ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
着々と逃げ道は塞がりつつあります。
「アナタ……あの子は……」
暗い部屋の中、女が寝所で伏せている。
顔色はとてつもなく悪く呼吸は浅い。
何とか絞り出した声も絶え絶えで虫の鳴き声よりも小さかった。
8人目にしてようやく死産を乗り越える事が出来た彼女は殆ど燃え尽きた状態である。
心身ともに蓄積していたダメージが無事にプランを産むことが出来た安堵から解放され、恐ろしい速度で彼女の命を蝕んでいる。
一度でさえ命の危険性がある出産を八回、しかもその内の七回は死産というのがどれほど女性に負荷をかけるのは想像もできない。
「元気でしょうか……?」
プランの母親は死人の様な生気のない顔で夫であるタスク卿に話しかけていた。
生きているだけで精いっぱいの有様の彼女であったが、心を占めていたのは自分の事よりも息子の安否であった。
この瞬間、彼女は間違いなく夫への愛よりも息子への献身が勝っていた。
故に彼女は退場しなくてはならない。
アリストテレスの計画を本当の意味で理解したら間違いなく反対するのだから。
実の母であるというのに彼女がプランを抱いた回数はほんの数回だけ。
それは彼女の体調が優れなかったからというのもあるが、プランに微調整をすることをタスクが優先したからであった。
生まれたての赤子というのは可能性の塊であり【錬成】で弄りやすい存在でもある。
逆を言えば新生児の間しか期間はない。
故にタスクは己の妻にプランを殆ど抱かせもせず、アリストテレスの使命を遂行したのだ。
結果としてプランは完成に至り、将来的には素晴らしい性能を発揮するのは確定した。
タスクは喜びと愛に満ちた笑顔で妻の手を取り、優しく言い聞かせる。
彼は妻も愛しているのだ。
それがどれだけ人の言う普通から外れているとしても間違いなく。
「大丈夫だ。何の問題もない。
俺と君の子なんだ。立派に育ってくれる」
「そう、ですね……」
タスクの言葉に女は安心したのか微かに脱力した。
男は妻の様子を見つつ落ち着いた動作でカップに茶を注ぐ。
そんな様子を黙って見ていた女であったが、ぽつりと水滴の様に声を発した。
「あなた」
タスクが一瞬とはいえ動きを止めてしまう程に静謐な声。
彼女は何も知らない。
夫が自分の何を求めて結婚したのか。
我が子に何を背負わせるつもりなのか。
それどころか夫の中に誰がいるのか。
彼女は何も知らないのだ。
ただ辺境の没落した貴族出身であった彼女はタスク卿に見初められ、婚約を受けただけだ。
ユーダリルの商人の知り合いのそのまた知り合いのという非常に長々しい遠い存在であったのが彼女だ。
アリストテレス家が歴史ある貴族であるということと、元は女神の聖域の出身者であるということ位しか彼女は知らされていない。
……そのはずだ。
思わずタスクが彼女に自分が何かを漏らしたか? と自問自答させるほどに妻の声には何らかの確信が伴っていた。
たとえば今から飲ませようとしている茶の中には安楽死用の薬が入っている等を悟られたのか? と。
何の苦しみもない、苦痛を伴わない死と言うのがミズガルズにおいてどれだけ有情なことか。
アリストテレスの知識を用いて調合されたコレを飲めば眠る様に息を引き取る事ができる。
プランを産むにあたって彼女の身体はボロボロだ。
このまま生きていたとしても数多くの後遺症/病気に苦しむことだろう。
体細胞そのものが劣化してしまっている以上、将来的には認知症の可能性さえある。
