ラブコメ終了後の負けヒロインたちの後処理を請け負うことになってしまった 作:スポポポーイ
一日の授業が終わり、SHR後の余韻冷めやらぬ放課後。
そろそろ一月という季節も終わりが近づいたということをひしひしと感じながら、僕は図書室の貸出コーナーであるカウンター席に腰掛け、ハムカツサンドの新たなる可能性を模索した昼休みに引き続き、ここ最近の出来事について回顧していた。
そんなとき、不意に図書室のドアを開閉する小さな物音を耳が拾う。
ちらりとそちらの方向を横目で確認して、僕の方へとずんずんと近づいてくる人影を視認して、僕は静かに息を吸い込み、静かに息を吐く。
「……どういうことなんですか」
どういうことなんでしょうね?
とてもじゃないけど、そんな茶化すような台詞は吐けなかった。ついに、この日が来てしまったか……。
背後でおろおろソワソワするような気配を感じ取りながら、とりあえず僕は当たり障りのない挨拶から始めることにした。
「久しぶり、藤堂さん」
「はい、どうも。藤堂さんです」
その返し気に入ってるのかな。
メランコリックな気分でぼんやり視線を向けた先で、むすっとした顔で仁王立ちしているのは、数少ない働く図書委員の一年生女子────藤堂凛だった。
彼女は胡乱気な眼差しを僕に向け、次いでその視線を背後に移し、盛大に嘆息してみせる。
「……昼休みにいきなり謝罪に来られたからもしやと思いましたけど、やっぱりお人好しじゃないですか」
「その意見には僕としては遺憾の意を表明せざるを得ない」
非難めいた棘のある言葉に、僕は毅然とした態度で反論する。
まるで僕が自ら進んで手を差し伸べたような言い方はやめてほしい。向こうが勝手に押しかけて来たんだよ。
「不満そうだね」
「……不満ですとも」
まぁ、あれだ。変化した日常は、何もお昼休みだけじゃないってこと。
これまで五人だった働く図書委員に、最近幻のシックスウーマンたる二年生が一人追加されて六人になりました。
不貞腐れたような表情で僕の後方を見据える藤堂さんに倣って、僕も背後を振り返る。
僕らの視線を感じ取ったのだろうか。カウンター奥の隅っこのスペースで縮こまり、せっせと返却図書の仕分けをしていた長谷川さんの背中がビクッと跳ねた。
「そう言えば部活は?」
「……これから行きますよ」
拗ねたような声音で、彼女はぽしょりと呟いた。
* * *
一月下旬。遅ればせながら、図書委員会による推薦図書の展示企画がひっそりと催された。
ぶすくれた藤堂さんが推薦してくれたのは、『罪と罰』。
滑り込みで追加された長谷川さんの推薦は、『人間失格』。
ちょっと君ら、本当にそれ中身読んで推薦してる? タイトルだけで選んでない?
どちらの本もタイトルだけは聞いたことはあるけれど、読んだことはないっていう本の筆頭じゃないか。……かく言う僕も
目立つようにカウンター近くに設けられた展示スペース。そこに並べられた本を眺めながら、僕はついついぼやいてしまう。
「うーん……。やっぱり、どこからどう見てもデスノ○ト」
数年前に出版されて話題になった『僕は新世界の神となる』とか言い出しそうな新装版の表紙。これを表紙買いした当時の中高生は、中身を読んでみて一体どんな感想を抱いたんだろうか。ウィキ○ディアに載っているあらすじを読んだだけでお腹いっぱいになってしまった僕からしたら、購入者の何割が読了できたのか気になるところではある。
一方の『罪と罰』もまた有名な作品だ。ある種の選民思想に憑りつかれた男が予期せぬ罪を犯して、その罪悪感に囚われ苛まれる。そんなストーリー。これまたウ○キペディアで”あらすじ”という名のストーリー全容をうっかり読んでしまった僕は、なんだかもう読了した気分になってしまって実際に読んだことはない本だった。
まんじりともせず二つの本を凝視した僕は、ついと手を伸ばす。
────読んでみようか。
一瞬だけそんな思弁が脳裏を過ったけれど、結局どちらの作品も僕が手に取ることはなかった。
* * *
図書室は
だけど安心して欲しい。僕が座っているのは図書室の貸出コーナー。本を借りる側ではなく、貸す側の存在だ。ちなみにこの図書室に地下室は存在しない。
「……貸出をお願い」
またぞろ下らない思考に耽ってぬぼーっとしていたら、遠慮がちな声音と一緒に一冊の本が差し出された。
僕の意識が半覚醒のまま薄ぼんやりとしているのとは対照的に、身体の方は既にこの二年近い時間によって馴染んだ動作で手渡された図書と利用者カードを受け取り、機械的に淡々と貸出業務に勤しむ。社畜の極みぃ!
