東方彼辺此辺 〜 the Visionary World. 作:香椎
幻想の地
美醜の認識において、私は一般的な感覚からズレている。
テレビやネットなどメディアに露出するタレントは皆一様に不健康体で、肌はかさついており、爪の手入れや化粧などしていない。風呂には入らないし、夜更かしはする。健康に気を遣わないのは当たり前で、むしろそれを美しいとするのが世間一般の認識だ。
元より、平安時代からふくよかな女性が美しいとされていた話がある。そこから時代の変化とともに、健康な女性が多くなるに連れて不健康な女性が好まれるようになったのだとか……。信憑性のない話だが、専門家たちの見解はそうである(諸説あり)。
私はそんな女性たちを醜いと思ってしまうのだ。
物心ついた時からそうで、これからもずっとそうなんだと思う。
両親の容姿を引き継いで得た整った顔立ちと色白い肌。女性とは違い健康体を好まれる男性としては、女性たちの目にさぞ素晴らしい雄に見えたことだろう。小学生の頃から大学生にかけて告白された回数は三桁にも上る。
しかし、残念ながら私は不健康な女性を愛せない質だ。断っては、友人たちから同性愛者だの異常性癖だの色々言われていた。彼らが正常だとするのなら、たしかに私は異常者なのかもしれない。
だからとて、日常が劇的に変わることはなかった。そも、告白される時以外では女性との関わりがまったくない人生を歩んでいた。美醜の感覚以前に、恋愛に興味が湧かなかったせいかもしれない。
そんな私の人生も、波乱な道へと舵を切ってしまったと、私はそう遠くない未来で苦笑を浮かべていることだろう。
×××
木洩れ日に照らされて、私は森の中で目を覚ました。
戦ぐ木々と小川のせせらぎ、小鳥や虫が奏でる自然のコーラス。都市開発が進む街の喧騒は皆無で、世界に自分一人だけのような錯覚に陥る。
「……ここは、何処だ?」
体を起こして辺りを見回すが、視界に映る景色は木、木、木と三六〇度変わらない。何がどうなっているのかさっぱりだ。
未だエンジンの掛からぬ頭を回転させ、状況の把握のため記憶を掘り起こすと、一つだけ思い当たる節があった。
──時は少し遡る。
田舎にある古本屋で見つけた一冊の本。
本、と言えど普段目にする小説や漫画とは異なっており、糸で製本された幾昔か前の土地に関する資料のようだったが、私はその一冊に妙に心惹かれてしまった。
手に取ってパラパラとページを捲っていく。
『っ……』
気がつけば、私はその古本に呑み込まれていた。
一枚ページを捲る毎に、脳内に鮮明に映し出される名も知れぬ土地。
日本の何処かにあるらしいそこは、人のみならず幻想に葬られた種族も住まう、まさに理想郷と呼べる場所だった。
現代社会で培った私の常識が崩れ去っていく。
読めば脳内に渦巻く誰かの記憶。あまりにも鮮烈なイメージは脳裏に焼き付けられて、否定なんてできやしない。これは空想の世界ではないと、心の何処かで確信していた。
立ち読みを続けて十数分、迷惑そうな顔をしたバイト君に申し訳ないと思いつつも最後のページを捲った。
『ん……?』
そこに文章は書かれておらず、代わりにこの著者が落書きしたのか、魔法陣のようなものが描かれていた。
──刹那。
晴天に疾る霹靂が如く、私の躰に何かが駆け巡る。爪先から血管を通る感覚は、やがて脳に達すると私の意識を刈り取った──。
そうして、現在に至るわけだが……。
「ということは、まさかここが……」
必然とその結論に辿り着く。
人々に忘れられた者達が住まう最後の楽園──名を幻想郷。
私はあの古本で思い焦がれた幻想の地へと足を踏み入れていたようだ。
無論、これが私の見ている幻覚や夢である可能性は捨てきれない。と言うよりも、幻想郷へやって来た手段がわからない以上そちらの方がまだ納得がいく。
しかし、それもまた一般的な思考である。
私の常識は古本を読んだ時すでに崩れ去った。幻想郷という練り上げられた空想を盲信し、そんな世界に生きてみたいと、そう本気で思った。それが何の因果か、物体と物体が引かれ合うように、私と幻想郷の間に生まれた引力が私を幻想郷へと引き寄せたのだろう。
