ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
気が付けば連載期間も2年を超え、月日の経過に驚いております。
最初は絶対に無理だと思っていた週刊連載でしたが
魅力ある原作の存在や皆様の感想、誤字報告などに助けられならが何とか続ける事ができております。
これからも週刊連載を持った心持で頑張っていきます。
「ほんなこつ大丈夫か?」
モリア王はルファス・マファールの提案に驚愕を浮かべながら聞き返していた。
プランの蘇生作業が思うように進まず、頭の片隅で潮時だなと考え始めた頃にルファスは彼に声を掛けたのだ。
真っ赤な瞳を時折蒼く輝かせたルファスは普段彼女が浮かべているモノとは違う、余裕に満ちた大人の様な笑みを顔に張り付けながらモリアの言葉を肯定した。
「問題ありません陛下。
私のレベルは800。更には彼より様々な知識を分け与えられております」
「だが血液ん型だけやなか。保持しとるマナ属性も問題となるやろう」
モリアの疑問と質問は最もであった。
ルファスの提案とは、プラン・アリストテレスに己の血を輸血するということであった。
彼女のレベルは幾度も繰り返した通り800であり、血液にも強くマナが宿っている。
まずプランの中にルファスの血液を送り込む。
ソレを媒介に【錬成】を発動させて彼の身体を内側から作り替える。
かつてベネトナシュを一から作り替えた時と同じような事を今度はプランの肉体で行うのだ。
そうやって呪を抑え込み、蠢くアンタレスを鎮静化させるというのが彼女の計画であった。
更にはそのまま容態が安定すれば義手の再接続さえもルファスはこなすつもりである。
義手を繋げる為に既に骨や筋肉を削ってしまった以上、今更なしはもう出来ないのだ。
ここで止めてしまったらそれこそ永遠にプランは右腕を失うことになるかもしれない。
更には不幸中に幸いというべきか、彼が臨死状態である今だからこそ腕を魂レベルで繋げる事は容易になっているだろうとアリストテレスは考えていた。
モリア王が思わず考え込んでしまう程に突拍子もない話であった。
輸血とはただ単純に他者から他者に血液を流し込むような作業ではない。
血液型やら、体質やら、更にはその者が保持するマナの属性なども密接に関わってくる繊細極まりない概念なのだ。
それらを全部無視していきなりぶっつけ本番で実行する?
とんでもない狂気でしかない。まず間違いなく死ぬだろう。
普通ならば笑い話にもならない世間知らずな子供の戯言として流していた筈だ。
プランがルファスという少女にとってかけがえのない存在であり
何としても助けたい気持ちは判るが、それは無理な話だと説得するのが普通だ。
だが、今のルファスは先とは決定的に違っていた。
まるで親の仇に対するかのような苛烈な憎悪を叩きつけていた彼女と目の前の少女は顔こそ同じだが、別人としか言いようがない。
ルファスは薄っすらと優雅に微笑みながらモリアの抱く疑問に淡々と返答を開始した。
背後に黒板でもあれば、彼女はきっとチョークを手に図解を描き出していたかもしれない。
彼女の言葉には奇妙な自信と圧があった。
モリア王をして喉を鳴らす程の。
「陛下の懸念は最もでございます。私と彼では血液型も保有する属性も違いますからね」
「しかし属性の件でしたら幸いな事に完全に相克の関係ではないのです」
代表例として挙げるのであれば木は土に強く、土は水に強い等と言った概念が相克だ。
簡単に言えば強く反発しあう属性でありもっと庶民的な言い回しをするのであれば水と油とでもいった関係か。
プランの属性は「月」でありルファスは「日」である。
相克の関係でありながら相生でもあるという珍しい関係の属性だ。
昼と夜、光と闇とも称されるこの二つの属性であるのならば、やりようはあるのだとルファスは真っ赤な瞳の中に蒼を宿らせて語る。
「もちろん簡単とは言わないでしょう。
少しでも加減を間違えれば一瞬で当代……いえ、彼の身体は砕けるでしょう」
「属性については判った。
じゃんが血液型はどうするったい? こりゃあっかりは変えようがなかぞ」
モリア王の意見は至極当たり前だ。
属性がどうにか出来たとしても、抗原云々は変えようがない。
それこそ、外部から作り替えでもしない限りは。
で、あるのならば作り替えてしまえばいい。
ここはミズガルズ。
魔法と天法が存在し、更には【錬成】という摩訶不思議な奇跡が許された女神のおもちゃ箱なのだから。
ルファスはウィンクしながら言った。
「【錬成】を使います。
なに、魔神族を分解した時やこの街を設計した時に比べれば簡単な作業ですよ」
ハハハと気楽な様子でルファスは彼女のモノではない笑みをこぼす。
