TS少女の贖罪~女になった逆行元勇者は、勇者パーティーの一員として死に物狂いで戦う~   作:恥谷きゆう

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89 バッドエンドの記憶 魔王との戦い

 忘れもしない、恋人だったオリヴィアを看取った後のことだ。未来において魂だけになった尚俺を助けてくれた、優しい彼女が、俺を庇って倒れた時。

 

 死にゆくオリヴィアは、血の気の引いた唇で、俺に言葉を遺した。

 

『……私はもうここまでのようですが、魔王はもう、すぐそこでしょう? ……終わらせてきてくださいませ、私の勇者様』

 

 その言葉を胸に大事にしまった俺は、すぐそばで待ち構えていた魔王に挑んだ。

 これは、大事な一人守れなかった俺が宿敵に挑んで、無様に負けるまでの過程、それを思い出す夢だ。

 

 

 

 

「終わらせる……終わらせる……この戦いを、終わらせる……」

 

 それだけを自分に言い聞かせて、俺は歩き続けていた。最愛の人を失った今の俺にとって、自分の足を支えるものなどそれしかなかった。大切な人を守れなかった情けない自分に、ただ一つ残ったもの。

 満たされていたはずの心にはぽっかりと大穴が開いたようで、歩くことすらひどく億劫だった。

 オリヴィアが何も言葉を遺さなかったなら、きっと俺はあの場に座り込んだままだっただろう。

 でも、彼女は俺に告げた。終わらせて欲しいというただ一つの願いのために、俺は歩き続ける。

 思い返せば、それは祝福のようであり、呪いのようでもあった。

 

 

「グオオオオオオ!」

 

 思考する俺の目の前に、魔物が現れた。屈強な巨人族。魔王軍の中でも主力級の強力な魔物だ。俺の進む道を塞ぐように立ちふさがるそれに、俺はひどく苛立った。

 

「どけえええええええ!」

 

 怒りを力に変えて、俺は聖剣を高々と構えて突撃した。

 

「オオオオオ!」

 

 巨人族は棍棒を構え、俺を迎えんとする。明らかに体躯で負ける相手。けれど俺は、真っ正面から突撃した。

 

「はあああああああああ!」

 

 棍棒と聖剣が正面から衝突する。凄まじい衝撃と共に、聖剣の倍はあろうかという大きさの棍棒が、真ん中のあたりから真っ二つになった。

 

「グオ!?」

「死ねっ!」

 

 自慢の棍棒が打ち砕かれ動揺する巨人族に、俺は聖剣を突き刺した。

 

「オオォ……」

 

 巨人族の体は、ぐらつくと、そのまま地面に倒れ込み轟音を立てた。強敵を倒せたにもかかわらず、俺の心は晴れないままだった。

 違う。こいつじゃない。魔王を、魔王を殺して終わらせなければ。

 再び、歩き出す。執念に燃える俺には、もう先ほど倒した巨人族のことなど頭になかった。

 

 

「これはこれは勇者様。ご機嫌うるわしゅう」

「……お前が、魔王か」

 

 俺は最初、それが目の前にいることに気づかなかった。強大な魔物ほど、図体がデカくなる。そのセオリーを裏切るように、魔王の見た目は人間と変わらないように見えた。

 

「いかにも。私こそが、貴様と同じように神の代行としてこの世界での役割を与えられた十代目の魔王だ。貴様が死ぬまでの短い間だが、よろしく頼むよ」

「余裕だな。俺は、お前を殺しに来たんだぞ」

 

 余裕綽々という態度は、今の俺にはひどく不愉快だった。コイツの仕掛けた戦争のせいでオリヴィアが死んだというのに、なにをのうのうと生きているのか。

 威圧を籠めて言い返すが、魔王はあくまで悠然とした態度を崩さなかった。それどころか、こちらを挑発してくる。

 

