かに代わりを頼むとして――メイド☆スターには、もっと大切な用件をお願いすることにした。
そして、新メンバー会議は無期延期となった。
***
土曜日当日朝――
しとれは必ず一〇分前には到着する。よって、彼の到着は一五分前に。だが、五分待ってもしとれの姿は見られない。待ち合わせは一〇分後なので遅れてはいないのだが、彼は少し不安になる。しとれに限って、無断で逃げ出すことはありえないが――今回の件は、彼からしとれに向けての小さからぬ試練だからだ。しかし、乗り越えてもらわねばならないし、乗り越えられると信じている。
チクチクと時の流れを刻む秒針。分針も一歩ずつ歩みを進めていく。もう一周回れば、九時四五分――待ち合わせの時間である。
それに合わせて。
「お……待たせしました……」
背後にそっと近づいた気配が静かに彼の耳元に語りかけてくる。驚き振り向き、そしてまた驚かされた。長い髪はニット帽に収め、黒縁のメガネをかけ、チェックのネルシャツにくるぶしまであるロングスカート――一体何者か、と彼は面食らう。だが、よくよく見てみれば――
「ひ、檜さん……?」
「おはようございます、店長……」
明らかなる変装。そこまで警戒するのか、と彼はこれから課そうとしている試練が想像以上に重かったことを自省していた。そして、ちゃんと来てくれた責任感に感謝する。
ここは、サブカルのメッカ、秋葉原――かつて、しとれが活動拠点としていた街だ。
メイド喫茶発祥の地――と呼ぶのはいいすぎかもしれないが、いわゆるファッションメイドが接客する喫茶店、という意味なら異論はあまりない。一時期、メイド喫茶に見せかけた性風俗が蔓延ったため、これもアダルトコンテンツの規制強化につながる一因として矢面に立たされた。これによってメイド喫茶自体が標的となったが、何をもってメイドとするか、というのは取り締まる警察側の胸三寸だったため――何しろ、和風喫茶の割烹着すら『和風メイド』として摘発されたのである。その実情は、警官の来店時に接客態度として不手際があった――政党協力を拒んだ――権力者の娘がバイトにかまけて学問を疎かにした――様々な憶測が飛び交ったが、ともかく――秋葉原近辺に店を構えているだけで捕まりかねない――この一件により飲食店がこの街から一斉に手を引く結果となった。
しかし、過度の締付けは長く続かない。こと、食に関しては。<自己責任論の台頭>によってこれまでの鬱憤を晴らすかのようにメイド喫茶は息を吹き返し――いまに至る。
ゆえに。
しとれの尋常ではない怯え方は、街の至るところにメイドの目があるかもしれない、という恐れによるものだろう。しかも、今回ふたりが目指しているのは、駅前広場に設営された屋外ステージ――その横断幕に記されたイベント名は『メイドフェス5』――5というのは、今回で第五回ということを意味する。この街のメイド喫茶は唄って踊るライブパフォーマンスを伴う店舗が多い。それを普段メイドに縁のない買い物客たちにも広く知ってもらうために
なお、ここに出場条件はメイド服を着用して楽曲を披露すること――ただそれだけ。ゆえに、メイド喫茶からの選抜だけでなく、一般的なライブハウスで活動していたガールズバンドがメイド服をまとって参戦することも少なくない。今日、プロデューサーが接触しようとしている『ミトックス』もそのひとつである。女子高生三人組によるこのユニットにオリジナル曲はなく、少し前に引退したとあるアイドルのコピーバンドとして活動していた。
が、今回の登録名は普段とは異なる。『ミトックス with 憐夜希』――希氏はゲストとして彼女たちと共演するようだ。彼女はデビューの話やユニットの誘いはすべて断っている。そしてソロか、このようなゲストという形で参加してきた。今回もこのイベントにやって来ると知り、しとれを引き連れて訪れたのである。直接交渉のため、そして――この孤高のアイドルの放つ<スポットライト>の
当然最初は、しとれもこの依頼を断った。それはメイドとしての本分を逸脱しているとして。だが、歩と共にスパで憐夜希氏と顔を合わせているし、何より、元々ここで暮らしていたため、土地勘もあって頼りになる。もし希氏が加わってくれるのであれば、それはこのユニットにおいて極めて利することであり、さらには桃が、行かないならお店でMMW会議!――と、そんな悪ノリまで重なり、さすがのしとれも折れざるを得なかった。
秋葉原にもライブハウスはあるが、実のところ、土地柄もあり多少は寄せているものの――その箱の雰囲気はオタクたちと相容れることはない。そのため、メイド喫茶でのライブと綺麗に棲み分けができていた。だからこそ引き受けたのだが――それはしとれの油断だったといえる。どこのライブハウスかと思えば――まさか、一昨年の『4』で終わったはずの『メイドフェス』が、今年から再開していたとは。それを知っていれば、スカウト会議に参加してでも絶対に引き請けなかっただろう。
正直なところ――プロデューサーはしとれがここまでこの街を
このイベントは、いわゆる路上パフォーマンスの拡張版に等しい。ゆえに、入場券や座席の類はなく、通行人が自由に観覧し、そして立ち去ってゆく。毎年恒例で行われていた頃は、徐々に増えていった常連によってスタッフが買い物客の経路を確保するために動員されていたものだが――
『~~~~♪』
こうも閑散としていては、唄う側も張り合いがないのだろう。さらには最前列で常連と思われるメンズがものすごい勢いでかぶりついては、むしろ何も知らない人たちにとっては近寄りがたい。その様子を見て、しとれは少し寂しく思う。やはり、一度空いた穴は大きかったのだと。
プロデューサーたちはミトックスの出番が始まる頃に到着し、舞台を拝見させていただいた後に挨拶へと向かう予定だった。しかし、客席側に赴いてみると――
「……あ、あの方は……」
奏者たちは、舞台袖にあたる開けた関係者エリアにて待機していた。低い柵で囲まれているだけなので、中の様子はよくわかる。ちょうど、ミトックスの出番が始まる頃に到着し、舞台を拝見させてもらってから挨拶させてもらうつもりだったが――どうやら、まだ出演する前のようだ。全体的に進行が遅れているらしい。
希氏には事前に挨拶に伺う、と連絡はしていた。それに対して先方は、来るな、とも、会うつもりはない、とも言っていない。なので、ミトックスメンバーたち共に舞台の演奏をまったりと聴いていた希氏は――プロデューサーとは初対面であるが、しとれのことは覚えていたようだ。一言断りを入れると、囲いの外まで来ていたふたりのところへ、ゆっくり、堂々と訪れる。
だが。
「……なるほど、それがアナタなりのTPOってこと?」
「い、いえ、そういうわけでは……」
悪い意味でのリアリティ溢れるオタクルック――スパで会ったときは、そこまで露骨な服装をしていなかった。なので、秋葉原ゆえに合わせてきたのかと希は思ったが、決してそのような事情ではない。
そして、プロデューサーから打診して訪れたにも関わらず、彼を無視してしとれに声をかけたことは、希なりのTRKに対する温度感の表現だといえよう。それは彼も承知の上で。
「初めてお目にかかります。
差し出された名刺を――希は一応のビジネスマナーをもって受け取る。だが。
「これはどうも。けど、ワタシからの返事は変わらないわ」
理由は以前メールでも伝えてある。彼女には本業があり、アイドル活動はあくまで副業兼趣味であるとして。
「メールでもお伝えしましたとおり、『一般部門』も検討しておりまして――」
「脱がなくても、よ」
