がやがやという喧騒。
人がごった返している。
耳や尻尾が凍るくらいに冷たい空気に、ほおっと息を吹きかければ白い煙が見えてくる。
街灯だけが私たちを照らす。
だから、遠くは見えないけれど、白い煙はもくもくと奥まで続いていることがはっきりとわかるわ。
そして、私が今いるここは、ひと際もくもくとしている。
ラーメンの屋台はとってもあったかいもの。
「ねえ、エアシャカール。私の住んでいた場所には悪魔の化身と呼ばれていた食べ物があるわ。なんだと思う」
そう言って私が彼女に話すと、とても渋い顔で見返してくる。
尾のように長く伸びた黒鹿毛を揺らしながら、鋭い目つきだわ。でも、そこまで怒ってるわけじゃないみたい。
「ンで、オレが答えなきゃいけないんだよ」
やっぱりそうでもないのかな。
「出来上がるまでに少し時間がかかるでしょ? だから、退屈しちゃわないように、私、少しはお話のネタを持っているの」
私とエアシャカールでぎゅうぎゅうになるくらいの小さな屋台。
私たちが今いるのは北海道。まだ冬でもないのに、祖国と同じぐらいには冷たい気温。
でも小さな屋台には、そんな場所を暖めるほど十分な暖房なんかはない。
祖国にいた頃と同じように私は身を寄せて彼女と一緒に暖を取ろうとするけれど、彼女はあんまり好きじゃないみたい。お話をしようとして、話題を振ってみるけれど、彼女はそれもやっぱり嫌だったみたい。
ちょっとだけ私たちは静かに過ごす。
店主さんが静かに、でも丁寧に、用意をしてくれている。
白い丼が二つぴったりと隣り合わせになっている。
私たちの距離は、少しだけ離れているけれど、彼女たちはとっても仲良しさんみたいね。
まな板でほぐされた細麺がぐつぐつとすごく煮立ったお鍋の中にポポポポポイって吸い込まれていった。
「タコだよ」
「え?」
「アンタんとこで呼ばれてる悪魔の化身、デビルフィッシュ、おぞましい食い物、なんっつったらタコしかないだろ」
「正解よ! あなたはとっても博識なのね。エアシャカール」
「チッ……これくらい、普通だろ」
やっぱり、彼女は機嫌が悪いわけでも、私のことが嫌いなわけでもないみたい。
「でもね、私はいっつも疑問に思っているのよ。どうしてあの子たちはそんなに嫌われているのかしら」
すごく、個性的な見た目をしているのは確かね。でも、ゆでると真っ赤になるのは本当は恥ずかしがり屋って感じで私は可愛いって思っちゃう。食べてもおいしいし。
「……お姫さんは、敬虔なクリスチャンか? 日曜日にはミサに通うような熱心さを持ち合わせてるか?」
「んー、あんまりそうではないわね。牧師さんと神父さんは違うものだってよく注意されているけれど、その意味もよく分かってないぐらいかしら」
「ハッ! そんな大雑把な思考してる冒涜者のアンタには、悪魔の恐ろしさが理解できる訳なんかねえな」
彼女の言っている意味はよく分からないけれど、とっても楽しような表情になって、私も嬉しい。
コトリ、とお皿が置く音が聞こえた。
店主さんが気を効かせてくれたのか、タコの刺身を出してくれたの。
「ウチは、ラーメン一筋ですけど、こういうの出すとお客さんが喜んでくれるんで。作るの待ってる時間に楽しんでもらってます」
やっぱり、日本人っていうのはすごく相手のことを気遣っているみたい。これが「おもてなし」ってことなのかしら。どうしておもてなしなんて言うのかは全然分からないけれど。
縁は薄紅色で、真ん中は真っ白くてプリプリとしている。見るだけでコリコリとしていておいしそう。
用意された割り箸をパきっと割って、ほんの少し、しょうゆをつけて口に入れる。
「おいしい」
真ん中を食べるとブニュってなるけれど、吸盤の方に歯を入れればコリコリとしている感触が広がる。
