ストリップ・アイドル・ユニット:TRK26 <<pure!?>> BEGINNING-LIVE! 作:添牙いろは
<スポットライト>――
それは、彼がアイドルをプロデュースする理由。
理屈では言い表せない光。
そして、彼が求めてやまないもの――
ゆえに、彼はそれが如何にありがたいものかを知っている。
すべての光にこの手が届くとは思っていない。
けれど、自分に希望を見せてくれた
――つもりだった。
しかしその姿勢は、ただの上辺だったらしい。
少なくとも、いまの彼はそのように自分への評価を下している。
そのダイレクトメッセージの緊急性は、字面だけで
一方で、彼には余所事に何かを感じている余裕すらなかった。
「このような深夜にご足労いただき、誠に申し訳ありません」
しかし、ありがたい。今夜中に対策を講じることができれば、明日の朝には動けるだろう。
糸織と入れ替わるために、歩は座っていた簡易ベッドから腰を上げた。これ以上、ここにいても自分にできることは何もない。
「それじゃオーナー……私、お仕事に戻るね」
ひとりきりでないのならもう大丈夫だろう。
「はい、ご心配をおかけしました」
不安そうに告げると、歩は事務室から退出していった。パイプ椅子は用意されていたが、糸織も歩と同じ場所に座る。こんなときは、あまり距離を詰めない方がいい――それは、彼女なりの配慮だった。
そして、あくまでいつもと調子を変えないことも、彼に対する思いやりである。
「えーと……まず、ログのハッキングの件やけど――」
糸織はエンジニアではないため、知識はあっても技術がない。
「単刀直入にゆって、サーバーログに盗み見ようってんはリスクがデカすぎるわ。できへんことはないやろけど、バレたらクビが飛びかねんで、物理的にな」
糸織は右手でまっすぐ水平に、親指を立てて自分の首を刈る。界隈が界隈だけに、本当の意味で命が危ない。だが――
「……あんさん、自分の身はともかく、メンバーを危険に晒すことはできん、とか考えとるやろ」
「…………」
彼の無言を、糸織は肯定の意として受け取った。彼女としても、彼の育ちの良さは感じている。が、決定的なところで欠けているものがあった。
「あんなぁ、ウチらのアイドル活動はウチらの夢なんやで。それも、けったいな輩ばっか集めよったからに」
糸織も、自身が“けったいな輩”の一員であることは自覚しているようだ。
「あんさんがおらんようになったら、誰がウチらを引っ張んねん。自分の一身にはウチら九人分の夢が乗っかっとるんを忘れたらあかんで」
それは、上に立つ人間ならば当然備えていなければならない感覚。責任者としての責任。人を従えているという意識の低いところは、糸織からみると少なからず頼りない。
そして、同時に危うくも。
「んで、バックの方を探れんからって、直接おにゃのこにアタックかけるんも――」
「それは、重々承知しております」
店同士の引き抜き行為はご法度――厳密にいえば店ではないのだが、形式上はイワ爺のストリップ劇場ということになるのだろう。こちらの場合、恩人の生先短い余命をさらに縮めてしまいかねない。
「てかなぁ、今回の件、
吉座芸能事務所――かつて、糸織と
だがそれは、行き過ぎた責任感ではなかろうか、と糸織は思う。ゆえに、先ずは彼に落ち着いてほしい。
「少々短絡的になっとらんか? 今回の件やて、
例の部屋――花子のアダルトビデオ撮影に使われた控室で、年季の入った柱時計が隅の方に佇んでいる。ゆえに、状況としては
だとしても、そこはただの貸事務所ではない。
「ですが、少なくとも
彼は現地の管理者とも話をしている。少なくとも、騙されたり気まぐれで新歌舞伎町の人間に部屋を貸すような脇の甘さはなかった。ならば、仮に吉座でなかったとしても、いずれかの事務所――それも、真っ当ではない者たちが関係している。もっとも、TRKプロジェクト自身も真っ当なアイドルグループではないのだが。
「すでにアイドルとして活動しているはず女のコが関係者の部屋から他のグループに応募している……これは……
彼はこの期に及んで言葉を選んだが、率直にいえば、逃げ出したい――助けを求めるシグナルだったのは明らかである。しかしそこは
「あー、いや、別に部屋から直接送ったわけでもないやろけど」
いまはすでに契約を解除されており、過去に撮った写真で――というのは気休めにしかならない可能性だと口にした糸織も自覚している。
残念ながら、彼の不安を否定する要素を糸織は持たない。だからこそ。
「……この件、ひとまずウチに預けてくれるか」
「と、言いますと?」
「ウチが何とかしとくから、しばらくPはんは動かんでええ、っちゅーとんのや」
「何故?」
彼には糸織が何を言っているのかわからない。そこまで彼は視野狭窄に陥っていた。
「単刀直入に言う。あんさん、冷静やない」
「…………」
<スポットライト>を持つ女のコには幸せに輝いてほしい――その想いが先行しすぎていることを、彼も自覚せざるを得ない。彼はこのプロジェクトのプロデューサーであり、責任者である。だが、今回の相手は未だ加入さえしていない。そして、それは糸織にとっても同じこと。
「安心せえ。ウチとて他所モンのためにそこまで踏み込むつもりもないわ。基本的には調査と考えてもらえばええ」
糸織のコネクションによるエージェントには、彼も度々世話になってきた。その能力については疑いようもない。
ここでさらに、糸織は彼が抱いているであろう自分に対する不安要素を取り除く。
「三日や」
あえて短く期限を区切った。これならば大掛かりなことはやりようもない。
「ひとまず三日で一旦報告に来るわ。その情報で新たな手を打とうやんけ」
そして、糸織は腰を上げる。
「んー、始発までどないしょー。あ、一部屋使わせてもろてえーかな。別に九階やなくてもえーねんで」
それはカラオケボックスを客として使いたいということ。同時に、話は終わった、という意思表示でもある。少なくとも、今回の問題解決のために糸織の協力は欠かせない。だからこれは、
「調査だけ、なのですよね?」
彼が案ずるのは、メンバーの身の安全のみ。だが、糸織はそれをはぐらかす。
「基本はな。いずれにせよ、三日でどーにかできることなら、Pはんが手を煩わすことでもなかったっちゅーことやろ」
できれば、彼にはこの件について何もしてほしくはない。彼は、プロジェクト全体の舵を切る船頭である。我々を――ひいては自分を引き立てる舞台へと連れて行くこと――糸織が彼に求めるのはそれだけだった。
***
くれぐれも無理はなさらぬように――そう言われても、それはあんさんにこそ必要な戒めやろ、と糸織は彼の言葉を思い出す。
被害者の通学する高校については必要情報としてプロデューサーから受け取った。あとはエージェントに依頼すれば表の行動については一通り漁ることができる。とはいえ、今回は短期決戦だ。悠長に事を構えている場合ではない。
