進路には勝てないと悟った調理師志望女子のゴールデンウィーク   作:カズト チガサキ

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第15話 四日目 4/7

 とっきー先輩を追いかけて突き動くままに階段を駆け下りる。

 

 いや、ほんとは追いかけているのか、遠ざかっているのかもわからない。まだ職員室にいるのかもしれないし、ひょっとしたらもう校舎を出て電車に乗り、追いかけようがないどこか遠くの駅にいるかもしれない。

 

 だけど、追いかけないわけにはいかなかった。とっきー先輩には、人としてちゃんと伝えないといけないことが出来たんだから。

 

 シンタローが仕事でいなかった、昨日の実習。あの日も、とっきー先輩は私が作った料理を食べなかった。

 

 でも、意地悪で残したわけじゃないことぐらい、今の私にはわかる。味うんぬんよりもスピードや手際に集中するべきで、だからあえて、味の感想を言わないために食べなかったんだ。

 

 ――今は手際の迅速化に集中してもらうためにも、味の講評はしないでおきます。

 

 って、とっきー先輩。最初から食べない理由言ってくれてたんじゃん。

 

 食べてもらえなかったことがショックすぎて、言葉の意味を真っ直ぐに受け止め切れなかった。私はまず自分の料理を疑ったけど、そうじゃなかった。

 

 焦がしたハンバーグだって、ただ捨てるように見せかけただけで、『気を引き締めないと、いずれこうなるぞ』って教えてくれてただけなんじゃんっ。

 

 それなのに、

「勝手に飛び出してっ、逃げ出したりして……子供か、私はっ!」

 

 階段を下りきって、ロビーへ急ぐ。そこはビルキャンパスの待合空間であり、唯一の出入口だから。

 

 もしとっきー先輩が移動中なら、追いつけるかもしれないし。

 

 もし職員室にいたって、ロビーの校門(門と言っても自動ドア)で待っていれば、そのうち向こうから来るはずだし。

 

 もしとっくに出発してて、今ごろ遠くの駅に到着してるとなると……どうしようもないけど、でも!

 

 待合空間に着いて、辺りを見回す。とっきー先輩は頭が目立つから、いるならすぐに見つかる。

 

 右を見る。左を向く。自動ドアの校門も見たけど、それらしい人影はいなかった。

 

「いない……そんな…………」

 

 このまま謝れずに明日まで待つのなんてイヤだ。時間が経ってうやむやになんてしたくないし、何より明日もとっきー先輩が私を担当してくれるという保証はないんだから。

 

 むしろその逆の方がありえそうだ。とっきー先輩じゃなくたって、途中で逃げ出しちゃう私みたいな子、わざわざ受け持ちたいとは思わないだろうから。

 

 辺りをもう一度見回したけど、やっぱりいない。

 

 なら、来るのを待てばいいんだっ。いないならきっと、とっきー先輩は職員室あるいは校内のどこかにいるはずだから。

 それ以外の可能性は、考えたくもない。

 

 私はその場に立ちつくして待つ。自分が道の邪魔になってると気づいたのは、しばらく経ってから。ロビーと廊下の境目、その端っこに寄って校門や待合空間全体を見渡してみる。

 

 とっきー先輩が現れる予感と心細さが反比例する。時間とともに心細さばかりがおっきくなる。

 

「もう……シンタローのところへ戻っちゃおうかな」

 

 会って謝ることより、私は何をしてるんだろう、というやるせなさが勝った。

 

 ため息が漏れる。ここへ駆けつけたときの勢いは完全になくなっていた。

 

 ロビーに背を向けて、歩き出す。

 

 その寸前、振り返った私の鼻先ほどの距離に、ぬっと壁が現れる。

 

「わっ!? すみませ――――」

 

 急な出来事に私が飛びのいたから、どうにかお互いぶつからずに済んだけど。

 壁だと思ったそれは、どうやら背が高い人らしく、私が顔を見上げるまで誰だかわからなかった。

 

「だから、ずっとゆってるけど……」

 

 その顔、というか特徴的なその頭を認めて、ようやく次の句を発する。

 

「黙って背後に立たないでよっ! ビックリするじゃんっ!」

 

 ツルツル頭と、いつもはサングラスの向こうに隠れてるであろう仏頂面にご対面。

 

 謝るはずだったのに、一言目は全然違う言葉になってとっきー先輩その人へ飛んで行く。

 

「? ずっといたわけではないです? なにせ、ちょうど通りがかったところですから」

「だとしても声かけてってばっ!」

「自分が声を……ですか」

 

 ああっ、それもそうだけど! 私はそんな話をしたいんじゃなくてっ!

