ラスボスからは逃げられない! 作:宇宙きのこ(ミズガルズ産)
見返していてちょっと納得できない個所があったので修正していました。
今回は主人公がファンブルを連発するお話となります。
レベルさえ高めれば何だって倒せるとかつてのルファスは思っていた。
その考えは15歳の夜に打ち砕かれたが、それでも何処かに己は強いという思い上がりがあったのかもしれない。
勇者には及ばなくとも、それでも誰が挑んで来ようと自分は絶対にリュケイオンを守り切れると。
そしてルファスにとっての“敵”とは己を虐めてきた天翼族や父、または自分の命を狙う魔物であった。
が、しかし。
彼女は本当の意味でどうやれば倒せるか判らない存在と出会ってしまった。
彼を助ける以上は絶対に避けては通れないというのに、戦い方さえ判らない存在と。
殴って倒す事は出来ない。
どれだけ強い魔法や天法を用いようと消し去る事は不可能だ。
誰でも抱えており、どんな人間の心にも潜んでいる形のない魔物。
“諦観”
“絶望”
それはミズガルズに住まう多くの人々が罹患する病である。
自分では何も変えられない、しょせん己は主役ではなく、生きていようが死んでいようが何の影響もないという自棄だ。
彼女はこれがどれほど強大で厄介な存在なのか身に染みて理解している。
一度はルファスさえ屈してしまった姿のない怪物だ。
だから勇者という生贄が必要なのだ。
言わばかの存在はミズガルズ全体に女神が投与する一種の薬だ。
それも根本的な治療にはならず、対症的に用いる事しか出来ず、更には依存症さえある薬である。
その結果が今の有様だというのに勇者はこれからも必要とされ続けることだろう。
ルファスは全てを見た。
彼の中に潜む存在───アリストテレスの願い。
人類が発展するためには必要とはいえ目を逸らしてしまう程の狂気。
そして、彼に押し付けられた使命と、それを不可能だと判断した彼の空虚さまで含めて。
あと4年。
それが自分に残された時間という現実は彼女を容赦なく打ちのめした。
いや、彼がピオスからそういう診断を受けてからそれなりに時間が経っている事を考えるに実際は3年程度だろう。
3年。無情にも砂時計の砂は減り続けている。
それで彼は死ぬ。
自分が打ち込んだ呪と毒のせいで。
このままでは立派な人殺しの完成だ。
何度も何度も殺すと言い続けていた言葉が今になって少女を苛んでいる。
殺すという言葉の本当の重さをルファスは理解していた。
だから彼女は決めたのだ。
このままでは救えないと判ったから。
今の関係はとても心地よくて、失う事を考えるだけで怖いが……それでも彼が死ぬよりはずっとずっと良い。
死者に想われるよりも生者に恨まれた方がルファスは嬉しかった。
「嫌だ」
それは明確な拒絶だった。
有無を言わさない、一切の交渉さえ受け付けないという意思の籠った否定だ。
自分で思っているよりも重く、鋭い声が出たとルファスは客観的に思っていた。
また一つ、目の前に分岐点が現れた事を少女は理解している。
プランの仮面は完璧だ。
いつも通りの微笑み、理知的で穏やかな男の顔。
そんな仮面に綻びが走っている。
ルファスがこれほどまでに強く拒絶するとは思っていなかったのだろう、彼は心底驚いていた。
しかしそれも一瞬。
直ぐにどう説得しようかという思案が混ざった顔になる。
彼もまた頑固な一面があるのだ。
プランはどうあってもルファスをプルートに留学させるつもりだった。
その間に全てを終わらせるつもりなのだ。
ルファスが仮にこれを受けたら最後、もう二度と彼には会えないだろう。
(ここで引いたら、私はきっと後悔する)
永遠に。
もしもこんな状況でなければ快く受けていただろう。
プルートやクラウン帝国で勉学に励み、普通の子供がそうするようにテストの点などを母と彼に報告していたかもしれない。
だが、それは出来ないのだ。
……プランは何も知らない。
己の中のアリストテレスがルールを破ってまでルファスに接触したことを。