だから今のうちに終わらせてやろう、というのがタスクにとっての最大級の慈悲であった。
尊厳ある死こそ彼の妻に捧げる最高の贈り物である。
女はカップを手に取り笑った。
微かに茶の表面が揺れた。
「貴方と出会えて私は幸せでした。───息子を頼みます」
愛してます。と続けられればタスクが返す言葉は当然として一つである。
「俺もだ。愛している」
本当にありがとう。
タスクは夫として、そして何よりアリストテレスとして感謝と愛を囁く。
女は透徹した瞳で茶を飲み干し、瞼を閉じるのであった。
あぁ、それでも。
最後に彼女には後悔が残った。
もう一度だけ、あの子を抱きたかった。
せめて一声だけ、母と呼ばれたかった。
暖かい感触が手を包む。
薄く瞼を開ければ夫がそこにはいた。
自分を殺した男の顔であったが、もはや何も彼女には言えない。
ただただ、何も言わず女は息を引き取るのであった。
「……下衆が」
ルファスはプランの父親の所業に吐き捨てた。
ジスモアも狂っていたが、それでも根底にはまだ母に対する愛があった。
母を殺そうとした行為そのものも同じではあったが、それでも彼には彼の苦渋があった。
だが……こいつは違う。
心から良いことをしていると信じてこんな事をしている。
狂っている。
正気の沙汰じゃない。
気持ち悪い。
あらゆる嫌悪と拒絶と憤怒を抱きながらルファスは鋭い眼光を虚空に向けていた。
姿は見えない。声も発さない。しかしそこに居るのは判っていた。
「愛してさえいれば何をしてもいいと思っているのか」
タスク・アリストテレスが妻子を愛しているのは間違いない。
ルファスも認めざるを得ない程に彼の情愛は本物だ。
ただし、その表現方法が人間のソレではないことを除けばだが。
ただ押し付ける愛。
善意から生まれる悪意は何よりも純粋で黒い。
まるで座で笑う女の様だ。
「お前のソレは災害と同じだ……!」
睨む。
深紅の瞳は怒りによってゆらゆら燃えているようだった。
それでは、かつて最初のアリストテレスが憎んだ女神と同じではないかとルファスは先代をなじった。
怪物を殺す為に切磋琢磨している内に自分が同類になりはててしまっている事に気が付いていないのかと。
※ いい顔をするようになったじゃねえか。
※ そうだ、怒りってのはそういう風に表現するものだ。
幼い頃のルファスの事を当然知っているタスクは含み笑いながら愉快そうに返す。
姿はないが、その存在は確かにそこにいる。
レベル800のルファスの怒りを受けても彼は全く変わらない。
※ ピーピー泣きわめいてた頃が嘘みたいだぜ。
※ 馬鹿にしてるわけじゃねぇ。成長したって褒めてんだ。
ハハハ、と軽薄に笑う。
既に死した身であり、息子に何もかもを委ねた彼は言わば“ゴール”した存在だ。
もう何も失う物もない彼は本当の意味で無敵だ。
「……」
“何とも思わないのか”という質問をルファスは飲み込んだ。
そんなこと言ったところで何も変わらないだろう。
ただ一つ、確かな事があった。
気に入らない。不愉快な奴。
ルファスの内心にはそれだけが満ちている。
彼女はタスク・アリストテレスを好きにはなれない。
※ これでもお前には感謝してるんだ。
※ お前のお蔭で息子に足りなかった要素が揃いつつある。
プランに足りない物。
薄々少女も察していた概念を実父は当然把握している。
最も、それに気が付いたのは死んでからであったが。
※ 俺はあいつを完璧に仕立てたつもりだった。これ以上ないくらい、最高に!