「……ん?」
けれどそれも、利用者カードに並んだ漢字の羅列に目が留まり、次いで渡された本のタイトルに目が移り、そのまま貸出処理をしていた手も止まり、最後にはついっと顔を上げて僕の動作は完全に停止した。
「あー……、長谷川さん?」
「……? あ、もしかして活動中は図書委員が本を借りるのはダメだった……? それなら、閉館間際でも構わないのだけど」
「いや、そこは別にどうでもいいんだけど。そうじゃなくて、さ」
本を借りること自体は構わない。業務中なんだから仕事に集中しろなんてお堅いことを言うつもりもない。だってそんなことを言い出したら僕が真っ先に注意される側だし。
「それ、借りるの?」
目を眇めてじっと渡された図書の表紙を眺める僕に、どこか落ち着かない様子で窓の外を眺める長谷川さん。
彼女が借りようとした本のタイトルは、『スキップ』。
僕が展示企画に推薦した図書であった。
* * *
『スキップ』は今から二〇年以上も前、僕らが生まれる以前に出版された“時と人”をテーマにした三部作の一作目にあたる小説である。
当然、現在とは時代背景も異なり、舞台描写も現代の日常とはズレている部分もあるけれど、それを補って余りある魅力を持った作品だと僕は思う。
主人公は高校二年生の女の子。
ある日、帰宅した主人公がうたた寝から目覚めると、二五年もの歳月が過ぎ去っていた。
意識は一七歳の女子高生のまま、だが、肉体は二五年後の四二歳。
眠る前までは学生だったのに、起きたら社会人で、結婚もしていて、子供もいて、既に実家は消えて無くなり、居てくれて当たり前だった両親も今は亡い。
そんな主人公が、それでもめげずに生きようと──────。
それが、この本のあらすじである。
僕が『スキップ』を見つけたのは、昨年の夏前。
利用客はおらず、差し迫った仕事もなく、一人っきりの図書室でぽつんと暇を持て余して書架の間をフラフラしていたとき、偶然、目についたのがその本だった。
はじめは暇つぶしに読み始めたそれはしかし、気がつけば僕は物語の世界に引き込まれていて、自分でも驚くほどにのめり込んでしまったのをよく覚えている。
どうしてこの本にそこまで惹かれたのか、その理由は僕自身も杳として知れない。ただ、設定もストーリーも面白いし、読みやすい文章であったからだろうと当時の僕は自己完結した。
「えっと、なんとなく、その、読んでみたくて」
「いや、あの……図書委員がお薦めした本を図書委員が借りるって、なんだかマッチポンプみたいで、ちょっとだけもにょっとすると言うか……」
微妙な気分で眉間に皺を寄せる僕に、俯き気味に目を伏せる長谷川さん。
どうしたものかと思案しながら、僕は何とはなしに本を手に取るとパラパラと適当にページを捲ってみる。
すると、とあるページを流し読みしたときに本を捲る指先がピタリと動きを止めた。
『また来年があるよ』
それは作中の序盤に綴られた何気ない台詞の一部。
主人公もその言葉に納得し、そして────その来年は二度と訪れることは無かった。
「なんて言うか、脇谷君の推薦文を見たら……そうしたら、私もその本を読んでみたくなったの」
僕がこの本に夢中になった理由。
それはもしかしたら、羨ましかったのかもしれない。
それとも、ただ憧れてしまったのだろうか。
どうしようもない現実に打ちひしがれそうになって、それでも目の前の現実で生きていかねばならなくて、そんな状況でも懸命に前を向いて立ち向かおうとする主人公の在り方に、僕はいったいナニを重ねようとしたのだろう。