仕事人と並行して、糸織は件の高校の前に張り付く。用意した学生服は昼過ぎにどこぞのマニア向けの店で購入したもので、ここのものではない。そもそも同校の生徒が校門前に張り付いていたら不自然だ。
こんなとき、小柄な糸織の体型は役に立つ。溶け込むどころか、下手すれば女子中学生と間違われかねない。縦巻きロールも今日は下ろし――放課後、彼女は別校の友人と待ち合わせをしているごく普通の女子高生、という体でそこに立っている。もし異なる門から出ていくようなことがあれば、別途張り込み中のエージェントから連絡があるはずだ。が、その必要もなく――あのミディアムカットの女子で間違いない。糸織は、さりげない歩調でそっと近づく。
「
いきなり関西弁キャラで目立つようなことはしない。無礼すぎず、馴れ馴れしすぎない程よい距離感で話しかける。
「えーと、貴女は――」
友人と共に、春奈たちは三人で現れた。が、親しげな他校の生徒に対して戸惑う春奈の様子に、隣のふたりは怪訝な表情を浮かべる。
「春奈、知り合いじゃないの?」
糸織は実際に学校でのライブを見たわけではない。軽音楽部ふたりの助っ人として舞台に上がったとプロデューサーからは聞いているが、このふたりがその正規部員なのだろうか。だとすると、一緒にデビューした同業者である。この先のご同行はご遠慮願いたい。そこで、糸織は小声で速やかに話を進める。
「
その言葉に、さっと青ざめる春奈。友人らからの不信感はさらに増したが、切り離すきっかけにはなったらしい。
「ご、ごめんっ! 私、用事があったんだ」
春奈の様子は明らかに怪しげだが、意外なことに反応は軽い。
「あー、また
「大変だろうけど撮影頑張ってねー」
先に帰っていく友人ふたり。どうやら軽音楽部とは無関係だったらしい。友人らの反応から、現在取り巻く状況はある程度察しがつくが、糸織は春奈を近所の喫茶店へと案内する。詳しい話は、女子高生のティータイムを装って。
糸織自身、女子高生を卒業してから四年になる。令嬢としての貫禄というべきか、学生服のわりには落ち着いており、逆に、対面に座る春奈の様子には落ち着きがない。店内のペンダントライトはおしゃれでいて没個性でもある。壁紙として貼られた小気味よい筆記体の英文たちは、全国どこの店舗でも共通のものなのだろう。そんなありふれた喫茶店で、糸織はプロデューサーの心労の種と向き合っていた。ふたり用のテーブル席で。もし、吉座の人間に見咎められたとしても、同業者のお友達だとでも言い張ればいい。少なくとも、プロデューサー自身が会うよりは遥かにマシだ。
しかし、目が死んでいる。
「あ……あのー……まさか、合格……とか?」
その暗い表情は、期待を抱いているようには見えない。
糸織はエージェントと密かに通信する。ここに来るまで同校学生を含めて尾行のようなものはないらしい。が、春奈と同じ学生服の生徒は当然散見される。あまり大っぴらに話すわけにもいかない。
一方で、インカムを使って誰かとこそこそ内緒話をしている糸織の様子に、春奈はいよいよ怖くなってきた。ここのところ、本当に怖いことばかりなので。
「え、えーと……その件については、そのー……辞退、というか……」
周囲の聞き耳を気にしてか、具体的な単語を避けてくれるのはありがたい。とはいえ、アイドル活動自体を秘匿しているわけではないことは先程の友人たちによるエールからも窺える。そして、前の事務所をクビになっているわけでもなさそうだ。できれば、まいどめいどへの応募は事務所から追い出された元アイドルの再起を目指した売り込み活動――であってほしかったところではあるけれど。
ある程度は推測で進めても問題ない。が、要所は本人の弁による確認を取っておく必要がある。
「貴女が気にしてるのは……“Y”?」
そのアルファベットひとつで、春奈は激しく首肯する。これで、様々な事象が一本でつながった。ゆえに、先ず糸織が告げることは――
「私は、貴女を救いに来た」
この言葉に安堵の表情を見せるところからしても、糸織の推測は間違っていなかったのだろう。とはいえ、ここからは推測で動くわけにいかない。
「一度しか言わないからよく聞いてて」
ちらりちらりと近隣席の様子を窺う。外で張っているエージェントからも特に連絡はない。話を進めても大丈夫そうだ。
「新歓祭の後、貴女は“Y”に入った。そこでトラブルがあり、移籍を考えている。それを“Y”に察知され、貴女は窮地に陥っている……そうね?」
「はっ、はいっ!」
笑顔――とまではいかないが、初めて糸織に嬉しそうな顔を見せてくれた気がする。しかし、想定の範囲の中で状況は比較的悪い方だ。吉座に在籍しながら他所の事務所への応募がバレたのなら、春奈の事務所内での立場は劣悪なものとなっていることだろう。
さて、本人の口から裏は取れた。加えて、春奈から受ける印象――これらから導き出せる道筋は極めて単純なもの。
「決まったわ。貴女にお願いしたいのはひとつだけ」
「はい……?」
自分を救いに来た、と称する小さな女のコは、ほんの少しの情報で自分の状況を言い当てた――それだけで、春奈にとって尊敬と信頼に値する。だから、どんな協力でも惜しまないつもりであったが。
「二日後の夕方に『大切な話がある』と言って事務所の人間を外に呼び出して」
「ひえええっ!? 無理無理無理無理っ!」
これは相当な怯えようである。しかし、この話は敵地で進めるわけにはいかない。
「大丈夫よ。当日まで貴女には護衛をつけておく」
本当のところは、昨日の晩からエージェントは張り込んでいるのだが。
「あ、貴女は一体何者なんです……?」
新勧祭でのステージから、春奈の身辺は目まぐるしく変わり続けている。その中でも糸織の出現は一際だ。
あまり一箇所に長居しているのも危険があるし、続きは専門家に任せたい。腰を据えるのはここまでだ、と糸織はすっと席を立つ。
「それは――」
相変わらず、店内の何者かがふたりを気にする様子はない。なので、軽く額に手の甲を当てた決めポーズを。
「まいどっ♪」
その後に続く関西弁の挨拶は、正式なメンバーとして加わった後にしておこう。
***
糸織だけでなく、誰の目から見てもプロデューサーには余裕がなかった。あれから寝る間も惜しんで、営業活動の合間を縫って、彼独自の路線から春奈に関する調査を進め、ようやくそれなりに情報が集まってきたところで――
「んん~? やっぱコイツはPはんの差し金かいな」
糸織との打ち合わせから二夜明けた日の夕方、彼は糸織と偶然の再会を果たした。そしてそのとき、糸織の動向にも気を配るべきだったと彼は猛省する。彼女が良からぬことをしている――と疑うことはないが、危険なことに足を踏み入れかねない。せめて、ステージの予定を入れたりするなどして安全に過ごしてもらうべきだったか。