彼ら曰く「フェアじゃないから」とのことだが、少女は全てを納得している。
恐ろしい歴史だった。
狂気という言葉でさえ表現できないおぞましい所行の数々だった。
そんな化け物たちをして最高傑作と呼ばれる事の重みを知った。
比喩でも何でもなく“きょうだい”達を犠牲に産まれた彼はその瞬間から業を背負っている。
世界の背負った悲しみを知った。
“勇者”という善意に溢れる素晴らしき人々を犠牲にし成り立っている歪んだミズガルズの在り方を知った。
知って後悔などない。
ましてや彼を化け物などと思う事もない。
むしろ……。
「不安な気持ちは判る。
だけど、ルファスならきっと上手くやれると自分は知っている」
プランは本人は自覚しているかは判らないが、本当に誇らしげな顔でルファスを見つめて言う。
まるで父が娘を自慢しているかのような全幅の信頼が籠った顔だった。
欲しくてたまらなかった言葉と信頼を注がれ、少女の顔は微かに強張った。
こんな時でなければ素直に喜べたというのに。
彼の提案に乗れば全てが上手くいく。
ルファスはきっとプルートに迎え入れられ、多くの知識を学べることだろう。
もしかしたらナナコの様な良い奴がいて、友達になれるかもしれない。
ヴァナヘイムにおいても学び舎という施設はあった。
よく親に愛された子供たちがきゃきゃっと笑いながら宿題やら何やらと言い合っていたのを遠くから見ていた事がある。
その夢がいま手の届くところまで降りてきている。
「ルファスは自分で思っているよりずっと頭がよくて優しい子さ。
きっと直ぐに皆とも仲良くなれる。
ここに勇者様が居たら、同じことを言う筈だよ」
ナナコの名前を出されたルファスは言葉に詰まった。
今も何処かで皆の為に戦っている彼女。
彼女もまたルファスが助けたい一人である。
勇者などとんだ茶番劇であり、彼女が付き合う必要などなかったのだ。
自分たちの世界で生み出した怪物の討伐を他の世界の人物に頼るなど、普通に考えればおかしな話なのだから。
竜王はミズガルズの問題だ。異世界の人物である彼女を巻き込むなど間違っている。
プランを助け、ナナコを勇者の使命から解放する。
それが今のルファスの目的だ。
その為には竜王を何とかしなくてはいけない。
しかしルファスにはその方法が判らなかった。
自分一人ではどれだけ強くなろうと、あの悪意の権化に勝てるビジョンが見えないのだ。
レベル1000の世界においてその壁を超えている等と言うあり得ない現象を引き起こしている怪物。
更には本来持ちえない【クラス】まで所持しているという悪夢の様なイレギュラー。
勇者ナナコであっても真正面からでは勝てないだろうと思ってしまう程の怪物。
耳障りな笑い声は世界の破滅を願う呪詛の様だった。
何をどうすればあんな怪物が生まれるのだろうか。
打倒など、自分だけならば絶対に無理だ。
彼女は愚かではない。
レベル相応の自負はあるが、傲慢ではないのだ。
だが同時にこうも思っていた。
だけど───彼と一緒ならば勝てる。
少女はそう思っていた。
この無駄に高いレベルをお世辞にも使いこなしているとは言えない自分をプランが導いてくれれば勝機は間違いなく在るのだと。
ナナコと自分、そしてプランが揃えば───。
(違う、そんなんじゃない)
竜王打倒の為に必要だとか、勇者を助ける為に知恵がいるだとか、小賢しい理屈をつけようとした自分の心を訂正する。
何百という言葉を並べても、本心は一つだ。
ルファスはプランに死んでほしくない、それだけだ。
ぐっと拳を握りしめる。
ここからが正念場だ。
腕力では決して解決できない問題にルファスは挑む。
これからルファスは彼の心に踏み込むのだ。
彼女はプランの眼をじっと見つめて平坦な声で言う。
瞳だけがギラギラと燃えていたがプランは全く動じていない。
「ありがとう。だけど、留学はしない」
「不安な事がある? 自分で良ければ教えて欲しい」