あらゆす所作が違う彼女はもはや隠すつもりもないのだろう。
「……おみゃっさん」
違和感の正体に気が付いたモリア王はルファスのからかうような発言にようやく確信を得たのか顔を顰めた。
この薄気味悪さ、底知れなさを彼は代々受け継いできたドワーフ王の先祖から聞いている。
彼の前の王も、そのまた前の王も、王として即位したときに必ず先代から贈られる言葉がある。
アリストテレスとは敵対するな。
奴は我々の全てを知っている。
奴らとは近づきすぎず、離れすぎない距離で接しろ。
深入りしても碌な事にはならないというありがたい教えに込められた真意を理解したモリアは、目の前のルファスを見て複雑な感情を抱くのであった。
竜王やら魔神王やら脅威の多いミズガルズにおいて、アリストテレスもまたその一角に名を連ねかねない危うさがあると彼は思ったのだ。
恐ろしい程に高効率で自分の血液が変換され、特殊な浄化装置のついたゴーレムを経由してからプランの中に輸血されていくのをルファスは見ていた。
今の彼女はさながら舞台を鑑賞する客席に座っているようであった。
身体の支配権をアリストテレスに一時的に明け渡した彼女に出来る事は何もない。
腕に繋がれたチューブから流れ出ていく血液と熱を感じつつルファスの意識は座っていた。
自分の唯一ともいえる取柄である高レベルの肉体の性能を、プランの中に居る何者か達が引き出して使用しているのを見ているだけであった。
実際、これは最高の選択肢といえた。
これから何百年生きてもたどり着けるかどうかという極まった領域で【錬成】は行使されプランへの治療は迅速に行われている。
血液型やら属性やら、そんなもの全てを悉く書き換えていく圧倒的な技量を目の当たりにしたルファスは瞬きさえ出来なかった。
無力感に襲われてはいる。
だが、それよりもこの素晴らしい技能をどうにかして自分も手に入れられないかと思っていたのだ。
彼女はルファス・マファールである。
己の無力を嘆く位ならば更なる向上心を以て己を高める事を優先するのが彼女だ。
しかしレベル800にして規格外の学習能力を持つ彼女をしても今のアリストテレスが何をやっているかは殆ど理解できない。
次元が違う技量は今の彼女では足元を拝むことさえ許されない。
だが、手段がないわけではなかった。
【一致団結】による繋がりから彼らが何をしているかの情報を得つつもまだ接続が浅いと彼女は感じていた。
(出力を上げ続けると危険なんだな)
ルファスは推察する。
あのプランがやることだ、必ず何か意味があるのだと。
これほどに便利なスキルだ。
当然の話としてデメリットもある筈だ。
例えば、深すぎる程に団結させてしまうと、片側か、はたまた双方に何らかの危険があるとか。
(……いや“壁”は何時だってあった。スキルだけの話じゃない)
今までの彼との会話を思い出す。
プランは徹底的に自分の事を隠し続けていた。
命の危機が迫っている事さえも。
─────。
いつもそうであった。
プランが【一致団結】を自分に使う時は、必ずどこかしらに壁が存在していたことを彼女は知っている。
レベル上限の様に絶対に乗り越えられない拒絶の壁が彼と自分の間にはいつもあり続けた。
【一致団結】だけじゃない。
いつもプランは自分との間に決して壊せない壁を作り続けていた。
どれだけ傷つこうと助けの声一つ上げない程に絶対的な壁を。
「…………」
しかし今やプランの意識は臨死の深き眠りに落ちている。
絶対的な防御壁は今はなく、今ならば【一致団結】による繋がりを応じてさらに深く彼に潜る事が出来るだろう。
今なら出来ると彼女は理解している。
いま、この糸を手繰り寄せればもっと深く彼を知る事が出来ると。
それは恐ろしく魅力的で耐えがたい誘惑であった。
悩む。
知りたい。
彼を助けるためには彼の事をもっと深く知らないといけないという大義名分。
……本当の事を言ってしまうとルファスは単純にプランの事をより多く知りたいだけであった。
謎が多く、理解の外にある術を使いこなす男の秘密を彼女は知りたくてたまらない。
5年も一緒に居て彼のことを何一つ知らない自分が嫌であった。
だが同時に抵抗もあった。
語りたがらない事を無理やり掘り出すのは良くないという人としての当たり前の躊躇である。
何よりそんな事をしてしまって、今のこの関係が壊れるのが怖かった。
ルファスはプランを失いたくない。
彼の隣という最高の居場所を無くすのは絶対に嫌だった。
だからアリストテレスが一歩を踏み出した。
当代のいない今だからこそ見せられるモノが多くある。
プラン・アリストテレスは間違いなく優秀ではあるが、今はつまらない事をしていると彼らは思っていた。
明らかな非効率。
たかが竜王を打倒した程度で己の命を終える?