「ああ。なにせ恋人一人守れない腑抜け相手だからな。気も抜けるというものだ。──なんだ、勇者とはこの程度か、とな」

「ッ、貴様あああああああああ!」

 

 ちょうど、空洞だった心にハンマーでも打ち付けられたようだった。俺の犯してしまった過ちを指摘された俺は、考える間もなく魔王へと突撃していた。こんなにも心が怒りで満たされたのは、これが初めてだった。

 

「ッ!」

 

 力いっぱい聖剣を振り下ろすと、伝説に謳われる魔剣が迎え撃ってきた。固い。岩壁にでも剣を叩きつけたように手が痺れる。

 素早く下がり、俺は少し冷静さを取り戻した。

 こいつは今まで戦ってどの敵よりも強い。様々な手を試さなければ。

 

「『光よ!』」

 

 飛び出した光弾が、魔王の目の前で爆発した。事前に目を瞑っていた俺にも感じられるほどの眩い光。魔王の視界を奪ったことを確信した俺は、再び聖剣を手に斬りかかる。

 

「『壊れろ』」

 

 不気味で、聞きなれない詠唱だった。魔王が短く呟いたかと思うと、途端に何かが爆発したような音がした。一瞬、変化がないように見えて、俺は魔王が狙いを外したと思った。

 しかし、走る俺の左腕に、信じられない痛みがあることに遅れて気づく。

 

「アッ……あああああああああ!」

 

 左腕が、肘のあたりから捻じれていた。あり得ない方向に曲がった肘から皮膚が割け、血が流れ出す。よく見れば、赤の中に骨の白が垣間見えていた。自分の体とは思えない惨状に、思わず目を逸らす。

 

「おお、勤勉な勇者様はわざわざ学院で魔法を習得したと聞いたが、今のも防げないのか。たかが知れているな」

「──なぜ、それを」

「よっぽど、教える者の腕が悪かったのだろうなあ」

 

 にやにやと、魔王は問いかけてくる。まるで、俺に魔術を教えた師が誰なのか分かっているように。

 

「ッ! オリヴィアを、馬鹿にするなあああ!」

 

 片手で剣を振り下ろすが、もはや打ち合うことすら叶わなかった。魔王は軽く身を捻ると剣を躱し、俺の腹を強烈に蹴り上げた。

 

「ごほっ!」

 

 体の中心に大穴でも空いたような衝撃だった。嘘みたいな量の血反吐が出て、地面を汚す。

 痛みに力が入らなかった。俺はなすすべもなく、地面に倒れ込んだ。

 

「ハッ……ハッハッハッ! その様子、情けない貴様では、しばらく立ち上がることすらできるまい」

「ま、だ……」

 

 血の味でいっぱいの口からは、掠れた声しかでなかった。

 

「ああ、そう無理をするな。せっかくの機会だ。私と話をしようじゃないか」

「カッ……話……?」

 

 お前と話すことなんてない。そんな言葉も出ないほど、今の俺は消耗していた。

 

「そうだ。十代目の勇者。人間を越えた力を持つお前ならば、常人とは違う視点を持てるのではないか? たとえば、本当に人間に守る価値はあるのか、という疑問とかな」

「なぜそんなことを……」

 

 どうして、今から人間を滅ぼそうとしている奴からそんな言葉が出たのか、俺には分からなかった。

 

「私はな、疑問だったのだよ。貴様は使命と共に力を得た。人間の手には余るような、凄まじい力だ。只人にはお前の行動を止められない。制止できない。それなのに、お前は人間を守らんと努力している。なぜ貴様は、醜い人間を守るのだ?」

 

 魔王は、人間を醜いとハッキリ言った。その言葉の根底には、揺るぎない確信があった。

 でも、俺はそうは思わない。

 

「醜くなんてない……! 俺にとって、大切な人たちだからだ……」

 

 優しい人がいた。優しくない人もいた。尊敬できる人がいた。尊敬できない人もいた。そして、誰にでも人間らしく生きる権利があった。俺はそう信じている。

 