※ だが……どうにも俺は人の心に疎いようでな。
※ 素養と能力さえ与えてやれば、後は使命を果たしてくれると思ってたんだがな……。
はぁ、とため息を吐く。
プランは完璧な能力を付与された。
だがしかし、彼には決定的に熱が欠けている。
心がないのだ、プランには。
彼は女神打倒を行う理由とその後の展望を描けなかった故に、立ち止まってしまった。
女神を葬る事に意義/意味を見出せなかった彼はあろうことか使命から目を背けたのだ。
これはタスクからしたらありえない誤算であり、歴代からすればそうなって当然だなという案件である。
※ 見てみるか? つまんねえ光景ではあるが。
ルファスの脳裏にイメージが流れ込む。
同時にデータ化されたプランとタスクの記憶もだ。
その結果、我が身の様にルファスはその瞬間を見る事が出来た。
仰向けに倒れ込んだタスク。
腹部、胸部、両足の付け根に銃弾を撃ち込まれ出血が止まらない。
とてつもない激痛に襲われている筈なのにそれでも彼は笑っていた。
やり合えば息子に殺されるのは判り切った事であり、故にこれは自殺であった。
彼は十分に成長した息子と人気のない荒野に向かい「俺と戦い、殺せ」と命じたのだ。
プランは父親に教えられたとおりに微笑みながらそれを受諾してこうなったのである。
プランは微笑んでいた。
何の血も通っていない人形の様な顔で。
タスクは笑っていた。
歓喜に塗れた欲望の極みともいえる顔で。
66代目の当主は20代になった息子と対決し、その結果───瞬殺された。
タスク・アリストテレスもまた素晴らしい能力の持ち主ではあったが、それでも傑作には何一つ届かずに敗れたのだ。
「愛する俺の息子……最高傑作……お前は俺たちの義務を遂行する運命にある……」
女神を殺せ。
女神を引きずりおとせ。
神という概念を陳腐化させろ。
アリストテレスの使命の他に、タスクが個人的に抱いていた女神への抱負がもれ出る。
あの小娘が無様に泣き喚き、みっともなく這いつくばる姿が見たい。
タスクは歴代の中でも有数の凶暴性を秘めた男でもあり、どす黒い欲望を隠しもしない。
タスク・アリストテレスは仲間には誰よりも真摯で情が篤い男だが、敵には残忍性/悪意をむき出しにする男なのだ。
そんな彼の願いは女神アロヴィナスを苦しめてやることだった。
「あのアバズレとお前の間に子を作ったらどんな怪物が生まれるのかも興味深いものだなァ……?」
遠回しに女神を■■■しろと男は述べていた。
冗談か本音か判らないが、自分で言ってて受けたのか彼は咳き込みつつ体を揺すって笑った。
渾身の笑い話のつもりだったが息子は小さく肩を揺らしただけだ。
血の泡を吹きながらも父は息子に笑いかけながら言う。
プランはゴーレムの様に顔色一つ変えずに黙って聞いていた。
まるで本当にゴーレムに命令を撃ち込んでいるかの様な雰囲気だ。
「アリストテレスとしては以上だが……。
そうさな、俺としては……女神を倒したあとは好きにやりゃいいと思ってる」
徹底した管理を敷くもよし。
何なら女神のソレが可愛く思う程の弾圧と死に満ちた世界でもいい。
何もかも滅ぼしてたった一人になってもいい。
どれにせよ、今の世界よりは遥かに良いのだから。
ムカつく世界だとタスクは夜空を見つめて吐き捨てた。
彼もまたこの世界が嫌いで嫌いで仕方なかったのだ。
そこだけは息子も同じだった。
ハァァと深い息を吐いて、吸って……緩やかに空気が抜ける。
そのまま二度と彼は動かなくなった。
「……」
父の亡骸を見下ろしながらプランは微笑んでいた。
この後の手筈は全て整っている。
魔神族に襲われたという事で全ての片はつく段取りだ。
プランは自分の頬に手を当てた。
口角が吊り上がり、目元は細い。
何時も通り微笑んだままの顔ではあるが、これはどうにも場にそぐわない。
父が死んだのだ。
この顔ではいけないだろうと思い、こんな時はどんな顔をすればいいか考えた。
よく判らなかった。感情というものに彼はとんと疎い。
数秒考えたのち、彼はとりあえず悲しんだ。
胸の中にあるスイッチを切り替えると涙が零れ、顔は真っ赤になる。
肩を震わせ、彼は泣いてみた。
悲しいという感情がよく判らなかったから見様見真似ではあるが、少しは絵になっているだろう。
………………。
血に流れるマナが活性化し聖域の一族が行使していた【継承】を更に改良したものが発動する最中。
彼は受け継いだアリストテレスの使命について考えていた。
これから自分がやるべきこと、やらなくてはいけないタスクについて。
女神を倒す。
とてつもなく難しい。
神と言う概念を撃ち落とす。
天文学的だ。
そして新しい世界を作る。 ……何?