しかし、糸織がここへ訪れたのは、彼の件とはまったく関係がない。単純に桃から呼び出されただけである。『まいど・めいど・わいど』の合わせをしよう、と。これまでなら『ウチはひとりでやらせてもらうわ』と断っていたのだが――そして残念ながら、今日も三人での合わせは実現していない。
「1・2・3……そこっ! ほら、また左右のステップが逆ですよ」
「ひぃーん……唐沢さん、もっかいお願いしますー……」
カラオケボックス最上階・特設ステージ――貸し出し予約の入っていないときは、こうしてメンバーの練習場として使用されている。その片隅で、見慣れぬ女性が桃に個人レッスンをつけていた。彼は初日に挨拶していただけで、その仕事ぶりは初めて見る。
彼女は、トレーナーの唐沢さん。糸織は、後輩たちの面倒を見るのを避けてこれまで集団練習を欠席していた。が、外からトレーナーさんが来てくれるから大丈夫だよー、という桃の言によりやって来てみたものの――基礎から教わってきぃ! という糸織の一喝により、三人で合わせるのは保留となっていた。
Pはんの差し金――このタイミングでトレーナーを雇うなど疑わしいにもほどがある。糸織を通じたエージェントによる捜査は歓迎しても、糸織自身が動くことには否定的だった。ゆえに、自分をこのカラオケボックス兼TRK事務所に縛り付けるためではないか、と勘繰られても無理はない。が、今回の件の発案は彼ではなかった。
「まったく……これまで各個人の自主練習に任せてただなんて、アイドルグループが聞いて呆れるわよ」
濃い紫のトレーニングウェア――外部からトレーナーが来ているので、桃も、しとれも、おいそれと全裸になることはない。そして当然、
「あー……なるほどな、あんさんが手配してくれたんか。助かるで」
「それ、プロデューサーからも言われたし。素人が自力でどうにかしようなんて、時間の無駄なのよ」
優の効率主義っぷりはときとしていきすぎることもあるが、この場合は功を奏してくれたようだ。彼とて早めに雇うべきだとは考えていたのだが、営業やメンバーのスケジュール管理、それにカラオケボックス経営の方に時間を取られていたことは否めない。
「ですが、よく引き受けてくれましたね」
桃の様子を眺めていたしとれのヘッドドレスがぴょこぴょこと揺れる。たとえトレーニングウェアに着替えても、メイドの魂だけは忘れていない。
それに応えるように、優は眼鏡のブリッジをクイと上げる。
「わざわざ相談した上に断られたら時間が無駄になるからね。新歌舞伎町の近辺で、一番安いところを選ばせてもらったわ」
この界隈であれば、ストリップに関しても理解はあることだろう。
プロデューサーが自らこの階に上ってきたことで、優は彼への連絡事項を思い出した。
「そうそう、モギリのオバチャンも雇っといたわよ。非番の踊り娘にあんなとこで店番させるなんて非効率的だから」
「は、はぁ……ありがとうございます…」
今日の朝に話は聞いていたが、優の行動はどこまでも早い。
「ホントあんさん、気が回るなぁ」
「貴女たちが回らなすぎるのよ」
これまでは、プロデューサーとイワ爺、それでも手が足りなければメンバーの誰かが交代でチケット売り場に入っていた。これは糸織も気になっていたが、面倒なので運営面には深く携わらなかったところがある。が、気になるくらいなら手配してやった方が良かったのかもしれない。糸織は優の姿勢に少し感心していた。
そんな優だからこそ、早々にレッスンを切り上げる。
「……さて、トレーナーは桃に取られちゃったし、私はこのあたりにさせてもらうわ。これ以上ここで待ってても時間の無駄だし」
それに、桃たちが来る前からずっと練習は見てもらっていた。そろそろ頃合いだろう。近所の銭湯で汗を流すにしても、暗くなる前の方がいい。無駄な時間は取りたくない、と素っ気なく退室していく。
移籍前の優は店舗が用意してくれたマンションに住んでいた。が、店を辞めてはそこに住み続けることはできない。そして何より『無料だったら住まない理由はない』と初舞台のあった翌日には引っ越してきた。家具の類は備え付けだったこともあり、荷物はほとんどなかったらしい。
さて、トレーナーもそろそろ退勤の時刻である。最後に合わせで見てもらった方がいいかもしれない。
「ほんじゃ、桃はんも頑張っとるし、うちらも……加わっとくか?」
「はい、よろしくお願いします」
少々雑談に興じてしまったが、彼はここへ来た当初の理由を思い出した。そもそも、カラオケのカウンターにいた
「
桃の方へと踵を返そうとしていた糸織はふいにその足を止めた。そして、肩越しに彼へと視線を送る。
「ソロか?」
これは、プロデューサーが自分の身をこの店近辺に置かせるための方策だと理解している。それを彼の方も察したからこそ。
「沖道さんの出演作は、ファンムード系列だと判明しました」
「あとで見に行く。いまは立て込んどるさかいな」
いまはこれ以上引き止めるべきではない。今度の件は危険である旨を伝えたところで、彼は事務所へと引き返すことにした。
***
薄暗い六畳間に淫らな叫びが鳴り響く。
『いやぁっ、やめてぇ……ッ!』
『ダメ、ダメェ……そんな、ああッ!』
「へ~え? 若いワリには結構ハードなことやっとるやないけ」
狭い事務所に男女ふたりきりでエッチなビデオを鑑賞する――糸織は不覚にも邪な気持ちが盛り上がってきてしまった。が、彼は動画を早回ししてしまう。彼にとって、このような悲痛なシーンは見るに堪えない。本来、男性向けの作品であるはずなのだが、男である彼は、つらそうな女性を見ていると心が沈んでしまうようだ。だからこそ、春奈の件でも必死になっているのだろう。
動画が辛いからか彼がずっと押し黙っているので、糸織の方から話を切り出した。
「で、天井から吊られとったふたりが新勧祭で春奈はんと一緒に唄っとったんで間違いないな」
「はい」
やはり、昨日春奈と共に下校していたのとは別人だったらしい。
さて、ここまで情報収集の一環として共に動画を閲覧してきたが、ついに春奈のシーンが始まろうとしている。だが、幸いなことに男から直接襲われることはない。彼女は友人らと共に全裸にひん剥かれたものの辛くも監禁から逃げ出し、貧民街を駆け抜けて電話ボックスに駆け込む――そんな役回りだった。そのあと警官たちが現場に駆け込むが、すでに残された少女たちは再起不能――この物語にはどこまでも救いがない。倍速ではあったが一通り確認し終わったところで、彼はこの作品から見出だせる情報を伝える。
「監禁場所は
例えるならば――特撮モノの創成期、盛大に火薬を爆破させたり激しいバイクスタントを行うため、決戦前に移動する無人の採石場のようなスポット。ここまで古びた倉庫風の箱をAVの撮影に貸し出す施設はそう多くはないため、彼にとってはすでに見慣れたロケ地だった。