貧血気味で決して楽な状態ではないというのにプランは優しく笑う。
先まであった張り付けたような微笑みで、ましてや彼の父を殺した時にコロコロと変わっていた表情のどれとも違う顔だ。
生きた人間の、生の感情がそこにはある。
彼が化け物でも、ましてや女神抹殺の為の兵器でもない証拠だ。
「……貴方の身体が普通じゃないってこと、とっくに気が付いている」
「まずはソレを何とかしてからだ」
ルファスはプランの腹部を指さす。
プランは「あぁ」と小さく頷くだけだ。
いまだに気が付いていないとは思っていたが、同時に勘のいいルファスならば見抜かれるだろうという予測もあった。
マルクトで倒れたのは失敗だったなと頭の片隅でプランは思いつつ、平然と嘘をつくことにした。
ルファスには出来るだけこういうことをしたくはなかったが、彼女が無駄な事に時間を費やすのは避けるべきなのだから。
「それなら大丈夫。自分の方でも色々研究しててね、もう少しで治療法が確立できそうなんだ」
そんなものは存在しない。
既に彼は己の命に見切りをつけている。
彼女に余計な負担をかけない為の方便ではあるが、プランは心からこれが最適解だと思っている。
「心配してくれてありがとう。だけど、自分は大丈夫だよ」
ルファスが一歩踏み込むたびにプランは二歩下がる。
この可能性に満ちた少女の人生に決して傷を残すことなどあってはいけないのだ。
ただ一つ、彼は致命的な見落としをしていた。
5年もの間、ルファスと共にいて知らない筈がないというのに、無意識にそんなわけないと眼を逸らしていた事から。
「そうか」
ルファスは数秒間瞑目し、空を仰いだ。
薄暗い部屋の中、真っ暗な天井を薄目で数秒見つめてから……彼女は動く。
ぐっと身を乗り出し、プランの両肩を掴む。
そのまま彼をベッドへと埋め込む様に押し付けた。
痛みはない。
だが、絶対に外せない拘束具の様に少女の両腕は男を補足している。
「嘘つき」
恐ろしい程に冷えた声だった。
発したルファスでさえ驚くほどに。
翼が痙攣し、眼は更に怪しく輝きを放つ。
魔物としての顔。
獲物を絶対に逃がさないと決めた捕食者の表情である。
ここで彼を放置したら確実にそれでお別れとなるとルファスは悟っている。
何時か絶対に逃げられない時に腹部の件を問うと決めていた。
今がそうだった。ここを逃したら次はない。
「ルファス」
だが、それでもプランの顔は変わらない。
この件においては彼は絶対に譲るつもりなどないのだ。
ただ無機質に領主としての役目を務めて生きてきた彼は“竜王”討伐という初めて自分で設定した目標を譲りなどしない。
彼女が何処まで気が付いているかは判らなかったが、プランは淡々と答えた。
急速に彼の顔から熱が失せていく。
同じ笑顔だというのに生きた人間のソレから張り付いた仮面へと切り替わったのだ。
蒼い瞳が少女の輝く眼を無感情に見返す。
ゴーレムの方がまだ意思を感じさせるソレを覗き込んでしまいルファスは奥歯を噛み締めた。
「大丈夫だよ」
多くの人に変わったと言われたプランであるが、彼は意識して過去の自分を再現しようとしていた。
目的も何もなく、ベネトナシュに言われた通り生きながら死んでいる男の顔だ。
ミズガルズでは何も珍しくない諦めに負けた表情である。
「……最初に言っておく。
私は全部知っているんだ。貴方の中にいる人たちが教えてくれた」
だから無駄に隠し立てしようとしないでと続ける。
プランは瞬きしただけで、張り付けられた笑顔には何の変化もない。
少なくとも内心はルファスでさえ読めなかった。
3秒、彼は固まっていた。
その間にどれほどの思案を巡らせたことか。
……嫌な笑顔だった。
笑っているのに笑っていない。
ガザドが不気味だと評するのも当然だと思う程に人間味がない。
「それなら猶更さ」
彼は瞬き一つせずに言う。
今まで少女が感じていた彼との精神的な壁が途方もなく分厚くなりだす。
両腕で肩を掴んでいるというのにプランの存在は星よりも遠く感じた。