冗談じゃなかった。
何より彼のやり方はフェアではない。
ルファスがどういう選択をするにせよ、前提となる情報/条件は提示しておくべきだ。
兎の孔に転がり込んだ少女にアリストテレスは選択肢を与える事にした。
※ これは最後のチャンスだ。先に進めばもう戻れない。
誰かの声がルファスの脳裏に響く。
滔々と続く声はまるで長い年月を過ごした賢者の様であり、世界に疲れ果てた老人にも思えた。
「……………」
少女は黙って話を聞く。
また一つ、自分の前に重大な選択肢が現れたのだとルファスは悟っていた。
いまこそが、この場所こそが、永遠に自分のこれからを変えうるのだと。
ルファスの前に二つの飴が現れた。
一つは真っ赤な飴玉。ルファスの眼の様であった。
一つは青い飴玉。プランの眼と同じ色であった。
ふわふわと少女の前でソレは浮いていた。
※ 赤い飴玉を選べばこの話はここでおしまいだ。
※ とりあえず当代は助かるだろう。私達も二度と君に干渉しないと誓おう。
※ 君はお母さんと平和に過ごせるし、彼が居なくなった後も永遠に何一つ不自由なく生きていけるだろう。
映像が浮かぶ。
カルキノスやアリエス、母と共にリュケイオンで末永く平和に暮らす自分の姿が。
この映像の中においてルファスは恐らくアルケミストとして武器や薬を売る事を生業にしたらしくとてつもない財産を築いていた。
その資金でリュケイオンはとてつもない発展を遂げ、今やルファスはちょっとした女王の様であった。
数多くの混翼が彼女に付き従っている。
どうやらあのルファスは己と同じ様に翼で苦しんだ者たちを纏め上げ、導く事を選んだのだろう。
愛する母が笑っている。
何も困りごとなどない顔で。
ましてやボロ小屋の中で命を終えるような事などありえない程に恵まれた環境で。
何て素晴らしい未来。
いつか母にしたかった親孝行の光景。
ヴァナヘイムで幾度も夢想した理想の世界であった。
少し前までのルファスであったのならば一も二もなく飛びついていただろう。
ルファスは一瞬だけその世界を眩しそうに見つめた。
何も知らず生きていく。きっと彼はソレを望んでいる。
今までがそうであったように、プランの行動方針はいつだって自分から世界の汚い側面を遠ざけようとしてくれたのだから。
本来ならばジスモアが行う筈だったソレを彼はルファスにしてくれていた。
遠くから羨ましく眺めていた自分には縁のない筈だったモノを与えてくれた。
それがどれだけルファスの心を満たしたか、きっと彼にも判らないのだろう。
「ありがとう。貴方の気持ちは凄く嬉しい」
「……本当に、貴方がそうであったのならよかったのに」
微かな願望を最後に小さく零してしまう。
最初から彼が“父”だったらもっと世界は単純だったのにと。
「だけど、私は……知りたいんだ」
ここにはいない今は蘇生作業を行われているプランに声をかける。
現実世界においての作業は順調の様で、血を媒介に彼の心臓を始めとした多臓器にショックを与えて再稼働が試みられている。
ドン、ドンと何度も刺激を与えられるたびに痙攣するようにプランの身体は跳ねあがっていた。
※ 蒼を選んだのならば、我々は君を真実の穴底に招待しよう。
P───という耳障りな音が消え去り、心臓の鼓動が却ってくる。
ひとまず死は回避できたようでルファスは胸を撫でおろした。
ルファスは迷うことなく手を伸ばす。
青い飴玉を掴むと口の中に放り込んだ。
※ 見せるのは真実だけだ。