「お約束って……」
あんさんこんなもん何本観とんねん、とツッコミたいところだが、彼とて好きで観ているわけではない。そこをいじるのはさすがに酷か。
「ただ、貧民街の方は……」
彼も他の作品で観た覚えがないし、セットにしては本格的すぎる。
「うーん……特定できれば吉座の足取りを追えるかもしれんな」
細い路地に崩れかけたシャッター街――日本中探しても、そう何箇所もあるものではない。ゆえに、彼も現在ネット上で調べて回っている。
足取りを追う意味では、もうひとつヒントが残されていた。
「登場していた警察官たちは
「ふーむ」
作中で花子を陵辱していた男優たち――幅広く出演している可能性もあるが、吉座絡みと見て間違いない――と彼は推測している。そのように
「……で、明日の夜、ウチのソロステージ、ってことでええんな」
「はい。
合わせの最中にも、桃にそんな様子はなかった。きっと一番懐柔しやすいから、あの後に交渉したのだろうな、と糸織は邪推する。
もう夜であり、ここで一旦帰っても明日には再び来なくてはならない。それを普段の糸織ならば
明日の予定は、すでに春奈より連絡を受けていた。メンバーのいるこの店からでは都合が悪い。
「リハは参加できへんけど、出演自体は問題ないで」
春奈がヤツらと取り付けた約束は、明日の夕方六時に新歌舞伎町の喫茶店で――だが、長い議論にもならないだろう。
「開演前にはPはんの肩の荷をひとつ下ろさせたるわ。心穏やかに待っとき」
劇場とも近いし、話をつけてから向かっても充分間に合うはずだ。
自信に満ちた糸織の笑顔に、プロデューサーは逆に不安を募らせる。
「明日は、必ず舞台に上がっていただけるのですよね……?」
普段の彼らしからぬ不安そうな口調。それは、絶対に無理をしてはならない、という懇願であった。
「案ずることあらへんて。ぜーんぶまるっと解決して、気分良くステージに上がったるわ」
そこに、糸織を迎えるようにガチャリと扉が開かれる。
「プロデューサーそん、お夕飯できますたでー。糸織ちゃんの分もあるよー」
今日の花子は、皆からの要望に応えて割烹着だった。糸織はそれだけ堪能すると、食事の誘いに対してはやんわりと固辞する。
「すまんな、ウチ、この後予定入っとるんや」
「そうだすかー……」
花子の料理が口に合わないわけではない。が、食事くらい好きなものを食べたい、と糸織はひとり休憩室件食卓を素通りしていく。部屋には休憩中や非番のメンバーたちが集まっていた。
「おや、織姫浜関は食べていかないのかい?」
「花子さんのお夕食は元気出ますよっ!」
「すまんがまた今度なー」
いつものことなので、
***
予定がある、というのは断るための方便ではない。彼女がカラオケボックスに顔を出していた間も、エージェントたちは独自に動いてくれていた。その情報を受け、明日に備えて整理しておく必要がある。
少なくとも今日一日春奈は吉座と絡んでいない。普通に級友たちとお茶をしてから帰宅したようだ。どうやらバイトもしておらず、部活も帰宅部。手料理には少々詳しい。謙虚で物静か。相槌上手。将来のことはあまり考えていない――二日目、エージェントから受けた報告はそのくらいだった。
さらに糸織は、昨日春奈と店を出た後、少し歩きながらさらに詳しい話を聞いている。新勧祭の当日に軽音楽部のボーカルが喉を痛めてしまい、カラオケ友達ということで春奈は泣きつかれてしまったようだ。水着の予備もあったため、それもお揃いで着せられて。プロデューサーからの誘いを断ったのは、本家軽音楽部を差し置いて自分だけデビューしてはふたりに合わせる顔がない、ということもあったが――当日、ステージを観に来ていた関係者は彼だけではなかったらしい。様々な事務所からオファーを受け、軽音楽部員が選んでしまったのは、よりにもよって――最も待遇が良く、実績もある――ファンムード系列のすべてを自社の成果として並べていたのだから当然か――吉座芸能事務所だったのである。
ビキニで演奏していただけに、水着によるMVに抵抗はなかった。が、二本目からは早速音楽からかけ離れ――今回はちょっと頑張ってみようか――これが通ればCDデビュー――そんな甘言の繰り返しで、あっという間に自分についていける状況ではなくなった、と春奈は言う。だが、事務所を抜けるためには莫大な違約金を支払わねばならない。それで、他の事務所に助けを求めたつもりが、何故か吉座側にバレてしまって――その応募の中で事務所に対する不平不満を挙げ連ねたりしなかったのが唯一の救いだろう。次は他のふたりと同様のプレイをこなしてもらう。できなければ違約金――まさに間一髪といったところだった。
それらを踏まえた上で――糸織の中で解決までの道筋は完成している。ここでプロデューサーに恩を売っておけば、グループのトップに立つこともできるはずだ。
***
吉座芸能との交渉当日の夕方五時――新歌舞伎町のとある喫茶店にやってきたのは一組の男女。女は小柄でリクルートスーツを着込んでおり、男の方は大柄でビジネスマン風の装いではあるもののそわそわと不審なこと極まりない。先輩に連れられた新人女子社員――というのが糸織の設定だったのだが、その立場は逆にしか見えない。
だが、ふたりは同じ席に座ることはなく、背中合わせにふたつの四人席を占拠した。同伴者が視界から消えたことで、糸織は長いため息をつく。が、まだ終わりではない。それどころか、まだ始まってさえいない。
ここまで来るには長い道のりがあった。糸織は、通常の商談であればまだしも、手荒な相手との交渉に向いた風貌をしていない。ゆえに、近所のホームレスに金を握らせ、風呂に入れ、スーツを新調し、美容院で身なりを整えさせ――それでも、ホームレスはホームレスか。
ここではコーヒー一杯で我慢してください――それが、糸織からのホームレスへの指示。自身も同じ注文で時間を潰している。その間も、エージェントたちから定期的な連絡は受けていた。春奈は今日も普通に高校へ行き、その後の様子にも異変はない。もうすぐ下校の時刻だろう。
ホームレスは黒いボストンバックを抱きかかえ、ブツブツと覚えさせられた台詞を反芻している。かばんの中身は男も確認済み。帯封で束ねられた一万円札は百枚――それが三つ――当然、すべて本物だ。それを受け取ってしまった以上、これより先は席を立つことさえ許されない。男は緊張のあまり頼んだコーヒーのことさえ忘れているようだ。
そして、約束の時刻の三〇分前、エージェントから最後の連絡が来る。春奈は無事に
念の為に、店内をさり気なく見回してみる。ひとり客も、ふたり客も、これから良からぬ企みに手を染めそうな雰囲気の連中ばかりだ。他人に興味がなさそうなところも良い塩梅である。
そして、約束の午後六時――を五分ほど回ったところで――