以前、早朝の劇場前で宣言したように、現在TRKは表舞台への挑戦も視野に入れている。それを牽引する意味で、希氏の存在感は絶大だ。何より、それならば脱ぐ必要はない。それでも彼女は一蹴する。
「では逆に、我々が憐夜さんの活動をバックアップさせていただくというのは……」
「それもNO。見え透いた下心はいらないわ」
これでは取り付く島もない。が、希を推しているという気持ちだけは伝わった。
「けど……ま、知ってのとおり、ワタシ、フリーだから。条件によってはゲストなら共演してあげてもいいわよ」
ここが、希にできる最大の譲歩らしい。ともかく、こうして名刺を受け取ってもらい、縁もつながった。プロデューサーとして一歩前進したと手応えは感じている。
「ありがとうございます!」
「礼なら歩に言いなさい」
「はい。蒼泉にも、必ず」
アイドルはアイドル同士、歌によって通じ合うものがあったのだろう、と彼は歩に感謝していた。
話は終わった、と言いたげに、ひらりと踵を返す。だが、関係者エリアに戻る前に。
「じゃ、部外者は客席で待っててくれる? それとも、あのコたちもスカウトしてくれるのかしら?」
希の視線の先にあるのは、やはり今回共にするミトックスの三人組の姿。しかし、耐えきれない様子でプロデューサーとのやり取りを遠目で窺っている。希はこれまでずっと様々なスカウトを蹴ってきた過去があり、それはこの界隈でも知られた話だ。しかし、若いメンバーたちはそうではない。
「ミカとミキなら脱ぐのもイケそうだけど……?」
「それでは、ステージにて注目させていただきます」
本番前に深入りすることは、ミトックスのメンバーにも必要以上の期待をさせてしまう。スカウトするかは実際の演奏にて判断するのが一番だ。
さて、これでしとれの役目は終わったはず。ならば、すぐにでもこの街から離れたい。だが――やはり焦っていたのか、しとれは客観性を欠いていた。彼女のメイド☆スターの名は、決してスキルだけによるものではない。そのアイドル性――存在感から自然とそのように呼ばれるようになったものである。そもそも、一度しか顔を合わせていない希でさえ、遠目で識別できたのだ。顔見知りであれば、現れたことに気づかないはずがない。
「――こんなところで何をしているのです、しとれさん」
聞き馴染みのある声に、しとれはビクリと肩を竦ませた。逢いたくなかった関係者の中でも、最も逢いたくなかった――
「め……メイド長……」
上長を伴って名前まで呼ばれては、誤魔化して逃げるわけにもいかない。しとれが振り返ると、そこには年季の入ったメイドが帰り道を塞ぐように仁王立ちしていた。ステージで着る衣装とは異なり、艶のない濃紺のドレスに白いエプロン――そこに浮ついた雰囲気はなく、まさに家事手伝いのための本職メイドの様相だ。しかし、彼女自身が雑作業に従事することはない。しとれがそう呼んだように、彼女こそはメイドの長――メイド喫茶『
「そっ、その切は大変ご迷惑をおかけしまして、その……っ!」
プロデューサーはこれまで、こんなに狼狽えているしとれの姿を見たことがない。だからこそきっと、心の底から恐れていたのだろう。それでも、ここに連れてきた張本人であるプロデューサーに助けを請いたり、ましてや恨みがましい眼で睨みつけることもしない。その芯の強さを、彼はプロデュースする立場として誇りに思う。
頭を下げたままの元従業員に対して、メイド長は何ら責め句をぶつけたりはしない。ただ、小さくため息をついて。
「しかし……なるほど、何故今年になってこのイベントが再開されたのか、ようやくわかりました」
「えっ?」
思わぬ言葉に、しとれは驚いて顔を上げる。すると、その視線の先には――
「しとれ先輩っ!」
「戻ってきてくれたんですねっ!」
その様子から、かつて同じ店でメイドとして従事していた者なのだろう。その中でも一際感極まった小さなメイドが頭の上で小さなツインテールを揺らしながらしとれの傍まで駆け寄ってきた。
「あなたは……」
間近で羨望の眼差しを受け、しとれは後輩とのつながりを思い出す。第一回のメイドフェス――ここでのステージを見て、お店の求人に応募してくれていたことはしとれも聞いていた。だからこそこの小さな後輩は、再会できたことに喜びもひとしおなのだろう。
しかし。
「先輩っ、今日はどこの枠で出演されるんですかっ?」
そんな無邪気な質問に、しとれは瞳を曇らせる。
「私に……このイベントに
店舗を特定できる形で制服をまとっての性行為――そのような営業が認められているのは新歌舞伎町の中だけであって、警察に見つかれば営業停止の危険すらあった。本当に、どれだけ迷惑をかけたことか計り知れない。
だが、それでも。
「……しとれさん、貴女は本当に
メイド長から告げられて、しとれはハッとして皆を見回す。そこに、彼女を責めようとする者はいない。誰もが、しとれの帰還を望んでいる。
何故ならば。
「檜さん、貴女は……メイドであると同時に、スターなのですよ」
だからこその『メイド☆スター』――ご主人さまのみならず、同業者すら惹きつけるそのステージを、企画運営者が見逃すはずがない。彼女のメイドライブを大々的に世に広めるべき――つまるところ、このメイドフェス自体が、しとれのために作られたようなイベントだったのである。
だからこそ、肝心のメイド☆スターが不祥事を起こしてしまっては――昨年は急遽中止となった。が、毎年恒例のライブイベントを待ち望む声も大きく、一先ず復活させてみたのが今年――だが、やはりしとれを失ったメイドライブに勢いはなく、立ち止まって聴いていく人々もまばらだ。熱心なのはコアなメイドファンだけであり、一般客を止めての集客には繋がりそうもない。おそらく、このままでは今回で本当に最後となってしまうだろう。誰もがそう感じていた。しかし、それを望んではいない。
だからこそ。
「環奈さん、お店からしとれさんの制服を」
「はいっ」
「お、お待ち下さい!」
メイド長の指示を受けたメイドが街の奥へ向かって走り出そうとしたのを、他でもないしとれが止めようとしている。肝心の彼女がまだ現状を把握しきれていない。だが、何となくはわかっている。そして、メイド長の方が、より。
「しとれさん、貴女が出演しないのであれば、予定通り、湊さんをセンターとしますが?」
湊と呼ばれたのは、メイドの中で真っ先に駆け寄ってきてくれた小さな彼女だった。センターといえば、グループ内で最も映えある立ち位置である。だが――
「先輩……!」
彼女は自身がそこに立つことを望んでいない。彼女は、そこに立つべきより相応しい人物を知っている。それは、彼女自身が、その
しとれのしてしまったことは見逃せることではない。実際、熱心なファンは、あの事件によってアンチに回ってしまった者も少なからずいる。だが、それ以上に――
メイドたちだけでなく――その雰囲気は客席側にも伝わったのだろう。それとも、これから鑑賞しようとしていたファンたちか。メイドの輪の中心にいるのがメイド☆スターだと気づいたらしい。ついに、本命の復活か――期待の熱はプロデューサーにさえも伝わってくる。
これが――秋葉原におけるメイド☆スターの存在感――。来てもらって良かった、と彼は思う。そもそも彼は、メイド喫茶がライブを行うことをつい先月知ったばかりの身だ。彼が望むのは、しとれがただのメイドではない――それに気づいてもらうこと。綿密な計画を練っていたわけではない。それでもきっと、ここへ来れば何か伝わるはずだ、と信じていた。その結果、昔を思い出し、かつての世界へと戻っても構わない。それで、彼女が輝けるのなら。
そのために――
「檜さん」