 

 半ば諦めていたところなのに、突然やって来られては調子が狂う。

 サングラスを着けず、さらけ出したその両目がぎこちなく細められる。

 

「かまわないのですか? 私から声を、などと。察するに、料理を捨てられるのは初めてだったのでしょう?」

「だからこそだよっ! 私、ミツコ先生からぜんぶ聞いたもんっ! 捨てられたハンバーグが実は無事だったこととか……そこんとこ、とっきー先輩が色々準備してくれてたらしいこととか、ぜんぶ……っ」

 

 自分で言っていて、思わずぎゅっと両目をつむった。

 

 ぜんぶ無視して私は逃げ出した。動揺していたとはいえ、自分勝手だったと思う。だから言わないと。

 

 意を決して顔を上げると。

 

「では、講評に入ります」

 

 何食わぬ顔で話を進めようとしていた。まって、まだ言いたいことが……。

 

「伝えることは一つ……いえ、たった今二つに増えましたね」

 

 相変わらずの硬い表情で、私と目を合わせてくる。まだ言い終わってない私には、とっきー先輩の視線が「よく聞きなさい」と諭しているように見えた。

 

「まず一つ。実習の料理が捨てられただけでこの取り乱しようでは、先が不安です。あの程度の応酬は、入学すればただの授業風景になります」

 

 調理師を目指すなら、これから何度もこういうことがあるってことだよね。しってたよ。

 

 私だって話としてはわかっていたけど、実際に遭遇するのはショックが段違いだった。

 

 だけど、だからこそ身に染みて、今度こそちゃんと知った……つもり。

 

「入学前と入学後のギャップに悩む者は多いです。自分の同級生にも、後輩にもいましたね」

「私が、抜け出したみたいに?」

 

 あそこまでではないですがね、と呆れ気味にとっきー先輩は続けた。

 

「やがて彼らは悩んだ末に、野心を捨てて現状の身の丈にあった居場所へと落ち着いていきました。そこそこの技術は身に着けてましたからね、職にくいっぱぐれることはなかったと思いますが」

 

 そこまで話してとっきー先輩はゆっくり天を仰いだ。

 

 顔に張り付く厳しさや冷静さが、表情から完全に消えたその一瞬、わずかに残った人間味みたいなものをとっきー先輩に垣間見た気がした。

 

「悩んでいた彼らの姿はちょうど、今日の計屋君とよく似ていましたよ」

 

 昔を懐かしむときの、穏やかなカオ。そんなの、いつものとっきー先輩からは想像つかないけど。

 

 とっきー先輩は私に向き直る。そのときその表情は、一瞬の感慨が気のせいだったかと思うほどの仏頂面に戻っていた

 

「しかし、彼らと計屋君は違う。計屋君にはまだ考える時間がある」

「……焦るなってこと?」

「考えろということです。調理師になるとして、具体的に何をしなければならないか。自分にとってそれは苦しく、ときに痛みを伴うのではないのか、と」

 

 ――シンタローも似たようなことを言ってた。

 

「君は料理を捨てられて辛いと知りましたね? しかし、料理の道を選べばその辛さは日常だ。それでもまた、ここへ来たいですか?」

「はいっ、モチロンっ! なんだって日乃実ちゃんにおまかせあれっ!」

 

 五日前ならきっと、能天気に答えてたと思う。

 けどここにいる私は、宙に視線を迷わせるだけだった。

 

「えと、私は……」

 

 調理師を目指したい、なりたい。その気持ちが揺れるのに初めて気づいて、言葉が出なくなる。 

 

 彷徨いまくる視線の先で、シンタローがキョロキョロしてるのを見つけた。ミツコセンセとの話を済ませたのかな。そういえば私、ミツコセンセにもアイサツしないで飛んで来ちゃった。またやらかしちゃったな、私。

 

 こちらに気づいたシンタローが駆け寄ってくる。話す私たちに気を回してか、とっきー先輩に軽く頭を下げたくらいで会話に混ざろうとはしなかった。

 