「……よぅ、保証人ってのはアンタか」
ドカドカと入ってきたのはこれ見よがしに不審なふたり組。のっぽな方も小太りな方も襟口から刺青が見えている。
糸織の席からでは顔を確認することはできない。だが、声だけならわかる。花子のビデオでカメラを持っていた男に違いない。
ドスンドスンとふたりもホームレスの席に座ったような気配がある。糸織は静かに聞き耳を立てていた。
「オタクんとこが、うちの春奈を引き抜きたい……そう言うんだな?」
やはり、所詮はホームレスだったらしい。自然な台詞を口にすることもできず、ごそごそと黙ってかばんを差し出しているようだ。きっと、どこまでも情けない様子なのだろう。片方の男はついに堪えきれなくなったらしい。ククク、と見下した笑いが糸織の席まで届いてくる。
「まー……この手のことは金で解決しちまうのが手っ取り早いわなぁ。違約金の三倍……うん、結構結構」
結局は、この程度のことだった。プロデューサーは春奈からのレスキューサインを見逃していたことを独り抱え込んでいた節がある。しかし、冷静に見渡してみればこのとおりだ。優とタイプは違うが、春奈もまたアダルト女優には向いていない。全裸で電話ボックスまでの道のりを駆け抜けられる度胸は大したものだが、所詮は全裸止まり。ストリップならともかく、アダルト動画ともなれば本番をこなせないのは致命的だ。放っておいても契約を打ち切られていたことだろう。
とはいえ、打ち切られたところを引っ張ってきては、無駄に引き抜きを疑われてしまう。何より、今回のように
しかし――
「バ~~~~っカ、全然足んねーっつーの」
相方の暴言に、小さく笑っていた男もついに吹き出した。空気が変わったことを糸織も察知する。潤ったはずの口の中がとんでもなく苦い。
「悪ぃけど、沖道はうちの稼ぎ頭になる女でねぇ、この一〇倍は積んでもらわねぇと」
一〇倍……ッ!? まさかここまで吹っ掛けてくるなど、糸織には思いもよらない。
これまで黙って笑いを殺していた男もここぞとばかりに話に加わる。
「ああ、怒鳴りつけたときの春奈ちゃんの涙目……たまんねぇよなぁ」
声色の気色悪さは耐え難いが、確固たる意志だけは揺るがない。それは、監督としての強いこだわりか。
「次は絶対逃さねぇ。強引にでも脱がして犯して、いい絵を撮ってやるぜ」
「あの小娘のことなら、軽く脅しときゃ言いなりだもんな。
前科――それは黙ってまいど・めいどへ応募した件に違いない。
糸織は完全に見誤っていた。
さして関心のない視聴者の目には、春奈は本番行為すらこなせない欠陥女優――しかし、観る者によっては――耐え難い辱めに思わず逸らされる視線――どこまでも初々しい紅潮――こわごわと縮こまる手足――それに加えて、彼がTRKのプロデューサーとして見出したのは、そんな羞恥に果敢に挑もうとする好奇心――新勧祭のステージで彼女を輝かせていたのはまさにそれだったのだろう。
だが、糸織の見落としはそれだけではない。
「それにしてもよー、
「か、勘弁してくださいよ……食うためなんで……」
吉座たちを前にして、ホームレスは初めて口を開いた。まさか、最初からグル……? 糸織はさらに青褪めるが、さすがにそのようなことはない。とはいえ、狭い界隈である。まさに糸織が考えていたのと同じく、都合のいい人間としてホームレスを雇うことも多い。糸織が見落としていたのはまさにそこであり――プロデューサーと観た動画の春奈のシーンを、何故貧民街だと感じたのか――荒んだ路地裏とて
糸織は思わず彼らの席へ振り返る。だが、そこには――
「で、
「この街は初めてかい? お嬢ちゃん」
どうやら、後ろ姿――後頭部だけで、幼女同然の糸織の容姿は著しく浮いていたらしい。彼らとて裏の世界で生きてきた者たちである。リクルートスーツくらいで誤魔化されたりはしない。
このとき、入り口から顔を見られないようにとホームレスより奥の席を選んだのは失敗だった、と糸織は己の判断の甘さを悔やむ。男たちはすでに通路を陣取っており、これではさり気なく脱出することもできない。
ホームレスに救援を仰ぐつもりもなかったが、彼はすでに店から逃げ出している。やはり、独力でどうにかせざるを得ないようだ。糸織はここで――尊大な態度で逆撫ですることもなく、怯えた仕草で相手を油断させることもない。淡々と男たちに応じるだけ。
「私は、この街の関係者ですよ?」
男たちとは目を合わせず、真っ直ぐに空の対面席を眺めつつ改めてコーヒーカップに口をつける。
「だろうな。でなきゃ、お前みたいのを監視役なんかにゃしねーだろ」
この街の三大勢力――天然カラーズ、ライブネット、ファンムード――もし他の組織の人間――しかも、この不自然さだ。おそらく重役の関係者に違いない。そんな相手を傷物にしては、大きな揉め事に発展してしまう――吉座はこの違和感を過大に評価していた。
だが、今回の状況は糸織側に分が悪い。
「しかしなぁ、先に手ェ出してきたのはそっちだろうよ」
これは明らかに引き抜きである。相手の素性がわかっていれば――もしくは、
「ま、こちとら仕事上、拷問みたいなことは慣れてんだぜ。特に、キミみたいな女のコ相手のは――」
糸織はカップをソーサーに置くと、卓上のスマホにちらりと視線を送る。あれを奪われて中身を確認されては、自分だけでなく、プロデューサーやイワ爺の劇場まで――連絡先を辿られれば、メンバー全員が危機に晒される。やはり、録音機材として私物を利用すべきではなかった。
しかし、男は根っからのサディストらしい。直接スマホに手を出すことなく――逆に、あまりに堂々と見せつけていることにも警戒して――
「――よっ」
男には他人の髪を掴んで引き寄せることに躊躇がない。その痛みに、糸織は顔を歪め、スマホに伸ばそうとした手も止まる。しかし、口だけは固く結び、悲鳴を漏らすことはない。これはあくまで警告だ。次におかしな行動を取ろうとすれば、携帯か、もしくは
糸織とて護身術の嗜みがないこともない。だが、相手は男ふたりである。さすがに同時に引き離すには何か大きな隙が必要だ。そのためにはタイミングを見計らうしかない。
あからさまな揉め事に、店内の客が引き始めている。にも関わらず、女性が男に乱暴されていても、店員が動く気配もない。さすがは闇の街というべきか。誰だって余計な抗争に巻き込まれたくはない。だからこそ逆に、そこに好機があると糸織は値踏みする。
「私が何故……
ブラフではあるが、吉座の男たちはそれを真に受けた。でなければ、
だからこそ。
会計を済ませて退散しようとする客の中に、ひとりだけこの火中に歩み寄ってくる男がいた。そいつが首謀者――女に対して
だが、それは糸織にとって完全に計算外であった。髪を掴む腕を、さらに掴みかかる腕の出現に、糸織は不覚にも――驚きより、安堵に涙を滲ませる。
「な……なんで……」
Pはんがここに……?