……新しい世界?
プランはそこで引っ掛かりを覚えて頭を傾げた。
涙を引っ込め、微笑みながら。
今の世界を否定するということは、つまるところ自分ならばもっと良い世界が作れるという自信があるということだ。
そう、即ち未来への展望が必要である。
良い世界。
プランは考えた。
仮に自分が神であったのならばどんな世界を作りたいと思うか。
勿論答えは出ない。
彼は元々何にも興味がない男だ。
父親がそう育てたというのもあるが、元よりそういう虚無的な男なのだ。
彼の中にはミズガルズへの嫌悪と、自分の命に対してさえ何も感じない孔がある。
元よりプランから見た世界は孔だらけのボロ小屋も同然だ。
こんなもの、どうやって改装すればいいか見当もつかず、またそれをやる価値さえ見いだせない。
だから彼は聞いてみた。
歴代のアリストテレスが「しまった」と己の失敗に気が付くに至る一言を。
「……良い世界とは何ですか?」
自分は、どのような世界を作ればいい?
誰もその疑問に答える事は出来なかった。
これが彼の諦めの起源。
母と兄/姉たちを犠牲に産まれておきながら使命を果たせない自分への落胆と失望である。
役目を果たした歯車が消え去るべきならば、目的を果たせないパーツに何の意味があろうか。
つまるところ、彼は理由/目的がなければ生存できない男なのだ。
いま生きているのもリュケイオンの領主としての役割が彼を生存に縛り付けているからだ。
そしてその縛りも彼はエルフとの契約によって半ば解きかけている。
プラン・アリストテレスはミズガルズが嫌いだ。
気持ち悪いと思っている。
歴代は世界を是正しようとした。
しかし彼は違う。
そんな面倒なことをするよりも自分が変わればよい。
世の中に不満があるなら自分を変えればいい。
それが出来ないというのなら耳と目を閉じ、口をつぐんで何もせず生きていけばいい。
それさえも嫌ならさっさと死ねばいい。
だからプランはそうすることにしたのだ。
リュケイオンの面倒を見終わり、大人としての役目を果たした後に彼はさっさと命を終えるつもりだ。
母が飲んだソレを用いれば簡単に死ねるだろう。
プランは気持ち悪いモノには付き合いたくないと思っているのだ。
こんな世界からさっさとおさらばして永遠に眠りたい、それが彼の無意識の願いである。
───一少女はその様を目に焼き付けるように凝視していた。
場面がこの先も何度も切り替わる。
アリストテレスは約束通り彼女の望むあらゆる全てを見せた。
彼が隠していた事、ミョルニルで何をしたか、倒すべき竜王の悪辣さまで。
彼に残された正確な時間さえ。
女は全てを知ったのだ。
そして決意した。
目が覚める。
完全に意識を失ったことなど今まで殆どなかった。
あの右腕が自分の首を絞めてきた後の記憶が全くないが、生きているという事はモリア王かルファスがどうにかしたのだろうと当たりを付ける。
最悪自分が死んでもリカバリーは可能だ。
ちゃんと保険は用意されている……というより、自分がこの様な以上はあっちが本命と言えるかもしれない。
種明かしをしてしまうと、ベネトナシュにちょっとした仕掛けをプランは施していた。
彼女の中には転写されたアリストテレス卿の一人が存在しており、ベネトナシュを不慮の死や自殺といった要因から守護しているのだ。
ベネトナシュはアリストテレスの所有物であり身勝手な自殺など許されはしない。
彼女の血肉、髪の毛、運命や能力に至る一欠けらまで人類に捧げてもらう。
仮に肉体が無事でも精神が完全に摩耗したらその時はアリストテレス卿が彼女に成り代わることだろう。
とりあえず今の所は彼女にはバレていない。
もしも知られたら全身全霊で自分を殺しに来るのが眼に見えている。