アリストテレスの無機質な声を最後に【一致団結】の出力が上がり、ルファスとプランの間を隔てていた境界線が淡く揺らいだ。
プランの中を巡る血液を媒介にして情報が混ざり合い始める……。
その男を初めに見た感想は冴えない奴だった。
青年期を少し過ぎた年齢の男はこれまた覇気のない笑顔を浮かべていた。
ぼさぼさの黒髪に少しだけこけた頬をした男を勇者だと言われても誰も信じられないだろう。
それは千年以上も昔。
アリストテレスがまだ女神に仕えていた頃。
とある国が召喚した勇者であった男は人々が想像する様な王子様然といった姿などしておらず、どちらかと言えばそこらへんの一般人としか言えなかった。
実際彼は元の世界ではただの一般人だったらしい。
【日本】と言う国から呼び出された彼は過酷な労働に身を置く一般人であり、特に胸を張って誇れる長所はない男だった。
あえて言うなら勇者に選ばれるくらいの善性といったところか。
当然その国はがっかりした事だろう。
見目麗しいとまでは言わないまでも覇気に溢れた年頃の人間が呼ばれるかと思えば出てきたのは草臥れた男なのだから。
きっと口には出さないまでも露骨に態度には出てしまったのだろう。
追い出されるように彼は国を出て旅をしていると語った。
勇者としての特性でレベルの上がりやすさなどもあり、一応は生きていけるだけの力を手に入れたようであった。
そう。それだけの男だったのだ。
本当に善性で、何処にでもいるようなただの。
彼はハハハと苦笑しながらアリストテレスに己のいきさつを語った。
何をとち狂ったか光の妖精姫ではなく女神の聖域に訪れた奇妙な男の相手を聖域の乙女から当時のアリストテレスは任されたのだった。
貧乏くじを引かされたという思いがなかったと言えば嘘になる。
本当に勇者らしくない小心者の男は縮こまる様に椅子に座り、苦笑していた。
アリストテレスは問う。
「この世界をどう思う?」と。
歓迎もされず、期待もされない世界を救えるのか? と。
確か彼はこう答えた。
忘れられないのだ。
何代を重ねても、あの男の言葉が。
『どうやら俺は外れだったみたいでして……ははは、自覚はありますよ』
『でも、困ってるんでしょう? いいですよ、やってみます』
『ないないづくしの俺だけど、人助けだけは好きなんです』
何回か詐欺にあって賠償金取られた事もあるんですけどねぇと何事もないかの様に虚無的に勇者は続ける。
前の世界でもよくボランティアに出てたんですよと告げると彼は胸ポケットにしまっていた財布から古ぼけた精巧な絵──「写真」とやらを取り出す。
そこに映っていたのは笑顔の男と彼の仲間たち。
何らかの災害で埋もれてしまった街を復興した後の様で誰も彼もが泥に塗れてはいるが、それでも復興への強い意思を瞳に宿していた。
───きっと、俺が最後じゃないんだろうな……。
───帰れないかぁ……。
恐ろしい程に諦観の籠った声だ。
労働ばっかりで、碌に休みも取れない故郷ではあるが、嫌いではなかった。
そう……勇者でも何でもないただの人生を彼は愛していた。
そして前の世界による経験によって多くの事を俯瞰的に見られる彼は多くの事に気が付いていた。
一応の高等教育を受けていた事もあり、彼はミズガルズを客観的に見て理解してしまった。
悟っていた。
即ち、全て茶番なんだなと。
余りに出来が良すぎる。
世界の敵に、それに対抗する光の妖精姫?
歴代の勇者による一時の平穏?