「すぐに答えを出すのは賢明ではありません。悩めるときには、適切な悩み方が必要なのです」

 

 私は早くに準備をして、たくさん経験しないとプロにはなれないと思ってた。

 

 高専に進んで調理師になると宣言したとき、進路指導の先生からの反対もなかったし、むしろ「すでにやりたいことがあるなんて素晴らしい」って褒められた記憶さえある。

 

 お母さんはちょっと不安そうだったけど、こうして一人、東京に行くことを手伝ってくれた。

 

 だけど、東京に来てからはシンタローをはじめとして、私に逆のことを言う人が増えていった。

 

 そして今日、私ははじめて自分の夢への気持ちを疑っている。

 今日だけではなく明日からずーっと料理が好きで、調理師になりたいと思い続けられるのか。

 

 ずっと先の未来の自分を、この場で断言できる自信が私にはなかった。

 

「繰り返しますが、計屋君には時間があります。許す限り悩んだ末に決断すればいいのですよ。であれば、おそらく誤りません」

「……わかりました」

 

 自分のノドが明らかに気落ちした声を絞り出す。

 それを聞いてなお一ミリも顔色を変えないとっきー先輩の温度感が今はありがたい。

 

 そして先輩は二本指を立てた。

 

「二つ目。確認ですが、計屋君は自分を見て頭を下げようとしましたか?」

 

 そうだとも、なんたって謝りに来たんだからっ。

 ここに来た理由を見透かされたことにハッとするのを抑えて、私は頷く。

 

「料理を捨てた相手に謝る必要などないです。悔しくとも怒れども悲しくとも、申し訳なく思うことはないです。無礼はいつも捨てる側にあります。客前であっても例外ではないです。」

 

 それはそうだ。捨てられていい料理なんて作ってない。そんなもん、この世界のどこにあってたまるかっ! って感じだ。

 

 だけどソレとコレとは別。私は自分のことばかりで、とっきー先輩の優しさを無視して向き合わずに一人で逃げてしまった。

 捨てた食べたよりも、とっきー先輩の教えをないがしろにしたことが問題だった。

 

 それを、そのままになんてできない。

 

「でも、私はとっきー先輩のしたことを誤解してて。だからっ、ホントは謝りたくて――――」

「特に計屋君の場合は、良くも悪くも料理に心を込めすぎている。込めるべきは心ではなく技術です。捨てられたのが心ではなく技術なら、腕を磨けばいいだけの話ですから」

 

 心よりも技術。私にはピンとこない感覚。

 

 私が調理の最中に考えることといえば、食べる人の好みとか、どんなメニューなら喜ぶかな、とかだ。

 

 その内容によって味付けや仕上げ方を変えたりするけど、その巧さを技術というのはちょっと腑に落ちない。

 

 私ととっきー先輩では、料理への向き合い方に決定的な違いがある、と思った。

 

「とっきー先輩のときはどうだったの? 料理を捨てられても、ぜんぜんへっちゃらだったの?」

 

 というか、とっきー先輩ぐらいすごそうな人の料理でも捨てられる経験があるのかな。あるとしたら、現場の研修とかで?

 

「食べてもらえないのは未熟ゆえ、ならば腕を上げるまでです」

「じゃあ……人や自分のを捨てちゃうのも平気なの?」

 

 当然です、とすぐに返事が来ると思っていたら、とっきー先輩は意外にも言い淀んだ。

 

「正確なことは言えませんが、ただ……」

 

 言葉を紡ぎながら、うつむきがちにサングラスかける。

 

「おそらくは自分も、わかろうとしている最中なのだと思います」

 

 声とともに顔が上がる。目が隠れ、どんな表情で言葉にしたのかは見て取れない。でも、その声音にはどこか清々しさをあった。

 

 わかろうとしている途中。ってことは、とっきー先輩もまだ何か悩み中なんだ。

 

 先輩のことを思い返してみる。

 指導のためと捨てたように演出したハンバーグは、ほんとは食べられる状態で保存されてた。

 

 でも、とっきー先輩が平気で料理を捨てられる人なら、私のハンバーグはそのまま汚い方のゴミ箱に落としても良かったんだよね?