「この界隈は、狭いですから」
新歌舞伎町とはいえ、どこでも暴力沙汰が放任されているわけではない。ゆえに、御用達というものは存在する。この店について、彼は二度ほど話を聞いていた。一度は、花子が面接撮影の前に打ち合わせで使用したこと。もう一度は、増永良美――メールフォーム経由で吉座にクレームを送ってきた女性である。彼女も一度吉座と面談しており、その際にこの店に入ったとのことだった。ならば、吉座が何か事を構えるならここである可能性が極めて高い。糸織は昨日から、今日何かを目論んでいたことを隠していなかった。なので、ずっと張っていたのである。営業開始時刻から、ずっと。
「仕事はどうしたの……」
「お気になさらず」
自分のためにスケジュールを狂わせてしまったことを糸織は察した。そして、申し訳なく思う。彼を見下し、助けてやるつもりが、逆に助けられ、仕事の邪魔をしてしまったとは。
しかし、糸織が何より驚いたのは、ずっと頼りないと思っていたこの男が裏界隈の人間として完全に溶け込んでいたことである。少なくとも、入店の際には気づかなかった。彼はこれでも、幼少の頃より裏の人間とやりあえるよう育てられてきている。少なくとも
女の髪を掴む手とその腕を掴む手――その両者は開放された。そして、男同士はじっと睨み合う。平和的な解決はなさそうだ。
「なるほど。アンタが
意外なことに、この優男には隙がなく、容易に殴りかかることができない。あまり派手にやっては
「うちの商品を引き抜こうってなら、ちゃんと頭同士で
明らかに相手に非があるのだから、吉座側も強気だ。しかし、プロデューサーとて動じることはない。
「これは、我々による引き抜きではありません。彼女にとって
「あァ?」
なんとも下らない開き直りである。これが用意してきた
「本来の姿だァ? そんなん他人様が決めることじゃねーだろ」
むしろ、本人さえも本来の姿など決められないかもしれない。
だが、目指すべき夢を決めるのは自分自身だ。
そして彼は、アイドルプロデューサーとして、それを証明することができる。
「……我々は一度お会いしているはずです。そのときの名は、確か……シマダ・プロダクション――」
その刹那、刺青の腕が瞬時に引き絞られた。シマダ・プロダクション――彼らは問題を起こすたびに名を変えてきている。それは、プロデューサーが手当たり次第に飛び込み営業活動をしていたひとつ――
しかし、心を先に揺らされたのは殴りかかった本人の方。その動きは至極単調だった。真っ直ぐ顔面に飛んでくる右拳を左腕で冷静に外側へと捌く。そして、そのまま左足同士が交差するほど踏み込んだ。迎え打つ彼が狙うのは鼻先ではない。その軌道は真下から。床を踏み貫くつもりで革靴に力を込め、その反動を右拳に乗せて――
ガゴッ――!
顎に打ち込まれた襲撃は脳を揺らし、殴りかかった方がグラリとよろめく。これは決定的なチャンスだ。しかし、彼が二撃目を放つことはない。
放つべきは、拳ではなくその言葉。
「御社がどこで彼女に何と声をかけたか。それを思い出していただきたいッ!」
どこで――? それを聞き、グラつく記憶の中でようやく思い出した。この男は確か――ストリッパーをアイドルにするとか馬鹿げたことを――その話の直後、メンバーのひとりが
そして、ビキニで唄う痴女バンドの話を聞いてスカウトして――当然、最初は音楽デビューという名の下に。しかし、最初の一本は彼女たちのデモテープをBGMとして使っただけで実際に唄っているシーンは皆無。続く二本目・三本目は完全にバンドとはかけ離れた作品だった。本来の姿――唄うために事務所に入ったにも関わらず、歌の収録さえまったく行われていない――片や、ストリップとはいえ、本気で歌を――サンプルとして受け取った動画を、彼らはゲラゲラ笑いながら観ていた。まともな衣装を着せれば確実に表舞台からデビューできただろうに、わざわざ裸踊りをさせているのだからもったいない話だ。唄っている本人もすぐに気づき、離れていくに違いない、と。
しかし、それでもTRKには実績がある。それは吉座も認めざるを得ない。騙されてスカウトされた後、歌の道戻るため――。プロデューサーとて、吉座の男たちの誘い文句を実際に聞いたわけではない。だが、彼女自身がそのように訴えていた。『歌を唄いたいです』――と、他社のアイドル募集サイトにて。
引き抜きと疑わしくも、筋は通る。そこに説得力を感じたからこそ――
通路の狭い喫茶店であることが幸いし、もうひとりの男は逃さないよう塞ぐくらいのことしかできない。崩れかけた男の背を支え、プロデューサーを鋭く睨みつけている。
いましかない――!