食べるだけで色んな姿を持ってるみたいで食べててもとっても楽しい。
「……うめえ。ほのかな塩味と磯の香りが、味蕾を通じて、ダイレクトに脳にブチこんでくる。こいつはホントに冒涜的だ。こんなシンプルさでここまでうめえってのはいけねえな」
シャカールも喜んでいるみたい。
「どうして、私じゃタコの恐ろしさが分からないのかしら」
私は食べる手を止めて先ほどの話の続きを催促する。
彼女は黙って咀嚼して、口の中のものを堪能した後に私に言ったの。
「人やウマ娘は二本足、獣は四本足、虫は多くて六本足だ。八本足の生き物なんてのは聖書には乗ってねェんだ」
「?……だから?」
だから、なんなんだろう。
「そこだよ。その違いなんだ。お姫さんには分からなくてクリスチャンにしか理解できない恐ろしさって言うのは」
やっぱり、シャカールの言葉は遠すぎて私の中にはすとんとは落ちてこない。
「敬虔な信者にとって、聖書は絶対の言葉だ。守るべき人生の規則だ。その規則の外側にあるものを見つけたらどうするか? 簡単だよ。見なかったことにするか、全部をぶち壊してやるかだ」
「別にそういうものもあるんだで、終わる話だと思うけれど」
「今の時代ならそうだ。でも、聖書が出来た時ってのは、生きるか死ぬか、明日の食うものにも困った奴らが身を寄せ合いながら暮らしてたんだ。少しでも風紀が乱れれば全部がおじゃんになるくらいの限界だ。スピードを全然鍛えてねえのに、スタミナと根性だけで、最初っからスパートかけまくって最後まで逃げようとする逃げウマ娘くらいアホな環境だったんだ」
「それは、とっても大変ね」
最初から最後まで本気というのはとっても大変そうだわ。私なら途中でやめちゃいそう。
「そんな奴らの精神的な支柱。ウマ娘にとってのトレーナーみてえなもんが聖書だった。そのトレーナーが言ってないものと出会ったんだ。今まで信じて来てた常識がぜーんぶひっくりかえっちまうくらいの新しい発見を認められる土壌が育ってなかった結果、タコは悪魔になった。全ての信者を惑わす、恐ろしい理解の埒外にあるものになった」
「そう……なんだ」
確かに、私も最初の頃は、スピードと賢さだけを上げ続ければトゥインクル・シリーズを勝ち抜けるとトレーナーさんに言われた。でも、途中からパワーとスタミナもバランスよく鍛えないとって言われたときは、何を信じればいいかよく分からなくなったわ。
つまり、そういうことなのかな。
「じゃあ、エアシャカールはタコだね」
「あぁん? 喧嘩売ってンのか?」
「他の人はよく分からないっていうけれど、私はアナタがとっても優しいことを知ってるわ。とっても勉強熱心なのを知ってる。勝つために誰よりも真剣なことを知ってる」
「……」
「私は、アナタが言うには大雑把な性格だから、あなたの良さが分かった。あなたはとっても素敵なウマ娘よ」
「……チッ」
シャカールは首をさすりながらそっぽを向いた。あんまり褒められるのに慣れてないのかな。
首元は真っ赤だった。
やっぱり、シャカールはタコだ。ゆでるとすぐに真っ赤になっちゃもの。
とっても可愛くて私は好きよ。
「お待たせしました」
そう言って、私たちの前に、丼がコトンとおかれる。
モクモクと上がる煙が顔に当たるととってもいい匂いがする。
「おいしそう」
止めていた手を動かす。
最初はスープを飲む。
この汁は、透明だ。少しは白っぽいけど、豚骨に比べたら透き通ってると言ってもいいわね。
口にあたると、少ししょっぱい。でも、嫌なしょっぱさじゃない。
色んな魚介がこんにちはって顔を見せてくれるから。
たぶん、カツオとか昆布とかが入っているから少しだけお出しっぽい。
でもそれ以上に気になるのは、なんだか海だけじゃないなって感じ。
「これがシーフードラーメンってやつよね。とっても美味しいわ」
