進路には勝てないと悟った調理師志望女子のゴールデンウィーク   作:カズト チガサキ

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第27話 新しい日々 飲み会

 僕は持ち寄った缶ビールに口をつけられずにいた。日乃実ちゃんの前でというのも憚られるし、先ほどから宇石(うつわ)先生に睨まれっぱなしでそれどころではない。

 

「なぁにしてん島すわーん、ほらあプシュッといこうずぇ」

 

 果たして、主催の園さんは僕たちの状況をわかったうえでこの宅飲みに招いたのか。だとしたらどういうつもりなのだろうか。

 

「まぁ生徒の前ですし……」

 

 ひの……計屋さんを返したあとででも、と継ぎかけた言葉は園さんの動作に遮られた。

 僕から大袈裟に缶ビールをひったくり――――プルタブを引くその動作に。

 

「おらぁぁっ! 問答ムヨーぷしゅああーっふ。ふぃ、どーじょ」

「園さんそんな……勝手に」

「フン、べつに飲んだっていいのよ」

 

 え、と思わず対面を向いた。何も言わず、不躾なほどこちらを監視する宇石先生と目が合う。その目元には、逃げ出したくなるほどの威圧感を湛えていて。

 

「私の前で事案が発生することは有り得ない。むしろ未遂犯として通報できるチャンスだわ」

「……人聞きの悪い、しないですって」

 

 軽くげんなりして結局目をそらす。

 

「そーそー。シンタローはそんなことしないしっ。だよねっ?」

 

 久方振りに話を振られてなぜか息が詰まる。

 突き詰めれば日乃実ちゃんとの関係に後ろめたい事実など何もないことは僕たちが一番わかっているけど。

 

「しない……と僕も断言したいけど、計屋さんは計屋さんで、これからは警戒するべきだと思う。自分自身のために」

「……なにそれ」

 

 呟きに静寂が降りる。誰も何も言わないのを、全員が確認できるぐらい時間が流れたとき。

 

「島しゃ~ん、『う』に脅されたんだってぇ?」

 

 どうなの、ん? と言いたげに園さんの糸目がこちらを向く。対面の圧がキツすぎるからか、自分が慰められているような錯覚に陥る。

 

「職員室でぇ、殺すぅーとかなんとか」

「まぁ……、はい」

 

 『う』って宇石先生のことか。一文字って。

 

「安心なしゃれぃ。うはぁ、本気でそんなことする子じゃーないっす」

「そうね。釘を刺しただけよ。あの程度の脅しで予防できるならそれが一番」

「シンタローっ! シンタローが来る前から恵センセずっとあんな感じだよっ。シンタローからも言ってやってよっ」

 

 またこれか。しかも僕が来る前からこんな感じなのか。はぁ。

 

「島しゃん」

 

 酔った声が銀の筒を僕に差し出す。

 

「まぁ、飲もうずぇ」

 

 声には酔い以外に、真剣さを帯びた感情が含まれている。気がする。

 

「…………」

 

 園さんに気圧された形で一口、二口あおる。この動作を皮切りに、彼女たちが何か仕掛けてくるんじゃないかと勘違いするほど気が重い。

 

「どうすかぁ、旨いっすかぁ?」

「……味がしない」

「ぁりゃ、ざぁんねんす。ところで島しゃんってぇなんで急に先生になったんですかねぇ」

「それはまた、唐突ですね?」

「それっ! 私も聞きたいかもっ」

「お? お? どうなんすかぁー、島しゃん?」

 

 一名を除いて興味ありげな顔がグイグイ迫り来る。それらを押しのけるために一旦テーブルのおつまみに手を伸ばす。前に贈ったものを気に入ってもらえたのか、きゅうりの酢漬けが用意されていた。

 

「一年前はそんな素振り全然見せてなかったじゃん?」

 

 ボリボリ嚙み砕く歯ごたえを感じ、自分のペースを取り戻してから語りだす。

 

「元々憧れはあったんだよ。ほら、僕らの地元は田舎だろ。少人数教室だから、僕はよく目をかけてもらって、それで」

「あーわかるっ。私んとこの中学も人ちょー少なかったし。今日の入学式なんかもスケール段違いでどっひゃーってカンジっ」

「大学時代に教員免許は取ったけど」

「そーだった。あれホントだったんだねっ。私ほんとーにビックリしたんだよっ!」

「周りが就活しだして、それから――――」

 

 周りに合わせるように成り行きで就活して、編集社の目に留まって、しばらく働いて今に至る、と。思えばこんなことを人に話すのは初めてだった。

 

「でも貴方は記者として年期があるようだし、そのまま働き続けることも可能だったのでは?」

「まぁそうなんですけど、なんだかんだ悔いが残ったと言いますか、」

 

 口にしかけて、日乃実ちゃんの方を向きたくなった――――けど、また無闇に勘繰られそうなのでやめておく。

 