何だこれは、何回同じことを繰り返しているんだ。
アリストテレスは知っていた。
全ては女神の一人遊びだと。
その上でそういうものだと割り切っていた。
乙女は己たちこそが盤面の外にいる指し手だと自負しているが、結局は何も変わらないと最初の彼は思っていた。
しかし聖域の乙女ほどの狂信ではないものの、彼もまた女神を信仰していた。
この世界を運営するにあたり勇者という人柱が必要で、成功するかどうかはともかく必要な犠牲だと当時は信じていた。
……………。
逃げてしまえばよかったのだ。
勇者としての力をもって、気ままに生きればミズガルズはそれなりに楽しい世界になるだろう。
少なくとも前の世界で寝る間も惜しみ、身体を壊しながらも労働に追われているよりはずっと。
だが彼は勇者である。
ミズガルズの理不尽と苦しみを旅をしながら見てしまった。
どれだけ振り払おうと終わらない死と苦しみの螺旋を見て見ぬフリするほど彼は終わってはいない。
逃げずに戦って、戦って、そして呆気なく死んでしまった。
歴史に名を残せない勇者の典型的な最期であり、珍しくもない。
勝てない程に強い魔物が小さな村を通りがかろうとしたのを阻止しようとしたらしい。
魔物は撃退できた、村は守れた、犠牲者は勇者だけであった。
ポルクスにも出会わず、彼女の基準においても“偉業”を果たせなかった彼は英雄として登録はされない。
何の関係もない異世界の人間を騙した挙句、その死後さえも勝手に己の主観で選別してコレクションするポルクスをアリストテレスは快く思ってはいない。
お前は何様のつもりだ、自分の手足を動かした事もない愚図がとさえ思っている。
全ての勇者は例外なくミズガルズの歴史に名前を残す?
そうだ、成功した者は例外なく残されるだろう。
だがしかし彼の様に死んでしまう者は決して少なくない。
そういった失敗者は元よりいなかった事にされる。
呼び出した国家の威信に傷がつく上に民衆の不安を高めるだけだから。
地図に載ってさえいない小さな村だ。
そんなものを守ろうとして勇者は死んだ。
そしてそんな結果さえももみ消されてしまった。
アリストテレスの中で何かが軋んだ。
元々彼が抱いていた言語にしづらいミズガルズへのナニカが致命的に発露した瞬間はここだった。
知識としては知っていた。
だが、死する者を見送ったのは初めてだった。
何も知らない無垢な者であったのならばまだ救いがあったかもしれない。
だが、間違いなくあの勇者は全て知っていた。
判った上で、その上で命を差し出したのだ。
たかが30人ちょっとしか住んでいない辺境の村の為に。
(………………………)
ルファスは何も言えない。
ただ一言だけ思う。
誰かに押し付けられるだけの役割など捨ててしまえばよかったのに、と。
ふと脳裏に浮かんだのは己に宝玉を託してくれたナナコの顔。
きっと彼女なら大丈夫だとルファスは何度も己に言い聞かせた。
まずはプランだ。彼を救った後に考えようと頭の片隅に追い払う。
その本能の名前を彼女は知らない。
こんなものはただの正常性バイアスでしかないのだ。
そうですか。それで、他に何かありますか?
勇者が死んだと告げられた時、乙女は顔色一つ変えなかった。
まるで今朝の瓦版の隅っこに書かれていた小さな記事を読んだ程度の如き反応だ。
当時の聖域を守護する聖女の反応は本当に素っ気ないモノであった。
此度の勇者は華がないということもあり、どうやら彼女はあの勇者を嫌っていたようだった。
彼女とアリストテレスは始まりの人類アイネイアースの直系、他の者とは根本的に違う。
勇者こそが女神の代行者だと思われがちだろうが、実際はあんなものはただの駒でしかないと乙女は心底思っている。
自分たちこそが本物であり、あんなもの幾らでも替えが利くのだ。
即ち、自分たちこそが女神の計画を滞りなく運営するための神の見えざる手である。
女神の真意を知り、目的を把握し、その為に動き回る代行者だと乙女は自惚れていた。
彼女がよく口にした言葉をアリストテレスは覚えている。
『自分達は他の下賎な民とは違う』
『神に見出され、認められ、そして女神に惜しむ事のない愛と忠義を捧げる神の僕なのです』
─────本当に? 本当にそれしか思わないのか?
