進路には勝てないと悟った調理師志望女子のゴールデンウィーク   作:カズト チガサキ

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第3話 一日目 3/5

 時刻は午後一時。回転寿司店を後にした僕たちは今、本来の目的である買い出しに向かって下りエスカレーターに乗っている。

 

「ふぃー、おいしかったね! おすしも緑茶も!」

 

 下りる最中、日乃実ちゃんは見るからに膨れたお腹をさすっていた。

 

 彼女の腹は、それはもう満足だ~と言わんばかりにパンパンに寿司で膨れている。一昔前の漫画なら間違いなく腹だし出ベソ表現が使われるだろう。

 

「本当にね。よくもまぁあんなに美味しそうな食べ方ができるもんだ。いや味が良いのは間違いないけど……ちょっと大袈裟じゃないかいね?」

 

 回転寿司なら地元でも食べられるだろうに、彼女は皿を取るたびに「キャ~これ好き」だの口に運ぶたびに「んふふ~好き~」だのオーバーな感嘆を漏らしていた。

 奢る側としては、奢りがいのある食いっぷりを見せてもらっていたので悪い気はしなかったけど。

 

「え~……シンタローは初めて東京でおすし食べたときさっ、なんかこう、舌にビビっと来たりしなかった?」

 

 東京に来て初めての寿司なんて三十年前の出来事だ。さすがに事細かくは思い出せない。

 

「わからないな。東京で寿司を食べるとびびっとするのかいね?」

「そりゃあするよ~っ。ネタが舌に乗っかる瞬間、味がぼやけないっていうか」

 

 日乃実ちゃんには当然のことのようだけど、僕には依然として違いがピンと来ない。この話、せめて食べているときにしてくれれば共感できたかもしれないのに。

 

「あーもぅ、ぜんっぜんわかってなさそー。じゃあそんなシンタローに私から一つクイズねっ」

 

 日乃実ちゃんは自慢のサイドテールをマイクのように握り、得意げに人差し指を立てる。

 

「問一っ、東京のお寿司と私たちの地元のお寿司、果たして違いはどこにあるでしょーか? 制限時間は食品売り場に着くまでっ」

 

 司会者に扮する日乃実ちゃんの口がチッチッチッチッ…と時を刻みだす。

 

 食材売り場は地下で、僕らがいま乗っているエスカレーターは一階を目指して下っている。って、あと一個乗り終わったらもうタイムオーバーじゃないか。

 

 僕は寿司屋での出来事を思考の渦の中でさらいまくる。寿司の味、店の雰囲気。はたまたお茶に何かヒミツが……? いや、お茶は至って地元と一緒だったって。

 

 東京だからと言って、店内や寿司そのものには別段特異なものは見受けられなかった。

 でもだからこそ、僕には一つ思い当たることがあった

 

「んーそうさなぁ……東京に感動している日乃実ちゃんが、東京のモノはなんでも美味しいと錯覚してしまったから、これだろ?」

 

 そう。寿司の店や味に答えがないなら、あとは食べる側の問題だ。

 その点、日乃実ちゃんはかなり東京に憧れを抱いていると見受けられる。思い込み(バイアス)がかかるのも頷ける。

 

 さぁ、どうだ……!?

 

「ぶぶーっ! 東京に来てテンションは上がりまくってるけど残念っ、不正解。そしてはいっ! 食品売り場にぃ~…とうちゃ~くっ!」

 

 日乃実ちゃんはもう待てないとばかりにクイズをほっぽり、我先にと買い物カート飛びつく。

 

 買い物かごをカートにセットする彼女の背に僕は問う。

 

「ちなみにさっきのクイズ、本当に正解はあるの?」

「もちろん! 時間えんちょーしたげるから、買い物終わるまで頑張ってみてっ!」

 

 ガンバと彼女は両こぶしを握って踏ん張るポーズをしてみせる。そう言われてもぶっちゃけ、もう僕には答えの見当もつかない。

 

「さぁシンタロー! 夜ご飯はどんなの食べたいっ? 私なんでも作れちゃうよっ!パフェでも、おはぎでも、オムライスでも」

「おいおい調理師志望くん。それほぼパティシエのお題目じゃないか。でもそうだな、今晩の飯か……」

 

 正直に言うなら、僕は買い出しに訪れた割に今晩のことを何も考えていなかった。

 にししっ、という調子でジョークを挟む日乃実ちゃんに「なんでもいいよ」なんて返そうものなら、いたずらっぽい笑みも憤慨の色に染まる。

 

「え~せっかく作るんだからちゃんと考えてよ~」

「最初の晩餐なんだよ~」

「ぶぅ~」

(なんて反応が想像に難くない)

 

 でもどうするか、魚はさっき腹いっぱい食べたばっかりだしな……ん?