「採用試験にも年齢制限ってあるじゃないですか。僕の場合

、去年がラストチャンスだったんですよ。それを知って燻ってたものが弾けた、みたいな」

 

 いや、年齢制限ギリギリなんて偶然だ。燻ってたのは本当だけど、決心がついた一番の理由は、日乃実ちゃんが――――やはりやめておく。考えただけで態度に表れるかもしれない。

 

「まぁ宇石先生くらい若ければ関係ない話なんで、知らなかったかもですけど」

「っ、セクハラで警察に突き出してもいいのよ」

「失言でした。ご容赦ください」

 

 勘弁してくれ。世代の溝も世知辛くなったなぁ。

 

「と、とにかく! 教師になれる下地が幸い僕には備わっていて、なにより記者としての見聞を教師の立場で活かしたくなったんですよ!」

「…………教師を志した理由について、いまは何も言わないであげる。でも」

 

 つまり追及はしないでおく、ということか。これは意外な反応だった。職員会議以降ことあるごとに嚙みつかれてきたものだから。

 

 だが。

 

「不自然よね」

 

 不自然。僕の経歴は至ってホワイトですが?

 

「ね、計屋さん」

「うぇ? は、はい」

 

 猫なで声で尋ねたのは宇石先生。自己紹介のときからわかってはいたけど、生徒にはとびきり愛想が良いらしい。その豹変ぶりには日乃実ちゃんも戸惑う。

 

「確認なんだけどね、計屋さんと島先生が知り合ったのは一年前で合ってるんだよね?」

「そうだけど……え、恵センセ? さっきと雰囲気違くない?」

「そうよね、一年前だったね。うん、ありがとう。……島慎太郎」

「はい」

 

 笑顔と猫なで声が消える。僕を呼ぶときは『先生』と呼ばずフルネームときた。う~ん、得も言われぬ。

 

「教師になったことはともかく、赴任先が計屋さんと同じなのはなぜ?」

「なぜって言われても」

「彼女を付け狙ったのかしら?」

「ちょっとその言い方、いくら恵センセでもありえないからっ!」

 

 声と共にそして衝撃音、テーブルがゆすれる。

 

「お、落ち着きなさい計屋さん、落ち着いて。そうね、今のは私が悪かったわよね……、島慎太郎」

「はい」

「どうなの?」

「どうなのって……」

 

 同じ学校に狙って配属されるなんて普通に考えてほぼ不可能だろう。

 

 よほど大きなコネでもない限り無理だが、宇石先生は本気で尋ねているので仕方ない。

 

 真面目に教えてあげるならこうだ。

 

「宇石先生はいま、どのあたりに住んでますか?」

「さや子の隣よ。貴方とは逆側のね」

「え、そんなにご近所なんですか?」

「何か問題でも?」

「いや、問題はないですけど……え? だって」

「その話はもう終わったのっ。シンタローが来る前に」

 

 日乃実ちゃんも驚いていない。たしかに終わった話らしかった。蚊帳の外な扱いだが、時間に遅れた僕の問題なので引きずってはいけない。続きだ。

 

「じゃあ、ここに引っ越して来たのはつい最近ですよね」

「市からお達しが届いてから、大慌てでここへ越したのよ。クラス分けをしていた頃は、満足に荷解きも出来やしなかった」

 

 やっぱり、宇石先生も連絡を待たされた側だったか。

 

「ですよね。急な引っ越しが必要になるくらい、現住所ガン無視で配属されるんです。仮に僕が計屋さんの進学先を知っていたとしても、そこに配属されるようにコントロールするのは無理です」

「ま、シンタローは知らなかったはずだよね。私も教えた記憶ないしっ」

 

 納得してくれるかはわからないけど、もうあまり疑ってほしくない。

 

 僕がうんざりさせられるのは我慢できるとしても、日乃実ちゃんが腹を立てていたんだ。少なくとも彼女の前でこれ以上闇雲な物言いはやめて欲しかった。

 

「でも、配属先の要望は出せるはずよ。私の場合、受け入れられなかったみたいだけど貴方は――――」

「おいアンタ、いい加減に」

「といあぁせぇばぃい」

「しろ……、よ?」

 

 不思議な声が聞こえたが、誰の口も動いてはいなかった。不明瞭ながら異質すぎる響きが、この場にいる全員の耳を引きつけて黙らせる。

 

 例外として、もう長いこと沈黙していた人もいるけど。

 

「何かしら?」

 

 宇石先生が肩をゆする。テーブルに突っ伏し、いつの間にか物言わなくなっていた園さんは、ゆすられた拍子にごろんと床に転がり込んだ。

 

 真っ赤な顔と、閉じきったまぶたを披露して。

 

といあぁせ(問い合わせ)よぉ。かんけぇかくひょ(関係各所)に」

「……そうね。ここで彼を問い詰めるより、問い合わせた方が早いものね。差し当っては、校長とかに」

 