「では! お前の大切な人が死んだあとなら? 尊敬できる人間がいなくなった後なら?  現にお前は今、大切な人とやらを亡くしたばかりではないか」

「ッ!」

 

 その一言に、俺の心は大きく揺れた。そうだ。俺に大事なことを教えてくれたオリヴィアは、もういない。

 それでも、まだ守るのか? 俺を馬鹿にしていた伝統派の奴らを? 平民の俺を見下し続けていた騎士たちを? 救われるばかりで何もしてくれない平民を? 

 少なくない年数を繰り返してきた俺は、人間の醜い面をいっぱい見てきた。

 それでも。

 

「……確かに、人間には醜い面もある。人を蹴落とすことも、騙すことも、足を引っ張ることもある。それでも! 俺は人間の善性を信じる! 醜い奴らのために、無実の人を守ることをやめることはない!」

 

 人間には希望がある。そのことを、他ならぬオリヴィアが教えてくれたのだ。戦いの日々を繰り返し心が擦り減っていた俺に、本当に素晴らしい人間とはどういうものなのか教えてくれた。──だから、彼女の最期の願いは絶対に叶える! 

 

「あああああああ!」

 

 動かないはずの体を動かすと、痛みで意識が飛びかけた。しかし、聖剣だけは手放さないように右手をきつく握りしめていた。

 がむしゃらに、剣を振る。彼女から受け取った想いだけを糧に。最期の願いを叶えるために。

 でも、現実は俺に冷たい事実を突きつけた。

 

「がっ……」

 

 魔王は俺の必死に振った剣を軽く避けると、魔剣で斬りつけてきた。避ける余裕すらなく、俺の右腕は切断された。

 

「う、あああああああ!」

 

 腕を失う感覚は、何度味わっても最悪だった。絶望的なまでの痛みと、もう戦うことができないという絶望感に苛まれる。今の俺の負傷では、もはや剣を握ることすら叶わなかった。

 

 今度こそ、俺は痛みに立ち上がることができなくなった。右腕を失った俺はバランスを崩しながら倒れ込んだ。

 自分の体を支えることすらできず、地面に這いつくばる俺に、魔王は嬉しそうに問いかけてきた。

 

「それで、その役にも立たない理想論は世界を変えることはできたのか? 貴様は今、地面を舐めているようだが」

「ァ……」

 

 背中に押し付けられる魔剣の感覚に、俺は呻くことしかできなかった。もう、自分の考えを口に出す気力すら湧かなかった。

 倒せなかった。終わらせることができなかった。オリヴィアの最期の願いを叶えることができなかった。その事実が胸にずっしりとのしかかり、自分の不甲斐なさに死んでしまいたい気分になる。

 

 ごめん、ごめん、ごめん、ごめん。

 ごめんオリヴィア。恋人の最期の願いすら叶えてあげられない、勇者失格の人間でごめん。

 心の中で、意味もなく謝罪を繰り返す。もう、彼女はいないのに。

 深い喪失感の前には、もはや涙すらでなかった。ただ絶望的な事実だけが突きつけられて、自分が今どうして生きているのかすら分からなくなる。

 

 物言わなくなった俺に、魔王が上から語り掛けてくる。静かに、重々しく。

 

「本当に人間が善性に溢れ、正しく、素晴らしい存在だったのなら、貴様は人類を滅ぼさんとしている私を打倒しているはずだ。──だからな、人類。人生は醜くて、救いなんてない。そのことを証明するために、今から私が人類を滅ぼす。勇者という名で呼ばれる貴様は、一足早く地獄で待っているがいい」

 

 それっきり、俺の耳にはなんの音も聞こえなくなった。けれど、魔王の最後の言葉だけはいつまでも耳から離れなかった。

 




ここから最終話まで毎日更新です
是非、最後までお付き合いを

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