プランは言った。
日常における気軽な雑談でもしているような調子で。
「何を聞かされたかは知らないけど……ルファスは気にしなくていい」
「死んでしまうんだぞ」
努めて感情を込めない様に気を付けたが、それでも慙愧が滲んでしまう。
自分があんなことをしたからこうなったのだ。
ならば自分が彼を治すのは当然の話だ。
初めてそれでルファスはプランとの関係をやり直せると思っていた。
今はまだ、スタート地点にさえ戻れていない。
だというのに彼はそれを拒絶する。
その理由をルファスは知っている。
彼は全て諦めているからだ。
たとえ自分の命であっても。
産まれて自我を得た瞬間から、母と兄/姉を殺して生まれ落ちたという嫌悪感に満ちている。
何ならプランは死ぬことを喜んでいる節さえある。
先に絞殺されたかけたときなどその最たる例だ。
母の命を救ってくれた上に彼女を魔物から人に戻し、生きていても良いと言ってくれた人は死を望んでいる。
図らずともプランの真実はルファスにとって最悪の罰と化していた。
まだ口汚く罵られた方が遥かに良かった。
だから次に彼が放った言葉はルファスの心に一生涯残るであろう傷を刻んだ。
どんな武器や魔法などより遥かに強く、恐ろしいモノ───それは言葉だった。
「
「
プランに悪意はない。
彼としては当然の理屈で動いているだけなのだ。
それどころかむしろ最もルファスを傷つけない様に考え抜いて出た言葉だった。
己の命を誰かの手を借りないと維持できないのであれば潔く死ぬべきだ。
このままやったところでルファスの長いとはいえ無限ではない時間を無駄に浪費させるだけなのは良くない事だ。
彼女の人生は彼女のものだ。
大人である自分の役目は母子の未来を保障する事であって、足を引っ張る事ではないのだから。
────プラン・アリストテレスには致命的に欠けている概念がある。
彼は自分の命を損得勘定抜きで誰かが惜しんでくれるとは思っていないのだ。
カルキノスという友を得てもなお、治らない病気といえる。
多少は悲しんでくれるだろう。
だが、数カ月もすれば立ち直れるから大丈夫と本気でプランは思っていた。
1500年の寿命の内の数年だ。
ならば在ってないようなものではないかと本気で考えてしまうのがアリストテレスたるプランなのだ。
特にルファスはまだまだ子供だ。
身近な人を失う事を恐れる気持ちはよく判るが、アウラという理解者がいるのだから問題はないはずだ、と。
ルファスならきっと大丈夫、乗り越えられると信じてさえいた。
かつて父が息子ならば判ってくれると思ったように、彼もまたルファスなら判ってくれると思っていた。
これは完全な無意識の言動であり悪意は全くない。
だから彼は判らなかった。
自分の言葉にルファスが眼を大きく見開き、凄まじい激痛に耐えるかの様に唇と翼を震わせた理由が。
四肢を切り落とされるよりも、ヴァナヘイムで虐待されていた時よりも、彼女は苦しんでいた。
そう、ジスモアが母を刺した時と同じほどに。
…………。
また考える。
どうしてそんな不安に満ちた眼をしているかを。
そうやって彼は答えに思い当たった。
あぁ、なんだ。
つまりそういう事かと。
「お金の事なら安心して欲しい。
リュケイオンの統治権は渡せないけど、エルならちゃんと婦人とルファスが相続できるようにしておいた」
「──────」
「3億エルくらいはあるから、お母さんと二人で食べていくには十分だと思う」
一言も発さないルファスにプランは微笑みかける。
大丈夫、ちゃんとお金は残しておくから問題ないと。
お金の事についてもしっかり教えておけば彼女も安心してくれる筈である。
「それにモリア王やロードス王、アルカス帝といった方々がルファスたちの後ろ盾になってくれる」
「何も心配しなくていい。
自分が居なくなってもヴァナヘイムがお母さんとルファスに手を出せないようにしておく」
が、ルファスの顔は変わらなかった。