 

 何気なく目についたのは売り場に入って一番手前、野菜コーナーの玉ねぎだった。傍にニンジン、ジャガイモ……これなら。

 

「カレーとかはどうよ?」

 

 直後、日乃実ちゃんの顔がぱっと開いた。

 

「いいねぇカレー! 私カレーは超得意なんだ~」

 

 彼女はわくわくと両目を輝かせ、「期待しててよ」と肘で僕をつつくや否や、野菜コーナーを物色しだす。彼女の暴風みたいな活発さにやれやれしつつ、僕も行動開始だ。

 

「そんじゃまぁ、とりあえず目についたやつから入れていって、後でなんか足りないものがあれば足してく感じで――――」

 

 と、僕は一番手近にあった五本セットのニンジン袋を手に取る。

 

 が、しかし。

 

「ストップすとっぷっ! 適当に選んじゃダメだってばっ」

 

 突如として視界にチョップが飛んできた。カゴにしまおうとしたニンジン五本セットは、チョップの手にそのままひったくられてしまった。

 

 今度はどうしたというのか。呆気に取られて言葉が紡げない代わりに、おいおい、と僕は目で日乃実ちゃんに訴えた。

 

「にんじんにも色々個性があるんだよっ。ほらここっ」

 

 彼女は袋の中のニンジンたちを僕の顔の前まで持ち上げる。

 ニンジンの芯の部分をさしずめ接眼レンズのように見せつけてビシッと指で示す。

 

「これとこれ、芯の太さがそれぞれ違うの、わかる?」

 

「太さ? ……ああ、目利きしたいってこと?」

 

 目利き。美味しさや新鮮さを個体の形や色なんかで見分けることだ。

 

 以前、都内の農家特集記事を組んだ際にいくつか作物の目利きを教わってコラムにしたこともあったっけ。

 

「ニンジンはたしか……芯が太いと固くなっちゃうんだっけか?」

「おおーシンタローわかってるじゃんっ。他にも色の濃い方が栄養があったりー、表面が滑らかなほど甘みがあったりしてー……」

 

 僕の選んだニンジン五本セットは日乃実ちゃんの解説によってあえなく売り場に戻されてしまう。

 

 彼女は一人うんちくを呟きながら、ひとしきりニンジンを漁ったのち、腕いっぱい満足げにニンジン袋を抱えて戻って来た。

 五本入りを三袋も抱えて。おかしい。予算と合わないな。

 

「言っとくけど多くはないよっ。冷蔵庫の中身が空っぽすぎるだけだもん。こっちはカレー用で、こっちの二袋はまた別の日用だから分けて置いとくね」

 

 日乃実ちゃんはニンジンたちをかごの左上、右下と対角に配置するとまた目利きに駆って行った。

 

「はは……この拘り様、こりゃ家に調味料がなきゃ怒るわけだよ」

 

 熱心に食材を吟味する彼女の背中にポツリと呟く。

 

 食に関してなら日乃実ちゃんはいつになく真剣な眼差しを向ける。彼女と実際に会ってからまだ数時間しか経過してないが、彼女はそこがブレないな、と見守って気づく。

 

 僕はそんな彼女の瞳に、調理師に相応しい意気が宿るのを観測した気がした……ってのは、さすがに買い被りすぎだろうか。

 

「どれどれ、そんな調理師の卵さまの目利きはいかほどか……ぇ」

 

 僕はふと気になって、日乃実ちゃんが買い物かごの隅に置いたカレー用のニンジン五本セット、その芯を見比べてみた。

 

