東方彼辺此辺 〜 the Visionary World. 作:香椎
「なんで……」
瞳に涙を浮かべた彼女は絞るように言葉を吐き出す。
「なんで戻って来たんだ……あんた、死ぬかもしれない……いや、死ぬぞ!」
敬語も無くなって、泣き入るようなそのか細い声はやけに俺の耳に響いた。
彼女が誰の為に傷付いたのか。それは他ならぬ俺自身の為。彼女は俺を逃す為に自分と身内を傷付けることを選んだ。その覚悟を無駄にするかのような俺の登場は、彼女の怒りを誘発させるに十分だろう。
それでも来なければならなかった。その選択を無駄にしてでも、自分の都合を押し付けることになろうとも、俺の選んだ道だから。
「君の方こそ死にかけだろ」
彼女の言葉に皮肉に応酬する。
一見して分かる無数の傷。皮膚は裂かれ、火傷を負い、腹には穴が空いている。痛々しい、なんて言葉は出ない。ただ自分の不甲斐無さが招いた結果を、受け止めるしかなかった。
「でも……あんた一人で何が出来るって言うんだ」
彼女の視線の先には、瓦礫の山の上から退屈そうにこちらを見下ろす少女。深紅の瞳から放たれる威圧感に足が竦みそうだ。
彼女の種族は定かではないが、人外であることは確かだろう。恐らく美鈴さんも。
そんな彼女に人間である俺が勝てるか。なんて考えるまでもない。勝てない。勝てるわけがない。未だに彼女に恐怖している俺が勝てるなんて自惚れていない。
「……それでも」
前だけを見据えて、言葉を紡ぐ。
偽善でも、罪悪感でもない。俺が此処に立つ理由は、たったひとつだけ。
「これは、俺が選んだ道だから」
場が静まり返る。
ただ事の顛末を待つ少女と、開いた口を動かせないでいる少女。
暫くの沈黙の後、彼女は何かに気付いたように告げた。
「……口調、変わった?」
「お互い様だ」
その応酬が命の危機に瀕している場面とは思えないほど穏やかで、自然と頬が緩む。
……きっと俺はこんな世界を望んでいた。何気ないやりとりで、心の底から笑える日々を。
その為には倒さなければならない。
理不尽、暴力、災害。そんな言葉が似合ってしまう少女をこの手で。
「話は終わった?」
その一言に全身が強張った。
束の間の
「美鈴、さん?」
「……圭吾さん。私には……私達にはあの子を救う事は出来ません。それはきっと、彼女の狂気を受け入れてしまったからです」
それは懺悔だった。
長い時間同じ屋根の下で暮らし、理解する事を諦めてしまった自分に対する憤慨。彼女の狂気を当たり前の物とし、触れないように過ごした日々への後悔。
そんな話を急にされても、彼女が自分に何を求めているのか理解らない。
「貴方が狂気に呑まれないよう、気を整えました。──お願いです。どうか、あの子を救ってください」
慰めも赦しも乞わず、たったひとつだけ希う。
一切の澱みなく見詰めてくる彼女の瞳が、母親のそれと重なった。彼女らの関係性は定かではないけれど、それでも想う程大切な存在であると認識する事が出来た。
首肯することで話を打ち切り、その手を解いて庇う様に立つ。奇しくも、先程とは立場が逆だ。
「話が長い!」
いい加減痺れを切らしたのか(そもそも待っていてくれた事自体感謝極まりないのだが)、早速とばかりに繰り出されるエネルギーの塊。普段の自分では到底避ける事の出来ない殺意の波紋。だが今は気を整えられたお陰か、或いは集中力が極限まで高まっているからか、紙一重で躱すことに成功する。
「いつまで逃げられるかな!」
再び襲い来る高密度の弾幕。
右に左にと、避ける度に体力が削られていく。このままじゃジリ貧だ。避けてるだけでは、彼女を救うなど到底出来やしない。
だが諦めてなるものか。此処で諦めていては、俺の望む世界など見られはしない。