それどころか前よりも瞳は揺れており肩にかかった手から力が抜ける事はない。
「……私が本当にそんなものを欲しがると思ってるの?」
「あって困るモノではないよ」
欠片も生気のない声で少女は返すがプランは意識して無視した。
そうだ、とプランは今思いついた様に話を戻すことにする。
「やっぱりルファスはプルートに留学すべきだ。
【アルケミスト】として経験を積めば生計を立てる事だって容易になる」
完成したばかりの右腕でルファスの肩を押して自分から離れるように促す。
だが少女の身体は微動だにしなかった。
小柄な少女だというのに、さながら大陸の様な圧がある。
プランは続ける。
いつも通りに。
とびっきりの善意を込めて。
「行っておいで。
……竜王だの勇者だの、そんなこと君が気にすることじゃないんだ」
「これは自分たち大人の問題だ。
こんな世界を作ってしまったのだから、責任を果たさないと」
リュケイオンに引き取られた当初、プランはルファス達の行く末に責任を持つと話した事がある。
彼なりの果たし方がコレだった。
あらゆる問題/厄介事を排除し少女の未来を整えてやる事だ。
ルファスはプランの肩から手を離した。
翼が小さく畳まれる。
身体の痙攣が収まり、少女は前を見た。
ルファスの前には男の顔があった。
乾いた微笑みを浮かべる生きながらに死んだ男の顔が。
巧みに言葉を使い、彼は自分から離れようとしている。
離すわけがない。
そんなこと、絶対に嫌だった。
結局のところ、ルファスの本心は一つだ。
「───私から逃げないで」
ルファスの言葉に男は困った顔をしている。
疑問と困惑が入り混じった顔だった。
彼は判らない/判ろうとしていないのだ。
自分がどれほど生きて欲しいと願われているか、プランは知らない。
だから女ははっきりと口にしてやった。
この頑固で何もかも諦めている大切な人に。
恐ろしい程に容易くその言葉は出てきた。
既に彼女は認めているのだ。
形にするなど簡単である。
「貴方が好きだ。生きていて欲しい」
女の言葉には筆舌に尽くしがたい念が籠っている。
太陽よりも熱く、夜空の闇よりも深い感情が。
その感情の名前をルファスは未だに知らない。
だが確かに彼女の中にはソレが宿りつつある。
プランは瞼を閉じた。
何枚も胸の中で隔壁を落としていく。
本当に強くなったと思いつつ、だからこそ彼はここで退いてはいけないと判断した。
彼女の足を引っ張るなどあってはいけない。
ルファスの言う「好き」というのは刷り込みに近いものだろうと彼は思い込んだ。
幼い頃に助けてもらった存在に好意を抱くというのは良い事なのかもしれないが、何時かは脱却しなくてはいけない感情だ。
彼は大人だ。
もう30年以上も生きており、記録を合わせれば1000年を超える経験を持っている。
だからルファスの言葉を冷淡に処理できた。
30年以上も続けてきた生き方を、今更変える事なんて出来なかった。
産まれて来てからずっと失敗を躱し続けてきた。
それ以外の生き方を彼は知らない。
一時の感情と若さ/勢いに任せて行動してもいい結果になることは余りないのだ。
今のルファスは正にソレだと彼は恐ろしい程に無機質に組み分けしていた。
誰かに想われるなど自分の
仮にあったとしてもソレは不幸を産むだけであり、否定しなくてはいけない。
男は少女の気持ちから眼を背けて逃げる事を決めた。
何回か頷いた後に、彼はルファスの真っ赤な瞳を見返す。
「ルファスには無限の可能性があるんだ。
自分で思っているよりもずっと凄い存在にルファスは至れる」
「可能性を狭めてはいけない。
何時か立派になった時に“あぁ、そんな奴もいたな”と思い返してくれるだけで……」
自分は満足だ、と言おうとしたプランだったがソレは出来なかった。
延々と言葉を惑わし、逃げようとする男に遂にルファスが限界を迎えたからだ。
心の底から好意を伝えたというのに、それさえも無駄扱いされた女が怒りを覚えるのは当然であった。
怒りだった。