外は真っ暗で、人工的なものではあるが今のプルートは夜なのだろう。
医療用ゴーレムからは断続的にピ、ピ、ピという脈を表現した音が響いており、身体の至る所にはチューブが突き刺さっていた。
栄養補給用の管から、血液循環用のモノまで多様なチューブが。
体調は……とりあえず悪くはない。
モリア王はプランの容態を見て、色々と悟ったらしく血液の浄化能力を持ったゴーレムを用意してくれたようだ。
機能を失いつつある腎臓の代わりにコレが彼の体内にたまった毒素を取り除いてくれている。
どんどん身体は劣化しているのをプランは実感した。
4年というのはあくまでも死ぬまでの時間であり、そこに至るまで衰弱していくのだろう。
ただでさえ役目を放棄した身であるのに、動けなくなったらいよいよ役立たずだなと彼は冷静に己を評価した。
誰かの手を借りなければ生きられないのならばさっさと死ぬべきだという考えは変わらない。
「……」
己の内面に意識を向けても誰も答えない。
歴代のアリストテレス達は深く無意識の底に潜航し声一つ上げなかった。
まるで舞台を見ている客の様に余計な事は何も言わず、マナーを守っているようだった。
父でさえ呼びかけには答えない。
今までにない不可思議な感覚であったが、プランは無機質に意識を切り替えた。
先までは存在しなかった右腕の感覚。
つまり義手を顔の前まで持ってくる。
全く違和感がなく、気が付くのに少しばかり時間が掛かってしまった。
絢爛たるオリハルコン製である筈のソレは今や黒曜石の様に黒光りしていた。
手の甲には不気味に輝く宝玉が埋め込まれ、それを中心に真っ赤な光が血管の様に腕の各所に伸びている。
【観察眼】で見てみれば自分の「月」属性のマナと対を成す「日」属性のマナが循環していた。
本来ならば天力と魔力の様に反発しあう筈のソレが完全に調和しているのは美しいとさえいえた。
不死鳥の宝玉からもそうだが、もう一種、誰かのマナが己の体内を駆け巡っている事にプランは気が付く。
「……?」
いや、このマナが誰のモノなのかは既に気が付いている。
ずっと研究し続けていたのだから。
問題は、どうしてそれが自分の中にあるかであった。
何故だ? と頭を捻る。
目覚めたてではあるがプランは頭をいつも通り回していく。
順序だててあの後なにが起きたか推察するのだ。
自分が大量出血したのは間違いない。
となると輸血が行われる筈だ。
前もってプルートは大量の血液を用意してくれていた筈だが、それでも足りなかったのかもしれない。
ただでさえ血には消費期限がありずっと保管しておけるものでもないのだ。
自分の容態がどうであったかは判らないが、プルートの在庫を使い切った可能性は十分にある。
と、なると身近な人物から輸血した可能性はとても高い。
多少血を抜かれた位では全く問題にならず、それでいて自分の「月」属性のマナと相性の良い属性の主。
そんな人物はルファスしかいない。
プランは顔を顰めた。
非常事態であったのは間違いないが、ルファスにも危険が及ぶ行為だ。
幾ら彼女がレベル800とはいえ、血液を大量に抜いたら倒れるかもしれない。
やはり彼女は同席させるべきではなかったかもしれない。
不快感を舌先で味わっていると、部屋の空気が微かに震える。
音もなく【エクスゲート】が開かれ、閉じる。
誰が部屋に入ってきたかを瞬時に理解したプランは瞬間的に不快感をもみ消した。
煙管から零れた灰を踵で踏みにじる様に。
プラン・アリストテレスは平時の微笑みを浮かべた。
プラン・アリストテレスは何の痛苦もないような顔をした。
プラン・アリストテレスは理知的で話の分かる大人の仮面を被った。