「うめえ。……正確には魚介と鶏ガラが入ってるな」
ああ、鶏ね。鶏なんだ。海だけじゃないんだ。
すごくね、さっぱりしているの。さらさらと入ってくる。でもね、味が薄い、なんて言うわけじゃないわ。しっかりとした味わい深さがある。
ブイヤベースとかみたいな主張が激しいものじゃないけれど、でもしっかり磯の香りがある。
とっても不思議ね。面白いラーメンだわ。
「おっさん、アンタも相当冒涜的だ。なんだよ、このラーメンは」
シャカールは鋭い目つきで店主を見つめている。
「限界だ。限界ギリギリだ。……ガラを使っている以上、どうしても匂いってのはツキモノになってくる。匂いを消すか、それを逆に強みに変えて押し出していくかの二択だ。そしてアンタは匂いを弱みとしてとらえた」
そういいながら、シャカールはもう一口スープを味わう。
「それを消すために選んだのが、塩で魚介ってのは本当に狂ってやがる」
そうよね。
海と山、というか陸のものを混ぜ合わせるのはなんだか難しい話な気がするわ。
「匂いの強いやつに同じくらい強いやつ重ねてどうすんだよって話だ。だって言うのに、こいつは見事に出来てる。ガラの深みだけを取り入れて、匂いは海に塗り替えてやがる。たぶん、割合の話だ。昆布や節を多めに使ってる。ガラなんかかすむくらいにな。でも、それだけじゃ足りねえ。この海はそれだけじゃねえ」
そういいながら、シャカールは、麺をすすってスープを飲み干す勢いで食べていく。
まるで深く潜っていくみたいに。
「エビ、ホタテ、サバ、アゴ、ちげえ、それだけじゃねえ」
なんか、ラーメン食べるだけなのに大変そう。
いっつもこうなのかしら。
このスープだと細麵がとっても合うわ。ツルツルって何度でもいけるもの。モチモチとした太麺もいいけれど、これぐらいさっぱりのラーメンだったら、リズミカルに食べる方が楽しい。
ちょっと、気分を変えたいな。おいしいかそうじゃないかって言うよりは、サイドメニューも食べたいの。
まだお皿の上にタコの刺身がある。最後の一切れだけどシャカールも見てないだろうし、いいよね♪
「それか!」
「!?!?!?」
え? 大きな声を出してどうしたの?
やっぱり、シャカールも欲しかったのかしら。
「タコだ。タコなのか。やっぱり、悪魔だよアンタは」
「?……なんの話?」
「このスープに入ってる最後はタコだ。出汁なんか期待しちゃいねえ。でも、どうしようもなく広がる磯の深さを増すのにこいつは一役買ってる。腹ん中に入れるとズドンとくる重みとしてこいつは深いところで息を潜めてやがった。ガラに負けねえ、磯の香り、そしてそれを殺さねえように、あえて塩で括ってやがる。醤油や、味噌だったら、海が負けちまうから。ああ、本当に、本当に……完敗だっっ!」
「そうなの」
「よく味わってもらって嬉しい限りです」
店主さんは、短くそうお礼をしていた。
そして、シャカールは、また黙って残りを平らげていた。
私もそろそろ食べちゃおうかな。
ズルズルと引き揚げるように麺をすすって、楽しむ。
やっぱり、このすする感じがラーメンって感じで私は大好き。
どうして、おいしいのかを知ることも大事だけれど、おいしいものをおいしい、というのも、とっても大切よね。
「あー、美味しかった」
「美味かったぜ。アンタ相当いかれてやがるよ」
「お粗末様でした」
そういって、私たちはお勘定をして、屋台を後にする。
私たちは、遠征用に取っておいたホテルに向かっていく。
来る時はすごく寒かったけれど、ラーメンを食べて火照ったこの体では、この気温がちょうどいい。
「ねえ、エアシャカール。いえ、シャカール」
「ンだよ」
「あなたって、いつも何かを食べる時にあんなことを考えてるの? 疲れない?」