 ニンジンの目利きについてはさっき話した通りである。芯の他にも基準は色々あるのだろうが、とにかく芯が細いニンジンほど美味らしい。

 

 だのに。

 日乃実ちゃんがカレー用として持ってきたニンジン五本セットは。

 

「なんか……すげぇ太いのとすげぇ細いのがあるな」

 

 どうせなら五本全てが芯の細い、つまり美味しいニンジンがそろっている方が良さそうだが、日乃実ちゃんはわざわざ良悪ないまぜのニンジン五本セットを手に取ってこれと決めたらしい。

 

「とすると色か形が違う……ってわけでもなさそうだな……はて、ねぇ?」

 

 まさか日乃実ちゃん、実は目利きがド下手く……いや、それ以上は言うまい。

 

「ぬん? シンタローそれ気になる?」

 

 恐らく選りすぐりであろう玉ねぎとジャガイモを携えた日乃実ちゃんは小首をかしげ、小さな背をさらに低くして顔を覗き込んでくる。

 

「うん、日乃実ちゃん。ひょっとして日乃実ちゃんは、目利きが下手く……あいや、下手くそなんじゃないかい?」

「言い直さないなら言い直さないでよ、失礼しちゃうっ」

 

 玉ねぎとジャガイモをよいしょっ、とかごにしまう彼女に、恐れながら件のニンジンの芯を見せつけてやる。

 

「芯が太いのと細いの、両方入ったものを選んだのはなんでかーって訊きたいんでしょ?」

「そりゃあね……だって細いやつの方が美味いんだろ?」

「ぬふふふ……理由はちゃ~んとあるんだからっ」

 

 色の良い唇に手を添えて怪しく笑う。「なぜでしょうか」というニュアンスの挑戦的な笑みを見た。

 

「ほう……そいつは一体どんな理由で?」

「ふんふん、やっぱ気になるよねっ。じゃあ日乃実ちゃんクイズ第二問、テレンッ! おいしいにんじんと、おいしくないと言われるにんじん。私がその両方をカレーに使うのはなぜでしょう?」

 

 まだ一問目すら正答できてないのに、得意げに第二問を始めてしまった。

 

 でもなんだろう、クイズ形式で会話されると不思議と真剣に考え出してしまう自分がいる。インタビューに応用できるかもしれない。

 僕はあごひげに人差し指をじりじりとあてがい、思考の水槽をかき混ぜていた。

 

「んーそうさなぁ……自身の目利きの下手さを隠したいけど指摘されて後に引けなくなったから、仕方なく出来の悪いニンジン君をカレーに採用した、とかだろ?」

「べべー。ちゃんとした理由があるってさっき言いました~。はい、次にこの問題に解答できるのは、夜ご飯のカレーにいただきますをしたあとになりまーすっ」

 

 ブブー、とこれまた色の良い舌を出されてしまう。

 

「随分長い誤答ペナルティだな……そのころには日乃実ちゃん、クイズのことなんてすっかり忘れてそうだな?」

 

 片目を閉じて気軽に返す僕に対して、彼女は意味ありげな微笑みを刻む。

 

「ふっふっふ……さすがの私もコレに限っては忘れないんだよな~、ぜったいに」

「………?」

 

 という具合に、日乃実ちゃんの素材へのこだわりはニンジンだけに留まらず、今し方かごにしまわれた玉ねぎとジャガイモ。それにこれから調達する食材についてもまた一家言あるようなので、役割を分担することにした。

 

 食材は言わずもがな日乃実ちゃんの担当。じゃあ僕は

食品売り場で食材を探さず何をするのかというと、不足しているありとあらゆる調味料の調達だ。

 

「塩も砂糖も、醬油と、みりんもだな……お酢にソースにドレッシング……いや」

 

 ドレッシングは必要ない……別に要らないよなぁ?