彼は、差し出す。それが最後の勇気になると信じていたから。彼女がずっと、メイドの魂であると大切にしてきたヘッドドレス――普段はお守り代わりに持ち歩いているしとれも、メイドの名を折った自分がこの街に持ち込むこと恐れ多い、と置いてきたもの――とも違う。ヘッドドレスはいくつか持っているが、そのいずれでもない。この両サイドに紫のリボンのあしらわれたものは――プロデューサーが用意してきたものなのだから。このときのために。
だからこそ、しとれは軽く膝を折り、恭しく
メイドフェス5は淡々と進んでいく。本来このイベントはコアなメイドファンより、通りすがりの買い物客にメイド喫茶の新たな一面を知ってもらう目的の方が大きい。その意味では、今回のイベントは――最前列で食いつく常連客――遠目で一瞥するだけで素通りしていく無関心な人々――盛大に失敗しているといわざるを得ない。これは運営側にも誤算があった。当然、しとれひとりで盛り上げられるイベントではない。それなりの実力を持つメイドも複数いたはずだし、無関係なバンドにメイド服を着せて出演もしてもらっている。
だが、それでも、求心力が生まれない。イベントとしての一体感がない。このままでは、確実に今回をもってメイドフェスは終了となるだろう。
しかし、そこに彼女は立った。
『Dear my master, I'll go with you... ♪』
紫色にきらめくメイド服――その頭頂にそよぐのは紫色のリボンが両端にそよぐ白いアーチ――予告すらされていなかったスターの登場に、至近距離で食いついていた古参たちはもちろんのこと――その歌声に、見知らぬ人さえ立ち止まる。
『定まらない未来……だからこそ……♪』
そして、ひと目でそのステージに魅了されていた。歌と踊り――そしてメイド服――そのすべてが調和して、初めてメイドステージは完成される。
『夜空に祈るの、一筋の流れ星を信じて♪』
やはり、彼女はメイド☆スターであった。唐突な出演だったにも関わらず、その光は自然と中心に立っている。ご主人さまと呼ばれるステージ下最前列の男たちの中には、感激のあまり涙を流す者まで。そして、彼らを覆い尽くすほどに、ステージ下は立ち見の人々で溢れかえっている。
その様子を後ろの方から眺めながら、プロデューサーは再認識していた。檜しとれ――彼女はやはりただのメイドではない。すべてのメイドを導く存在だったのだ。大きな過ちを犯してしまったことは否めない。それでも、メイドステージに想いを馳せる者たちがいる。それはご主人さまだけでなく、共に踊り唄うメイドたちと、そして。
「貴女が、しとれさんのいまのご主人さま、ということですか」
客席側でステージを見守っていたプロデューサーの背後から、小さく低くもよく通る女性の声が彼を振り向かせる。初めて言葉を交わして、さすがはメイド長たる貫禄だ、と彼もまた感服させられた。
「いえ、私はしがないカラオケボックスの店長であり、そして――」
胸元から名刺を差し出す。
「――彼女の……彼女
「なるほど、アイドルプロデューサー……」
それは、一般部門を見越して用意されたもの。ストリップアイドルの名刺を、新歌舞伎町の外の女性に手渡すわけにはいかない。
だが、受け取った方はその字面をじっと見て、そして裏返す。そこに何も印字がないことを確認して、男に向けて微笑んだ。
「一時隠したところで、明るみに出るのは時間の問題ですよ」
そう言って、改めて手を差し伸べる。これにはプロデューサーも敬服し――本来の、ストリップアイドルユニットとしての名刺を差し出し直した。事務所の住所はカラオケボックスとしているが、新歌舞伎町を連想したのかもしれない。
と、プロデューサーは察したが、メイド長はまったく別の記憶の糸を手繰り寄せる。
「何十年ぶりでしょうね、その“口説き文句”を聞いたのは」
「え?」
とりわけ、珍しい名字というわけではない。だが――『私は、貴女の輝きを世に届けるために来たのです』――その言葉を、彼女はいまでも覚えている。相手が既婚者でなければ、その手を取っていたかもしれない。だが、やはり、彼女はいまも昔もメイドだった。
「私はメイド、この店から出るつもりはありません……そう答えると、彼は……ならば、この店から発していきましょう……そう言って、窓際のスペースをステージに改装してしまったのです」
「それは、もしや……」
「ふふ、あの頃は私も若かったから……風俗店の経営者だと後で知って、大変驚いたものですよ」
その面持ちは、まるで生娘のようであった。ゆえに、そこに悪意はない。当時は、断って良かった、と心底軽蔑したものだが――それは裏返された感情だったのだろう、と彼女自身も自覚している。
「私にはできなかったことを……しとれさんには私の代わりに、外の世界へ飛び立っていただきましょう」
しとれはメイドの枠に収まる器ではない、とメイド長は受け取っていた。それでも。
「彼女の原点がメイドにあることは変わりません」
もし、しとれがここに戻りたいと言うのであれば、できることなら受け入れて欲しい。だが、その心配はなさそうだ。しとれたちの楽曲が終わり、恭しく一礼すると――群衆の向こう側にいるプロデューサーのことはずっと気になっていたのだろう。これからも、よろしくお願いいたします、店長――しとれの瞳は、彼にそう告げていた。隣にいるメイド長ではなく。ゆえに、かつての上長はいまの上長へ優雅に頭を下げる。
「それでは、我々はしとれさんの原点として恥じないよう努めてまいりましょう」
挨拶を済ますと、メイド長は踵を返す。舞台裏へと戻っているであろうメイドたちを労うために。だが、プロデューサーが同行することはない。きっと、メイドたちの間で積もる話もあるだろう。そして何より――その次の舞台は、決して見逃すことはできないものだから。
『ミトックス with 憐夜希』――一〇分の転換を経て堂々の登場。そこに、ここまでの緩んだ空気は一切ない。しとれの熱唱は、観客だけでなく続くバンドにも火をつけたようだ。
『求め合うほどに強く抱きしめるふたり♪』
スピーカーを通して駅前広場一帯に響き渡る声。それは、しとれが集めた群衆の規模をさらに拡大させる。コピーバンドだけに、その内容はメジャーレーベルのもの。しかしそれでも、本家にさえ比肩する力をプロデューサーは感じていた。さすがは、歩と即興で合わせられる技量の持ち主である。だが、本業がある以上、脱いでもらうことは難しそうだ。一方、若きバンドガールたち――ギターのミカ、キーボードのミク、そしてボーカルのミキ――いまは未熟で、希がメンバーたちを引率しているかのようだ。しかし、若さ、初々しさによる勢いは感じられる。残念ながら<スポットライト>は見出だせないが、何らかのきっかけで光るものはあるかもしれない。プロデューサーは、彼女たちの今後の活動に期待することにした。
演奏するだけで精一杯のミトックスと引き換え、希は観客一人ひとりへのアピールも忘れない。やはり、ライブアイドルとしての年季は伊達ではないようだ。
そこに――
――ゾワッ――
プロデューサーは背筋を震わせる。そもそも、<スポットライト>とは彼独特の直感的なものだ。ゆえに、それだけは理解している。ステージ上で憐夜希を包み込んでいるものもまた、<スポットライト>のひとつである、と。
だが――
弱い、わけではない。鈍い、わけでもない。あえて表現するのであれば、空間自体を屈折させているような――周囲の光を飲み込んでいくような。ミキと合わせる希は、やはり美しい。しかし、
彼女は間違いなく、あの劇場で唄い、脱ぎ舞うことで観客たちを魅了することだろう。だが、
だが、そのとき――
「――ッ!?」