元より他人とズレた感覚を持つ人間だ。事態の飲み込みが早さもそうだが、私は他人よりも順応力が高いと自負している。……悪く言えば、危機感の薄い人間ってことだが。
何にせよ、ここが幻想郷かどうかの判断を下すのは後からでいい。今の私がすべきことは安全の確保。そのために人の住む場所を目指さなければならない。
所持品は身に付けた衣服だけ。財布やら携帯やらを詰めていた鞄は見当たらず、現在地も右も左もわからない。
「日が暮れる前に辿り着けるといいのだが」
自然の中で迎える夜は恐ろしい。獣や毒虫は勿論のこと、ここが幻想郷であるならば人外の化物と遭遇するかもしれない。日夜問わず灯りを得た現代人と闇の中に潜む彼らでは、生死を懸けたファイトの勝敗は火を見るより明らかだ。
拾った石ころを片手に、私は民家を目指す道すがら身の振り方を慮っていた。無事人里まで辿り着けばいいのだが。
どれだけ歩いただろうか。
体感で言えば二時間は歩いていると思う。
未だ景色に変化は訪れず、強いて言えば空の色がほんのり焼けてきたくらいだ。
「まずいな……」
森の夜は早い。
短くてあと数十分もすれば辺りは闇に包まれるだろう。
「野宿を視野にいれるか?……いや、慣れない土地でするのは危険だな」
仮に獣に襲われなかったとしても、気温の低下に体力をごっそり持っていかれそうだ。今はそうでもないが、喉の渇きと空腹感も合わされば思い通り動くことはできなくなるだろう。
やはり体力のある今、あるかどうかもわからぬ民家を探して先に進むべきか。
どうしたものかと唸っていると、冷気が漂ってくるのを肌で感じた。
「もう気温が下がり出したのか?にしても、急に寒くなったが……」
可能性として考えられるのは近くに水場があるくらいだ。であれば、水分の問題は解決できる。
どうせ道なんてわからない。
木々の合間を縫って、吹き抜けてくる風の冷気を頼りに進んでいく。
いつの間にか辺りには霧が充満しており、進めば進むほどそれは濃くなっていく。もはや視覚すら頼りにならなくなった頃、私の視界はようやく開けた。
「これは……」
眼前に広がる霧の掛かった湖。あの古本に記されていた通りならば、ここが霧の湖か。
その大きさは霧のせいで不明だが、霧の発生範囲からしてそこまで大きくはないようだ。
しかし、どうだろうか。視界は未だ悪くはあるが、私の瞳ははっきりとある一点を捉えている。
「こんな所に洋館……?」
湖の畔に建てられた深紅の洋館。今までの風景を辿れば、なんともミスマッチで趣味の悪い色をしている。
「しかし、ラッキーと捉えていいのやら……」
今の私にとって九死に一生ではあるが、あの古本にはこの洋館に関する記述は一切なかった。ここ、霧の湖は記録されていたのに、果たしてその畔に聳え立つ存在を記載しないのだろうか?
そも、あの本がいつ書かれていたのかなんてわからない。少なくとも、百年以上前くらいかも……。ならば、地形が変わり景色も変わっている可能性がある。ここからはもう少し、慎重に動くべきだな。
だが、直に夜が来る。
もし、昔と変わらないのであれば、霧の湖から人里までは今来た道を戻ることになるだろう。
しかし、今更戻ることなんて出来やしない。今の私が取れる選択肢はただ進むこと。それだけだ。
「だから、道を譲ってもらえないか」
私の言葉に呼応するように、霧の中から姿を現した狼のような獣。短い耳に背側に湾曲した尾がニホンオオカミを彷彿とさせるが、生命の危機に瀕した今では些細なことだ。
彼らは群れをなし、私を囲むように間合いを少しずつ詰めながら動いている。それを私が目で追って、硬直状態が暫し続いた。
不意に風が吹く。
一瞬、霧が晴れた。
湖の魚が飛び跳ねる音がした。
それが幻想の中で行われる命の奪い合いの、試合開始のコングだった。
あべこべ要素は何処かに消えました( ᐛ )
つづかない