 

 調味料はどれも、五日間で使いきれるような少量では売られていなかった。

 辛うじて二百グラムの醬油なども見つけたが、それですら余ることがわかりきっているので「料理とはただ具材を混ぜて炒めるだけ」の僕としてはこれ以上の調味料を買うことに億劫になっていた。

 

 僕だって一人暮らしが始まったばかりの頃は、ちゃんとした料理を作ろうとしていたさ。しかし仕事柄、僕は会食の機会が多いのだ。基本は外食で、割と味が濃かったり油っぽいメニューばかりの飲食店で食事をとることも多々ある。

 

 そうした食生活を鑑みて、栄養の偏りを恐れた僕はいつしかプライベートでは調味料を避けるようになっていた(手間もかかるし)。

 

 これから買う調味料たちもそうだ。僕としては、なるべく避けたかった。

 

 日乃実ちゃんが実家に帰るまでに使い切れなければ、あとは僕の冷蔵庫の中に放って置かれるだけ。

 その虚しさったらない。だからこそ、目の前の棚に並んだ数種類ものドレッシングを買い物かごに運ぶのは気が進まない。

 

「とはいえ、だ。日乃実ちゃんに不便はかけられないんだよな……ドレッシング、一応買っておくか」

 

 余ったらお隣さんにでも譲ればいいか。その場合、僕はお隣さんから警戒の視線を向けられるかもしれないけど、しょうがないな。

 

 かくして、どうにか僕たちはお互いの任務を果たした。回転寿司を軽く上回る支払いと、買いそろえた調味料と食材たちの運搬を終えたところで、僕はふぅと一息つく。

 

 腕時計に目を落とすと、そろそろ短針が午後三時を指そうとしている。屋上に位置するこの駐車場には依然として春らしい陽射しが柔らかく注ぐ。

 

 買い物は僕が思っていた以上に時間を要したので、僕は少しくたびれていた。特に足だ、歩き疲れている。

 

「これで良し、だねっ。シンタローおつかれさま!」

「お互いにね。て言っても僕は、これから運転だから休めないんだけどね」

「安全運転でお願いしまっすっ!」

 

 日乃実ちゃんは頭上に三角を形作る。その敬礼には「おうさ」とだけ応じてそれぞれ乗車する。さて、もう一仕事だな。

 

 エンジンをかけ、やがて発進し、僕は何気なくあの話題を切り出した。

 

「そういやわかったよ、問一の答え、訊きたい?」

 

 日乃実ちゃんの目利きから、僕は彼女の食べ物に関する知識を目の当たりにして一つ思い直した事がある。

 

『東京の寿司と僕らの地元の寿司、違いはどこにあるか?』

 

 野菜を選り好む姿から察するに、彼女の食の知識はある程度たしかなものだと思う。

 ならばクイズもまた出鱈目などではなく、実はそれなりに理屈が隠れているのかもしれない。

 

 調味料探しの間、僕はそれを考えてみたのだ。そしてあるとき、ついに思考の水槽の底から納得のいく結論を引き揚げた。

 

「回答者はシンタロー選手。東京のおすしがビビッとくる理由をズバリ、お答えくださいっ!」

 

 エアマイクとは逆の手で「どうぞ」のジェスチャーをする司会者日乃実ちゃん。信号待ち中の僕はメガネをクイと直し、断言するように答えを紡いだ。

 

「ズバリ……そう、“鮮度”だよ」

「……………………………………」

 

 違っただろうか?

 日乃実ちゃんの表情を窺うも、正否がピンとくるリアクションではなかった。

 

「シンタロー……私たちの地元県は海に面してないんだよ……」

「そ、そうだよ? だからこそと思ったんだがな……」

 

 日乃実ちゃんから司会者モードが消える。一方で信号は青に変わる。正解か否か気になるところだが、運転を再開した僕はもう彼女を盗み見るわけにもいかなかった。

 

「私たちの地元はがっつり内陸部で、海で捕れたお魚は当然お店まで運ばなきゃならないよね。それと比較して、海から近い東京のお店でなら、お魚も新鮮なまんま。だから――――」

 

 日乃実ちゃんらしからぬ淡々とした口調から是非を察することもできず、結果を引き延ばされたことによる緊張からかハンドルを握る手に変な汗が分泌されるのがわかる。

 

「――――ピンポーン! 正解っ、だから東京に来たら一度食べたかったんだよねーおすしっ」

「だよね!?……日乃実ちゃんも存外意地悪だよね……」

 

 念願の寿司、そして僕の口から正答が聞けたことで彼女は満足そうにうんうん頷く。

 