しかし今まで抱いてきた憤怒とはまた違う、哀号を彼女はあげていた。
「いい加減にして!!」
「死んで欲しくないって言ってるだろう!?」
感情のままに少女は己の心をぶちまけた。
プランの襟をつかみ上げシャツに皺を作る。
「何で判らないんだっっ!!」
「貴方が何であろうと、私がそんなことを気にすると思ったのか!?」
怒りもあったがそれよりもルファスは空しかった。
どれだけ思いを伝えようとすり抜けていく感覚は歯がゆくてたまらない。
……想いを返して欲しいわけじゃない。
ただ死んで欲しくないという単純な願いをどうあっても拒絶されるのが苦痛だった。
自分と向き合ってさえくれない。
それはヴァナヘイムで彼女が散々に受けた責め苦である。
「……」
プランは天井を見つめている。
どうすれば判って貰えるか彼は懸命に考えていた。
ルファスを傷つけずに穏便にプルート留学を承諾してもらう。
ソレが彼の目的であるが、どうあっても彼女は拒絶してしまう。
自分の身を案じてくれるのは嬉しいが、それでもダメなものは駄目だと判ってもらいたかったのだ。
役目。目標。
それだけを果たす機構染みた彼は自由な生の感情と言うのがよく判らない。
だから彼は言葉を紡ぎ続ける。
少女の己への執着を若気の至りの一言で片づけた上で、無意識にその心を切り裂き続ける。
「命を助けられたから恩返しをしたいと思っているのなら、それは違う」
彼は分厚く頑丈な壁で己の本心を外界から切り離した。
ルファスの好意/願いも全てを一言で切り捨てる。
「自分がやった事はただの大人としての義務なんだ。
ルファスは子供だというのに、そんな当たり前さえして貰えなかった」
「自分はちょっとだけ距離が近い他人だ。
間違っても父上の代わりになれないけど……養育費と教育くらいなら何とか出来たと思う」
彼は絶対に踏み出せない男である。
ルファスとアウラ、それにカルキノスとアリエスといった者達の時間の流れにはついていけないと知っている故に、無駄な事はしない。
生きながらに死んでいる男は、これから飛び立とうとする少女の記憶にも残りたくはなかった。
ルファスにはアリストテレスや世界の運命などといった、あらゆるしがらみから解放された自由な人生を生きて欲しいのだ。
故に今までの旅路の全てを『義務』の一言で表す。
壮絶に少女の顔が歪むがプランはあえてそれを見て見ぬフリをした。
どうせ長くない身だ、何もかも時間の流れの中で忘れてしまえばいい。
「もしそれでも何かをしたいというのなら……自分の事は忘れて
「
少女が自由を愛すると知っているからこそ出た言葉だった。
途方もなく長い生涯を使って夢中になれるモノを探して欲しい。
自分では見つけられなかった綺麗で美しいモノを。
「…………」
ただ一つ誤算があるとしたら、既に少女はソレを見つけている事だった。
そしていま、それが掌から零れ墜ちようとしていることにもプランは気が付いていない。
だから絶対にルファスは頷かない。
そしてどうして彼女が頷かないのかプランには判らない。
【観察眼】を発動させて数式を読んでも答えはもちろん出てこない。
世界を運営する法則は残念だが少女との向き合い方は教えてはくれなかった。
完全な手詰まりである。
彼は人生で初めて“詰み”に近い状態を経験することになった。
ルファスを見る。
真っ赤な瞳は力強く輝いていた。
じっと忍耐を発揮して彼女はただ見つめてくる。
口を開こうとするが言葉が出てこない。
どういう風に説得すればよいか彼には判らなくなってしまった。
どうすれば判ってくれるのか、判らない。
手詰まりだった。
「……頼むよ。自分は所詮、たまたま出会っただけの他人なんだ」
出てきたのはそれだけだった。
何ともつまらなくて情けない言葉だった。
彼女の先達たる大人失格とさえ言えた。
「嫌だ」
「貴方が他人だと? ふざけてるのか?」
全く面白くないと断言する。
まだ七色に光るアリエスの方が愉快だ。
ルファスの返答は変わらない。