糸織はさっと机の上のスマホを掴み取る。起動すべきはカメラアプリ――
そこに、幸運が重なった。
ファンファンファン――
パトカーのサイレンが近づいてくる。男ふたりと女ひとり――この力量差なら、程なく女が大人しくなって終わりだ。しかし、そこに女を守るべく別の男が絡んできては――さすがに喫茶店側も、店の器物を破壊されてはたまらない。それを止めるものが、ようやくやってきたのである。
これに、店中の誰もが外に向けて振り向いた。糸織、ただひとりを除いて。
ピロリン、と鳴った撮影音は部外者の到来によって掻き消された。何より、撮られた本人たちはそれどころではない。ふらついていた男の足腰も回復している。後ろ暗いことしかない彼らは座席を押し倒す勢いで逃げ出した。
明らかなる形勢逆転。それを見逃す糸織ではない。
「おっ、おい! 早く追わんと……ッ!」
ここで足止めできれば、外と内で挟み撃ちにできるはずだ。しかし、彼はその勢いを制する。
「いえ、ここから先は警察にお任せしましょう」
「何を悠長なことゆーとんねん! せっかく吉座を一網打尽にできるっちゅーに!」
彼らを放置していては、またあの偽造名刺をばらまかれるかもしれない。ここで捕らえておくべきだと糸織は訴える。しかし、彼はただ微笑むばかり。
「私の務めは、私のアイドルたちを護ることですから」
彼の目的はすでに達成されている。
「そして……そのために、我が身を危険に晒すわけにはいきません」
吉座はすでにいくつもの違法行為を抱えている。ここで任意同行でもされればおしまいだ。そこから逃れるためであれば、どんな手段でも惜しまなかっただろう。凶器の類をも隠し持っていたかもしれない。ゆえに、彼は身を引いた。先日受けた、糸織からの忠告を護るために。
「……ったく、ゆぅてくれるわ」
その一言に彼の緊張もようやく緩む。そして、糸織も。
「なに
言っている本人が笑みをこぼしているのだから平和なものだ。そして、嬉しくなった理由を彼なりに思い至る。
「私も成長できたのかもしれない、と昔のことを少々」
彼はずっと無気力に生きてきた。ゆえに、自分の身を顧みることをつい疎かにしてしまう。それで、何気なく、軽い気持ちで死地に立ち――結果として、助けようとした相手から逆に咎められたことがあった。あまり無茶はしないでください、と。
その頃と比べれば、いまは確かに我が身を案ずることができた。自分を頼ってくれている女のコたちのために。
しかし、糸織にとって興味を惹くのは、責任者の成長より思い出話の方。
「なんやずっと無茶しよったんかいな。あとでその話も聞かせてや」
それは高校の頃の話なので、同級生だった歩も知っていることだ。無様な失敗談として、笑われてしまうことだろう。それでもいい、と彼は思う。そんな自分から、変われたという証なのだから。
***
こうして、沖道春奈はTRKプロジェクトに移籍することとなった。今度こそ、唄える舞台に立つために――という建前で。違約金についてもしっかり支払われている。
「まったく、あいつらほんに抜け目ないわ」
彼らは逃げ際に、ちゃっかり鞄だけはひったくって行ったらしい。だが、それは糸織の狙いでもある。
「ま、番号は押さえとるからな。派手に使えばヤツらの行方もわかるやろ」
おそらく何らかの形で
「ところで、残りのふたりはどうなったのかしら?」
今日も優はトレーニングウェアである。どうやら大学に行くとき以外はすべてこれで通しているらしい。
優の言う残りのふたりとは、春奈と共にデビューした軽音楽部員たちのことである。春奈は、このような形で自分が抜けた以上、酷い目に合わされてないかと心配していた。当然、プロデューサーも手は打っている。が、その必要さえなかったようだ。
「何かされるどころか、あれ以来まったく連絡がつかなくなったようで、事実上事務所解散、のようですね」
「そしたら、もう大変なこともさせられなくなったんだー」
プロデューサーから吉座の顛末を聞き、平和的な解決を歩は喜ぶ。しかし。
「……それがなー、別の事務所に移籍したらしーで。もち、アダルト動画のな」
「そ……そーなの……?」
春奈と異なり、他の軽音楽部たちは――元々学校でビキニライブを企画するようなノリである。日常生活では味わえない性行為の数々をむしろ満喫し、音楽へのこだわりは薄れていったようだ。だからこそ、春奈の移籍が際立つ。方向性の違い――少なくとも、唯一の部外者だけは本気だった――と、参入動機として公表されている。
ただ、実際のところは。
「みなさーん、お料理できましたよー」
カラオケボックスのミニステージ――今日は店の方も臨時休業とし、ここにメンバー全員を集めている。当然、イワ爺も。パーティーなら飾り付けとかしよーよー、と桃は提案していたが、
立食用のテーブルは店の備品として仕舞われていたもの。そこに、ワゴンで運ばれてきた料理が次々と並べられていく。定番の揚げ物やハンバーグの勢いに紛れ込む形で筑前煮や肉じゃががさり気なく参入しているのは花子の手によるものか。
「いやはや、都会の道具は何もかもが便利だすなぁ」
花子は、店の調理器具はすべて都会の叡智だと思っている節がある。厨房は狭いので花子と春奈にお任せしてしまったが、ここからはメンバーみんなで。プロデューサーも皿をテーブルへと移していく。調理係のふたりの
「……本当に、裸エプロンなんだねぇ」
「って、全裸のあんさんがナニゆーとんねん」
会場の設営でポカできないから、と動きやすいよう歩は服を脱いでいた。食事の段になれば改めて着直すつもりではあったが、まだそこには至っていない。
「お尻柔らかそう……ぎゅーってしたい……」
朱美はワキワキと花子さんを狙っているが、夕食の準備の邪魔をするわけにはいかない。
「……ふむ、エプロン一枚で生活できれば……効率的かもね」
優は間違った方向で感心している。だが、花子はそれを認めない。
「お店開いとるときはあかんよぉ。今日はパーリィだすからなぁ」
普段はちゃんと身嗜みを整えている花子だったが、今日は祝宴と聞いている。ならば、少しは誘惑してもいいはずだ。
「……チラッ❤」
プロデューサーと目が合うと、かろうじてガードしていた乳頭部を横から谷間に向けて流してしまう。メンバーの中では最年長ではあるが、その温かな色合いに陰りは見えない。そして、共に準備をしていた春奈までも。
「……ちらっ♪」
女子の裸であれば見慣れたプロデューサーだったが、自ら胸の先を披露する春奈には少なからず驚かされた。
「ナニ春奈はんまでサービスしとんねん……」
あまりに意外だったため、糸織のツッコミも雑になる。言われて、春奈も少し恥ずかしくなったのか、再び胸元を戻してしまった。