アリストテレスは淡々としながらも不機嫌さを隠せない様子で続ける。
ルファスをして寒気が走るほどに冷たく深い怒りの宿った声。
人はここまで怒りを抱けるのかと思う程にその感情は重く深い。
乙女はきょとんと頭を傾げた。
彼女は本当に何故アリステレスが怒っているのか判っていないのだ。
それでいて困惑している。
この乙女にとってアリストテレスはミズガルズにおいて数少ない同胞であり、少しばかりの気持ちを寄せる相手でもあったのだから。
女神の聖域は基本的には閉鎖空間である。
故に、血を繋ぐために血縁同士で交配をするのなど珍しくもないのだ。
事実、彼女とアリストテレスは近くはないがそこまで離れてもいない血縁関係がある。
乙女は瞼を閉じて考え込む。
どうすれば彼の怒りを解消できるか考えていた。
それは死んでしまった勇者を弔うための行為ではなく、淡い想いを抱く相手の気を惹く為だ。
そうして出てきた言葉がこれであった。
世界を何一つ知らない乙女の純粋無垢な信仰心が凝縮されたセリフである。
勇者なんて幾らでも代わりがおりますわ。
“あなたを主役にしてあげる”……そう囁けば飛びつく人なんてほら、虫の如く。
無表情を貫くアリストテレスの前で乙女は更に瞳を蒼く輝かさせて続ける。
まるで女神が乗り移ったかの様に、可憐な声と美しい仕草を振りまきながら。
愛を囁く様に決定的な亀裂を彼女は刻むのだ。
勇者なんて所詮は女神の玩具にすぎません。
私達こそ真なる女神の僕。箱庭が壊れたら幾らでも作り直せばいいのです。
そう、永遠に。
だから貴方が気にする必要などありません。どうせ、これも何回も繰り返されてきたことなのですから。
勇者など所詮はまやかしの希望。
ミズガルズが完全に絶望に沈まない為に定期的に摂取される薬でしかないのだ。
「…………………。」
アリストテレスは言葉を発することなく空を見た。
蒼い瞳が鮮やかに輝きを放ち【観察眼】が発動される。
ルファスが幾度も見てきたプランと同じ光であった。
アリストテレス/ルファスには見えた。
見えてしまった。
宙から垂らされ、乙女にからまりつく糸を。
乙女だけじゃない。
誰も彼もが糸に操られている。
そう、自分さえも。
思わずルファスは息を呑んだ。
彼がもしも平時からずっとコレを見ていたのだとしたら、それはきっと何と───残酷な事なのか。
ここは女神の為に存在する舞台。
誰も彼もが役者でありアロヴィナスを楽しませる人形。
何万年も何億年も続く終わらない悲劇の茶番劇。
アリストテレスは内心で荒れ狂う怒りを制御しつつ丁寧に単語へと変換し、乙女へと吐き出した。
これからもずっとこんな事が続くのを彼は認可できなかった。
何人も何人も、何時まで続けるのだ、こんなことを。
誰かが終わらせなくてはいけないと確信したのだ。
「間違っている。いま、はっきりとそう確信したよ。ありがとう……君のおかげだ」
「ぇ……?」
呆然とした顔を見せる乙女に淡々と吐きつける。
「全てが間違っている」
「お前と私の存在も、女神を名乗るアレの存在も、何もかも全てがだ」
アリストテレスは宙の向こう側を恐ろしい形相で睨みつけた。
かつてプランがそうしたように彼もまた同じく。
視線の先に居るのは何としても消さなくてはならない巨大な害虫だ。
「お前の世界は気持ち悪くてたまらない」
「きっと今頃、次の舞台をどうするかその空っぽの頭で考えているのだろう?」
はぁぁと深く深くため息を吐く。
本当に、心底からの嫌悪を込めた声で彼は女神に向けていい放った。
どうせ向こうは聞いてさえいないだろうが。
「力しか取り柄のない害虫め」
いつかお前を駆除してやる
ソレが始まりの祈り。
最初の怒り、アリストテレスの起源だった。
【勇者】
今回は外れでしたね。次に期待しましょう。
────美と愛を司る女神アロヴィナス