もはや彼女の中では母と並ぶほどに大きくなった彼を諦める事などあり得ない。
もしも誰かがプランを奪おうとするのならば少女はクラウン帝国とさえ真っ向からやり合うだろう。
「今の問答で確信した。やっぱり一度、しっかりと判らせた方がいいみたいだ」
ふぅと少女はため息を吐く。
そしてジトっとした視線をプランに向けた。
あそこまで直接言ったのに、まだ逃げるなんて本当にふざけてるとしか言いようがない。
「遠回しにゴチャゴチャ考えるのはやめだ」
思えばそんなのは私らしくない。
好きも嫌いもはっきりと口にするのが己だ。
据わった瞳に変わっていく。
はっきりと「好きだ」と言ったのにそれさえも流されたのがよっぽど腹に据えかねたのだろう。
プランの失敗の一つは、彼女の我の強さと執着心の深さを見誤った事だった。
だからルファスはここらへんではっきりさせておくことにした。
ただでさえ時間が惜しいのだから、関係性だの進展だの気にしている余裕など考えてみればないのだ。
彼女はナナコによって自覚させられた概念を既に受け入れてるのだから、いまさら口に出しても恥ずかしくなど何ともない。
誰だってやってることだ。
大切な人に思いを伝える事なんて。
「憎悪と苦しみしか私にはなかった。
だけど───世界はそれだけじゃない事を貴方が教えてくれた」
彼はそれを『義務』の一言で表したが、ルファスはそれも気に入らなかった。
今までの5年間、星の様に輝く日々は決してそんな言葉で片づけて良いものではない。
泥に塗れた死にぞこないの少女を拾い上げてくれた。
最初はただの尤もらしい「良い人」を演じるための行為にすぎなかったとしても、それで母と彼女は救われた。
結果だけが全てだというのならば、彼はこの時点で命を二つ救った。
「私を人にしてくれたのは貴方だ」
かつてのルファスは自分から人の道を外れようとしていた。
他者を苦しめ、攻撃し、それに喜びを感じる。
そんなもの竜王と何が違うのか。
幾度も心ない言葉を投げかけた。
暴力も振るったし、彼が傷つくところを楽しんでさえいた。
挙句には“子隠し”の誘惑に乗ってしまい本当に大切な母さえも見下して捨てようとした。
それでも彼は一度だって自分を見捨てはしなかった。
だからこそ甘えてしまった、その結果がコレだ。
だがしかし、まだやり直せる。
スタート地点に戻れてさえいないけど、まだ。
「貴方が好きだ。
私は自由で、何を好きになってもいいと教えてくれたのは他ならぬプラン・アリストテレスなんだからダメだ何て言わせない」
また一つ、男の逃げ道が塞がれた。
自分でそう教えたのだ。
ソレは違うなど、今更言えるわけもない。
───好きなモノを好きと公言しても何の問題もないと思うよ?
───誰だって綺麗なモノは好きなんだから、何もおかしい事じゃないさ。
それは5年も昔、本当に最初の頃にルファスが教わった事。
自分の中にある感動を誤魔化さなくてもいい、あるがままに心を受け入れるという教え。
彼女の見た綺麗なモノ───それは“彼ら”の献身だった。
「絶対に失いたくない……!」
「私は皆で未来に進みたいんだ! 何一つ取りこぼしたくない!!」
少女は言葉を並べるごとに興奮し、燃え上がるほどの感情をプランへと叩きつけ出す。
男がどれだけ身体を揺すろうとも少女の華奢な肉体はびくともしなかった。
「全部私のものだ!! 一つだって欠けるのは我慢できないっ!!」
母とアリエスにカルキノス、ピオスにリュケイオンの皆。
そしてプランも。全部全部私の宝だ、誰にも渡してやるものかと少女は吠えた。
ルファス・マファールに執着されるという事がどういうことか、プランは身をもって知ることになるだろう。
「捨てられるなんて思うなよ!
私はな、貴方が思っているよりずっっっと執念深くて意地汚い女なんだ!!」
「エクスゲートを教えたのが運の尽きだ!
あれさえあれば、ミズガルズの裏側にいこうと直ぐに追いついてやる!」
「汚れてるからって何だ!