が、改めて。
「これは、その、サービスというより……」
サラダの皿を卓上に並べ、両手が空いたところで、今度は両側からぐいとエプロンを谷間へと挟み込む。服の上からでも豊満だと糸織にもわかっていたが、間近で実物を見せつけられて、糸織は不覚にも気圧されしてしまった。
しかし、春奈の視線は一心に、プロデューサーの方へと向けられている。
「私、一生懸命練習しますから……私もステージに上げてくださいね」
吉座芸能では行き過ぎたプレイから逃げていた。そして、このTRKプロジェクトへと逃げ着いた。けれど、ここからさらに逃げ続けるつもりはない。
「いいのですか?」
「はいっ」
即答だった。
「だって私……頑張れますから……」
できることに限度はある。だけど、少しずつ頑張っていきたい。何故なら、春奈も
「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」
「……はいっ!」
そのとき、春奈の<スポットライト>がこれまで感じたことのないほど強く輝いた。ゆえに、彼は強く確信する。吉座のやり方ではこのアイドルの本当の美しさを魅せることはできなかったと。彼女は決して見せたがりというわけではない。羞恥に苦悶しながらも、それを認めてもらえればこそ――この輝きを、彼はもっと多くの人たちにも観てもらいたい。頑張るほどに輝く彼女の姿を。
さて。
こうして、宴の準備は整った。しかし、何故集まったのか知る者は少ない。
「ところでさー、今回って
「んなわけあるかい」
「だよねー」
桃とて自分でもわかっている。歓迎される本人が自分のための料理を作っていては興醒めだ。
今日集められた目的を知っているのは――
当事者ともいえる春奈。
それと深く関わった糸織。
彼の様子を案じ、その顛末を聞かせてもらった歩。
そして――
「ファファファ……ワシも話を聞いたときは耳を疑ったぞい。けどまー……ヤツらのやり方は、この新歌舞伎町の存在自体を危うくするでな」
グラスを片手に、イワ爺も話に加わった。しかし、話を切り出すのはこの場の代表でなくてはならない。
「今回皆さんに集まっていただいたのは……決意表明を聞いていただくためです」
それは、決して華々しい話ではない。だが、暗い気持ちで聞いてほしくもない。だからこその、食事会である。
「うーん、CDデビューの第二弾とかなら良かったのになー」
飾り付けを止められた時点でめでたい話では無い。それは、桃にもわかっている。
今日の壇上には女のコたちの代わりに真っ白なスクリーンが立てられている。あとは部屋の照明を落として映し出すだけ。
だが、その大画面が開かれたとき、初めて見るメンバーたちは思わずグラスを落としそうになった。
「「「『吉座芸能事務所の被害に遭われた方へ』……!?」」」
その事務所の件はみんな知っている。だが、このようなホームページを作成するとは思っていなかった。
続いて、彼は一枚の写真を表示する。それを見て、花子はワナワナと震え出す。
「こ……こン人たち……」
「これは、先日近所の喫茶店で、丘薙さんが撮影されたものです」
花子にとって、
「彼らは私の名を騙り、プロジェクトを騙り、様々な女性たちとの間で問題を起こしています」
「はい。メイドを利用してその名を汚すなど、許せません」
まいど・めいど・わいどの三人にはすでに風評実害を受けていた。応募するとセクハラ面接を受けてAV撮影を強要される、と。
「ゆえに私は、彼らとの全面対決を決意しました」
最も影響が大きいのは劇場を持つイワ爺である。
「やれやれ、正気の沙汰とは思えんわい」
あのぼんやりとした小僧が、新歌舞伎町の一角を担う連中とやり合うことになろうとは。しかし、イワ爺とてその意思に賛同するからこそここにいる。これは、勝ち目のない戦いではない。
「ねぇ、そんなことして大丈夫なの? ファンムードの顔に泥を塗るようなことをして」
大手には巻かれるべきだと優は思う。わざわざ歯向かうのは非効率的だ。
「なので、先ずは吉座の切り離しからです」
「もしかして、相撲部屋から力士を破門するとか、そういう話?」
慧の例えがわかりやすいかはさておき、少なくとも晴恵には伝わったらしい。
「なるほど、私のビデオみたいな件ですねっ」
直接相対したことで、吉座側もTRKプロジェクトが敵対していることは重々承知だ。これからは堂々と情報を集め、許可なく配信収入を得ているようであれば、それを差し止めていくことでもダメージは与えられるだろう。それが積み重なればファンムードの本部からも切られるはずだ。そうなれば、もう何も恐れることはない。
「これからは、本来の業務以外でも時間を取られてしまうかもしれません。ですが、何卒ご了承いただきたいと思い……このような席を設けさせていただきました」
本来は、ケータリングを頼もうと考えていたのだが、自分が火種になったようなものだから、と春奈が手料理を買って出て、それに花子が続いてこうなった。
「ということで、祝うようなことは何もありませんが……」
申し訳無さそうに視線を落とすプロデューサーだったが――
「打倒ッ! 吉座芸能ッ!」
歩は高々とグラスを掲げる。
「ま、名前はいつ変わるかわからんけどな」
軽口を叩きながらも、糸織もそれに続いた。
「乾杯、でいいと思いますよ。みんなで前に進もうというときは」
しとれもまた、盃をすっと持ち上げる。桃も、慧も、他の面々も――
それでも、祝い事のような雰囲気はどうしても憚られた。
ゆえに。
「よろしくお願いいたします!」
そう言って彼の酒盃が掲げられたことで、それが乾杯の音頭となったようだ。
各々一杯目に口をつけると、それぞれ食事にありついていく。この先、最も迷惑をかけてしまうのは、会場という逃げられない箱を支えてもらうイワ爺かもしれない。プロデューサーとして今後の展望を話しておくべきだろう。そう考え、彼のところに向かおうとしたところ、そこにはすでに先客がいた。
「私、沖道春奈っていいます。これからよろしくお願いしますね」
「ファッ、ファッ、春奈ちゃんか。ワシの方こそよろしくな」
春奈はペコリと頭を下げる。エプロン一枚の後ろ姿では、お尻どころか、そんなに深々と上体を倒しては、股の間まで――。意外と無防備なところがあるものだな、とプロデューサーは危ぶんだが――それは案外確信犯だったのかもしれない。顔を上げると、背後のプロデューサーに向けて、頬を染めてはにかむ。私、頑張ってますよ、と言いたげに。
だから――
やはり自分があの新歓祭で感じた輝きは間違いではなかった――彼にはそう信じられるのだった。