「……お姫さん、アンタほんといい性格してんな」
「どこに行っても楽しく暮らせそうねって、祖国ではよく言われてたわ。私もそう思う」
「それは……あぁオレには関係ねェか」
「でも、不思議よね。海と陸であんなに相性があうラーメンがあるなんて、正反対なのに」
「そうでもねえよ」
「え?」
「海と陸、特に海と山は密接な関係がある。森が生い茂った山からは、ミネラルが川を伝って海に流れていく、あらゆる川を統合した先に海がある。だからこそ、海には多様性が生まれる。そして、その海が日によって蒸発することで雲が出来てそれが雨となり、山を潤す。循環してんだ。一見関係ねえよなことでも全部が繋がる。レースも同じだ」
「ふーん」
「今日の函館ステークス。肩慣らしついでに勝利をかっさらおうとした。データは完璧だった。勝利への道筋もどうあがいても負けなんてなかった。そのはずなのに、お姫さん。アンタにぶち壊された」
「……」
「オレは追い込んだ先、誰にも追いつけないぐらいのスパートをかけた。そのはずだったのに、アンタは急に抜け出してきた。流星みたいに、とんでもねえ、勢いで全員の視線を奪っていきやがった」
今日のレースは祖国で慣れた気温だと言ってもやっぱり寒くて、早く帰りたかった。
ほどほどにって言われてたから、そこまで、頑張らなくていいやって思ってた。
でも、私は気づいたら、駆け出していたわ。
「それはね、あなたのせいよ。シャカール」
「あぁん?」
「あなたの尻尾みたいな長い黒鹿毛と、あなたのぎらついた瞳、楽しそうに走る姿を見てたら私思ったの」
「……なにを」
「ああ、ラーメン食べたいなあって」
「はあぁ?」
「そう思ったら、駆け出してた。そして勝ったらあなたに美味しそうなラーメン屋さんに連れて行ってもらおうって思った。そしたら、ちょっとだけ速く走っちゃった」
その言葉にシャカールは、立ち止まり、黙ってしまった。
「ク、ハハハ、ハハハハハ。面白れぇ、お姫さん。アンタ本当に面白れぇ女だ。オレの背中見たらラーメン食いたくて勝っただぁ?」
「何か気に障ったかしら」
「いいや、気に入った!!!」
そう言って、彼女はびしっと私に指を指して言うの。
「アンタは本当に不確定要素だ。とんでもなく速いかと思えば、急に失速する。遅いと思えば急に加速し始める。何がアンタに作用するのかさっぱり分からねえ。でも、原因はあるんだ。要素はある。全部が繋がっている。だから、分からねえのはオレにアンタのデータが足りてねえだけだ」
「そうね、私たちはまだお互いのことを知らないわ」
「いいぜ、気に入った。アンタは今日からオレのライバルだ。お姫さん。いやファインモーションさんよォ!」
「友達ってことでいいのかしら」
「……ホンっとに、アンタはブレねえ。というかよく分かんねえよ」
「私もシャカールの言葉は遠くてよく分からないときが多いわ」
「まあ、いいさ。オレたちの関係はアンタが勝手に名前を付ければいい。ただ、オレはアンタを食い破るためにせいぜい利用させてもらうぜ」
「うん! また一緒にラーメン食べよう!」
今日で、私はエアシャカールと友達になった。
まだまだ彼女のことはよく分からないけれど。とっても優しくて、色々知っていて、とっても努力家なのはわかる。そしておんなじラーメンが好きなウマ娘。
だから、これからもいーっぱい、美味しいラーメンをシャカールと楽しみたいなあ。
空を見上げる。透き通った夜空には満天の星が輝いている。
ほおっと吐いた息とともに白い煙がモクモクと上がる。どこまで続いていく。終わりなんてない。
この時間もずっと続けばいい。それはとっても楽しいことよ。
私は、星空を見上げてそう思わずにはいられなかった。
「あ、流れ星」
明日もいい日になるといいなあ。