 

 とっきー先輩の行動は、やっぱり優しさ以外の何物でもない。

 やっぱり、私は一言伝えるべきだ。

 

 思い至ってとっきー先輩と改めて向き合うけど、先輩の視線は私のことも、さっきからちょっと空気気味なシンタローのことも捉えてない。

 

 視線の先には――――ロビーの置き時計があった。

 

「すみませんが、そろそろ時間が惜しいです。午後も予定がありますので、これで」

 

 固く一礼して歩き出す。シンタローは頭を下げ返したけど、私の心臓は焦りで跳ねていた。

 

 歩き出したとっきー先輩の背に思わず声を投げる。

 

「わからないまんまでもいいんじゃないっ!? 今日みたいにできるならさっ、やっぱり捨てちゃうなんてしなくていいよっ!」

 

 問いかけたいのか、伝えたいのか。言いたいこともまとまらないままで、大きな背中にぶちまけるように叫ぶ。

 

 とっきー先輩は振り返りもせず、一拍置いた答えは私の気持ちをなぞるみたいに穏やかだった。

 

「……たしかに、その通りかもしれないし、そうではないかもしれない。可能ならば、前者であってほしいところですね」

 

 静かなロビーには私たち三人だけ。

 とっきー先輩が午後の現場研修へと動き出すと、やがてロビーは二人だけになる。

 

「僕たちも帰ろうか」

「…………うんっ」

「とりあえず……着っぱなしの調理服を返しに行こうな」

「あっ、そうだった」

 

 指差された自分の格好を省みて、ちょっとおかしくなる。私が身に着けていたのは、実習が始まってからずっと着ていた調理服。

 

 私はこんな格好で学校中を駆けずり回ってたのか。あんまり人とすれ違わなくて良かった。

 あんなことがあったんじゃあ、着替える余裕なんてまるでなかったとはいえ、目立ちたい気分でもなかったし。

 

 今はもうモヤモヤはしてないっ。けどいろんなことがありすぎて気持ちはクタクタになった。大きく息をすることで強引に切り替える。

 

 とにかく、服は返さなくちゃね。

 

「シンタロー、それで荷物ぜんぶ?」

「ああ、そうだけど」

 

 シンタローの装いは、最低限の貴重品を入れたらしい腰バッグと、抱えたタッパーが三つ、というもの。

 

「じゃあ着替えて私の荷物取ってくるだけだし、シンタローはここで待っててっ」

 

 踵を返して更衣室に向かう。ちょうどがら空きのエレベーターが口を開けたところだった。

 

 授業が始まったのだろうか、エレベーターを埋め尽くしていたはずの在学生たちの姿がどこにも見当たらない。

 

 私だけを乗せたエレベーターは、途中の階で止められることもなく四階に到着する。

 エレベーターから更衣室に向かう間も、私は誰とも会わなかった。

 私以外の体験生はみんな午後の調理実習に出席しているらしい。無人の女子更衣室にただ一人で入っていく。

 

 ロッカーの戸を開ける。中には私のリュックと私服がかかっていた。更衣室内にロッカーは数えるほどしか備えられてないので、他の子のロッカーと間違えることもない。

 

(というか、そもそも女子の参加者って少ないらしいんだよね……意外と)

 

 女子の更衣室は、きっと男子更衣室と比べても小規模なんだろうなと初めて利用したときは思ったものだ。実際、男女の生徒数にはかなり差があったし。

 

 料理業界の風潮は基本、女子<男子らしい。その色濃さもまた、ここに来ないと実感できなかったんだろうな。

 

 さ、早く着替えよう。あんまりシンタローを待ちぼうけさせてはかわいそうだしっ。

 

 私は調理服の上を脱いだ。人の気配がない部屋で下着だけになると五月なのに肌寒い。

 

 肌寒い格好のままで、脱いだまかりの真っ白な上着をしばし見つめる。

 

 はじめて料理を食べてもらえなかった昨日。それどころか料理を捨てられかけた今日。どちらもコレを着ている間の出来事だった

 

 料理が放っておかれる光景は想像以上に堪える。

 明日はどうなんだろう。もし入学すれば、思いがけずつらい思いをする日々が続く…………のかな。

 

 憧れ一色だった真っ白い調理服に、少しだけ複雑な思いが混じるのを自覚した。

 

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