私はルファス・マファールだ!! 舐めるんじゃないッ!!」
プランは絶句しているのか目を瞬かせていた。
凄まじいまでの執着心を向けられた彼は困惑している。
だがしかし、彼もまた自覚こそないものの頑固な男だ。
この期に及んで彼はこう言おうとした。
“好意は嬉しい。だけどソレは命の危機を助けてくれた存在に対する刷り込みの様なモノだ”
“自分の事を知ったのなら、ルファスには判る筈だ。余り近づきすぎない方がいいロクデナシだって”
“仮に助かったとしても、いずれ自分は老いて醜くなる。必ず幻滅する時がやってくる”
“未来に目を向けるんだ。何が自分の人生において最善なのかを考えて欲しい”
などなど……を語ろうとしたプランであったが、口を開いた瞬間、ルファスは己の翼から羽根を数枚むしり取り、眼にもとまらぬ速さで口の中に叩き込んだ。
かつてはカルキノスも食らった羽根責めである。
「くどい!!」
「もぐっっ!!??」
吐き出せない様に口を手で抑える。
もがくように動かされる手足は翼が抑え込んだ。
レベル差は圧倒的であり、更にはプランは貧血気味の病人である。
つまり勝てるわけがなかった。
完全に力で抑え込まれている。
更には体中にチューブが刺さっているため、任意コードによる瞬間移動も不可能だ。
「……さて」
やっぱり私にはこっちの方が向いていると改めて認識しながらルファスは完全に掌中に収めたプランを見てほくそ笑む。
そして彼女にはとっておきの秘策があった。
今までの彼の行動パターンを見ていて、気が付いた事がある。
それは────プランは、自分の頼みに弱いということだ。
プランが汚い大人であるのならば、ルファスはズルイ子供になることにした。
彼の自分に向けてくれる好意さえもこうなったら存分に利用するしかない。
恥も外聞も何もなくルファスは乞うた。
かつて母を助けて欲しいと天翼族に跪いた時以来の行為であった。
「お願い……助けて」
深く少女は頭を下げた。
見せかけではなく、心から。
「どうか、貴方を助けたい私を助けて下さい」
「…………ぁ?」
衝撃的な言葉にプランは目を白黒させて心から混乱する。
大前提として彼はルファスの事を第一に考えているし、彼女が望むことであれば出来るだけ叶えてやりたいと思っている。
そんな彼女が自分を助けるのを助けて欲しいと願った。
これはプランからしたらダブルバインドの様なモノであった。
彼の頭はエラーを起こしたかのように固まってしまい、どうすればいいか判らなくなってしまう。
ルファスを見た。
彼女は黙って返答を待っている。
しかし……その瞳は微かに震えていた。
怯えている。
あのルファスが怖がっていた。
再び拒絶されることを心から。
いかないで。
ここで手を離されたら最後、二度と届かない事を心から恐怖している。
おいていかないで。
プランの頭は的確に優先順位を定めていく。
これは仕事などをする時にどのタスクの重要度が高いかを決めていく行為に近い。
彼は考えた。どっちが大事だ? と。
ルファスの願いをかなえる事と、己の我をこのまま貫く事、どっちが重いか秤に乗せる。
拮抗は一瞬で、直ぐに傾く。
圧倒的な差をつけて結果は出た。
“どうせ”という頭文字がつくが、残り少ない命だ。
ほんのちょっとだけ挑戦してみるのも悪くない。
万が一ルファスの願いが叶ったとしたら、その時彼女は万人を癒せる技術を得るという事だ。
それは彼女の未来においてとてつもない強みとなることだろう。
そう、彼女は言ったではないか。
「私も皆を治せるような力が欲しい」と。
となると、この願いは唐突に今産まれたモノではなく、あの時からの延長線上にあるということになる。
そして自分はソレを了承した。
つまり、責任があるということだ。
ならば、自分の命を使って実験してみるのも悪くはない……と、彼は己の中の諦観に言い訳をしたのだ。
乾燥しきった燃え殻の中にはまだ一欠けらの熱が残っていたのかもしれない。
「……負けたよ」
「────!!」
脱力し、情けなくも暖かい笑顔で己の敗北をプランは受け入れた。
そんな彼にルファスは満面の笑みを浮かべていた。
幾度も繰り返してきた決意が彼女を満たしている。
絶対に離さない。
死になど渡さない。
この人は私の大切な特別だ。
しっかりと腕を掴む。何があっても離れない様に。
胸元に耳を寄せて心臓の鼓動を確認し、彼が生きているとしっかりと確認する。
恐ろしい程の熱……しかし決して嫌ではないソレが心と胸を満たしていくのを女は感じた。
暖かかった。
愛おしかった。
ずっと自分の傍に置いておきたくてたまらない。
この人との思い出はどんな宝石や星よりも輝いていて、己の果てしなく長い人生を温め続けてくれるのだと女は思った。
翼が大きく広がれば男の視界は夜の様に完全に閉ざされていく。
そのまま真っ黒な羽の塊が落ちてくる。
どうあっても壊せない鉄格子の様に。
少女の中で誰にも愛されなかった残骸が羨望と共にため息を吐き、男の中では誰かたちが当代の変化を見つめていた。
認識のズレ
プラン→ルファス
そこそこの信頼関係は築けたと思う。
ルファス→プラン
母と並ぶ程に大きな存在。
欲しい