 さや子、ちょっと。宇石先生が呼びかけても、先の言葉を最後に眠りこけてしまったらしく、唸り声を返すばかりだった。

 

「これがお酒かぁー……やっぱ私には早いかなっ」

「いいえ、昔からこうなのよ。全く、さや子のだらしなさには困っちゃうわ。でも、計屋さんはきっと大丈夫だからね。……島慎太郎」

 

 宇石先生は園さんを担ぐ。その細い腕に手を貸そうとしたが、そんな必要はない程に宇石先生は園さんを担ぎ慣れていた。本当に昔から困らされているらしいのが、手慣れ具合から見て取れる。

 

「貴方はテーブルを片付けてちょうだい。計屋さんはどうか自分の身を守っていてね」

「むぅ……ここには危ない人なんていないしっ」

 

 缶ビールやら僕が来る前に食べていたらしい料理の皿やらを台所に押しやるのが僕の担当。それから見ると、園さんはベッドに担ぎ込まれたようだ。

 

 主催の園さんがあの調子では宅飲みもお開きだろう、その流れで僕は洗い物に取りかかる。あまり飲み食いできなかった僕としては気は進まないけど、遅刻したのが悪いので黙って手を動かす。

 

「私がやるっ。シンタローは休んでていいよっ」

「いや、これくらい僕が」

「わかってるくせに。私にとって洗い物は」

 

 予想する。「ご褒美みたいなものなんだからっ」。正解だった。素直に台所から手を引くとたちまち手持ち無沙汰になる。

 

 周りにさせっぱなしもなんなので、せめてなにか話をしようと試みるが宇石先生はもちろん、日乃実ちゃんとも以前のような会話もままならない。

 

「あー、その、計屋さん」

「…………」

「島先生な。シンタローじゃなくて」

「てゆーか、もうその呼び方しなくてよくない?」

 

 目線は洗い物、不貞腐れたトーンの声。一年前は目撃することなかった不機嫌な姿を、呼び方を違えただけでこうも覗かせるとは。

 

「僕だって好きでよそよそしくしているわけじゃない」

「でも、シンタローが隠そうとしてることって、恵センセには大体知られちゃったよ。学校ではともかく、放課後んなってからぐらいは許されるもんじゃないっ?」

 

 日乃実ちゃんが当然のことのように言うので、若干の酒が入った頭で状況を整理してみると。

 

「そういえばさ」

「ん」

「僕らは一年前から知り合いだって話が出たとき。宇石先生はもっと食いつくものかと思ったけど」

「私が喋っちゃった。シンタローが来る前に」

「なぬ、どう伝えた?」

「ゴールデンウィークにオープンキャンパス行ったりー、ご飯作ってあげたりー。同じ部屋で寝泊まりしてたよーって」

 

 全部知った上なのに僕を疑ってかかったのか、あの人。いや知ってるからこそ疑うのか? うむ、わからない。

 

 洗い物が終わる。シンクから持ち上がった面は呆れていた。

 

「最初はさ、私とさや子さんの二人でご飯にする予定だったんだよ。シンタローのこと相談しようと思って……お互い、なんかギクシャクしちゃったままだし」

 

 ――――やっぱご近所付き合いが寂しいのって良くないと思うんすよね~うん。二年間も音沙汰ないお隣さんのせいで、凍えた思いをしたさや子さん的には。

 

 脳裏で今朝の誘い文句が点と点をつなぐ。いや、もはや誘い文句ですらなかったのかもしれない。

 仲がこじれそうなのを見かねた園さんなりの静かな叱咤なのだと、今ならわかる。

 

「でもさや子さん、私に黙ってみ~んな呼び出しちゃうんだもん。私が恵センセに色々喋ったのだって、ぜ~んぶ酔ったさや子さんが口を滑らすからで……シンタローがもっと早く来てくれれば、私こんなに疲れる思いしなかったのにーっ」

 

 手に負えない園さんと、(生徒相手だから柔らかい態度とは言え)しつこく尋問を仕掛ける宇石先生が目に浮かぶ。

 まぶたの裏で、二人の前に日乃実ちゃんを座らせてみる。可哀想になる。

 

 部屋に上がったときの直感通り、この宅飲みにはやはり思惑があった。

 でもそれは構われたがりで幼く振る舞っているように見えて、実は他人に気を回している園さんらしい世話焼きな思惑だった。

 

「あら……テーブル、もう片付いたみたいね」

 

 介抱し終えて居間に戻ってきた宇石先生が背の高い位置から僕らを一瞥した。

 

 結局、どのあたりまでが園さんの思惑通りなのだろうか。正直僕はまだ、この同僚のことは近寄りがたく感じている。

 

「では、私たちもお(いとま)するとしましょう」

 




次回、最終話です……………………!!
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