ここは音楽イベントの会場である。複数の<スポットライト>が瞬いても不思議はない。だがそれは、ステージ上のミトックスたちではなく――鋭い熱量を感じて、プロデューサーは惹きつけられるように左を向いていた。そこに佇むのは、ワンピースの女性――襟にかからないよう短くまとめられたボブヘア――彼女は険しい表情で、壇上を睨みつけている。だが不思議と、そこに悪意は感じられない。むしろ、可愛らしくさえ見える。だからこそ、つい見惚れてしまったが――彼女にこの場で長々と鑑賞していくつもりはなかったらしい。手にしていたキャリーケースをゴロゴロと転がし、駅とは反対方向に向かっていく。その歩調が少し憤っているように見えたので――何より、これから明らかに用事のある荷物だ。引き止めても話を聞いてもらえそうにない。そこで彼は――悪いと思いながらも尾行することにした。もしどこかで車を拾うつもりなら――前の車を追ってくれ、というカーチェイスに発展したかもしれない。
だが、そんな心配もなく、徒歩一〇分足らずの末に彼女が入っていったのは、意外なことに――
「……やはり、ここにおられたのですね」
呼びかけられて振り向くと、そこにはメイドが立っていた。路地裏にメイド――この街でなければ先ず見られない光景だろう。
何故ここがわかったのか――彼女もまた、プロデューサーを尾行していたのか――それを問う前に、彼はしとれから叱責を受ける。
「希さま、怒ってましたよ。自分のステージの途中で席を外した、と」
「! そ、それは――」
彼としたことが大失態である。だが、それはある種の――
「病気みたいなものだから見逃して頂きたい、と謝罪しておきました。スカウトに足る人物を見かけると我を忘れて追いかけてしまう、という」
そこまで顕著だったか? と彼は自問自答する。とはいえ。
「……面目もありません」
辛辣な言い分の方が説得力はあるのだろう。
「まあ、怒っていたといっても、冗談のようなものですが」
とフォローした上で、しとれがこの場所を探り当てたタネを明かす。
「
「…………ああ」
彼は、ここが秋葉原――新歌舞伎町の外であったため失念していた。
「
しとれはこの街に詳しい。ここにいなければ、二軒目、三軒目、と思い当たる場所を巡るつもりだったのだろう。
ただ、ここがしとれの思うとおりの建物だとすると――この街に住んでいた頃からずっと抱いてきた疑問が残る。
「しかし……風俗関連が許可されているのは新歌舞伎町の街の中だけのはずでは」
しとれも何となく知っていた。風俗関連に勤める者は住宅を借りることも難しく、店側で用意していることも多い。そして、先程の女性が入っていったこのマンションも、そのひとつである、と。だとすると、新歌舞伎町の街の外で風俗営業を行っているということになってしまうのだが。
「それを言うなら、我々の本拠地も外のカラオケボックスですよ」
確かに、性風俗業は新歌舞伎町ひとつに押し込まれた。が、現実的な問題として、あの区画ひとつに収まるものではない。ゆえに、実際の活動は街の中であっても、事務所は大抵外にある。ここで受付処理を行い、新歌舞伎町の方へと女のコを運んでいくことになるのだろう。
「手間がかかるとはいえ、街の外で金銭の授受が発覚した場合、面倒なことになりますから」
このあたりにも休憩できるホテルは少なからずある。それらを使えば移動費は安くなるが、万が一の際に致命的な損失を被りかねない。店側もそれを熟知しているため――新歌舞伎町近辺に安価な待機場所を用意したりと、色々と工夫しているようだ。
「……そうですね。手間が、かかりますね」
しとれは、自分に向けて呟くように。
「店長、ひとつご相談が」
「……はい」
彼は、ステージ上で見せてくれたしとれの視線の意味を理解している――そのつもりだった。が、彼女から直接告げられたわけではない。ゆえに、気を引き締める。もし、メイド喫茶に戻りたい、と願い出たとしても悔いはない、と。その心積もりで、しとれに望む。
だが、しとれは、むしろ――変な空気を出してしまったか、と自重していた。ゆえに、頬を緩ませる。彼女なりに、大きな決心なつもりだったのだけれど。
「私も……カラオケボックスの方にお部屋をいただいてもよろしいでしょうか」
「!」
それはむしろ――より深く、TRKのために尽力してくれるということ。以前は頑なに住み込みを拒んでいたしとれだったが――確かに、職場はご奉仕の場である。だが、彼女はただご奉仕に注力していればいいだけのメイドではない。檜しとれは――メイド☆スターなのだから。
「……はい、事務所に戻り次第、すぐにご用意いたします……ッ」
彼氏との職場でのプライベート撮影――しとれにとって決定的に足りなかったものは『覚悟』だったのだろう。自身は一介のメイドにすぎない――そんな甘えがあったからこそ。しかし、彼女は――まだ、完全に自覚できたわけではない。が、これから少しずつ自覚していくことだろう。ただのひとりのメンバーなのではなく、TRKをも率いていく立場なのだと。
***
さて。
住んでいる場所が分かれば、糸織のエージェントに調査を頼むこともできる。ただし、黒塗りの高級車が絡みそうなときは撤収しなければならないが。しかし逆に、それ以外はそれなりに情報を収集することはできる。その結果、彼女の素性はとても明らかになった。
「あー……Pはん、スカウトすんなら急いだ方がええかもしれんで」
今日の会議はターゲットとの接触時に居合わせたしとれと、調査報告のある糸織、そして、プロデューサーたる彼の三名。カラオケボックス奥にある事務所で打ち合わせている。何気にこのプロジェクトの中では年長組にあたるふたりだけに、余計なところで脱いだりはしゃいだりはしない。服装も普段着で、真面目な雰囲気である。
プロデューサーも、糸織が言いたいことは何となく察していた。彼とてただ糸織の報告を待っていたのではなく、独自に調査を進めてきている。ターゲットの勤め先は、マンションの所有者から簡単に特定できた。しかし、そこに掲載されていた顔写真は――手で目元は隠しているが、雰囲気でその人であることはわかる。だが、その口元の笑みがぎこちない。緊張というより、無理して作っているのだろうな、と伝わってくる。
この界隈で引き抜きは厳禁。そのため、糸織からの情報を元に慎重に戦略を立てるつもりでいた。しかし、このままではその必要すらなくなるのではないか、というのが糸織の見立てである。ただ業者間の交渉が必要ないだけならともかく、この界隈に失望して足を洗われては勧誘自体が難航しかねない。
「あのコ、ほとんど指名入っとらん。近所のコンビニバイトでかろうじて食いつないどるけど、どっちが本業かわかったもんやないで」
ほんまの本業は学生やけどな、と付け加えて。
ターゲットがキャリーバッグを持って出勤すれば、それはエージェントの調査範囲外となる。が、そのような機会もほとんどなく、そのため綿密に行動圏を調べることができた。基本は自宅とバイト先のコンビニ、もしくは大学との往復のみ。立ち寄る場所といえば――あの日は裸眼だったが、プライベートでは眼鏡を着用している。どうやら買い替えを検討しているらしく、足繁く眼鏡店に入っていく姿が確認されていた。だが、余計な買い物をしている様子はない。
糸織からの報告を受けて、しとれはその女性の人物像をイメージしてみる。しかし、秋葉原という街と一向に重ならない。
「そうまでして、何故その職に固執しているのでしょう?」
調査したところ、非常に質素な生活である。わざわざ風俗業で大金を稼ぐ必要も見受けられない。あまりに人付き合いが薄すぎて、糸織にもそのあたりの事情まではわからなかった。
「さーな。けど、まー……きちんと筋さえ通せばさほど揉めんと思うで」