「……そっか」
僕は長谷川さんにそんな淡泊な返事だけをこぼして、あとは黙って貸出処理をおこなった。
* * *
図書室は
窓の外は薄暮に染まり、既に施錠以外の閉館業務がすべて終わった図書室には僕だけが佇んでいた。
目立つようにカウンター近くに設けられた展示スペース。そこにぽっかりとできた空白を眺めながら、僕はついついぼやいてしまう。
「……はっず」
展示されるべき図書を失った空間に残る推薦文。
簡単なあらすじに、ネットで拾ってきたような差し障りのない本の感想。そして、欺瞞に満ちた美辞麗句で固められた推薦理由と、その末尾に小さく書き足された一文。
────今をがんばろうとする人に読んでほしい。
現実なんて上手くいかない事だらけで、がんばって報われることなんてそう多くもない。
この本の主人公だってそうだ。物語のすべてが大団円であった訳ではなく、苦い現実は容赦なく彼女を打ちのめしている。
それでも、少女は前を向いて、今を生きようと必死だ。
「なにやってんだろ」
それは、どうあっても僕にはできそうにない生き方だ。
目の前に聳える齟齬の壁に阻まれて、何かを達観したように諦めて、幽体離脱のように乖離した自意識をフラフラと彷徨わせる僕は、果たして今を生きていると言えるのか。
だから、僕はこの本を推薦しようと思ったのかもしれない。自分では出来ないことをがんばろうとする人を応援したくて──⋯────いや、待て。僕はそんな殊勝な人間だったっけ? いつからそんな奇特な性格になった。
「……ははっ」
もしかしたら、ここ最近のストレス過多なスクールライフに疲れてしまったのかもしれない。
きっと過労だね。僕が会社勤めのサラリーマンだったなら社畜御用達の産業医面談に行かされた挙句、一分ほどの問診で産業医から『問題なし』と片付けられるレベル。なんだやっぱり健康なんじゃないですかやだー。
「さっさと帰ろ」
使い終わった修正液をカウンターの引き出しに戻して、僕は図書室の電気を消してカチリと鍵をかける。
ほぼほぼ無人の校舎はどんより薄暗くて、暖房の恩恵を享受できない廊下は冬夜に呑まれて冷え切っていた。ペタペタと、たった一つの足音が響く世界には誰もいない。それはまるで、異界へと繋がる迷路を彷徨っているようだと自嘲する。
僕を取り巻く日常は変わっても、僕の過ごす日々は変わらない。
さあて、明日からも程々にがんばるぞい。
────今をがんばろうとする人に読んでほしい。
あとがき
拙作を読んでくれた方、感想や評価、ブクマをしてくれた方、本当にありがとうございました。いつも励みにしています。
色々と作品設定や世界観、文体なんかでご指摘を頂きました。自分でも改めて言われると『確かになぁ』と思わず納得してしまうことがあって、やっぱり物語を創作するって難しいなと日々痛感しています。また、同時に多くの励ましもいただき、とても助けられました。感謝の念に堪えません。
とりあえず、委員長をメインに据えたお話はキリが良いので、第一章というカタチにして完結です。あとは番外編の小話として委員長視点の話を入れようかどうしようかという程度……。
二章以降は別な負けヒロインが主軸になっていく予定です。
できましたら、これからもよろしくお願いします。
【作中で登場した書籍】
・太宰治/著『人間失格』
・フョードル・ドストエフスキー/著『罪と罰』
・北村薫/著『スキップ』