「おすし、連れてってくれてありがとねシンタローっ。ごちそうさまでしたっ」

「そいつはどうも。そのかわり、カレーのほうは任せたよ料理長」

 

 横ピース、かつズビシッと親指を立てる溌剌な気配を隣に感じた。

 

 午後三時過ぎ。昼の道路に混雑はなく、僕らはあっという間に部屋に帰り着く。

 

 買った物をあるべき場所にしまい、やがて僕は仕事で書斎へ、日乃実ちゃんは夜ご飯の準備に入った。

 

 ゆっくりと腰を下ろし、ようやくと身体を伸ばしてリラックスする。

 

 目の前には起動中のノートパソコン。さらにその向こうでは日乃実ちゃんが鼻唄混じりに包丁とまな板を鳴らす。

 

 トン、トン、と野菜を断つ音に合わせサイドテールが楽しげに揺れるのが廊下を隔てて見える。

 

「……さて、僕は一体どうしたものか……」

 

 僕が頭を抱えるのは、彼女の進路について。最近の悩みのテーマと言えば専らこれだ。

 

 日乃実ちゃんを東京に寄越す。その提案を友人が持ち込んで来た日から今日まで、専門学校への進学なんて、と僕は胸中で難色を示し続けていて――――パソコンの起動がやけに遅く感じた。

 

「カレー……食べてからにしようかなぁ、この話は」

 

 向こうで玉ねぎが切られている。彼女が言うには、野球ボールみたいにまん丸で、先端部分が固いものほど良い玉ねぎらしい。

 

 パソコンの起動処理が終わると、そんなつもりはなかったのに僕は仕事の前に『玉ねぎ 目利き』で検索してしまう。

 

 彼女のうんちくと、ネットの一番上に出た記事は見事に一致していた。それが僕の悩みに拍車をかける。

 

 調理師学校への進学に向けて、日乃実ちゃんなりに準備をして来たのだろう。たった半日のやり取りの中で、すでに幾度も知識や志が伝わってきた。

 

 だから、日乃実ちゃんの進路に反対だ、と本人に面と向かって主張するのであれば、僕は彼女の準備や覚悟を上回る理由を述べなくちゃいけない。

 

 別に言いようはいくらでもある。

 

 例えば玉ねぎの記事のように、目利きは検索すればだれでも知れるし、寿司の鮮度についても日本地理の授業で近しい事柄をいずれ習うだろう。つまり日乃実ちゃんの準備は人並みで、人並みのキミはプロにはなれないよ、とか。

 

「いやーそれは野暮すぎだろ……日乃実ちゃんには僕から言わなきゃならん、とか考えている時点で傲慢だいね」

 

 進路に反対しようとすれば、どうしたって相手の心を折るような展開になる。

 が、やはり僕に言わせれば彼女の進路形成は黄色信号だ。放置すればその結末は大体悲しい。

 

 余計なお世話だと気付いていながら、なぜそうまで考えを巡らすのか。

 世には、すでに悲惨なケースの記事が幾つも溜まってしまっているからだ。具体的には、この書斎にある本棚の雑誌がそうだ。

 

「ゴールデンウィークが終わるまでには、向き合わせなきゃいけないんだろうさ」

 

 進路――――もっと言えばキャリア設計。僕で言えば転職なんかが似ている。

 

 四十代大人になった今でも重いと感じるテーマだった。そのスケールは人生を左右してしまうほどに大きく、直面するたびに思わず手のひらで顔を覆ってしまう。

 

 やはりこの手の話題はもっと精神衛生が良好な時期でないとだめだな。日乃実ちゃんと話し合うにしても、もう少し僕一人で抱えるにしても、この続きは今晩のカレーを食べてからにしよう。

 

 泥のごとく重たい思考から抜け出して、どうにか頭を仕事モードに切り替える。

 

 まな板をたたく包丁の音は、丁寧なテンポでこの書斎まで伝わってくる。耳を委ねれば、古い記憶から安心感が湧き出すようだった。

 

 僕の意識にトントンという包丁の音と日乃実ちゃんの鼻唄が溶け合い、ようやく自然な心持ちが戻ってくる頃、僕は明後日の取材の準備に取り掛かった。

 

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