三ヶ月の新人期間も過ぎ、それでも花開くことがなかった源氏名『ゆう』という女のコ――しかし彼は、彼女が輝くことを知っている。
***
水商売の送迎スタッフともなれば、その筋のプロといえる。道中で女のコの機嫌を損ねることがあれば、それだけでクビを切られかねない。ゆえに、低頭平身でおだてるか、ひたすら無言か相槌を打つか。ゆえに、ゆうは部屋に入る前から普段とは異なる雰囲気を感じていた。
そして、実際に客と相対して確信する。これは、ただの仕事ではないと。
「お店の方には話は通してありますからご安心ください」
「…………」
この間の土曜日は指名なしからの店側の斡旋だった。あまりに選ばれないゆうに対する温情として。しかし、今日は正規の指名である。これまで必死にゆうのテンションを上げようと事細かに褒め称えてくれたドライバーのことだから、ゆうは少しだけ期待していた。
にも関わらず――決して『デリヘルにも色々あるからねー。他の店に移るってのもアリだと思うよ~』などと軽口を叩くタイミングではない。きっと、店側からの指示だったのだろう。
一応、通常の指名であるため、コンセプトに沿ったメイド服を着込み、ホテルの一室で男と共にしている。しかし、ここは新歌舞伎町にあるというだけで普通のビジネスホテルだ。男の方にも邪な期待を膨らませているような気概を感じない。スーツの彼は完全にビジネスライク。そのうえ備品のお茶まで用意されてしまった。それでも、正規料金は受け取っている。ならば、ゆうにとってこれは仕事だ。しかも、極めて、
通常の引き抜きも客を装い指名することで行われるため、本当に許可済みなのかは判別できない。とはいえ、ただ会わせるよりも客として指名してもらえば店としてもマージンが入るため丸く収まるという事情もある。ゆうは名刺を受け取って良いものかと悩んだが、本当に店に話を通しているのなら後で確認すればいい。明答はせずとも、白々しくはぐらかすことだろう。ゆうは、TRKがどんな
「で、こっちは脱がなくてもいいの?」
「はい」
「セックスも?」
「はい、結構です」
女性からの誘いに対して、応対がつい素っ気なくなってしまったか――と彼は自らを省みる。もしや不愉快にさせてしまったかもしれない、と彼は懸念したが、ゆうにそのようなところに気をかける様子はない。というより、表情が変わっていない。内巻きの短いボブカットは、おしゃれというより自然にそちらへ流れているだけのようだ。それはあの人混みの中で見かけた姿そのものだが、これがあくまで仕事用の顔だということを、彼は知っている。
「もしよろしければ、眼鏡もかけて構いませんよ」
「……何でそれを……まあ、引き抜こうって言うんだから調べてるか」
眼鏡は客受けが悪かろうとコンタクトにしていたが、目が疲れるため好きではない。不信感は拭えないが、一先ずゆうはそのご厚意に甘んじさせてもらうことにした。これで少しはリラックスしてくれるのでは、と彼も期待したが、ゆうの表情は一向に変わらない。だが、目元だけはこころなしか穏やかになったようだ。
さて、腰を据えて話をしようにも、ここはベッドが幅を利かせたビジネスホテルの一室である。対談のための座席の置き場すらない。出されたお茶を飲むために、ゆうはサイドテーブルのあるベッドの頭側に座った。これは真ん中に座る彼とは程よい距離感である。最初からそのような想定だったのかもしれない。
「で、どんな店なの? ストリップアイドルユニットってことは、そういうイメージプレイ?」
「いいえ、TRKは、れっきとしたアイドルユニットです。先ずはステージの様子を――」
言いながら、彼はノートパソコンを鞄から取り出す。しかし、ゆうはピシャリとそれを制した。部屋にもデッキくらいあるが、そういうことではない。
「データだけちょうだい。あとで観ておくから」
倍速で。それを口に出すことはないが、一倍速など時間がもったいない。
「……そうですか。では――」
「で、儲かるの?」
パソコンをしまい直したところで、彼は思わず硬直する。何かにつけて先手を取るゆうの質問は、彼にとってあまりに予想外だった。しかし、それに色よい返事を示すことはできない。
「……申し訳ありません。まだ活動を始めたばかりですので」
動画の入ったディスクだけは受け取ってくれたが、これにゆうは露骨なため息をつく。
「はぁ、お話にならないわね」
ディスクは無造作にサイドテーブルのお茶の横に置かれた。あくまで強気の姿勢ではあるが、ゆう自身、デリヘル嬢としてまともに儲けられているとは言い難い。話をつけている、ということは、そこまで知られてしまっているのだろう。だが、それにあえて触れずにいてくれている。ゆえに少なくとも、ゆうからの彼に対する心象は悪くない。
「ところで、何故私なの? 貴方のお相手はしたことなかったわよね」
売れていないと知りながら自分を勧誘する理由を、ゆうは知りたい。今後の自分のセールスポイントを探るためにも。これに対して彼は――<スポットライト>を感じた、などと抽象的な表現を用いるわけにもいかない。
「駅前での、ミトックスのライブにて」
「あー……古竹未兎のコピーバンド。こないだの土曜にやってたわね。それで?」
「それを聴いている貴女の横顔を見て、可能性を感じたのです」
彼に言えることはそれしかなかった。当然、ゆうとて納得するはずがない。あまりの馬鹿馬鹿しさに眉をしかめる。
「はぁ? ナニソレ。一目惚れしたとでも言う気?」
状況的に、そうとしか受け取りようがない。だが、そのような器量でないことをゆう自身承知している。少なからず怪しいが、自分の行動をそれなりに把握しているようだ。ならば、誰彼構わず声をかけまくっているようなことでもないのだろう。
「いずれにせよ、そんな無名ユニットに入るつもりはないわよ。稼げるようになってからまた来てくれる?」
「ユニットを大きくするために、お力を貸していただけないでしょうか」
「いやよ。そんな雲を掴むような話。私はね、確実に儲かることしかしないの」
そう断言したゆうだったが――同じ働くなら時間単価が高い仕事が良い――そう考えてデリヘル嬢にはなってみたものの――新人期間のうちは優先的に客を回してもらえた。それでもリピーターがつくことはなく――
実際のところ、いまの仕事に行き詰まっている感は否めない。だからこそ。
「……まあ、暇潰しにライブくらい見に行ってやってもいいわ。今度、いつやるの?」
それは、半分本気の社交辞令。しかしそれに彼は食いつく。
「ありがとうございますっ!」
いずれにせよ、チケットは手渡すつもりでいた。それを先方から申し出てくれたのだから、プロデューサーとしては喜ばしい展開である。スーツの内ポケットに仕込んでいたものを、待ってましたとばかりに差し出した。物をもらってここまで喜んでもらえるのなら、ゆうとしても悪い気はしない。
「じゃ、話の続きは実物を見てから、ということで――」
指定の時間は六十分。まだ半分以上余っている。
「このまま、残りをぼんやりしてるのも時間の無駄ね。どうせ暇だし……ヤる?」
「何をです?」
「セックスに決まってるじゃない」
ゆうとしては、暇潰しに抱かれてやってもいい、くらいには考えていた。そもそも、それこそがここへ来た本来の目的。しかし、彼の目的はそれとは異なる。
「それは辞退させていただきます」
「何よ。私のこと誘っておきながら」
当然、ゆうに異性としての魅力がない、というわけではない。
「メンバーとは誰であっても、一線を超えるわけにはまいりません」
「断った相手をメンバー扱いとか、貴方、ずいぶん図々しいわね。けど、だったら――」
