ゴールドシップの理想の三角関係 作:カランコエ(Kalanchoe)
前回投稿が一年以上前ってマジ…?
待っている方がどのくらいいらっしゃるかはわかりませんが、ようやく納得のいく形になりました
中山レース場の控え室。くぐもった大歓声がここまで届く中、俺達二人の間には微妙な沈黙が漂っていた。
無言が気まずい仲じゃない。目の前にいる長身葦毛の愛バとはそれなりに長い付き合いで良好な関係を築いている。こいつがルービックキューブやりながら謎の踊りを踊ってるのを横目で見ながら、気兼ねなく本を読めるくらいには気心も知れている。
ただ、破天荒がウマ娘の形をした(ように振る舞うことでよく知られている)ゴールドシップが、静かに目を
控え室に入る直前のナカヤマフェスタと訳の分からない勝負をし、引退済みのトーセンジョーダンをなぜか煽り、母親になったマックイーンを
「なあ、トレーナー。」
ゆっくりと目を開いたゴルシがこちらを見据える。普段ならポーカーフェイスを貫いている端正な顔が、今は不安に歪んでいる。
「今日こそは、勝ってくるから。」
不安に震える声でゴールドシップは続ける。
「もし、今日も勝てなかったら……」
そこで一旦言葉が区切られ、ゴルシの口から吐息が漏れる。
「……やめだやめだ。こんな湿っぽいのゴルシちゃんらしくねぇ。」
「ゴルシ……」
フルフルと頭を振り、他所行きの
最近のゴールドシップははっきり言って絶不調だ。それで宝塚記念、ジャパンカップと負け続きなのをらしくもなく気にしているのだろう。
ゴルシだって、もうトゥインクルシリーズ五年目の大ベテランだ。とっくに本格化のピークが過ぎていても時期的におかしくない。
だから、俺の見解としては、ついに本格化のピークを過ぎて肉体が衰えてきた結果、絶賛不調気味なのだと判断している。
もちろんこれは
特にゴールドシップというウマ娘はひどく気分屋で、根は真面目な方なのだが、GⅠレースだろうと全くやる気を出さずに走ることだって今まで何度もあった。
それでも、ここ暫くの連敗はゴルシの気分だけが問題ではないと考えている。練習でもタイムは一向に縮まないし、併走でも毎回気分が乗らないと本人は言っているが、その内の何回かは本気で走っているのを見ている。
ただ、ゴルシ本人からは今まで一度たりとも体の不調について相談されたことがない。だから、それが彼女なりの強がりなのか、それとも本当に気分が乗らないだけなのか俺には全く分からない。
だけど、いつだってゴルシは経験不足の俺の予想なんか軽く越えてきた。今回だって、俺の嫌な見解を越える走りをしてくれるかもしれない。
トゥインクルシリーズからの引退はいずれ必ず訪れる転換期だ。それはトレーナーとしてよく分かっている。
そのままレースから身を引いて大学に行ったり就職するウマ娘が大半だが、ドリームトロフィーリーグに移籍してエンタメとしてのレースに身を投じるウマ娘も少なくない。
ゴルシがどんな将来を望むかは分からないが、引退自体に思うところはない。ただ、いつもみたいに面白いことが大好きで、本気のレースを思い切り楽しむゴルシをもう一度見たいだけなんだ。
「ゴルシ……」
ゲートに入っていく赤い勝負服を見つめながら、思わず漏れ出た呼び掛けと共に彼女の勝利を願った。
ガコンと音を響かせ目の前のゲートが開く。
昔のアタシなら音に驚いたり、焦って飛び出たりしたかもしれないが、流石に落ち着いてスタートダッシュを決める。
『16人のウマ娘たちが、今揃った綺麗なスタートをしました!』
逸る気持ちを抑えきれずに前に行こうと脚を動かそうとするけれど、一向に前には進まない。今日は重い出脚の日らしい。こういう時は無理に脚を動かさず、余計な体力を使わない方がいい。後方待機の作戦を選ぶ。
『ゴールドシップ、一番後ろから前の15人を見ながら、今最初の正面スタンド前へと入って来ます。』
第一コーナーを曲がって、先頭はキタサン。そっからアタシは大体10バ身ちょいってとこか?