戦闘の最中、打開策を模索してある一つの可能性に辿り着く。
「っらぁ!!」
善は急げ。無理矢理身体を
彼女も予想していなかった俺の行動に眉を顰めるも、無駄だと言わんばかりに声を張り上げた。
「禁忌「カゴメカゴメ」!」
今までの弾幕とはまるで違う。予め決まっていた軌道に沿うように動く弾幕。
違和感に気づいた時には既に遅く、いつの間にか四方を囲む弾幕。
「圭吾さん!」
「っ!!!」
咄嗟に躱そうと身を翻すも、上手く躱し切れず足を掬われる。お陰で被弾は免れたが、地べたに這い蹲るような体勢になってしまった。
隙だらけでいつでも殺せる状態の俺に、彼女は満足気に笑った。
「あなたにはお似合いの格好ね」
「……俺も、そう思うよ」
彼女の皮肉に対し、此方も精一杯の虚勢で返す。まぁ、本当にそう思ってるんだけど。
地べたに這い蹲って、惨めったらしく泣き喚いて──それでも無様に死ねないのが俺なんだ。
×××
フランドール・スカーレットは困惑していた。
目の前で無様な格好を晒す男。
隙だらけで、簡単に殺せる。だから自分の持つ能力を使って殺そうとした。
でも。
彼は息絶えることなく、歯を食いしばって此方を睨み付けている。
わからない。
何故、彼を壊す事が出来ないのか分からない。
壊そうと何度手を握っても、ただ空を掴むだけ。
「──え?」
しかし、今度は何かを握った感触があった。
いつも感じていた冷たさは何処にもなく、優しい温もりを帯びた何かを握っていた。
フランドール・スカーレットは再び困惑する。
何故、彼が手を握っているのだろう。
何故、彼の手を握っているのだろう。
わからない。
頭が上手く回らない。
わからないから、壊してしまいたい。
でも壊せない。強く握られた手が彼を壊すことを拒んでしまう。
なんで?どうして?
そんな疑問が頭に浮かんでは、
あぁ、ダメだ。壊さなきゃ。早く彼を壊さないと、自分がおかしくなっちゃう。
能力が使えなくとも、たかが人間如きに吸血鬼が負ける筈がない。生まれ持った怪力に任せて腕を、足を、胴体を消し飛ばすだけだ。
そんな簡単なことすら、今の自分には出来やしない。
頭では理解していても、体ではない、心が拒んでいる。彼を壊すなと、頭の中で何かが叫ぶ。
「俺達は同じなんだ……」
物憂げな表情を浮かべた彼は、囁くように告げる。
何を言っているのか理解なんて出来ないけれど、彼の言葉を耳に入れては駄目だと直感で理解した。
急いで突き放そうとするが、それも彼に抱きつかれて叶わない。
「誰からも理解されない。理解されても、受け入れられるか分からない。拒絶されるのが怖くて、勝手に諦めて、孤独を抱えて生きる。俺はそういう奴
本来ならば意味を成さない拘束、簡単に抜け出せる。それこそ、力任せに振り解けばいい。壊すわけじゃないのだから、それが出来るだけの力はある。
でも、その拘束からは逃れられない。囚われ続けている自分には解くことが出来ない。
「手を差し伸べてくれる人は身近にいた。孤独だったんじゃなく、孤独であろうとしただけなんだ……もっと早く気づくべきだった」
優しく、心を溶かすように、彼の言葉はすぅっと耳に入って来る。
「なぁ……」
逃げなきゃ。
その先を聞いたら、私が
それはダメだ。それだけはダメなんだ。じゃないと、私、私──
「もう自分に嘘をつくのはやめてくれ」
全身から力が抜けていく。
壊れていった。今までの自分が全部全部、壊れていった。
それもこれも、全部コイツのせい。壊せないコイツが、全部壊していったんだ。
もう泣かないって決めたのに。独りでいいって、思ったのに。
──吸血鬼の弱点である雨は暫く止みそうにない。ならばそれまで待っていようか。