ゆうはふわりとベッドの縁から立ち上がる。そして、ずかずかと男の方へと向き直った。そこにメイドらしい優雅さはないが、彼もそんなものを求めてはない。そして、彼女もそんなものを提供するつもりはない。
「せめて、裸になってあげましょうか?」
「そうですね。よろしければ、是非」
プロポーションの善し悪しを評するつもりはない。ただ、見せてもらえるというのならその方がユニットの組み方の参考になる。
ゆうに脱ぐことに対する躊躇はない。しかし、その仕草は男をそそらせることもない。あたかも入浴前のように手際よく、恥じらいなく、するするとメイド服を脱いでいく。中の下着は清潔感こそあるものの、可愛らしいデザイン性はまったくない。それがある意味でメイドらしいともいえる。だが、客となる男性たちの求めるものはそこではない。しとれのようにヘッドドレスはメイドの魂、などと言うこともない。通常、このあと共にシャワーを浴びるということもあり、頭上のそれも無造作に取り除かれた。
ゆうに、脱ぐことに対する躊躇はないが、自分の体型がそこまで恵まれているとも思っていない。
「……どう? ガッカリした?」
性行為を共にするのであれば、対峙した男にとって女の
真っ直ぐに手を下ろし、少ししてくるりと背を向ける。それは当然胸に対する恥じらいではなく、後ろからも見ておく必要があるのだろうと配慮したからこそ。ゆえに、すぐ前へ向き直った。まるでただの身体測定のように。
女性の裸体を間近で鑑賞しながら、彼はじっと考える。
「美しいですよ」
全体的に細身で、胸もお尻も控えめか。タイプとしては晴恵と似ているが、やたらと鍛えているマスクの彼女と比べて、ゆうの方が優しい雰囲気がある。すっきりと短く丸い髪型も、一緒に組ませやすいかもしれない。ただ――やはり重要なのは<スポットライト>である。それを輝かせる組み合わせこそが肝要だ。少なくとも、現状はそれを感じない。
これにゆうは――この男の目つきは入店の際の店長と似ている――少なくとも、ただ欲望のままに眺めていた客としての男たちとは違いそうだ。ここまで疑っていたわけではないが、本当にストリッパーとして勧誘しに来たのだろう、とゆうは改めて感心する。
「で、ストリップってことは、このまま股を開いたりするわけ?」
何となくのイメージで、ゆうは恥ずかしげもなく右腿を両手で担いで持ち上げてみた。当然、ここもきちんと手入れ済み。鏡で何度も確認しているので、ここがどうなっているのか自分でも理解している。だからこそ、こんなものを見たがる男の気持ちはわからない。
女性の割れ目を見せつけられながらも、彼は平然と受け答える。
「それもお願いしますが……重要なのは歌の方ですね」
あまりの反応の薄さに、ゆうは見られ損――とは思わない。胸にも股間にもさして食いつかないこの男に、ゆうは一味違った仕事人としての空気を感じる。
「ふぅん、ただのストリップとは違うみたいね。で、どんな歌を唄うの?」
ゆうとてストリッパーの具体的なショー内容は知らない。仕事選びの際に、待遇面で切り捨ててしまったから。ストリップアイドルユニットというのが特殊なのかもしれないが、裸で唄っている姿がいまいちイメージできない。
ならば、と言いたげに、彼は再びノート端末を取り出した。
「では、是非こちらを」
そして、ゆうに渡したものとは別のディスクを改めて取り出す。営業活動を行う者として宣伝用媒体が一枚こっきりのはずはない。
ゆうとしては乗せられてしまったようで癪だが、今度は拒まず彼に従う。二倍速で見るよりも、拘束時間を使った方が人生に対して効率もいい。
***
新歌舞伎町は女性にとって一際危険な街である。ゆえに、チケットにはタクシー券も同封されていた。多くの客で賑わっていた頃には昼過ぎから開いていたものだが、いまでは夕方と夜の二回だけ。比較的浅い時間帯であればタクシーは使わず金券ショップに――とも考えた。しかし、こういうものは夜の方が本命なのだろう。中途半端な観劇は時間の無駄――そう断じ、あえてタクシーを使って夜間の部へと赴いた。
今日のゆうは仕事として来たわけではない。ゆえに、メイド服ではなく、秋葉原の街で着ていたようなブランドもののワンピースである。長く着れるようにと良いものを買ったからか、デザインは流行を数年分逆行している感が否めない。ただ、上と下が一体になっているので着衣の効率が良い、とゆうは考え、これを好んで着用していた。
会場に着いたゆうがロビーを覗き込んでみると、客は案の定男性しかいない。それも、若くても四〇代に見える。
この街は何かと物騒なことで有名だが、チケット売り場から先にセキュリティに関する仕組みは見えない。関係者の隙を突けばこっそり入れてしまうのではないか、とゆうは思う。しかし、ここまで人が少ないと逆に目立つし、ひとりふたり勝手に入ったところでそこまで売上に影響はないというのが実情だった。そもそも、ゆうは招待券をもらっている。そのような姑息な真似をする必要もない。
さて、一見無防備で開け放たれた構造にはなっているが、さすがに売上の主軸を扱うチケット売り場ともなれば、その箱自体アクリルのパーティションによってそれなりの厳重さで保護されている。ゆうは自分のチケットをカウンターに差し出したとき、その向こう側の担当者の顔を見てぎょっとした。
「あらあらぁ、これはプロデューサーそんの……。どンぞどンぞ~」
この人……DVDに出てた踊り娘で……確か、
とはいえ――ロビーに足を運んでみると、うんざりした気分は少しだけ浮き立つ。赤い壁に飾られているのは、指名写真――ではなさそうだ。それは、営業活動の一環であるTRKのメンバーたちのブロマイドである。残念ながら、売れ行きはさほどでもない。だが、ゆう自身――デリヘルのオプションとして撮影はある。頼まれたことはないけれど。しかし、一度撮ったものを焼き増して販売できるのであれば何と効率的か、とは思う。しかも、素人の手によるポラロイドではなく、きちんとしたカメラと照明、それに――胸も下の毛も出しているけれど、髪や手足は綺麗に着飾って――無駄な装飾に興味はないと思っていた。けれど、それを仕事として――お金をもらって飾れるのであれば――
己の高揚を否定するように、ゆうは奥のバーカウンターの方に視線を移す。
「い、いや、私は花子さん目当てで……」
「そんなこと言って、しとれちゃんも推してるんでしょう?」
ほろ酔いの中年ふたりが楽しそうにじゃれ合っていた。が、泥酔まですることはない。そこは、バーテンダーたるイワ爺がきちんと調整している。だが、いい気分で踊り娘たちについて語り合う姿は、ゆうにとって初めて見るものだった。ゆうは、客から受ける自分自身の評価を知らない。だが、少なくともリピーターがいないことが正直な反応、と受け止めている。しかし、もし自分もここの舞台に立つことになれば、あのように話題に上がることもあるかもしれない。金にならない褒め言葉なんて必要ない、とゆうは信じている。が、褒めてもらって悪い気はしない。それがサービスを提供した客の言葉であればなおさらだ。
しかし、ここはあくまで潰れかけた劇場である。無料で見れるというから来てやっただけで、深入りするつもりはない。席には指定がないため先着順のようだ。せっかく来たのに、後ろの方でよく見えなかった、では時間と労力が無駄になる。ゆうは早々に、『盆』の正面の席を陣取らせてもらった。