キタサンは今年の菊花賞ウマ娘だから、コーナーの多い有マの2500m程度じゃスタミナ切れで垂れたりはしないだろう。だから、どこかで仕掛けて最後の直線で間のヤツら全員含めて差し切るしかない。
第二コーナーを過ぎ、向こう正面へ入る。この辺りが折り返し地点。念のためハロン棒を確認してから、ここまで溜めてきた末脚を思いっ切り解放する。
「このレース、面白くしてやるぜェッ!」
狙うは大外。そっから先頭が見えるくらいまで上がって行って、最終直線で勝負だ。それがアタシの勝利の黄金パターン。有り余るスタミナとパワーを活かした一番得意な
『外から一気にまくって来る!ゴールドシップ!』
一人、二人、三人……とごぼう抜きしていく最中、割れんばかりの歓声が聞こえる。
いつものゴルシ様なら不敵な笑みでも浮かべながら走るんだろうが、今のアタシにはそんな余裕はない。
今日こそは勝つ。
半年前くらいから思うように体が動かなくなってきている。踏み込みは前よりも浅いし、末脚のキレも鈍い。売りだった無尽蔵のスタミナも、最近は息切れすることが増えてきている。
調子が悪いんだと自分にも周りにも言い聞かせてきたが、流石に半年近くも不調なんて長すぎる。
本当は分かってる。
遂に本格化の終わりが来たんだろう。
トレーナーもそれが分かっているはずだ。
なのに、"調子が悪い"アタシのためにと気分転換のお出掛けやら面白いトレーニングやらで、家族なんか放っといて毎日毎日ゴルシちゃんに付きっきりだ。
そんなことされたらマックちゃんのためにも、二人の子供のためにも、何よりトレーナーのためにも、勝ってやらなきゃあゴルシちゃんの名が
前走のジャパンカップは本当に調子が悪くて仕掛けることすら出来なかったが、今回はここまでのレース展開も良い。ここからなら十分に先頭まで届くはずだ。
そう自身を鼓舞して、すでに痛み始めている肺を意識の外に追いやる。
『最後の直線に入って来た!先頭は依然としてキタサンブラック!』
地面を蹴っても蹴っても体はちっとも前に進まない。
当たり前だ。昔のような芝を
すぐ目の前に見えているキタサンの背中が遠い。
当たり前だ。末脚自慢の追い込み型の作戦なのに、もう息切れしかかっているのだから。
後ろからは足音がドンドンと近付いてくる。
当たり前だ。アタシが抜かしてきた差しや追い込みのヤツらはちゃんと息を入れて、脚を残してあるんだから。
───ああ、やっぱりな。
負けると分かっているのに、アタシの心は
『今一着でゴールイン!勝ったのは────────』
結局、アタシは8着だった。
悔しいとすら思いもしなかった。
向こう側でウイニングラン中の青鹿毛を見送り、息も絶え絶えな黒鹿毛の後輩を見つけて近寄る。
「ようキタサン、いい祭りになったな!」
凪いだ心のまま他所行きのテンションを作って声をかける。最後の方に少しだけ流して走ったから、アタシ自身の息は整っている。平静を装うのは簡単だった。
「ゴルシさん……! お疲れさまでした、ありがとうございました……!」
律儀にお礼を述べるキタサンは既に深く呼吸をし始めていて、呼吸が整いつつある。
これが今年菊花賞を獲ったウマ娘か。
少しだけ、
「そういや今日はキタサンの親父さんが来てるんだっけか。」
溢れそうな感情に蓋をするためだけに話題を振る。喋ってないと無表情を
「はい。あたしが勝ったらライブやるぞー、って言ってたんですけど……あはは……」
「クラシックで三着なら大健闘じゃねぇか。それにアレ、キタサンの親父さんじゃねぇか?」
ウィナーズザークルの辺り、テレビでも見たことのある大物歌手の男性がマイクを片手に喋っているのが、ここからでも見える。
話が進み、流れ始めるカラオケの音源と共に大量の手拍子が響く中、コブシの効いた歌声が中山のレース場を包み込む。
有マ記念のタイムより少し長いくらいの歌の終わりと共に、割れんばかりの歓声がどこからともなく上がり、レース場が揺れる。
その瞬間に、未練がましく揺れていた心が傾いた。
「──引退だ。」
「え?」
「今日限りで、アタシはレースから引退する。そして来年からはシンガーとして生きていく。」