ルファスが何の心配もしないように。
そして、これから彼女にする提案に説得力を持たせるために。
「自分はもう大丈夫」
微笑む。
いつも通りに。
とりあえずこれをしておけば対人関係は円滑に進むと父に教えられた。
実際、今まで問題が起きた事はなかった。
「ルファスも疲れたと思うから、先に休んでなさい」
真っ赤な瞳を自分に向けたまま何かを考え込むような顔をしているルファスにそう言うが彼女は首を横に振った。
彼女は片手に持つ透明な袋をプランに示して言う。
「点滴を換えに来たんだ」
男の返答を聞く前にルファスは動き、ほんの10秒たらずで新しい点滴袋をセットした。
説明書を一回読み、一回だけ現場で働く人に指南を受けただけでルファスは既に現場で働けるほどの技能を得ている。
「具合は?」
「大丈夫。ちょっと眠気が残ってるくらいで、調子はいいよ」
何処か据わった眼なのが気になったが、ルファスの質問に答えれば彼女は目に見えて安堵の表情を浮かべた。
男に背を向けてベッドの端に腰かけ、翼を小さく震わせる。
じっと虚空を見つめる彼女はやはり何か考え事をしているようだった。
話題を切り出すならば今が絶好のチャンスだと判断したプランは口を開く。
「プルートにはもう慣れたんじゃないかい?」
三度も訪れれば愛着も湧いてもおかしくはない。
プルートはドワーフの拘りとミズガルズ屈指の技術が詰まっている夢の地下王国なのだから。
かつてガザドの乗っていたゴーレムに対してかっこいいと感じたルファスならば、この地の芸術の数々を気に入るのは間違いない。
だからプランはそこから攻める事にした。
ルファスが頷いたのを見て取り、続ける。
「実は前々から思っていたんだけど……プルートに留学してみないかい?」
「……」
ルファスは何も答えない。
ただ、手ごたえは感じたので続ける。
「この地ならば【アルケミスト】の様々な技術を学べると思う。
勿論、ルファスが知りたいと願っていた医学系の知識だって豊富にある」
「……」
少女は何も言わない。
背を向けているから表情は見て取れない。
彼は彼女が誰の為に医学を学んでいるか知らない。
「まずプルートでしっかり基礎を固めてから改めてエルフ達に師事を乞うのが一番だと自分は考えている」
「……」
ルファスは動かない。
翼だけがゆっくりと動いていた。
「時間はかかるだろうけど、天翼族のルファスならたっぷりある」
「…………」
少女は声一つ漏らさなかった。
ただ男に背を向けている。
その時には既に竜王は倒されており、彼女は自由だ。
「お母さんが気になるかもしれないけど……。
エクスゲートを覚えたルファスなら何時でも帰ってこれるさ」
「大丈夫。モリア王には自分から話をつけておくから、ルファスは何も───」
言葉を続けようとして口が止まった。
今まで動かなかったルファスが微かに身じろぎしたからだ。
瞬間、部屋の空気が僅かばかりに緊張した。思わずプランが口を閉ざす程に。
ゆっくり少女が振り返る。
さながら獲物との距離を詰める肉食獣の様であった。
薄暗い部屋の中、真っ赤な瞳だけが煌々と輝きプランを射抜く。
表情こそ憮然としたモノだが、荒れ狂う内心は猛禽類の如く縦に裂けた瞳として表れていた。
魔物としての側面が強く出力された顔を晒す程に彼女の精神は昂っている。
怒りと悲しみをごちゃ混ぜにした声で彼女は言う。
「嫌だ」
重々しく、いかなる反論も受け付けない程の圧を込めてルファスはプランの提案に応えるのであった。
『はい』 ← ざんねんですが『ルファス』は捨てられません。
『はい』 ← ざんねんですが『ルファス』は捨てられません。
『はい』 ← ざんねんですgggggg
『はい』 もう遅い