ショーが始まるまで時間はある。場内は携帯禁止、とのことだったので――李下に冠を正すべきではない。ゆうは黙って目を閉じると、様々なことに想いを巡らせる。大学の講義のことや、自身の仕事のことを。無駄な勉強をせずに済むよう推薦枠で芸大に進学した。そしていまは、女であることを最大限に活かした最大効率の職に就いているはず。なのに、どうしてか――周囲と比べて先に進んでいる気がしない。そのうえ、こんなところで道草を食っている。――いや、これが無駄となるか否かはステージ次第だ。せめて、何か有意義なものを見せて欲しい、とゆうは思う。
そして。
姦しい音楽が鳴り響き、客席の照明は落とされた。扉も外側から閉じられていく。ようやく始まってくれるようだ。最初のユニットは『まいど・めいど・わいど』というふざけた名前の三人組である。しかも、まともに踊れるのは『まいど』の糸織と『めいど』のしとれまで。『わいど』に至っては胸囲がワイドなだけだ。
それでも。
奥のメインステージの幕が上がり、桃が現れただけでゆうは思わず息を呑む。何を食べてたらあんなに胸に栄養がいくのか――? そこまで肥大化してしまったら、さすがに日常生活でも色々と不便なことも多いだろう。そのような事情はさておき、バスト三桁の実物は脱ぐ前から圧巻であると認めざるを得ない。
一方、成人体型のしとれ、幼児体型の糸織――ふたりの動きは、何故こんな落ちぶれた劇場につきあっているのか、と思えるほどに冴えている。
ストリップアイドルとはいえ、曲調にしっとりした妖艶さはない。そして、客層に媚びた古めかしさもない。メイドのような優雅さもなく、ありふれたポップスである。DVDでは何度も観てきた振り付けだが、これが実物の迫力か。そして、画面の中で行われることが、これから目の前で行われるのだろう。自宅で観ていたときはどこか作り物のように感じていた。が、それは紛れもなくリアルとして存在している。
『~~~~♪』
大きなエプロンを外すのはあくまで準備のようなもの。前のボタンをいくつか外すと、元々脱ぎやすい構造になっているようで、三人のメイドワンピースはするりと床に崩れ落ちた。普段着にするには手入れが面倒かもしれないが、あの脱ぎやすさは便利そうだ、とゆうは素直に羨望する。
あらかじめ人前で脱ぐことを前提としているので、中の下着もお揃いに。とはいえ、ぴったりと胸板に張り付くような糸織と、天然記念物のような桃のブラジャーはデザインが一緒だとしてもなかなかお揃いとは言い難いものがある。もしかすると、しとれのものがベースデザインなのかもしれない。メイドらしい清楚さを感じさせつつ、縁取られた大きめのフリルはメイド服を意識しているのだろう。
三人のメイドたちは脱いだワンピースを置き去りにして、唄いながら花道を歩いてくる。本当に下着で来るのね……と、ゆうは少し圧されてしまった。が、これだけでは済まない。その残りの二枚もこの先の振り付けで脱ぎ去ってしまうのである。足先のシューズを残して。
『~~~~♪』
メイドたちが盆に到達した頃、花道に丸い台座のようなものが現れていることに気がついた。それは、メインステージからスライドしてきたものである。DVDで観ていたときは当然気がついたが――巻き戻して確認したので――実際のステージだと寄ってきていたことにまったく気づかなかった。それだけ舞台の彼女たちに気を取られていたのか、と思うと少しだけ悔しい。
だが、三人はこれからいわゆるCパートに入る。大サビに向けられたその時間は――壇上で、流すようにブラのカップを滑り落とされると――おおおっ、と男たちの野太い歓声と拍手が上がる。動画の方でも少々わざとらしいと感じていたが――どうやらこれは、本心だけでなく訓練された合いの手でもあるようだ。こうして会場一体となって盛り上げるところは、外のライブアイドルと変わらないらしい。
ゆうは、何を見ても驚かないつもりだった。しかし――桃のは仕方がない。それまでの支えがなくなり、ボスンと巨大な乳房を投げ出されては同性であっても――多分、銭湯の脱衣所で目の当たりにしても気を取られずにはいられなかっただろう。しかし、残りのふたりは――膨らみはないのに乳首だけは一人前に膨らんでいる糸織、それなりに一般的な範囲でカップからこぼれ出すしとれ。そして、パンツまで。いわゆる『ご開帳』は楽曲の後だが、わざとらしくお尻を突き出しながら下ろしていたので、DVDでは股の間までズームアップされていた。幸い、客席からならそこまで露骨に見えることはない。
彼女たちが脱ぐ度に歓声が上がる。一方、ゆうは――
何でよ……。
私だって、脱ぐ仕事じゃない。
それどころか、もっと直接的なサービスまで。
なのに……なんで私は……。
ゆうは睨みつけるように顔を上げる。その先には楽しそうに唄う女のコたち。裸であっても恥ずかしがる様子はない。自分だって、裸になることも、それを男たちに見せることだって慣れたものだ。女の身体には商品価値がある。それを売り物にして対価をもらっているだけだ。なのに、この違いは……なんで……ッ!?
脱いだ下着は、盆の傍まで寄っていた丸い台座の上へと軽く放られていく。そして、三人分を乗せると、そのままステージの方へと下がっていった。メインの方はすでに幕が閉じていて、中央の隙間へすっと飲み込まれていく。幕の裏で荷物を回収しつつ、次の演目を担う花子の準備が始まっているのかも知れない。裸のまま唄う三人が気持ちよさそうなのは、裸であることによる純粋な開放感だけでなく――アクションに対するリアクション。打てば響き、脱げば歓喜の声が上がる。それも、こんなたくさんの人々に囲まれて。それがゆうを苛ませる。私とあのコたちのどこが違うというの……ッ!
大サビに合わせて、MMWの面々は裸のまま盆のスペースで唄い踊っている。本格的なストリップ的ダンスは楽曲が終わった後だが、ここでも軽いサービスは行われる。特に、糸織のY字バランスは実物を観てみたいと思っていたものだが――
「……ん?」
何度も観てきた展開なので、その違和感にはすぐに気づく。盆が、回っていない……? ここから全裸で演じる大サビ中、裸の女のコをこれみよがしに見せつけるために回っているはずなのに。それどころか、こんな決めポーズは……いや、こちらに向けて手を差し伸べているのは、まさか振り付けではなく……!?
突然、隣からポンと肩を叩かれたゆうはビクリと身を竦ませる。だがその相手は、それなりに見知った男であった。
「……いつからそこに?」
「ステージが始まってから、ずっと」
どうやら、珍しく女子の観客が混じっていたため、来場していた紳士たちはすぐ隣に座ることを躊躇していたようだ。そこにプロデューサーは、客として混じっていたのである。
そして、光の下へと導くように。
「貴女も……ステージに上ってみませんか?」
彼はすでに、ステージを見上げるゆうに<スポットライト>を感じている。それは、秋葉原の駅前で見せてくれたような。だから、心配はいらない。
そして、ゆうも。この曲は何度も聴いているし、振り付けも、動画を流しながら見様見真似で。どうせここの男たちだって、雑な素人の踊りでも脱げば満足するのでしょう? ただ、ステージに立つのであればみっともない真似はできないけれど。
ゆうには、その自信があった。
「ギャラはもらうからね」
ゆうは立ち上がり、光に向けて足を進めていく。だが、よじ登るためにはいささか高い。壇の縁に手をかけたものの、上から引っ張ってもらうにも苦労する。そこに、腰のあたりがしっかりと支えられ――ひょいと身を軽くして飛び立った。男の腕力を感じ、ゆうは不覚にも頬を赤らめる。
そして、ゆうはそこへたどり着いた。
ここが――ステージ――。壇上が光り輝いている分、客席は闇の泥沼のようだ。そこから引き上げてくれたのは傍にいる女のコたちで、あの男はただの踏み台――と、ゆうはほくそ笑む。
貴方はそこで見上げてなさい。他の――私の裸を待ち望む連中と一緒に――!