今思い付いたどうでもいい単語の羅列を、そのまま口から出力する。どうせ意味も脈絡も必要ない。
「うおおおおおっ、そこの歌手のおばちゃーん、弟子にしてくれー!」
目に付いた適当な人を選んで、そっちに突っ込んで行く。どうせアタシのトレーナー以外は付いて来ないし、ウマ娘の前を塞いで来る狂人もいない。ここから離れられれば理由なんてなんでもいい。
「トレーナーさん、い、引退ですって!ゴルシさんを止めなきゃ!」
「放っておこう……どうせ戻ってくるから。」
「あ……そうですね。あたしもそう思いました、今。」
キタサンはもしかしたら追ってくるかと思ってたが、そんな気配はなくて一安心だ。
さてと、残った問題はアタシのトレーナーが迎えに来るまでに泣きそうな顔をなんとかすることだけだな。
「勝てなくて、ごめん。」
担当の赤い勝負服を追いかけ、夕焼けに赤く染まっている波打ち際で、ようやくその赤い後ろ姿に追い付く。その所在なさげな背中から飛んで来たのは珍しくも謝罪の言葉だった。
「控え室であんな大見得切ったのに勝てないなんて、カッコ悪いよな。」
「そんなことない。今日も走ってるゴルシは格好良かった。」
「ロングスパートを仕掛けて、歓声があがった時は自分でもカッコいいって思ったんだけどな……」
普段は背丈以上に大きく見える背中が、今日だけは今にも消えてしまいそうなほど頼りなく見える。
言い様のない不安に襲われ、
「アタシ、引退するわ。」
普通の通りの声音で、だが不自然なほどに顔が見えないままに、ゴールドシップの競技人生の終幕は告げられた。
「……ドリームトロフィーリーグには行かないのか?」
「あそこはルドルフとかオグリとかスペとかのドリームマッチを楽しむところだ。アタシの居場所じゃない。」
そんなことはないと否定するより先に彼女の淡々とした声が二人だけの夜の浜辺に響く。
「一生に一度しかないクラシックとか日本最強を決める大一番で、荒れた内側を走ったり上り坂からスパートをかけたり、バカみたいなことやって、それで勝ちに行くからアタシの走りは面白いんじゃねえか。
ドリームトロフィーリーグで、本格化が終わったアタシで、ファンのみんなが面白いと思ってくれるような走りが出来るとはアタシは思わない。」
キッパリと言い淀むことなく言い切る様から、少なくとも衝動的に引退と言った訳ではなく、かなり前から考えていたのだろう。
なら、俺の方からドリームトロフィーリーグに移籍して欲しいなどと言うのはただのワガママだ。
「……わかった。手続きは俺がやっておくから、ゆっくり休んで。」
「……わりぃな。面倒押し付けて。」
「気にしないでくれ。担当ウマ娘を面倒から守るのがトレーナーの仕事だ。」
「……そっか。」
それっきり人の声はなくなり、さざ波の音ばかりが陽の沈んでいく波打ち際に響く。
不意に赤い陽光に包まれて真っ赤に燃える白銀の葦毛が
「なあ、トレーナー。アタシはもうすぐ担当じゃなくなるけどアンタに迷惑かけてもいいのか?一緒に居て、迷惑かけてもいいのか?」
「一緒に居ても、迷惑かけてもいいんだよ。だって、ゴルシと俺とマックイーンの三人……フーが産まれたから四人か。四人で仲良く暮らしていくんだろ?」
「……そう、だな。」
噛み締めるように同意の声が漏れ、ゆっくりと潤んでいる瞳が閉じられる。たっぷりと時間をかけ深呼吸を行い、再び開かれた
ホッと胸を撫で下ろし、お腹に巻き付く何かと、無重力感を味わい……
「よしっ!んじゃ、帰るか!」
「……えっ、なんで
「今から学園じゃなくて、トレーナーん
「まあ、止めるけど……」
「だろ?おっし!ゴルゴル星からのスプートニク564号帰還を祝して、新年会やるぞ!」
「途中で飲み物とお菓子は買って帰ろうな。」
いつも通りの無茶苦茶な言動に戻ったゴールドシップには先程までの暗い影は差していなかった。
世間を騒がせたゴールドシップの電撃引退、動画投稿者デビューから半年ほどが経ち、トレセン学園からも卒業してしまったゴルシへの世間の注目がすっかり収まったある日。
ゴールドシップは
残されたのは担当トレーナーとメジロマックイーンへのたった四文字のメッセージだけだった。
『妊娠した』