一度鳴り終わったはずのスピーカーからは、再度楽曲が流れ始めている。元のメンバーたちの様子から――これは、ニ番だ、とゆうは察した。着衣のまま一通り唄い踊った後のこのパートである。ならば、この音楽に合わせて脱げということか、とゆうも直ちに理解した。
一度はスカウトされたのだから、自分にもできるかは普通に気になる。動画を見ながら動きも覚えたし、カラオケには入っていないものの発声の練習はしてみた。正直なところ、歌の方はあまり自信がないが、脱衣の方は――。メイドのエプロンはないのでワンピースから。下着はまったく意識していなかったので、上はオレンジ、下は水色。だが、それが逆に生々しい。男たちも喜んでいるし――
おおおおおおおお――ッ
ただこれだけのことで湧き起こる歓声。飛び入りの自分にも、別け隔てなく“訓練されたお約束”で応えてくれる。これは、男とホテルで脱ぐのとは大違いだ。それなら、下も脱げば――曲がりなりにも性サービス業に従事しているため、身体のケアに不安はない。やってて良かった――ゆうは始めて仕事というものに対して肯定的な感情を持つことができた。
おおおおおおおお――ッ
マイクもないし、さすがに踊りながら唄うことまではできそうにない。けれど、裸で踊りながら――きっと、乱入者なんて珍しいでしょうからね。隣の規格外の巨乳や歌もダンスもきっちりこなしている先輩たちよりも、自分が一番注目を浴びている実感がある。
同じ脱ぐなら、時間単価が高いほうがいい。けれど――どちらも稼げないのなら楽しい方が――
他に稼げる仕事が見つかれば、遠慮なくそちらに移らせてもらおう。しかし――そのような仕事が現れないことを、ゆうは密かに期待していた。
***
彼女の名は
閉館は終電に間に合うよう設定されている。彼は車で出演者たちを駅まで送り届けていた。桃と花子はカラオケ住みだが、経路の都合により同乗している。
「ふぅん、家賃いらないの。なら、断る理由はないわね」
カラオケボックスの住み込みバイト――車内でいつもの話題を振ったところ、優からの返答は非常にわかりやすかった。元の店を辞める以上、秋葉原のマンションに住み続けることはできない。今後、新歌舞伎町での活動がメインになるだろうし、早々に引っ越してくると優は言う。おそらく、これが最初で最後の駅送迎になることだろう。
ウチの分はええからなー、という別れの挨拶を駅前にて済ませた糸織と、優と、引っ越し準備中のしとれは下車して電車でそれぞれの帰路に就く。そのまま彼は少し離れた駐車場に車を預け、徒歩で桃と花子を連れて店舗兼住居に向かっていた。事務所ではずっと忙しい彼と、こうして気軽に話せることが桃には嬉しい。
「うーん……ユニット名は『まいど・めいど・わいど』……『さいど』?」
「それはどうでしょう……? まだ宮條さんたちと組むと決めたわけではありませんし」
「えー、そーなん? だって、派遣メイドエッチサービスで働いてたんでしょ?」
そもそも、優はメイドというキャラに向いていないとプロデューサーとして思う。だからこそ、こうして移籍することができたのだ。とはいえ、プレイとしてのメイドには一日の長がある。そこは再検討してみる必要があるかもしれない。
せっかく新メンバーが来ると思ったのに、と桃は肩透かしを食っている。だからこそ。
「そーいや、残りの応募者の中には良さげなコ、いなかったん?」
「残りの応募者……ああ、そうでした。すいません」
「ぶ~、Pクン見てないー」
「すいません」
ここのところ新規加入者も立て続き、現時点での展開について考える時間が増えていた。カラオケ店の経営もあるし、多忙にかまけて様々なことが疎かになっている。
「渋長さんのメイド入りも含めて、今夜必ず確認いたします」
「やった! それならあたしも一緒に見てもいい?」
「桃ちゃん、
「ひーん……」
花子がすぐさま止めてくれたおかげで、彼は断り文句を探す必要がなくなった。桃はしょんぼりしているけれど。
そんな会話を交わしながら、彼らは店舗に到着した。自動ドアは開かれるも、コンビニのようにスタッフが積極的に来客仕様の挨拶の声をかけることはない。
「あ、オーナーお疲れ様ー」
今夜の夜シフトは歩だった。
「蒼泉さん、お疲れ様です」
一声労うと、彼はそのまま桃たちをスタッフエリアへと連れて行く。
「そんじゃ、Pクン、今日もありがとねー。おやすみー」
「プロデューサーそん、あたすもおやすみなさいだす。あまり無理をなさらんでくださいね」
「はい、おふたりともお疲れ様でした」
女のコたちはエレベーターで九階へ。プロデューサーはそのまま休憩室の奥の自室へと戻っていく。休憩室は深夜でも誰かが使っていることもあるが幸い今日は空だった。彼はそのまま素通りして、自室兼事務所へ。これから、桃と約束した新メンバーに関する検討を行わなくてはならない。
彼はパソコンを起動させ、まいどめいどの応募データを開いた。花子の一件を機に送信スクリプトは止めていたが、それでも三十人以上の応募がある。
音声や動画は時間がかかるので後で確認するとして、先ずはプロフィールと応募コメントから。それに、写真も合わせて。全体を把握しようと、プロデューサーはテキパキと応募者を閲覧していく。
しかし、とある女のコを表示したところで、彼の手がふいに止まった。
決して写真に<スポットライト>を感じたわけではない。だが、彼女には見覚えがあるような……?
彼は、すぐにそれを思い出す。あれは四月の終わり――ちょうど、三人目の桃がメンバーとして加入し、四人目となる慧のスカウトについて検討していた頃だろう。とある高校の新歓祭にて水着で唄うバンドがあるとの噂を聞き、様子を見に行ったことがある。それは決して水着を売りにしていたわけではなく、ただ純粋に、注目を集めるためのネタとして。そこで彼は感じたのである。<スポットライト>を。だがそれは、三人のうちのひとりだけ。ゆえに、三人一緒でなければ、と断られてしまったのだった。
なのに――彼は急いでページを切り替えていく。だが、他のふたりの応募は見当たらない。あんなに三人での活動にこだわっていた彼女が、どうしてひとりだけで……?
何か嫌な予感がして、彼は再び彼女の詳細情報を開き直す。だが、コメントは簡潔すぎてそこからは何も読み取れない。一方写真の方も、制服によるただの自撮りである。ただ、ここは自宅や学校ではなさそうな――
しかし、
そこに歩がノックもなしに入ってきた。
「オーナー、そういえばさっき――」
ドンッ!
激しくデスクに叩きつけられる両拳。その憤りに歩は思わず後ずさる。
「ど……どしたの? オーナー……」
その怒りは自分に向けられているわけではない。だが、ふるふると震える様子は、学生時代の彼からは歩にも想像もできないものだった。
「俺と……したことが……ッ!」
その写真は一見ただの自撮り。しかし、その背後に写り込んでいたものは年季の入った柱時計――こともあろうに、それは